『DAIKAIJU EIGA』『Rosa, seulement』 公演情報 『DAIKAIJU EIGA』『Rosa, seulement』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.6
1-11件 / 11件中
  • 20111002
    (^・ェ・^)Rosa, seulement

  • 20111002
    (^・ェ・^)DAIKAIJU EIGA

  • 満足度★★★

    ○:Rosa, seulement ×:DAIKAIJU EIGA
    Rosa, seulement:☆☆☆☆ 監獄という設定。ひたすら同じ動作をまるで禁欲的に黙々と行う女優。看守の誘いを頑として拒絶する姿勢。そして自由と革命への熱い想い。ローザ・ルクセンブルクという革命家の孤独な魂が、テキスト、俳優の声・身体によって見事に表象されていたと思います。ローザ・ルクセンブルク自体が大半の観客にとって馴染みがないため、パフォーマンスの素晴らしさが伝わりづらかった点がマイナスですが。
    DAIKAIJU EIGA:☆ ぽこさんがおっしゃっている通り、一言でいうと演劇になっていないです。これをプロの公演として上演するのはマズイと思います。本番にかかる前に制作サイドが現場に入ることは難しいのでしょうか?

  • 満足度★★★★

    『Rosa, seulement』
    ローザ・ルクセンブルクという革命家の物語を600に分けて、その日の気分でいくつか選んで上演するという手法が面白いと思った。
    フランスも日本も若い演出家のやりたい事やエネルギーは同じだと思って嬉しかった。
    字幕がずれていたのが残念。

  • 満足度★★★★★

    両方見た
    どちらの作品も唯一無二。言葉がわからなくても十分楽しめる仕掛けになっているのが何より嬉しい。本公演を見なかったら、外国の演出家の作品なんて一生触れる機会が無かったかもしれないから、貴重な体現出来て良かった。多分、僕は作品の表象しか捉えられてないんだろうし、ローザルクセンブルクも作品観るまで知らなかった位だけど。でも、こうして日仏の交流の架け橋となる企画は今後も是非やって欲しいと思った。

    『Rosa, seulement』不撓不屈の革命家の行進。世界は変わると訴え続ける。なんて力強い言葉の数々。1シーン1シーンが胸に響く。例えどんな困難があろうと立ち向かい続ける役者の動きも美しい。字幕があるから言葉がわからなくても十分楽しめた。

    『DAIKAIJU EIGA』外国から見ると、日本はこんなに不思議なのか。ギュギュっと濃縮された、日本と大怪獣についての一時間足らず。わかりやすいが、奥深い。二ヶ国語で台詞が喋られるので、言葉がわからなくても楽しめた。僕は観劇後は表象しか理解できてなかったが、ロングアフタートーク(何と1時間以上も!!同時通訳ではなく、通訳の方が間を取り持つ形だったので、通訳の方は本当大変だったと思う)で作品の奥深さを知って感激。見れて良かった。

    ネタバレBOX

    『DAIKAIJU EIGA』のアフタートークの覚え書き。メモを取りながら聞いていた訳ではないので(まさか1時間以上も話を聞けると思ってなかったので)うろ覚えです。

    特撮映画「ゴジラ」は日本が第二次大戦の敗戦し、僅か10年後に作られた映画。今見るとちゃちく見えるが、でも復興途中でまだ経済が回復しきってない当時を考えるとすごいことだ。(加藤教授)

    ゴジラ、ではなくゴジラの映画という位置づけ。つまりスクリーンが無ければゴジラはいないんだということだ。転じてそれは、本作はスクリーンなしで言葉でゴジラを見せるという作品に仕上がっている。(加藤教授)

    映画「ゴジラ」シリーズで描かれるのは日本人は被害者であるということ。ゴジラのテーマは大きく2つあって、「対外的(日本国外)な敵」と「自衛隊(国内)の暴走」の二つがあり、どちらのテーマにも核の脅威がほぼ例外無く関係している。(クリストフ・フィアット)

    日本は、憲法の成り立ちや自衛隊や米軍基地をとってみても不思議な国だ。また、実際に来日してみて自然環境に大きく左右される風土なのに平然としているようにも見えて不思議さを感じた。(クリストフ・フィアット)

    ヨーロッパにはゴジラみたいな、モンスターはいない。敵でありながら国民に受け入れられている。それは、国民は被害者でありながら核や自衛隊の矛盾を受け入れているような姿。「核の脅威よりもゴジラを受け入れる方を選ぶ」というニュアンスについて、過激な表現であることはわかっている。でも、被害者でありながらゴジラがいることを日本人は受け入れているように感じた。「ゴジラがいる」ことが日本の歴史の前提のような存在であるような感じ。(クリストフ・フィアット)

    この物語は、ゴジラについて語る日本人女性の成り立ちの話のつもりだ。役者が名前を名乗った所から徐々にその役が人格を持ち出し、言葉に関しても紙に書いたものを読み、目を離してよみ、紙を捨てて話す。その3回の行為で徐々に役が浮かび上がって行く。もちろん、核の脅威や311を踏まえた、寓話にしているが。作者自身の日本に感じる不思議な感じを体現したかった。(クリストフ・フィアット)
  • 満足度★★★

    観る側にとって上滑る思い
    DAIKAIJYU・・・、
    行き場ややり場のない感情の表現としては
    一定のクオリティを持ったものなのかもしれません。

    ただ、テーマとなる事象に対して
    造る側と観る側に共通の認識が
    編みあがっていかないように感じました。

    ・Rosa seulement
    表現としては、惹かれるものがありました。

    ただ、言葉やそれを伝える仕組みの問題もあって
    充分に作品のニュアンスを理解できなかったように
    感じました。

    ネタバレBOX

    ・DAIKAIJYU EIGA

    先日のミナモザなどを観ているから特に感じるのかもしれませんが・・・。

    舞台から抽出される感情や怒りは
    しっかりと感じ取れる。
    それは、演じる側の熱のようなものとして
    観る側に伝わってくる。

    意図もわからないではない。
    そこには、作り手の日本の現状に対する
    イメージが作られ、
    提示される。

    もし、そのイメージが観る側の抱いているものと
    共振するものがあれば、
    この舞台はとても秀逸な表現なのだろうなと思う・・・。

    でも、その、彼らから醸される瞬発力と厚みに支えられた怒りが
    観る側にとって、
    ぺらぺらした看板のようにしか感じられないのです。
    なんだろ、概念で作り上げた構図に
    理もなく火を放ち、その感覚を燃やしたような印象・・。

    武器というか、表現のメソッドは持っているのだろうと思う。
    でも、つくり手が捉えた、
    原発事故などへの感情や感覚は
    観る側のそれと大きく乖離しているような気がして・・・。

    役者の熱演に対してとまどい、
    その、すれ違い感のようなものに
    どうしてよいのか分からないまま
    劇場を後にすることになりました。

    ・Rosa seulement

    予備知識がない物語。
    開演前に観る側に、演じ上げるものの背景を
    伝えようとはしていたのですが・・・。
    私にはベースになる知識の持ち合わせすらなかったので、
    そのプチパフォーマンスも
    今ひとつ上手く機能していないように思えた。

    とはいうものの、
    舞台での役者の動きには
    一定の方向性があって、
    みているうちに、記憶のページをめくっていくがごとく
    刹那が次々に重ねられていくような感覚が生まれます。

    日時、場所、人がその刹那の冒頭でコールされて、
    次第にひとりの半生の感覚が浮かび上がってくる。
    動作のシークエンスも、
    最初は観る側にとって全く意味をもたないものですが、
    やがて、その人物とシークエンスのニュアンスが明かされたとき、
    時間のランダムで無機質な重なりに
    想いや体温のようなものが絡まり宿る・・・。
    その質感の広がりには強く惹かれるものがありました。

    ただ、プロンプトのタイミングや表示の方法(時間の長さなども含めて)が
    なにか不安定というか、
    演技ともずれているような印象があって。

    説明などを読むと即興的な創作の部分もあるのかもしれませんが、
    もうすこし、作品の流れと観る側にやってくるものが
    ひとつに束ねられた形での
    情報があればなぁと
    残念に思いました。

    あと、たとえば、公演後に、この作品についての
    彼らのメソッドの初心者用の種明かしがあればなぁと
    思った。

    終演後、
    言語というより、舞台空間を
    作り手と観る側で充分に共有できていない感じが残りました。

  • 満足度★★

    『Rosa, seulement』を観た
    まず、演者が観客にローザ・ルクセンブルクの写真を見せる。そして彼女が辿った歴史の写真も何枚か見せるが、演者は言葉の壁を察してか何も説明は加えず、言葉も発しない。この時点でローザの顔を知らない観客は「なんだろ?」となるのだ。ワタクシがいつも言ってることだが、演劇は観客に解ってナンボの世界なのだから、こういった場合は先に映像とテロップで説明しておくべきだと思う。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    ローザは、ポーランドに生まれドイツで活動したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家。彼女はポーランド王国社会民主党の理論家であり、のちにドイツ社会民主党、ドイツ独立社会民主党に関わるようになった。機関紙『Die Rote Fahne(赤旗)』を発刊し、革命組織スパルタクス団を母体としてドイツ共産党を創設、1919年1月にはベルリンでドイツ革命に続いて1月蜂起を指導するが、国防軍の残党やフライコール(義勇軍、Freicorps)との衝突の中で数百人の仲間とともに逮捕、虐殺される。死後、多くのマルクス主義者や社会主義者のあいだでは、同じく虐殺された盟友のカール・リープクネヒトとともに、革命の象徴的存在とされている。後にその思想はルクセンブルク主義とも呼ばれる。

    今回は、闘争の果てに命を落としたローザ・ルクセンブルクの言葉をとらえ、彼女の肉体、 彼女の思考に入り込み、その言語を舞台に表出するための身体を獲得し描きだす、というパフォーマンスだった。今回の演者のアピールは600にも及ぶシーンの中からその日の感覚によって選び出し上演する形をとっているのだが、演者の機械的な動きはどのシーンを選んでもまったく同じで、セリフだけが違うという変わり映えのしない舞台だった。

    しかも演者の吐くセリフと字幕が合ってない箇所がいくつもあり、更に字幕に誤字があった。苦笑!継いで女性演者はセリフを忘れて誤魔化していた場面もあって、なんだか全体的にしょもない舞台だった。勉強不足な舞台。
  • 満足度

    『DAIKAIJU EIGA』を観た
    この舞台で唯一、素晴らしいと感じたのは壁のアート。ゴジラをやりたい、というダルさ全開のやる気のない工藤倫子が台本を見ながらリーディングする。およそ芝居とは程遠い情景で説得力のカケラもない。ゴジラの映画のタイトルを羅列する工藤自身が陶酔しちゃってる分、観客は睡魔から目覚めることもない。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    これでカネ取れんのか?!とこれをプロデュースした輩のネクタイを捩じ上げてアンダーから一発殴ってやりたい気分。学芸会レベル以下の公演を観たのは逆に久しぶりなのだが、年間支援会員からの集金で成り立ってる青年団というシステム自体に疑問を抱いた日でもあった。たぶん、外の(一般の)世界で頑張っている役者や劇団は、施設使用料もタダ、練習場もタダという生温い環境は信じられないほど羨ましいことだとも思う。

    この環境に甘んじて役者もプロデュースも全ての青年団に関ってる人たちが切磋琢磨することなく飼い猫のように陽だまりの中でヌクヌクしてはいないか。そんな風に思えるのだった。そもそも青年団とは役者になる為の養成所のようなものだと勘違いしていたワタクシは10年以上も青年団に所属している役者らを見ると不思議だった。何年居ても良いらしいシステムは青年団という、支援会員を募集して大きくなった劇団みたいなものだ。そんな風に思った時間だった。評価はマイナス点を付けたいくらい。そのくらいヘタ。



  • 満足度★★

    『DAIKAIJU EIGA』原発大国フランスにはゴジラはいないんだろうね。
    あ…、ゴジラね…。

    ネタバレBOX

    正直ゴジラかぁ、って思った。
    思ったけど、そこに何かあるのかと思っていたら、それほど何かがあったように思えず。
    フランス人の男性と日本人の女性の2人が、最初は手に台本を持って登場。

    フクシマだよね、で、ゴジラ…、う〜ん、って感じ。
    放射能とゴジラ、日本人と怪獣の関係は、さすがに散々言われ尽くしてきてるから、今さらフランスの人に「1954年につくられたゴジラは、その後に続く一連の怪獣映画とは一緒にしないでくれ」って言われてもなあ、と思う。

    中盤、いわきに行ったドキュメント的な部分の展開から、少し期待したが、それはそれだけで、結局ゴジラなわけで、なんだかな~、と思わざるを得ない。

    日本にゴジラはいなくなった、ゆえに、自分がゴジラになる。つまり、警鐘を鳴らし、歩いた後を破壊するモノになる、と言う日本人のミチコ。ああ、そうね、と思う。で? とも。

    その後、フランス人の男性が舞台を去るのだが、これはどういうことなのかな? と考えた。
    「日本のことは日本人に任せよう」ということなのだろうか、「結局は他人事」なのだろうか。あるいは「日本は大変なことになっているのに、わかってない」という啓蒙(あるいは警鐘)のつもりなのだろうか。

    後に1人残された日本人のミチコが叫ぶのだが、その「叫ぶ」ということには、彼は、意味があると考えているのだろうか。あるいは「それは観たあなた(日本人)が考えてくれ」ということなのだろうか。

    アメリカに次ぐ原発大国のフランス(いや、もちろん3.11以降のにわか知識なのだが)から来た彼が、フランスにとって、いや彼自身にとって、「ゴジラ」はどういう意味があるのか、あるいはどうあってほしいのか、という、何か大事なところが抜け落ちているように感じてしまった。
    そういう意味では、この作品全体が、作者自らへの「(日本人にはわからないフランス的な)アイロニー」が込められているのだろうか、とも。

    後半、ミチコは、冒頭で棒読みだった台詞を、再度気迫を込めて叫ぶ。もちろん、ゴジラについて。
    舞台の上が熱っぽくなればなるほど、観ている私の気持ちは冷めていくという、典型的な作品だった。

    いずれにしても50分は短い。これで言いたいことが本当に言い切れたのだろうか。
    もっとも、50分で解放されて救われたとも言えるのだが。
  • 満足度

    私の観劇史上ワースト1です
    「DAIKAIJU EIGA」演劇になってない。これを演劇とは呼びたくない。なんだこれ。止めさせたかった。私の観劇史上ワースト1。
    「Rosa,seulment」超つまらない。出演者のレベルが低い。この舞台をやるには、出演者の身体訓練が不十分。伝わってくるものが無い。演劇は伝わらなければ意味が無い。

  • みた
    想像力が追いつかなかった。
    想像することをやめてみた。感じるものは少なかった。

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