舞台芸術まつり!2024春

コトリ会議

コトリ会議(兵庫県)

作品タイトル「雨降りのヌエ

平均合計点:25.0
丘田ミイ子
河野桃子
關智子
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★★

2007年に結成し、現在は兵庫県を拠点に活動しながら兵庫・大阪・東京在住の6人が劇団員として参加するコトリ会議。そんなコトリ会議が「1ヶ月たっぷり公演」と銘打って、扇町ミュージアムキューブオープニングラインナップのラストを飾ったのが、本作『雨降りのヌエ』でした。

この企画の素晴らしい、いや、もはや凄まじいところは1ヶ月の上演期間のあいだ、劇場の開館時間である10時〜22時まで劇団員の誰かしらが在館していること。つまり、作品の上演はもちろん、「来たらなにかが無料で見られる生展示」など手を替え品を替え、小劇場団体が日々劇場を、企画を動かし続けるという前代未聞の公演なのです。このことは作家や俳優、スタッフなどの作り手はもちろん、観客にとっても多くの発見を与える試みであったと感じます。
「劇場とは観客にとってどういった場所なのか」という現状を観測し、「どういう場所になり得るのか」という可能性を模索すること。そんな前例なき追求があって初めて劇場に辿り着くことのできた観客も多くいたのではないかと思います。

その追求は公演の形式のみならず、創作や上演の方法にも表れていました。
本作は、1公演につき全5本中2本の短編演劇を上演。1本30分弱という上演時間のコンパクトさはさることながら、内容についてもどこからでも、何からでも気軽に観られるようにつくられています。演劇はしばしばその上演時間の長さやテーマの難解さ、チケットの高さなどから敬遠され、映画と比べられる際には「映画は演劇よりも自由に観られる」などと言われますが、本作はまさにその印象を果敢に裏切っていくような公演でした。
それでいて、1公演観たら、他の公演も観てみたくなる、気づけばコンプリートしていたなんて観客の声も少なくありませんし、私自身もまた同じような心持ちを覚えました。私が観劇したのは第夜話と第形話だったのですが、どちらも読み切りのオムニバス小説のような感触がありつつも同モチーフを別視点から切り取った連作的な魅力も感じました。

第夜話『縫いの鼎』、第空話『盗んだ星の声』、第形話『温温重』、第蓋話『糠漬けは、ええ』の4作の各短編は、全てのあらすじが「兄が亡くなったそうだ」から始まっている通り、「兄の死」がモチーフに。
死んだ兄は同一人物であり、4人の弟や妹をそれぞれの話の主人公に据えながら、四種四様の二人芝居形式の会話劇を展開していきます。第糸話だけが毛色がやや異なり、ストレンジシード静岡で上演したリモート作品の改訂版。この作品が入ることによって、他4作から伝わる物語としての「作風」とはまた別の、コトリ会議という劇団の取り組みを把握することができることも意義深いパッケージだと感じました。

ネタバレBOX

観客が演劇をより楽しめるための工夫にも抜かりがなく、当日パンフレットに書かれた導入テキストや兄弟の相関図など物語への没入を手伝い、上演をより豊かなものにしていたと思います。
全体を観るには1作品がかぶることやチケット代などを鑑みて、複数観劇した観客やコンプリートを果たした観客に台本やオリジナルグッズをプレゼントしていたのも細やかな配慮に富んでいて、またリピート率にも一役買っていたのではないかと思います。
俳優それぞれの個性も素晴らしく、死んだ兄を演じた若旦那家康さんの「不在」という強烈な存在感や三ヶ日晩さんと山本正典さん演じる夫婦の歪な距離感、花屋敷鴨さんの心情をダイレクトに表出した大暴れっぷり、妙に落ち着いた兄の分身として笑いを誘う原竹志さんも魅力的でした。
1ヶ月とはいえ限られた時間の中で、「劇場空間と観劇体験をより豊かなものにするための可能性」を拡張し続けた公演であり、劇場の敷居を下げ、観劇という文化をより広く開いたものにする一つの革命であったようにも感じています。

最後に、本作はCoRich舞台芸術まつり!2024春の準グランプリ作品でもあります。
審査では準グランプリにするのか、制作賞するのかの議論が持ち上がったのですが、結果としては、「制作を含むチーム一丸でロングラン公演を叶えた企画力」や「作品全体が外部へと拡げたムーブメント」を評価する形で準グランプリに決定しましたことをこちらでも併せて明記させていただきます。

河野桃子

満足度★★★★

1か月ロングラン短編集公演。公演、トーク、展示、仕込み……行けば人がいて、なにかしら手づくりの催しがやっている。仕事終わりや休日にちょっと覗ける時間割。熱量と労力満載の、大人の文化祭のようでした。

ネタバレBOX

ひとつひとつの短編には、死んだ人がそこにいる不穏さがあります。けれども、軽やかな台詞による可笑しみと、心地よさも感じるのです。そうしているうちに、他の回に上演している別の短編ももっと見たくなる。そう思えるのは、個々の上演の精度の高さゆえでしょう。全編観ると書き下ろしの関連戯曲がもらえるというのも、作品世界が拡張していくようで楽しい試みでした。

共通する家族の物語ではありますが、それぞれが独立した短編です。上演以外の周辺の企画もふくめ、すべてを網羅することが大変なのが良いなと思いました。どの上演回を見るかで短編の組み合わせが変わったり、全部見た人だけが書き下ろし戯曲をもらえるほか、1ヶ月の公演期間中に毎日更新されていく廊下のイラストなど、足を運んだタイミングによって目にうつるものが変わる。それこそ文化祭だな、と。

どこかで紡がれている誰かの物語に、その期間だけ、扇町に行けば会える。その1か月だけ、とある家族と繋がる扉があく。ゆるやかでSFチックな時空の出現が、作風とも劇団とも合っていて、コトリ会議ならではの世界観を上演を超えて楽しみました。

關智子

満足度★★★★

コトリ会議は書類選考の段階で期待値が非常に高かった。作品単体もさることながら企画のコンセプトに惹かれたのも大きい。会場となる扇町ミュージアムキューブを終日開放し、観客は好きなだけいることができるというアイデアは、「劇場」という場の本来のあり方、すなわち広場的役割を果たそうとしている。結果としてその期待値を裏切らなかったと評価できる。

ネタバレBOX

『雨降りのヌエ』はオムニバス作品群であり、全5作品の中から2作品ずつの上演が、期間中の日に2回ある。対象となった作品は「第夜話:縫いの鼎」で、離婚届を出そうとする夫婦を、死んだはずの兄が、離婚届に「クマさんハンコ」を押すことで妨害する話である。話の内容から分かるように、深刻な雰囲気が笑いへと転換されるユーモアの技術は秀逸である。短編でありながら不条理劇さえ想起させる。そのユーモアは俳優3人に共通しているが、特に「死んだ兄」役の若旦那家康の存在感は抜きん出ている。直前まで前説を和やかに行っていた彼が、突然「死んだ兄」としてそこにおり、無表情なのに、いや無表情だからこそ、やっていることのくだらなさが際立つ。
感想を書いてボードに貼れる付箋が当日パンフレットと共に配られたり、壁にかけてあるコンセプトボード(絵画)が日ごと増えたりというアイデアは、劇場がただ上演作品を見るだけの場所ではないことを観客に思い出させる。私はどうしても時間が取れず、開演直前に着いて終演直後に東京に蜻蛉返りせざるを得なかったのだが、スケジュールをキャンセルしてもその場に残ろうかと思ったぐらい居心地が良かった。
小規模でありながら劇場本来のあり方を模索する、深刻な状況でも笑える…そのような二重性を感じさせるコトリ会議の構成力と制作力は、アイデア落ちではなく、どこまでも観客思いの温かいものだった。

深沢祐一

満足度★★★★

「待ちわびていない兄の再来」

 扇町ミュージアムキューブのオープニングラインナップとしてまるまる1ヶ月、さまざまな企画を詰め込み劇団が総力をあげて取り組んだ公演である。

ネタバレBOX

 全4話からなる『雨降りのヌエ』は、5人きょうだいの長兄である四宮幸人が亡くなった2124年10月5日の21時に弟妹に起きた出来事を描いている。どの話にも共通して、客入れの挨拶を終えた若旦那家康が「私は死にました」と舞台に上がると物語が始まり、「兄」として物語に介在し続ける特徴がある。

 「第夜話 縫いの鼎」は4番目に生まれた次女の優香理(三ヶ日晩)と夫の壮太(山本正典)が離婚届に判を押そうとすると、横から兄がくまさん判子を押してきて妨害する様子をコミカルに描く。二人とも幸人が亡くなったことはわかっているし、その場に立ち妨害行為をしてくる点も納得済みであるというところがこの物語の奇妙な点である。優香理は幸人の葬式に行こうとしているが、急に兄思いになった彼女の異変を壮太は見逃さない。どうやら家族にとって兄は邪険の対象だったことがここで示唆される。壮太の不倫を疑う優香理は葬式に行こうとしない彼を咎め、やがて矛先は兄へと……互いの腹を探ろうとする言葉少なな問いかけの応酬と、電動ケトルで湯を沸かす音でできる間が、この夫婦の心情を台詞以上に物語っていて面白い。

 急にSF色が濃くなる「第空話 盗んだ星の声」は、火星へと旅立つ宇宙船での珍事を描く。末弟の和(吉田凪詐)と並んでの宇宙船の最低客席に寝転ぶ友人の高橋隆也(まえかつと)は、傍らにいる兄がずっと自分たちを眺めている様子を気味悪がっている。3年かかる航路の最中は冷凍冬眠が必要のようで、あらかじめ必要な薬剤を渡されたのだが、英語の取扱説明書が読めない高橋は薬剤を全て飲んでしまい体が硬直しかかりパニックに陥っている。地球に何の未練もない二人のヤケクソ、体を固めた状態で寝場所を行き来する様子は面白かったが、ちょっと元気過ぎるように見えた。

 「第蓋話 糠漬けは、ええ」は幸人のすぐ下の弟の康雄(大石丈太郎)が営む占いの館「きら星」が舞台である。息を吸うようにぬか漬けを食べる訪問者の楓智子(川端真奈)は、その臭いに子どもの頃兄から受けたトラウマティックな仕打ちを思い出した康雄に不機嫌な顔をされる。智子はやがて自分は体を乗っ取られて火星人になったことを告白し、和の火星への航路を案じる康雄を戦慄させる。いつの間にか兄の頭には宇宙人のツノが生えており、彼もまた火星人になっていたことが明かされる。今から100年後に訪れる火星人の侵略、黙示録的な未来世界がコミカルに描かれる。

 5人きょうだいの真ん中、長女の理子(花屋敷鴨)と兄の分身(原竹志)との対話「第形話 温温重」を観ると、四宮家における幸人の立ち位置がより鮮明になる。運転中の理子は幸人の分身と子どもの頃父親が起こした事故のことや、その父親の葬儀で見せた幸人の暴挙を咎める。幸人の分身はただ無表情に受け流すだけで、その様子に腹がたった理子は幸人の分身をクッションで散々に殴りつける。やがて理子はトランクのなかにある兄の遺体を県境に捨てにいこうとしているのだと告げる。かたくなな理子に対して幸人の分身がとる行動が常軌を逸してくる。いまにも泣き出しそうな理子を演じた花屋敷と、ずっと舞台上にいる若旦那同様に無表情ながら次々におかしな行動をとる原演じる兄の分身の腹のさぐりあいは見ごたえがあった。ドライブ中にサザンオールスターズの「希望の轍」がかかり、サビに入るタイミングで消音したり、扉の開け閉めや灰皿を回収する擬音を台詞で言ったりするなど、ここでも音とその間が台詞以上に雄弁である。

 本来不在であるはずの兄の幸人が常に物語の中心に位置し、死してなお弟妹たちに影響を及ぼし続けている4作を観ていて、私はサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を想起した。4人とも兄の再来を待ちわびてはいないものの、生前素行がよくなかったからむしろ亡くなってくれて嬉しいかと思いきや、いざいなくなったらその不在に苛まれている点では、ウラジーミルやエストラゴンに近い心持ちだろう。しかしいつまでもやって来ないゴドーとは異なり、可視化された兄が具体的に行動を起こしていた点が独特である。その意味では別役実の『やってきたゴドー』の展開に近いものを感じた。

 番外編の「第糸話」は楽屋落ちとSFの要素を融合させた人形劇である。消息を絶った若旦那家康を探す劇団員たちの珍道中を、映像とアテレコでリアルタイムに紡いでいく。途中に入れ込む音楽やテレビアニメのパロディなど、手数の多い遊びを好き放題やっていて面白い。

 充実した短篇公演を敢行しただけでも瞠目だが、ほかにもトークショーや公演準備の公開、過去公演のリーディングや公開デッサンなど、企画力の高さが伺える内容であった。

松岡大貴

満足度★★★★

アーティストとしての制作者

ネタバレBOX

「公演」を舞台上の表現にとどまらず、そのプロジェクト全体として捉えるのであれば、今回コトリ会議の公演はまさにその全体において意欲的な取り組みが評価されるものであると思います。5本立て作品の1ヶ月興行が日本の劇場公演においてそもそも異例であり、加えてゲストを交えてのトークを行い、過去作品のミニマムな再演もしたらしい、麻雀もしたらしい、デッサンもしたらしい、没台本の上演もしたらしい、お茶も飲んでいたようです。ほとんどが伝聞になってしまうのは、その全容を殆どの観客が観ることは叶わず、僕を含めた審査員や観客各位も全てを目撃することは叶わないためです。その観られなかった何かも含めて自らの観劇体験とするのかもしれません。
コトリ会議は劇団ですので、劇団員が総力を決して行ったと考えられると思います。しかし、同時に、これらを総括する制作者は、制作者のまま1人のアーティストとして表現を行ったと解釈するのであれば、今回のコトリ会議においては対象演目のみならず、全体として評価すべきだと考えています。

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