舞台芸術まつり!2023春

Aga-risk Entertainment

Aga-risk Entertainment(東京都)

作品タイトル「令和5年の廃刀令

平均合計点:00.0
丘田ミイ子
關智子
園田喬し
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★★★

 どれだけ厳しめに見ようとしても、不足や過分を探ろうとしても、本にも演出にも俳優の演技にも余すことのない工夫が凝らされていて、絶妙なバランスが保たれていて、ただただ面白く、素晴らしい演劇として受け止める他なかった。エンタメでありながら社会劇でもあったこの演劇には、そう思わざるを得ない完成度の高さがありました。

ネタバレBOX

 その最も大きな理由は客席の熱気、つまり群衆=観客を演劇の内側へと巻き込む力ではないかと思います。目の前の劇へのリアクションとして観客の笑いや唸りなどの反応が前のめりに起こること。そして、それを受けて劇がより一層にうねりを上げていくこと。このある種の共犯関係はそう簡単には築けるものではないと痛感しますが、終始その相互接続が崩れることなく、客席と舞台におけるコミュニケーションが類を見ない形で成立していたように感じます。

 「廃刀令」という架空の法令を巡って、あらゆるセクションのパネラーが議論を交わし、それを聞いた観客が実際に「投票」という形で参加する、その投票結果によって結末が変わる、という劇構造もまたユニークであり、それを最も自然な形で行える場所として公共施設を劇場に選んでいたことにも「果たしてこの演劇はどう手渡されるべきか」というパッケージの追求を感じました。上演の間、私は単なるオーディエンスではなく、この劇における区民Aといった一人の役として存在していたような気がします。

 さらに魅力を感じたのは俳優陣の表現力の高さです。9名の俳優からはいかにも「どこかにいそう」なリアリティと議会というかしこまった場でこそ点滅する人間の可笑しみや情けなさが滲んでいました。当日パンフレットには舞台上での役の立ち位置と俳優の名前が併せて明記されており、「いいな」と思った俳優の名前がすぐに分かるようになっていたこともとてもいいと思いました。これは観客にとっては勿論ですが、興行元が出演を担う俳優に対して示す一つの敬意でもあるとも感じます。

 進行を務める司会の他、刀剣教会の支部長、日本史を研究する歴史小説家、インフルエンサーとしても活動する刀職人、刀による傷害事件の加害者、フェミニズム観点から護身としての刀剣所持を専門に研究するジャーナリスト、武器ではなくガジェットとしての機能を刀に見出そうとするものづくり系ベンチャー企業の経営者、古武術系YouTuber、元区議会議員の社会運動系NPOの理事など様々な識者がパネラーとして集い、あらゆる切り口から廃刀令に賛成すべきか、反対すべきかを語る本作。架空の「廃刀令」や、一般市民の帯刀を普通とする設定そのものには現実味を持てずとも、ディベートの様子にはまさに今あらゆる公共が声高に叫んでいる「ダイバーシティ」そのものの手触りがあり、舞台上の景色が自ずと今の世相にスライドすることで、頷いたり、首を傾げたりすることができるまでのリアリティが担保されていたように思います。

 アガリスクエンターテイメントが目指すのは、「ポータブルで持続可能な演目づくり」。究極、机と椅子と俳優さえいれば上演ができる本作の開発は、“いつでも、どこでも上演できる新しいレパートリー作品”として大成功を収めたのではないでしょうか。今後も日本中の公共施設に持ち運び、繰り返し上演されてほしいと思います。

關智子

満足度★★★★

 テーマ設定、問題提起の手法、劇場(会場)設定および運営、劇作術等において総合的にエンタメとして高く評価できる作品である。

ネタバレBOX

 討論劇は演劇史上最も古い形式の一つと言え、したがってその内容と展開には目新しさが要求される。本作は「令和の時代に帯刀があったら」というIF設定がユーモラスであり、同時にそれが現代社会を鋭く反映、批評するものであったという点において、発想力と洞察力の高さが伺える。

 制作・運営の手捌きは流石と唸るものがあった。世界観を崩さないよう設定に忠実であったスタッフの存在感、滞りなく投票システムが稼働するように動いていたのも見事だった。この投票システムはやはりエンタメとして面白かったし、演劇作品および政治活動への「参加」の重要性・責任を感じさせるものとなっていたが、それによって変化を付けた結末に大きく差がないのがやや気になった(もちろん劇作上やむを得ないことではあるのでないものねだりに近いとは自覚しているが)。

 また、登壇者とそれを演じる俳優のバリエーションも楽しかった。恐らく実際にこのような場になったら呼ばれるだろうと思われるような人物(例えば元議員・上林美貴や「るろうに先生」と名乗る元刀剣傷害事件の加害者・吉光裕之など)から、恐らく行政はこのような人物を呼ばないのではと思われる人物(鎖鎌を推奨するYouTuber・高橋俊輔など)まで幅広い。彼らの主張は当然予想されるものから、鋭いもの、さらには突拍子もないものまで多様であり、それらが並置されているという意味で昨今のSNSやメディア上での議論を連想させた。俳優たちの演技は、その立場の「代表」という意味でも「再現」という意味でもrepresentationとして優れており、ややステレオタイプ的ではあるものの好感を持てる人物が多かった。

 他方で、社会問題を取り上げるものとしてはより掘り下げるべきだった点がいくつかあったのはもったいなかった。例えば、必然的に観客の多くはアメリカにおける銃の所持についての議論を連想すると推測されるが、そこで展開されているような議論(例えば犯罪率の高さや自衛の権利、企業と行政の癒着、自由についての議論など)はあまり出ていない。

 もちろん、社会問題に対する議論への鋭い指摘も散見される。例えば、司会であるはずの宮入智子が自らの立場を捨て、当事者として被害を訴えた際に、小説家・広木由一が「当事者の言葉が非当事者よりも優位にあるわけではない」という指摘は、昨今白熱しがちなメディアでの議論に必要な冷や水であろう。ただ、エンタメ性に全体が従事しているために、もう少し踏み込むべきだった点もあっただろうと思われる。

 総括すると、ユーモアとシリアスが織り込まれた優れたエンタメ作品であり高い満足度を得ることができたと言える。社会派エンタメとしては、より現実社会を反映させるスリリングさが求められるだろう。

園田喬し

満足度★★★★

 観劇後に残した自分用のメモには「横綱相撲」の四文字が。それほど磐石な上演だと思います。団体が得意とし、かつ多くの上演経験を有する「会議劇・討論劇」の新作であり、演出家、俳優共々、その経験値を大いに活かしています。安心して観劇できるシチュエーションコメディとして、観客を選ばない一作だと感じました。選んだモチーフも多くの社会問題に置き換えられるため、深掘りをして楽しむことも、エンタメとして割り切って楽しむことも、どちらも可能だと思います。一人ではなく誰かを誘って観に行きたくなる。そう思わせてくれる団体であり、作品と言えるでしょう。

深沢祐一

満足度★★★

 観客が物語の鍵を握る討論劇

 2年前に小学校で発生した日本刀による無差別殺傷事件を受け、某区でタウンミーティング(政治家などが一般市民に対して行う対話型の集会)が催される。歴史上初めて出される廃刀令の是非をめぐり、8人の有識者が1時間に渡り激論を交わしていく。

ネタバレBOX

 司会の宮入智子(前田友里子)からの紹介を待たずして議論の口火を切った社会運動家で元政治家の上林美貴(榎並夕起)は、総人口よりも刀の本数が多い現状を憂い、廃刀令を実現することで安全で安心な世の中を実現するべきと正論を述べる。それに対し全日本刀剣協会で地区支部長を務める隅谷剣慈(矢吹ジャンプ)は、和服に二本差しの姿で「刀は日本人の心」と豪語し、教師全員が帯刀していれば抑止力となり無差別殺傷事件を止めることができたのではと持論を展開し真っ向から対立する。同じく反対派でもジャーナリストの月山亮子(鹿島ゆきこ)は、女性が帯刀することでセクシャルハラスメントの被害を抑止できるという持論を展開。元ヤンキーで傷害事件を起こしたが、今では心を入れ替え刀は抑止力にならないと述べる吉光裕之(斉藤コータ)とは噛み合わない。自分は帯刀しないものの帯刀しないことを中央政府に強要されることは厭うという立場を取る歴史小説家の広木由一(淺越岳人)を除き、刀職人でインスタグラムを通じて美術品としての刀剣の魅力を発信する八鍬舞(江益凛)、刀ではなく鎖鎌の普及を推進するユーチューバーの高橋俊輔(古谷蓮)など、それぞれの立場から好き勝手賛否両論とツッコミを交わし続け、議論は度々横道に逸れる。

 挙げ句ものづくり系ベンチャーの若手社長・瀬戸英典(伊藤圭太)が日本刀に交通系ICカードの機能やモバイルバッテリを搭載した「スマ刀」をプレゼンテーションすると、有識者たちは「スマ刀は日本刀か否か」で議論が割れて収集がつかない。各論者の思惑が交錯し立ち位置が揺れるなか、果たして客席の市民は賛否どちらに票を入れることになるのか――ことの顛末を見守った我々観客はあらかじめ渡された投票用紙の「賛成」「反対」のどちらかを丸で囲み投票箱に入れ、その結果によって二通りの結末が描かれることになる。

 私が面白いと感じたのは実際に杉並区と墨田区、そして私が鑑賞した豊島区の行政施設で上演を実施し、スタッフ全員がフォーマルスーツを装着して現実に行政が実施している行事らしさを演出した点である。結末が観客の投票によって分かれ、会場によっては集計結果を壁に貼り出して掲示したという趣向は感興をそそるし、当事者意識をもって鑑賞した観客も少なくないだろう。こうした独自性を徹底させた制作サイドの手腕は一目に値する。

 さまざまな立場の登場人物による討論劇として一定の説得力を持っていることは先述した通りだが、ところどころに入れ込まれたギャグや小ネタも面白い。傷害事件を起こしたものの更生した吉光が「るろうに先生」としてメディアで有名になったという設定や、公共の場で刀を抜いた写真が拡散したため八鍬がネットで炎上するといった顛末などが特に印象に残っている。俳優たちはやや過剰なまでの力演であったが、それぞれに見せ場があって客席から見てとてもイキイキしていて飽きさせなかった。特に各論者の主張を拾っては自分のそれへと強引に展開させるしたたかな上林を演じた榎並夕起、切れ者でシニカルだが稀に温情を見せる広木を演じた淺越岳人の芝居が印象に残っている。

 私が疑問に感じたのは本作が前提としている日本の歴史変遷と現実に起きている事件との乖離である。月山は、明治維新を経て階級がなくなり、まずは男子から身分を問わず帯刀できるようになり、終戦後に女性の帯刀が許されるようになったと歴史的経緯を説明していた。また隅谷の発言に鑑みると、成人すると親が子どもに刀を贈る習慣があるようだ。実際の歴史では明治期に廃刀令が出たわけだが、徴兵令に伴い武士の帯刀が必要なくなったという背景がある。それでは本作において日本はどの程度の軍事力を有しているのか、帯刀はよしとされるものの抜刀は許されない理由は何故か、海外からはどのような目で見られているのか……以上のような疑問に対する解答が明示されないまま物語が進行していくため、設定そのものに無理があると感じた。例えば日本が現代でも鎖国していて近代化が著しく遅れている全体主義的な国家で、ナショナル・アイデンティティとして帯刀が義務化されているという次第であるならばある程度納得がいくが、舞台上の登場人物はどこにでもいる現代人であり、情報技術へのアクセスも不自由しておらず、思想信条の自由も許されている。コメディとして秀逸なだけに、鑑賞するなかで度々思い浮かんだ設定の齟齬がなおざりのままであることが気になった。

 また現実世界で頻発している銃による無差別殺傷事件にも注意を払う必要があったのではないだろうか。例えばアメリカでは、合衆国憲法修正第二条に基づき武装することが国民の権利であり、建国の精神に繋がるという考え方が根強い。また全米ライフル協会と共和党が強く結びついている事実もある。銃規制が進まず現在でも銃乱射事件が頻発する背景から、本作で語られた以上に根深い断絶を見る思いがする。ノルウェーのウトヤ島で起きた銃乱射事件の犯人が移民に敵意を抱いていたことや、セルビアの銃所持率の高さがユーゴスラビア紛争に起因するなど、市民の武装には根深い背景があることは疑い得ない。コミカルなやりとりが続いたあとの終盤、司会の宮入が立場を無視して迫真の訴えかけをして会場は水を打ったように静まりかえるのだが、この主張が私には深く響いてはこなかったのは残念である。

松岡大貴

満足度★★★★

 ウェルメイドなシチュエーションコメディ。

ネタバレBOX

 もし現代まで帯刀が認められていたら、という世界を舞台にした討論劇。現代に相次ぐ刀剣による殺傷事件を受けて廃刀令の是非を議論するタウンミーティングに観客は参加しているといった構図。

 まず真っ先に意識するのはアメリカの銃規制の問題であろう。銃乱射事件が頻発してもアメリカが銃規制に踏み切れずにいるのに対して、それを日本における刀に置き換えるのはそれぞれのナショナル・アイデンティティを上手く置き換えているように感じた。

 しかしそれ以上に、コメディとして面白い。廃刀令の推進派、反対派に分かれた有識者が壇上で討論している様子は「朝まで生テレビ!」よろしく、議論の深まり以上にある種のエンターテイメント性を内包している。登場人物たちの造詣も豊かで、全日本刀剣協会の支部長や(さながら全米ライフル協会のような)、いかにもメディアに“美人”政治家と揶揄されそうな女性活動家、斜に構えた歴史小説家など、登場人物それぞれに見せ場があり、魅力があった。もう一点、評価すべきは会場を劇場ではなく区民センターなどの公共施設にしたことであろう。タウンミーティングといった設定を生かす上で、演出と制作体制が一体となった会場選定は観客にとっても効果的で成功していたように思う。応募時に団体が書いていた「ポータブルで持続可能な演目づくり」という点も、各地の行政施設で上演可能な作品と考えれば狙い通りであろう。

 概ね面白いエンターテイメント作品として楽しんだが、審査会で別の審査員からは歴史的解釈やリアリズムとしての問題点について指摘があった。「国民皆が帯刀している」という点や、それが何故現代まで許容されているのかといった視点を持つと疑問に感じる観客もいるのだと認識した。シチュエーションコメディの設定にどこまで細部を求めるかは考え方次第の部分もあるかと思うが、指摘には肯く部分もあったので記載しおく。

このページのQRコードです。

拡大