ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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親の顔が見たい

親の顔が見たい

diamond-Z

日本橋公会堂ホール「日本橋劇場」(東京都)

2024/05/16 (木) ~ 2024/05/18 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 戯曲は畑澤聖悟さん作、演出が西川信廣さんである。今作は初めて拝見したが、1月から今作を含めて42本を拝見したうちのベスト作品と評した。文句なしの華5つ☆

ネタバレBOX

 脚本が素晴らしい。演出も無駄が無く舞台美術も必要最小限で小道具1つに至る迄総てを用い緊迫の舞台内容を盛り上げている。自分は初見の作品であったが、有名な戯曲だとのことで読んだり、観たりで既知であった方々も多いのかも知れない。何れにせよ。楽公演じっくり拝見させて頂いた。
 板上はホリゾントセンター上部に「愛友理真」と大書された額、その真下の壁に「聖母子像」が描かれた額が懸かっている。ホリゾントやや下手に出入口、その下手の壁手前には電話台と受話器がある。丁度板全体の中央辺りを占めるのは大きなテーブル。長辺の各々にはパイプ椅子が各4脚、上手短辺に1脚並べられている他、上手観客席側にはパイプ椅子が観客の視線と直交するよう横向きに2脚並べられ、その下手に塵入れとして用いられるのか、防火用水が入っているのかバケツがある。パイプ椅子は下手にもあるがこちらは上手のパイプ椅子とは逆向きに置かれ而も2脚づつ、やや間隔を置いて置かれている。舞台美術は以上。出捌けは出入口1か所と極めてシンプルだ。因みに尺は約110分弱。
 美術的に優れているのは、大書された文字が右側から左へ向けて書かれていることで、この学校が敗戦前からあったこと。聖母子像が懸かっていることでミッション系であることが即座に分かること。深読みすれば何故そのようなことが許されていたのか迄観客は想像できるということだ。(名門校であり女子校であることまでは極めて合理的判断で辿り着ける)
 さて、物語本題に入ろう。発端は、この学校の中学2年の生徒、井上道子が、朝教室内で首を括って縊死していたことであった。それを初めに発見したのが新任で担任の女性教諭、戸田菜月。年齢が生徒たちと近いこと、優しく親身に生徒たちに向き合ってきたことから生徒たちからは菜月、菜月とファーストネームで呼ばれていた。それだけに戸田自身精神的ダメージは極めて大きく、学年主任で教頭の原田茂一が16時から緊急開催される懇談を一切取り仕切って戸田には「休んでいるよう」指示していたのだが、戸田は、懸命にお茶出し等に関わっている。自死という行為が学校内で起きたことで校長も当然懇談には出席する。実際舞台上に登場するのは親たちと教師陣だが、道子の自殺原因はクラスメイトたちによる苛めであった。この場に居るのは苛めを実行したと考えられる子らの親たち保護者たちと教職者である。では何故、朝早く起きた事件当日に懇談会が持てるようなことになったのか? それは道子が出した菜月宛ての手紙が届いており、そこにクラスメイト5名の名が記されていたからである。遺体発見が午前7時を少し回った頃、菜月の反応は極めて迅速而も理に適ったもので直ぐに他の教師たちに連絡を取って道子を降ろし皆で人工呼吸、AED等必要な処置を為しつつ救急連絡を取って救急車を呼んだ。死亡判定を下したのは救急車で駆け付けた医療関係者で7時台に判定は下された。既に登校していた生徒が100名ほど居たが全員各家庭に帰した。その後道子からの書面で名指された5名の生徒及びその親たちに16時に学校へ来るよう連絡を取って集まって貰っていたのである。 
 親たちは会議室に集められ、子供たちは1人づつ、別々の場所に付き添い教師と共に居た。実際、苛めた本人たちであれば口裏合わせを防ぐ為ということも当然考えられる。
 協議が開始されると、教頭が菜月宛てに送られてきた文書を皆の前で読み上げた。親たちは自分の娘が同級生のそれもクラスメイトを苛めて死に追いやったということを認めたくない。その為、様々な異論、反論を述べ立て始める。最初の異論、反論はそれなりに自然な発想と論理に基づき、その異論、反論に濡れ衣であるかもしれない論拠が在る程度認められるものであった。然し徐々に親たちの論理に合理性が欠けてくると、同窓会会長やPTAトップ等も務めてきた森崎(妻)が、その書面を見せて下さいと言い出し2度目にそれを要求した際、その書面に火を付けて燃やし証拠隠滅をしてしまう。そんなことをする森崎雅子に抗議する学校側に教師で夫妻の長谷部(夫)が証拠が無くなって仕舞ったのだからとやかく言っても始まらない、防げなかった学校側も問題だとして恫喝を掛け、事実隠蔽工作に走る。だが更に道子からの手紙は別の人物宛てにも送られており、それも親たちの面前で読まれることとなったが、今度は切羽詰まった挙句教師から奪った手紙を破いて食べ、あっという間に呑み込んで仕舞うということをしでかしたのは、今度もまた森崎雅子であった。そして今回も詭弁を弄してあくまでも娘たちを庇い続けたのは長谷部亮平であった。然し乍ら幾ら何でも酷すぎると保護者サイドからも内部告発がおずおずと出始めた。而も乱入者がありその乱入者は会議室迄入ってきた。彼は道子がアルバイトをしていた新聞配達店の店長であり、彼に親切にして貰った道子は3通目の便りを彼に送っていたのである。メディアでも速報が伝えられていたから店長は直ぐに気付き真実を明かす為に会議室に押しかけ苛めの全容を明かす。流石に今回ばかりは、森崎雅子も手紙を奪うことは叶わず、事件の全容は親たちの中からも明かされてゆく。そして終盤、チェーホフ作品の幾つかで言及される深い台詞が引かれる。無論単に引用している訳では無い。チェーホフ作品の中で用いられて表現されている内容との対比の為にここに持って来られたのだ。この苛めという陰湿で卑怯でグロテスクで無責任な社会の在り様の鏡とする為に! (因みに証拠隠滅を国家レベルでやった歴史、個人レベルでやった歴史は敗戦後も脈々と実際に続いているのが実情である)焼却で対応する有名な件は敗戦直後進駐軍がやってくるまでの2週間程で問題になりそうな書類が昼夜を徹して焼却された事実として、食べた件は金丸が国会で疑惑を追求された際、証拠書面を実際に食べて隠滅した事件がある。
 以上が私の観た今作の内容であり、今年観た全作品中、最高作品と評価する所以である。
世界ギュルルン滞在記

世界ギュルルン滞在記

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2024/05/15 (水) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 う~~む、TVを全く見ない自分には感性が合わなかった。華3つ☆

ネタバレBOX

 完全にTV風。或る意味メタなのだが、その表層性に棘を感じることは無かったし、表層性そのものをメタ化しようとする気概やキートンの狂気も無い。TVを全く見なくなって既に10年程にはなるが、理由は総てが嘘臭いと感じられるからだ。やらせのオンパレードに笑いの毒も必然性も感じないということである。舞台美術も小道具として使えるように配置された物が用いられず、唯点描として機能しているだけ。最終部分だけは視座をずらし全体を総括したように見せつつ、観客に判断を委ねる形を採っているものの、インパクトはさほど大きくなかった。
達磨さんは転ばない

達磨さんは転ばない

劇団龍門

シアターシャイン(東京都)

2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 初日を拝見。作・演は村手 龍太さん。如何にも村手さんらしい味のある深く而も観る者に勇気を与えてくれる作品。華5つ☆。ロンモチ、ベシミル!

ネタバレBOX

 金本 達磨は映画監督。名前からは想像するのが難しいが女性である。年1本のペースで作品を発表。数々の賞を受賞後、この5年間作品発表は無い。そんな彼女がキャスト募集オーディションをSNSで発信。応募者三千名を超える中から選ばれたのは僅か8名。共通項は1つの例外もなく闇を抱えた人々であった。応募の履歴書には、これ迄過ごしてきた人生を詳細に赤裸々に書くことが義務付けられていた。
 監督の5年もの沈黙は、表現ではなく利潤で差配される映画の製作過程で内容がスポイルされていることに対する挑戦があった。然しプロデューサーやスタッフからも著名俳優等を中心にキャスティングしなければ製作費が出ない、との反対意見が相次ぐ。当然、スポンサーやメディア報道等の動向も緻密にチェックしつつ、要所、要所に攻勢をも掛ける。こんな状況下、愈々オーディション当日に集められた志願者に対応した監督の為したことは? 通常のオーディションでは全く考えられない破天荒な内容であった。言ってみれば、それは各々の生き方そのものを問う、否根底から問い直す修羅場であった。集められた者全員と監督の面前で各々がありきたりの仮面、偽装、表の顔を剥がされ剥き出しの自分自身と対峙してゆく。そしてそのことを通してハッキリ己自身の位置と裸の己を正確に把握してゆく。即ち世間体等という表層を脱し己自身を確立してゆくのである。
 この過程が、監督の新たな作品だと分かる迄に二転、三転・・・と物事の本質と表現行為、皮相でしかない「現実」との対比、葛藤、止揚が行われる。この間の丁々発止が見ものだ。而も警察の者だと登場する人物による社会戯評が的を射ている。脚本、演出、演技も良く、先にも書いたように兎に角観る者に元気を与えてくれる作品である。
マクベス

マクベス

演劇ユニットキングスメン

座・高円寺2(東京都)

2024/05/14 (火) ~ 2024/05/16 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今作にはシェイクスピアの「マクベス」に対する新解釈が盛り込まれていると言うことができようが、これが素晴らしい。ベシミル! 華5つ☆本日楽日。3公演がある。尺は120分。

ネタバレBOX

 板上フラット。上手・下手側面に黒幕を各三枚天井から板面迄下ろして袖を構成。このようにして作られた袖を用いて出捌けに用いる他客席側通路が魔女たちの登場・退出や王子らの国外脱出、城攻めに参加する軍勢等の登退場にも用いられる。衣装、髪型などはカジュアル。拝見して直ぐに感じたのはシェイクスピアシアターに似ているということであったがそれもそのはず、今回マクベス、マクベス夫人を演じ、共同で演出にあたり制作まで担当した主宰のユニットキングスメンの平澤智之氏、篁エリさんはお二人ともシェイクスピアシアター出身であった。
 肝はラストシーンにある。今迄他の劇団が演ずる「マクベス」を何作も拝見してきたが総てシャイクスピアの翻訳作品に忠実で今回のような独自の解釈を付け加えている作品を拝見したのは初のことである。無論、このことに様々な意見は在ろうが、演劇たるもの、このように原作を忠実に反映しつつも、時代に生きる人々へのリアルな訴え、問題提起をすることは最も大切なアートの務めでもあると信ずる。
換言すれば我々が今現在生きている世界は、今作に登場する魔女たちの言説で端的に表されているように矛盾だらけの前提の上にその矛盾をどうにか糊塗し己の利害を優先する為に謀略が実行され、謀略によってあからさまに実行されてしまった取り返しのつかない惨虐によって後戻りできなくなった人間の喘いでいる時代ということができよう。その末路を描いたのがシェイクスピアの「マクベス」であると捉えられようが、この喘ぎの央(さなか)で最も苦しんだ人々が見出した最終判断こそ、今作のラストで描かれているシーンだと断じた。懸命な判断であろう。
貧乏神シャバダバ

貧乏神シャバダバ

近藤一彦プロデュース

オメガ東京(東京都)

2024/05/08 (水) ~ 2024/05/11 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 以下の説明で分からない具体的な答えは、この作品を観て確かめて頂きたい。お勧めの完成度の高い作品である。公演は11日が楽。

ネタバレBOX

 板上はホリゾントセンターに出捌けにも用いられる開口部が設けられこの開口部を中心に上手・下手はシンメトリックな構造。上手客席側に側壁から出っ張るような塩梅になっているのはクローゼット。このクローゼットの中で現当主の祖母の上の孫娘が十年ほど引き籠っている。このクローゼットの奥側壁にも出捌けがある。無論、クローゼットにも出入口が付いているが鍵が掛けられるようになっており、もう一カ所の出捌けは下手側壁に設けられている。オープニングでは上手に箱馬三つ、下手に二つが見える。全体に極めて緻密な作りだ。脚本、舞台美術、演出、演技、場面の状況にしっくりしっかりフィットした照明と音響のマッチングも素晴らしい。役者陣の演技も上手いし、キャスティングも適切だ。ちょっと大きめな小道具を板上に据える時も必要最低限の小道具が様々な用途に使われるのは無論のこと、段取りがキチンとして居る為搬入の際にも一切無駄が無い。尺は80分。役者の演技はスタニスラフスキー流ではなく手練れの役者の演技と観た。内容は金持ちの家に伝わる家訓とそのような習わしから自由になりたい孫娘二女に狙いを付けた男、若奥様の婿の過去の女性関係をネタに結婚詐欺だと主張し、いか程か巻き上げようとする女、3か月間消息を絶って外遊していた若奥様の拵えた借金返済を迫る三十余名の金融業者、当代の当主の目の前に現れた死神の予言と人の心を良く知る死神故の慈悲は、退屈凌ぎの最後の遊戯。これらの素材をフィクション内のフィクションで引き回すのが、貧乏神。してその心は。死神が大奥様の真の悩み、即ち貴族同様に仕事らしい仕事等持ち合わせたことが無い大金持ちが罹る不治の病、『退屈』退治の妙薬。そしてこれこそ、今作の主題とみた。そしてこのフィクション全体を引き回すのが、代々の主人に仕えてきた家政婦、服部夫人である。  
花影

花影

臼井智希プロデュース

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/24 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

華5つ☆ ベシミル!
 花影(かえい)とは、月光などにより花が落とす影のことを指すが、何とも含みのある言葉ではないか。こんな素敵なタイトルを未だ若い人たちが付けた作品が今作だ。壬生狼と呼ばれた時期もあった新撰組の謂わば顛末記の一節が今回描かれた訳だが、今迄新撰組に纏わる舞台を10作程は拝見してきた。その中でのベスト作品である。僅か2日間の上演であったが配信もあるとのこと、是非観て頂きたい。お勧めである。

ネタバレBOX

 何がお勧めか? 登場する個々の人物のキャラクター描写が素晴らしいのだ。史的には、激動の歴史の最中で先の見極め方を誤った者達が殺戮集団として機能したことが悲劇として或いはアイロニカルな喜劇として描かれることの多い新撰組だろうが、それを観た者は更に捻れた悲劇と取る向きも喜劇と取る向きもあろう。然し乍ら今作のように己の生き死にの問題と捉え、自らの念(おもい)と生き方の切実な鬩ぎ合いと捉えて作家自らがキチンと自らの頭で考え創作された作品は極めて少ないのが我が国の現状のように思われる。その壁を今作の作・演出を担い役者としても登場している臼井氏はやってのけた。役者陣の意識も高く、脚本・演出・演技・手作りの日本刀、衣装、照明や音響も良い。殺陣も半年掛けてしっかりしたものに仕上げている。また武士の作法についても良く此処迄キチンと調べた、と感心させられるような数々の場面があって驚かされた。
 さて、今作を論じる核心に入ろう。上記の如く新撰組評価に関しては毀誉褒貶様々であるが、そのような評価に関する意見でもない。表現そのものが、それを受け取る人々に何を齎すかについてである。所謂エンターテインメントが楽しみや安らぎ気晴らしを提供すると主張し娯楽作品を提供している。これを悪いことだというのではない。然し世の中には真に自分の伝えたいことを持ち伝える手段と方法を持つ者が居る。だがそういう者達の中に在ってそれを最も有効且つ効果的に伝える方法を持つ者は少ない。その方法の有効性に気付いて居ない場合も多かろう。その稀有な才能を顕わす前に他界してしまった者もあろう。然しそれを表現し得た者が日本にも居た。既に鬼門に入ってはいるが昭和の時代に彗星の如く顕れ世界でも高い評価を受け未だにファンの多い多才な詩人・劇作家・映画製作者等々の肩書を持つ寺山修司である。彼は“問い”を表現の極めて大切な動機、方法、実現手段として社会に大きな文化的インパクトを実際に与えた。
 つらつら考えてみるに表現する者にこれ以上に大きな社会貢献は可能だろうか? との問いが生まれた。今作の眼目は、作家が自分の頭で本当に自分の描きたいことを考え、それを問いとして提示する為に演劇を選び、新撰組という素材に念と何時死ぬとも分からぬ我らの“死”を前提とし各々の実存を賭した生き様を、普通に生きる人々に提示した点にある。以下、作中に顕れた具体例を幾つか上げておく。
 当時、労咳と言われた結核が沖田の持病であった。不治の病と恐れられ罹患すれば死は避けられない。池田屋襲撃時に傷を負った沖田は、近藤、土方をはじめ新撰組の寝食を共にした家族のような仲間から可愛がられた。然し「無理をするな」との温かい思いやりは、全身全霊を懸けて信じた近藤についてゆく。明日をも知れぬ自らの命をその念の為に費やそうとする総司には隊の任務に携わらせない皆の思いやりが、アンヴィヴァレンツでしかない。そのことを土方のいたわりに対する答えのシーンで訴える。その直截な表現が胸を撃つ。
 その優しさの余り隊規を破り切腹を余儀なくされた山南 敬助が介錯に沖田を指名し「声を掛ける迄待ってくれ」と言ってから切腹したことの意味。即ち既にサラリーマン化した江戸時代の武士の切腹が初手で脇差を刺した瞬間に介錯を行っていたことに逆らい古式の切腹をして“武士”として天晴な死に様を晒したことと沖田に任務を与えたことの意味は明白である。
 また山南の古くからの親友、新撰組参謀として活躍した伊東 甲子太郎は、手の込んだやり方で新撰組に敵対することとなったが、流石に切れ者の甲子太郎、時代の読み方に間違いは無かった。この流れに共感する者二人。藤堂 平助と永倉 新八各々の剣の腕と人間性。それに賭けるだけの力や矜に懸けた念によって敵対しつつ共鳴する生き様は、新撰組の法度を鬼になっても護ろうという念で実行した土方撃退には共闘して当たり功を得た。然もそれぞれの歴史的立ち位置と選択の差によって決着はつけるという男の意地を通す美学は現代的では無かろうがグー。
 細かい点で他に2点、指摘しておきたい点がある。新撰組法度に盾突き追われる身となった山南が追手となった隊士たちと争う場面で隊士を殺さぬ為北辰一刀流の妙技・親指斬りを用いたと思われるシーンがあった点。
 山南の遺志を継いだ伊東が近藤 勇と会談した折、近藤は着座の際、刀を右側に置いて敵意の無いことを示し、伊東は左に置いて反対の意思を示している点である。双方の懇談に対する態度が如実に示されると同時に近藤のリーダーとしての人間の大きさも示すシーンだと解釈した。
 物語の創りとして本質的に非常に上手いのが、今作がかつて新撰組隊士であった人物の語る一次情報を基本とした事実譚として創られていることである。物語であるから、フィクション部分はあるのが前提だが、このように本質を弁えて作られると物語としてのリアリティーが確保されるのだ。作家は若い。この若さで此処迄普遍性を具えた作品に仕上げた才能に今後とも期待したい。制作を今回担当した駒井さんは照明、広報、ヘアメイク、小道具製作なども手掛け大活躍、役者陣もキチンと役の個性を演じてグー。こんな質の作品をあと2作発表できたら、今作に参加した総てのメンバー全員が、今後も期待できる本物と見做せよう。
絶望という名のカナリア

絶望という名のカナリア

甲斐ファクトリー

小劇場 楽園(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 べし観る! 多くの擽りを入れほろ苦い笑いを誘うが、現実に出来している末世を深く考えさせる作品。

ネタバレBOX

 物語のタイトルと話の展開から明らかなように終演部分で主人公・鈴木は帰ってきた名前の無かったカナリアにdesperatioという名を付ける。無論、絶望という意味だが、ラテン語である。この辺りも如何にも研究者出身の鈴木らしい。ラテン語は学名を付ける際に用いられるから、この辺りにも今作がエンターテインメントとして創作・発表されている仕掛けがみえて面白いのだ。
 ところで、鈴木が15年の歳月を費やして挑んでいた数学の難問、ポアンカレ予想は1904年にフランスの数学者、アンリ・ポアンカレが提唱したトポロジーに纏わる理論で難問として有名であったが、約100年後、ロシアの数学者、グリゴリ・ペレルマンが証明した。だが、何故ホモ・サピエンスは絶対知を求めるのか? 私見であるが、それは現生人類が知を持っていることから必然的に出来した宿痾である。ヒトが現在地球上の食物連鎖の最上位に在るのは、当に知に負っているからであり、知無しにはヒトの繁栄は在り得なかったからであるのは自明と言わねばなるまい。同時に知恵は悪知恵という副産物、嘘という鬼っ子等たくさんの弊害をも齎しているが、これを何とかする為、即ち正しく処理する為にも基準となる絶対値を要するのもまた必然であるからヒトは絶対知を追求し続ける他に道を持たず、それなしには不安という泥沼に沈み込む他無いのである。故に絶対を合理的に求める手段として最も有効な方法が数学であることに異論を唱える者はあるまい。
 今作の作品構造に関して言えば、現代社会に蔓延るスターシステムをベースにしSNSを駆使したマッチポンプ型収奪方式をはじめ非普遍的宗教(即ち端的に言って詐欺、人口に膾炙した言い方では新興宗教と呼ばれる場合も多いが実態が詐欺の場合もあるから誤解を招き易い)という社会的仕掛けが実態をカモフラージュして脱法行為を成就させる事件を生み成功させる訳だが、その成功を成就させたもの・ことが数学的誤謬を原因としていること、逆説的ではあるが今作を根本で支えている論理的根幹は、この数学の絶対的合理性なのであるという事実。この絶対合理性に辿り着く為の死に物狂いの天才たちによる追求姿勢と覚悟は、人倫を全うすることの困難そのものでもある。対比されているのは現代日本の徹底した壊れよう。人倫も何もありはしない。そんな実感を多くの人々が持っており、然も同時に手を拱くだけで実際に有効な手段を取ることもできない情けない有様を浮かび上がらせているのだ。
 無論、この状況に抗する術もキチンと提起されていることは、作品をキチンと受け取った観客には明らかなことだが。
「あぁ、自殺生活。」

「あぁ、自殺生活。」

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 自死というテーマで様々なことを思考させてくれる作品、その行為が成功してしまえば二度と再びこの世には戻ってこれない事象だけに、いくらでも深堀りすることができ、様々に微妙なユーモアを紛れ込ませることもできる処が今作の強みだろう。役者陣の演技もグー。

ネタバレBOX

 頂いたパンフの中には令和4年の我が国の自殺者数他、令和5年の自殺手段、理由、曜日、月、県などが上位3位迄記されていたりする。
 実際に演じられるシーンは圧倒的に鉄道への飛び込み関連が多いのは、それだけ他者への影響力も大きく、賠償請求額も高額になるということがあろう。
 ところで自分の好みでは自殺という言葉より自死を選びたいので、以下の表記では自死を用いさせて頂く。病死、事故死、自死、衰弱死等々死に方は様々だが現在までの処人間も生まれた以上必ず死を免れることは無い。掛かるが故に総ての哲学的思考は死すべき定めを自覚することに原点があると考えられる。その可成り純粋な形が自死の形を採って現れる場合があろう。このようなケースが最も論理的に自死の軌跡を追いやすいケースではないだろうか? 今作では、呆けてしまい醜態を晒すことを恐れて。そのような醜態を晒す前に自ら命を絶つケースである。実際、このようにして亡くなった方がいらした。極めて優秀な研究者であり、ユニークな研究者でもあった方である。業績も大きかった。継承者も育てた上で自死を選んだ背景は、矢張りお歳を召してそれ迄確かであると信じてきた生活の中での認識が、視聴覚の衰えやレスポンスの遅れ等でそれ迄通りにはゆかなくなったという自覚が、自ら築いてきた実績を汚すと考え、矜りを傷つけられたということだと愚生は考えている。無論、今作の別の部分でたくさん描かれているように会社の同僚や上司等から散々いびられ、貶された結果追い詰められて死を選ぶケースも多かろうが、このケースでは様々な要素が入り込む為社会的要因や力関係、時代や生きている場所のその時点での価値観等要素が多い為中々自死という不可逆的で自分自身では自ら認識し他者に伝えることが出来ない自分の死について客観的な視座を持つことは不可能であること、また先に述べたように要素が多すぎて分析せねばならぬことが多岐に及ぶ為焦点が呆けてしまい易いことなどからアプローチしない。このような思考もあって自分は自死という言葉を選び如何なる場合にも自死は個々人の権利であるとも考える次第である。今作を拝見して以上のようなことを考えた。
朗読劇「Aiと命」

朗読劇「Aiと命」

WizArt

Art Live Space 「Special Colors」(東京都)

2024/04/13 (土) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 朗読劇である。尺は約1時間。全3回公演の楽を拝見。

ネタバレBOX

 板上はホリゾントセンターに大型スクリーンを据えて人間の歩んできた各時代の景色等を映写で示し、スクリーン手前にセンターを開けてカキランを配しハの字に重ねた平台の上に2人掛けのソファを1つずつ配してAI役が2体ずつ腰掛ける。時代設定は数世紀後、人類は既に死に絶えんばかり。無論、戦争のあからさまな結果故である。登場するのはサイボーグ化した身体に人間の意識を移植し数百年を生きる最後の人間・カキランと第1世代から第4世代迄のAI達。AI達は何れも不死を獲得している。そして皆、寿命を持っていた人間、戦争という愚かな行為を繰り返しつつも各々が生きていた意味について思考していたことの意味について検証する為に転生するカキランの生の軌跡を追って答えを得ようとする。
 即ち物語は不死を獲得したAI達が持った疑問を検証する為に二足歩行をするようになって脳が肥大化し狩猟・採集によって生きることを可能にした人類文明の黎明期からシュメールを始めローマ等数々の文明を生き死んでいった人間の有様を通して死が思考に与える影響を考えるという体裁を採っている訳だ。
 尺が短いことも、恐らく脚本家が若過ぎることなどもあり、AI各世代の性能による人間評価の差異というよりは、女の子の形をしたAI個々の性格の差異という観点からしか描かれていないように観えたのは残念。また、人間のように感情を持つようにプログラムされた後代AIが不死を得て退屈という怪物に悩まされずに安穏と日々を送っている点などにも疑問を覚えた。また、転生を繰り返すカキランにはシュメール文明を立ち上げたキャラとして活躍することなども織り込まれるが、このようなことができたのはAIが時代を遡って関与した結果であることを示しながらタイムパラドクスについての顧慮も無い点は問題だろう。
 AI役の4名の内、音響に負けて台詞が聞き取れない役者が2名いたことも残念である。この辺りは全3回の公演とはいえ演出家がキチンとダメ出しをして音響を抑えるなり、台詞を大きな声で言わせるなり対策を施すべきであった。
世迷子とカンタータ

世迷子とカンタータ

9-States

駅前劇場(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華4つ☆ 創造に普遍妥当性のある方法論は存在するか?

ネタバレBOX

 カンタータは17世紀に西洋で起こった世俗的抒情詞を基にした多楽章楽曲のことでイタリア語である。表現する者と表現する者をサポートしたりコーディネイトしたりする者との相克を縦軸に、表現された結果即ち作品を受容する者達の世界(今作の場合、評者や読者)を横軸に今は寂れた地方の温泉宿を舞台に展開する物語。
 表現する者が何をその根底とするか? 何を根底とすべきか? は当事者達にとって無論大問題である。小説家という職業にしたところでその不安定は並大抵のものではなく、著名な賞を受賞しても仕事が新たに入ってくるとは限らない。生涯書き続け、生活を保障するだけの収入を確保できるか否かも不明である。才能の枯渇と言われるような状態もある。そんな中、真に作家を理解し正当な評価を下し而も本にして売れる作品にすることは目標であるが、作家にとっても編集者にとっても極めて難しい問題であるから、考えに考えたと「自負」する対処法も新たな葛藤や苦悩を生み、当事者達は総て例外なくこれらの問題群と格闘せざるを得ない。この有様を地域再活性化とも絡めて描く。地方のうざいほど強固な人間関係を通して背景に紡がれる物語にも考えさせられる場面や事項も多く一見の価値あり。
ハナコトバ -朗- for spring

ハナコトバ -朗- for spring

Daisy times produce

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 出演者全員女子、Aチーム初日を拝見。

ネタバレBOX

 朗読劇で「青春カルペディエム」と「魔女のお茶会」2作を上演。この2作は関連している。何れもナレーションをも担当する役者が1名ずつ居り、他の役者が登場人物個々の台詞を担当するが、描かれる登場人物のメンタリティを上手く掬い上げる脚本家と朗読する役者陣の感性が光る。かてて加えて「青春カルペディエム」ではラナンキュラスの花言葉、続く「魔女のお茶会」ではスノーフレークの花言葉が巧みに織り込まれ興趣をそそる。
生きる為には君が邪魔だった

生きる為には君が邪魔だった

劇団水色革命

新宿スターフィールド(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 身内に知的障害を持つ長女・奏を抱える家族の話だ。必然的にこの家族の生活は奏を中心の生活となる。(追記後送)

ネタバレBOX

父は研究者、長男は長じて医者、次男は定職にも就かずに暮らしていたが、或る時父が失踪、一家の暮らしを一人で支えなければならなくなった兄は責任の重さや様々なストレスから奏が宝物の貯金箱を振って騒音を出すことに苛立つようになっていった。そして奏を庇う剣佑と事あるごとにぶつかるようになっていた。剣佑の片耳の聴こえが悪いのは兄の打擲のせいだった。
 さて、こんな家族生活に嫌気が差して剣佑は家を飛び出し子供の頃から良く行っていた山に入った。そこで彼が出会ったのは何と山賊を名乗る奇妙な集団と山賊について何かを調べるこれも矢張り奇妙な集団であった。
私を殺して...

私を殺して...

東京ハイビーム

地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/12 (金)公演終了

実演鑑賞

 タイトルに惹かれて出掛けた。

ネタバレBOX

 然し前説の物言い、挙措を見ているうちに失望に変わった。演劇の体を為していないどころか、エンターテインメントとしても徹底性に欠けギャグの質は低すぎるしハナシの外。
私を殺して...

私を殺して...

東京ハイビーム

地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/12 (金)公演終了

実演鑑賞

 タイトルに惹かれて出掛けた。

ネタバレBOX

 然し前説の物言い、挙措を見ているうちに失望に変わった。演劇の体を為していないどころか、エンターテインメントとしても徹底性に欠けギャグの質は低すぎるしハナシの外。
幽囚文庫

幽囚文庫

演劇ユニット苹果錫侖

早稲田クローバースタジオ(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

 若い人たちばかりのグループのせいか、老いて視聴覚の衰えた観客に対する配慮が無い。演技が殆ど見えないレベルの照明で、終演後に客電をつける配慮もなくアンケに書かれた文字の判読もできない有様。以上の理由から評価はできず。

ネタバレBOX

「エフィラのひとみ」
 照明が昏過ぎて演者たちの表情も良く見えない。脚本は悪くはないが、図式的に過ぎた。またオープニングでの最初の発語に気遣いが感じられなかったのは残念。これは間の取り方の重要性に気付いていないか、大して意識していないことから来る結果とみた。
「フェンスと箪笥とレジスタンス」
 こちらも照明が昏過ぎて演者たちの表情が良く見えない。然も脚本内容は、余りにも世界が狭い。
ワイルド番地

ワイルド番地

ホチキス

あうるすぽっと(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 多くの人々が楽しめる作品とみた。

ネタバレBOX

 全体に漫画チックな作品。擽りも随所に鏤められエンターテインメントとしては楽しめる。昨今の世界情勢を普段から真剣に捉える気の無い人々にとっては質の高い娯楽と映るに相違ない。その分、漫画的なのだ。言ってみればQue Será, Seráでしかないと高を括っている一般の人々の生活に決闘というシステムを国家が提起し、問題を煽る側と収束させようと図る側に分かれての争闘を描いて見せた後、二元化するに至った過程、即ち歴史を紐解いて見せ、アウフヘーベンして見せるという手法を採っている。このように物語を構築することで極めて分かり易く現象の表面を俯瞰するタイプの作品になった。
 然し乍ら、このような発想そのものが、既に世界を腑分けする論理として有効性を喪失したと考えている自分の位置からは漫画に見えた。舞台美術がシンメトリーを採用して安定感を創出している点も我らが今、現実に対応している不安定性、不確実性と正反対の構造を人間の為す認識の中で一般的には最も多い視覚的な要素で表現し、安定していると見せかけている点にも注意を払いたい。
 以上の理由から普通の5つ☆
レンタルディレクター

レンタルディレクター

演劇企画アクタージュ

studio ZAP!(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ベシミル! 華5つ☆ 追記後送

ネタバレBOX

 脚本は設定が良ければ半ば成功したも同然、という鉄則にピタリ嵌った見事な設定。アクタージュの目指してきた人の優しさを頗る付の自然体で表現する舞台としても、レンタルビデオショップ、<カリチャイナ>での店長、店員たちと常連客たちとのあれやこれやの日常会話にさりげなく埋め込まあちれた伏線が、或いは思い出話の断片が後に大きな効果を齎す展開は見事という他無い。かてて加えて店長役でアクタージュ代表を務める大関雄一氏を始め劇団員皆が持つ優しさが作品全体に滲み出て今作の主眼テーマと見做して良いと考えられる他者への思いやり優しさが観客の心にそのまま届く。
白鳥先生と過ごした2日間

白鳥先生と過ごした2日間

enji

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/04/03 (水) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 単に鑑賞するという作品ではなく、提起された問いを持ち帰って深く考えさせる作品。観るべし! 華5つ☆

ネタバレBOX

 大切な人を喪った痛みが、交錯する是々非々が各々の当事者の心とその存在の内に深く更に深く、時々刻々深化しながら己を苛み、魂に錐を揉み込む。そのような工程を通して過ぎたことは過ぎたことと端的に自認すること、止まっていた時間の無制限な反復運動から脱し事実を事実として受け入れ新たな人間関係を構築してゆく者がいる。償い切れないと誠心誠意を尽くし続ける者が居る。実は本当に悪いのは自分だと勘づいているから直接に大切な人を奪った当人として辛く当たる者がいる。だが、その大切な人を永遠に喪った原因を作ったのは、辛く当たる自らであるという欺瞞を克服してこなかった己自身に対する防御は、恐らく娘を不登校に追いやる原因の一つであった。そんな人々を繋ごうとする者も居る。互いに生き、生活をしている。こんな当たり前を是認できない関係があった。そのような関係が永遠に続くことは果たして無辜の者の逝去に対して如何なものか? そんな視座から描かれた作品ではない。寧ろそれぞれの登場人物が、己の置かれた位置で切歯扼腕するさまを丁寧に掬い上げて提示することによって取返しの付かない問題に如何に対処し得るのかを観客に提示してくれる作品である。各々肝を据えて観劇すべし!
現代翁考vol.1『葬』

現代翁考vol.1『葬』

演劇ユニット とうたらりん

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2024/03/29 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

タイゼツ、ベシ観る!! 華5つ☆  必見ですぞ~~~~~~! 追記後送

ネタバレBOX


 板状は基本的に素、ほぼ中央に横3m、縦2m程の長方形が白いテープで形成されるが、これは2人の演者の内の1人が行う。尺は約80分。
 極めて感受性が鋭いばかりでなく知的で而も頭も切れる、本来極めて有能な若者たちを此処迄絶望に追い込んだ唾棄すべき大人たち代表、現在日本の為政者共に対する極めてradicalな表現に因るantitheseである。
 一方でradicalな仏教徒でありながら同時に科学的な手法と術によって利他主義を説いた賢治の様々な言語表現を縦糸に他方にそれらと響き合う様々なfragmentsを横糸に編まれた詩的構成物、構築物である。
 訴えられているのは、世界の破綻、破綻から生じる様々な地獄とそこで苦しむまともな人々であり、抱える絶望であり、絶望を反転しようと足掻く姿である。
 これらが実にradicalに無駄も媚もなく提示される。
ナマリの銅像

ナマリの銅像

劇団身体ゲンゴロウ

新宿スターフィールド(東京都)

2024/03/27 (水) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 Wキャスト公演であるがAチーム初日を拝見。初演時より内容的にも輻輳化され内容的にも濃くなっている。ベースに島原の乱を色濃く漂わせつつ、現在の日本の基層にも通じていると感じられる点がグー。
(追記後送)

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