ねぼすけさん 公演情報 ねぼすけさん」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★

    家が破産しても,みんなでカラオケ大会できるおバカ集団
    台風が来ている中,『ねぼすけさん』をサンモールスタジオ(新宿)で観た。この作品は,とても良くできている。主人公の,キナコは,実は,もともと未来から来た旦那と,その事実を知らずに結婚していた。だから,未来から来た彼が,あれこれコントロール(超能力で)することによって,キナコのまわりでは,かなり不思議な現象が,日々起きるのである。

    作・演出の佐々木充郭は,的確に,昭和30年代の世界を再現していた。あの時代には,空き巣は入り放題だった。押し売りは,どこか哀愁のあるものだった。キナコのまわりには,ほかにも,個性的なキャラクターが光る。息子の担任の先生は,少しヒステリーだ。彼女は,キナコの家族のようにノー天気で生きていけるひとたちがどうしても理解できないのだ。

    劇団14歳では,『山に登る』で,佐々木充郭は演出をしている。非常用の缶詰が,どうしてもあかない場面で,たいへん大げさに振る舞うのだ。今回の『ねぼすけさん』の出演者は,そのほとんどが,オーバー・アクションの連続。たとえば,額をテーブルに本気でぶつけるなど,ケガでもしそうなテンションだった。でも,こればかりというわけでもなく,劇は,きわめてまじめに展開。

    『ねぼすけさん』は,第17回劇作家協会新人戯曲賞入選作である。多くの審査員をうならせた理由には,一度だけさらっと観ると気がつかないようなトリックがあるはずだ。過去の有名文芸作品やら,名映画から,ちょこちょこ聞いたことのあるような名前が浮かんでは,消えていく。やはり,『ねぼすけさん』は,相当手のこんだつくりになっているようだ。

    この劇団は,人形を使う。このために,どのようにあやつり人形が出てきたり,あるいは,被りものの猫が演じるのか,ずっと気になっていた。ほかの作品はまだ一度も観たことがないが,少なくとも『ねぼすけさん』出演の人形猫は,どこか親近感のある楽しい存在だった。人形猫と,被り物猫が会話していると,アルツハイマー気味の老人が,なぜか会話に参加している(SF劇らしい)。

    さて,『ねぼすけさん』を観おわって何を感じるか。ドタバタ会話の中にある,人間の世界など,きっと破滅に向かっている・・・という深みのある意見に共感するのか。あるいは,何度もくりかえされる,キナコ家族は,家が破産しても,みんなでカラオケ大会できるおバカ集団で,そこがまた魅力だというところに尽きるのだろうか。

  • 満足度★★

    狂おしいほど静けさが欲しい
    漫然とした日常への違和感に叫びたくなる、その原因を社会生活の外部に設定したのは良かったかどうなのか。ただそれが真骨頂なのだろうから如何ともしがたいが、いずれにしてもその一番大事な点にイベントが多すぎて、味気ない日常に飽和状態になる心理が見えにくいのは残念。

    自分の生活が見えないものによって制御されているという感覚を、現実の我々が共感するためには、異物は「静かに消される恐怖」が欲しい。プチ・グロの効果は強すぎて返って後半の芝居を見る観客に警戒感を持たせる。戯曲の入れ子構造はやや乱暴な印象。その無骨さが魅力かもしれないが。

    俳優陣の味付けの濃い掛け合いは小気味良いが、セリフが身の丈に合っておらず浮いている箇所も。その点長男役の三枝貴志がラフでいながら跳躍力のある伸びやかな芝居で牽引している。家族団欒の時代として昭和30年代を選んだとすると言葉や衣裳にもう少し現実味が欲しい。

    必然性という言葉はあまり好まないが、戯曲としての中身を盛り立てるタイトルにももう少しひねりが欲しい。とまれヴァーチャルとリアル、仮想と現実という我々が直面している問題にもう少し肉薄する視点が欲しい。つまりメメオの身体的二重性を感傷的に描くのでは何も解決しない。

    肉体と精神の話になると途端に抽象的で感傷的になったのが残念。肉体的な欲求を精神世界で、つまり仮想現実で満たそうとする現代の人間のイタイところを突きかけたところでお定まりのカタルシスとなってしまった。その自慰行為の醜さを描いてこそのグロテスクだ思うが行き過ぎか。

  • 満足度★★★

    キャラは魅力的だが
    出てくるキャラクターはなかなか魅力的で、面白くは感じるのだが、この物語の舞台となる場所は造られてるような感じなのだが、広いように語られたりしてるのだが、どうもこの近所の世界の広さしか伝わってこない感じで、物語の世界観があまり見えなかった。

  • 満足度★★★★

    観た
    ほのぼのした昭和の家族の物語かと思ったが、ファンタジーSFだった。
    笑い中心の前半から徐々に謎が深まる展開が良かった。
    役者たちが個性的で魅力的だった。
    ただ、劇団の特徴の人形が全然出てこなくて物足りなかった。

  • 満足度★★★★★

    ラストとその展開には唖然とした
    と言うか、うあぁぁ、となった。
    いや、うえぇぇぇ、かも。
    いやいや、うへぇぇ、かも。
    いやいやいや……。

    ネタバレBOX

    バジリコFバジオってもの凄く好き。
    まずこれを言っておこう。

    で、今回は、バジリコ感がなかなか盛り上がってこないんだなこれが。

    昭和の30年代ぐらいのホームドラマ、サザエさん的なやつが展開していく。
    「ねぼすけさん」なんていうののほーんとしたタイトルも付いていたりする。

    もちろん、いつもの、少しダークでPOPで、キッチュなバジリコがそこここに姿を見せるのだが、そこへドンドンと行くことはない。
    いつもならば、変な兆しが現れたと思ったら、一気にその世界に、有無を言わさず、そして観客を置いてけぼりにしても構わないという形相で、バジリコFバジオの世界に疾走していくのだ。

    しかし、今回は、なんとなく奇妙なのだ。
    どうも背筋が寒いというか、楽しいはずのホームドラマの後ろに、ゾクゾクするような恐ろしさがあるようなのだが、それはなかなか姿を現さない。

    人形も、いつもほど活躍しない。
    いや、猫も催眠術師も、いつもの「顔」をしていて、いいのだが、それはそっちのけで、サザエさん的、欺瞞に満ちたホームドラマ(笑)に落とす陰のほうに意識を奪われる。

    そして、どうにも救いがない話。
    明るいはずだったのに絶望的な物語。

    バジリコFバジオのいつものキッチュさからは極北にあるようなイメージさえする。

    しかし、これは「今」なのだ。
    今上演しなくてはならなかった作品ではなかったのか、と思う。

    今いるところは、「まやかし」である、そんなことに気がついている「今」。
    あえて、「フクシマ以降」と言ってしまうけど、我々が日常演じている「ホームドラマ」は、砂のように脆くも崩れやすい世界でもあるということだ。
    この舞台の当パンの冒頭に書いてあるように、戯曲を書き始めたのが昨年(2011年)の3月から4月というのだから、ソレが影を落とさないわけがない。

    地球が、環境が、なんていう規模の話ではなくても、ついいろいろと「疑って」しまう「世界」が、あらゆる場所にあった。そして今もある。それが一番色濃く出て来るのが、生活の最小単位でもある「家」である。「家」にこそ、「疑い」が潜み、影を投げかける。

    「これやばいよ」っていう状態なのかもしれなく、意識の底には常にそれがちらつきつつも、「今」はいつまでも続くと勝手に思っている。
    しかし、やはり「やばかった」のだ。そんな物語。

    めめ男が静かに真相を語る姿に背筋が寒くなり、ラストの人型の砂に戦慄する。
    現実が終わってしまったのではなく、本当の現実の姿を突き付けられたようだったからかもしれない。
    SFは、未来へ続く現代の警鐘というだけではなく、現代そのものを映す鏡としても機能する。

    電気屋のヨーゼフKという名前(カフカの『審判』の主人公と同じ名前)が示すように、きな子たちは「監視」されていて、そして事実を知って、その運命に逆らおうしても翻ることはない。
    カフカの『審判』は不条理だったが、今、現実が「不条理」なのである。そんな世界に、私たちはいる。いろいろ不条理なことが多すぎる。
    バジリコFバジオをして、こんな世界を描かせてしまったのが「現実」だ。

    笑いながら見ていた、ホームドラマのエンディングはこれであったのだ。

    前説がいつもの2人(?)で楽しく行われていただけに、この展開はインパクトがありすぎた。
    「ねぼすけさん」という呑気なタイトルも重くなっていったし。

    ただし、ちゃー坊にまつわる、催眠術師や泥棒などのエピソードは、いつものバジリコFバジオであった。しかし、ちゃー坊が体験した、隣に住む友だちのエピソードは、やはり背中が寒くなるようなものだったけど。
    痛くても酷くても「笑い」にするのがバジリコFバジオ流だと思っていたのだが、ここは攻めてきたのだと受け取った。

    役者は、きな子を演じた浅野千鶴さんのけなげさがとてもよかった。
    バジリコFバジオのメンバーは、脇を押さえるような役回りで、今回の作品のトーンに合わせて、弾けすぎないようにしているようだった。
    ちゃー坊役の佐々木千恵さんもいい感じだった。バジリコFバジオが描く、いつもの子どもという感じに救われた。

    バジリコFバジオは、生まれ変わろうとしているのかどうかはわからないが、バジリコFバジオ・ワールドからは大きく外れてはないものの、振り幅の大きな作品であったことは確かだ。
    いつもの(ひっとしたら「今までの」)バジリコFバジオもとても好きだが、今回のこれも好きだ。
    まあ、毎回、救いがないのもアレなので、こういうトーンであったとしても、「お手柔らかに」というところだけれども。
  • 満足度★★★★★

    心地良い頭の痺れ
    大いなるマンネリの面白さと、面白いことが面白くなくなる辛さ。

    ネタバレBOX

    ドジだけど笑いに溢れた昭和30年台の生活を送っている家族ですが、常に同じような形で失恋しているケン太郎や毎日の生活に違和感を覚えたきな子は一定の生活パターンに意図的に縛られていることに気付きます。

    実は、彼らの生活は月に作られたスタジオセットの中の出来事で、それを放送で見て元気をもらう元気の無い現代人がいて、その現代人は地球と月の間のコロニーで暮らしています。きな子の夫のめめ男が不要な者や邪魔者を排除してスタジオ内を管理していたのでした。

    そして、全ての番組に終わりがあるようにこの放送も最終回を迎えることになりました。きな子たちは生身の人間かと思いましたが、恐らく人型ロボットあるいは三次元の砂人形のようなものでしたから、この家族も恐らくは廃棄されるのでしょう。

    ところで、最初サザエさんかと思っていた話が途中から渡る世間は鬼ばかりのように思えてきて、それならば最終回の後にも特番があるよ、廃棄されることはない、安心しなと言いたくなりました。

    さて、そんなことは知らない彼らですから置いときましょう。このまま廃棄されるのを受け入れようとしていたきな子でした。きな子を地球再生の旗頭にしようとして奪いに来たコロニーの若者をいったんは排除しましたが、やはり一緒に脱出しようかというところで終了。

    地球は放射能汚染か何かで住めなくなっています。彼女の元気な姿でみんなが地球再生に向かおうとする意欲が湧くならコロニーに行ってほしいと切に思いました。くいだおれ人形が今も活躍しているようにね。

    今回は人形は前説だけかと思っていましたが、いきなり手の長ーい猫が。少なくとももう一人の猫は必要だったのでしょうか、疑問でした。
  • 満足度★★★

    う~ん、設定を理解しようとするも、
    目の前で繰り広げられるドタバタがあまりにハイテンションなので、「ええと、これって夢・・・・じゃなくて、誰かの作り上げた世界??」と考える間も無く、あれよあれよとSFになっていく。え?いつの間にこんな設定に?と付いていけない。役者さんが皆可愛く、愛すべき人物として描かれているので何とか理解したいのだが、そうしようとすると設定が理解できない、設定を理解しようとすると、ドタバタが笑えない、というジレンマに陥ってしまった。台詞がきれいで、俳優さんは皆実力者揃いなのですが、賞狙いでちょっと凝り過ぎかなぁ、と・・・・。現実とシュール、ドタバタと不思議な違和感、よく分からない人形、得られないカタルシス、なんだか不消化な感じが残る。

  • 満足度★★★★

    演技力の高さとアイディア
    演出のアイディアが斬新。
    他との違いが明確で、独特の作風の人形がとても魅力的。
    前説がものすごく面白かった。

    日常を描く話は役者が上手くないと面白く観れないけど
    これは面白かった。


    ネタバレBOX

    催眠術師など謎の存在や泥棒を飼うなど、シュールな点がありそれも味になっていて面白い。
    終わりにむけて、普通ならきなこがこんなのひどいよやめてよと旦那に言う展開かと思いきや
    逆にきなこは自分の生きている日常を守りたかったことが意外だった。
    いきなりサザエさん的な家庭が、地球ではなく月で、造られた生活であったというのも意表を突いていた。
    時々見る話だけど、日常がリアルに描かれていてそのような発想が浮かんでこなかったため
    受ける衝撃はおおきい。脚本と演出の力が大きいのだと思う。

    帰りに、人形を販売していた。非常に高品質。
    ベアードを買って帰ったけど、家に帰ってからHPを拝見したら
    鬼太郎がものすごいクオリティだった。
    あれはもっと早く行けば販売していたのかなあ?
    だったとしたら早く行かなかったことを激しく後悔。
  • 満足度★★★★

    トラ爺がかわいい
    中盤ダレたけど面白かった。

    ネタバレBOX

    サザエさんバリに愉快で楽しい家庭。そんな現状に違和感をもつきな子(浅野千鶴)。きな子の息子・ちゃー坊(佐々木千恵)の担任・吉永先生(阿久澤菜々)が家庭訪問にやってきて、きな子の家に疑問を投げかけ、「ヨーゼフK」という人物ときな子の夫・めめ男(武田諭)のことに言及し、気にかけるきな子。電気屋になりすましたヨーゼフK(猪股和麿)は、この家のドタバタを動画でみて、自分らは救われたときな子に話し、さらに動転するきな子だった…。

    きな子らの世界は月にあって、実際のめめ男は地球にいる。めめ男はきな子らの世界と人間を作ったが、ここらで話を終わらせようとするって、確かに「少し不思議」な話。
    序盤のTV騒動と遺書の話で爆笑をかっ攫い、めめ男に消される吉永先生(腕すっぽ抜けて砂)とかいい感じだったが、中盤がやや冗長に感じた。正直、設定を飲み込めてないとこもあるが、きな子の暖かな今の家庭(やダンナ)を思う気持ちは、終盤の仮装カラオケシーンの後ろ姿でも伝わってきた。そして、そのあとの決意した表情もいい。一秒も満たないくらいだったけど、確かに意思が篭ってた。

    ラストの二人のオブジェと砂の演出も、いいシーンだった。ヨーゼフKの乗ってきた舟で地球に行けたが、きな子は月で終わること選び、月のめめ男と永遠に結ばれたのか。

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