舞台芸術まつり!2023春

うさぎストライプ

うさぎストライプ(東京都)

作品タイトル「あたらしい朝

平均合計点:22.2
丘田ミイ子
關智子
園田喬し
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★★

 果てしのない絶望の夜の中、されども祈る朝の訪れを探し彷徨うような喪失と再生のこの物語には、長く続くコロナ禍における誰しもに失われた時間を補完していくような手触りがありました。チラシにあった“どこにも行けなかった私たち”という言葉は、舞台上から客席へとするりと滑り落ち、そのまま私たちの手を取り、ともにそのピンク色の車に乗せてしまうような。そんな一体感と共振を忍ばせた導入が劇への没入感を確かなものにしていたように思います。

ネタバレBOX

 亡き夫とその残像を抱えながら生きる妻を巡るタイムトラベル。

 「夫が死んだ」という事実よりも「生きていた」という事実を、その時間を瑞々しく映し出すような演出には物語や演劇そのものが人物の喪失にグッと近づき、その身にギュッと寄り添うような温かさがありました。

 しかしながら、「温かさ」というものでは到底誤魔化しのきかない「痛み」の深さ、その描写も生々しく描かれていて、妻を演じた清水緑さんの次の瞬間に泣き崩れるのか、はたまた大きく笑い出すのか予測のできない心の紙一重さや、夫を演じた木村巴秋さんのつかみどころのないままに飄々と舞台上を遊泳するような人懐こい揺らぎは、この作品の核心的な魅力を一際具に表現されていたように思います。

 その傍らで葬式帰りの二人という現実的風景を担った亀山浩史さんや菊池佳南さん、母であり、友でもあるという二役を全く別の眼差しで好演した北川莉那さん、ガイド的役割を担いながら、抽象的に描かれる生と死の狭間をシームレスに行き来する小瀧万梨子さんと金澤昭さん。さまざまな時間軸が混在する物語をその身に背負う俳優陣の確かな技量は元より、それぞれの個性と強みを存分に活かした配役と演出が、生と死、喪失と再生を巡るこの「旅」を時に淡く、時に確かに縁取っていました。

 叶わなかった旅を再現する旅には、そのピンク色の車には、無論数知れぬ後悔が相乗りしていて、妻であり娘である女性が旅の途中でふと在りし日に思いを馳せるシーンには、痛々しくも避けられない景色の数々がありました。この作品の結末や魅力を他者に伝えようとする時、「そんな旅の目的地が希望の“あたらしい朝”だったのです」という回収ではどうも言葉が足らず、その後悔の数々を諸共抱きしめて生きていくしかない、“目的地”に設定せずとも「いつかは新たに迎えざるをえない朝である」ということに本作の切実さは光っていた気がします。

 「不在」という「存在感」を強烈に忍ばせた本作は、一つの朝でありながら、長い夜でもありました。営みであり、弔いでもありました。そしてやはり、祈りであったと思います。

 『あたらしい朝』とタイトルが角張った漢字ではなく、丸みのあるひらがなであることにもどこか心を掬われるような、本作の中身との親和性を感じたのですが、そのチラシには、「A WHOLE NEW MORNING」という英題が併記されていました。

 「A WHOLE」という単語は、「これまでに見たことのない、まったくの未知の」という意味があります。ただの「NEW」ではない、見たことのない、未知の朝。その景色が少しでも彼女を救うものであってほしい。旅に立ち会った一人として、そんな祈りを抱かざるをえないラストであり、劇場を出てからもそんな気持ちは長く心に残り続けました。

關智子

満足度★★★★

 演劇的仕掛けとユーモアがふんだんに織り込まれた愛すべき作品である。劇作家、演出、俳優、美術等において総合的にその技術が高く評価できる。

ネタバレBOX

 元ネタとなっているのは上方落語『地獄八景亡者戯』である。その残された妻の側を中心とし、彼女の複数の旅が重なって描かれている。俳優の演技力が高く、情景描写に長けているために観客も共に彼女の記憶/体験の旅に出ることができる。本作はコロナ禍に描かれたということもあり、好感が持てた。

 何より本作で優れていたのは、戯曲における記憶/体験/想像のレイヤーの織り重ね方である。いないはずの夫・龍之介とユリのドライブからヒッチハイカー・山本ユカリをピックアップしてそのまま行ってしまう旅行、龍之介とユリの新婚旅行、ユリと母親の旅行が複層的・連続的に描かれると同時に、そこに龍之介の死者の旅路や彼の葬儀のシーン、死んだ母親との会話などが挟まれる。それらは想像/現実の区別が明瞭に付けられないまま、他の次元に緩やかに干渉しており、付かず離れずの距離感が心地よい。

 死を描く際の軽やかさに対しても好感を持った。バランスよく散らばったコミカルなシーンのせいもあり、全体を通じてノリの軽さが特徴となっているが、それとの対比により、既に死んでいる母親と夫に対するユリの寂寞とした思いが伝わってくる。重苦しくならないからこそ、それが一層切なくもあった。

 シンプルだが具体的な舞台美術・小道具と演技によって、描かれる旅は観客の想像力をともなったリアルなものとして劇場に立ち上がっていた。他のメディアではできない、演劇ならではの魅力が発揮されていたと言えるだろう。

園田喬し

満足度★★★

 まず何より、出演者たちの好演が光る作品だと思います。リアリティと特異性の境界を行ったり来たりする、独特の存在感を放つ俳優たち。この身近な存在があるからこそ、演劇上演としての魅力が増したことは間違いないでしょう(勿論その演出を手掛けた演出家にも拍手)。コロナ禍に執筆された一作で、旅や人間関係に想いを馳せる物語は、ステイホームやソーシャルディスタンスを経験した人々から共感を得やすく、同時代性の高い作品と言えます。個人の夢の中を散策するような私小説風の語り口や、ファンタジー要素を含む世界観も良いアクセントになっていました。

深沢祐一

満足度★★★★

 生者と死者がともにいる世界

 新型コロナウイルスが猛威を振るっていた2020年に上演されたアトリエ公演のリメイクである。多くの人が亡くなり常に死の恐怖と隣り合わせだった感染症禍があってこそ生まれた作品といえるだろう。

ネタバレBOX

 ピンクの自家用車で山道をドライブ中の高木龍之介(木村巴秋)とユリ(清水緑)夫妻は、ヒッチハイクをしている山本ユカリ(北川莉那)を拾い羽田空港へと向かう。ユカリは7年付き合った彼氏に振られ、傷心旅行への道すがらであった。当初はよそよそしかったユカリが同郷の同い年と知ると、ユリはすっかり心を許し、龍之介の反対を押し切って一路東南アジアへと向かうことになった。

 飛行機でユリは龍之介との新婚旅行のときのことを思い出す。客室乗務員(小瀧万梨子)に英語が通じなかったことや、ユリの母の反対を押し切って結婚したことが心残りであったこと、現地でもピンク色のレンタカーに乗って恋愛バラエティ番組「あいのり」よろしく見ず知らずの男女を拾ったこと……到着してメコン川クルーズや寺院参拝などを満喫した3人は、つぎはトルコのイスタンブール、そしてイタリアのヴェネツィアなど世界各地への旅を続けていく。道中ではユカリが相乗りしてきたかなやん(金澤昭)に失恋したり、龍之介が高校時代の知り合いのミキ(菊池佳南)と大沢(亀山浩史)夫妻に出会ったりなどさまざまなことが起こる。この旅のなかで龍之介の存在は徐々に薄まっていき、やがて彼は本来「いないもの」とされてきたことが分かる。

 私が面白いと感じたのは、時間や空間が自在に行き来し、彼岸と此岸の境界が取り払われた作品世界のなか、さまざまな位相にいて本来は邂逅しないはずの登場人物たちが舞台上に出現していた点である。いわば本作の主役はこの荒唐無稽な世界そのものであり、登場人物や描かれたエピソードを鵜呑みにするのではなく、この世界の表象や構成しているパーツと捉えて観てみればわかりやすい。しかもこの荒唐無稽さが極めて自然に、ときにおかしみを交えて描かれていた点が独特である。本来は亡くなっている龍之介とユリが一緒にドライブや旅行に行くことはあり得ないが、二人とも龍之介の死を当然のことと受けとめ、感傷を交え得ることなくイチャつきあっている。ユリはユカリにも龍之介を紹介し、彼が亡くなっていることを示唆するがユカリも動揺していない。無論龍之介が幽霊であるなどという言及もない。この世界のなかでは死は生と地続きなのである。観ていて私は、東日本大震災の直後に被災地のタクシー運転手がしばしば幽霊の客を乗せたという証言を思い出した。そう考えれば、実は生きているのは龍之介ただ一人だという解釈も可能なのかもしれない。

 コロナ禍に伴い大幅な外出制限を経験した我々観客が、感染症と隣り合わせだった人類の歴史に切実な思いを抱く描写があったことも忘れ難い。一部の登場人物がペストマスクを被っていたりひどく咳き込む描写が挟まれていたりしたことに加え、ヴェネツィアの場面でペスト患者の集団墓地の話題や、コレラが蔓延していた時期を描いた映画『ベニスに死す』で使用されたマーラーの「アダージェット」が鼻歌で流れたように聞こえたことなどからも、作者の意図は伺えた。初演では本作の旅行の描写に掻き立てられた観客が多かったであろうことは容易に想像できる。

 数台のパイプ椅子を移動させるだけで車中をレストランに、そして船中に変えるなどテンポの良い展開もうまい。龍之介とユリ、ユカリが海鮮丼を食べている横で、葬式から帰ってきたミキと大沢がいて龍之介の死を示唆したり、数役を兼ねる俳優が旅行の場面で演じる役を自然に入れ替えたりすることで、過去と現在の時間軸をするりと移動させて舞台に厚みを持たせることにも成功していた。奔放に行き交う空間と時間、そして登場人物の移り変わりは目まぐるしく、その後の展開を示唆する歌謡曲や落語を入れ込むなど手数の多い演出は感心したが、果たして自分はいまなにを観ているのかと混乱を覚えたことも事実である。とはいえ本作の感触は他ではなかなか得難いものであったことは疑いえない。

 龍之介の葬儀を終えたユリは、今は亡き母を連れてドライブにいく。道中でヒッチハイクをしている龍之介を拾うと、3人でどこかへと旅立っていく。暗転するなか舞台前方に置かれた花がぼんやりと輝きを放ち、それがこの数年間の死者への鎮魂であるかのように見えたのは私だけではないと思う。

松岡大貴

満足度★★★★

 いつか思い出す旅路と、コロナで流した涙について

ネタバレBOX

 2020年10月にアトリエ春風舎で上演された作品のリメイク。ドライブにでた若夫婦がヒッチハイクをしている女性と出会うところから始まる。妻がたずねる 旅行ですか? と。

 簡素ながら幻想的な舞台を構成する美術と照明の中で、場面は思い出とも夢とも回想とも呼べるような曖昧さで挿入される。現在の旅行と過去の新婚旅行、車内と飛行機あるいは船の上、登場人物たちも今の役なのか過去の役なのか、あるいは夢の中なのか、その曖昧さは本来観客が場面を認識するのにストレスになってもおかしく無いはずだが、ここでは心地よい。それは、本当は死んでいるかもしれない夫や、もう戻らないかもしれない時間や世界そのものを、曖昧さが包み込んでくれているからかもしれない。思えばこのコロナの数年間は、まるで現実感の無い日々を過ごした人も多いのかもしれない。けれど、決して戻らない時間と失った人々だけが現実にはあって…。その空虚な時間を埋めるような、思い出せない日々を虚構と幻想が補完するような作品に、この作品がなると良いなと思う。最後に、制作だけではなく出演、音楽と八面六臂の活躍を見せていた金澤昭に何らかの賞をおくるべきでは無いかと審査会において複数の意見が出たことを申し添えて置く。残念ながら該当する賞が無かったため、劇団内にて存分に労って頂けますことを。

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