モモンガ・コンプレックス(東京都)
作品タイトル「遠くから見ていたのに見えない。」
満足度★★★
中央の柱が死角を生む使いにくい空間を逆手にとって、「見えないこと」で広がる世界を展開。座る場所によって「違うものを観る/しか観られない」という演出は、人間の「限界/可能性」にも考えられます。親子で観られる席というアイデアもステキで、小さな観客と一緒の空間を過ごす体験は大人にも楽しく、そこには我々と違うものを観ているであろう「子供たちの視点」という別のアングルも加わるのです。
満足度★★★★★
BankART Studioのガランとした空間。小さな入り口から斜め奥に向かって伸びる細長いステージには可動式の間仕切りが置かれ、この場所に特徴的なクラシックな柱とも相まって観客やダンサー自身の視線をも遮っています。4つに区切られたアクティングスペースを出入りしながら、それぞれに遊び、立ち止まり、横たわり、時に踊るダンサーたち。そこで表現されるのは、複雑で、指先に触れたと思った先から過去へと流れさってしまう「現在」との格闘です。
観客も巻き込んだ玉入れに興じたり、華やかなユニゾンが披露されたり。コミュニティアート的な触れ合いやエンターテインメントの快楽も交えつつ繰り広げられる格闘が、表層にとどまらない奥行きを感じさせるのは、そこにいる彼、彼女らが、常に危険や迷い、畏れを意識していることに起因するのでしょう。間仕切りの間にある出入り口は狭く、彼らは、とても慎重にそこを移動しなくてはなりません。動いている間もこの空間の不便さは意識しなくてはならないし(そのことがスペクタクルになったりもしますが)、もちろん、壁の向こう側がどんなに盛り上がっていても、そこで何が行われているか、把握することはできないのです。
触れ合いのぬくもりやショウのきらめきは、大きな時間の流れにおいてはごく短命で脆いもの。にもかかわらず、なぜそれは生まれてしまうのか。さりげなくギリギリの環境に身をさらし、奮闘するダンサーの姿は、流れ去る「現在」の不確かさと表現(観客とのコミュニケーション)との関係を鮮やかに切り取っていたと思います。
「演劇」「ダンス」と一口にいっても、その内容はさまざまで、そこに集う観客の層もまたさまざまです。演劇関係者や批評家たちは、細分化されるジャンルとその枠内にととどまって交流することのないアーティスト、観客の、いわゆる「タコツボ化」を嘆きつつ、大した処方箋も見出せずにいます(私もそうです)が、『遠くから見ていたのに見えない』はそうした分断を軽々と越えてみせる快作でもありました。
満足度★★★★
コンクリート打ちっぱなしの大きな空間を斜めに横切るようにピンク色のシートが敷かれています。会場入り口からまっすぐ伸びているので、映画祭などでスターが歩くレッド・カーペットのような感じです。客席はその周囲に壁に沿うようにしつらえられており、約5~7席の列が2段あるひな壇が計4~5か所に点在。3歳未満の赤ちゃん同伴の「未来席」もあり、私が観た15時開演の回は親子連れで賑わっていました。ソファもあっていいムード。
キャスター付きの可動式パネルが4枚あり、それぞれに1t、2t、3t、4tという大きな黒文字が描かれています。「t」を「トン」と読むと、とても重たそう。空間中央には壁と同様にコンクリートがむき出しになった円柱状の柱が数本立っていて、観客にとっては美的な装置でもあり、視界を遮る障害物でもあります。
衣裳のデザインはカジュアルで幾何学的なカットが未来風。灰色のだだっぴろい空間にパステル調のカラフルな色彩の衣装と、ピンクのカーペットが映えます。ダンサーは積極的におどけて道化を演じ、全体的に明るくてハッピーな時間でした。私は感動して泣いちゃったりも。
北川結さんのダンスが素晴らしかったです。頭のてっぺんから足のつま先まで意識が行き届いていて、目を奪われました。たとえ隙だらけの立ち姿でも、一本筋の通った何かが感じられ、凛として見えるのです。ダンサーという生き物はなんて美しいのだろうと、目の前で披露されたソロダンスを見つめながら涙しました。
窓がある空間でしたので、昼と夜とでは全然印象が違うだろうと思います。
満足度★★★★
BankArtという場所もすごく良かったと思うが、「現在」の表現の仕方が面白かった。長い年月をかけて培ってきたものが、今回の作品の形に繋がっているとのことだが、作品のために作品を作るのではなく「現在」を生きる行為そのものが作品に繋がっていることが素晴らしいと思った。
満足度★★★★
とにかく楽しい。ダンスに愛嬌があるのはもちろん、観客と「現在」を共有する上演に好感を持った。
作品のモチーフである「現在」を様々な手法で見せて飽きさせない一方、「現在」を示す手法はどれも予想の範囲内でもあり、モチーフの掘り下げという点では物足りなかった。
もっとも感心したのは「子供席」の設置で、出入り口の近くに十分なスペースを確保する制作的配慮も去ることながら、子供の「参加」を柔軟に受け入れる姿勢が素晴らしく、その姿勢が観客にも共有される幸福な空間が出現していたように思う。