公演情報
「まほろばの景 2020【三重公演中止】」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★★
罪と迷いを抱えた青年の魂の彷徨を、山岳信仰と重ねて描く骨太なドラマ。
2018年にも拝見した作品ですが、冒頭の祝詞から厚みのある声の重なりに胸を突かれ、より鮮烈にこの作品の世界観、風景に「出会った」感がありました。
日常会話と語り(独白)、祝詞、神楽……。異なる言葉と身体を交錯させ、存在の根源を探ろうとする手法、テーマは、現代演劇の歴史の中でも長く受け継がれてきた、オーセンティックとも呼べるものです。でも、だからこそ、それを高い完成度で、今日に響くかたちに昇華させたことに意義を感じます。
満足度★★★★
山岳信仰をベースに展開していくストーリーですが、俳優が唱える祝詞にチープさは一切なく、深い山を思わせる美術には美しさと悍しさがあり、まずその世界観の説得力が素晴らしかったです。
本物の水と照明効果によって侵食されてゆく舞台は、物語の始まりである震災を思わせ、逃げることの出来ない主人公の心理状態を高めていきます。
最後に山頂へと登ってゆく様には、それまで主人公が抱えていた感情から積極的に脱却していく力強さを感じさせつつ、登頂=解決と安に捉えてはいけない複雑さを演じた、俳優・小濱昭博さんの眼差しがとても印象的でした。
最後まで舞台奥に鎮座するチェロ奏者に畏敬の念を抱かせる構成も見事でした。アンコントローラブルなものへの畏れと強さが通底している舞台の象徴となっていたと思います。隙のない演出と、説得力を持った俳優のフィジカルが結実した作品でした。
実演鑑賞
満足度★★★★★
いわゆる山岳ものに分類される演劇でした。そんな分類あるかは知らないけど。
初めての劇団さん、フライヤーからは内容が皆目見当もつかないお芝居でしたが、
「劇団短距離男道ミサイル」の熱き戦士の一人、小濱昭博さんの名前を発見して観にいきました。
内容は旧日本軍の行進とか、人魂がおいでおいでのやつじゃなくて、天狗のお面に腰みの付けて踊るやつ系。実際はお面も腰みのも付けてないし、ただ踊ってるだけじゃなくて震災にまつわる物語でした。
神楽。
ありがとうございまーす!の染一染太郎師匠たちのやってた大神楽のルーツ。神仏に捧げる舞。本来ネタバレになるんだろうけど、ぶっちゃけクライマックスはこれ。
まあ踊りの字の演劇でラストに何が起こるか想像できない人はいないと思うから書いとく。公共劇場じゃないとやらせてくれないだろう、水ジャブジャブ使った踊りは圧巻でした。
踊りのラストが圧巻は当然としても、観るのと読むのじゃ天と地の違い。天を極めるか地を極めるか。
取り急ぎ今日まで。
水ジャブジャブなんて滅多に観れない。この能書き読む暇がある方はぜひ。学者タイプの人には特にお勧め。ガラガラだったから観に行って上げて下さい。
満足度★★★★
初演を観て、今回再演も観た。2年前と劇場は同じだが俳優6名から5名の減員、舞台装置の圧縮が、見える所での変化。テキストは変わらず演出が変わった、とは関係者の談、いずれにしても私には現前する舞台と現象が初演とは随分違って感じられた。いや、さまよえる青年の心模様と回想されるエピソードも、舞台風景も細部の違いを除けば初演と変わらない(と思う)が、発せられる言葉が「意味」として前面に出ている感じがある。
昨秋アゴラで観た怒濤の二人芝居の片割れ、小菅氏が今回は(も?)複数の重要な役を担うが、比重が増えた印象。初演に登場した無言の存在(山伏?)が不在。これが大きい。かの存在は山=自然と人間の間を取りなし、我々に山の存在を確信させる媒介者。この超然たる存在の前では、主人公という人間は小さく無力。初演の舞台全体を支配していたのはやはり「自然」であり、それに包まれる恍惚があった。初演ではあった舞台奥に組まれた大足場を、道のない山を登るように登るクライマックスは、視覚的効果としては万有引力の規模。しかし今回は、舞台中央に立てた幅狭の足場に登る動作は、ややシンボリックに止まった。その分より「演劇」らしくなり、言葉が前面に押し出されただけ批評の俎上に乗り易くなったような。
身体と自然の通い合いよりも、言葉が過剰に印象付けられた事は観劇前の期待からすればガッカリという事になるが、初演には宗教儀式に近いものを感じた位で、作り手は軌道修正を施したのかも知れない。
前面に出てきた主人公のあてどない旅の風景(回想含む)は、それでも十分に精神世界の彷徨を描いて余りある。かつて交際のあった既婚女性が震災時、彼に助けを求めて連絡をよこしたが、気前よくシャワーを貸した彼に女は葛藤し、結局はきっぱり彼との間に線を引き直して泣きながら去る。地元仙台で少年時代、お神楽を一緒にやった幼馴染との場面では、熊本へボランティアに行った時の様子と自分の使命感を語る主人公に、相手は愛想尽かしの酷薄な台詞を投げつける(まずは自分の生活じゃないの。今のお前、何だよ。ボランティア。それはお前じゃなきゃやれない事なの?)。そして彼の「ギルティ」を決定づけた事件の当事者=彼が支援に関わっていた知的障害の青年と、その姉との事。山の麓にあるらしい施設から近くの神社へと夕刻出かけた青年と主人公は、その場から動けなくなる。青年の「いーーー!」(自閉症特有の状況不適応の激しい反応の事を言っていると思われる)が始まり、夕食の時間が迫り雨も降ってきたのに彼はテコでも動かず、その否定的反応に心が折れた主人公は彼をその場に置いて帰ってしまう。そしてそのまま行方不明となり、3ヶ月以上経った今も彼は青年の顔写真を持って山に入り、登山者に彼のことを尋ね、探し続けている・・。山を彷徨う彼の姿に、無常の世を生き蠢く人間の姿が重なる。障害を持つ弟と一緒に、と言いながら、放置する選択肢も厭わない己の心をさらして主人公に迫る姉は、薄幸の物語の主人公であると同時に罪深き女でありその赤裸々な告白者。恵まれているのに何故自分だけ逃げ出したいと思っているのかと自責を募らせる既婚女性、そして主人公は正に「罪に囚われて」生きている(あるいは敢えて自分に課している?)。もう一人の登場人物、主人公の父は、彼に神楽を教えた村の大人の一人であり、肉親としてはあやふやな関わりのまま離別した人間、と見える。
彼の中を通り過ぎた4人を、舞台では主人公の想念のように浮かび上らせ、主人公は彼らと神楽を踊り、山を登る。
悠久の時間と自然に通じる「神的なもの」に同期できるのは、思考ではなく身体=感覚。その象徴として修験者を(初演ではより明白に)描いたこの舞台は、何か解決の方法を探っているのでなく、ただ人間の再生を期して祈る姿を描いている。と思う。
満足度★★★★
京都の劇団の震災もの。京都の劇団というと、斜に構えたスタイルが多いが、ここはさらに一ひねり。幕開きはさらりと主人公の震災地の介護士(パンフは配るが出演者の配役が書いてないので類推するしかない。こういうところも京都風)が担当の知的障碍者を探しているという語りで入るが、中身はひねってある。骨組みはこの介護士が、震災後社会で、担当の知的障碍者とめぐるロードムービーである。
舞台の中央から奥には長い白布が何本も垂れ下がっていて、主人公と出会う出演者はそこから現れ、消えていく。障碍者の姉、自分の父、土着的な宗教者、いずれもこの社会の中で、本来は生きていく共通基盤となるべき人間関係が断絶していて、震災でその断絶が露呈している。風呂に入るというような生活の細部、障碍者を散歩させるという日常、生活宗教の過去帳や祭文など、生身の人間が理屈でなく接するところから、抽象的なドラマが組まれていて新鮮で、洒落ている。京都スクールらしいソフィストケイトが成功している。
舞台の影で演奏されるチェロを主体に日本の打楽器による演奏もいい効果を上げている。
1時間45分。劇団になじみがないせいか、入りは半分ほどで、もっと、入ってもいいと思った。
初演よりストイックに、硬質になった印象。意識は内側へと向かい、舞って跳ねる肉体は重なり合わさって塊になっていくよう。動きも音楽も力強く激しくなっているが、派手さ、華やかさよりも、集中と凝縮を狙ったのかもと思った。
初演の感想→ http://shinobutakano.com/2018/03/02/8732/
満足度★★★
鑑賞日2020/01/25 (土) 18:00
凄いものを観た気がする。
施設の子を探しに山を歩く人。そこで出会う人々から引っ張り出させる記憶の数々。印象的なシーンもいくつかあったが、ちょっと付け足した感のある場面もあった。
神楽のシーンが長すぎる。アフタートークで成果を見せたかったと言っていたが、そこはバランスを考えてやって欲しかったです。
ラストの水を使った演出は見事だった。なぜ1日一回の公演なのかがわかりました。
本当は星四つつけたいが、演出の見せたい部分とこちらの見たい部分が違ったので星は三つです。
戯曲が読んでみたいと思ったけど、予約販売だったので買わなかった。終演後すぐ読みたかったんだけどなあ。