満足度★★
秀逸な戯曲!
戯曲がとにかく良かった!
ただ全体的に『こうやって芝居をやっています』といった、わざとらしさというか説明芝居が気になりました。特にコメディを意識した演出…あれはいただけませんでした。とにかくやっている方たちの考えた事を説明されている感じ。身体の動きと台詞が一致していないところも多数あり、気になりました。特に娘役の方(この方、カーテンコールの時、頭だけを下げて挨拶をされてました。失礼ながら、このような行為は芝居の上手下手以前の事と思います。最後の最後で本当に残念な気分になりました)。
このように気になる点が多々あっても戯曲は面白いと感じていました。だからこそ良い戯曲というのは怖いものだと思った公演でした。
満足度★★★★
客席には外国の方も多かったです
歴史も、政治も、難しい事はなーんもワカンナイ!の典型娘ですwが、普通に楽しく観れました(^ω^)
観劇前は「…カタい芝居かなぁ」と、結構、構えていたのですが…まさかの関西弁wwwで、喜劇テイストからスタート?スルリと入りこむ事が出来ました♪
圧巻はラストの舞台美術。すごく良かったです!
どうでもいいかもですが、劇場の持つ空気が独特で何か好きでしたー(初訪問)。
エセっぽい関西弁
事前情報なしに観劇しました。
なので観る前は、”人狼ゲーム的な、騙し合うスパイもの”を連想していました。
――下宿人がスパイと見せかけて、家族をかく乱するイリヤ。実は彼こそがスパイであり、自覚のない下宿人を手駒に各所の情報を収集と管理をする東側の上級局員
……しかしイリヤは知らない。娘のソーニャもまた西側の監視下で動かされている手駒であり、弟のジューラは民族主義勢力を立ち上げようとしていることを……――的な展開を妄想していました。
(だって1980年代のユーゴスラビアって、東西だけでなく、各民族や各共和国・宗教勢力のほか、中国や中東の勢力も暗躍した時代ですもの)
でもふたを開けてみたら、軽快な喜劇。特にイリヤが関西弁(?)を喋る姿はぴったりとしていて最高の演出でした。
劇全体に、スターリン主義や共産主義を信奉する姿(旧ユーゴの共産主義などですので、ソ連や他国とまた違うのでしょうが…)を、滑稽に風刺するシーンがあります。
……ブレヒトの芝居小屋の壁には、「赤旗」とか「オスプレイ反対」とか、赤かったり左だったりなキーワードの張り紙が見られるのに、……良いのか、この劇場で…
満足度★★★
疑心暗鬼
共産主義国家ならではの話でありながら、政治体制や貧困から生じる悲喜劇というテーマは今日の日本にも通じるものを感じました。
下宿人のことを西側のスパイだと勘違いし、仕事を辞めて生活の全てを下宿人の尾行・調査に費やし、家族までも巻き込んで行く男の姿を描いた物語で、物事を自分の都合良く解釈する様子が滑稽でした。最初は夫の方を変に思っていた妻が終盤で夫の側に付く場面が恐ろしかったです。
ラストでは壁が崩れ落ち、主人公の空虚な心を象徴していて印象的でした。
物語自体は面白かったのですが、受けを狙った衣装や小道具の演出はわざとらしくて違和感を覚えました。
舞台を枠取る赤いベルベット生地のプロセニアムアーチが古ぼけた感じを出していて良かったです。屋台崩しでプロセニアムも壊した方が社会の枠組みの崩壊を暗示してる効果的になると思いました。
セルビアの音楽(おそらく)をふんだんに用いていて、東欧独特のエキゾティックな雰囲気が漂っていました。
日本で上演されるヨーロッパの戯曲はドイツやフランス、イギリスが多く、東欧の作品はあまり取り上げられませんが、他のセルビアの作品も観てみたく思いました。
満足度★★★★★
らあらあらあ 政治音痴は観ておくべし!
論理というものは、そのオーダーを一旦、固定的な公理として定めて仕舞ったが最後、その展開は唯一つしか無い。即ち尖鋭化することである。
今作は、その恐ろしさを、端的に描いた秀作。
カリスマ指導者、チトーの死を経、ユーゴスラビア解体以降益々混迷の度合いを増した、各民族、宗教諸派、異言語集団、政治体制の異なる集団、バックアップする大国の違いによる利害の相違等々を通して育まれ、徹底した不信・疑心暗鬼に陥った人々の「非日常的」な何気なさに巣食う、最早客観への糸口を失った狂気の哀れを骨太に描いて秀逸である。
彼らは、不信と分断故に、互いに孤立の陥穽に陥り、最早、自壊してゆくしかないように見える。この状況をグローバリゼーションとトリクルダウンの論理に染まった、迷妄の巷に暮らす日本人に当て嵌めてみると、興味深い結果が透けて見える。
満足度★★★★
重厚な喜劇
喜劇の第一人者である原作者のコバチェビッチ氏。疑惑と妄想が家族を巻き込んでいく物語。どこかドン・キホーテと重なる。主演のイリヤ役の田中徹さんは8年ぶりの舞台とのことですが、どうしてどうして素晴らしい演技でした。特にラストの「一声」はコバチェビッチ氏のユーモアであり、スパイの「正体」を如実に表現していたのではないかと私は思います。日本・セルビア演劇交流プロジェクトということで会場にはセルビアの方々も駆けつけていて、時節流れるセルビア音楽の選曲が良かったのか、笑ったり手拍子打ったりしていました。交流プロジェクトの継続を祈念します。