森の別の場所 公演情報 時間堂「森の別の場所」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    時間堂&黒澤世莉さん、さすが、いい仕事するなぁ
    彼らが取り上げなければ、リリアン・ヘルマンって知ることがなかったかもしれない。

    とても面白い戯曲を、真っ向から見せてくれた。
    3時間という長時間も苦にならず、あっという間。


    正直、この料金は安い。

    ネタバレBOX

    演劇というものは、不思議なもので、何もない舞台がどこかの場所になったりする。
    役者も年齢や性別、あるいは生物の枠を超えて、普通の人がライオンのキングになったりすることもできる。
    ただし、それは観客がそれを感じることができて初めて成立するものなのだが。

    この戯曲の登場人物は、南北戦争後1800年代末のアメリカ人である。
    それは最初の台詞からわかる。
    (もちろん、当日配布していた資料にも書いてあるのだが)

    で、次々登場する人物たちが、「誰なのか」を観客は推測しながら観るわけだ。
    他の登場人物との関係は、とか、年齢とか。

    家族の関係は徐々にわかったので、次は年齢の設定だ。
    少しキャピキャピしている長女は10代の後半だろうか17、18?、すでに働いている長男は20代半ば25、26?、そして馬鹿そうに見える(笑)次男のしゃべり方は10代半ばぐらい15、16?、そして両親は40代半ばの45、46というところか、母親は若そうなので、ひょっとしたら後添えなのか、などとあたりを付けていたら、ことごとく外れていた。

    なんだろう、長女と次男は、いくらなんでも、設定よりも若い演技となっていないだろうか。16歳で従軍した、という時代において。
    いや、それぐらいに世間知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃんだ、ということなのかもしれないが。「ナントカ…なんだもーん」という長女の台詞(たぶんあったと思う)のような感じが。次男も、特に食事のシーンでの振る舞いは25歳には見えないのだ(まさか長女より年上だったとは! 笑)。

    役者は実年齢とは違う年齢を演じているのはわかるのだが、もっと早めに年齢を確定できないのだろうか。それは「何歳」という具体的な数字が知りたいのではなく、イメージとして確定したいのだ。特に母が長女と近いぐらいの年齢の見た目なのだが、実母であり、50代半ばというのは、後半、それもかなり進んだところでないとわからなかったからだ。
    それって「あえて年齢不詳にしている」のではないのだから、役を観客のイメージの中に、早めに安定して座らせてほしいということなのだ。
    こうした、じっくりと物語を見せる舞台ならば、なおのことそうしてほしい。

    そういう不安定要素もあったのだが、とにかくストーリーが面白い。

    ハバード家の家長は、王のように振るまい、子どもたちに利用され、裏切られていく。
    まるでリア王ではないか。

    親子の確執、現実を知らない、お坊ちゃん、お嬢ちゃんの身勝手な恋模様、ハバード家を取り巻く人々との関係など、豊かな物語が広がる。

    黒澤世莉さんがそれを丁寧に見せていく。
    役者もいい。

    ただし、水を差すような、醒めてしまうようなところもあるには、ある。

    例えば、没落家からお金を借りにやって来る娘は、なぜかコメディ的な味付けがされている。
    突拍子もない声を上げたり、動きも少し変。演奏会のときにメイクはホッペが真っ赤だ。おてもやんメークというか。
    没落して、本当に困ったとしても、ハバード家へ何の抵当もなくお金を借りに来る、というところで、確かに変人っぽい要素はあるのだろうが、やりすぎの感がある。
    没落したとはいえ、の、慇懃さのようなところがほしい。

    また、現代語をあえて入れているところに違和感を感じた。
    「チョー」とか「マジ」とか「ジコチュウ」とか、そんな言葉が連発されていた。
    娼婦のシーンでは彼女がそれらを連発する。そんな言葉づかいをしなくても、彼女の仕事や生き様を表現できたのではないだろうか。

    これって、1800年代のアメリカ南部の話ですよね。
    そこが崩れてしまったら、ストーリー自体も危うくなってしまう。
    確かに、アメリカの話だからと言って、1800年代の南部訛りで演技をされても、今の日本の観客が理解できないのは当然としても、また「話言葉」としての台詞は、今の言葉でなければ生きてこないだろうということも、なんとなく理解はできるのだけど、「チョー」とか「マジ」まで行ってしまうと、違和感を禁じ得ない。
    ほかの台詞とのバランスもあろう。
    確か「じっくりと検討してみよう」なんていう、翻訳モノっぽい台詞もあったように思うし。あと「ごきげんよう」なんていうのは、昼のライオンが出てくるテレビでしか聞いたことがないし(笑)。そんな中での「マジ」とか「チョー」とかは、やっぱり似つかわしくない。

    これらが、私の中では、せっかくの舞台を「醒めさせてしまった」要因だ。

    とは言え、面白いのは確かだ。

    特に好きなシーンは、終わりに近いところで、父、母、長男の3人の台詞が火花を散らすシーンだ。
    息を飲んで観た。

    長男役の菅野貴夫さん、母親役のセザイミズキさんは、それまでは脇というか、押し殺したような位置づけだったのが、ここで一気に爆発する。
    それに対して、王のように振る舞っていた父役の鈴木光司さんがたじろぐ、という構図の見せ方がうまい。
    玉座のごとき父の椅子に座る長男、それを上手で見る父、彼らの間を、不安定に揺らぐ母という動きのある構図と台詞の構図。
    菅野貴夫さんの演じる長男の執拗な感じ、セザイミズキさんの母の静かな狂気がとてもいいのだ。

    ここだけ観たとしても、私は大満足したと思うぐらいだ。

    ラストの、登場人物それぞれの位置が、この家族のこれからを表しており、それは実のところ、彼らの本心でもあったというところが面白い。
    したたかだった長女は、やっぱりしたたかだった。

    長女役の直江里美さんは、お嬢様で、周囲のことは関係ないという立ち位置をうまく表現していて、ちょっとヤな感じなぐらいで、とても良かった。

    細かいことだけど、家族の会話を切断するように、使用人や音楽家たちが、向かい合って話している人の間をすり抜けるというのは、本来はあり得ないのだけど、それを演出として入れ込み、家族の会話を見せるというのは、スリリングであり、うまい、と言わざるを得なかった。

    このシリーズは、「01」というこなので、次回も楽しみだ。
    どんな作家を発掘してくれるのだろうか。


    (……当日、私の不手際で受付の方にご迷惑をお掛けしました。すみませんでした)

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    2013/11/09 05:14

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