公演情報
「クラカチット」の観てきた!クチコミ一覧
本川越から武蔵関まで40分なのに、逆はなぜか1時間もかかっちゃう。
おかげで東上線の登り最終にクロスプレイでした。ギリギリセーフ。
そのためブレヒトの芝居小屋や武蔵関を十分味わえなかったのはちょっと残念。
でも最後にあの劇場へ行けて良かった。
満足度★★★★
劇団の長い「模索の途上」での新展開を見た感触があった。それだけに小屋が閉じてしまうのが惜しいが、言っても仕方ない。
「クラカチット」の原作を今回は読んで観劇した(正確には観劇までに読了しなかったが面白さは十分に堪能)。そうした理由は、原作の台本化の仕事を見たかった事と、舞台を記憶に刻みたかったから(知識ゼロで筋が追えないと印象が薄くなる)。その読みが当たったのかどうか、判らないが、面白い舞台になっていた。
通常制作に名前を連ねている小森明子が脚本・演出(過去演出経験有り)、自作戯曲も書く桑原睦が共同執筆。新作での演出を担っていた公家氏は演出補、出演。保守的に固まらず、集団力を開く方向性に期待感。そして原作・・めくるめくスペクタクルなイメージが1922年という時期に流麗な文字表現になっていた事の驚き。(1916年の米映画「イントレランス」を作者は観ていたかも知れぬ。が最も影響をもたらしたのは第一次大戦の衝撃ではないか。)
戯曲化は難しかっただろうがよく舞台化した、と素朴に感心した。
原作も「爆発」から始まる。主人公プロコプがその現場からフラフラと宵闇に沈む人気のない路上に彷徨い出、既に心神耗弱に陥っているが、この火薬専門の化学者が今しがた新型爆弾を固める処理を施して陶器の入れ物に入れた後、机に残った僅かな残り滓が、彼の仮眠中に凄まじい爆発を起こしたらしい事が彼の回想で分かって来る。だが彼の負傷と心理的ダメージがどれほどかが読者に判るのは、さらに続く暗鬱な長い夜が明けてのこと。意識朦朧の中で彼の頭に渦巻くのは、化学者としての探究がついに得た成果への思いと、それと裏腹にとてつもない発明を人に手渡してはならぬという怖れと自責の混濁した感情である。だが彼は懴妄状態の中ある女性と出会い情熱的使命感を沸き立たせる。彼のその後の歩みは彼がクラカチットと名付けた爆薬を巡る「外からの力」と、最初に女性と交わした約束という「内的衝動」の葛藤の物語と言え、それが変遷していく様はそれはそのまま人生の縮図と言えなくない。恋愛遍歴に示される下部構造と、爆薬に絡む「仕事」「使命」「政治」「軍事」を司る思想=上部構造との潜在的な葛藤を思わせ、一義的でない物語叙述に大作家の面目躍如を認めずにはおれない。
作者は色んな夢をプロコプの脳に登場させるが、これが絶妙に彼の身体のみぞ知る精神状態を反映するようで、そういう部分にも凄みを感じる。
彼が最初に見る夢は、彼がトメシュという女たらし(学生時代の同じ化学専攻の知己、路上で偶然再会し介抱された)の家で、彼を探すヴェールの女性の訪問を受け、不在の主人(トメシュ)への託けを頼まれた後、彼女が自宅に戻って「物」を持参するまでの待ち時間に見たキャベツ畑の夢である。尋常でない心身状態で彼は女のヴェールの奥に可憐さを認め、痺れに近い感覚を覚えるが、うたた寝の夢にそれが早速現われる。広い畑に並んだキャベツをよく見るとそれはぬめぬめと光る醜怪な顔で、遠くの方にヴェールの女性らしき女性がキャベツに襲われるのを見て助けようとするが、彼の体にもキャベツの手がまとわりついて動けない。身体的危機を知らせるようでもあり、彼女への思いを裏付けるようでもある印象的な箇所だが、アンサンブルの演出は最初の夢の後も、幻視や気分、象徴等の次元の場面で床から数人が顔を出すキャベツ人間を使っていた。
装置は一面の白。中央正面にアルミ光沢の巨大な細いリング、後ろにも一回り小さなリングが立ち、SFである。原作公表当時での仮想近未来であり、核兵器の発展史を正確に辿っていないから(当然だが)、SFの扱いは妥当。映像も効果的で、冒頭細いリングに色彩のある光が走るのは見事だ(映像の正確さもさりながら、リングが肉眼では完全な円形に作られていた)。
役者の演技にはアンサンブルらしい生硬さも見られるが、恋愛ドラマでもある本作。柔和さを要する役に引っ張られてか膨らみのある演技もあり、舞台の成功に寄与していた。
原子爆弾(ある意味そう名付けて良い)クラカチットの存在は科学(者)の倫理的責任を問う素材だが、話の本筋は「ある数奇な人生を送る事となった男の物語」である。原爆投下以後の時代、「原子爆弾」は仮想の話ではあり得なくなったが、原爆と相似であるが同一でない「クラカチット」は前人未到の破壊的発明の比喩・象徴と解釈もでき、近未来ともパラレルワールドの過去とも取れるフィクションが成立する。もっともクラカチットを生み出した誇るべき業績は、畏怖の対象としてプロコプの道程に通奏低音を響かせている。いずれにせよK・チャペックの予言的作品の多義的であるゆえの魅力に、正当にあやかった舞台である。
満足度★★★★★
自ら発明した爆薬暴発の憂き目に遭ったプロプフ、まさに混沌とした意識の中からの幕開けがとても印象的な物語でした。
現在の核兵器をすぐに連想する原子爆薬「クラカチット」
それ故に人知を超えた発明がもたらす底知れぬ不気味さが常に横たわっているものの、決して重いトーン一色でなかったのはプロプフの人柄のせいか。
研究目的があからさまな名声や金儲けではないプロプフ。
今まで女っ気が無い生活だった反動からなのか、やたら惚れっぽいプロプフ。
この無邪気な惚れっぽさに女性の方々は一体どう思うのか(笑)
いたって善人、むしろ人間臭いと思えるプロプフが問題の「クラカチット」を発明し、一連の人々を突き動かした全ての張本人である事が、何とも悩ましい物語だと思いました。
破天荒にうねる展開、同作者による「R.U.R.」に比べると消化しにくい原作と思え、なかなかすんなりとは入ってこない台詞が多かったにも関わらず、最後までしっかり楽しめたのは役者さんの力量や、目を見張る演出の数々があったからこそ、今まで味わったことのないSF超大作と出逢えたことに喜びを感じました。
的確な暗示とも捉えられる人間の欲望の行方はノストラダムスの大予言よりずっと怖いです。
開演前の喫煙場所でご一緒した非常に気さくな役者さんが舞台上ではめちゃダンディーで凄みあるデーモンを演じられており、もう全くの別人。
「さすが役者さん、参りました!」それを終演後、直に伝えられなかったのが唯一心残りでした。
満足度★★
役者さんをはじめとする沢山の方々がこの舞台を作り上げているわけで、何か面白いところがあるのだろうと3時間観続けたが何も見出すことはできなかった。もちろん作られた時代に戻れば興奮する物語であることは想像できる。王女様の話は当時そのような出来事があったのではないのだろうか。そうでないとあまりに単純だ。
満足度★★★★
鑑賞日2019/03/28 (木) 19:00
SFといえば言えなくないけれど、それは執筆当時に核兵器がまだなかったということ。
クラカチット=核爆弾ということから、渦巻く陰謀、暗躍する組織、もたらされる世界の危機、主人公の運命やいかに!というサスペンスなんじゃないの。と思って観たが、これもけして的は得ず。
一言で言うと、「クラカチットを脇に配した好色一代男」かな。
確かに説明にあるように「大メロドラマ」です。
まあ、主人公プロコプの女好きは無類この上ない。随分、女性には奥手で、まともな恋愛などしたことがないと言っておきながら(ましてや、大学の同級生トメシュが女にもてると嫉妬する始末)、シュールの女に心奪われては、あらゆる苦難もなんのその、トメシュを探しにまいります。
実質トメシュは序盤で退場、むしろ彼がプロコプから聞き書きしたクラカチット製造法のメモ書きと残されたクラカチット自体が、物語を裏から表からぐいぐいと引っ張っていきます。その先々で出会う様々な女性。結局、手を出しちゃうんだものなあ。
それでも、変に甘ったるい雰囲気になったり、愛の苦悩に浸ることがないのは、そう、クラカチットが折に触れ、ドカーンとやってくれるからで、これがどうも心地よい。
まあ、これからも女性の間を飛び回るのでしょう。
カーソン役の公家義徳とデーモン役の松下重人が怪演、プロコプとの絡みは雨宮大夢をいじりまくって丁々発止。プロコプを引っ張りまわすこのお2人なくして、この芝居はあり得ない。
1つ質問です。誰か教えてください。
トメシュが躍るところや、プロコプがアンチに迫る場面などなど、舞台上2段目の下から出てくるキャベツたちは何を意味しているのでしょう。
原作にも、そのような場面があるのでしょうか。
満足度★★★
「ブレヒトの芝居小屋」の最終公演がチャペックとはどういうことだろう。
広渡常敏率いる三期会が東京演劇アンサンブルになって、ブレヒトをやると旗印を鮮明にして東京郊外に自前の小屋を持ったあたりまでは、俳優座衛星劇団の中ではユニークな演劇活動だったが、その小屋での肝心のブレヒトが、旗幟鮮明とはいかず、SCOTのようなメソッドも生み出せず、スターも生まれないと言う事で、今回は地主の意向で小屋をしめる。その残念さが、最後にチャペックをやる、というところにも表れているように思う。
再演でも、何でもいいからせめてブレヒトをやるべきだった。ブレヒトは最近人気がないが、なんといっても二十世紀の分断の時代を東西両陣営で生きた稀有の劇作家である。しっかり取り組めば、何らかの成果はあったはずである。
チャペックはブレヒトに似ていると広渡なら強弁しそうだが、これは百年前の戯曲である。原子爆弾時代を予見していると言うが、ファンタジーの世界で、そこでの寓意が今も生きているとはとても言えない。ブレヒトは戯曲になっているが、これは戯曲風に書いたファンタジーだ。カットしても良さそうなところが沢山ある。俳優は一生懸命だが、今なお、志賀澤子が最も安定して見られるようでは、結局、演技も劇団として確立できなかったということではないか。皮肉なことに、装置と音楽がよく出来ていて舞台を引き締めている。朝日新聞劇評は小屋閉めのようなセンチな時は見境なく甘くなる。これでは劇評ではない。3時間15分。夜十時をかなり過ぎて、武蔵関の田舎道に出てくると寒さが身にしみた。
満足度★★★★
Low Price Dayの今日、行って来ました。私のブレヒトの芝居小屋体験は4〜5回くらいと数少ないですが、その中で1番面白かったです。舞台セットも良かったです。しかしSF小説だとばかり・・・
満足度★★★★
「ブレヒトの芝居小屋」での最終公演ということで、西武新宿線 武蔵関駅まで出かけました。早く来ても会場ロビーに椅子があり、寛げます。会場もゆったりとした席、傾斜があって観やすい。舞台は白を基調とした抽象的な造り。映像を多用しながら展開していきました。話の筋を含め、もっと述べたいのですが、前半が終了すると帰らせて頂いたので後半が分からない。最後まで観ると、終演が10時を大きく超すのです。せめて6:30開演なら10:00前に終わることが出来きます。帰り道が遠い。残念。前半を見た限り、真面目な舞台作り、渾身の作品、これからも頑張って欲しい団体です。