実演鑑賞
満足度★★★★★
横浜で異色の活動をする団体に声掛けしたtheater045syndicateを含む3団体によるコラボ。各作品の尺は30~40分。上演順に世人/dasman「アイヒマン・テスト」、鳥を探す「夜の戦いの種族」、theater045syndicate「Puppy Day Afternoon」と異なる作品をオムニバス形式で上演。面白い。ネタバレ追記2024.3.4
ネタバレBOX
各劇団、上演作品の内容も演出や目指す方向も全く異なる為、作品各々の個別性が対比される側面があって極めてエキサイティングである。同時に3作中、2作が歪みのある状況を背景にした作品で残る1作が身体表現を重視し、それこそトウシロウの身体でも狙えるような腹に贅肉のついた身体でハードボイルドを演じるものだから、最高に分かり易くアンチメタフィジックな可笑しさも対比され他のメタフィジカルな2作品と好対称を為し、更に毛色の異なるこの作品をラストに持ってきたことでこのオムニバス公演全体をアウフヘーベンした上で観客たちの日常へ降下させる仕組みも創り出している。要は哲学、心理学的な逍遥からいきなり喧噪の現実世界の持つ滑稽と奈落の哀しみやその地平でのダンディーへダイブする訳である。このペーソスをあっけらかんと笑い飛ばすようなドタバタぶり、恰好悪さと心に秘めたダンディズムのマッチングがグー。
ところで66.6…%が、メタフィジカルな作品で占められ、サイレント時代の映画で演じられていたような動作や仕草、行動やシチュエイションの可笑しさでは無く、生きる上での不安や苦悩によって己の存在自体に故知れぬ不安定を感じ対処する術も持たぬ現代日本に暮らす我ら日本人の大多数を示していると思われる。対処する術を持たないことは書店に並ぶハウトゥー本の膨大な数や近視眼的言説の垂れ流しをチラッと見れば事足りる。原因は多くの人々が自らの頭を使って考えることを放棄してしまった為、表層をしか観なくなったこと、結果自ら納得し得る哲理を獲得する術を既に自分の手によって投げ捨ててしまって来たことにある。その辺りの事情を今公演は反映していると考える。表現は時代の鏡であるが、殊に演劇はその傾向が強いジャンルであろう。全3作を通じて今公演はこのようなメッセージを発信したと私は考えている。
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日を拝見。べし観る! 華5つ☆
ネタバレBOX
大奥は二代将軍・秀忠の「大奥法度」によって法的に規定されていた。この法度制定は1618年。将軍及びその子弟を除く男子禁制の場所としてあまりにも名高い。が、幕末のこちらも名高い勝海舟と西郷隆盛の談判によって無血開城が決められた1868年迄は、将軍の私邸として機能し将軍の生母、妻妾、妻ゆかりの女性、乳母、家族更に奥女中らによって用いられていた居住空間であった。大奥で暮らす女性たちは、正室・御台所を中心に今作で描かれるようにこの時動乱の時代を生きていた。武士の二大価値即ち、御家存続・所領安堵の為、殊に御家存続をその目的として機能して居た閉鎖空間の中でである。主目的が御家存続であるから為将軍のみならずその子弟の生活の場でもあり、纏わる女性たちの生活の場所でもあった訳である。因みに大奥は将軍が政務を司る御座の間及び、将軍の住居としての中奥によって外界と切り離されていた。中奥から大奥へは御鈴廊下と呼ばれる通路のみで繋がるという徹底ぶりであった。即ち基本的には女性によって成立している世界であった。ここでジェンダー論を論ずるつもりはないし、様々な立場、様々な意見があることも承知しているが、様々な意見表明の殆ど総てが、衣食住というヒトが生きる原理の前に消滅の憂き目をみるのは歴史的必然及び論理的必然と言わねばなるまい。何となれば論理というものの本質的属性は或るオーダーを要求するしそのオーダーから出発した後大方の論理の唯一の展開は尖鋭化する他にないからである。おっと、話が脇に逸れた。まあ、このような前提の下に女性達の様々な立場(そのヒエラルキーだとか、出身地域の価値観や風習・文化の差、言葉遣いの差異等々)によって利害得失や心理も変化する訳だから多くの当てこすりや一定の品を保ったままの価値観の違いに起因する争闘もある訳である。その具体的な在り様を歴史の河の大きな流れの中で演出も手掛ける女性戯曲家が、女性目線で描いて見せている点で、同性ならではの心理描写、間の取り方等が見事である。各々の登場人物それぞれの心の奥に潜む精神の襞そのものにまで達する描写が随所に見出され、然もそれが実に自然に女優達の表現に現れているからである。無論、近・現代と近世との断絶を繋ぐ仕掛けも自然に見えるように書かれているのみならず、縁(えん)という因(よすが)も巧みに織り込まれている。和服の着こなし、歩み方、衣装の華麗等々も実にしっかりしており、称賛に価する。
ところで、上記の文章は男の文章だにゃ。女性の表現はもっとしなやかで更に情緒に富む。
実演鑑賞
満足度★★★★★
腕の見せ所を過たずしっかり見せてくれた。面白い。
ネタバレBOX
サブテレニアンは小さな小屋であるが、ここで上演される作品、上演する劇団は可成り一所懸命に演劇と向き合っているケースが多いようだ。今回の上演、作品もこの期待を裏切らなかった。台詞の発語も単語のいちいちが間違いなく観客に伝わるように工夫されておりポーの「黄金虫」中で用いられる暗号が用いられるので観客もリアルタイムで謎解きに参加し得るし、そこまでいかなくともちゃんと劇中で基本的な解読法が伝授されるというオマケ付きでもある。物語は暇を持て余して空想に身を委ねている男がひょんなことから殺人事件があるという情報を得、その現場を観に行こうと友人の小説家を誘った。然も小説家も一緒に行くことを選んだ。
という悪趣味な物語だが、今作の面白さはこの悪趣味をそう感じさせない作品に仕上げている点である。つまり役者や演出家の腕でそのように感じさせているのである。更に今作にはディレッタンティズムという魔法が掛けられ、大きな効果を上げてもいる。脚本の面白さや演出の妙、そして役者陣の味のある演技。気に入った。サティーが随所で掛かる音曲のセンスもグー。
実演鑑賞
満足度★★★★★
べし観る! 追記2月3日20時52分
土佐藩は可成り特殊な藩である。家臣団が上士、下士に分かたれ上士は下士が気に入らなければ殺すこともでき咎めは一切受けずに済んだからである。背景にはこの地を治めていた長曾我部氏が関ケ原の戦で敗軍に従いていたという理由がある。長曾我部が治めていた領地は山内氏の領する処となった。新領主・一豊は旧藩主の家臣団を下士と定め、自らの家臣団を上士と定めて上記の如く権限に圧倒的差を設け旧長曾我部家臣団の反乱を抑制した。以降江戸時代末迄この制度が保たれた。
ネタバレBOX
今作の主人公は人斬り以蔵として今に至るも名を残す土佐藩郷士・岡田以蔵である。人口に膾炙した描かれ方では剣はめっぽう腕が立つが知的才能には恵まれず、唯その余りの強さに人々は怖気を揮うという体のものだったが、今作では実に敏感な感性に恵まれ記憶力抜群で、自然の持つ奥深さや繊細な多様性をキチンと受け止め、どちらかと言えば受け身の虫も殺せぬ優しい性格の人物として描かれている。掛かるが故に京の旅籠で出会った子供たちとも直ぐ仲良くなり子供たちから以蔵ちゃんと呼ばれて遊ぶのである。
一方、本質的に受け身な生き方なので激動の幕末の、まして上士、下士で大変な差別のあった土佐で同じく下士の武市半平太を盟主とし藩を挙げて攘夷を唱えたという形を採った土佐勤王党盟主の言を至高のイデオロギーとして捉えたというより、運動初期には人的魅力もかなり持ち合わせていた半平太の人柄に魅入られ、彼の命令なら例え己の心と魂がどんなに傷つこうと従おうとし、実践した極めて特殊な利他主義の純粋性を貫いた子供のようにナイーブな人物として描かれることで、尊王攘夷運動の中で人格的にも大いに変化してゆく半平太、藩内で異なるイデオロギーを持つ実力者であった吉田東洋との確執から東洋暗殺に至る政治に振り回される同士、藩主・山内容堂の立場・見解などのあれこれ。つまり大人の権謀術数の嫌らしい世界と対比される。然も東洋の甥にあたる後藤象二郎は東洋暗殺の下手人を探して苛烈な調べを行い、上士、下士の断裂を見事に描き出すと共に士族に属さぬ町民としての旅籠の主人ら庶民の価値観も対比され動乱の幕末以降の日本を町民の視点で物語途中から見透かすような台詞も入る。そのような新時代の夜明け前、一番暗かった時代の有様を政治史としてではなく、余りに純粋で感受性豊かな一人の人物の余りに痛ましくそれ故に哀れそのものであり美しくもある生き様を賭して提起した。坂本龍馬の頼みで勝海舟の護衛をし壬生浪士組七名の襲撃を撃退したシーンは見もの。また、沖田総司との不思議な友情も剣の天才同士の不可思議な照応の為せる業であったのだろう。二つの純粋な魂のこのコレスポンダンスも良い。また旅籠屋の長・喜兵衛の孫・喜作が土佐藩上士に斬られた刹那、間髪を入れず刀を振るった以蔵の人間味も今迄描かれなかった側面とみて良かろう。演じたのは無論、黒崎翔晴氏。その後収監され土佐の牢獄で拷問を受けた際、会いに来た以蔵の父の深い愛情表現もグー。
実演鑑賞
満足度★★★★★
初春公演らしい舞台だが、極めて鋭い切り込みも。
ネタバレBOX
黒船来航以降、日本は天地のひっくり返るような大混乱に見舞われ士農工商の身分制度は崩壊した。然し武士の身の振り方は容易ではなかった。余りに窮屈な武士としての心掛けに縛られフレキシビリティーを持つに至らぬ者が多かった為である。然も勤王・佐幕と対立したイデオロギーを掲げた倒幕派、幕府方と別れた武士の戦が各地で起こった。その果ての明治である。巷では“散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする、半髪(ちょんまげ)頭を叩いてみれば因循姑息の音がする”と仮名垣魯文の「安愚楽鍋」に端を発し人口に膾炙して変容したフレーズが大流行したりもした。丁度散髪廃刀令や廃藩置県が出た1871年頃の話である。また今作でも大切なシーンに関わる日本初の鉄道が新橋・横浜間で営業を始めたのが1872年、横浜にはそれ迄日本で用いられていた行燈の灯りとは桁違いの明るさのガス灯が灯り人々を驚かせた。
激動のこんな時代背景を持つ物語であるが、年明け初の椿組公演とあって擽りも多用し序盤から中盤にかけては初春を寿ぐ展開が見られる。板上は中央に回転する大きな円盤を置いて回り舞台式に回転、描かれる状況に応じて様々な舞台道具が設えられる。この円盤の手前客席側に設けられた奈落も時に魔物の棲む浅草の瓢箪池になり、せり上がりに用いられたりと用途も様々に実に効果的に用いられている。
更に時代に取り残されそうになる人々、既に上手に乗り切った人々、途上にある人々各々を実に自然に描き分け舞台化している点は見事である。と同時に人として何を中心に据えているかもしっかり沁み入るように描かれている点も素直に共感できた。元足軽でテイラーを目指す男、元浅草の花魁で地縛霊となった小鈴の純愛がそれである。道行の名文を書いた近松作品のような文章は無いが欧米人と関わりのあった女性が羅紗緬などと呼ばれて差別されていた頃、武士としては下層の足軽と元遊女で苦界の生活を嫌って身投げの果て。成仏できず地縛霊となった小鈴の純愛は、この世で果たすことのできない恋の成就という意味で心中物の訴える本質と一致する。
更にこの純愛を中心に座らせることになるサイドストーリー(足軽が領主の姫に憧れ・焦がれ・惚れ、手作りの髪飾りを毎年送っている)展開が演じられる順序も、サイドストーリーそのものがずっとメインストーリーとして終盤迄今作を引っ張ってゆく脚本の創りと相俟って他にこれほどの効果は出せまいという程嵌った展開であり、テイラーを目指す元足軽の製作中の背広を観たオーナーがほぼ出来上がった背広を批評するシーンも見事である。表現する者であれば心せねばならぬ肝要な点が指摘されているからだ。
余談ではあるがタイトルに用いられている檸檬がカタカナで無く漢字表記になっているのは単なる懐古趣味からというより多くの人々が受け取るレモンという洋風果物に対して持つイメージと共に梶井基次郎の「檸檬」を意識してのことであるだろうし、物語全体から受ける舞台印象の深さの源として主宰の外波山文明さん及び劇作担当の秋乃桜子さんの日本近世・近代から昭和辺りまでの日本文化に対する深い理解と念ひ故と受け取った。こちらも首尾一貫・通底して見事である。
実演鑑賞
満足度★★★
初日を拝見
ネタバレBOX
オペレッタである。板上は天上から下がる棒に角度を変えた円筒形の長い棒が直交するよう取り付けてあるオブジェを間に挟み、板面から天井まで届く同様のオブジェが下手観客席側と上手奥に設えてある。これらのオブジェ奥には2F部分が拵えてありヴァイオリニストの生演奏を聴くことができる。
出演者の多くがアイドルグループ出身のようだが、殆どの演者が基礎をしっかり訓練していないことが分かるレベル。これはプロデューサーの責任でもあろう。演出家が日本の短い稽古期間の間に矯正できるレベルでないことも確かだ。恐らく本人たち自身に基礎がなっていないという自覚もあるまい。まともに観られたのは、まこと役・双子の姉役の二役を演じた女優及び犬役のダンサーのみ。前者はアイドル卒業後女優を目指してやってきているから明らかな地力の差を見せていたし、犬役のダンサーはプロのダンサーらしい良い動きをしていた。他のメンバーは観客に台詞が届かないようなシーンもかなりあり自分は5列目の席であったが、聞き取れないシーンが何か所もあった。話の内容は凄惨且つ悍ましいもので決して実体験等したくない。また、細部の描き方が脚本レベルで決意性一般で現実が変容してしまう漫画の様なレベルに堕していた点も残念だ。その意図も分かるような気はするが、作りとして粗い。
アイドルを多数出演させるなら、大人が上手く枠をしっかり作ってアラが見えにくいように工夫すべきであるが、そういった努力の跡も感じなかった。まあ、凄惨なシーンに突入してから後は、その凄惨さ故の迫力でそれなりに迫ってくるものがあった事が救いではあり、この効果を狙っての漫画チックでもあろうが。
実演鑑賞
満足度★★★★★
ベシミル! 華5つ☆
板上中央奥に屏風状に一双張られた造作のみ。他に舞台美術はない。出捌けは四隅に幕を用いて袖を作り実に合理的に空間を最大限に活かして用いている。数多くの小品をオムニバス形式で演じてゆくがそれぞれの作品に独立性が高く、上演の順も上手く構成されていて全く飽きず各作品を堪能できる。脚本、演出、演技、作品に向き合う姿勢、観客への態度も頗る良い。(追記1.13 )
ネタバレBOX
演じられた作品群は以下の11作品。上演順に先ずタイトルを挙げておこう。
1:『笑顔・・・』
2:『告解・・・』
3:『鏡・・・』
4:『風』と『ちさこ』と『バスタブ』と・・・
5:『消防民営化・・・』
6:『妻は出て行った・・・』
7:『忠告・・・』
8:『レストラン・・・』
9・『壺・・・』
10:『国境・・・』
11:『井戸の茶碗・・・』
各脚本は劇団オリジナルのようだが、古典落語などをベースにしている作品も在る。また各作品で描かれた状況や場面を「境界」と取るか否かは観客の知・イマジネーション・判断に因る。また境界という言葉そのものが厳密には或る領域と別の領域との間を指す単語である為例えそれが線分に過ぎないとしても一種の曖昧性を宿命づけられていると考えられよう。その表現が、タイトルに三点リーダーで示されてもいる。
各挿話色とりどりで飽きさせないことは既に書いたが新年ということもあり、新たな年に絡めたシーンが番外に締めとして行われる粋もあり、様々な擽りや人情、深い哲学的問題等を描いた作品もある。この尺でこれだけ多くの人生模様をこれだけ掘り下げた公演には滅多にお目に掛かれる訳では無いことも付言しておきたい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
若い感性が真摯に世界と向き合い格闘している現場を見る。そんな舞台でありその観察力と実践に拠って得た解は正鵠を射ている。ベシミル! 尺は73分。
ネタバレBOX
板上には八艘目の八コぶ.ね.の甲板と思われる舞台美術。出捌けは下手・上手各々の側壁奥と観客席側(手前)の都合4か所。序盤から中盤迄はごろ合わせの台詞が殊に多く、ごろ合わせが表すそれぞれの単語を考えながら観るのも楽しい。無論各登場人物たちの名も大きな意味を持つ。後半生きることの意味や、生き方そのものに対する実に真摯な問い掛けが為されるが、内容は鋭く正鵠を射ており現在日本で権力を握る輩に突きつけてやりたい本質を若者らしく純度の高い表現で提示している点は流石に中大二劇である。
聖書に登場するノアやノアの箱舟も当然下敷きにしているが、その末裔の恋バナなども絡めこちらも純度の高い愛を描いて秀逸。更に八コぶ.ね.の船長たる乃愛をサポートする繋や元神の白鳥、ノアの末裔、南朝、北朝の末裔らが絡みつつ大災害を経て辿り着く事象の根幹での対話と帰結も見事。
実演鑑賞
満足度★★★★
途中10分の休憩を挟んで2時間25分の長丁場。華4つ☆ 追記後送
ネタバレBOX
脳神経内科の医師・滋が病院内の階段を落ちて骨折、退院を機に退職してからの日々を描いた作品である。
医師と云うものは通常その妻等自らの感情が判断を狂わせかねない受診者の診察やオペ等は行わないのが常識である。理由は述べた通りだ。従って患者にはあくまでクランケとしての対応が原則である。一方で人の命を救うという職業の倫理はヒポクラテスの“
誓いの言葉″や人口に膾炙した“医は仁術”等が基本とみて良かろう。
滋には妻・知佳と弁護士である娘・理子という家族があり、親友は整形外科医の達夫である。他に医局の秘書・久恵が退職後も暫くは愛人である。現役時は難病患者に寄り添い一所懸命に対処し業績も中々のものであったから比較的自由奔放な性格から反発する者も出やすいハズであったが、製薬会社絡みで行われる海外での治験参加等も多めに見られており中々の勢力を誇っていたから院内で彼の不利になるようなことを言う者も敵対する者も居なかった。その分、プライドも高い。その滋が認知症を患い、自分でもおかしいと薄々感じながらも中々周囲の忠告を素直に聞くことも従うこともできずに必要なケアを拒否し続けた結果、殆ど植物状態になりながら最後の最後に観客を酔わせるようなラストシーンに持ってゆく。
実演鑑賞
満足度★★★★★
華5つ☆ タイゼツベシミル! 尚ギャラリーXで40点程の写真展を見ることもできる。樹木に転写したユニーク写真展。入場に別途料金は掛からない。たった千円でこれだけ素晴らしい舞台を観ることができる。
ネタバレBOX
ヴィエルシャリンは2013年にも来日しており矢張りシアターXでブルーノ・シュルツの「マネキン人形論」を上演しているが、この時の舞台も卓越した素晴らしい舞台であった。10年ぶりの再来日で今回の出し物はポーランドが国土を19世紀に喪失しポーランド語を用いることができたのは家庭を除き教会内と劇場だけであった。この時代にロマン派の大詩人として名を成したAdam Mickiewicz(アダム・ミツキェーヴィチ1798~1855)は、国土も主権も喪失したポーランド人にそれ迄使われていたポーランド語より強靭で独自な近代ポーランド語を創造し世界中に居るポーランド人にポーランド語の自治圏を提供したのである。1830年の11月蜂起は国民政府を樹立したものの翌年10月に帝政ロシアに鎮圧され4万の死傷者を出した。鎮圧後1万を超える亡命者を生み多くの者が流刑に処されたりロシア軍に徴用された。20世紀に入って100年以上も制圧されていたポーランドは一旦国土と主権を回復した時期があるが再びそれらを喪失したことは歴史の教える通りである。一方、このように理不尽で非人間的な状況に置かれて尚ポーランドは再生した。その原動力になったのがミツキェーヴィチの作品群によって伝え続けられたポーランド語とポーランドが理不尽な苦悩の犠牲者としてのたうった歴史をキリストの受難と重ねその苦悩故に復活するという力強いヴィジョンであったということができよう。因みに生まれがリトアニア大公国であったミツキェーヴィチはクラクフもワルシャワも生涯訪れることが出来ぬまま世を去った。
現在今まさにパレスチナ人が体験を強いられている理不尽極まる受難もまたパレスチナ人とパレスチナ復活という未来へ向かっての試練だとしたら? 全く先の見えないこのような苦悩の中でパレスチナ人の中から新たな救世主が生まれる物語をマフムード・ダルウィーシュに匹敵するような才能を持つ表現者が現れて描ければイスラムフォビアも駆逐され、平和的解決の道筋が開けるかも知れない。
今作は全く古びない、当に現在の世界状況を如何様に滅びから救うかという難題に最も果敢にそして回り道であるかのようにみえて恐らく最も早い解決法さえ示唆してくれるように思われる。
劇団ヴィエルシャリンの思考が素晴らしいばかりでなく、今回の上演に当たってチョイスした場面が極めて適格であり、演出、演技、ダンス、ピアノ、フルート、ヴァイオリン、アコーデオンの生演奏奏者たちの腕も大したものだ。無論、間の取り方、終始昏い照明も内容と密接に絡むと同時にマッチし、変更が基本的に出来ない台詞に対して即興を基本に踊られるダンスの素晴らしさ。変わらない部分に対する即興の意味する処を追求する姿勢の底にあるヴィジョンの素晴らしさ迄観客が気付ければ、この舞台の質の高さは文句のつけようがあるまい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
明治大学で2004年から始まった明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)は、毎年秋に公演を開催してきたが、今回はその20回目。今回、20回メイン公演として上演されたのは「ハムレット」であったが節目の20回を記念した「明治大学シェイクスピアプロジェクト 20年の軌跡」展が同大博物館で開催されてもいる。その関連イベントという形で20回本公演の「ハムレット」に登場する人物たちにスポットを当て初のミュージカル作品として上演されるのがオフィ-リアに焦点を当てた『オフィーリアの部屋』及び志賀直哉の「クローディアスの日記」に基づき自由翻案で創られた『苦悶・煩悶・クローディアス』の2本である。
ネタバレBOX
急遽、会場が変わったこともあり大道具が調達できなかった経緯もあって出捌けの動作が一部観客に観えてしまうケースもあるが、歌唱の上手さといい、ダンスの動きや振り付けも良さといい流石MSP公演である。2作品ともミュージカルで作曲はOBが担当しているが、エリザベス朝演劇の代表であるシェイクスピアの数ある作品の中でも代表的な作品の一つ「ハムレット」を今回の2作品以外にも太宰治が翻案執筆した「新ハムレット」を矢張り関連作品として上演済みである。以下今回上演された2作品を作品毎に論じてみよう。因みに舞台美術は2作品共用である。板上、ホリゾントと手前の中ほどに衝立を設けて袖とし、実際の出捌けは上手、下手の側壁袖から。他はフラットだ。尺はトータルで1時間程。
『オフィーリアの部屋』
脚本はシェイクスピアの「ハムレット」を実に上手く翻案しオフィーリアのハムレットに対する乙女心を、乙女心を理解せず結婚を諦めさせる父、ボローニアスへの嫌悪を示しつつも従わざるを得ないアンヴィヴァレンツからくる苦悩や苛立ち侍従長の娘としてのプライド等々を時に現代風の台詞廻しで示しつつ狂った体をも装って表現するがオフィーリア役の女優さん声の質が極めて良く音感も良いので歌唱力が高い。良いキャスティングである。また、ハムレットが吐く「尼寺へ行け」の台詞を何度もオフィーリアが反復するシーンでは、ハムレットの絶望と恋に去られるオフィーリアの底の無い苦悩が表されていると思われ、哀れである。ボローニアスは身分違いの婚姻を否定するも一方で宮廷に於ける様々な利害をも考慮する。息子の将来についても考えねばならぬし、娘の意気阻喪も気には懸かる。あれやこれやでハムレットとその母、ガートルードの話を立ち聞きをしていた所を刺されて死んでしまった。刺したのはハムレットであった。後はどう描かれるか? 12月9日にもう1度上演される。観てのお楽しみだ。
『苦悶・煩悶・クローディアス』
クローディアスは承知の通り先王の実弟、ハムレットの叔父に当たるが先王逝去後、妃であったガートルードと大した服喪期間を置かず結婚してしまった。シェイクスピアの「ハムレット」では、作品はハムレットの側からの視座で描かれており、クローディアスは可成り悪党ということになっているが、今作は寧ろクローディアスの視座から描かれる一種のエクスキューズ作品と言えよう。クローディアスもずっとガートルードに恋していたことが語られ、一方では甥から「息子」となった王子、ハムレットの扱いや彼の自身に向ける猜疑の目に対する処置に頭を悩ませたりもする。現実に世界をみれば他国との関係や政治、権力争い等々大人の事情もあろう。そういった諸々にオフィーリアの件が絡みこの2作品で一双を為す。
衣装も主要キャラクターは豪華な衣装を纏うが衣装部が演者の身体に合わせて仕立て直したりしつつ用いているものもある。歴史を重ねてきたMSPの財産を上手に無駄なく用いている点も良い。受付などスタッフの対応もグー。
実演鑑賞
満足度★★★★★
脚本が良い。
ネタバレBOX
物語に登場するハナミズキは北米原産の樹。樹高は5~7mになり1912年日本から桜が贈られた返礼に日本に贈られたことで広まった。花季は春、花色は白、紅がある。落葉樹なので紅葉も楽しめ実も赤く色づくので庭木や街路樹としても人気がある。花言葉は「私の想いを受けとめてください」「永続性」「返礼」と幾つかあるが、今作では1番目が最も強いものの、2番目、3番目の意味をも含むように思う。これは今作のタイトリングとも呼応しあっている。オープニングで先ずハナミズキに触れるのは、母・みずきの霊が可視化され何くれとなく随所に登場する光景に重なりながら展開するストーリーをも構造的に表しているから勘の良い観客はこの時点で物語のアウトライン迄観えてくる仕組みだ。中盤以降は、これらのことの意味して居たもの・ことが普通より一歩踏み込んだ深い台詞の意味する処として顕現し涙を誘う。父が倒れることは、伏線として何度も頭痛に襲われることから簡単に察しが付くことと、クライマックスを交差させる手腕も良い。前半、三女やその友人たちのキャピキャピしたような現代日本のチャラケ場面も出てくるがこのキャピキャピの底にある深い失意や世界の実態を知らずに迷妄の精神世界に在る子供たちが判断や結果だけを求められると思い込まされて居ること。そのことが分かっている大人は数少なく分かっていることを子供たちに伝える術を持たない。これらのギャップの奥にある日本の劣化をも踏まえ、それらを批判するというより更に深く考え実践すべき実存的方向を示したキラリと光る幾つもの台詞が構成した脚本の深さがグー。尺は約105分。
実演鑑賞
満足度★★★★★
誰が何の為に? の解は明かされないが、この解の類推は比較的容易い。論理的に詰められるからだ。
ネタバレBOX
板上横長の箱の上部に掌をかざすと機能する機械が1台置かれ、ホリゾント中央上部に小型モニター、その下の壁左右に開けられた開口部。更に劇場入口から板へ延びる壁面に大型のモニターが設置されている。出捌けはホリゾントに開けられた開口部2か所。
物語は誰が何の為にこのようなことをしたのか、最終的に一切明かされないものの、一種の知的ゲームのような作品に纏め上げられている。1室、モニターにキーボードと?マークが描かれた升目5つが表示された部屋。他は各部屋に1人、兎に角目覚めたらサイズも部屋のレイアウトも据え付けられている機器も完全に同じで掌を翳した後機械下部から排出されるアイテムのみ異なる仕様の部屋。因みに各部屋は微妙に色彩が異なる。部屋総数はずっと不明、建物のある場所も部屋総数も、このように人々を閉じ込めた者の意図、正体、目的も一切謎である。然しアイテムは配置された部屋に入った者専用で他の者が機械に掌を翳しても反応しない。こんな具合に少しずつ謎が解き明かされる。小さなモニターには様々に配置された黒点が、異なる数レイアウトで表示されている。訳が分からないので自然に登場人物たちは壁に開けられた穴の向こうに何があるのか調べに行く。こうして互いが出会い、各々の受け取ったアイテムが異なることを知り、施設自体がロックされており、このロックを解除しなければ解放されないことを理解する。此処迄理解できるとロック解除に必要なことは暗号を解くことだと知れた。各登場人物が彷徨いつつ徐々に知り合ってそれぞれが入手したアイテムを用いて暗号を解く。暗号を解く為には総ての情報を入手してデータを分析、解き方を考え実際に解かねばならないから、正解を得るのは最終盤に入ってからである。この過程の試行錯誤や未知に遭遇せざるを得ないシチュエイションから生じる疑心暗鬼や恐怖、直ぐ正解に辿り着けないことから来る焦りや死への恐怖が上手く配置され、観ている者たちも緊張感を持続して観ることができる。面白い。
実演鑑賞
満足度★★★★★
必見、観るべし! 華5つ☆ 綿密な取材と得られた科学的知見をベースに見えない放射能の齎す恐ろしさを見事に劇化。(追記完了11.22)
ネタバレBOX
オープニングは、喫茶モービーディックを訪れた視覚障害を持つ女性客と二代目マスターとの不可思議な対話から始まる。一元の客なのだが導かれるようにやってきた。してその原因は、店名に似つかわしく置かれている舵輪(舵輪とは航海の際に操舵室にある羅針盤と天測によって得られた自らの位置、そして海図を用いて目的地に向かう正しい航路を進む為に用いられ舵の角度を決めるハンドルのような器具のことだ。航海の象徴としても良く用いられる)や店の歴史、殊にこの舵輪が核戦力競争の中でアメリカがマーシャル海域のビキニ環礁で行った広島原爆の千倍の威力を持った水爆・ブラボーの核実験によって被爆した第五福竜丸が除染後水産大学の練習船・はやぶさ丸として用いられるに至る経緯で第五福竜丸で用いられていた舵輪は被爆等の影響があって使用されず除染後の水産大学練習船・はやぶさ丸には新たな舵輪が用いられたこと、そしてモービーディックに置かれている舵輪こそ、第五福竜丸二代目の舵輪であることが明らかにされる。
作・演の坂手氏は若い頃書いた作品で盛んに複式夢幻能のコンセプトを語っていたことが、このファーストシーンにも出ているかも知れない。何れにせよ上手い導入部である。また、既に多くの方々が知っているように放射性核種は目に見えない。ブラボーによって放出された核種も200種以上あるハズだが半減期が秒単位の核種もあるから、残留放射能問題を引き起こすのはこの半分の100種以上ということになろう。何れにせよ半減期の長いウラン238は地球の年齢と近似して44億7千万年にもなる。
物語はビキニ事件以降に起きた核にまつわる事件の本質をほぼ網羅し、観る者総てに考えて貰えるように創られている。例えば実に残念なことだが、政治は都合の悪いことは隠蔽するのが実際である。つまり民衆を犠牲にして今作が告発しているように事実を隠し、隠した事実も多くの場合隠蔽して蓋をしてしまうのだ。民主主義国家のリーダーを自称するアメリカは、それでも事象によって定められた情報開示時期がくれば殆どの秘密指定を解除し発表するが、民主主義の何たるかを弁えぬばかりか、近年に於いては民衆のことを一切考えないことが常態と化した民裏切り政党ばかりが与党を握り民主主義を破壊するに充分な隠蔽、嘘を垂れ流している。事実を述べる者に対する嫌がらせ行為実施事実の隠蔽・風化待ち、御用学者と共闘したフェイク情報作り、更には情報操作や偽情報拡散をしてきた件に対し、あくまで事実をベースに広島・長崎被爆国民の次に大々的に日本国民をも被ばく対象(鮪の核汚染、放射能雨、海洋汚染などの環境汚染)となった。被ばくし象徴となった第五福竜丸のみならず各操業船に通じる船員の役割(船長、漁労長、無線長、機関場船員などと日本がアメリカの責任を追求しなかった米日の方針、第2次大戦との絡み等の情報をも織り込み乍ら被ばくした漁師らの切歯扼腕が描き込まれ、被ばくの実相の一端と政治が対比されて胸に迫る)1954.3.1の第五福竜丸を象徴とするビキニ事件(日本政府はアメリカから3月1日に核実験をマーシャル海域で行うことを知らされていたが、操業船舶にこの事実を一切連絡しなかった。当時の日本管轄省が認めただけで992艘の漁船が被ばく、その殆どがキチンとした賠償ではなく見舞金すら受け取れなかったのに対し福竜丸船員だけが1人200万円の見舞金を受けた)このことが被ばく者間分断を生み第五福竜丸船員の証言をし難くさせた。恥ずべき日本の政、官、財の実態を緻密な取材や学術会議有志の調査船による調査(海流が海洋中で大河が流れるように流れており、他の海水と交じり合わないことを観測によって実証、結果降下した死の灰などによって汚染された海水は他の海水によって希釈されない)などを通して得られた事実をベースに描いた秀作。ギリシャ悲劇の最高傑作とされる「オイディップス王」でオイディプスは自ら目を突き盲いるが、盲いなければ見えてこない真実を観る為であった。オープニングで登場後、舵輪のように航海(今作で描かれる様々な事象)のナヴィゲーションに関わる女性が視覚障碍者であることに呼応していると見ることも可能であり、放射能が目に見えない脅威であることと深く関連してもいよう。実際には更に上記の如く、あったことを無かったことにする為の常套手段が用いられ続けている。今作は、ビキニ事件に関するメディア報道にも触れているが、読売新聞の正力松太郎は周知の如くポダムという暗号名を持ったCIAエージェントであったし、原子力の平和利用(米大統領アイゼンハワーが、1953年12月8日に国連総会で述べた有名な演説Atoms for Peaceを追い風に)と称して原子力産業・原発を推進、初代科学技術庁長官も務めた。原発導入で推進役を果たした中曽根康弘同様日本の歴史に大いなる禍根を残したことは、大石又七さんが原水爆と原発が本質的に同じものであることを早くから指摘し注意を喚起していたことと対照的である。このような状況の中、ヒトとして立つ者総てが観るべき作品であり、観たうえで覚醒すべき作品である。
実演鑑賞
満足度★★★★
華4つ☆
ネタバレBOX
劇団娯楽天国創立35周年記念公演である。舞台美術が凄い。和室を象ってあるが、レイアウト、壁を這う木材の形と柱などを挟んで横や斜め上に拵えた部分に延びる同じ材を用いた連続性のある造作デザインは、恰も壁を部屋全体の色調を引き締める化粧であるかのような落ち着いた渋い極上のセンスを感じさせる体のものである。格子窓がそのような壁面に座りの良い形で配置され更なる風情を醸し出している。日本家屋の建築美を見事に表すと同時に出捌け等の配置も合理的で見事という他ない。
主人公は元高校の先生。生真面目を絵に描いたような教師であったが2年前に職を退き現在は仏頂面を下げて一日中家にいる。そして道徳の授業のような態度で4人の子供たちに接して来たため子供たちは各々、少し特殊である。然も妻とも手作りの料理を顔突き合わせて食べながらずっと口も利かずに仏頂面を下げて居た為、妻は実家に戻ってしまった。大学時代はミュージカル部に所属し、部員は皆互いを西洋人の名で呼び、明るく元気で陽気な学生生活を送っており、妻はミュージカル部のマドンナで総ての男性部員の憧れの的であったというのに。現在、長女が身近であるが彼女の夫は失職中。そんなこともあり長女は生活に対して極めて現実的であり、シビアだ。まあ、孫も生んでくれて育児中でもあるから当然といえば当然なのだが。父に対する風当たりには厳しいものがある。長男は父の「高校だけは出ておけ」との忠告に逆らい中卒で社会に出たが学歴社会の世の中思うように行くはずもなく、道を少し踏み外し何年も前に家を飛び出して寄り付かない。次女は大学進学したものの直ぐに辞め、現在は訳の分からない運動体に入って講釈を垂れるようになっており、その教団の施設内で共同生活をしており普段は一切実家に出入りしていなかった。次男はニート。一日中部屋に引き籠りお早う、お休みの挨拶すら漫録にしない。つまり家族は殆ど崩壊している。そんな中、生前葬を計画した父と別居中の母、4人の子供たちとミュージカル部の仲間、生前葬の弔問客、長男に恋し彼女に嫉妬してジャックナイフで殺害しようとする男、葬儀屋らが繰り出す悲喜交々を母が戻って来てくれたシーンで、父と和解し家族が再結成され徐々に正常を取り戻してゆく様が描かれるも警察から入った1本の電話が実相を明かす。とその実相に出会った父は心筋梗塞で心肺停止。この事態に沿って描かれる最終部の父と母の穏やかで和やかなシーンは深い哀感を伴い乍ら、父の再生シーンへ繋がる。この時に舞台美術の素晴らしさが改めて際立つ中主役・父、脇役・母が天界へ至る道中の雲の中の階段のような場所で交わす言葉及び演技が見事。赤い2つの風船の使い方も良いアクセントになっており、照明の素晴らしさに驚嘆し音響が見事にマッチしている点にも感嘆させられた。丁寧にまた品のある役作りをしている母役。場面、場面の変化に上手い役作りで過不足なく応じる父役、元演劇部部員で15歳になる娘の父が、生前葬の主役たる元演劇部顧問だと言い出し騒動を引き起こす矢張り品を感じさせるシングルマザー役の教え子らを配したキャスティングもグー。然も15歳の少女に「実の父は何処かの刑務所に服役中」と言わせてちゃんとオチも付けている。全体としては小市民化した現代日本のトレンドを上手く反映した作品だ。尺は約2時間半。
実演鑑賞
満足度★★★★★
ゲノム編集によって新生児のさまざまな身体性、知力などを操作できる世界の物語。(追記11.19)
ネタバレBOX
舞台美術は至ってシンプル。板中央に天井から太い水柱を連想させるような円柱がそそり立つ。この円周をドーナツ状に囲むように椅子ほどの高さで数十cm幅の壁が取り巻いている。これが人工子宮だ。オープニングでは客席側に椅子2脚が置かれている。
時代、場所は特に指定なし。ゲノム編集によって疑似胚細胞と幹細胞から作り出した精子を結合させることで受精させる為、性行為は不必要である。大多数の人々は既に性行為を野蛮なものと見做し軽んじて居る為、結婚することや指輪交換することも殆どなく男女の身体接触は軽いキスやハグであり、新生児は人工子宮で誕生しベビーラボで育つ。無論、数は少ないものの実際に女性の身体から産み、育てることを選ぶカップルもある。前者即ちマジョリティーは、性差に関係なく母にも父にもなれるし、個別の身体に負担が懸かる訳でもないから経済状況に応じて多くの子の親になることが可能だが、その分ラボに頼り切って結果的には現在の我々にとって普通な親子関係の親密さなどは育まれ難い。またゲノム編集された新生児の2世、3世になると寿命が短くなるという症例が多数報告されてもいるが、ゲノム編集で得られる高知能、理想的身体獲得の欲求は強く結果的には、親となる者のエゴが勝っている社会でもある。
この物語で最も面白い点は、主任研究者の娘による父への造反の形式であろう。主体的即ち自主的である少女が大人である父に対抗するには基本的に論理によるしかない。なんとなれば経験則に欠けるからである。そして経験を積むことによって獲得される社会関係の中での論理の用い方を未だ知らない若者にとって論理の唯一の展開は先鋭化することでしか在り得ない。その必然的結果が人口子宮の破壊である。つまり娘の反抗に早くから気付いていれば優秀な研究者としての父はこの結果を予測し得たであろう。父の台詞にあるようにそれをして来なかったが故の結果であったのは、当に皮肉だがそこまで観客に感じさせるという意味で面白い作品であった。この少女のように自分の頭で考えることのできる人間にとってとても分かり易い。キチンと現在至り付いている科学的知見を調べ自家薬籠中のものとしていると思われる劇作家の作品でもあるから、観るだけで科学的知見のあらましも良く分かる作品だ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
ベシミル、華5つ☆。2時間15分強の長尺だが、様々なタイプのギャグあり、極めてシリアスな問い掛けあり硬軟を見事に描き分け配置する脚本も秀逸! 途中、7分という中途半端な休憩が挟まれるのは1幕最後の場面で役者陣はストップモーションの状態で2幕に至る迄、この姿勢を維持するからである。但し50歳以上は、楽屋で休むことが許されている。姿勢によって非常に厳しい状態だから時の経過でどうしても姿勢が一瞬崩れたりするケースもあるが、当に演劇の持つ身体性そのものの鬩ぎあいをも見せる趣向で笑いの中に含まれる多くの位相を同時に表現していると見ることさえ可能である。無論役者陣の演技も良く、演出もしっかりしている。(追記後送)
実演鑑賞
満足度★★★★
タイトルが暗示するように、小説家、モデルや俳優、スポーツ選手など若者のなりたい夢へのチャレンジとその夢の実現への過程で経験する家族との関係、自らの病や怪我、社会へ出てからは実生活と夢実現の為に必要な様々な訓練との相克が社会人として生きる人間関係の障害との争闘とも相まって立ち塞がる様を描く群像劇。尺は約105分。尚、チケットは漢字は異なるが栞になっていて、ヒロインの名と発音が同じだ。
ネタバレBOX
秋公演は1年生主体の公演で如何にもフレッシュな感性に彩られた作品だが、詩的感性を舞台化することの難しさをも提示しているように思った。というのは今公演を拝見すると今作の作・演出を担当した三谷 陸人さんが書いた短編集「ちいさな青写真」が頂ける。今作に出てくる神社にも関係するような短編集で文章からは実に詩的な感性が見て取れ、この作家は本質的には詩人なのだということが良く分かる。そしてその分、詩的感性を演劇に落とし込む際の難しさを感じるのだ。というのも詩は、矢張り言語(各単語レベルでの意味や音韻などの醸し出すリズム、各単語を繋ぎ合わせる際の意外性やイマージュの飛躍等が日常的な言語表現とは矢張り隔絶している)表現であるから、それを身体を用いて表現する演劇にした時に言語表現が意図したもの・ことを十全には表現し難いからである。これに対するには例えば間の取り方があると考えられるが、これがまた大変に難しい表現方法なので、間の取り方だけ観れば名優か否かは即座に判定できるほどなのである。
若い演劇人がこの難題を克服する方法は、無論他にもある。例えばつか作品の圧倒的な台詞爆射や若い頃の唐十郎作品の持っていた圧倒的エネルギー、寺山修司の意外で奇矯な換骨奪胎等である。
今作では、詩的感性を日常性に落とし込むように努力した跡が随所にみられ、結果的にそれが作品のインパクトを弱めた気がする。その分、内容的には可成り深刻で現実にそのような条件を背負わされた人物の困難が、観る者の想像力に訴えかけてくるもの・ことは深いのだが。ポテンシャルの高い中大二劇の今作創作者全員に対し、たゆまざる夢見る力と情熱、同時に現実を冷静に見極める方法獲得を期待している。
そして、疲れた時には、珈琲でも飲んでリラックスすることも。
実演鑑賞
満足度★★★★
当日入手のリーフレットによれば、今作は他の方々との連携での企画「昭和大事件四部作」の四作目で、タイトルはトリカブトの花言葉の一つから採られている。(追記可能であれば、後程)
ネタバレBOX
事件は実際に起こったことなので描き方としてはドキュメンタリータッチだが、焦点を当てられているのは事件当事者ばかりではない。寧ろ周辺の人々にやや焦点が強く充てられ、全体としては事件そのものの衝撃性より、それが齎した社会性、社会的衝撃の一歩奥にあるものを作家の想像力で紡ぎ出した作品ということができよう。とても分かり易い内容だが、最終盤鑑定医と被告・確定囚との問答がある。この問答で、被告・確定囚の解答はちょっと意外に感じるかも知れないが、その一点だけが予測しにくいかも知れぬ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
尺は約100分。品の良い揺蕩う時を過ごしつつ、少し不思議で時に飛躍を見せるオムニバス形式で上演される各作品の奥にあるものを考えると味わい深い。お勧めである。
ネタバレBOX
板上上手に円を90度で切り取り円周上に段差のある壁を設け、その壁の内側には階段状に伸びた板状の造作(キャットウォーク)が突き出ているが各長方形内部は銀杏の葉のような形の曲線になっており、天井の光源が灯されるとキャットウォークの影が円周上に映り実に美しい。この影の用い方はSpiral Moonの舞台美術のセンスの良さにいつも感心させられることの一つだが、今回の作品の内容ともマッチした素敵な美術センスだ。円形の四分の一を為すスペースはオムニバス形式で書かれた今作の作家とその愛しい人との巣。スペース中央に横長で少し大きめのテーブル、そのテーブルの長辺を挟むようにベンチ式の椅子が置かれている。
更にこのカップルの巣の会話に促されるように各挿話が展開するが、こちらのレイアウトでは下手側壁に伸びる踊り場が設けてあり、踊り場客席側には手摺が付いている。無論踊り場へ上がる為の階段もある。他はほぼフラットだが場面に応じて必要なテーブルや椅子等がその都度用意されたり撤去されたりする。これらの動きも物語の台詞とタイアップしているので、物語の展開に一切邪魔にならないのは流石である。
偶々、最近見た優れた作家の作品や鋭敏な作品作りをしている劇団の作品の多くに、ある共通の要素が見られるように思うのだ。それがどのようなものかというと、人間が人間として生きようとするただそれだけのことに不可を出す、出し続ける無能極まる政治と何とかの一つ覚えと言わんばかりの利益至上主義の大手企業の論理がまかり通り、政治と経済が互いの利害のみで結託して人々の日常を脅かす非人間的社会の救い難さに対しての異議申し立てである。それらがどのように作品化されるかというと、例えば新聞報道等一定の客観性を持つと見做すことのできる情報から得られた「現実世界」の「事実」表現に対置するかのように、それとは微妙に異なる作家のフィクションが題提起を図る形で描かれ問われる。その上で次のステップとして我々が普段何となく用いている時間概念即ち過去、現在、未来という不可逆性とは別の時間、次元を提示し、その中で現実とは別の解決法というか夢の見方といったものを提起するという形である。言ってみれば宮澤賢治の傑作、「銀河鉄道の夜」に描かれる銀河鉄道の行路、ジョバンニの切符、停車場更にはそれら総てを含めた銀河鉄道そのものをイメージして貰えばよい。