ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

2921-2940件 / 3202件中
バイオハザードカフェで朝食を

バイオハザードカフェで朝食を

(株)エクセリング

俳優座劇場(東京都)

2013/02/05 (火) ~ 2013/02/10 (日)公演終了

満足度★★

言うべきことなし
 シナリオは定石通り。もっと工夫が欲しい。余りに凡庸である。客の質も低い。客電の落ちた後、携帯画面を光らしている連中の多いこと。上演中、下らないおしゃべりの多いこと。それで満足できる客が行けばよい。

『ANARCHIST』アナーキスト

『ANARCHIST』アナーキスト

anarchy film

新宿アシベ会館B1(東京都)

2013/02/09 (土) ~ 2013/02/17 (日)公演終了

満足度★★★

更に思想を身体化してほしい
 掴みは、中々工夫を凝らしており、寺山 修司の手法を彷彿とさせる。

ネタバレBOX

 だが、その後、その創造的発展というより、知の武装によるイメージの変容を伴わない方向に流れた感がある。パトスに取り込まれてしまったか。寺山がパトスをその鋭いメスによって切開し、イマージュの虚妄を剥ぎ取って、シュールな世界を見せたような手際は感じられない。メスの側に立ったのではなくて、切開される側のセンチメンタリズムに立脚しようとしたことが、敗北の原因だろう。
 一応、二幕形式になっているのだが、時間の断絶とか空間の隔たりとか、二幕物にする必然は感じられなかった。むしろ、一幕では、曲がりなりにも革命を標榜していたのだが、上記の理由で敗北主義的にならざるを得ず、小市民の価値観に納得しようと変節する、後ろ向きに進んでゆく個人に焦点を当てようとした点が、異なるといえば異なった主な点である。であるならば、もっと対立を先鋭化しても良かった。
 それなりに勉強はしているようだが、思想を自分のものとして消化していない。もう少し、思想の身体化をする必要があるように思う。
 新たなチャレンジに期待する。
フレネミーがころんだ

フレネミーがころんだ

熱帯

駅前劇場(東京都)

2013/02/07 (木) ~ 2013/02/12 (火)公演終了

満足度★★★★

観察力
 Frenemyという米語は実際に存在すると作・演出の黒川 麻衣さんは、リーフレットに書いているが、手元にある英和辞書では見付からなかった。仮に作家の造語であるとすれば、良い感覚だ。実際、劇中で、各キャラが立っている点、シナリオの良さ、演技の上手さに加えてキャスティングの良さも光る。この辺り、現代日本に蔓延る歪みを活写して見事である。作家の観察力の冴えを感じる。
実際、自分の生活の中で、ここに登場するようなキャラクターを見た観客は多いのではあるまいか。まるで等身大の鏡を見せられているような感覚を惹き起こす迄に練られたシナリオである。場転、間の取り方も良い。

ネタバレBOX

 惜しむらくは、ラストシーンを情況の変化によって落語的な落ちにするのではなく、登場人物達が、その行為の必然的結果として衝撃的な結末を迎えるとした方が、劇的効果は高まろう。まあ、そうなると、作家の意図とかけ離れた作品になってしまうかも知れないが。何れにせよ、この観察力、これから先が楽しみである。
IN HER TWENTIES 2013

IN HER TWENTIES 2013

TOKYO PLAYERS COLLECTION

王子小劇場(東京都)

2013/02/06 (水) ~ 2013/02/11 (月)公演終了

満足度★★★

日本の病
In her twenties 2013
 10人の女優が20歳から29歳になる迄の女の人生を描く、という作品だ。然し、根本的な所で疑問を持った。こういう内容なら演劇にする必要はないのではないか? という疑問である。無論、一人の人生にもドラマは存在する。然し、上演で、社会との関係よりは、二人称の関係が殆ど総てを占める時、自分等の世代には、没社会的と映るのも事実である。其処には葛藤というより、ただ、気分が移ろうだけの、いわば湿度・温度、光量などが総て管理され、自ら積極的にことに当たらずとも生きていける「社会」の中で夢を夢見ているような閉鎖的世界を感じるのである。間違っても、誰も死なず、怪我をすることさえもない。唯一の懸念は何時、何処ででも“暖簾に腕押し”という不如意から抜け出せないという漠然としたアンニュイだけだろう。そのような世界を舞台化するにあたって、殆ど、無作為に観えるようにキャスティングだけで処理したものを演劇とは呼べまい。
 ただ、これが、現代日本の実相であれば、酷く、この国は病んでいる。その病の重さに気付かぬまま。

東京コンバット2013

東京コンバット2013

ハム・トンクス

ザ・スズナリ(東京都)

2013/02/05 (火) ~ 2013/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

要通訳
 設定は大阪・東京間戦争である。劇中、東京の人間には大阪弁が、大阪の人間には東京の「標準語」が分からなくなっていることが、恐ろしい。
 戦争が始まるまでは、TVでも互いの文化圏の番組が流れていたわけだし、親族・倦族が、敵対する地域に住んでいる場合も多々あろう。就学、就職、転勤などでも様々なケースがあったはずであるのに、一旦、戦争ということになると、分かっても分かったと言った途端、スパイ扱いされ、銃殺されるということがあり得る。そのような恐ろしさまで意識して描いているとすれば大したものである。

ネタバレBOX

 東京対大阪の戦争が始まっているが、原因などは一切触れられない。唯、互いの上層部は、戦略が漏れることを恐れてか、自軍の実行部隊に他部隊との関係などの詳細は、一切教えていない。戦局は大阪有利、既に名古屋は大阪側に落ちている模様。東京軍は、大阪軍迎撃・撃滅を目指して、敵の戦車を一網打尽にする為の作戦を開始。その準備作業に5つの部隊を派遣した模様だが、事実関係は、ハッキリしない。
対する大阪軍も負けてはいない。巧みなスパイ戦略で一歩一歩、東京に近付きつつある。そのスパイ戦略とは、所謂HUMINT。人間が直接タッチするタイプの活動である。潜入したスパイが優秀な場合、味方の損失は相当大きいことを覚悟する必要がある。
幕開きは、軍事ヘリコプターのけたたましい到着音で始まる。かつてアトリエだったビルの一室に展開するのは、3人の兵士と2人の民間測量技師。先ず、兵士達が、室内の安全を確認し技師達が測量できるようなスペースを確保した後、開口部を固め、リーダーが、外を確認しに行く。そこへ東京軍と名乗る負傷戦車兵が駆け込んでくる。然し、無暗に彼の言葉を信じる訳にはゆかない。ここは、戦場なのである。すったもんだがあるがそこへ、リーダーの軍曹が、敵の狙撃兵を捕まえて帰ってくる。然し、東京軍には、捕虜にした大阪の狙撃兵の言葉が分からない。その通訳をしたのが、かつて大阪の大学に通っていたと言う戦車兵であった。巧みな人心掌握術と言葉のギャップを利用した捕虜との会話で、大阪のエージェントは、仲間を救済するという初期の目的を達した上、銃を所持することを許されるまでに信頼される。
この劇団の上手さは、この時点で、戦車兵が大阪のエージェントだということを観客に分かるようにしている点である。つまり観客が推理する余地を予め奪い、スパイを早くからそれとわかるようにして置きながら、彼が決定的行動を中々起こさないことで、いわば爆発時刻が分からない時限爆弾を抱えているような緊張感を、劇の開始早々からずっと重奏低音として観客の心の中に鳴り響かすのである。更に、このテクニックを見破った観客には、戦車兵が行動を起こさない合理的理由が、物語の筋として仕掛けられる。即ち、間近に迫った大阪軍との戦闘で、スナイパーは大阪軍に殺されてしまう。つまり、優秀なエージェントには、大阪方も実行部隊同志に正確な情報を教えていないのではないか? という自問が付きまとう。これは、彼の行為を遅らせる充分な理由である。エージェント自身、何時何処で味方に殺されるか分からないような情況に追い込まれ、何時行動を起こせば、最も成功率が高く、当初の目的を達成できるかについても不確実性が高くなっている。
自分が、今生きている事以外に信じられるものが何も無いような位置に人間を置くものが戦争であるならば、スパイもまた同じ情況に置かれているのである。
敵味方さえ定かでない不信感渦巻く央で、散発的な戦闘が繰り返され、一人、また一人と命を落とす者が出る。この時、登場人物各々にどんな精神的危機が出来するか考えながら観るのも一興だろう。いっぺんに皆死んでしまわない所も緊張感を盛り上げるのに役立っている。ただ、この緊張感を最後迄持続させた理由の最大の物は、時限爆弾に例えたスパイの決定的行動が、中々起こらないことだ。が、最終的にどうなるかは、観てのお楽しみとして、幕切れは目を負傷して最後迄生き残った東京軍の兵とエージェント、どちらの側の救援か分からないヘリコプターが到着したホバリング音と暗闇の中、サーチライトのように一定の周期を置いて出入り口を照らすランプの異様な緊張感で暗転する。美しい幕切れ、見事である。
ヒューイ

ヒューイ

Amrita Style

小劇場 楽園(東京都)

2013/02/01 (金) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★

彼我の差
 1929年の世界大恐慌直前迄のアメリカは狂騒の時代と言われ、バブリーな時期であった。この物語の舞台はバブル終焉期1928年の夏、ニューヨークミッドタウンの安ホテル、フロントで展開する。原作はユージン・オニール。演出が、アメリカ人というちょっと珍しい趣向の作品なのだが、演出、役者共に舞台よりは、映画で活躍しているようだ。基本的に舞台役者と質が違う。
 更に、アメリカの文明・文化と日本のそれとは矢張り大きな差がある。演出家はハワイ大学で大学院まで出、アジア演劇を専攻したと説明書きに書いてあるが、彼我の差を、全然、身体化できていない。一段落目、二段落目、二つの原因が大きいだろうが、表面的でインパクトの浅い作品になってしまった。
 演出家の責任が大だが、演出家、役者それぞれが、もっと舞台の勉強をし、文化の基底を為すものを研究すべきである。

黄金郷

黄金郷

チームまん○(まんまる)

萬劇場(東京都)

2013/01/31 (木) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

面白い
 素直に面白い。ナカダ親子を演じた2人の役者の演技も見事である。エンターテインメントに徹しようとすることで、衒いを削ぎ、己の精神を裸にすることに努めないと、このように自然で嫌みが無い芝居はできまい。直球勝負でいい味を出している。教師役を演じた役者も良い動きを見せ、脇を固めた役者陣の息の合った演技も見物。

私の嘘、僕の嘘

私の嘘、僕の嘘

Z団jr.

千本桜ホール(東京都)

2013/01/30 (水) ~ 2013/02/04 (月)公演終了

満足度★★★★

ダークマタ-
 我々は、生きている中で様々なもの・ことをネグレクトする。ネグレクトされた者・物は、宇宙で言えばダークマターのように、溜まっていよう。濾過され人前に出ても格好がつけられる他所行きより遥かに量も多いのに、納得のゆく解を得られることは少なかろう。そのような暗く、穢れた世界に身を置いてこそ見えてくるもの・ことがある。いわば表通りの世界から見放され無いと看做されて無視された世界である。だが、量から言っても、宇宙の構造から言っても、明らかに光を凌駕するのは闇の世界だ。嘘は、恐らくそこから養分を得ている。危機の時代に表現する者の多くが、善よりは、悪に惹かれるのもその為である。

strange

strange

ニットキャップシアター

ザ・スズナリ(東京都)

2013/02/01 (金) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★

épave

 今回32回目の公演になる劇団のようだが、評価するか否かがはっきり別れる劇団ではないだろうか。作・演出を担当している“ごまのはえ”氏は、韜晦を旨としているように感じる。例えば、仮面の使用法では、実在と感じる者に仮面をつけさせるといった具合だ。 
 作品は三部構成になっている。第Ⅰ部が垂直移動編、第Ⅱ部が平面移動編そして第Ⅲ部がⅠ部Ⅱ部の交差する直角交差編である。一応、始まりと終わりがある。然し乍ら、何か強烈に主張したいものやことがあるという具合に、作家は意識していない。いわばépaveとして自らの周りにあるもの・ことに注意を巡らし、納得するか否か、パースペクティブがあるか否かをアプリオリに知った上で行動するという方式を採らないのである。方向性はあるが、取捨選択は情況との関係で決まると言ってよかろう。その分、不確定要素が多く、解釈は多様になる。一方、主張なりテーマなりがハッキリした形を取り難い為、分かり難さが観客の好奇心をそそるのだ。
 今回の公演では、原始的な楽器や唯の箱、チューブなどが人工音と併用されているが、音楽的な広がりや深さは、épaveがépaveとして漂うことに符号していた。

朝日一家の挑戦状

朝日一家の挑戦状

はらぺこペンギン!

吉祥寺シアター(東京都)

2013/01/31 (木) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★

劇場の使い方
 今回の公演では、観客席で舞台を挟む形で公演が行われたが、位置によって若干、科白の聴き取りにくい所があったように思う。持って行き方が荒唐無稽なのでちょっとシナリオが荒い感じがするが、終盤にはきちっと纏めて見せた。目の前で役者が身体化する演劇というものの力だろう。

ネタバレBOX

 「朝日一家の挑戦状」というタイトルに無論、意味がある。要約すれば、この話は、ハンデキャップ同士の結婚話である。弱者を切り捨てて恥じない、この情けない「国」に対する、或いは、勝ち組、負け組などとつい昨日まで得意になっていたその社会に対する挑戦状であると言ったら言い過ぎだろうか? 何れにせよ、弱者を大切にできない社会など碌でもない社会なのだ、と当たり前すぎて言うのも恥ずかしいことを、どうやら言わねばならぬほど劣化してしまった社会を、改めて考える契機になろう。
4人の被疑者

4人の被疑者

劇団ヨロタミ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/01/30 (水) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

緊迫感
 一見、何の関係も無いように思われた四人の被疑者は、舞台進行と共に、徐々に互いの関連が明かされて行くが、持って行き方が非常に巧みである。

ネタバレBOX

 オーム真理教事件を匂わすグループに入信した加納 蘭、中学時代以来、根性焼きなどの苛めに遭い続ける倉田 慎司、非合法ドラッグ所持などで逮捕された古谷野 裕子は娘を殺したと供述している。振り込め詐欺の仲間との容疑を掛けられた冤罪の斉藤 実などの要素を絡めながら、事件の進行の背後に常に、隠れた背景を暗示するような、暗い緊張感を醸し出して2時間強の上演時間は、全く長さを感じさせない。
 これは、DV、児童虐待、チャイルドポルノ、ドラッグ、苛めなど悪のデパート、松澤 武史の犯罪行為が、序々に明かされてゆくからである。無論、教団の動き、冤罪を構成してゆく我が国の検察、警察の問題点も浮き彫りにしてゆく。無論、仕掛けはこれ以上にあるが、これから観に行く方の為に、これ以上は明かさない。緊張感のある舞台である。
テネシー・ウィリアムズ短編集

テネシー・ウィリアムズ短編集

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2013/01/26 (土) ~ 2013/01/28 (月)公演終了

満足度★★★

T.ウィリアムス
 作品のセレクトの仕方と志の高さは良い。然し、T.ウィリアムスの生きたアメリカという国の特殊性、南部という地域の特殊性、カソリックとプロテスタントとの歴史的経緯、アメリカに渡ったピューリタンの特異性とWASPに象徴されるアメリカでのピューリタンの意味、更にキリスト教シオニズムとシオニスト「国家」イスラエルの関係及びイスラエルがグローバリゼーションに於いて果たした役割などまで含めて考えなければ、今回、選ばれた短編が、現代日本で、ウィリアムス本人が抱えていたような深刻な問題を個々の観客に提起することは、不可能だろう。
 彼の作品世界では、植民者と被植民者の関係が、社会的弱者個人と社会的強者とに投影されて描かれるが、弱者は”狂気”という表現形式しか持ち合わせていないことに注意すべきである。その弱者を宝石のように際立たせたいなら、舞台上で演じられることの10倍程度の知識は不可欠、表現するための技術も考え抜かれ、身体化されたものが滲みでるようでなければなるまい。
 一層の努力を期待する。

休んでいる暇もない

休んでいる暇もない

パセリス

シアターシャイン(東京都)

2013/01/26 (土) ~ 2013/01/28 (月)公演終了

満足度★★★

更に深みを
 パセリス作品の暫く前までの特徴は、社会に対して取った距離感をそのまま保ちながら距離感を持つに至った原因に対して直接反射角を設けるのではなく、わざとずらしたり、屈折させるという方法を用いて描かれていたように思う。その微妙なずれや屈折が頗る新鮮だったのだが、今回、“働く”をテーマに作られ、オムニバス形式で上演された三作品は、より直裁、世の中へのサービス精神に満ちた作品になっている。
 今後は、洋の東西を問わず古典や歴史も学びながら深みを増すと共に、自ら、真面目に向き合う自分を茶化すような方向性を併せ持つ広いと同時に深い、更に現代と歴史に棹差す劇団に育ってほしい。

サンタクロースが歌ってくれた

サンタクロースが歌ってくれた

演劇ユニット パラレロニズム

しもきた空間リバティ(東京都)

2013/01/25 (金) ~ 2013/01/27 (日)公演終了

満足度★★★

もっと絞れる
 約2時間15分の舞台だ。説明過多が原因である。結果、冗漫になってしまった。2回目の公演としては、結構、役者陣が頑張ったが、シナリオに内容的繰り返しが多いとそれだけで、ミステリーとして質が落ちる。また、演劇は、役者の身体を通して観客に肝心なことだけ示唆すれば、それで足りる世界だ。シナリオをもう少し練り、本質を提示すべく頑張って欲しい。

新・新ハムレット2013

新・新ハムレット2013

劇団キンダースペース

シアターX(東京都)

2013/01/23 (水) ~ 2013/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

必見
  舞台美術がいい。入場するといきなり身が引き締まる。そういう作りである。質感が、城の石造りの重々しさを表現しているばかりではない。ここで、これから繰り広げられる作品の内容を暗示するよいうな緊張を孕んでいるのである。
 シナリオもシェイクスピアには、無い部分が付け加えられている。大岡 昇平「ハムレット日記」、太宰治「新ハムレット」、志賀直哉「クローディアスの日記」から付け加えられている。
 この劇団が、シェイクスピアを現代日本に蘇らせようと格闘し、その切実さそのものを俎上に載せたかったからである。その企ては、成功している。
 シェイクスピア自身が恐らく西欧的な自意識の問題について悩み、世界と世界を認識すべく位置づけられた自意識のギャップに引き裂かれる主人公としてハムレットを描いた、その切実を現代日本の政治、文化、メディア情況の中に埋め込み、我ら自身の問題として捉えようと図ったのである。この企てについても成功している。
 これら壮大は企画を成立せしめた高度な演出、演出に応えた役者陣、音響、照明も勘所を掴み、無駄の無い効果的なものであった。科白回し一つとってみても、劇場の大きさや舞台の使い方に見合った発声であった。観ておかなければ悔やむことになる舞台だろう。

世界を終えるための、会議

世界を終えるための、会議

タカハ劇団

駅前劇場(東京都)

2013/01/23 (水) ~ 2013/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

暴走列車
 サンデルの暴走列車の例題を援用しながら、現代、我々が暮らす状況の底に潜む不信と、コンピュータを用いたシステムの不可避な限界をぶつけることで、被造物の立場から人間を描き、その存在の曖昧、面白さを照射し考察した近未来作品ということができよう。話がストレートで分かり易く、テーマの追求方法にも合理性があって、ITに起こる諸問題についても素人が充分ついてゆけるレベルに噛み砕いている。人間のいい加減さを機械が真似ることの困難も面白く描かれているが、旧タイプ、新タイプのレベル差とアップデイトなどを手掛けるプロ集団と、ブラックボックスの内実も分からず使っている人々との関係も示唆されていて、楽しめる。

嘘ツキタチノ唄

嘘ツキタチノ唄

企画演劇集団ボクラ団義

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/01/18 (金) ~ 2013/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

更にエキサイティングにするには
 1977年正月明けに青酸コーラ事件が起こった。36年前のことである。一方、極めて珍しい“嘘の日記”が綴られていた。物語は、一見、何の関係も無さそうな二つの迷宮入り事件の相互関係を明らかにしてゆくサスペンスという体裁である。
 但し、単なる推理の面白さだけに終始しているわけではない。人間感情の機微や恋愛、ライバル意識、嘘をつく心理と真が交錯して中々面白い展開になっている。
 更に演劇的効果を高める為には、要素をもう少し絞り、対比を更に強調して、推理を働かせる余地を絞り込んで良いように思う。これだけ複雑な内容を上手く纏める力のある作者だ。可能だろう。

【公演終了!】望遠ノート【ご来場誠に有難うございました!!】

【公演終了!】望遠ノート【ご来場誠に有難うございました!!】

演劇ユニット「クロ・クロ」

劇場MOMO(東京都)

2013/01/23 (水) ~ 2013/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

memento moriの射程
 メメント モリの意味くらい誰でも知っているだろうから、このことばの解説はしない。唯、我らの存在している現代は、端的に不信の時代である。シニシズムに陥った世界内存在として、当然のことながら、ヒトは孤立している。どんなに親子を装おうが、友人や恋人を装おうが基本的には、誰も信じていないのだ。ハッキリしていると感じるのは、不安と不確定だけだ。信じられるものが成立すべき土台が壊れてしまっているのに、信頼だけが蜃気楼よろしく立ち上がるわけが無かろう。(立ち上がっているのは、プロパガンダの世界だけである)
 このような厳しい状況の中で、実体験に乏しい若者たちが、自らの知恵と努力や夢でどのように立ち上がってゆけるのか。それを問う作品でもある。
 賢治の「銀河鉄道の夜」をベースにしながら本当のもの・ことを求めて流離うこの作品のジョバンニは、シニシズムから脱却しようとして、不信とは反対の概念、信頼に至りつく。その心的流浪に呼応して、我ら命の故郷、宇宙の成立についての議論が戦わされる。ビッグバンは、本当に検証に耐えうる仮説なのか否かについてである。そして、理論的には、成立し得るという所まで来た。ステップは上がる。ミクロコスモス、マクロコスモス二つにとって問題は、“実践”に移らなければならないということである。この作品自体は、その答えを舞台上で既に出している。どのように出しているのかは、舞台を見て欲しい。

第32回手話狂言・初春の会

第32回手話狂言・初春の会

社会福祉法人トット基金日本ろう者劇団

国立能楽堂(東京都)

2013/01/23 (水) ~ 2013/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

歩き方
 先ず目を惹いたのが演者の歩き方であった。これは凄い。立ち居振る舞いの基本になっているのであろう。背筋がすっと伸び、動きがスムースで上下動が殆ど無い。裾捌きも見事である。
 聾者が演じるので手話の動きは入るのだが、同時に狂言の科白も流れてくるので健常者もリアルタイムで楽しめるのだが、数百年前に使われていた言葉が、変遷はあるものの、その場で類推でき、解説など不要であったことは、ちょっとした驚きであった。日本の古典がからっきしの自分は、分からないだろうと覚悟していたのである。但し、ここ数年の言葉の乱れは半端ではないので、今の若い人たちに、解説なしに分かるか否かについては、おぼつかないが。笑いの質が素直なので、所作を観たり、雰囲気を掴めれば、それでも楽しめよう。

飲み会死ね(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

飲み会死ね(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

宗教劇団ピャー! !

BankART Studio NYK(神奈川県)

2013/01/21 (月) ~ 2013/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

ラディカル
 この劇団を観るのは今回で二度目だ。一度目は、いつもの作家が、失踪してしまい、今回とは若干趣が異なるが、二作とも、ラディカルな点では、共通項がある。今回の作品の方が、ポエティックではあるが。
 基本的に、インテリが喜ぶ舞台だろう。中島 みゆきの歌詞と同じように。ダ-ザインの根源に視座があるからである。今回の作品も性の問題を水子と名付けられた、つまり流されたという前提の子と彼女の合わせ鏡としての友達を中心に回る。親子関係、生と死、性、男と女、倫理、社会と個など様々なテーマが錯綜して物語が展開するが、ダーザインレベルの話も入ってくる以上、それを表現しうるのは、詩と喩のみである。多くの若手が、安易に分かり易い物にコミットしていくように思える時代にラディカルであること、即ち、本質的であると同時に急進的でもあるような方向性を持っている、この劇団が、どうなってゆくのか、期待しつつ見守っている。

このページのQRコードです。

拡大