虚像の礎 公演情報 虚像の礎」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-16件 / 16件中
  • 満足度★★

    いつもの感動は
    残念ながら感じられなかった。

    TRASHMASTERS の芝居を何回か観てきたが、重さの中の光明といったものが感じられなかった。

    いつものように3時間を超す長編ではなく、2時間20分であったが、途中でしりが痛くなった。

  • 満足度★★★★★

    心の問題に深く拘泥していく作家
    座・高円寺1,で『虚像の礎:Foundation of Virtual』をやっていた。上京したついでに演劇を観ることが多い。CoRichのTopになっていた本作品は,事前調査ではとにかく難しそうであった。高円寺座というところも,初めてだった。ここは,外観もホールの中もおしゃれな場所だ。実際舞台ステージの,配置もなんとなく雰囲気があって期待大だ。作品内容がやや高尚なせいか,観客席はさほど埋まっていない。当日券でも,席は確保できた。

    始まってからしばらくの印象は,この作品は何かに似ている。おそらく,俳優座で観たサルトルの『汚れた手』ではないか,と思った。勿論,全体は全くちがうものだ。政治的対立がテーマの一つであるということ。さらに,正義とか,真理とかいうものは,時間がたってみると結構意味を失う。だから,当初,ある種の価値観を決めつけると,たいへんな間違いをすることがある,といったような教訓を扱っていると思うからだ。

    この作品では,何度か,社会が進み過ぎ,人間はそれについていけないと言う。病気と指摘されたものでも,社会全体の歪みが原因なものについて,われわれはどうすると良いのだろう。ただ,精神を安定させる薬を飲ませるばかりで良いのだろうか。演劇の,演劇たる役割の一つは,心についての優れた洞察がある。音楽や,絵画などの芸術ほど,国家も予算をくれないかもしれないが,効率の悪い演劇活動は大事なものなのだ。

    たとえば,心の問題に深く拘泥していく作家は,男女間の痴話喧嘩も表面的には捉えない。確かに,愛し合った男女の間で,男性が女性に暴力を振るうようになっていくと,男性の凶暴さばかり非難されて,二人はもはや引き離すことが唯一の解決となる。しかし,これを,演劇家が観察すると,女性側は,そのような暴力的な環境に自分の場所を依存しているような感じでもあり,その場合,女性は隔離されると,精神的に死んでしまう!

    さて,魅力的だったのは,大がかりに作られた二階ステージである。うさんくさい政治家は,この場所で,演劇家に予算をつけることを渋っている。彼は,けちな男で,秘書に不倫疑惑を押し付けていた。そのために,秘書は,してもいない不倫の責めを受けて,妻からヒステリーな攻撃を受ける。冒頭で,男は,不倫をするものだ。まったく罪のない女性を苦しめるだけで,意味もない!というシーンは,実は,前提がガセネタであったのだ。

    弱い立場の民族家は,いつもだまされ,うまく丸めこまれた。歴史的にも,もめごとは,連中によって持ち込まれた。だから,反発はある。しかし,どのように抵抗しても,自分たちの立場は劣悪になるばかりだ。いつか,民衆の不満は爆発するだろう。実際,政治家たちが,何も起こりません!と訴える中,遠方で,爆撃の況音が響きわたって幕となる。想像力を鍛える,それは,演劇では可能であろう。真実が見えやすくなるのだと。

  • 満足度★★★★

    生きること、考えること
    初めての劇場で、初めてのユニットの演劇に触れるとき。この「初めて」への期待と、少しの不安が心地好し。

    で…、本作、
    重く、深かった…です。

    「繁栄」「ヒューマニズム」「争い」をキーワードに。
    人の価値が数値化、可視化された近未来において、人々が織り成す虚像と実像の狭間を埋めるものとは? その人生を豊かにするものとは?…何か。

    鬼気を帯びた俳優陣の迫力に、普段は使っていない脳をぐるぐると掻き回され、「考えろ」と突き付けられる140分。
    とりわけ、林田麻里さんの「心」の表現には、感情を鷲掴みに。ホント震えました。

    こういった趣の作品との「初めて」は、とても幸せなものとなりました。
    この機会を活かし、人生に深みを加える作品と出会っていきたいものです。

    考えなくちゃ、ね。

  • 満足度★★

    観てきました
    まず、 思っていたよりも 真面目なお芝居で ズシリときました。
    現実社会でおきている問題なので とても重いです。

    気軽に楽しめるものではなく、 考えさせられる舞台ですね。

    個人的には、 こういうジャンルよりも  もう少し 面白おかしいお芝居が好きなので…  そういった意味で満足度は低めです。。

  • 満足度★★★

    劇作家の力
    政治、移民、戦争からドメスティック・バイオレンスまで、現代社会に見られる様々なスケールの問題を織り込んだ、考えさせられる内容でありつつ、さらに劇作家の存在意義についても意識させられる挑発的な要素もありました。

    近未来の日本を思わせる世界が舞台で、人の価値は数値で判断され、隣の地域との争いが起きているという環境の中で「心の豊かさ」について悩む人々の姿が劇作家の男を中心に描かれていました。
    多くの要素を物語に組み入れる手腕は素晴らしいと思いますが、盛り込み過ぎに感じられ少々技巧が鼻に付きました。

    劇作家が自らを「心の専門家」と呼び、問題解決の糸口を与える特別な人物として描かれていて(モダニズム〜ポストモダニズムの名作家具が並ぶ舞台美術の中で、彼の部屋だけがクラシカルな家具だったのも象徴的でした )、作者の中津留さんの劇作家としての志しの強さと共に、自己賛美的な面も感じられ、釈然としない印象が残りましたが、当日パンフレットの文章を読むとその様な反応を見込んで作ったことが書いてあり、「虚構」に上手く乗せられてしまったのかもしれません。

    役者達の演技がリアルで緊張感があるドラマに引き込まれましたが、映画や小説でも表現が出来る内容に感じられ、個人的には演劇という形式ならではの表現がもっとあっても良いと思いました。

  • 満足度★★★

    劇作家は「心の専門家」……
    ……らしい。

    初めて知った。

    力作ではある。
    どこまで、どう本気なのかはわからないのだが。

    ネタバレBOX

    「劇作家は「心の専門家」だ」という台詞が何度も出てくる。
    しかも劇作家と自称する自分自身の口からだ。
    笑いそうになったが、劇場内は誰も笑わない。
    ギャグでも劇作家という存在に対する揶揄でもなかったらしい、ということがラストでわかる。

    「劇作家は「心の専門家」だ」を聞いて、てっきり自らの理想の中でしか生きられない(自称)「劇作家」のストーリーかと思った。

    彼は「本気」で劇作家であるから自分は「心の専門家」だと思い込んでいるようだ。
    それを強く主張して、他人の気持ちにズカズカと踏み込んでくる。

    彼はいつもまるで「批評家」のように、「他人事」の視線で熱く語る。

    妹と、DVな妹の彼が、心の病であると知ったときに、劇作家の彼は、自分は「心の専門家」なのに気がついてやれなかったと悔やむ。

    妹はDVの彼と別れたが、ストーカー行為をされている。
    それに対して劇作家である兄は、「会って話をしろ」と言い出す。
    妹が暴力を振るわれていたのを見ていて、さらにSNSでさの彼が暴力的なツイートをしているのを確認したのにもかかわらずにだ。
    「警察を」の指摘に対しては「警察は彼らの恋愛に対して他人だ」と言う。それは、劇作家のお前もだろう、と心の中で突っ込んだ。

    また、こちらがあちらに仕掛けた「争い」から、あちらから来た難民たちには仕事がなく、生活するためには軍隊に入るしかない、つまり、彼ら難民(移民)たちは、自分たちの仲間と殺し合いをさせられる、と知り合いのあちらから来た男に言われると、「それは心の問題だ」「お金と命とどちらが大切なのか」「彼らは弱いからだ」「自分の心に従えば人は、人を殺すことをしない」「みんながそうすれば争いはなくなる」という主旨のことを言い出す。

    なんだそれ? 
    と思った。

    「争い(戦争でしょ)」で殺し合うのは軍人ではない。確かに実際に殺し合いをしているのは、戦場にいる軍人だが、それをさせているのは上の人間だ。

    同じ地方の人間だから殺し合わないのではなく、いずれの戦争であったとしても(侵略された場合は違うとは思うが、それでも)相手を殺したいと思って戦場に出かける人間はまずいないと思う。
    争い(戦争)は、戦場で戦う人(軍人)の「心の問題」ではない。
    軍人が自分の心に従ったとしても争いがなくなるわけではなく、自分の心に従って相手を殺さなかった軍人は、相手か上から殺されてしまうのだ。

    銃を持って政治家の秘書を撃ちに来た男に対して、劇作家は「今現実に自分が銃を持っていることに支配されている」「心の中は人殺しをしたくないと思っているはずだ」「だから心に従え」みたいなことを言う。
    それは変だ。

    だって、「銃を持って、秘書を射殺しようと思った」という「今」のことにフォーカスしても意味がないからだ。
    つまり、「秘書を射殺しようと思い、銃を構えた今の自分」までにたどりつくまでのプロセスには何度も自分の心との対話があったはず。だから「今の状態」だけを指摘してもしょうがない。
    それで説得されてしまう男もいるのだが。

    簡単に考えると、「心から相手が殺したいほど憎いと思って」いる人が、「現実には銃など構えていない場合」も「自分の心に従え」と言うのだろうか。

    つまり、劇作家の言っていることは、自分の都合のいいような解釈だけで、普遍性がない。その場で思いついたことを、まるで正論のように振りかざし、言ってるようにしか聞こえない。
    それは、自分の目の前で起こっていることが「自分のことではない」からだ。
    「他人事」なので、「批評家」のように相手の気持ちや行動を断ずる。

    精神科の医者らしい男に対しても、上から目線で接するし。

    自分に直接降りかかってきそうなとき(あちら側の男の父親を連合軍に引き入れた結果、悲惨な目にあったというエピソードを聞いたあと)には、薬に手を出しそうになって、現実逃避をしかける。

    他の登場人物たちは、自分のできる範囲で懸命に生きている。
    そこに「心の専門家」であると自称する劇作家は、踏み込んでくる。

    さらにラスト近くで、テロによる爆破が鳴り響く中で、「これは音楽だ」「自分たちが信じることが現実になる」と力説していたが、それは「虚構に逃げろ」ということなのだろうか。

    どこまでも現実が見えない男である。
    この「劇作家」という人は。

    彼は両親のお陰で今の生活が維持できているらしい。
    演劇を続けるためには、やっぱり「助成金」も欲しいらしい。

    ラストには、何か劇作家である彼に対して大きなしっぺ返しがあるのかと思ったらそうではなかった。
    争いをやめるための席に、「重要な人物」として参加を求められる。

    ここまで来ると悪趣味だ。というか、ブラックコメディ。

    どうやら彼は「こちらより前にあちらで評価されている」らしい。
    そして「彼はこちらでも評価されるべきだ」ということまで言われている。
    まさか、それって、この作品の劇作家自身のことではないだろな。

    つまり、「ほかのところではそれなりに評価されている僕」は「なぜ社会ではあんまり評価されていないのだろう」「評価されて当然だ」と思っていて、それを劇中の劇作家に演じさせた、わけではないだろうね。

    この作品では「人から評価」されることがキーワードのひとつだ。
    その評価は人によっては、SCVという数値であったり、愛情であったり、名声であったりする。
    それを劇中の人物たちは強く主張する。恥じらいもなく、言ってのける。

    どうやら、日本に似たこの場所は、劇作家の頭の中にある楽園のようだ。

    そこでは劇作家は、「心の専門家」と言われるらしい。
    そこでは劇作家は、親のスネを齧っても創作活動をすることは尊いらしい。
    そこでは劇作家は、人々の心を浄化してくれる。
    そこては劇作家は、人々に必要とされ、敬われるらしい。

    日本の劇作家が、そういう楽園だけを頭の中に描いているとはあまり思いたくない。

    劇作家の話なのにそれを演じた役者さんの台詞が危うい。
    噛んだり、言い間違えたりしていて、なんとか台詞を言っているレベルだった。
    その設定もあるのだが、そういうわけで彼には思い入れをして見られない。

    議員秘書とその妻の台詞と演技は、まるで翻訳劇を三越劇場(失礼)で観ているような錯覚に陥らせるほど、オーバーで「演技してます」感たっぷりで少し冷めた。特に最初のほうで秘書とその妻がキッチンでする会話と演技には苦笑した(秘書が妻を後ろから抱きしめるとか・笑)。
    その議員秘書は、ノーネクタイ、丈の合わないスーツ、ボサボサ頭と、およそ議員秘書とは思えない格好だった。

    ほかの登場人物たちが、きちんとした衣装で、イメージ通りすぎるほどの、型にはまったパターンの衣装と演技なのに(特に宗教指導者に至っては、魔法の国からやって来たような衣装)、彼だけは違うということに違和感を感じた。

    その中にあって、ヘーラを演じた林田麻里さんだけは、光るものがあった。特に彼との関係が露わになるシーンにおいて。

    多くの言葉を重ねながら、「演劇」の限界、劇作家という人種の傲慢さを描いた作品、あるいは「観客への挑発」ならば、お見事だと言いたい。
    私は見事に挑発された。

    劇作家が何度も言う「物語」というキーワードは、井上ひさしさんの『太鼓たたいて笛ふいて』で使われていたほうが鮮烈だった。それを劇中の劇作家の発見のように何度言われても。

    劇中では「繁栄とヒューマニズム」は「相反するもの」として述べられている。確かにブラックと呼ばれる企業もあるが、それは相反することはない、ということは今はもうすでにわかってきている。それなのに、それを声高に言われてもなあ、という気がする。「蟹工船」じゃないんだから。

    と、いろいろ書いてきたが、2時間を超える作品でありながら、最後まで見せきったのには拍手をしたい。力作ではある。
  • 満足度★★★★

    批評性の強い作品
    中津留章仁氏の魅力は、社会にある様々な問題を、一度観念的に拾い出して、それを演劇のダイナミズムに力技で組み直すというようなものだと思っている。

    今作の印象は、私が観た中津留作品の中で、最も観念的な作品だと思った。演劇のダイナミズムよりも、観念が先行しているように思った。
    その点は物足りなく思ったが、全否定という訳でもない。
    その分、作品の中にある複雑さや分裂は、今まで見た作品の中で最も大きかったように思う。その点はとてもよかった。

    作品テーマも、今日社会で最も問題になっている、拗れてしまった正義と暴力の問題。
    架空の都市での話だが、日本と近隣諸国との関係のようでもあり、イラクなど中東の話のようでもあり、、、
    そこに、なんとか解決策を見出そうという作者の意志が素晴らしいと思った。

    ただ、一点とても気になることがあったが、、、それはネタバレBOXで。

    ネタバレBOX

    世の中にある複雑な価値観とそれに基づく正義と暴力について語られている。それも、大きな社会問題から、小さな人間関係の中に潜むものまで。
    現代社会で最も問題になっていることだと思う。

    様々な立場の人間が、自分の正義を声高に主張し、他の意見を排除する。だが、それぞれに誠意あることを言っているという場合も多い。つまり、正義と悪で対決しているのではなく、正義への道筋やその判断基準が違うだけという場合も多いのだ。その相違をなんとか解決できないのだろうかと悩む主人公(劇作家)。これは、どこかで中津留氏自身の姿に重なって見えなくもない。

    この主人公が、解決不可能な様々な問題に対しての、唯一の希望として描かれる。

    中津留氏は、この主人公に自分を重ねてはいても、それは自己正当化や自分を誇りたいということではないのだと思う。
    表現(演劇)の可能性として、この主人公を描いているのだと思う。

    そう考えたとしても、それでも、どうしても、
    誰か一人が正義のように描かれる物語に私は抵抗がある。
    そのため、あのラストシーンはあまり良いとは思わなかった。

    私はラストシーンで主人公が撃たれればよいと思って観ていた。
    それは、主人公が気にくわなかった訳ではなく、むしろその考えには大きく共感するからこそ、そんなキレイゴトが通じる社会じゃないじゃないかと思っていたからだ。

    勿論、作者はそんなことはわかった上で、それでも希望を描いているのだろうが、、、

    私は希望を見ることよりも、絶望を感じることからしか、
    次の一歩を踏み出せないタイプの人間なのだと思う。
  • 満足度★★★★★

    我田引水、みたいな
    玉石混交ですが、想像力のある劇作家の力量には敬服いたします。

    ネタバレBOX

    上演時間が2時間20分ということと、客席に入っての作りを見て場面転換は無いと確信しました。後半全ての舞台装置を変えて、前半登場した人物たちの十数年後の姿を描くというパターンは最初は新鮮でしたが、ハマるものとハマらないものがあり、最近は飽きてきていたのでこれで良いと思いました。

    何万人をも動員する演劇ならともかく、100人程度の小屋で打つお芝居ではどんなに感動を与えても、どんなに啓蒙しても、社会に与える影響は小さいとして補助金が打ち切られ、社会貢献ポイントによる評価が低い、即ち年収の低い劇作家ですが、劇作家の強い信念は人を動かし、世界を動かし、世界平和に貢献するという凄い話でした。

    それもそのはず、このお芝居を書いているのは劇作家ですから。ただし、劇作家と言っても玉石混交で、作品作りに行き詰まり、共依存の末にストーカー殺人を犯してしまいそうな人もいました。

    お芝居の中で銃の引き鉄を引くか引かないかを決めるのも劇作家、ストーカーの相手にナイフを突き刺すか刺さないかを決めるのも劇作家、テロによる爆発音らしき音を、大音量で隣人が流し続ける現代音楽と決めつけることができるのも劇作家です。

    究極は、繁栄地域と紛争地域の和平会議の場に立ち会うことになり、世界平和のために貢献することになりました。恐らくノーベル平和賞を受賞して、彼の社会貢献ポイントは一気に高くなるでしょう。

    今回は我田引水的ハッピーエンドでしたが、頭の中のもう一人の劇作家は、義理の兄や本人が射殺され、紛争は泥沼化し、妹はストーカーに殺されることにしようと考えていたに違いありません。
  • 満足度★★★★★

    劇作家の存在価値
    観客の存在にも意識が行届いていたので、どれほど心強く感じたことか。

  • 満足度★★★★★

    たてまえと本音!
    商業演劇にはない濃密で骨太なメッセージの強い舞台なので楽しみにしている。もともと映画も舞台も内容が良ければ長い方が好きな私は見逃せない劇団である。長時間観客を演劇に集中させるかを考えてきた中津留氏が今回はトラッシュマスターズとしては140分という短めの作品で観客の反応を検証したいようだが、私にとってはそんなことは問題ではない興味深い舞台でした。

    ネタバレBOX

    設定は近未来、人間の価値を数値化する(SCVと呼んでいた)ようになり、いかに社会貢献できているかで数値が高くなる。
    人は社会貢献という名のもと歪んだストーリー(虚像)を作り、本当の狙いを隠すのである。医者が危険な戦地へボランティアで医療奉仕をするというプライドを重んじれば、数値は高くなり、死ぬかもしれない所へわざわざいくべきでないと本音を言えば数値が低くなる。そこに葛藤が生まれる。
    この芝居では、大きな意味で”繁栄とヒューマニズムの共存”をテーマにしているが、それを示唆する1シーンであった。
    そして今回の舞台で耳に残ったのは”世の中の事象は全て繋がっている!”という台詞である。つまり、全ては偶然でなく必然である(誰かが作ったストーリー)。
  • 満足度★★★

    脱フォーマット?
    さて何だかんだでこちらは4回目になります。
    かなり質の良い芝居をされるとは知りつつ、過去の3回とも物語の作りが全く同じだったので自分の観劇欲の微妙なところをさ迷っていました。

    ※過去観たものは三時間越え休憩なし、途中の幕間で大転換有り、二幕目から未来に飛ぶ。
    ここまでフォーマットが出来上がっていた。

    逆に今回はその特徴的なフォーマットでは無くて時間も2時間20分とこちらにしては短く、転換も無し。
    時系列的な動きはありましたが凄い未来に飛ぶわけでもなくという。
    それが今回だけなのかどうかも分かりませんが、ちょっと実験的な公演だったのかなあ。
    アンケートも時間とか気にしてたみたいだし。

    気になっていたのは前段階でそう言った情報を展開してるのかなーと。
    多分、あのフォーマットを期待して来るお客もいると思うのですよね。
    ※知らずに来てびっくりした客も逆にいましたが。

    自分も何だかんだで期待してた部分があった様で。

    ちなみに今回はむしろ長く感じてしまった。
    入り込めなかった。
    結局、時間が長く感じるか短く感じるかは内容次第かと思います。

    舞台面が低い割りに座ったりしゃがみ込んだりの芝居が多くて、あれと思ってしまった。
    節介、広い会場なのだからもうちょっとどの席からも見えやすい様に作れていたら良かった。


    一つ言えば、今日は隣に座っていた客が大ハズレだったのでこちらの集中力がかなり乱れていたせいもあるかもしれない。
    席繋がっているんだから隣で気になるほど揺れていたり(貧乏揺すり?)、前かがみになっていたりと自由だ。。

    劇団・団体側に求めたい事ってのは色々あるけれど、客側もやはり最低限のマナーを守る必要があるよなぁ。
    何か良い方法を考えたいものです。

  • 満足度★★★★

    イマジン
    2時間半、「考えろ」「向き合え」「想像しろ」という強いメッセージが聞こえてきました。
    いろいろな問題が織り込まれていて、お腹いっぱい感。


    ネタバレBOX

    一緒に見た夫は「劇作家(アテナー)が薄っぺらい。あんな脳内お花畑の言葉に説得されるのがわからん。あの程度の言葉で会議に呼ばれるほど評価されるのも変」と、ラストにややご立腹(笑)でした。

    私もアテナーには胡散臭さがぬぐいきれず、彼が『劇作家は心の専門家』と繰り返し言うたびに苦笑しましたし、彼が『人の心を育てる』ことで『争い』を止められるとまでは、到底思えません。
    それは、最後に聞こえる爆発の音が、『隣の人が流している音楽』ではなく、ゲリラの爆弾テロだと言えるくらいの確信で。

    ただ、アテナーの言うとおり『見たわけではない』ので、『自分が望む世界を想像する』のは各自の自由です。
    虚構の世界では、劇作家が言葉や芝居で争いをやめさせてもいいのかな。そう信じる人がいてもいいのかな。

    その信じる力、想像する力が、虚構の世界を作り上げる人たちの「礎」なのでしょう。

    人によって泣こうが怒ろうが笑おうが、いろいろ考えるきっかけになる芝居だと思います。

    (余談)
    戦地に派遣されるピオス医師が、認めたくない自分の心と向き合って、傷ついたけれども解放された安堵感?のようなものを、
    『表現する言葉はないけれど』『へーラが自分を傷つけて安心するのと同じ』
    とアテナーが語ったのは、納得いきませんでした。
    自傷行為とは違うだろう~。と、そこでも、アテナーを胡散臭く感じたのでした。
    (この辺は、私の勘違いで、後日、ほかの人の感想を見て追記するかもしれません)
  • 満足度★★★

    初日観劇
    日本のような場所だけどちょっと違う場所。
    いつも通りの登場人物とその台詞廻しに、トラッシュ定番の展開かと思いきや、芸術や恋愛、時勢について語り尽くす。
    あまり動きが無いので台詞をしっかり聞いておかないと置いてきぼりをくらいそうだったが、最後の場面でこの舞台の意義を見たような気がする。
    中津留さんの経験談というわけではないよなw
    今回、アレとアレがないw!セットがシースルーで見やすいw!
    休憩なしの約140分。

    ネタバレBOX

    劇作家と議員と秘書と宗教家の対面場面は、なぜか笑ってしまいました。すみません。
    林田さんの苦悩する様が痛々しくも、良かった。
  • 最後に残るのは「人」だ
    自治体が「国際平和都市」「人権擁護」を掲げると違和感を持つのは私だけだろうか。


    法制度からいっても、行政組織というのは「権力の一部」であり、抑止される側にたったメッセージを発表すること自体、その責任を自覚しない怠慢である。


    仮に道州制が進展すれば、軍事・外交以外の権限は自治体に移譲され、各地域ブロックに「地方政府」が発足する。


    「地方にカネを!」しか訴えない知事、市長、区長、町長、村長たちは、それ相応の「権力と責任」が生じる列島未来図を肝に命じるべきだ。


    私が『虚像の礎』に共鳴したポイントは、「首長」や「住民」といった、現行の自治体用語に基づく政治ヒューマンドラマである。

    これは、近い将来、「国民から住民」に帰属意識が細分化することを念頭に置いた上の解釈だと思う。「自治体権力」を呼び覚ますサイレンかもしれない。




    中津留章仁氏によると、

    「これまでは

    いかに観客が長時間集中出来るか

    その演劇用語を獲得してきたが、

    恐らくこの作家は

    今回は真逆の

    観客が醒める、という行為を

    好意的に受け取ることは出来ないか、

    それを検証しようとしているような気がする。」

    という。

    確かに、序盤こそ「退屈な会話劇」だったが、終演後このような感想を抱いた観客は少数派だろう。「集中」どころか、受験勉強以来の限界点を突破させるラスト・シーンである。


    『虚像の礎』のキーマンとして劇作家のアテナー(星野 卓誠)がおり、彼の


    「君はストーリーを作りたいだけだ」


    「想像してご覧よ」



    なる台詞に「争い」を和解させる「ポリティカル・パワー」を見出す。

    ただ、この劇作家が作・演出の中津留氏であることは疑いの余地がなかった。


    もっとも、旧チェコスロバキア大統領を務めた劇作家・ハヴェル氏のように、知識人と呼ばれる人物が「ポリティカル・パワー」を発揮してきた人類史は ある。


    それを承知した上で批判するが、何というか、中津留氏の「自惚れ」と紙一重に映ってしまった。



    実は『虚像の礎』は都民芸術フェスティバル(主催_東京都・公益財団法人東京都歴史文化財団)の対象公演である。
    杉並区からの後援も受け、通常の劇団公演とは違い、圧倒する「マン・パワー」だった。終演後には自治体関係者なのか、企業関係者なのか、東京都歴史文化財団職員なのか、約8人体制で一人ひとりに「紀州梅サンプル」が配布されていた。


    この「公演助成」を中津留氏は逆手に取り、「『劇』の社会的価値」を劇中に問うた。



    ※ネタバレ箇所



    劇作家が有する社会的貢献力を、本人アテナーへ聴く重鎮議員テミス(カゴシマ・ジロー)との議論を借り、劇団『トラッシュマスターズ』の公演そのものから暴いてしまったのである。


    これには会場から爆笑が起こった。


    彼らは 「繁栄とヒューマニズム」を どう一致させるか、そのテーマに挑む日々だ。


    結局、『虚像の礎』でも完全なる回答は提示できず、再び「劇場空間から社会をえぐる」旅を継続する。

    ネタバレBOX

    「観客動員数は、せいぜい数百から数千ではないか」と…。


    「助成を貰ってなくとも、商業的に成功している劇団もいるではないか」と…。
  • 2時間20分強
    初日観劇。
    主宰の“想い”のカミングアウトのような台詞が多く、なるほど、と思うこと多し。
    回を重ねれば、もっとリズムが出るハズ。
    美術のセンス良し。
    上手での観劇を推奨。

  • なのです。…若干、追記
    初見。

    台詞が 「…なのです。」役者さんも言いにくいだろうし 会話でもよほどのことがない限り 「…なんです。」なのではなかろうか と 気になるのは初見ゆえか。

    台詞の堅さ、端正とも言えるが。モノトーンを基調にした舞台と相まって人間臭さはあまりない。この劇団の持ち味なのかもしれない


    ストーリー的には 林田麻里演じるヘーラの成長 が 観ていて嬉かったかな


    しつこいようですが


    …なんです。 じゃ、だめなんですか

    ネタバレBOX

    劇中 何度かある 「対決」は 生々しい。

    これだけ 迫真な演技 と なんだか端正?すぎる台詞のギャップに最後まで慣れない自分をもて余していた。

    先にも触れたが 一番魅力を感じた人物は ヘーラ。

    彼女には 健やかな人間を感じた。線が細く見えるが ぴんと張った鋭さを感じる。

    劇中 何度も出てくる 「すべての事象はつながっている」というのは 大いに真実と思います

このページのQRコードです。

拡大