公演情報
「ある夜をめぐって」の観てきた!クチコミ一覧
実演鑑賞
満足度★★★★
鈴木アツト氏による評伝劇シリーズVOL.1が本作「エーリヒ・ケストナー」であった。コロナ一年目、映像配信で観る事が出来たが、上演した劇場が今回と同じ駅前劇場であった。この初演で書いたレビューを今読み返すと、中々明快な感想を書いている。今回はあの感度をもって鑑賞する事が能わず、寄る年波を実感したりもしたが、しかし初演舞台で自分が着目した焦点は、その場面が迫るにつれ思い出され、凝視していた。即ち劇終盤、第二次大戦最末期のドイツ領オーストリアの山間にナチス政権下で活動していた映画人らがロケを口実に、実は亡命のために集まって来ている中で、エーリヒとリーフェンシュタールが対面し、闘わす激しい対話の場面である。
エーリヒはナチス政権下で亡命しない事を選び、と言って執筆も禁じられていたが、彼の窮状を見かねた旧友の映画人(映画監督とプロデューサー)から「ホラ男爵の冒険」の脚本依頼を受け、苦悶しながらも書きたい衝動に抗えず書き、ただし自分なりの抵抗の台詞を書き込んだ、という事があった。一方リーフェンシュタールはベルリン五輪を映画化した「国民の祭典」でその才能を証明し、ナチスの下で国民を称揚し熱狂させる映画を撮った、とされる。
風雲急を告げる状況で、彼女は映画人らに自分も仲間に入れてほしいとやって来たのだ。だが映画人らは彼女をナチス協力という点においては別格だとして、要求を退けた。そこへ顔を出したのがエーリヒ(実際にそういう場面が歴史上あったのかは判らない)。
彼女は、同じ穴の狢と言える他の映画人からハブンチョを食らったが、著名人であるエーリヒに助けを求めたいのか挑みたいのか判らない感情の中から、「貴方もナチスに協力した」と言う。「私だけじゃないはずだ」という思いを、彼に向けて発するのである。
エーリヒがこのやり取りの中で苦悩の表情を見せる、そこが本作の最大の注目ポイントである。(少し丁寧にやはりここは記しておきたいので、また後刻。)
実演鑑賞
満足度★★★★★
「エーリヒ・ケストナー~消された名前~」についてコメントします。非常に質が高かったです。終演後のアフタートークで演出家がおっしゃったとおり、ナチス・ドイツは現代社会において絶対悪です。具体的には称えることを法律で取り締まっている例もあります。ではこの恐ろしい体制を支えた民衆は「悪」だったのでしょうか。これはハッキリしない命題です。なぜなら、ナチス=システムと闘うことは何かを犠牲にすることを強いたからです。私たちには幸福追求権があります。その枠内で、能力を活かした個々の営みを頭ごなしに否定するべきではない。当時の、排外主義が台頭する段階において、弁護士などの資格職に就くことの多かったユダヤ人が資本を蓄積し、労働者階級をコントロールする側に回っていたことは事実でしょう。政治不満は実体を伴っていました。こうした構造格差において庶民の拠り所とした勢力が「人種決定論」を叫び国政を牛耳ったナチスだったのです。門を叩き党員証を受け取れば暮らし向きが良くなります。一党制を掲げるナチスでは党活動と政府が通じており、私生活も優遇される可能性が跳ね上がったからです。
働き口を拡張する動機付けを自己中心的だと我々の視点から断じることはできるのでしょうか。では、それが貧しさに喘ぐ仲間に果実を分け与える目的も兼ねていたらどうでしょうか。舞台を観ていた私は、妥協し国策映画の脚本を書くようケスナーを口説く体制側に共感していました。頑なに申し出を断るケスナーに苛立ちを覚えたほどです。こういう集積がナチスの権力を補い全体を破滅に追い込んだわけですから、やはり「地獄への道は善意で舗装されている」のです。
先日、『新 映像の世紀』(NHK)を観る機会がありました。宣伝省を立ち上げ、世論を特定目標に誘導する過程に関わったゲッペルスが主題でした。番組では同時代における米国が「正義の自由」として描かれますが、私はそうは思いません。なぜなら、初期ナチスを経済的に潤わせていたのが、フォードなど米国産業界だったからです。人種の登録を義務付け、行政サービスを区別する徹底した人種隔離政策も米国から見習っています。だからこそ、英米などアングロ・サクソンの捕虜に対してはむやみやたらに傷つけることなく戦時国際法を遵守したのです。
翻って今日、白人属性の被害を誇張する共和党も、「アイデンティティ政治」と称し属性で分類する民主党も、悲劇を再生産しうる地政学的リスクを抱えています。(欧州では人種分類法を禁じています。その例外が、社会衛生学としてのナチスのモデルとなった北欧諸国です)
実演鑑賞
満足度★★★★★
「壊れたガラス」観劇。アーサー・ミラーの名作ですが、未見で中身も知らない状態にもかかわらず、ぐぐっとシビれました。ユダヤ人のアイデンティティがテーマなんでしょうが、サイコミステリー風のストーリー展開に引き込まれます。役者さん達のクールな熱演にも感服。
実演鑑賞
満足度★★★★
「壊れたガラス」先のリーディング公演の
舞台化だそうで2作同時の公演舞台であり
特に変更無しの挾み舞台セットです
ベッドと車椅子が印象的な舞台美術にて
一組の夫婦が辿る人生を垣間見る作品
2時間15分の長丁場
緊張感続きまくっていたなぁと 感想
実演鑑賞
満足度★★★★★
「エーリヒ・ケストナー~消された名前~」
劇団印象さん初演からの再演になるのかな
挾み舞台であり
客席に挟まれた細長の舞台に小道具を配し
場面転換の薄明時に小道具の入れ替え等し
全6場の幕間は段々と響きの強くなる
軍靴とヒトラーの演説で社会的な不安感を
巧く醸していた2時間の作品
服装なども当時のらしさとか
上手く出していたなぁとも
実演鑑賞
満足度★★★★
『壊れたガラス』
この演出家は要チェックだと思う。名取事務所の作品が好きな人は観ておくべき。配役がズバリで役者全員魅力的、照明への過剰な拘り、効果音の入れ方も繊細。チェロ奏者の中田鉄平氏が生演奏。ある台詞を切っ掛けに演奏が始まったり、作品と生々しく連動し空間を濃密に染め上げる。
1994年初演、アーサー・ミラー78歳、晩年の代表作とされている。
水晶の夜=クリスタル・ナハト。あぶらだこの「クリスタル・ナハト」を思い出す人も多いのでは。家族がドイツから追放され難民キャンプ生活となった17歳のポーランド系ユダヤ人青年がパリのドイツ大使館員を射殺。これをいい機会とヨーゼフ・ゲッベルスはユダヤ人社会への実力行使をナチ党員に扇動。1938年11月9日、10日にナチスの統治するドイツ、オーストリア、チェコスロバキアでユダヤ人に対する大規模な集団暴力行為が発生。267のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が破壊され、ユダヤ人の経営する7500軒の商店のショーウィンドウが叩き壊された。割れたガラスが国中の道路を埋め尽くし、月に照らされて煌めく。
1938年11月、ニューヨークのブルックリン、裕福なユダヤ系アメリカ人夫妻。息子は米国陸軍士官学校に入学していてここにはいない。
新聞にドイツのユダヤ人弾圧の記事。薄着のユダヤ人の老人達が歯ブラシで道路を磨かされている。這いつくばって。それを囲み嘲笑する群衆は厚手の外套をまとっている。彼等の罵声が確かに聴こえた。佐乃美千子さんは突然下半身が麻痺してしまう。原因不明の車椅子生活。夫の井上裕朗(ひろお)氏は医師の大原研二氏に紹介されて診察を受けさせる。医師の妻であり、秘書の岡本易代さんがお喋りで笑い上戸、爆発的に場を盛り上げる。医師は肉体的には何処にも異常が見当たらなかったと伝え心因的なものではないかと推測する。心当たりはないか?
井上裕朗氏は住宅ローンブローカー会社のNo.2にまで上り詰めている。WASP(英国系白人上流階級)の仲間入りをユダヤ人である自分が果たした自負。息子もウエストポイントの唯一のユダヤ人だと誇る。だが本当はユダヤ人であることが嫌で自分自身のことも嫌っていて鏡も見ない。自己否定と繰り返す劣等感の補償行為。
井上裕朗氏は後期氷室京介や梶原善、板尾創路を思わせる。とにかく熱演。会話の畳み掛けるスピード感。声がまた良い。妻を愛し崇拝し、それと同時に自分への当てつけで歩けない振りをしてるんじゃないかと疑う。妻の佐乃美千子さんは適役。その妹、豊田可奈子さんもしっくり来た。医師の大原研二氏も巧い。人間性が透けて見える。その妻の岡本易代さんも凄腕。柳原可奈子の爆発力。登場するだけで場の空気が盛り上がる。会長、ひのあらた氏も文句なし。宝田明みたいにダンディ。
実演鑑賞
満足度★★★
『エーリヒ・ケストナー~消された名前~』
秀逸な脚本。劇団印象の「国家権力に翻弄される芸術家」シリーズは本当に出来が良い。子供の頃は抵抗することこそが美徳だと単純に信じ込んだが、それもどうも違うらしいと判ってきた。美しく死んでも仕方ない。この世界は生者のものだ。生き続けることだけが意味のある抵抗。
ロッテ役櫻井成美さんの体調不良による降板の為、二本同時公演のもう一作、『壊れたガラス』に出演する豊田可奈子さんが急遽代役に。本番まで十日もない中、これを引き受ける強さ。純真な中学生時代から演じるルイーゼロッテ・エンデルレ。豊田さんは『ミセスフィクションズのメリークリスマス(仮)』のブルジョワ女優だった!
太ったタイヤ屋ヴェルナー・ブーレ役、ちょびつき雨宮氏は芦澤竜誠っぽい。もっと派手に太っていた方がキャラに合ったろう。妙に勘が良いと思ったら本物の芸人だった。ムードメーカー。
俳優ハンス・オットー役、林大樹氏は原嘉孝っぽい。長身で骨張りドイツ人っぽくも見える。佐藤弘樹氏にも似てる。
パンの売り子、エーバーハルト・シュミットは森山能(のりと)氏。名シーンがある。
美人ダンサー、レニ・リーフェンシュタールは佐乃美千子さん。
主人公の児童文学作家エーリヒ・ケストナーは渡邊りょう氏。どんな役を振ってもきっちり期待に応えてみせる安心感。ケストナーは『飛ぶ教室』を子供の頃に読んだ記憶があるが全く覚えていない。『動物会議』はこまつ座の『どうぶつ会議』として観た。
MVPは挿絵画家のヴァルター・トリアー役、大窪晶氏。もの凄い雰囲気。亡くなるまでケストナーの全ての作品の表紙と挿絵を任されたユダヤ人。文鎮のように作品の要所を締める。
ナチスの興亡と共に同時代の者達の運命も濁流に飲まれた木の葉のように浮き沈み。全てが終わった後でなら幾らでもしたり顔で宣うことは出来よう。だが溺れまいと必死に流されている最中、何が出来たか?
実演鑑賞
満足度★★★★
「壊れたガラス」
初めて観たアーサー・ミラーの作だが、リアリティを感じにくい作品と思った。原作が悪いのか翻訳台本が悪いのか。セールスマンの死の劣化コピーという印象。難解というのとは違い、深みが感じられない。意味ありげのそれらしいセリフはたくさんあるが、核心の周りを無駄にグルグル廻るだけで突然話が飛んでしまい、深まらない。登場人物たちの言動も稚拙で、突然キレて怒りだしたり急に無関係な話に変わって明るくなったりと、感情の動きにリアリティを感じられない。医者も治療中にえらく個人的なことをやるものだ。
「エーリッヒ・ケストナー~消された名前~」
日本人作家が、ナチズム時代のドイツを舞台に実在の人物たちを描いているが、非常に優れた戯曲。ナチス台頭前から終戦までのドイツ社会の変化と登場人物たちの変化を緊密に描いた台本で、演出もそれを活かしている。登場人物たちの感情や心理の動きは単純ではないが自然なので、俳優たちの演技もリアルに見える。客席が舞台を挟む構造は、時に手が届くほどに俳優と観客を近づけ、演技を間近で堪能できる。俳優たちの演技はいずれも優れ、特にケストナー役とロッテ役は最高に素晴らしい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
原作はアーサー・ミラー。翻訳が、さこうみちこさん。「~消された名前~」同様、体面客席に挟まれた空間を板として用いる。劇場入口側にベッド、その対面に椅子等。華5つ☆追記後送
実演鑑賞
満足度★★★★★
先ずは「エーリッヒ・ケストナー~消された名前~」から。戦争が間近な現在の日本。ハッキリ道筋がヴィジョンとして観える人は未だ少ない。必見の作品。華5つ☆。追記後送
実演鑑賞
満足度★★★★
「壊れたガラス」観劇。
アーサー・ミラーの有名戯曲ということもあり、重厚な題材と構成が印象的でした。
キャストの演技は非常に素晴らしく、人物の内面を丁寧に立ち上げていた点が強く心に残ります。
変わりゆく世界や社会の分断を背景にした物語は、今の時代にも通じるものがあると感じました。
ただ、個人的には作品世界にすっと入り込めたかというと少し距離を感じる部分もありましたが、観終わったあとに色々と考えさせられる舞台でした。
実演鑑賞
満足度★★★★★
「エーリヒ・ケストナー~消された名前~」観劇。
脚本、キャストともにとても素晴らしかったです。
序盤は時代背景に合わせて、まだ明るく笑える場面もありますが、物語が進むにつれて空気は次第に重くなっていきます。
表現者として何を選び、何を守るのか。
第一次世界大戦後のドイツを描きながらも、現代にも通じる問いを突きつけてくる、見応え十分の舞台でした。
実演鑑賞
満足度★★★★★
両作品、観てきました。役者さんのレベルも高く遊び心無しのガチ勝負と言ったところですね。最初から最後まで目が離せませんでした。「パンケーキの会」は初見でしたが思った通り素晴らしかったですね。今後の活動も見逃せませんね。
実演鑑賞
満足度★★★★★
パンケーキの会初観劇がcafe音倉での「壊れたガラス」リーディング。古典に属する作家の戯曲発見の喜びと共に記憶に残っていたので、これを再度取り上げるという事で楽しみに出かけた。緊迫の時間を作ったリーディングが、今度はストレートプレイとして駅前劇場にて立体化(2演目をやるというから両作品共リーディングか?とも想像していた)。舞台化によって緩まるどころか、スケール感も大きくなり休憩無し2時間超えにして緻密に構築された舞台となっていた。
この濃密さは昨年末同じ駅前で上演された「Downstate」を思い出させたが(これは読売演劇賞優秀作品賞ほかの賞を獲るに至り、我が意を得たりだった)、何十年前の戯曲、しかも当時の世相にコミットした時代性の強い作品が、現在を仄かに示唆する力を持ち得る事に感慨を禁じ得ない(劇評家が書きそうな文言で申訳無し)。
本作はナチスドイツが台頭する時代背景があり、アメリカのとある町では遠い場所の出来事となっている。主軸はある夫婦を襲った健康上の問題(夫人の足に麻痺が起きた)であり、夫はユダヤ人。彼らを取り巻くのがその治療に当たる医師(夫の知人でもあるユダヤ人医師)、その妻、夫人の妹、夫が勤める不動産屋の上司(=社長)で、ドラマの縦軸が治療の過程、それも精神的な、という事もあって、人間の内部へと分け入って行く。その過程で登場人物らの実像も場面を重ねるごとに見えて来る面白さ、感動がある。人物全て、不明な状態からまるで人が知り合って行く過程を経験するかのようであり、彼らは決して観客を裏切る事なくストレートに真実の姿へ近づいて行く(ドラマを盛り上げる都合のための言動が皆無であり必然性がある、と思わされる)。
戯曲の力と共に、俳優の造形力にも圧倒される。全てが噛み合って舞台という仮初の場に「確かに存在した」人間の時間を精巧に具現させた事への感動は、演劇の最も上質な部類の感動である事を再認識させる。ベタ褒めである。
実演鑑賞
満足度★★★★★
「エーリヒ・ケストナー~消された名前~」観ました。劇団印象での初演から2度目の観劇。正直初演との演出の違いは分かりませんが、やはりグッとくる名作ですね。また観ることが出来てよかった。現在の日本も何やらきな臭い状況なので、余計に身に沁みます。