満足度★★★★★
重量感のある演劇
うわさどおり。役者はこちらを向かない、ただ自然体で話す。
まるで、研究室を覗き見しているかのような錯覚。
音響もない、転換もない、一本の時間の一つの場面のなかで、
これほど、何気なく落ち着いて重みのあるものを、
見ることができるなんて。幸せな時間でした。
満足度★★★
「北限の猿」安心して観ることはできましたが・・・
満席。客席の年齢層はやや高めだったような気がします。芝居は、「カガクするココロ」同様、大きな破綻もなく、安心して観ることができます。若手だけの座組みにもかかわらず、このクオリティは、やはり劇団の層の厚さを感じます。ただ、大きな破綻がない一方、戯曲のポテンシャルを引き出す、優れた演技をした俳優も特に見当たらなかったかな。その点では不満も残りました。
満足度★★★★
青年団を見る楽しみ
先週の「北限の猿」につづいて「カガクするココロ」も見てきた。
どこからが始まりなのかも分からない、場面転換も暗転もないワンシーンなのだが、その物語の前後、その物語の外側を想像させて広がっていく。物語を説明しないセリフにもかかわらず世界が広がっていくことが気持ちよい。そのあたりが青年団を見る楽しみであったりする。
役者もよい。木引優子、鄭亜美の存在感。一度見ると忘れられない。
満足度★★★★
【北限の猿】ヒトはすべてイヴから産まれる
先日観た『カガクするココロ』との緩やかな関係があるような作品であるが、それからは完全に独立した作品であると考えたほうがよいようだ。
と、いうより、個人的には『カガクするココロ』を観てから少し時間が経っているので、そこでの役名等はほとんど頭から消えているものの、『北限の猿』での登場人物との違和感(「なんか違う」のような違和感)が出てきたので、すぐに頭を切り替えることにした。
つまり、『カガクするココロ』での各登場人物を記憶から引っ張ってきて、今、目の前で行われている『北限の猿』の役と結びつけて考えることは一切しないことにした。
「えっと、あの人は前のときは、何していた人だっけ」と考えないということだ。
もちろん、大学の研究室にある休憩室をスケッチしたような作品ということでは、『カガクするココロ』と同じ構造を持つ。
そして同様に、青年団的な見事な会話劇が続く。それは観ていてとてもいい感じだ。
満足度★★★★
「カガクするココロ」楽しく観ることができました
2010年初の観劇。満席でした。若手劇団員のみの出演のみということでしたが、特に目立ったほころびもなく、安心して楽しく観ることができました。ただ個人的には、物語全体として心に刺さるような瞬間がなかったのも事実。エンターテイメントとして楽しみました。
満足度★★★
類人猿を観察
『北限の猿』鑑賞。『カガク~』の10年後の同研究室を舞台にしているが、配役やキャラクター設定に関連性はほとんど見られず、全く別物として楽しめる作品だった。
満足度★★★
日常×非日常の混沌
『カガクするココロ』鑑賞。どこでも交わされているような何気ない若者たちの会話劇であるのだが、彼らが所属するコミュニティーの特殊性が見え隠れするたびに、不思議な違和感に苛まれた。日常と非日常とが混沌とする世界。それがカガクの現場であり、カガクするココロなのか。
満足度★★★★
【カガクするココロ】人間の好奇心は無責任
青年団、というか平田オリザ氏特有の台詞のリズムがとても気持ちいい。
重なったり、遮られたり、そんな普通にありそうな会話の応酬なのだが、聞かせたい台詞はきちんと届く。
そこがいいのだ。
登場人物のキャラクターもはっきりしているので、とても見やすいということもある。
さらに、ちょっとした笑いもあったりするし。
満足度★★★★
「北限の猿」-役に違和感も
「カガクするココロ」の次に「北限の猿」を観ました。
「カガクするココロ」と同じ役名が出てくる。
基本的には同じ人物だが、厳密な推移ではなく
人格的な連続性がほとんどないという設定。
2つの作品それぞれに作者が描きたかったことがあり、
あえて同一俳優を当てなかったようだ。
いちおうその意図は理解して観たが、1作だけ観る分
にはまったく影響なくても、続けて観た場合、
同じ俳優が出ていることもあって、少し違和感がありました。
特に個性的な俳優の場合は、やはり気になるものです。
満足度★★★★
カガクするココロ-会話の妙
明けましておめでとうございます。
新年初の観劇となりました。
3ヶ日、住宅地の小さな商店街を歩いておりますと途中までは人っ子一人歩いていません。
住民さえも歩いていないし、こまばアゴラに来る人以外、ここは通らないだろうと思って劇場の前に来ると、案の定、そこだけ人がいる。
自分はどんだけオタクなんだって気分になりました(笑)。
今回の2つのお芝居は10年のタイムラグを設定し、それでも変わらない人間の営みを描いたとか。
正月2日は歌舞伎座より空いている国立劇場へ行って獅子舞のあとに歌舞伎を観るのが長い間の習慣でした。それがいまは「青年団」でスタートです。
10年もたつと生活習慣は変わるもんだなーというのが実感です(笑)。
平田オリザさんは、いまや「現代口語演劇」の神様みたいになっていますが、それは平成でのこと。江戸時代は歌舞伎の世話物が「現代口語演劇」だったし、近代になり、築地小劇場が開場したときは、きっと大衆は歌舞伎以外の「現代口語演劇」に驚愕したんでしょうね。
なんてことをぼんやり考えながら開演を待っていました。
青年団の開演前から俳優が会話してたりするこのスタイルにもう慣れきっている自分に苦笑したりして。
いまや「青年団」の芝居は古典芸能と化してる感じさえ抱きます。
満足度★★★
「北限の猿」
ある生物学の研究所を舞台にした一幕もの。
でも、研究室そのものではなくてロビーのような部屋が舞台で、様々な人が出入りするこの空間は暇人の集まりの様相。
実際の研究者の姿というのを良く知らないので、これだけ見ると学問を志す人たちって暇人なのだなあ、と思えてしまう。
いや、実際は寝る間も惜しんで研究や学問に取り組んでるんでしょうけど。
そう考えると何だかリアルな会話劇の上でリアルじゃない世界が展開されてるような気がしました。
満足度★★★★
『北限の猿』を観た!
『カガクするココロ』と同様、某国立大学の生物学研究室での研究者たちの会話劇で出演者はほぼ同じ。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★
続きまして『カガクするココロ』
『カガクするココロ』観ました。
本来は観る順番、1.『カガク』 2.『北限』 なんですね。
『北限の猿』とは違い、専門的な語りがなかった分、意外とあっさりした
印象でした。どちらも人間の本質的な部分が浮き彫りになってきますが
『北限の猿』が生得主義から描いていたとしたら、本作品は経験主義?
.『カガク』の方が、より人に優しい印象を持ちました。
2作品あわせてみると、あたまこんがらがってきますが、それはそれで
おもしろかったり。