舞台芸術まつり!2024春

ポケット企画

ポケット企画(北海道)

作品タイトル「さるヒト、いるヒト、くる

平均合計点:22.6
丘田ミイ子
河野桃子
關智子
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★

北海道・札幌を拠点に活動する若手劇団ポケット企画。昨年まで学生劇団として活動し、演劇祭や賞レースなどへの積極的な参加を経て、今年からは社会人劇団へ。新たな創作の日々へと乗り出したばかりのポケット企画が本作で目指したのは「今と繋がり、過去を問うこと」ではなったのではないかと感じました。
本公演は、旭川を拠点に活動する演劇集団シベリア基地との同時上演という形式。
北海道内他地域の劇団と積極的に繋がり、ともに舞台芸術を盛り上げる心意気に溢れた企画でした。

当日パンフレットには、2つの団体とその作品詳細はもちろん、ワークショップ情報、本年度のイベントラインナップ、今後の出演情報をカレンダー方式で掲載するなど端々までみっちりと工夫が凝らされており、一目で団体の今と今後、そして、周囲や社会との繋がりにリーチすることができました。また、4日の昼公演は「やさしい回」と銘打って、控え目の音響・照明、ゆとりある客席、上演台本貸し出しなど、観劇アクセシビリティ向上への取り組みも行っていました。こうしたインクルーシブな公演デザインは、演劇やその活動が社会の一部であるという自覚なくしては叶うものではありません。社会人劇団となった1年目から、カンパニーでの公演や取り組みをより外へと拓き、「今と繋がる」その姿勢にいち演劇関係者として敬意を抱きました。

そんな風に「今」と手を繋ぎながら、創作では「過去を問うこと」にも実直に取り組まれたことが伺えました。
『さるヒト、いるヒト、くる』は、「この先も仕事をしながら表現活動を続けると決めた若者」が造形作家のもとに数日滞在するところから物語が始まります。「この先も仕事をしながら表現活動を続けると決めた若者」が社会人劇団一年目のポケット企画の面々であることは早々に察しがつくのですが、この造形作家もまた北海道・恵庭市で暮らす実在の人物(タケナカヒロヒコさん)をモデルにしているそうです。

ネタバレBOX

森で暮らしながら作家として生きる人と、都市部で仕事をしながら表現活動を続ける人がそれぞれの日々を語り合う中で出てきたこんなセリフがありました。
「何を、どんなことを、考えているの。いま。」
「いま、」
「今」
そうして時は1877年、1899年、1945年と遡り、北海道の歴史、戦争という歴史、その風景が今と並行して語られていきます。このシーンからもわかるように、ポケット企画は本作で自分たちの暮らす場所や現在地から、決して忘れてはならない過去=歴史を問うということを試みたのだと感じました。

作風としては、説明台詞も少なく、そのメッセージ性を全面に出す大仰な演出も用いず、日々の暮らしの隙間からふっと入り込むように戦争を描いていました。そのことが、戦争という歴史の上に今の暮らしがあり、今という暮らしが戦争という歴史を含んでいることを静かに、しかし生々しく握らせました。
その風景を見ながら思い出したのは、95歳の祖母もまた「おはよう」から「おやすみ」までの間に折に触れては戦争の話をしていることでした。その度に、祖母にとって戦争は特別なことではないということを思い知らされるようで、本作からもそうした今と地続きにある過去を見つめる眼差しが込められていたように思います。戦争や過去に対する若者たちの戸惑いや迷いがリアリティを以って表されていたことにも実直な姿勢を感じました。

森を模しながらもどこかファンタジックな美術も目を引きました。本作がせんがわ劇場演劇コンクールファイナリスト選出作品でもあることから、持ち運びと転換時間の制約を鑑みて風船が使われていたことも理にかなった美術デザインだと感じました。軽量でポータブルという機能面だけでなく、本作の主題において重要な音響をも担っており、制作面と表現面の両立としても素晴らしいと感じました。

「ポケットに入れて持ち運べる演劇」をテーマに作品を創作しているだけあって、説明過多でなく、押し付けがましくなく、さらに上演時間も短いことで多くの人にとって受け取りやすい作品に仕上がっていました。私自身がアイヌの歴史や文化について理解が及んでいないこともあり、滞在中にスケジュールが許せば白老町のウポポイに行く予定だったのですが、本作を観たことでさらにその気持ちはより強くなりました。
一方で、この題材を描くにはややコンパクトで抽象的にし過ぎた節も感じました。
短編作品としては成立していますし、本作のような作品が観客にとって必要だとも思うのですが、誠実に取り組まれたことがわかるだけあって、他作品や長尺の作品が観てみたいという気持ちにもなりました。 社会における演劇というものの役割や、それに対する自身の姿勢に向き合った作品で、全員が同じ地平から「今」と「過去」を見つめて取り組んでいることが伝わる公演でした。広い意味での地域共生に取り組む姿勢も素晴らしく、この経験を活かして、どうかこれからも「表現活動を続けると決めた若者」でい続けてほしいと思います。

河野桃子

満足度★★★★

北海道をめぐる歴史や課題にかかわるワードやエピソードが散りばめられている本作。

ネタバレBOX

説明的ではないことに表現としての矜持や生活の手ざわりの重要性を感じる一方で、どこまで誰に伝わるのだろう?という疑問もありました。これは私が北海道で生活してきている人ではないからかもしれません。(ただ、東京でも上演する、ということだったので、ワードをふんわりと知っているけれどその地に実感を持たない観客がもしいるのなら、作品としてどう受け取られるのかの懸念もありました)

北海道やアイヌに関わる言葉や背景以外にも、台本を読んで初めて気づいたことが多くありました。気づかなくても成立していますし、作品を損なうものではありませんが、伝わっている方が面白がれたかも…と思うことも。

しかしその作品は、北海道という地域の持つ背景やそこに在る人をさまざまな角度から描き、長くはない上演時間のなかでいくつもの視点や発見を交差させる作劇と、それを柔らかくけれども芯を持って集約する演出、そして共鳴し合う俳優たちは、演劇として満足度の高いものでした。

ツアー公演を踏まえてだと思いますが、風船などをつかった移動しやすい舞台美術は、明るさと暗さをあわせもち、自然の雰囲気もよく出ていて良かったです。音響も、音量や方向性など意図的に配されていました。全編をとおして、手をかけ頭を悩ませた創作の堅実さを感じました。

上演では、広い道内の同世代の作品との同時上演を企画したり(しかも新作)、トークテーマを「北海道の演劇についてトーク!北海道での生活、アートとの関わり方が作品創作にどんな影響を与えているのかを考えてみます」としたりと、自分達のいる場所、自分達の立つ足元を踏みしめようと感じられる、地に足のついた創作と上演に真摯さと力強さを感じました。
北海道の演劇の未来がとても楽しみです。

關智子

満足度★★★★

 拠点とする北海道を主題とし、その土地と人の足どりを登場人物とともに観客も辿ることができる、短編ながら重要な意義を持つ意欲作である。

ネタバレBOX

本作の特徴は、二つの世界を描いている点にある。一方は、現在の北海道の森で生活を営む彫刻家をめぐる世界であり、他方は北海道の歴史について学ぶ学生をめぐる世界である。この二つの世界はやがて、戦時中の北海道の一家を描いた漫画を軸に混ざり、劇場全体を巻き込む。
二つの世界を交錯させる手法もさることながら、観客もその世界に引き込む劇作術は見事である。北海道の歴史について不勉強である私でも、学生に感情移入することで、作品が描く国による北海道の搾取の問題を理解することができたし、背景を知りながらその土地に住むということについて思いを馳せることができた。特筆すべき点はその描き方である。アイヌ民族の住む土地を強制的に統合した日本への恨みや責任を糾弾するわけではなく、その土地の背景を知り、知りながらその土地に住むということにフォーカスした本作は、歴史と共に生きていくことへの誠実さと尊さを克明に観客に伝えていた。 ただ、あまりに短時間であったために全体が駆け足であった印象が否めず、また舞台装置や衣装がややファンタジー的造形だったことは作品にとって効果的だったとは思えなかった。さらに、音響が大きすぎて台詞が聞こえない箇所があったことは決定的瑕疵となってしまっていた。
しかし、上記のような欠点があったにせよ本作は良作と言える出来であった。加えて、昨今のヨーロッパを中心に注目されているエコロジーやサステナビリティを意識した演劇作品として、本作を評価することもできるだろう。折角作中でそれらを実践している実在の人物(作中では彫刻家たち)を取り上げているのであれば、公演自体もその試みが見られるとより良いのではないだろうか。

深沢祐一

満足度★★★

「他者と向き合い歴史を問う姿勢」

ネタバレBOX

 「私には、距離があります/その時、そこで、生きていなかった、という距離です」

 たまたま買った漫画本を読んだサト(中野葉月)は、そこに描かれていたある家族の戦争体験を読んだときに抱いた感覚についてこのように述べる。彼女は常日ごろ歴史の勉強に余念がないミタ(吉田諒希)とシル(さとうともこ)に詳しく話を聞こうとするが、己の行動に身勝手さを感じ及び腰になってしまう。自分たちもまた同じような気持ちを抱いていると二人に背中を押されたサトは、漫画を読んだときは言葉にできなかった衝撃を打ち明ける。困難を抱きながらも他者や歴史に向き合う姿勢は本作の主題である。

 サトはパートナーで劇団の主宰者であるリタ(田村咲星)とともに、木々や珍しいきのこが目に映える森のなかに暮らしている彫刻家のカナ(田中雪葉)とパートナーのヒロ(赤坂嘉謙)のもとに滞在している。元看護師のカナは仕事に疲れ、森のなかに移住して造形作家として活動してきた。お金はないそうだが満ち足りた様子の二人に、リタとサトは同じく芸術を志す者として共感を寄せているようだ。4人の会話の合間に時折遠くから自衛隊が訓練で出す大砲の音が挟まってくる。

 並行してiPadを片手に歴史の勉強しているシルとミタの対話が描かれる。シルが覚えているのはアイヌの英雄コシャマインが起こした和人への武装蜂起「コシャマインに戦い」の1457年や、松前藩の収奪に対して発生したアイヌ民族の蜂起「シャクシャインの戦い」の1669年、多くの屯田兵が動員された西南戦争の1877年に北海道旧土人保護法が制定された1899年と、道民の歴史にまつわる重要な年号である。この二人の世界に入り込んだサトは、やがて漫画に描かれていた物語について話しはじめる。道南に住んでいたある一家は、夫[赤坂嘉謙・二役]の旭川への招集を機に結婚1ヶ月で別居、妻[田村咲星・二役]は札幌に引き上げる。2年後に帰還した夫とともに幌泉に移住するも、夫は2度目の招集で釧路へ。子ども[田中雪葉・二役]とともに夫に会いにいった妻は、帰り道で幌泉が空襲に遭ったことを知り、帰還した街がめちゃめちゃになっていた様を目撃するーー。

 声高に糾弾するわけでも調べたことをそのまま劇化するわけでもなく、淡々とした日々の営みから公権力に翻弄され続けてきた道民の歴史を浮かび上がらせるこの物語は、我々観客の国家観へ静かに疑義を突きつける。取材を通して体験した迷いや対象との距離感を包み隠さず提示したことで、虚構と現実のあわいを描くことにも成功していた。そういった意味では演劇が本来持っている芸術性が生きた作品と言えるだろう。

 一杯飾りで二つの世界を並行して描き、やがて戦禍の物語を再現するという鮮やかな展開も本作の魅力である。俳優や照明、音響のチームワークがよく取れていたことの証左は、終幕で砲音とともにソーラン節を歌い踊りあげるという、力強くも皮肉な見せ場に結実していた。ショパンのノクターンが流れるなか穏やかに進んでいた森の中の対話が、風船を割る演出で急にシリアスなトーンになるなど、音の使い方がうまい。ただし空襲の描写で妻の心情を俳優が複数名で嘆く重要な場面は、破壊音が大き過ぎて私の席から聞こえにくく残念に思った。

 説明的な台詞がない点には好感を覚えたが、私自身に北海道の歴史やアイヌ関連の知識がなかったため理解が難しいと感じる描写があったのも事実である。その点で漫画の再現場面で一家の暮らす場所が北海道の地図上に灯されていたのは大助かりだった。また森の中の4人のやり取りを見守りながら歴史の勉強をしているシルとミタは、じつは像であるという設定も戯曲を読んで初めてわかったところである。「せんがわ劇場演劇コンクール」での上演を見越しており時間の制約があったからかもしれないが、より肉付けした内容をもっと長い尺で観たかったというのが本心である。

松岡大貴

満足度★★★

固有性と普遍性

ネタバレBOX

中野葉月演じるサトが読んだ漫画本には、ある家族の戦争体験が描かれている。森のなかに暮らしている彫刻家を訪ねた時も、遠くから(いや、近くから)大砲の音が聞こえてくる。吉田諒希演じるミタとさとうともこ演じるシルが学んでいる地域の歴史は、戦火の歴史である。
抑圧の歴史と、描かれた物語と、舞台上の対話が何重にも重なり現実とフィクションと劇中劇がオーバラップする終幕はその境を曖昧なものにする。確かなものはどこにも通底する戦争の足音(足跡)であるというのはあまりに皮肉だろう。地域の歴史は固有のものであって、それを普遍化する必要は全くない。それはそれぞれ違うものだ。けれど戦争という事実と不安があまりにも残酷に歴史を普遍的なものとする。本質的に理解出来ないはずのものを、あたかも理解出来るように感じさせてしまう。これは歴史を学べば学ぶほど見失いそうになる。学ぶことと思考することの差異を、どう埋めるのか。本作を観て考えさせられる事が多かった。

別の視点として、制作面について。今回団体が取り組まれていた他団体との同時上演や、ハラスメント対策に向けた取り組みは評価されるべき点であると感じます。都市部(というより東京)と観客の母数が異なるそれぞれの地域において、発表の場をどう担保して行くかは重要だと思います。どの地域も創作の場にはなり得るのです、独自のコンテクストもあるわけですから。しかし、発表の場としての広がりは単純な動員目標以外の面で取り組まなければならない点も多いかと思います。「制作のやり方も実は「都市部(というか東京)」前提」というパラドックに陥らないようにしなければならないことを改めて意識しました。自団体に留まらず広い視点を持って取り組まれていることについて、敬意を表します。余談ですが自分が観た回で同時上演だった演劇集団シベリア基地の『よすがら』もテンポの良い会話劇で印象的でした。

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