少年B♥KR-14【柴幸男】 公演情報 少年B♥KR-14【柴幸男】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-14件 / 14件中
  • 14才
    あのとき
    ああならば

    ああ

  • 満足度★★★★★

    最終日にあわてて見ました。
    見て良かった。とても素敵な舞台でした。公演中はとても笑えたのに、終わった後はとても笑う気になれませんでした。でも、素敵な気分だけは残りました。不思議な気持ちです。

  • 満足度★★★★★

    思い出したくもないこと。
    いつの間にか柴作品がカラダに馴染むようになった。
    前は「自らに罰ゲームを科す演出をする人」という印象だったんだけど。

    「少年B」という実に控え目なタイトルなこの作品の観劇の最中に、
    私は思い出したくもない思い出をどんどん思い出した。
    作品を観ながら、どこか14歳の自分を彷徨っているような気分。
    実に恥ずかしい心持ちだった。

    だんだん、自分にオーバーラップしていく感覚が、むず痒い。
    その作品の素直さに胸を打たれた。控え目に言って。
    あの頃。私もたぶん少年Bだったのです。

    ネタバレBOX

    合唱が素晴らしい。ベタなんだけど。素晴らしい。
  • 満足度★★★★

    繊細な戯曲が心地よい
    今まで演出技法に目が行っていた柴幸男さんの作品は、とても繊細な戯曲の心地よさに身を委ねられるような作品でした。

    凄く好きです!

    今回の作品に「14歳」という冠が付いていたから、過去の自分を振り返る的な内省的な方向へ向かうのは作家としては正しいと思います。

    柴さんの作品は例の酒鬼薔薇の事件的な香りを漂わせつつ、他の年代が14歳だった時とは違う、本当に「その頃の柴さん」に問いかけるような作品になっていたかもしれないけど、でもそれがあまりにも普遍的な題材を取上げているので、見ている人だれもが共感できるような懐かしさのある作品に仕上がっていたと思います。

    ネタバレBOX

    学校襲撃のシーンとかは明らかにブルース・リーを意識した動きでバカバカしいのだけど、柴さんの年代だと中学生の時にブルース・リーに心酔するというのは無いよなあ、と思ってみていたら、最後は37歳の「自分」に辿り着く。
    なるほど、確かに今37歳ならブルース・リーもありえるね。

    37歳というのは多分主演の岡部さんの年齢なのだと思いますが、柴さんとは年齢に開きがあるのに、37歳の人生崖っぷちで最後の決断を迫られているような感じが最後に良く出ていました。
    そんな中、自分が参加できなかった合唱祭に参加して皆で歌う部分はグッと来てしまいました。

    でも、一番グッとくるのは、思い出の場所が巨大マンションになっていたりとか、時が経つだけでなく、風景まで変わってしまうというという中で、自分だけ取り残された様な状況に焦りを見せる、終盤の主人公そのものかな。

    演出的には色々な事を試しているけど、「これ」というひとつに絞らないで、あくまで戯曲ありきの演出で、演出中心から戯曲中心にシフトしつつあるのか、今後の柴幸男さんの作品が楽しみです。
  • 満足度★★★★

    『あゆみ』以来
    ものすごくドキドキしながら期待して見てしまったんですが…

    あれはどう使うんだろう!?
    あれがどうなるんだろう!?

    …別にどうにもなりませんでした。
    心落ち着けて静かに見るのが正解かも。

    派手さはないけど、深さを感じる舞台でした。

    ネタバレBOX

    壁面には鉄パイプが組んであります。
    その延長で床面にも灰色のビニテで格子模様が全面に。
    そこに脱ぎ散らかすようにあるたくさんの服。
    これをどう使うのか…!

    主人公は14才の男子中学生。
    彼の周りでは動物殺しの事件が起きているが、彼がこれといって鍵になったりするわけでもない。
    クラスメイトと漫才の練習をし、不良の同級生にいじめられ、好きな女子にドギマギする日々。
    その中でたまに差し込まれる妄想(エイリアンをやっつけたり、告白されちゃったり、不良に一矢報いたり)と、
    何もすることができない現実とのギャップがなんとも…苦笑い。

    この妄想と現実の間に演出上の違い(照明や音響や特別な効果)が入らないんですよね。
    同じシーンが繰り返されることによって、「あ、さっきのは妄想だったんだ」とわかる。

    散らかった服はほとんど衣装で、学生服だったりパジャマだったりジャージだったり。
    主人公の状況に応じて他の役者さんが一生懸命着替えさせてました。
    これ一見するといらない演出のように見えるんですが…。
    どういう意図だったのかな?
    一人じゃ何もできないことへの暗喩?

    出番のない出演者も全員舞台上にいて端っこから主人公をずっと眺めてる。
    これも演出家の目線のような気がしました。

    14才の愚劣さ、軽率さ、鈍感さ。
    馬鹿で小さくて何も出来ないのに何でも出来るような顔をして、他人を馬鹿にして自分を過大評価して、なのに一歩も踏み出さない。
    そんな14才に対する侮蔑の視線。

    でもどこかしらに14才に対する憧憬もあるような気がしました。
    だって絶対輝いてたもん、14才。
    今ではできないと理解してしまったことを、14才はできると信じ込んでいる。
    馬鹿だなぁ。でも愛しいなぁ。

    その表現として合唱コンクールってすごくいいと思った。
    だってもう出れないし!
    唾飛ばしながら大声で歌ってさ!

    演出という観点で言えば、『あゆみ』の時ほどのインパクトには欠けてた。
    というところで若干がっかりしてる自分がいる。
    でも良作には違いない。
  • 満足度★★★★

    僕って宇宙人だったらいいなと思い続ける、ちょっと哀しい物語
    自分の妄想に囲まれて、自分だけは周囲の奴らとは違う特別な存在であると思っている(と思いたい)中学生の頃。
    それは、中学生のときだけのことではなく、今も、ずっと続く想いなのかもしれない。
    素晴らしい役者になって、とか・・・。

    ただし、中学生のときには、かなり本気でそう思っていたのだが、今となっては、なんとかその想いを捨てようとする気持ちも働く。どこか恥ずかしい気持ちがあったりするからだ。
    もういい歳なんだから、そろそろ・・・なんていう気持ちだ。

    ネタバレBOX

    宇宙人のグレイとは、特別な存在を具現化したもので、そして、本人も宇宙人であることを忘れかけている。つまり、まだ表には現れていない特別な僕。

    そのグレイは、徐々に宇宙人ということを忘れていく。そして、表面にかぶった人間の姿は、グレイと一体化していくという。
    それは、時間(年齢)とともに特別な存在だった(はずの)僕が消えていく様子なのだ。

    成人したクラスメイトの、そんなはずじゃなかった姿を見るにつけ、それをストレートに感じてしまう。
    で、今の僕はどうなのか? と主人公自身に問いかける。
    まだ、宇宙人だと思っているのかという問いかけだ。

    いつまでも秘められた宇宙人であり、それがいつしか現れてくることを、どこか、やっぱり信じている作者の姿が投影されていた作品だったと思う。

    学ランを着た30代の役者の姿は、中学生を演じているのではなく、今の正味の30代を見せていたのだ。

    ラストは、作者が自分から自分へ向けたメッセージであり、少々甘くて、前向きな(ある意味普通な)のは、そういうことなのだろう。
    そういうこととは、これからも、特別な自分をなんとかあがいて目指すという宣言だと受け取った。

    女生徒の井上さんは、舞台の他の役者さんたちを中学生につなぎ止めるためには、まさにうってつけであり、その効果は、かつて男子生徒だった自分にとっては抜群のものだった。自分の昔の記憶にちょっとリンクしたりして。
  • 満足度★★★★

    やはり
    魅せてくれます。

  • 満足度★★★

    まさに14歳りたーんず
    まさに14才りたーんずなお芝居。なんだけど、現時点の状況にもリンクさせているところはよいのだけれど、岡部さんの14歳はキツそう。

  • 200904271930
    200904271930@こまばアゴラ劇場

  • 満足度★★★★★

    日常を切り取る天才
    柴幸男は天才!
    日常の何気ない風景の連続でしかないのに。
    なぜ、ここまで感動するのか。

    ネタバレBOX

    とにかく、ラスト。
    ラストにめちゃめちゃに感動した。
    あんなベタな歌をあんな風に本気で歌われたら、たまらない。
    14歳のとき歌えなかった歌が、まだ自分の中でくすぶって、いつでも叫びだしたくてウズウズしていて。

    誰もが、14歳だったころ、ああだった。いわゆる中2病。切れたくても切れられなくてそのまま大人になる。
    大人になると、もうあの頃みたいに悩まない。自意識過剰っぷりはマシになってて、自分のことももう分かってる。

    それでも、役者になる道を選んだ「僕」。
    そんな僕にはやっぱりまだ捨てきれない(切れなかった感情)が残っていて。
    それが残っている限り、まだ特別になる道は残っている。
    当時、14歳で、今26歳の私にはあまりにもリンクする気持ちで、たまらなかった。

    「僕の何もなかったストーリー。」「僕の中心は僕なのに、世界の中心は僕じゃない。」
    など、お話をまとめる言葉も美しいし、巧み。
    日常は何気ないシーンだけれど、全てがさりげなく意味があって、伝えたいことを物語に落とし込むのが上手すぎます。

  • 満足度★★★

    狭い、けれど無限の小宇宙
    基本的な舞台装置は全6作品共通。
    なので、黒基調の床面に白線で描かれたマス目が、正四角形を作れるのは8×8マスが最大だということ(実際には左右に2列ずつ設けられている)は、すでに知っていた。

    8×8。
    それはチェス盤とおなじ、である(将棋なら9×9)。

    そしてこの作品では、開演前から主演のぼく(岡部たかし)が立っている場所は、
    チェス盤になぞらえれば「e4」(下手から5番目、奥へ向かって4列目)というマス目。
    じつはチェスのオープニング(序盤定跡)では、もっとも一般的な先手側の初手は、「e2」にあるポーン(歩)を「e4」に進める、というものだったりする。

    ネタバレBOX

    そう、だからそこは、世界的に有名なゲームにおいては、
    “はじめの一歩”を踏みだした場所、という意味をもつ。

    つまり彼は、空想の世界でだけ、他のマス目に自由自在に移り、ときとしてヒーローとして喝采すら受けることができるのだ。
    ところが現実世界では、最初から最後まで、その場所からけっして離れることはなく…。

    それは、14歳という若者の閉塞感なのか、はたまた広がりゆく未来の象徴なのか。
    もしかしたら「少年A」になったかもしれない「少年B」の物語は、
    無限の可能性とともにはじまり、
    その先は、作者や観客それぞれが違った結末を探しつづけなければならないだろう。
  • 満足度★★★★★

    凄く気になる
    見た人は一体どこに感情移入をするんだろう。

    ネタバレBOX

    自分は全編。
    もう序盤から痛すぎて 身につまされすぎて直視ができない。
    他の人が笑っている所ほど笑えない。きっと笑える様にはならないと思う。
    そしてその頃の小ささとあの頃より少しは何かを知っているのが分かる。

    あぁ 悔しい。
  • 満足度★★★★★

    精一杯だったあの頃
    とにかく素晴らしい!の一言でした。
    最初はコメディ?と感じたくらいコミカルな表現が多かったのだけれど、そのうち段々と甘く切ない感情に切り替わる。実際の初々しい可愛らしさのある15歳の少女(井上)を起用したのもひじょうに良かった!

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    舞台には洋服があちこちに散らばり放題。なんだろー?って思っていたら、床から拾って岡部(主人公)に着せ替える為のもの。ここでの岡部は自分で服を着ない。着せ替え人形のように着せられる。演出が上手いと思う。自転車のシーンの演出もお見事!


    中学校なんて一日のうちのたった四分の一を過ごすだけの場所なんだよね。長~い人生から考えればほんの何十分の一、数年間だけの場所なのに、あの頃は、未熟な多感さゆえにそれが全てなんて思っていた。

    舞台は岡部のクラスでの係わり合いや、母親との朝の風景、好きな同級生との立ち位置など、楽しく大いに笑わせる。14歳の岡部の感情も巧みに表現し、「ああ、解る!解る!(。。)(・・)(。。)(・・)うんうん」などと妙に共感してしまう。
    途中、時系列がめちゃくちゃで回想シーンと妄想シーンと現実が重なりあうが、それも理解できる範囲だった。

    思い出のなかの彼らは自分がどんな人生を歩むのかなど何も解らず気楽に、けれど頼りなく不安定にふらふらと、へらへらと、毎日を過ごしていた。そんな毎日が永遠に続き陽射しは眩しく彼らを照らし自分達はずっと相棒で居られるなんて信じていた。

    幸せだったり不幸だったり楽しかったり苦しかったりの日々は他の誰とも取り替えることは出来ず、時間を遡る事も出来ないかけがえのなさは、ただそれだけで尊いのだけれど、それに気付かなかった日々。根拠も無く未来は明るいと信じ続けていたあの頃。

    そんな感情も織り交ぜながら、学校独特の泥と汗の匂いも感じさせる。どこからかピアノの音が聞こえてきそうな感覚や女生徒たちのさざめくような笑い声が微風に乗って吹き抜けていくような風景も想像できる。

    やがて大人になった彼らはそれぞれの仕事に着実に確実に付いていて、不良だった山田も人が変わったように腰を低くしてローソンで働いている。そんな光景をみて、岡部は現在の自分の定職を持たない不安定な立場を憂いでしまう。

    そうして舞台は最後の合唱で幕を閉じる。最後に合唱をもってきたのにはひじょうに意味があると思う。このシーンで観客はあの頃の自分をもっともっと思い出すからだ。

    とてもとても素晴らしい舞台だったと思う。久しぶりにあの頃を思い出して懐かしい空間に浸れた。


    追伸:そういえば・・卒業式に恩師が言葉をくれたんだよね。
    「人生という器には幸せと不幸の分量が平等に詰まっているのです。要するにどちらを先に多く取り出すかの違いだけだから、今、悩み苦しんでいる人たちも、常に希望を失わないようにしてくださいね。」・・と。





  • うーん
    テーマにしばられすぎかな、と。
    あまり納得いかなかったので、後半にもう一度いきます。
    評価保留

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