舞台芸術まつり!2022春

PANCETTA

PANCETTA(東京都)

作品タイトル「“Na”

平均合計点:19.6
大川智史
河野桃子
鈴木理映子
關智子
深沢祐一

大川智史

満足度★★★

 「名(Na)」をテーマにした連作短編集のような作品で、全体の構成が面白く感じました。1シーン1シーン丁寧に作られており、そしてテイストの異なるシーンを描き分けていることには、演出としての力量や引き出しの多さを感じました。

そして、チェロとピアノの生演奏が単なるBGMになるのではなく、劇そのものとの駆け引きを感じるような、いい相互関係に見受けられ、好感を持ちました。

ネタバレBOX

 全体に丁寧につくられているという印象を持ったからこそ残念に感じたのは、1シーン目の「Become a king」でした。王様ゲームに乗じての(男性から女性への)セクシュアルハラスメントが描かれていましたが、これはなかなか直視するのが苦しいシーンでした。これが観客と舞台上の間に十分な信頼関係が構築される前の1シーン目というのも辛いところで、もしかしたら全編こんな感じで続くのでは、と考えてしまいました。早々に作品から自分の心がサッと離れてしまい、シーンが変わり作品に心が戻っていくまでは、終演までの長い先行きに不安を感じたのも事実でした。

河野桃子

満足度★★★

タイトルの「Na」ってなんだろうなと思っていたので、いろんな「Na、ナ、な」で遊ぶことが楽しくて、言葉には視覚・聴覚・舌感覚などさまざまな要素が詰まっているんだなと再確認しました。

ネタバレBOX

 展開はシンプルで、誰でもわかりやすいのに飽きない!そして遊び心たっぷり。凝った笑いや、シンプルな笑いなど、ビジュアルで見せる笑いや(国旗ネタは爆笑しました…!)、音で楽しむ笑いなどさまざま。観客に呼びかけるという直接的なコミュニケーションのシーンだけでなく、全体を通して、観客の存在を意識し、相互関係を作ろうとしている様子を感じました。

 4人の俳優と2人のミュージシャンが、全力でパフォーマンスしてくださるからこそ、単なるダジャレもあたたかくなっていく。実は個人的にはダジャレというものが苦手なのですが、瞬間的にだけ瞬発力で笑わせようとするのではなく、出演者たちの真摯さ、前後の空気感の作り方、観客の反応とのちょっとしたキャッチボールなど、空間ごとつくっていく要素としてダジャレがあるので楽しめる。ダジャレを好きにさせてくれてありがとうございます(笑)。

 そういった関係性の作り方にはドラマがあり、いくつもの小話が関連したりはしているのですが、もう少し全体を通したダイナミズムがあるともっと印象深くなると思います。

 また、冒頭の「王様ゲーム」はハラスメント的なシーンですこし見るのがつらいのですが、そこに王様など登場人物の人間性や関係がもっと描き込まれるか、他のセットリストとの明確な関係性があれば、ハラスメント的なシーンの存在意義があり、また作品に厚みも出るかなと想像しました。

 また制作面で、Na=「名」として、チラシのデザインやチケットがこだわられていて、細部への遊び心を感じました。当日パンフがQRコードになっていて、アクセスしてみて当日のラインナップがわかる流れに。個人的にはQRコードパンフはコロナ禍にも対応しているし嵩張らないし好きなのですが、スマホを持っていない人もいるのでそういう方は見られたのかな、と少し心配にはなりました(けれども相談したら丁寧に対応してくださいそうな受付の雰囲気づくりや、並ぶ観客への声かけの柔らかさも良かったです)。

鈴木理映子

満足度★★★

 「Na=名」をめぐる7本の短編からなる公演。

 揃いの白いツナギ(無名性の象徴ですね)を着た4人の出演者が、劇中で名前(と人格が一致した)「人物」を演じることはほとんどありません。通し番号か、「王様」「先生」といった代替可能な役割で呼ばれることで起こる混乱や事件を扱った7つの小さな喜劇から、笑いはもちろん、ふんわりと人間関係の緊張や情が引き出され、最終的にはやはり「名」が保証する(人物としての)同一性に焦点があたる構成に唸らされました。

 コントの集成といってもいい内容で、演技も戯画的なものですが、ダジャレのくだらなさ、身体をつかった表現での奮闘ぶりだけでなく、たとえば「王様ゲーム」で生み出された嫌な緊張感、失敗の末自分の「名前」を食べてしまうアオヤギさんの焦りなど、関係性によって生み出される感情にフォーカスしている点が、スマートでした。同じツナギを着た二人の演奏者の存在、使われ方も、単なるBGM係ではない意味と持っていたと思います。こうした感性は、たとえば今後、子供向けのコンテンツなどでもうまく生かせそうな可能性も感じました。

關智子

満足度★★★

 シンプルな舞台美術と衣装を用い、観客の想像力を喚起することで劇世界を構築するミニマルなオムニバス作品群だった。

ネタバレBOX

 コミカルなコント集であり愉快だったが、それ以上にならなかったのが残念である。「名」を巡るそれぞれのエピソードは小品ながら「よくできた」という印象だとしても、「名」とは何かという議論にまで到達しない。名付けるという行為に代表されるように、「名」が「パフォーマンス」と深い結びつきがあるだけに、もったいなかった。

 純粋に音楽要員としてのみ登場していると思っていた演奏家たちもまた「パフォーマー」であるとし、その人たちのみのエピソードがあったことは、予想外の面白さがあった。また、大道具等がシンプルであるために照明の美しさが際立っていたように思う。俳優は技術の差がやや目についてしまった。

深沢祐一

満足度★★★

 巧みな身体表現がかもしだす「かわいげのある不条理さ」

 「名前」をテーマにした7本の小編を、ピアノ(加藤亜祐美)とチェロ( 志賀千恵子)を伴い4人の演者(佐藤竜、はぎわら水雨子、山﨑千尋、一宮周平)が次々に演じ分けていく。2020年3月に上演予定だった作品の2年越しのリベンジ上演である。

ネタバレBOX

 本作第一の魅力は作劇の秀逸さである。作中では数や名詞、代名詞が導くミスコミュニケーションが巧みに表現されていた。それが顕著であった「Called "Sensei"」では、医者と弁護士、ダンススクールの講師がそれぞれを「先生」と呼び合うことで誰が誰を呼んでいるのか次第に混乱していく様子がコミカルに描かれていた。別役実の作品に出てくる、品詞の誤解でドラマを転がす手法で、大人から子どもまで楽しめる「かわいげのある不条理さ」とでもいうような作劇が脚本・演出の一宮周平の眼目だろう。

 定評のある身体表現の巧みさも本作の特徴である。「Ko・So・A・Do」では暗闇のなかさまよう二人の人物が電灯を片手にして闇を掻き分けていく。道中に出現する水の流れや焚き火の炎も演者が表現する。その手付きの鮮やかさ、仕草の丁寧さが目に焼き付いた。

 ピアノとチェロの伴奏は作品に豊かな彩りを与えた。特に劇中音楽の曲名を観客に考えてもらうくだりでは、コロナ禍で絶えて久しい劇場の一体感を味わう貴重なひとときとなった。この場面を収めた一幕「No name」は、終盤で王様が家来に命じ恋文を認め、思いを寄せる他国の女性とやがて結ばれる「Number」と「Named」の連作の間に据えられほどよいブリッジであった。

 他方で芝居のパートと身体表現のパートがうまく融合できておらず、ぶつ切りになってしまっている印象を受けた。観客に台詞をわかりやすく伝えようとする俳優としての身体と、人にも自然にもなれる変幻自在の身体を同じ舞台の上に上げた点が目論見なのかもしれないが、私は観ていて混乱を覚えた。また演者たちの巧みさには感心したが、作品が変わると前作とはまるで別人のようになる変身の驚きを感じるまでには至らなかった点は残念であった。

 また作者の生真面目さゆえなのなかもしれないが、各エピソードをきれいにまとめようとしすぎていると感じた。登場人物たちが皆いいひと過ぎて食傷気味になったのも正直なところである。「Become a King」で必ず王様になる男の図太さ、「Blue Goat」でみんなから疎まれる青ヤギの鬱屈さといった側面をもう少し深く掘り下げたほうがドラマに厚みが出てくると感じた。

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