舞台芸術まつり!2022春

ホエイ

ホエイ(東京都)

作品タイトル「ふすまとぐち

平均合計点:23.0
大川智史
河野桃子
鈴木理映子
關智子
深沢祐一

大川智史

満足度★★★★

 津軽弁で演じられる本作ですが、日本全国どこの地域でもあり得る光景を、青森を舞台に戯画的に描いたように見受けられました。

 キャストはみなさん芸達者で、キャラクター造形がくっきり浮かび上がる好演だったと思います。親子を演じた成田沙織さん、井上みなみさんのお二人が特に印象的でした。

 津軽弁はびっくりするくらいわからず、最後まで慣れることはありませんでした。ですので、開演前の津軽弁講座は楽しくて、実用的でした!また、アフタートークにTwitterのスペースを活用していたのもナイスアイデアだと思いました。座組みの人だけでなく、ゲストを呼んでのトークというのも、アフタートーク感が強くなっていいですよね。

ネタバレBOX

 ”日本全国どこの地域でもあり得る光景”と書いたものの、あまりに救いがないドラマでリアリズムで正鵠を射るには重たいために、キャストの演技を含め全体的にデフォルメしたのではないかと思いながら鑑賞しました。全体的に味付けが濃いめなのですが、個人的にはこれくらいじゃないと逆に辛くて見てられないかも知れないとも思いました。

 日本の「家」は、本当に重いなと改めて考えてしまいました。子どもがないことから関係が崩れていくというのは、辛く理不尽なことだと、ラストシーンを見ながら悲しくなりましたが、これもおそらく日本全国どこにでも未だに実際にあることなのだろうと思います。

 10年以上前に劇団野の上で今作と同様に山田百次さん自身の演出で初演された戯曲ですが、作品の完成度は高いと思いましたし、観劇後の満足度としても高いものがありました。ただ、鑑賞中は辛く怖い気持ちが勝っていました。

 描かれるエピソードは数々の暴言や恫喝、嫌がらせ、身体的な暴力が多く、津軽弁を早口で捲し立てるキヨ(=山田百次さん)の話し方もあり、なぜか客席にいるだけの私まで怒鳴られているような気分にもなりました。開演前の津軽弁講座のほのぼのした時間が懐かしく感じたほどです。

 それはもちろんこの作品にとっては悪い意味ではなく、台本も、キャストの演技も、キヨが火を使って桜子(=三上春佳さん)を襲う演出も、それだけ迫力があったのだと思います。

 ただ、家では誰も逆らうことができないキヨも、「外」の世界と交わるとき、その立場は急激に揺らぎます。悪徳商法のカモになり、高額な布団一式を買わされたり、「早起きの会」なる新興宗教(?)に会費を払っていたり(それなのにたびたび家を訪れる信者2人には陰で悪口を言われている始末)と、途端に社会的弱者の立場に追い込まれていることが分かります。演劇作品の設定としては面白いと思うと同時に、その状況自体はどこかやりきれない気持ちになりました。

 家の中という閉ざされた空間では、絶対王政のようなキヨの王国ですが、その王国は誰も気づかないうちに危機に瀕していました。それは外敵だけではなく、キヨ自身の頭の中に潜んでいた訳ですが、その時が来るまで誰も気づくことはありません。

 キヨが卒中で倒れ、かつて押し入れだった場所が、キヨの病室となり、押し入れの主だった桜子は家で家事をしています。ラストシーンでは、配偶者であるにも拘らず、桜子が家族であることを拒否するも同然の扱いをしていたトモノリ(=中田麦平さん)と「ただいま」「おかえり」とぎこちなく言い合います。おそらく今後、月日が流れると、その会話がもっと自然に交わされるようになるのだろうと想像されます。

 こう書くとどこか救いがあるようにも見えるのですが、きっと彼らのこの先に待っているのは、ほぼ寝たきりで、医療器具に生かされる状態となったキヨの介護でしょう。小山内家は大きい押し入れのような場所で、この先も光が届かないのではないかと想像しました。でも、小山内一家はきっと誰もこの場所から逃げることができず、孤立を深めていくのだと思います。それがこの作品で描かれている「日本の家」なのだろうと考えると、やはり救いがないドラマだなと思ってしまうのです。

河野桃子

満足度★★★★

 全編、津軽弁。あえて東京公演とのことで、基本的には津軽弁がわからない人に向けて、どこまでの言葉ならそこで起きていることが伝わるか/伝わらないか、意識的に言葉を整理されていたと思います。さらに事前の津軽弁講座がありがたく、教えてもらった言葉を探しながらせりふを聞きました。おかげで津軽の空気とともに、その場でなにがやりとりされているかも伝わったと思います。津軽弁の音も美しく、東京にいながら東北の土地の音を聞けたことは良い体験でした。

ネタバレBOX

 冒頭のキヨ(山田百次さん)の爆発的なキャラクターからはじまり、登場人物たちがエネルギーにあふれていて引きつけられました。デフォルメされているとは思いますが、実は、一生懸命しゃべっている人達は実際あのように独自の威力があったりするので、ふと「見たことある……」という瞬間にも出会えるのも笑ってしまいます。

 笑うだけでなく、迷惑をかけあっても離れられない不器用で複雑な思いが交差していく様には、物悲しくも、愛しくもなりました。また、血縁者は離れられないからこそ離れ、非血縁者であるからこそ離れない……「家族」とはなんだろうと考える戯曲構成でした。

 また、俳優個々にパワーがあるため、言葉の端々から想像できる個別の人物背景は、もっと明確であってもよいのかなと思いました。それほど、今、ここ、で起きている生身の発信に力があったと思います。

 居間と押入れの間との間に壁があり(←舞台上にはないですが)一度廊下に出なければいけない、また、闇の向こうにある玄関という舞台美術と照明がよかったです。見えないけれど、そこにある壁。しかし少し手間をかけてくるっとまわれば到達できる空間。しかしその奥にはふすまが閉じている。また、どこか外の世界へと続いている戸口。それらは人物たちの関係性や心理をビジュアル化しているようで、それが田舎の日本家屋と密着していて、「家」に飲み込まれそうでした。

 公演期間中、また公演終了後に、Twitterのスペースでゲストを呼んだトークを企画したのがいいですね。上演時間が2時間ほどあり、アゴラで自由席だったので2列目までは低いイスだということを案内いただけたら腰が幸せでしたが……長くは感じませんでした。

鈴木理映子

満足度★★★★

 ほぼ全編津軽弁によるドタバタ家庭劇。上演前にプロデューサーによる簡単な津軽弁講座があり、(結局わからない部分は思っていた以上にありつつも)楽しく観劇できました。

 いじわるばあさんを思わせる姑・キヨ(山田百次)と必要な家事以外の時間は押し入れに閉じこもって暮らす嫁・桜子(三上晴佳)の嫁姑戦争を軸にした物語は、過剰な事件も交えつつ、終始ハイテンションな演技で進行します。ですが、実のところこの物語の背景にあるものはむしろ、重苦しく苦い現実ではないでしょうか。

 非正規の仕事しかない長男・トモノリ(中田麦平)しかり、出戻りの娘・幸子(成田沙織)しかり、キヨの支配するこの家から自立すべきだと知ってはいても、すぐにそれを実行できるような状況にはないようで、だからこそなんとなくキヨの支配に従っています。一方、敵対しているはずの嫁姑の関係には、キヨが嫁に悩みを共有する「親族」なる怪しい団体と引き合わせようとしたり、桜子がキヨの嫌う虫をハサミで撃退したり、急病の気配にいち早く気付いたりと、緩やかな絆を伺わせる面もあります。二人は共に孤独を抱えながら「家庭」を支える役目を負う仲間でもあるのです。

ネタバレBOX

 桜子が閉じこもり、時折内側から抵抗の意を示すために「ドンッ」と叩く押し入れは、終盤キヨの療養するベッドとして使われます。この押し入れが、この家族の心臓部なのではないか、逃れたくても逃れられない「家族」を象徴し、つなぐものではないかと想像すると、この劇の空間設計のダイナミズムに驚くと同時に、日本(のとりわけ地方)を覆いつづける生活の不安と、「家族/親族」の呪縛のリアルな重みに思いを馳せずにはいられませんでした。

關智子

満足度★★★

 テキストと空間の立ち上げ方に巧緻さが光る、ホエイの代表作となり得る一作。

ネタバレBOX

 姑による嫁に対する「いびり」とその結果の嫁の押し入れへの引きこもりが表出する家庭内の歪みを、時にコミカルに時に不条理に描く。温かい言葉はほとんどなく、互いに対する不寛容だけが込められているが、津軽弁のリズミカルなやりとりによって本来そこにある陰湿さがなくなっている。テキストは「嫁いびり」を通り越して家庭内暴力にまで展開する粘着と苛烈さを、しかしそれらを感じさせずにエンタメとして展開しており、山田百治のバランス感覚に脱帽した。

 そのバランスは俳優の演技にも見て取れる。山田が演じる老婆、中田麦平が演じる小学生男子は、もうほとんど本人であり老婆や小学生に見えるかというと怪しいのだが、それゆえに滑稽さと嫌悪感を抱かせるのに十分な効果がある。特に印象に残ったのは成田沙織の演じる小姑である。嫁や自分の娘に寄り添うように見せながら実は誰よりも自分本位である、その図々しい様を見事に演じ切っていた。

 嫁が引きこもっていた押し入れがやがて姑が寝たきりになるベッドとなる構造は見事であり、また単なる復讐劇にしない結末は観客に思考の余韻を与える。他方で、テーマとなるその押入れの「ふすま」を最後まで見たかったという欲望もなくはない。また、コミカルに振ったためか、いまひとつ感情的に動かされる部分が少なかったのは(恐らく意図的だろうが)やや物足りなさを感じた。とはいえ、テキストと空間の構成、演出の合致は見事であり、本作はホエイの代表作となり得るだろう。

深沢祐一

満足度★★★

 行き止まりの家庭に集う人々の末路

 全編津軽弁の激しい応酬が会場を沸かせる家庭劇である。

ネタバレBOX

 小山内家に嫁いできた桜子(三上晴佳)は姑のキヨ(山田百次)の激しいイビりに耐えかね、必要最低限の家事をする以外は押入れに引きこもって生活している。夫のトモノリ(中田麦平)との仲は冷え切っており、トモノリはこの現状に向き合おうとはしていない。数少ない相談相手である義姉の幸子(成田沙織)は悪い人ではないが、桜子の愚痴をそのままキヨに伝えるような無神経ぶりで状況は悪化の一途をたどる。キヨは押入れから桜子を引き出すためにきな臭い「早起きの会」の千久子(赤刎千久子)と沢目(森谷ふみ)を家に呼ぶが、桜子は頑なに応じようとはしない。桜子はキヨのいないところでは押入れから出てきて、最近家中を徘徊している害虫を駆除したり、幸子の娘小幸(井上みなみ)が親戚の幸太郎(中田麦平・二役)にセクハラされようとしたところを助けたりなど家族に対する情はある。しかしその伝え方があまり上手とはいえないようだ。そしてある出来事がキヨの逆鱗に触れ、嫁姑の対立は解決しようのないほどに深刻化してしまう。

 本作の魅力は俳優たちのエネルギッシュな芝居である。キヨを演じた山田百次は怪演であり、一度見たら忘れない押し出しの強さにグイグイ惹きつけられた。孫の小幸を使って食事の味付けが悪いと桜子に難癖をつけたり、桜子が閉めようとした襖戸に腕をはさみ「骨折した」と叫んだりなど、小憎たらしさが光る老婆ぶりであった。対する桜子を演じた三上晴佳は押入れに籠もり続けている頑固さと、いざというときは家族を守ろとうする健気さを感じた。特に終盤、体調が急変し変わり果てた姿のキヨが病院のベッドでうわ言を漏らす様子を見て、桜子が「憎たらしいけど涙がでた。どうしていいかわからない」と嗚咽を漏らした姿が忘れがたい。ほかに頼りがいのないトモノリとわがままな幸太郎を演じ分けた中田麦平の器用さに唸った。ちいさい劇場のためもう少し台詞の音量を絞っていいようには感じたが、出演者が皆イキイキとしていた様子は印象的であった。

 他方で、登場人物たちの描き方が一面的であり、単純な加害者・被害者図式の物語に感じられてしまった点は残念であった。劇中で湧いた数々の疑問ーーなぜキヨは暴君になってしまったのか、トモノリと桜子の溝が深まったのはなぜか、幸子が離婚して実家に戻ってきた理由はなんなのかーーに思いを馳せたものの、明快な答えが見つからないまま消化不良の状態で劇場を後にすることになってしまった。過剰なまでに感情をむき出しにする激しいやりとりの合間に、肚の底に秘めている本音をチラリとでも見せるような場面を入れることで、より多面的に「家族」を描くことができたのではないだろうか。

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