舞台芸術まつり!2017春

モモンガ・コンプレックス
平均合計点:24.2
川添史子
鈴木理映子
高野しのぶ
橘 康仁
山﨑健太

川添史子

満足度★★★

中央の柱が死角を生む使いにくい空間を逆手にとって、「見えないこと」で広がる世界を展開。座る場所によって「違うものを観る/しか観られない」という演出は、人間の「限界/可能性」にも考えられます。親子で観られる席というアイデアもステキで、小さな観客と一緒の空間を過ごす体験は大人にも楽しく、そこには我々と違うものを観ているであろう「子供たちの視点」という別のアングルも加わるのです。

ネタバレBOX

強く誰かを求めるかのような「Sexual Healing」でグングン突き抜けていくところが素晴らしく、これぐらい「ダンス」で満たされるような瞬間が多くあったらと思いました。

鈴木理映子

満足度★★★★★

BankART Studioのガランとした空間。小さな入り口から斜め奥に向かって伸びる細長いステージには可動式の間仕切りが置かれ、この場所に特徴的なクラシックな柱とも相まって観客やダンサー自身の視線をも遮っています。4つに区切られたアクティングスペースを出入りしながら、それぞれに遊び、立ち止まり、横たわり、時に踊るダンサーたち。そこで表現されるのは、複雑で、指先に触れたと思った先から過去へと流れさってしまう「現在」との格闘です。

観客も巻き込んだ玉入れに興じたり、華やかなユニゾンが披露されたり。コミュニティアート的な触れ合いやエンターテインメントの快楽も交えつつ繰り広げられる格闘が、表層にとどまらない奥行きを感じさせるのは、そこにいる彼、彼女らが、常に危険や迷い、畏れを意識していることに起因するのでしょう。間仕切りの間にある出入り口は狭く、彼らは、とても慎重にそこを移動しなくてはなりません。動いている間もこの空間の不便さは意識しなくてはならないし(そのことがスペクタクルになったりもしますが)、もちろん、壁の向こう側がどんなに盛り上がっていても、そこで何が行われているか、把握することはできないのです。

触れ合いのぬくもりやショウのきらめきは、大きな時間の流れにおいてはごく短命で脆いもの。にもかかわらず、なぜそれは生まれてしまうのか。さりげなくギリギリの環境に身をさらし、奮闘するダンサーの姿は、流れ去る「現在」の不確かさと表現(観客とのコミュニケーション)との関係を鮮やかに切り取っていたと思います。

「演劇」「ダンス」と一口にいっても、その内容はさまざまで、そこに集う観客の層もまたさまざまです。演劇関係者や批評家たちは、細分化されるジャンルとその枠内にととどまって交流することのないアーティスト、観客の、いわゆる「タコツボ化」を嘆きつつ、大した処方箋も見出せずにいます(私もそうです)が、『遠くから見ていたのに見えない』はそうした分断を軽々と越えてみせる快作でもありました。

高野しのぶ

満足度★★★★

コンクリート打ちっぱなしの大きな空間を斜めに横切るようにピンク色のシートが敷かれています。会場入り口からまっすぐ伸びているので、映画祭などでスターが歩くレッド・カーペットのような感じです。客席はその周囲に壁に沿うようにしつらえられており、約5~7席の列が2段あるひな壇が計4~5か所に点在。3歳未満の赤ちゃん同伴の「未来席」もあり、私が観た15時開演の回は親子連れで賑わっていました。ソファもあっていいムード。

キャスター付きの可動式パネルが4枚あり、それぞれに1t、2t、3t、4tという大きな黒文字が描かれています。「t」を「トン」と読むと、とても重たそう。空間中央には壁と同様にコンクリートがむき出しになった円柱状の柱が数本立っていて、観客にとっては美的な装置でもあり、視界を遮る障害物でもあります。

衣裳のデザインはカジュアルで幾何学的なカットが未来風。灰色のだだっぴろい空間にパステル調のカラフルな色彩の衣装と、ピンクのカーペットが映えます。ダンサーは積極的におどけて道化を演じ、全体的に明るくてハッピーな時間でした。私は感動して泣いちゃったりも。

北川結さんのダンスが素晴らしかったです。頭のてっぺんから足のつま先まで意識が行き届いていて、目を奪われました。たとえ隙だらけの立ち姿でも、一本筋の通った何かが感じられ、凛として見えるのです。ダンサーという生き物はなんて美しいのだろうと、目の前で披露されたソロダンスを見つめながら涙しました。

窓がある空間でしたので、昼と夜とでは全然印象が違うだろうと思います。

ネタバレBOX

上演中に説明する言葉(セリフ)があったわけではないので、私個人の解釈です。

劇場入り口から生まれ出た人々は上半身がほぼ裸で、灰色の空間に放り込まれ、戸惑っている様子。徐々に手に持っていた衣装を着て、散らかったものを片づけて、周囲の様子をうかがいながら、それぞれに動き、踊り始めます。

可動式パネルは1枚(3×6尺)の縦型の板を3枚、横につなげた大きさでしょうか。計4枚のあり、ダンサーが両手で取っ手を持ったり、キャスター部分の底板を持ったりして、移動させます。板と板は垂木で繋ぎ合わせられ、パネルによっては両端に板があり、真ん中は板がないものもあります。

柱と同様、パネルでも敢えて観客の視界を遮って、世界、世の中を作り上げました。少しずつ成長していく人類が、それぞれに突き当たる試練のようでした。また、人それぞれに見えるもの、見たいものは異なります。観客もそれを体験できました。

夕田智恵さんの声掛けで、観客全員が一緒に足踏みをする時間がありました。ヘビーメタルの歌手に扮装したダンサーが乗ったパネルを山車のように移動させて、各客席を回ります。ロックの音楽に合わせて、派手な照明とともにノリノリで楽しみました。結構長い時間だったので、自分の体力の低下をまたもや思い知らされました…。

私は入り口から向かって下手側、空間の中央あたりの前列に座りました。私の席の上手側が入り口になります。ある時、ピンクのカーペットの中央を横切るように4枚のパネルが並べられ、上手側が見えなくなりました。パネルのすき間から様子をうかがうと、白神ももこさんに向かって観客が手に収まる大きさのカラフルなボールを投げているよう。子供たちも一緒に大いに盛り上がっています。

対して下手側は、2~3本の垂木をつなげた物体をいくつも出してきて、寝そべる臼井梨恵さんの上に重ねていました。その作業をするのは内海正考さんと北川結さん。シンクロする動きで夫婦のようにも見えました。臼井さんは白い紐をみつあみ(?)している様子。動と静、解放と抑圧、娯楽と芸術が対比され、やがて上手は資本主義社会、下手が某共産主義国家にも見えてきました。パネルは国境にもなり、分断された世界を観察できました。

その後、真ん中の4枚のパネルを一気に上手側(入り口側)へと移動させる場面で、大きな波の音が流れたのです。1~4tもの物体を押し流すのは津波。下手側に折り重なるのは瓦礫。その下には人が横たわっています。東日本大震災発生時の記憶が蘇りました。しばらくして「夢で逢いましょう」をBGMに北川結さんが空間全体を使って踊り出し、私は涙腺決壊。死んだ人に会いたいという願いは、叶うことのない、最も切実な願いです。夢ならそれが叶うかもしれない。そして人生という一瞬の夢を今、共有できているのだと感動しました。

北川さんが踊りながら両目を手で覆い始め、他のダンサーがそれを補佐します。徐々に両眼をふさいで踊るダンサーが増えていき、補佐は内海さんのみとなります。動きを止め、立った女性ダンサーたちが力なく、よろよろと倒れ始めました。おそらく人間の老化を表しているのでしょう。

内海さんは下手側の垂木をいくつも持ってきて、一人ひとりを立たせてから、垂木を杖として渡します。それでも3人の女性ダンサーは杖と一緒に倒れ、内海さんは倒れる度に立たせて杖を渡すのですが、きりがありません。やがて女性ダンサーたちは徐々にその場から逃れていき、内海さんは倒れた垂木を立てることだけに没頭し始めました。何かに熱中しているうちに目的が失われ、行為が形骸化していく様がよく表れていました。

5人のダンサーがアイコンタクトを取り、全員で意識を合わせながら、それぞれに踊り始めました。やがて全員一緒の振付の群舞も始まります。クライマックスに向かって盛り上がっていきました。BGMはおそらくマーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」の変奏(間違ってたらすみません)。

同じ振付でも誰かの動きを少しずらしたり、おどけた動作が挿入されたり。完璧にはせずに、常にどこかが欠けています。不器用で、不細工だから可愛らしくて、愛おしいんだよな、人間ってこういうものだよなと、涙しながら見つめていました。そういえばパネルを潜り抜けようとして、背中に背負った箱が垂木に引っかかり、何度かやり直した白神さんがとても素敵でした。
勢いを保ったままダンサーが入り口へと退場していき、終幕かと思いきや、内海さんが歌いながら登場。上半身裸の上に金色に光り輝くガウンを羽織っています。フレディ・マーキュリー? エルビス・プレスリー? 白神さんは何度もピルエット、臼井さんはフラフープで失敗連発、北川さんは「ピヨピヨー!」と叫びながら羽ばたく鳥の動きで走り回っていました。これは…輪廻転生でしょうか。生まれて、生きて、死んで、また生まれる命を想像しました。とてもハッピーな気持ち!

白神さんがマイクで終演のアナウンスをして、観客は自由に退場します。ダンサーがダンスを終えた時に終幕。

橘 康仁

満足度★★★★

BankArtという場所もすごく良かったと思うが、「現在」の表現の仕方が面白かった。長い年月をかけて培ってきたものが、今回の作品の形に繋がっているとのことだが、作品のために作品を作るのではなく「現在」を生きる行為そのものが作品に繋がっていることが素晴らしいと思った。

山﨑健太

満足度★★★★

とにかく楽しい。ダンスに愛嬌があるのはもちろん、観客と「現在」を共有する上演に好感を持った。
作品のモチーフである「現在」を様々な手法で見せて飽きさせない一方、「現在」を示す手法はどれも予想の範囲内でもあり、モチーフの掘り下げという点では物足りなかった。
もっとも感心したのは「子供席」の設置で、出入り口の近くに十分なスペースを確保する制作的配慮も去ることながら、子供の「参加」を柔軟に受け入れる姿勢が素晴らしく、その姿勢が観客にも共有される幸福な空間が出現していたように思う。

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