満足度★★★★
京都・東京の二都市ツアー公演でしたが、私は東京・東京芸術劇場のシアターイーストで鑑賞しました。
チラシのメインビジュアルがとてもカッコよく、自分の中でのサファリ・Pのスタイリッシュなイメージと合致し、宣伝美術としての完成度や効果は高いと感じました。素敵なチラシは観劇への期待度や楽しみを高めてくれるので、気分がアガります。
また、開演前に読んだ人も読み損ねた人も、いずれにせよ多くの方が感じたのではないかと想像しますが、当日パンフレットの充実度と(本作の鑑賞体験における)重要度は、特筆に値するものだと思いました。フェスティバルなどでは、無料のパンフにも外部の方の寄稿があることは珍しくないですが、インディペンデントのカンパニーとして無料パンフでここまで手厚くカバーすることには、カンパニーの矜持を感じました。
満足度★★★
観劇前の第一印象は「難しい企画だな」というものでした。アルバニアの実際にあった“復讐の掟”を題材にした小説『砕かれた四月』と、コソボ紛争経験者との対話と、作者の祖父という個人的な要素をひとつの作品で同時に登場させようというのですから。現実に存在する他者の痛みと作り手個人の痛みを作品において繋げれば、「相手の痛みを奪っていないか」「芸術のもとに搾取していないか」という問いかけがうまれます。この時に、いかに題材となる他者を尊重し誠実であるか、あるいは自分の物語として最後まで覚悟を持ち切って創作を走り切るか……。いずれにしろ素朴ではいられない、と私は思っています。
というところで観始めた今作ですが……
満足度★★★
アルバニアの作家、イスマイル・カダレの『砕かれた四月』を原作とする舞台。
現代に生き続ける「暴力」の源泉に迫る題材選び、取材も踏まえた台本づくり、さらに「舞台化」とはどういうことかを真摯に考え、形にした、非常に意欲的で洗練された公演でした。
慣習によって運命づけられた「復讐の連鎖」が支配するアルバニアの高地。
都市部から新婚旅行にやってきた「妻」は、復讐を果たしたことで復讐される身となった「歩く人」に強く惹かれ、彼が運命から逃れ出られるよう奔走します。
運命の守り人のような老人の住う荒屋、逃れてきた男たちが集う塔、そこに横たわる寝たきりの負傷者、都市に生きる知識人、死んでも蘇る兵士たち……生と死、暴力、因習をめぐる象徴的な要素が交錯する物語は、16個の小舞台とその間を走る隙き間、そこに生きる俳優/踊り手の身体に託されます。そこでは、隙き間から現れる死者の手をはじめ、山地を歩くこと、走ること、情を交わすこと……のどれもが、死に向かう身体でさえ、生々しい生の営みとして表現されていた、されようとしていたと思います。
シンプルに刈り込まれ洗練された台詞や舞台装置に忠実に世界観を立ち上げることはもちろん、俳優の身体がそこからいかに逸脱し、より豊かなイメージを放つかも表現としては期待された舞台だったと思いますが、やや端正な組み立てにとどまった感もありました。(台本を読むと、その豊穣さ、色っぽさは十分残され、生かされているとも感じましたが)テキストと空間、身体の関係性について、あるいは抽象と具象、俯瞰と没入のバランスなど、いっそう探求可能な作品でもあったと思います。
当日パンフレットの解説が丁寧、かつ深い思考を呼ぶものでした。
背景、文脈を踏まえていた方が、味わい深い作品だと思いますので、こうした事前情報は大事ですし、さらにプレトークなどがあってもよかったのかなと感じました。