舞台芸術まつり!2017春

ゲッコーパレード

ゲッコーパレード(埼玉県)

作品タイトル「ハムレット

平均合計点:21.6
川添史子
鈴木理映子
高野しのぶ
橘 康仁
山﨑健太

川添史子

満足度★★★

『ハムレット』を民家で上演するというコンセプトにワクワクしました。台所をアクティングエリアに、出演者はたった3人。さまざまな手法や演技、ポップな美術で、かなりデコラティブ。

ネタバレBOX

舞台の多くを彩るにぎやかな要素よりも、冷蔵庫の中の明かりが暗闇にもれたり、食事の支度をしたりといった、台所という背景に現れるごく普通の仕草と、戯曲の言葉や世界が響き合うパートが面白いと感じました。

鈴木理映子

満足度★★★

民家で演じられる『ハムレット』というコンセプトが、予想外にストレートな形で実現していることにまず驚きました。演技スペースは民家の台所で、観客は襖を隔てた隣室に着席して、ドラマの推移を見守ります。台本は、複数の翻訳から切り出され、コラージュされたものではありますが、シェイクスピアのせりふと言っていいでしょう。つまり、そこでは、正真正銘のプロセニアムの劇場とよく似たシェイクスピア劇上演が行われていたのです。
とはいえ、二階から現れる引きこもり風青年の妄想=異世界としての『ハムレット』に付き合うという大枠の設定は、ありそうでなかった「劇中劇」としての上演にもなっているわけで、それ自体、興味深いものではありました。また、テキストの抜粋や(時に狂騒的な)演技の意図を理解しかねるところもありましたが、一般家庭のやや古びた台所で演じられる『ハムレット』には、やはり、古典劇としての上演とは異なる顔が現れる瞬間もあり、マシュマロを食べ続けるガートルードにハムレットが詰め寄る場面などは、家庭劇としてもスリリングでした。
家の中の上演として、特徴的だったのは、暗転するために、客席頭上の電気を消したり、雨戸を閉めたりすることです。あの日常だけれど非日常な不思議な時間が、どう演出や演技の中で自覚されているのかも、ちょっと深めてみると面白い展開があるかもしれません。

高野しのぶ

満足度★★★

幸運なことにぽかぽか日和で、蕨駅からの徒歩約12分のお散歩が楽しかったです。会場は駅から線路に沿って真っ直ぐ進み、地図のとおりに2度曲がるぐらいの場所にあり、生け垣に舞台写真や活動紹介の紙を貼ってくださっていたので、迷わずたどり着けました。

会場は築数十年と思われる民家。全席自由で各回限定15席です。前の二列は桟敷席(畳に座布団)、最後列は背もたれなしのイス席ですので、劇場へはどうぞお早目に。開演前に台所をじっくり眺めていると、「私の祖母の家と同じ食器棚がある!」「あのマグカップ、私も持ってる!」などの(笑)、色んな発見がありました。

今回の『ハムレット』は“戯曲の棲む家”シリーズの第6弾。当日配布のパンフレットによるとセリフは全て、シェイクスピア作『ハムレット』の翻訳本からの引用だそうです。

ネタバレBOX

時系列ではなくランダムに場面を上演していくスタイルで、3人の俳優が複数役を演じます。渡辺恒さんが演じるのはハムレットなど、崎田ゆかりさんはオフィーリアなど、河原舞さんはホレーシオなど。演出の黒田瑞仁さんは客席下手奥で音響と照明のオペレーション等をされており、客席後方の雨戸の開け閉めも担当。昼間の回でしたが雨戸のおかげで暗転を味わえました。黒田さんは墓堀り役として出演もされました。

台所がメイン舞台でした。相対する畳の居間が客席です。客席上手側のふすまの向こうにも畳の部屋があり、そこからも俳優が登場しました。覚えている場面は「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ(訳は色々あり)」「尼寺へ行け」「オフィーリア狂乱の場」「父王の幽霊がハムレットに死の真相を告白」「ハムレットが母ガートルードに詰め寄る」「ハムレットとホレーシオが墓堀りに話しかける」「オフィーリアの埋葬」「ガートルードとクローディアスがハムレットを引き留める」など(間違ってたらすみません)。時系列ではないので、『ハムレット』を知らない人にはどんなお話なのかはわかりづらかっただろうと思います。

冒頭が面白かったです。暗転中にひっそりと登場して冷蔵庫のドアを開け、取り出したガラス瓶入りの食べ物を食卓で食べながら、渡辺さんがセリフを言います。「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」(だったかな)という有名なセリフが、いい年になって実家の世話になっているニート男性のつぶやきに聞こえて、笑えました。ビートルズの楽曲が流れるのも“青春”っぽくていいと思いました。

黒田さんの終演後のトークによるとこの作品は三部構成とのこと。「本編とは一切関係ない、意味のない場面」「CMと呼んでいます」とおっしゃった第二部は、崎田さんと河原さんが大きな声を張り上げ、大げさな身振りで演じます。灰色と黄色の配色のペアルックで、お笑い芸人のコンビのようでした。そういえば最近観た『ハムレット』でも、墓堀りの場面はお笑いにしていたなぁと思い出しました。

実際に料理をして食べる場面は、料理をする動作が板についていて、観ていて退屈しませんでした。サンドイッチを作って食べるところが一番好きでしたね。ただ、サンドイッチを食べながら、文庫本の『ハムレット』を手にセリフを読み上げるのは、意図がわからなかったです。口の中にまだ食べ物が入っているし、誰に語り掛ける風でもないので、食べ終わってから語るか、黙読でいいんじゃないかと思いました。行動の根拠となる設定や動機などはあまり重視されていないようです。

最後に舞台美術の見せ場がありました。台所の上の棚を開くと内側が装飾されており、置かれたオブジェには照明が当たっています。冷蔵庫の下の引き出しからも何かが飛び出ていました。テーブルを横にすると、その裏にも装飾が施されていました。暗闇でたくさんの奇妙な物体にカラフルな照明が当たります。少々気味の悪い、ホラー風味のエンディングでした。作品全体が住人の男性(=ハムレット)の妄想の世界だったと解釈して良さそうです。家の中に照明がたくさん仕込まれていて感心しました。

俳優同士がお芝居で会話をする際、生の感情の交流は特になく、空に向かって独白をする人たちが交互に話をしている印象でした。手を伸ばせば届くぐらいの至近距離に観客がいるのですが、俳優は観客と積極的には交流しませんでした。せっかくの家屋の中での上演なのに、もったいない気がしました。

終演後に演出の黒田さんとゲスト (演出家・青年団演出部の蜂巣ももさん)との「歓談」という形式のトークがあり、作品理解の助けになりました。畳に座布団を敷いて、全員がゆるやかに円になって座ります。観客はお二人が話すのを聞くだけで、質問できる雰囲気にはならなかったので、「歓談」ではなく「ポスト・パフォーマンス・トーク」としてもよかったのではないかと思いました。

橘 康仁

満足度★★★

普通の民家が劇場になっている。そもそも東京から離れていてちょっと田舎で、色んな意味で日常と非日常が交差している感じだった。経済的な理由も含めて自分たちの表現する場所を工夫して作っていることが素晴らしいと思いました。

山﨑健太

満足度★★★★

作品の詳細については初演時に批評誌『クライテリアvol.1』に書いた。
http://criteria.hatenablog.com/entry/criteria_vol1
初演と比べると「劇的」な要素が強調されているように感じたのだが、私はこの作品の魅力はリアルとフィクションを軽やかに行き来するところにあると思っているので、「演劇であること」の強調は作品の魅力を増すことにはつながらなかった。
もちろん、観るのが二度目である以上、初演時ほどには魔法が効かなかったということもあるだろうが、いずれにせよ初演のハードルは越えられず。
と、厳しいことを書いたが、もちろんこれは初演と比較するならばという話で、基本的には『ハムレット』の上演としても、民家での上演としてもよく考えられたよい作品。

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