森の別の場所 公演情報 森の別の場所」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-18件 / 18件中
  • 満足度★★★★

    古典戯曲と小劇場的演出の邂逅
    戯曲自体はかつて〇〇劇場とか〇〇会館ホールなど漢字名称の会場で〇〇座、劇団〇〇など漢字名称の団体が上演していたような古風で格調ある印象のものだが、会場と装置はいわゆる小劇場系と、一見不似合いながらキチンとした衣装が仲をとりもつ、な感じ。
    なので時折脳内に新劇版が浮かんだりしつつ「カジュアルな古典」もしくは「古典戯曲と小劇場的演出の邂逅」を堪能。

  • 満足度★★★★★

    観てきた
    わりと苦手意識のある海外ものを気安ク楽しむことができた。

  • 満足度★★★★

    難しそうな翻訳ものを砕いて...
    ...見せてくれた感じ。さすがにファッショナブルな点は女性の演出家か?

  • 満足度★★★★

    長さは感じず
    最初、こちら側が キャラを掴みきれなてないからか、少し世界観に入りきれない感はあったが、ある程度進むといつの間にか世界観に引き込まれてた。また、台詞のやり取りも凄く力があり、三時間(休憩込み)の長さは感じなかった。面白かったし、よい時間でした。

  • 満足度★★★

    不謹慎かしら
    劇団のアイドル(?)長瀬の谷間には誰も言及していないのか・・・。あれが本物だったか気になってるのは私だけ?いや谷間はもちろん本物だが山が本物だったかどうかが問題で山を盛れば谷間も作り安くなるのは当然で、さて山が本物だったのかどうかは気になるでしょやっぱり。それともこの劇団観る人はそんなことどうでもいい?本当は私もどうでもいいことなのだけど、娼婦には全く見えない長瀬が娼婦役に挑んだこと・挑ませたことは称賛したい。最も称賛すべきはヒザイの演技だろうが。年長者の役を近場の役者に任せてしまってその役の年齢に全然見えないこと(この芝居だけでなく他でもよく見かけること)が、違和感甚だしく役者の好演も虚しくさえなる。外部からそれ相応の年齢の役者を招聘できないものなのか。

  • 満足度★★★★

    秀逸の先のかすかな違和感
    3時間(休憩10分込)というので、
    小旅行でもするような気分で座席に腰をおろしたのですが、
    見始めて30分くらいから一気に面白くなって、
    さらには、中盤や終盤のシーンには圧倒的な見応えがあり、
    3時間があっという間でした。

    ただ、見終わって、ロールたちの間の質感にほんの少しの異なりと違和感が感じられました。

    ネタバレBOX

    ほんと、前のめりになって観ました。
    おもしろかった。

    それなりに複雑な物語の構造も、開演前に読んだとてもわかりやすい人物相関図やツボを抑えた用語説明が役に立って混乱することなく入ってきました。当時の貨幣価値などが今に置き換えて説明されているのも物語を受け取る上でありがたかった。
    そしてなによりも役者たちのロールのしっかりとした貫きで、物語が観る側にくっきりと伝わってきました。

    その戯曲もよくできていて、登場人物達のありようの面白さに加えて、中盤のパーティのシーンやラストシーンで家族やそれを取り巻く人々の思惑が幾重にも立場を買え解けていく見事な仕掛けがあって、そこから浮かび上がるロールそれぞれの個性や思惑にもがっつりと捉えられてしまう。
    特に終盤の父子の対決、南北戦争のころの顛末の解け方やその鍵を握る母のイノセンスさの貫きには観る側に瞬きを忘れさせるほどの力がありました。

    ただ、シーンのひとつずつのありようや物語の顛末には圧倒的に捉えられたのですが、終わってみて、作品を貫くトーンには、ほんの少しだけばらつきや違和感のようなものを感じたりもして。
    台詞を追いかけていると、この戯曲って、それぞれの登場人物達を導き出す構造とは別に、喜劇的なエンターティメント性がかなり強く織り込まれていて、今回の舞台に紡がれあらわされたものよりも、もっと表層的な滑稽さへの企てがところどころに顔を出すのですが、その演じ方がロール間で同じ質感に束ねきれていなくて、同じ戯曲にのって演じられていても微かにはみ出したり歪んだりして、うまくひとつのベクトルで膨らみ切れていない部分も感じるのです。

    ググってみたら、この戯曲は1946年にブロードウェイのど真ん中の900近いキャパを持つ劇場で初演されていて、182ステージとそれなりのヒットもしている(5ヶ月のロングラン)とのこと。そういう場所での上演のための戯曲ですから、想像するに、たとえば休憩後、パーティの顛末の娼婦の啖呵にいたるまでの、長女のドレスアップした姿や、次男の愚かさ、さらには5000ドルの融資を頼みに来た女性の田舎くささや、娼婦の酩酊していく姿などには、それなりにあざとい笑いが企まれていたと思うのです。実際に台詞を聞いていても、その片鱗はあちこちに残っていて。
    さすがに、終盤の聖書に書かれた秘密をはさんでのやり取りには当時の場内も今回同様にひとつずつの間や台詞に固唾を呑んでいたのでしょうけれど、一方で今回の上演では現れなかった笑いのメリハリもたくさん仕組まれていたのだと思う。

    もちろん、昔の通りお芝居をやれということではまったくなくて、東京芸術劇場プレイハウスより若干大きいサイズの劇場で描かれることを想定されたロールたちが、キャパがその1割の劇場の、思いっきり具象であったろう美術がとてもシンプルな装置に置き換えられた中で編まれるとき、そのサイズや密度に合うように戯曲の物理的な設定の読替えがあるのも、戯曲が解かれる中で演出の調整が行われ、キャラクターの所作や質感にもオリジナルの戯曲から変化が生じるのも至極当然だと思うのです。
    事実そうして、この舞台では、個々のロールにおいて、その描き出しが役者達の力量にも支えられとてもうまくいっていたように感じるし、それどころか、多分初演の劇場では生まれえなかったであろう、ロールたちの様々な思惑や想いの肌触りを、観客は受け取っていたのだろうとも感じる。

    ただ、ロール感でその場に置かれるための戯曲の解釈のしかたが若干異なっている一方で、戯曲の骨組み自体は劇場のキャパに関わりなくしっかりと生きているので、それぞれの役者が編むものが秀逸であっても、その重なりに、細かい感触の不整合というかロール間の質感の異なりを感じてしまうのも事実。刹那ごとのクオリティがありながら、作品に訪れるロールたちの想いや思惑の重なりが物語のさらなる膨らみに至るとき、なにか注視するロールによって観る側の視座がほんの少しだけぶれるような印象がのこるのです。

    端的な例としては、パーティの着飾る長女を見て「農産物品評会のブランド豚」と次男が揶揄するシーンや、5000ドルを借りるために女性が不慣れなパーティに着飾って登場するシーンなどが、まわりが醸し出す空気に埋もれてしまい今一つうまく上手く観る側の印象を染めるように機能していかないように感じたりも。多分そのあたりの折り合いがいちばんうまくついていたのは娼婦のロールなのですが、そこには、恋に盲目の次男と悪意をもって酒を注ぐ長男の演技との重なりが裏打ちされていて。、うまく言えないのですが、それらのセリフや仕掛けも含めて観客を惹きつけるためには舞台を束ねるさらなる共通した空気への認識が必要な気がする。そして、そのことが、終盤舞台に描かれる父母と3人の子供たちのありように更なる奥行きと切っ先を与えてくれる予感もするのです。

    まあ、そうはいっても、観ていて全く飽きることのない舞台でありました。
    このあと公演のある大阪の観客がうらやましく思えたりも。
    なんでも、この作品には続編もあるそうで、そちらも是非に観たくなりました。
  • 満足度★★★★

    無題886(13-325)
    18:00の回(曇)。17:15受付、17:30開場、T字型の舞台(最近、多い)、濃いグリーンの床、入口に向かう階段部分もグリーン、木製のテーブルと椅子、天井から6つの電球、シンプルな設定。17:55前説(黒澤さん)、18:00階段部分のシートを撤去、18:03チューニング音、暗転〜18:51、休憩、19:02〜21:02終演。予想通り、外国のお話しはダメでしたが、お芝居はとびきり面白かったです。

    小説(自分のペースで読み進めることができる)や映画(いろんな手を使って面白くしている)とは違って、日本人が外国の登場人物を演じることに違和感を持ってしまうのではないかと思っています。先日みた英語劇はみなさん外国の方で、これは大丈夫でした。

    骨肉のあらそい、これを「家族」と呼んでいいのかと思うものの、どこにでもこんな関係はあったのでしょう。いい大人が大人の争いに終始するお話。

    今年、時間堂は「テヘランで〜」、「劇作家女子会!」。このほかに、ヒザイさんは「癒し刑(2013/8)」、菅野さんは「カルデッド(2013/7)」、長瀬さんは「猪突タッチアップ(2013/4)」「はじめまして 誰か。(2013/7)」、阿波屋さんは「消失・from メガロポリ子(2013/3)」。どの作品もよかったです。

  • 満足度★★★★

    ハードル↑↑↑
    私が初めて時間堂さんを拝見したのは「すごい、ふつうの演劇。ふつうの、すごい演劇」を謳っていた頃で、その小劇場感溢れる温かな会話劇を楽しんでいたのですが、「廃墟」の頃からグッと物語が難しくなっていき、それまでの柔らかさを求めていた私としては、舞台の物語世界への入り込み難さを感じていたのですが・・・今回は思い切って、古典を観るときの気分にスイッチして観たら、舞台芸術としての演劇を存分に楽しめたとともに、ハードルがとてつもなく上がってしまいました(苦笑) 私の知る限り、時間堂さんは小劇場の中でも実力はトップクラスに位置する劇団で。けれど、古典にスイッチしたことで、私の中では比較対象が蜷川さんの舞台になってしまい。去年観た「ザ・ファクトリー」はテネシー・ウィリアムズの4つの短編を小劇場クラスの演出で2000円で観たなぁなんて思ったら、もっともっと上をと望んでしまう贅沢な欲求が生じてしまいました。しかしこれも実力のある方達揃いの時間堂さんだからこそ。これからも黒澤さん解釈の古典を拝見したく、とても楽しみにしています。

    ネタバレBOX

    時間堂さんを観たきっかけが菅野貴夫さんなので、菅野さんが重要な役を背負っていて実力を発揮しているのを見るとやっぱりすごく嬉しいです。ヒザイさんと鈴木さん、3人の劇団員さんでのクライマックスは圧巻でした。

    戯曲は、なんだかとても不思議な物語でした。一番正論を吐くのは娼婦で、他は皆とてもではないけど愛すべき人達ではなく。その光景を傍観者として観ていると、人間のリアルな姿を見ているように思えて、誰が悪役なんて思えないものだから、ラヴィニア夫人の言葉も全く信じるに値するものとは思えず・・・狐につままれた気分。けれど、最後のコラリーの主君を見る視線を見て、そこに真実を見た気がしました。見応えのある舞台で、さすが時間堂さん。面白かったです!
  • 満足度★★★★★

    素晴らしいとしか言いようがない。
    休憩込みで三時間という長さを全く感じさせない素晴らしい舞台でした。どの役も本当に憎たらしかったです。とても人間臭い感じがして引き込まれました。濃密で濃厚な時間。観劇できて本当によかった。

  • 満足度★★★★

    時間堂&黒澤世莉さん、さすが、いい仕事するなぁ
    彼らが取り上げなければ、リリアン・ヘルマンって知ることがなかったかもしれない。

    とても面白い戯曲を、真っ向から見せてくれた。
    3時間という長時間も苦にならず、あっという間。


    正直、この料金は安い。

    ネタバレBOX

    演劇というものは、不思議なもので、何もない舞台がどこかの場所になったりする。
    役者も年齢や性別、あるいは生物の枠を超えて、普通の人がライオンのキングになったりすることもできる。
    ただし、それは観客がそれを感じることができて初めて成立するものなのだが。

    この戯曲の登場人物は、南北戦争後1800年代末のアメリカ人である。
    それは最初の台詞からわかる。
    (もちろん、当日配布していた資料にも書いてあるのだが)

    で、次々登場する人物たちが、「誰なのか」を観客は推測しながら観るわけだ。
    他の登場人物との関係は、とか、年齢とか。

    家族の関係は徐々にわかったので、次は年齢の設定だ。
    少しキャピキャピしている長女は10代の後半だろうか17、18?、すでに働いている長男は20代半ば25、26?、そして馬鹿そうに見える(笑)次男のしゃべり方は10代半ばぐらい15、16?、そして両親は40代半ばの45、46というところか、母親は若そうなので、ひょっとしたら後添えなのか、などとあたりを付けていたら、ことごとく外れていた。

    なんだろう、長女と次男は、いくらなんでも、設定よりも若い演技となっていないだろうか。16歳で従軍した、という時代において。
    いや、それぐらいに世間知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃんだ、ということなのかもしれないが。「ナントカ…なんだもーん」という長女の台詞(たぶんあったと思う)のような感じが。次男も、特に食事のシーンでの振る舞いは25歳には見えないのだ(まさか長女より年上だったとは! 笑)。

    役者は実年齢とは違う年齢を演じているのはわかるのだが、もっと早めに年齢を確定できないのだろうか。それは「何歳」という具体的な数字が知りたいのではなく、イメージとして確定したいのだ。特に母が長女と近いぐらいの年齢の見た目なのだが、実母であり、50代半ばというのは、後半、それもかなり進んだところでないとわからなかったからだ。
    それって「あえて年齢不詳にしている」のではないのだから、役を観客のイメージの中に、早めに安定して座らせてほしいということなのだ。
    こうした、じっくりと物語を見せる舞台ならば、なおのことそうしてほしい。

    そういう不安定要素もあったのだが、とにかくストーリーが面白い。

    ハバード家の家長は、王のように振るまい、子どもたちに利用され、裏切られていく。
    まるでリア王ではないか。

    親子の確執、現実を知らない、お坊ちゃん、お嬢ちゃんの身勝手な恋模様、ハバード家を取り巻く人々との関係など、豊かな物語が広がる。

    黒澤世莉さんがそれを丁寧に見せていく。
    役者もいい。

    ただし、水を差すような、醒めてしまうようなところもあるには、ある。

    例えば、没落家からお金を借りにやって来る娘は、なぜかコメディ的な味付けがされている。
    突拍子もない声を上げたり、動きも少し変。演奏会のときにメイクはホッペが真っ赤だ。おてもやんメークというか。
    没落して、本当に困ったとしても、ハバード家へ何の抵当もなくお金を借りに来る、というところで、確かに変人っぽい要素はあるのだろうが、やりすぎの感がある。
    没落したとはいえ、の、慇懃さのようなところがほしい。

    また、現代語をあえて入れているところに違和感を感じた。
    「チョー」とか「マジ」とか「ジコチュウ」とか、そんな言葉が連発されていた。
    娼婦のシーンでは彼女がそれらを連発する。そんな言葉づかいをしなくても、彼女の仕事や生き様を表現できたのではないだろうか。

    これって、1800年代のアメリカ南部の話ですよね。
    そこが崩れてしまったら、ストーリー自体も危うくなってしまう。
    確かに、アメリカの話だからと言って、1800年代の南部訛りで演技をされても、今の日本の観客が理解できないのは当然としても、また「話言葉」としての台詞は、今の言葉でなければ生きてこないだろうということも、なんとなく理解はできるのだけど、「チョー」とか「マジ」まで行ってしまうと、違和感を禁じ得ない。
    ほかの台詞とのバランスもあろう。
    確か「じっくりと検討してみよう」なんていう、翻訳モノっぽい台詞もあったように思うし。あと「ごきげんよう」なんていうのは、昼のライオンが出てくるテレビでしか聞いたことがないし(笑)。そんな中での「マジ」とか「チョー」とかは、やっぱり似つかわしくない。

    これらが、私の中では、せっかくの舞台を「醒めさせてしまった」要因だ。

    とは言え、面白いのは確かだ。

    特に好きなシーンは、終わりに近いところで、父、母、長男の3人の台詞が火花を散らすシーンだ。
    息を飲んで観た。

    長男役の菅野貴夫さん、母親役のセザイミズキさんは、それまでは脇というか、押し殺したような位置づけだったのが、ここで一気に爆発する。
    それに対して、王のように振る舞っていた父役の鈴木光司さんがたじろぐ、という構図の見せ方がうまい。
    玉座のごとき父の椅子に座る長男、それを上手で見る父、彼らの間を、不安定に揺らぐ母という動きのある構図と台詞の構図。
    菅野貴夫さんの演じる長男の執拗な感じ、セザイミズキさんの母の静かな狂気がとてもいいのだ。

    ここだけ観たとしても、私は大満足したと思うぐらいだ。

    ラストの、登場人物それぞれの位置が、この家族のこれからを表しており、それは実のところ、彼らの本心でもあったというところが面白い。
    したたかだった長女は、やっぱりしたたかだった。

    長女役の直江里美さんは、お嬢様で、周囲のことは関係ないという立ち位置をうまく表現していて、ちょっとヤな感じなぐらいで、とても良かった。

    細かいことだけど、家族の会話を切断するように、使用人や音楽家たちが、向かい合って話している人の間をすり抜けるというのは、本来はあり得ないのだけど、それを演出として入れ込み、家族の会話を見せるというのは、スリリングであり、うまい、と言わざるを得なかった。

    このシリーズは、「01」というこなので、次回も楽しみだ。
    どんな作家を発掘してくれるのだろうか。


    (……当日、私の不手際で受付の方にご迷惑をお掛けしました。すみませんでした)
  • 満足度★★★★

    価値の置き方
    3時間もの長編舞台は初めてではないが、
    海外の古典だし、どんなものかと思っていた。

    全三幕、一幕後に中入り。

    特に中入り後の二幕、三幕は緊迫感があり、
    時間があっという間で見応えがあった。

    ネタバレBOX

    南部のアラバマ州バーデンで
    南北戦争後に財を成したハバード家。

    一代で今の地位を築くも、強引なやり口で
    街中から敬遠されている父、マーカス(鈴木浩司)。

    戦争後から心を病みつつ、
    黒人への教育を夢見る信心深い母、ラヴィニア(ヒザイミズキ)。

    父の右腕として会社を支えつつも、
    野望を秘めた野心家の長男、ベンジャミン(菅野貴夫)。

    黒人を襲って逮捕されかけたり、
    売春婦に熱を上げたりと思慮の浅い次男、オスカー(松井美宣)。

    父から溺愛されていることを利用しつつ、
    没落一家の将校との結婚を夢見る長女、レジーナ(直江里美)。

    彼らと関わる人々との駆け引きを描く。


    各々が自分の野望を叶えたいがために
    相手を巧みに利用しながら、出し抜こうとする。

    そんな様子だから決して誰もが相容れることはなく、
    好意を寄せる相手にも思いは伝わらず、
    すれ違っている様が何とも無常。

    「人は自分が信じたいと思うものを信じる」

    この台詞が表している世界観は
    今の世にも通じることだろう。

    だけど時代も違えば、国も状況も違うので、
    現代とのリンクはあまりないと感じだ。

    戯曲としては平田オリザ先生のように言うなら、
    母のラヴィニアという内部の存在が
    冒頭からの大半を「厄介者」で誰もが関わりたがらない、
    外部の存在のような扱いを受けているのに、
    終盤でマーカスの過去の罪を暴く証人であり、
    証拠も握っていると発覚すると、
    とたんに誰もが重要視して、
    すり寄る内部の存在に変わるのが面白い。

    母のラヴィニアの価値の置き方。

    妻として母としてぞんざいに扱った者ほど、
    変わった後の価値の反転が大きい。

    人や物事を一方からしか見ないために、
    他に持っていたり、普段隠れて見えない価値、魅力に
    気付かない虚しさを感じさせられた。

    役者としては、
    捉えようのない母、ラヴィニアを演じたヒザイミズキ、
    情けない次男オスカーを演じた松井美宣、
    オスカーが恋する売春婦ローレットを演じた長瀬みなみが印象的。
  • 満足度★★★

    その時代…
    が、上手く演出で出ていたかと思います。私的には役者に迫力が足りないな~とか思っていしまったがそれは人それぞれの捉え方。予習をして行かないといけなかったかなと思ってしまった。

  • 満足度★★★★★

    リリアン・ヘルマンいとをかし
    これは、サスペンスである。性格の悪い我利我利亡者の一家における出来事。家族の位置関係と微妙な心理描写を実力派の俳優陣が演じている。表面的にはシンプルなれど、非常に奥が深く、味わいがある。古典ながら、黒澤世莉氏が親しみやすく訳しており、観るものを飽きさせない。是非、観るべき作品。

  • 満足度★★★★★

    森 
    だんだんと、ひきこまれました。
    おもしろかったです。


    物販が、色とりどりできれいです。
    演技や演出や いろいろ が すごいと思いました。
    詳しくないのですいません

    ネタバレBOX

    第一幕(約50分)が、終わる前に、人物の関係が 頭の中で つながって、
    そして わくわくしました。



    いろいろな登場人物が いるのに、
    皆 それぞれ 魅力的な面を感じられたのが、
    不思議にも思えるような。



    おかーさんーーー
  • 満足度★★★★

    父と子の関係が・・・
    こういう海外翻訳劇をみせてくれることは本当に有り難い。
    そうでないと、おそらく一生知らないまま終わってしまうからだ。
    主宰も話していたが、新しいものでなくても、探せば世界にはいろいろと良い戯曲があるというのは同感である。文化も習慣もちがう他国の戯曲は日本のそれとは感覚的に違うので魅力的。ぜひ継続期待します。
    リリアン・ヘルマンの口の悪さ、会話の中に時々意味不明な台詞があるなど興味深いアフタートーク面白かった。
    さて肝心の舞台だが、父と子の関係があそこまでこじれるとは寂し過ぎます。

  • 満足度★★★★

    初リリアン・ヘルマン
    日本では知られざる世界の名作戯曲を発掘という企画は非常に面白いけど、何で今コレって気がしないでもない。

  • 満足度★★★★

    長さは感じさせない
    3時間という上演時間でしたが、それだけの長さを感じさせない、良く出来たお芝居でした。この台本を漫然とやってしまっては間違いなく退屈になるところを、本公演では役者さんたちのしっかりした演技、よく練られた演出により、最後まで飽きさせません。台詞を被せる箇所など、相当考えられたものかと推察します。
    良いものを観させて頂きました。

    ネタバレBOX

    初日レセプションというのは、良い企画だと思いました。演出家や役者の人と話ができる機会はなかなか無いものですから。
  • 満足度★★★★

    正攻法
    戯曲もリリアン・ヘルマンの古典。
    演技・演出も正攻法。

    正攻法の作品が好きな人にはお勧めできる。
    私個人としては、その点が物足りなく思えたが、それは趣向の問題なのかもしれない。

    と言っても、リリアン・ヘルマンの戯曲は素晴らしい。
    物語劇だが、その解釈は一義的ではなく、どのような解釈も可能な素晴らしい作品。

    今作は、演出家の黒澤世莉さんが翻訳もしていて、そういう意味でも、
    これが古典だから素晴らしいというだけではないのかもしれない。
    (小田島雄志訳など、他の人が訳したこの作品を、私は読んだことも、観たこともないので、実際のところはわからないが。)

    趣向の問題もあり、舞台の満足度は☆3の印象ですが、この戯曲は素晴らしいと思うので☆4にします。

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