紅小僧 公演情報 紅小僧」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-16件 / 16件中
  • 満足度★★★★★

    感情を揺さぶる熱さがある
    桟敷童子は好きな劇団。いつも間違いなく面白い。
    泥臭くって情念溢れる舞台は、古いタイプの演劇かもしれない。
    しかし、彼らには感情を揺さぶる熱さがある。
    今回も面白い。

    この日の朝にも朝ドラで見た、近藤正臣さんをスズナリで観られるとは思ってもみなかった。しかも、桟敷童子の舞台で。

    ネタバレBOX

    今まで何度も書いているが、客入れ、座席の案内まで劇団員が総出で行う。
    劇団内でトップの位置づけにいる役者さんたちも同じように行う。
    しかも、彼らの接客態度も熱くて、丁寧で気持ちがいい。
    そして、すぐ本番というのが凄いな、といつも思う。

    近藤正臣さんが客演。
    スズナリのサイズで近藤さんが観られるのは驚きだ。

    近藤さんは、神に捧げる木偶マラ、つまり木彫りの男性シンボルを作る男の役(!)。
    スマートな印象の近藤さんとは、桟敷童子の舞台は一見不釣り合いのようだが、物語の大事な役柄にぴたりとはまっていた。
    土から出てきたような、桟敷童子の役者さんたちとはやはり少し違うのだが、まったく違和感は感じず、うまいな、と思わざるを得ない。
    もちろん、彼をうまく中心に据えて、ある意味脇に徹した演技の、劇団の役者さんたちもうまいということだ。

    いつもは倉庫を改造したすみだパークスタジオ倉という会場で上演していて、彼らは自分たちでセットも組んでいる。そのセットがいつも凄いのだ。スペクタクルが必ずある。
    そして今回、スズナリという、さほど大きくない劇場を見事に使っていた。この感じは初めて出はないか。場面展開の切り替えも見事。もちろんすべて役者さんたちが、裏に回ってやっている。渾身の演技をしたあと、すぐに裏に回って、装置を動かすということをしているのだ。

    シベリア出兵が終わって、また戦争の風が吹こうとしている時代。
    山の神は女で、色事が好き。
    村人は、山の神に連れて行かれないため、つまり神隠しに遭わないために、夜這いの儀式でまぐ会い、それを山の神に捧げる。
    山の神(異界)との境界には、木偶マラ、つまり木彫りのアレが置かれ、山の神を鎮める。
    戻ることは「不吉」である。
    戻らないことが当たり前。
    九州のどこかの村、方言の響きが心地良い。

    紅(くれない)の言葉遊びなどがアングラ感を増す。

    最初の台詞からラストの紅葉は読めていたが、それでも紅葉の山に沈んでいく、紅小僧の姿は美しい。

    豆蜻蛉役の大手忍さんが美しくも哀しい。近藤さんとのラストには泣かされた。
    また、食事のシーンと押しくらまんじゅうのシーンにはグッときた。

    今回も、もりちえさん作の劇中歌が良かった。
  • 満足度★★★★

    裏切らない
    だが残念ながら元々ハードルを高くしてるので期待以上でもない。ラストも(やはり劇場のせいもあるのか)いつもほど感動的な美術ではなく、今が秋でければさてどんな美術だったのだろうなどと思った。小さい劇場だから可能な美術かもしれないがもっと大きな劇場ならどんな仕掛けを施すのか是非見たいもの、本多に進出してほしい。最近の板垣の役どころ(年相応なのかもしれないが)が不満も大手など若手の成長もありますます劇団力が強くなっている。

  • 満足度★★★★

    人間。
    美しさと残酷さと薄気味悪さと。見応えがありました。

    ネタバレBOX

    ちょっと席に恵まれなくて、たくさん書くと愚痴ばかりになってしまいそうだから、多くは書かないことにしました。作品は面白かったと思います。
  • 満足度★★★★★

    心置きなく「感動」と言える
    劇団として集団の 息の合った呼吸  磨き抜かれた集団劇

    一見当たり前に思えるが、今劇団が集団で舞台を作る事の方が無くなって

    居る中で、ここは、集団だから出せる強みを思いっきり出して居た。

    素晴らしい。

    客演も殆んどなく、劇団に電話が通じる劇団は、今では珍しい事になってしまったのが、非常に残念な中、ここは未だに、舞台を愛してやまない集団として生き残って居る。

    劇団として残って居るだけでも、お宝ものだと、観て居て感じられる。

    近藤正臣さんが、出るという事で「客寄せ」かと、思って居たがそれは、私の勘違い。

    近藤さんは、この劇団の団員の様に、溶け込み、ここでの要として存在していました。芸能人に対する思い込みは、辞めようとこれを見て、良く解りました。


    「不吉」とか、「神様のおっしゃられる通りに」っと言う、基準で生活している姿は、一見嘘くさいと思いがちだし、この舞台のセットが、過激なので見過ごしている人は、多いと思う。

    良く考えてみると、「教わって居ない」「誰も解らない」っと言う事は、神の事として、捉える事しか出来なかったのだろうっと、言うメッセージが込められているように、感じました。

    ネタバレBOX

    夫婦の間の子供は、始末して
    夫婦で無い子供は、取り上げる

    なかなか、今の生活をしていると真反対の事柄であり、想像もし難い話ではありますが、シェイクスピアの世界でも、双子は「不吉」として、始末されて居ます。

    そんな意味では、この舞台は、「村の食い分」っと言う言い方で、人間を間引いているのですが、これも昔には良くある話で、出来そこないの子供は、捨てて居た事を考えれば、

    かつて、この国でもやって居た事なのだ

    っと、思えてくる。

    観て居て、おぞましい姿があふれて居ました。
    「おらは、乞食だから、喰えるだけましだ」
    「子供の産めない体の筈が、血が急に出て来た」

    「神隠しに会った人が、帰って来ても迎えてはならない」
    「神隠しの人間を呼んでは、イケない」

    村人の多くは、脅えながら生きながらえて居る姿が、良かった。

    この舞台は、テレビや映画では、伝えきれない

    何とも言えない、観ないと言い切れない、イイ物がある。

    本当に、観て良かった。

    今後、期待しすぎてしまいそうな気がしてならない。

  • 満足度★★★★

    圧巻
    始まりから終わりまで常に目が離せなかった。
    役者の熱もさることながら、舞台装飾がかなり派手。
    見ていたら、興奮して汗かいちゃいました。

  • 満足度★★★★★

    無題910(13-339)
    13:00の回(快晴)。12:15会場着、受付、12:30開場(指定席が先)。前列2列のベンチシートが自由席、A~Iが指定席。もちろん自由席。目の前に迫る舞台、雑木林が左右の壁を覆っている。組まれた木片の頭に付いているのは、ムンクの叫びのような「像」。風の音が鳴っている。13:00前説、開演~14:49終演。この場所で今までのような大きな物語ができるのか...そんな心配は開演とともに吹き飛んでしまいました。

    ネタバレBOX

    世界が拡がれば結界は狭まる、固有の約束事「俗」は弱まる、記憶は薄れ、形あるモノだけが痕跡を残す。地に沈む赤い小僧、空を真っ赤に染め抜く紅葉は明日の予感。おとことおんな、おやとこ。分厚い手の感覚、見えないモノへの畏れ、聖なるものへの畏敬。

    私がこの劇団をみるようになったのは「泳ぐ機関車」からで、まだ3作目。
  • 満足度★★★★★

    綺麗でした
    あいかわらずの舞台美術の素晴らしさでした。

    ベタなところはベタで、基本は真面目で、ときどきひょろりとギャグ台詞。
    いつもどことなく達観しているというか飄々としているというか、でも熱いよなあ。


    昭和じゃない話もたまには見てみたいですが、昭和だからこそいいのかな。

    ネタバレBOX

    デクマラには最初引きました。
    でも終盤近くで「あったかい」というようなことをデクマラを撫でながらマメカゲロウが言ったシーンで、引いていたぶんにいろんなものが足されて、マイナスがプラスになった。

    あれ、物を作ってる人は女神みたいな聖女みたいな人にあんなふうに言われたら、もうそれだけで救われて「ありがてぇ」って思うよねって思ってしまった。

    芝居のなかで、私の目に見えたのはお山の紅葉。
    私が心で見たのは不吉の虹。

    世の中にはとても綺麗なものがある。不吉であろうとなかろうと。

    「なんて綺麗なんだろう」「なんて美しいのだろう」「なんて……」
    というそのひとことを、舞台上の目視できる部分だけではなく、役者さんの一言、視線の先に幻視させてくれて、切り取って差しだしてくれる脚本と役者さんに惹かれます。

    気持ちの周波数が合うのかな。私も昭和だから??

    また次も楽しみにしてます。

  • 満足度★★★★★

    前作との共通点と対称性
    この劇団は前作「風撃ち」に続き2作目の観劇。観劇中はただただ物語と役者の熱演に引き込まれ楽しむことができた。そしてあの鮮烈なラストシーンの余韻とともに振り返って思うのは前作との共通点と対称性である。

    ネタバレBOX

    季節は前作が桜舞い散る春で今回は紅葉が紅く燃える秋、舞台は前作が絶海の孤島で今回は山奥の部落、という真逆のコントラストの中で、閉鎖社会での外来者(よそ者)との対立が共通のモチーフになっているようだ。紹介には無かったが今回の作品は「風撃ち」とは一対の(あるいは一連の)作品に違いない、と確信した。
    互いが協力し合わなければ生きていけないような小さな共同体でも人間同士は些細な利害の差で対立してしまい仲良く生きていくことができない。これは現代の複雑な社会においても、家族、親戚、職場、サークル、会社、町内、隣町、近県、隣国、異人種、諸外国などいろんな単位でさまざまな利害による対立が起きていることに置き換えることができる。しかしこれらの対立は大自然(異界)の前ではいかにちっぽけで些細なことであるか、を思い知らされる。文明がいかに進歩し、いかなる利器を手に入れようとも、結局大自然の前では無力であり、人間同士は和解し理解し合って共生していくしか生きる術がない、ということに気づかされる。
    今思えば、2つの作品は共通して以上のようなことを訴えているのではないか、と勝手に感じている次第です。
  • 満足度★★★★★

    スペクタクル感はトーンダウン・・
    開演間も無くして先ず、すみだパークスタジオ倉での公演を2回観た後(「泳ぐ機関車」、「風撃ち」)でのザ・スズナリは舞台が手狭な印象。
    部落社会を舞台に因習を扱った物語なので、一元論的展開には観ていて閉塞感めいたモヤモヤしたものを少し感じたが、・・・・。
    やっぱり面白い(*^-゚)v

  • 満足度★★★★★

    今年一番きれいな秋
    風撃ちと数えて2回目。
    しかし、親を失った日に見るものではなかった。
    親を失ったというか実質、絶縁になった日。

    わかりあえない親とはもう一生わかりあえないのだと
    ボケとの戦いの始まりを見た。

    ネタバレBOX

    愛するものとの別れのシーンでは
    そんな日だったのですすり上げるほど劇泣したが、
    全体で言えば風撃ちと似ているところが
    多く、前回ほどの衝撃はなかった。

    どうやらいつも「民話」「土着的因習」「風」が
    モチーフになっているようですね。(前回との比較のみ)

    声高かに「怪しい」「危ない」「不吉」という言葉を叫ぶことで
    自分たちの主張が正しいとする一般市民群の動向は
    まずもって今の世の中と同じであって、
    日本人的な因習が今も変わらないことを示していた。

    正直、あのシンボル像はいらない気がした。
    別の劇団でも同じようなことをしていたのを見たので。
    話と迫力で押せる桟敷童子が、そんな賑やかしみたいなことを
    やらなくてもいいんじゃないでしょうか。

  • 満足度★★★

    見てきた
    前回の 「風撃ち」 に続いて 桟敷童子二回目の観劇。  
    正直、 ちょっと期待ハズレでした。  

    役者さんたちの熱演はすばらしいのですが、 やはりお芝居の良し悪しは 本で決まるのかな~ってかんじです。 

    ただ、 舞台美術は 本当にすばらしいと思います!
    オレが知ってるかぎり、 この劇団以上のものは ないですね~

    ネタバレBOX

    まず、 始まってすぐに 木彫りの物体が登場するのですが、 それは なんと男性器を模したもの…。   気がつくと、 舞台の前方には あちこちに それ が… 。。  
    ちょっとショックでした。  そして その時点で、なんかゲンナリしてしまいました。  
    その後も  それ は何度も登場するし、 男女の交わりの話が多くて、 なんともなんとも。。。  
     
    ここのレビューでは、大手忍さんが 絶賛されてますが、  オレには ? です。。   それほど素晴らしいとは思えませんでした。  ただ今回、 彼女は 上半身裸で登場するシーンがあります。   それには驚きましたし、 覚悟というか、 女優魂みたいなものを感じました。。
    でも、冷静に考えると、  あの場面で裸になる必要あったのか? って思っちゃいます。
    なんだか  辛口な 評価になっていますが、   舞台美術は  本当に 本当にすばらしく、  あの ラストの 真っ赤な 燃えるような もみじを見れただけでも、  観劇して 良かったと思っています。
  • 満足度★★★★★

    でくでく
    客入れ時はまったく舞台が見えず始まってビックリ!!!へぇ~~ひょえ~~!!面白かった。生きる!って大変なことなんだ。で、どこが現実で何が真実なのかなんてどーでも良くなった。楽しい。

  • 満足度★★★★★

    泣く
    後半ずっと泣きそうなのを我慢していたら最後の素晴らしすぎる演出に号泣です。
    すごい、桟敷童子。
    なんだか気持ちがいいです。

  • 満足度★★★★★

    現代を逆照射!?
    昭和初期、前近代的な信仰の残る村社会で起こる、集団と排除の物語。

    過去を描いた物語なれど、現在を逆照射している。

    かつて村社会にあった信仰のようなものは、
    現代にも形を変えて残り続けていると強く感じた。

    それが、集団の暴力、ファシズムの根底だ。

    役者さんたちが皆素晴らしかったが、
    特に大手忍さんの演技が凄かった。

    ネタバレBOX

    戦争によって人は消え、村社会の秩序を乱すものは消える(場合によっては消される)。そして、すべての不都合は「神隠し」とされる。

    その嘘(幻想)を信じることで、村社会の秩序は維持される。
    そこをどう突き崩すのか、、、、。

    〈異界より迷い出た娘〉が排除されそうになった時、
    その娘を妻だと思っている〈村外れに住む老人〉とその息子〈山上業師〉は、
    娘(妻?・母?)を守ろうとし、
    娘と同様に排除されかけていた〈隣村の男〉や、村の中の外部者〈村の女乞食〉もそれに加わる。
    更に、男の強さを持たない青年〈進〉や村の女たちも、次々とその娘を守る側に付く。

    村社会に巣くう男の権力に、排除される者や力を持たぬ者が集まることで、それに対抗するということだろう。

    こう書くと、陳腐なプロレタリア演劇のようだが、
    そんな単純な話でもない。

    結局、ハッピーエンドでは終わらない。
    弱き者がいくら村社会の、男の論理に対峙しようとしたところで、勝てるわけではない。

    娘は、自ら異界(山)に戻っていく。

    そして、最後に息子?(もしくは、異父兄?)に「生きろ」という。
    (夫?(父?)には、「私の名前を呼んで?」という。)

    こんな現実の中で、それでも生きていかなくてはいけないということだろう。


    そもそも異界とは何を意味しているのか?
    単純な物語のようで、多様な解釈ができる。
    なんとも不思議な作品。
  • 満足度★★★★★

    スペクタクル民俗伝承ファンタジー♪♪
    ”ムラ社会”を舞台にした濃密で幻想的な世界に今回も最後まで惹き付けられました。スズナリというけっして充分とは言えないスペースで、これだけ大掛かりな仕掛けを組めるのは圧巻。ラストシーンはとても荘厳で美しかった。

    上演時間約1時間45分。次回公演もぜひ観てみたい。

  • 満足度★★★★

    不吉
    面白い。

    ネタバレBOX

    昭和初期の古い風習の残る村。山神に神隠しされると恐れる村人たち。そこに、長吉(近藤正臣)の妻で、山神業師・彦助(池下重大)の母であるカゲヨに似た娘・豆蜻蛉(大手忍)が突如現れる。神隠しにあったカゲヨが帰ってきたことを不吉と不安がり追い出そうとする村人たちに立ち向かう長吉と彦助。豆蜻蛉を山(異界)に返し、山が燃え、村の呪縛は解かれ、豆蜻蛉は紅小僧となった。

    方言でかつしゃべりが早くて聞き取りにくいとこもあって、設定がきちんと飲み込めなかったけど、やはりのめり込める。帰ってくる(戻ってくる)ことを不吉と恐れる村人らは、老婆(鈴木めぐみ)が言ってたように、人間失ってくのが自然だということの裏返しなのかなと思った。

    長吉に連れられ、異界に戻る豆蜻蛉のシーンは、いい演出効果。笑顔で去っていく豆蜻蛉と、失った空気の長吉(と笑顔の村人)を包み込む、燃えるような紅葉が美しい。

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