白き山
劇団チョコレートケーキ
駅前劇場(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。見応え十分。
斎藤茂吉の心情を抒情的に描いた人物伝。物語の面白さは勿論だが、舞台美術が茂吉の心、いや戦後日本の空虚さを表す 空間(空隙)芸術といっても過言ではない。登場人物は5人、何気ない親子・日常会話にも関わらず その濃密さ、無言の間(ま)の中にも葛藤や情愛といった心の機微を感じさせる演技が上手い。
物語は、終戦直後の1か月、そして山形県金瓶という地(疎開先)の設定が妙。歌人 斎藤茂吉という実在の人物をモチーフにしているが、フィクションであることは言うまでもない。しかし、描かれている状況や今後を考えると、そこには多くの人々が直面するであろう課題・問題が浮き彫りになってくる。つまり老いと喪失感である。そこに少しの慰め(忘憂)を求めるとすれば、故郷という地---雄大な自然を背景にした人間ドラマが息づいてくる。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定
十字路
ミズタニ会議
王子小劇場(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/09 (日)公演終了
魔法はひとつじゃありません!〜マジックアワーを探して〜
劇団25、6時間
キーノートシアター(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/10 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
夢と現実の狭間で苦悩する女性の青春奮闘記。
表層的にはポップな描き方で、その内容は 多くの人が共感するもの。キーワードは「魔法」と「マジックアワー」、その抽象的で曖昧模糊とした感じ---不安 心情が物語の肝。
上演前から 上手にある窓でお出迎えしてくれるモノが重要なキーになっている。卑小だが、少し気になることも…。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし) 【Aチーム】
白き山
劇団チョコレートケーキ
駅前劇場(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
斎藤茂吉役の緒方晋氏が絶賛に値する名演。脇を固めるチョコレートケーキの面々らが余裕の好演で支える。ストーリーもじんわり伝わる暖かみがあり、今日は良い芝居を観たという気持ちでうれしくなる。
十字路
ミズタニ会議
王子小劇場(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/09 (日)公演終了
青い!大劇場結婚式(「劇」小劇場)
藤原たまえプロデュース
「劇」小劇場(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
受付の向こうにあったあれはあそこで使うためだったのね!「劇」小劇場のあんなところがあーなって、そんなところからハケるとは・・・。え?それじゃ今頃控え室は無人なの?どーしてそうなったの?のカーテンコール(カーテンはありませんが)。気になります。やっぱり控え室も見に行かないと。そしてできたら間にある通りからも、式場と控え室の人の動きを見たいかも(笑)
当パンのキャスト表を見ておくといいかなと思います。
白き山
劇団チョコレートケーキ
駅前劇場(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日拝見しました。緩みなく、淀みなく、淡々と物語が進行していく感じがうまいなーと、もう芸術の極みに達している感じがしました。勇気いただきました。
べつのほしにいくまえに
趣向
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2024/05/23 (木) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
「結婚とケアを巡る会話劇」
問い直しを巡る議論が続きながらもなかなか進展が見られない日本の結婚制度について、新たな視点を設けた秀作である。
短編作品集『3℃の飯より君が好き』
劇団印象-indian elephant-
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2024/06/05 (水) ~ 2024/06/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
演出・一宮周平【Bチーム】
①『メイクアップ!』
役者の首から小さなパペットの身体をぶら下げる人形劇スタイル。このセンスは悪くない。配役の狙いが良い。横室彩紀(あき)さんは流石。
②『3℃の飯より君が好き』
10ヶ月ほど前に妻(尾崎京香さん)が作ったトマトカレー。冷凍保存しておいたそれを解凍して食べようとする夫(花戸祐介氏)。「何で取っておくのか?何故その時すぐに食べないのか?」と考える妻。“今”を冷凍保存しておきたい人間の心理。全ての“今”はあやふやな感情の風の中に舞っている。確かなものを残したがる気持ち。その時、妻の子宮は凍る。
『海月になりたい』という歌が凄く良い。雪の降り出した海辺の町で、どうしようもなく壊れかけた二人が“今”を手に入れるラスト。
Dear・異邦人
劇団「楽」
スタジオR(東京都)
2024/06/05 (水) ~ 2024/06/09 (日)公演終了
青い!大劇場結婚式(「劇」小劇場)
藤原たまえプロデュース
「劇」小劇場(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
2つの劇場が同時に進行する舞台を初めて観劇
片方だけ観てもおもしろいと言うだけあって
次から次と色々な仕掛けが満載で笑った
テレビや映画では観られない演劇の良さがあって
生の舞台って最高だなと思えた
今日は晴れていたからいいけど、
いろんな要素で変化するナマモノすぎる舞台
興味を持った方は、公演時間に劇場間の道路に来たら少しだけ
舞台の雰囲気を楽しめるかも...、普通に道路を歩いている人が
注目しているのがおかしかった
斬新な舞台が観たい人にはおすすめです!
短編作品集『3℃の飯より君が好き』
劇団印象-indian elephant-
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2024/06/05 (水) ~ 2024/06/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
短編2編でどちらも深刻な重いものではなかった。最初から最後までちゃんと観られたし、話の内容もわかった。
すごく満足か?人に勧めたいか?と言われると…
2編のテイスト、対象年齢、テーマなどがあまりにも違う。揃えなくてもいいと思うが、ある程度の納得性が見終わった後に観客に残ると良かったのでは?
Dear・異邦人
劇団「楽」
スタジオR(東京都)
2024/06/05 (水) ~ 2024/06/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
2人芝居でしたけど、実質1人芝居でしたね。役者の1人が聾唖の役だったので^^ 劇場がちょっとわかりにくいところにありましたが、なかなか素敵が小劇場でした。役者さんの演劇愛が感じられる舞台でした。
第壱部「綺譚 逢浄土桜心中」第弐部「DREAM-NeoJapanesque」
想組〜こころぐみ〜
小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)
2024/06/01 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
両極端な二部構成
ギャップが大きすぎて.....
芝居の方は、縁、因果応報、そんな世界がたっぷり感じられて面白かったです!
阿呆ノ記
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2024/06/04 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/06/06 (木) 14:00
座席1階
客演の音無美紀子のための舞台であるといっても過言でない。それほど全編にわたって圧巻の演技、存在感だった。彼女の求心力に触発されたかのように、脇を固める劇団員たちが輝いていった。
今回は、日本の民俗伝承、逸話に出てきそうな生け贄・人柱伝説がテーマ。地域の平穏のために、親亡き子や障害を持つ子らを生け贄として育てるという伝説で、サジキドウジはこれに「阿呆丸」という名を冠して物語にした。戦争の足音が近づいている昭和初期が舞台だ。
音無はこの「阿呆村」の女頭目の役。山の神様から動物の命をいただいて生計を立てている九州の山村で、女頭目の息子、その孫という家族、狩猟をなりわいとする村の男たち、隣町からやってくる火薬問屋の娘など、村を舞台にした人間関係が、山深き地に計画された戦争物資の輸送のための鉄道建設をきっかけに大きく変化していく。
舞台が進んでいくと、「生け贄」は古き時代の民俗伝承などではなく、まさにお国のために命をささげる戦争のことだと分かってくる。直接それに言及するような場面があるわけではないが、メタファーとして物語を支えている。ここがサジキドウジのすごいところだ。
もう一つ、いつも注目の舞台美術。今回は派手な演出ではないものの、十分に客席を満足させる出来栄えだ。そのテーマカラーは赤。舞台が真っ赤に染まる中で、役者たちの絶叫に客席の目はくぎ付けになる。
今作も、ファンとしては見逃せない仕上がりだ。サジキドウジの世界観に没入できる秀作と言ってよい。
ケエツブロウよ-伊藤野枝ただいま帰省中
劇団青年座
紀伊國屋ホール(東京都)
2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
那須凛は、家と恋の間で苦しんだり、ダメ男辻潤から心は離れているのに、外見はそれを否定する前半がよかった。後半、大杉と一緒になると一直線すぎて迷いがなくなってしまう。
伯父役の横堀悦男が存在感があった。アジア主義者の頭山満と親交があって、その話もよく出てくる。幼い野枝を預かって育てたそうで、あの伯父があってこその伊藤野江だったという気がしてくる。
それにしても伊藤野江の芝居は、この7年で5本目。永井愛、宮本研ほかいろんな作家がそれぞれの野枝を書く。小説、映画も。村山由佳「風よあらしよ」はNHKでドラマになった。すごい人気である。華もあり嵐もあり棘もある。史上傑出したマドンナであり、スターだ。
魔法はひとつじゃありません!〜マジックアワーを探して〜
劇団25、6時間
キーノートシアター(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/10 (月)公演終了
未来少年コナン
ホリプロ
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2024/05/28 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
映像やメカの模型を一切使わず、見立てと人力で未来少年コナンを舞台に再現したところが見事。アニメのあれこれの名場面を思い出した。モンスリー(門脇麦)の回心(痛みの回復)やレプカ(今井朋彦)の力の哲学はセリフを補筆して深みがあった。「バカね」の名セリフもあって堪能した。
人間関係の変化を、長いダンスやパフォーマンス場面で見せていたのがよかった。コナン(加藤清史郎)とジモシー(成河)が最初の反発から親友と認め合うまでの競い合いなど。特によかったのは、がんボート上でダイス(宮尾俊太郎)とモンスリーが、磁気拘束具のリモコンを奪い合いながら、ダンスのようにもつれあって関係を接近させるシークエンス。
海、風、砂から、射撃音や足音、飛行機の音など、すべての効果音を舞台袖でミュージシャンがその場でつくる。紗幕を通して客席からも見えるつくりも、今回の成功した試みとして挙げておきたい。
幕開けのモンスリーとおじいの対話は、戦争を起こした大人たちを責める戦後世代と、過ちを繰り返すなと諭す戦争世代の対話として、日本の戦後のそれぞれの言い分と重なった。アニメ「未来少年コナン」が、敗戦と復興という戦後状況をそのまま映していたことに気づかされた。
デカローグ5・6
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/05/18 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
5話と6話は映画化された2作に当たり、本シリーズの中核になるのかな?とぼんやり想像しつつ楽日を訪れた。(なおパンフによるとキェシロフスキ監督に「十戒」をモチーフにしたシリーズドラマの企画がもたらされた時、テレビドラマ撮影の資金がないがために興行収入を当てに映画を撮ったのだとか。自分は大昔観たが「殺人」の方は面白かった記憶のみ、「愛」の方は「殺人..の方が面白い」と感想を持った微かな記憶。で、舞台を観て思い出したかと言えば「殺人」はどことなく、「愛」の方は微かに「あったかな」と推察した程度。)
現代の神話である「デカローグ」。「ある殺人に関する物語」(演出=小川)は、都会にやって来た寄る辺ない若者と、司法修習生を終え晴れて弁護士となった死刑廃止論者の青年にフォーカスし、その動線を淡々と描いた最後、訴訟において出会う。若者はあるタクシー運転手を殺した。白髪混じりの運転手は乗せてほしいと言う客をいつも無下に断っている。一度は妻を病院に連れて行きたいという男に、食事中だと待たせ、パンを食い終えてエンジンを掛けたと思うと、走り去ってしまう。ある日の事。若者はあるカフェで紅茶を注文して断られ、ミルクをと注文し、荷物を確かめる。ロープがある。例のタクシーが停まっている。若者が近づき、「○○まで」と言うと男は暫く相手を値踏みするように凝視した後、ドアを開ける。表通りから裏路地に入れと指示し、停まった直後事に及ぶ。縄だけでは殺せず、若者は道端の石を男の頭部に振り下ろす・・。
死刑判決が出たらしい法廷を、警備に付添われて去る被告に、若き弁護士が思わず声を掛ける。自分の名前を呼んだ方角を驚いたように探す若者。死刑執行の日、若い死刑囚が初めて信用できる人と会ったと言い、呼び出された弁護士に自分の田舎での事などを話す。学校帰りに遊びが高じて友人が運転したトラクターで自分の妹を轢き殺してしまった事、家にいられなくなって都会に出てきた事・・あの事がなければ、きっとこんな事になっていなかった、と若者は言う。長官からの催促の内線を伝える担当官、今初めて人生を語ろうとしている死刑囚を前に、弁護士は何度目かの催促に対し苛立ち紛れにいっそ無期限の猶予を乞うといった趣旨を伝え、やがて役人達が物々しく入って来る。死にたくないと叫ぶ青年は引きはがされ、舞台装置の上方に先程から据えられた縄を首に回され、刑に処せられる。
デカローグにおいて観客は人間の時に滑稽で残酷で、運命や他者や己自身に翻弄される姿を、俯瞰で見る。音楽は如何にもな、というか、通り一遍な「寄り添い方」をする。神の視線の神とは無感情に人間を突き放す存在でなく(聖書の神は自分をかたどって人間を作ったとあり、慈しみ要求し罰する神である)、人間的眼差しがあるものの、しかしどこか距離がある。
「ある愛に関する物語」(演出=上村)は、十代の若者の独りよがりな「愛」の帰趨を描く。彼は団地の向かいのとある部屋に住む女性を望遠鏡で覗いている。郵便局で働く彼が窓口におり、彼女が「為替の通知が来た」と言って通知を差し出すと、リストを眺めて「無い」と答える、という場面が冒頭にあるのだが、後に同じやり取りが再現されその前段で彼が手紙を書いて彼女の部屋のポストに入れるという行動が置かれ、真相が分かる。彼は彼女が部屋に連れて来る男との逢瀬も目撃している。彼女が牛乳配達を頼んでいる事を知った彼は早朝の牛乳配達のバイトもこなす。彼と同居している年輩女性とは微妙な距離感があり、実は母ではなく、彼女の息子が不在のため、息子の友人であった身寄りのない彼を引き取っているのだと分かる。親代わりを自認する彼女は彼の引きこもりがちな質を心配しており、時々それとなく聞き出してみている。ただ、望遠鏡を通した恋がある、という事は感づいている。
ある夜、望遠鏡越しに、男と彼女が事に及ぼうとするのを見た彼は咄嗟に、ガス漏れの通報をする。技師が彼女の家を訪ね、検査に立ち入り、男は気分が冷めて帰ってしまう。この場面でだったか、女は己の中に惨めな姿を見たように、嗚咽する。
ドラマが動くのは、そうした諸々(無言電話も結構かけている)を奇妙に感じていた彼女に、青年はついにニアミスをし、己の存在を告白し「愛している」と告げる。笑うしかない彼女であったが、興味も湧いてカーテンを開けた窓の前で、彼にサインを送ったり悩殺ポーズを取ったりする。
彼女との接近は、カフェでのデートの約束を取り付けるまでに発展し、その夜、一張羅を着こんだ彼を見て同居のおばさんは安心したように彼を送り出す。
女は若い燕と遊びたい様子で、名乗り合った時点で相手の名前も覚えていない(と後で分かる)。彼は「覗き」をやるきっかけや、自分の思いを明け透けに語る。少年の憧れ以上のものを感じない彼女は、性愛には興味がないという彼の証言を聞き、帰り道、タクシーを見て「あのタクシーに間に合ったら私の部屋に来て。もし間に合わなかったらこれっきりね。」と彼を試し、後刻二人は部屋に居る。ここでの時間は破綻に行き着くが、その後の場面が本作の核になる。
・・部屋で彼女は若者からゆっくりと服を一枚ずつ剥がし、男女の関係は所詮物理的な結びつきに過ぎない、と告げる。彼女にとっては「誘導」であったようだが彼はその誘導を拒否し、部屋を飛び出す。彼が異性に寄せていたものの行き着く果てが残酷な「現実」だったに過ぎないのか、尊いものだと信じていた意志を彼女によって踏みにじられたという失望であったか・・
その日の夜、彼は浴室でリストカットし、湯に浸す。一命をとりとめて病院に搬送されたが、若い男を傷つけた事を察した彼女は、青年を探し始める。郵便局も休んでおり、窓の方角から団地の部屋の位置を定めて、おばさんのいる部屋へ行き付く。問題の夜、実はおばさんは彼が望遠鏡で覗いている存在が相手だろうと踏み、頃合いにベランダに出て覗き始める、というくだりがある。そして破綻の瞬間までを見ている。女の来訪を受けた時、「もう関わらないでほしい」と告げる。行きかけた女は戻って「彼の名前だけ教えて下さい」と言い、おばさんは呼び名(ファーストネーム?)を答える。
彼に会わなければならないと、急かれるように郵便局へ行き、彼の苗字を聞き出す。と、彼が退院したその足か、荷物を提げて職場に戻ってくる。対面する二人。照明は二人に絞られる。(このメロドラマチックな演出も好感)ここで青年が最後の台詞を言い、戸惑った彼女の表情を映して芝居は幕となる。
このラストは映画ではどうだったろう。ラストのその先は未知数である。彼の台詞は、女性を見切ったとも取れる。が、自分のそれまでのあり方との訣別、即ち新たな関係を結びたい宣言とも解せる。前者だとすれば、あまりに移ろいやすい思春期の「風邪」が治った彼を前に、深刻に考え過ぎた(そして彼を思っている)己を自嘲する女の残像、という事になるが、後者ならば、突如対等な大人として現れた彼との未来に、戸惑う姿とも見える。
純粋さと汚れとが入り混じる思春期の恋愛の心模様を思い出させるドラマであるが、思春期に限らず恋愛に付きまとうテーマでもある。
「殺人」「愛」どちらにも、物語の前面には出ないが、客観的には境遇的に恵まれない若者という設定があり、裏テーマになっているようにも思う。いずれも筋書は「よくある話」の類であるがどこか真実味がある。(「愛」の方はガス会社の人間が強引に部屋に入って行って逢瀬の邪魔しいが成功したり、「偽の通知」の件で郵便局を訴えた女性に局長のプライドから逆に女性を追い払う、等は微笑ましいご都合主義。)
殺される事になるタクシー運転手と、彼を殺す若者の接点については何も語られていないが、運転手の行動の幾つかは、衝動殺人なら特段必要な場面ではなく、計画殺人なら「殺してもいいやつ」と判断させる材料となった可能性を示唆する。
私の説は・・、二人に過去に接点(あるいは若者が運転手を見て知っていた)は無く、鳩には餌をやるが「タクシーに乗らなくても余裕で暮らせる奴」と見れば乗せる気が失せる偏屈おやじが、どういう巡り合わせか、殺されてしまった・・である。些か深読みすれば、彼は偏屈親父の中に同類の匂いを嗅いだ。殺人は屈折した精神が必死で導き出した結論だったのかも知れない、作者はそう観客が考える事を歓迎しているようには思う。死刑廃止の本質的議論は、犯罪の責を個人のみに着せられない、との思想を背景にしており、若者の正義感に寄り添ったドラマになっている。ありきたりなドラマではあるが、大多数の国が死刑を廃止している論拠に拮抗するだけの議論を、日本の死刑制度擁護論が為し得ていない現実があるとすれば、この「ありきたりな」ドラマを日本人としてどう観るべきか、厳しく言えば問われざるを得ないし、物事の本質に切り込めない緩すぎな日本のドラマ事情は決して「笑える話」でもないとつい愚痴が出る。
少々長過ぎたか。
ギンノキヲク(福祉フェスVer.)
ラビット番長
あうるすぽっと(東京都)
2018/09/28 (金) ~ 2018/09/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★
主宰である井保三兎氏の親類者(著名人)も来場していたようだが、厳しく叱っていただきたい。所詮はスポンサーをヨイショする腰巾着である。画一的な描写、時代にそぐわぬ笑い、予定調和の進行。
まるで観ることが「福祉」のようであった。