火のようにさみしい姉がいて
シス・カンパニー
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2014/09/06 (土) ~ 2014/09/30 (火)公演終了
満足度★★★★★
嫉妬
大竹しのぶさんと宮沢りえさんの記念すべき二人の揃い踏みを目撃、確認しました。
ネタバレBOX
新しい才能に嫉妬することで気分が落ち込み、女を妊娠させた過去の記憶も重圧になって精神を病んだ中年俳優の悲劇。
散髪屋での出来事は一体何だろうというモヤモヤはあるものの、男がお姉さんとの関係で20年間実家に帰れなかった理由が明らかになり、オセローに始まり、オセローに終わる、男はシェークスピア俳優でしたがまさかそこまで行き着くとは思ってもいませんでしたのでラストシーンは衝撃でした。
楽屋で妻とオセローの練習をしている最中に、どうしても台詞が飛び首を絞めるシーンに早く行きがちなところから、妻から私を殺したいという潜在意識があることを指摘されていましたが、この時は全くの冗談だと思っていました。男と結婚する時に女優業を捨ててマネージャー的存在に徹しようと決め、そうしてきた妻でしたが、若いスタッフからも言われた言葉、才能は私の方があるということを言ってしまったばかりに、嫉妬に駆られた男に首を締められました。
大竹さん演じる中ノ郷の女の無表情な謎めいたところは良かったと思います。宮沢さん演じる妻の、夫よりも才能があるという点についてはそうなのかもしれませんが、圧倒的にそうだと思わせるまでの華は見えてきませんでした。
パイプ・ライフ 広島公演
INAGO-DX
広島市南区民文化センター スタジオ(広島県)
2014/09/20 (土) ~ 2014/09/21 (日)公演終了
満足度★★★★
実力派、イケメン男優陣!
面白かった。コミカルなダンスも見どころ。
4人の役者が何役も演じるキレのいいエンターテイメントの中に穏やかな正義感とも言える独自の世界観が見えて、好感度アップです。
5人のイケメン役者、「誰に1票入れますか?」のアンケートには、舞台初見の山田健太に一票!
弄ばれて
劇団競泳水着
スタジオ空洞(東京都)
2014/09/17 (水) ~ 2014/09/25 (木)公演終了
満足度★★★★★
部分が繊細、神経が行き届いている...
細かいところに工夫があって、大雑把でないのが(良い意味で)気になるところ。
男性の赤シューズだの、フットカバーだの...
普通の生活を描いてるので、とキャストの私服を漫然と着せるところがありますが、ステージ上は、やはり非日常空間ですので。
上野作品、このようなギャラリー公演が向いているのでは...?
楽しめました!!!
男ばかりの会話劇 『アベンジャーズ Ver2014』
カプセル兵団
STAGE+PLUS(大阪府)
2014/09/19 (金) ~ 2014/09/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
こんなに近くで・・・
狭い空間で、会話が激しく行き交いました。
笑いもたくさんちりばめられていましたが、会話の中に、時代の変化に世相を切ってたり、人間の生き方を語っていたりと、ストレートであったり、置き換えてみると、そうだなあと考えさせられたり、おもしろかったです。
佐藤太一郎さとの絡みも、笑わせてもらいました。
とても楽しい時間が過ごせました。
ジルゼの事情(再演)
OFFICE SHIKA
サンシャイン劇場(東京都)
2014/09/18 (木) ~ 2014/09/23 (火)公演終了
Cocco さんがまぶしい
開演待ちで流れてきたチープトリック♪一気に気分がアゲアゲになりました。
通して観た感想は 内面のディテールの描きかたが大雑把。ちょっと盛りだくさん?な感じが胸焼け気味で すなおに面白かったと言えず。
ただ ジルゼという女性の魅力にやられる。最初は ただの不思議ちゃんに思えたけど 脚本の「足りない部分」をCoccoさんがセリフ以上の演技。
いや、演技なのかな。ジルゼそのものにみえて。
ダンス って すごいですね。
セリフ以上に雄弁だって思いました。
-SUCCEED-
演劇ユニットD3
大阪市立芸術創造館(大阪府)
2014/09/20 (土) ~ 2014/09/21 (日)公演終了
満足度★★★★
殺陣が凄い!
殺陣が凄い!設定が壮大!
加えて、個々のキャラがそれぞれ悩みや葛藤、純愛を貫くストーリー。
観る価値十分。一人一人の話にも着目です。
非常の階段
アマヤドリ
吉祥寺シアター(東京都)
2014/09/12 (金) ~ 2014/09/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
社会・集団・組織・家族・非家族・イデオロギー・経済システム
演劇として、非常に完成度の高い作品だと思った。
観ながら直感的に思ったことを、あえてクローズ・アップして、誤読のように感想を書いてみた。
……感想は、マルクスの経済発展段階説から始まったりする。
(一気に書いたらとんでもない長文になってしまった。過去最長ではないか。文章や論点に破綻がありそうだが、できればあまり突っ込まないでほしい・笑)
ネタバレBOX
マルクスの経済発展段階説によると、資本主義のあとには共産主義がやってくるという。
特に60〜70年代には、それを信じていた知識人(学生も)たちが世界中にいた。
彼らはそれを目指そうとした。
そして、今、それを信じている人は、ほんの一握りではないだろうか。
なんてことをこの作品を観て思った。
その理由は、「企業」「家族」という2つの集団の対比があり、その中の詐欺師集団が、カンパニーを名乗っていることと、彼らのブラック経済が、ひょっとしたら日本経済へのプラスになるのではないか、と思ってインタビューをしている政府機関らしき人々があったこと、さらに平等というキーワードなどからだ。
そうした「社会体制」「経済システム」という見方でこの作品を観ていく(ほんの少しイデオロギーも)。
たぶん、かなり視点がずれた「誤読」であるとは思うのだけど。
大庭家という「家族」がある。
そして、「詐欺グループS」という「非家族」の集団(組織)がある。
いずれも「人」の集まり。
「家庭」と「企業」と簡単に言い換えてもいい。
2つの「集団」、2つの「組織」。
そして、その中間に、1人の登場人物「ナイト」がいる。
Sに属していながら、大庭家の一員でもある。
Sでは新人、大庭家とは血のつながった家族ではない。
経済活動を行う「組織(企業)」、つまりフォーマル・グループが成立するには「目的」が必要だ。
詐欺グループの目的は明確。人(主に老人)を騙し、金を得る。
対して、人が血縁などでつながる「組織(家庭)」、つまりインフォーマル・グループには「目的」は必要ない。
そして、「組織」の成員たちのモチベーションを維持するものも異なる。
企業組織でモチベーションを高め、維持するための、組織への忠誠心の源泉は「お金」ではない。自己実現なのである。もちろんその前には、マズローの欲求5段階説ではないが、「集団に属したい」と思う「社会的欲求」や、「他者から認められたい」という「尊厳欲求」がある。
ナイトにとっては、Sという詐欺グループに属すことで満たされ、さらに組織のリーダー格2人に、プレイヤーとして認められることで自己実現への道しるべさえ見えてくる。したがって、ナイトの忠誠心、Sという「企業組織」への帰属意識は高まっていくのだ。
家族組織への帰属意識を維持するものも「お金」ではない。言ってしまえば「愛」であり、「慣れ(習慣)」ではないか。
一緒に暮らすことでの「確認」から相互間で得られるものだ。
ナイトは、自分が大庭家の本当の子どもではない、ということの負い目がある。
しかし、同時に「家族」としての「甘え」もある。
この2つの「組織(集団)」で揺れ動くナイトが、現代社会の動揺の象徴ではなのではないか。
ざっくり言ってしまえば。
この際、「善」「悪」なんていうことはここでは関係ない。
まあ、テーマが「悪」なのだから、「悪」についても少し考えてみる。
マルクスは、プロレタリアは資本家に搾取されている、と言った。
これは「悪」なのか? マルクスは「悪」と考えた。
搾取することが「悪」ならば、「資本主義」は「悪」である。
だからこそ、「資本主義社会」の次には「共産主義社会」が来ると論じた。
この作品では、経済活動をしている「カンパニー」は、「詐欺」グループだ。
つまり、通常のルールから言えば、「悪」なのである。
ということは、(私の考えるところの)資本主義を詐欺グループに象徴させているのは、マルクスと同様に「悪」であるとしているのだろう。
これは偶然ではないだろう。「自由(経済)」による「格差」「不平等」の結果生まれた詐欺集団なのだから。
それを政府(らしき機関)が取り込もうとも考えている、というのも象徴的だ。
老人がため込んだお金を市中に回すことで、「不均衡」を是正しようと考えているという点では、大義名分としての詐欺グループと考えが一致している。
市場では、個人が自己の利益を追求し、自由に任せておけば「見えざる手」により、適切な資源配分が達成されるとアダム・スミスは言った。しかし、実際は、富は高きところから低きへは流れず、「経済的格差」が生まれてくる。その「格差」は結果、経済の「格差」だけに留まらない。
かと言って、すべてが平等である共産主義には進めない。理由は後で述べる。
したがって、Sにいる彼らは、彼らの(勝手な)理論によって、富を再配分している。
劇中では、政府機関もそれに目をつけてアプローチしている。
市場経済だけでなく、ブラック経済にも介入し、コントロールしようとしているのか、と考えるとなかなか面白い視点だと思う。
新自由主義だの、ケインズだのといった、ところについても考えると面白いのかもしれないが、この作品からは大きく外れるのでこれはここでやめておく。
さて、先に「共産主義には進めない」と書いたが、その理由はこうである。
すなわち、全人民にとって、自由と平等がある、共産主義社会というものが成立するには、(諸説があるが)すべての成員が「善人」でなくてはならないと言う。
そりゃ無理だ、思う。
「悪」は悪いものだが、「善人」もツラいというところか。
なので、この作品のテーマである「悪と自由」というものは、それにドンピシャなのではないかと思ったのだ。
そもそもマルクスが「階級闘争不可避」と言っていたが、資本家とプロレタリアとの「階級闘争」はなくなってしまった。
生産性の向上により、その階層(階級)が消滅してしまったのだから。
ドラッカーの著書に『ポスト資本主義』という興味深いタイトルの書籍がある。
その中で、資本家は知識労働者に、プロレタリアはサービス労働者になった、とあった。
なので階級闘争はなくなってしまったと。
しかし、「格差」はある。
「資本主義」だから、「ある」。
自由経済だから「ある」。
劇中でも盛んに「平等」という言葉が使われていた。
その意味するところは、「格差」なのだが、使われ方としては、自己の正当化である。
つまり、「なぜ、人を騙す仕事をしているか」の回答でもある。
自分を守るための理由としては、大きなくくりのほうが聞こえがいい。「平等」とかね。
実は「カンパニー」にいる彼らは、やはり「自由な」資本主義の中にいるわけで、プロレタリアではない。
では、経済システムはどこへ向かうのか?
先の著書でドラッカーは、「知識」がキーワードであるとしていた。
しかし、「格差」の中で、それを得、活用できるのかという疑問がある。
先にも書いたとおり、「経済格差」は「経済」に留まらないのだ。連鎖していく。
そこで経済的組織が向かうのが、大庭家で示された「家族(的)な組織」ではないか。
かつて「日本的経営」として言われていた終身雇用、年功賃金などは、社員を「家族」のように扱い、できるだけ長く会社にコミットメントしてほしいと願っていた。
しかし、経済の低迷、バブル崩壊以降、それが続けられなくなってしまった。
ところが、ここへ来て、やはり「人」だ。企業を支えるのは「人」だということで「人本経営」なる言葉も出てきた。
劇中では、大庭家は、ナイトを迎えてくれた。
ナイトは知らなかったのだが、家族として籍まで入れてくれていたのだ。
とても喜ばしいことなのだが、ナイトにとってはそこは、「もう戻れない場所」であった。
生きるために周囲に合わせて、自分の感情を出さずにいたことが、思い出をなくしてしまっていたということに気づくのだ。
「思い出は感情と結び付く」という、当たり前のことに気が付いてしまった。
当たり前のことだから、本人への衝撃も大きい。
「人は何のために生きているのか」と大上段に振りかざすことをしなくても、「足りないモノ」に気が付いて、それが絶望的に補うことができないということに気が付いてしまえば、「生きる意欲」「ソウル」もなくなってしまう。
『非常の階段』では、イデオロギーとしても社会・経済システムとしても、限界が来ている現代をSと大庭家、そして、その間にいるナイトによって表しているのではないか、と思ったのだ。
途中に差し込まれる「素」を演じる役者の姿は、まさに「それ」を示していると受け取った。
自由主義・資本主義の先にマルクス主義・共産主義はありそうもなく、「知識だ」と言われながらも途方に暮れて、でも、最後はやっぱり「人」なのだ、と言えるのではないか。
その意味において、ナイトの姉・千鶴が、ナイトが最初にいた詐欺グループのリーダー・大谷に「ナイトに会え!」と強く迫るシーンは、とても意味深い。
いわば、作品の中の光明だ。
大谷は、ナイトを(方便としてだが)「必要だ」と言った人であり、千鶴は「家族」の代表だ。
2つの「組織(グループ)」が「ナイト」でつながり、ナイトが生きるための第一歩であるからだ。
やっぱり「人」でないと、「人」は助けられない、「人」は生きることができない。
資本主義の先には「人」がいる。
最後の群舞(私が勝手に「ひょっとこフォーメーション」と名付けた群舞)は、やはり「人」の流れに見えた。久しぶりの群舞、とてもよかった。
詐欺グループのリーダー・大谷を演じた倉田大輔さんが、中盤からリーダー的素養を全開し、グイグイとやってくるところ、頭も良さげなところが上手いと思った。
大庭家の父を演じた宮崎雄真さんも、詐欺グループとは違う、大庭家の空気を生み出しているようで良かった。
ナイトを演じた渡邉圭介さんもいいし、姉・千鶴を演じた笠井里美さんもあいかわらず上手い。
「家庭」である「大庭家」は、家長としての男親がいて、子どもたちはナイトを除くと女性ばかりである。対する「S」は、リーダーが男性で、女性も1人いるものの、男性社会である。
この対比、あえて、だと思うのだが、実は、作の広田さんの無意識から出たものではないか、なんて思ったりしている。
yとxの事情
チーム夜営
インディペンデントシアターOji(東京都)
2014/09/13 (土) ~ 2014/09/15 (月)公演終了
満足度★★★
かなり奇妙なラブストーリー
数学でいう、横軸の役割を果たす「x」と、縦軸の役割を果たす
「y」とがお互いを捜し求めて、中学から高校の教科書の世界を
さまようという物語。一種の擬人化譚ともいえるかもしれないです。
個人的には、終盤までの展開は詰め込みすぎて、観客を振り回し
過ぎな気がしたので、さくっと削ってもよかったかもしれないです。
ネタバレBOX
この作品、脇役の「点A」「点B」「点P」がすごくいい味を出して
いますね。問いにしたがって、答えを出すために、何週も何週も
その場を走らされている点Pが、「神様に手紙出すわ。もう走るの
止めさせて下さいって!」と陳情の手紙を書くところとか秀逸。
人間にも苦労があるけど、確かに数式の世界にもこっちが分からない
苦労があるのかもな、って思わされました。この作品、ところどころに
そういった面白い着眼点が活きています。
それだけに、後半に差し掛かるにつれて、メタ的な要素が入り込んで
くるのが、正直なところ、なんだかな、って感じました。
「x」「y」の2人は「二次関数」の世界を探して、果てはメタ数学の
領域にまで足を踏み入れていきます。そこでは、もうすでに、
数学の在り方を根本から見直そう、みたいな感じになっていて、
言語レベルでの問いになっちゃってて。
いわば、解き手である人間の手を離れてしまった段階に至って
誰も教科書を読まなくなった。解き手がいてこそ成立する数学の
世界はその時点で自己矛盾を起こし、数学の時空を自由に行き来
できる「郵便配達員」によって、その世界の公式を成り立たせる
要素(点A・点B・点Pやx・y)の抹殺という形で消去させられる。
この辺から妙に難解なストーリーになってきましたね。次の場面で
全員が生き返っているのは、別の数学次元だから、ということなの
かな? どこの時空で起こったことなのか、途中、追いきれなくなって
きたので、あんまりいらなかったかも。yを点A・B・Pの三人でぐいぐい
恋バナで追い込んで勝手に盛り上がっていた場面とか面白かったので
なおさらそうですね。
ラスト、永遠に一瞬しか交わる事のない数学の世界を抜け出して、
人間の世界に行く事にした二人。「無限の代わりにずっと一緒に
いられることがない」場所から「有限の代わりに一緒にはいられる」
世界で再び二人が出会う場面で終わりなんですが、ベタなだけに
素直にいいですね、こういうのは。
非常の階段
アマヤドリ
吉祥寺シアター(東京都)
2014/09/12 (金) ~ 2014/09/21 (日)公演終了
アマヤドリ的。
アマヤドリ観劇3度目、その中ではベスト。
過去観劇は『月の剥がれる』『うれしい悲鳴』。前者は掴み所がなく、後者は進行する事態は判るが言いたい事(劇作りの動機)が掴めず入り込めない、という印象だったが、今回は「芝居を観た」という気分で劇場を後にした。それは喩えるなら、冷たい壁の裂け目から人間の「温度」が感知され、舞台に立つ役者はアンドロイドではなかったのだという、そんな感触から来ている。
この「抑制感」は果たして狙いなのか、他の要因によるやむを得ない結果なのか、という所で評価も変わってくるが、、基調としては「不要な判りづらさ」がそこはかとなく感じられるため、否定的な印象が3作を通じた正直な所である。ただしテキスト(台詞)を通して論じようとしているテーマそのものは重要であり、社会批評の姿勢を貫く作り手は応援したいのも正直な思いだ。
最後まで見れた、それを可能にした要因は一つには「アマヤドリ的」アプローチを知っていたので、「誘眠攻撃」を回避できたこと(場面転換後の台詞のやり取りが前のそれとどう関連するのか長い間判らないと、これは強力な「誘眠」効果を発する。今回も実は若干眠ってしまった)、そして今回の芝居のシリーズ「悪と自由」(この文言は観劇中忘れていたが)が念頭にあり、芝居全体をそこに集約されるべきものとして、一歩引いた所で観ることができたこと、これによって芝居として理解が出来た事がまずは土台である。
その上で「芝居を観た」後味を得られた一番の理由は、役者の感情表現に私の感情腺を振動させる部分があったこと、役者が「抑制」の中にある感じが覆うアマヤドリの舞台の中で、そこから跳ね上がる瞬間が少し観れた事、これが大きかったと思う。
ネタバレBOX
その具体箇所は、終盤に展開する独白ベースの2つのシーン。「自分が無い」事に悩み、それを解決しようとして何も変わっていない事に気づいた青年「ナイト」の絶望の独白。この芝居はある犯罪集団を中心に展開するのだが、そのメンバーの一人であるナイトは少年時代からハチャメチャをやってきた(行動の欠落感を免除された)はずの来歴の持ち主なのだが、実は、と独白する。彼は周囲に合わせて生きているに過ぎず、そんな自分が嫌で、気を遣わずに済む連中とつるむようになったのに、やっぱり人を中心に考える自分、「評価」「承認」を望んでいる自分がおり、その欲求は満たされる事がない。いつも周りを気にして過ごしてきた人間には「思い出」というものがない。本当の自分を生きていれば、悲しかったり楽しかったり、そんな思い出の一つや二つ持ってるはずだが自分にはそれがない・・そんな状態から抜けられない無間地獄の闇を見た彼は、自殺する。
この独白は私自身の二十代の頃の心の叫びを殆どなぞっていた。そういう自分からすると「自殺」に至った本当の原因は、彼の語った言葉の中にはなく、別種の要因が働いていると思うがそれはともかく、この告白には現代を生きる人間の一側面が表現されていると感じる。
もう一つの場面は、彼の自殺(救急搬送で現在は重体)を受けて、犯罪集団が元世話になった詐欺師の元締との間にかつて体の関係を持った女性(ナイトの実家同然の親戚の家庭の長女)が、ただ遊ばれただけだったのね、で終ったはずの彼の元にある決意を胸に乗り込んで行く。
詳述はせぬが、元締の存在、犯罪集団の存在は、この芝居では既定の事実として置かれ、後に「解説者」によって社会における資産の不均衡状態の是正に大型詐欺犯罪は貢献している、として肯定的意見が述べられたりする。格差を放置しているという意味で「悪」である社会システムから必然的に若年貧困層が生み落とされ、必然的に「金儲け」のための詐欺犯罪(ビジネス)が生まれるとの見方は、ある面私たちの実感に即している。
が一方で「人を騙す」行為が一人の人間の中で正当化される過程で、様々なものを振り落として行くだろう事が、詐欺師の元締の「全て満たされた」かのうような環境で無気力化した姿に仄めかされる。その一局面がたまたま出会って一夜をともにし、捨てられた長女が未練がましく彼に取り入ろうとして交わされる、虚しく痛々しいやり取りだったりする。
で、このやり取りを伏線として、終盤のその場面で彼女は恋愛素人?らしく、ナイトも以前一緒に働いていた同士だったボスの前に再び、敗北者の恥を打ち捨てて身をさらす。「ナイトに会っに行ってほしい」。億劫そうに渋る若き詐欺師に、彼女が食い下がる。このやり取りは見物である。再現したい欲求は抑える事にする。
「悪」と「自由」の自由の語義は多様であるしどの意味合いだとしても結構である。言葉に集約させて行く作業、言葉が機能する土壌を再び掘り起こす作業は貴重だと思うが、抽象度の高い言葉や論理に収斂させる事がゴールである演劇はつまらない。論理や言葉にならないものが演劇という手段で豊かに表現される、それが私にとって演劇が贅沢な体験であるための条件だ。その端緒にしたい観劇だった。という所で長い感想を閉じます。長文失礼。
薄い黄色のカーディガン~さらば、愛しの疑似家族~
東京カンカンブラザーズ
ザ・ポケット(東京都)
2014/09/17 (水) ~ 2014/09/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
みてきた
初カンカンです、面白かったです。
マキねえさんもはまってました。
手元の集計によると500本目の観劇でした。
もしも、もう一つの人生を見られたら
Unit Blueju
座・高円寺2(東京都)
2014/09/19 (金) ~ 2014/09/22 (月)公演終了
満足度★★★★★
生き方をほんの少し変えるということ
誰しもが考えるもしもの世界を歌とダンスと芝居で成立させたのが面白かった。
また、「自分の人生をどう思うかは他人が決めることじゃない」とか自分の今の生き方を問われる台詞が多くて胸に響いた。
少し明日からの様々な選択を少しでも妥協せずに変えようと思うきっかけを頂きました。
広光さんがやはりいいなぁ!
応援してます!
Soaring
the CRAZY ANGEL COMPANY
アサヒ・アートスクエア(東京都)
2014/09/20 (土) ~ 2014/09/21 (日)公演終了
満足度★★★
音楽隊
管楽器を中心とした演奏、ジャズ系ダンス、フラッグによるパフォーマンス。理屈抜きに楽しむ公演で、親子連れがターゲットとしてふさわしく思う。音量がマイク不要に感じたが、収録でもしていたのだろうか。
ことばのはじまり
ディディエ・ガラス×NPO劇研
三重県文化会館(三重県)
2014/09/14 (日) ~ 2014/09/15 (月)公演終了
満足度★★★★
圧巻の身体表現と神秘的な音楽の世界・・・ ですが、ちょっとディスコミュニケーション
圧巻の身体表現と神秘的な音楽の世界でした。それだけは確実に言えることだし、それだけでも充分満足はしています。
しかし、「ことばのはじまり」という謎掛けめいたテーマと対峙すると、易々と消化できるものではありませんでした。ことばがなくとも、感情は伝わりますが、やはり意味するところまではなかなか分かりませんね。分かったつもりになっても、所詮はいずれも想像の域をでず、それを確信させる情報も読み取れない。
言葉は発する方だけの意思だけで成り立つわけではなく、受け手との共通認識の形成を経て成立するものと思いますが、今回、その受け手としての素養が自分にあったのかと言うとハテナです。あるいは正しく伝わらないディスコミュニケーションすら題材だったのかもしれませんが。
子どももターゲットにしているあたり、「考える前に感じろ」的な趣旨かもしれませんが、それだと「ことばのはじまり」ってタイトルにそぐわない気がするんですよね・・・ 個々の意味に拘るのではなく、マクロ的に捉えなきゃならないのかもしれませんが。
ふらふら思考が揺れてますが、そうやっていろいろ思考を巡らさせてくれるあたり、楽しい時間だったと思います。
webで本作に関する役者さんたちや関係者の発言を読むと、むしろ、メイキングでの役者さんとディディエ・ガラス氏のコミュニケーションの方が、「ことばのはじまり」なのかもしれないです。メイキング・ムービーが観たいですね。
ダンス花
セッションハウス
神楽坂セッションハウス(東京都)
2014/09/20 (土) ~ 2014/09/20 (土)公演終了
満足度★★★
5作品
上演時間90分。COMBO×COMBO、仙田麻菜、MaMaNiMaNiMaNi、木原浩太、四戸由香。
ギンノキヲク FINAL
ラビット番長
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2014/09/19 (金) ~ 2014/09/23 (火)公演終了
満足度★★★★★
ケチをつけるとすると・・・
劇場がちょっと遠いかなって感じるのと、
観客席後ろで自尊心と虚栄心の混じった私語を、
時々上演中にしていた御仁が煩わしかったぐらいでしょうか。
あっ作品内容には関係ないですね(^^;)
お話は大変出来がよくて気に入った内容であり、
認知症の方への声かけの仕方などは、
某公共放送の番組でも手本に出来るような内容であるなぁ
って思いました。
(これがまた悪い例も先に見せてくれるのでほんと判り易かったです)
笑いの差し込み方も上手で物語を堪能できました。
これで終わっちゃうんですか・・・パート2とか、
今度は救命士の話とか(AEDの使い方講座とか上手そうに思えたんで)
したりしたら、いいのになぁって勝手に思ったりもしてしまいました。
ちょべりばペット
右手愛美プロデュース企画
ステージカフェ下北沢亭(東京都)
2014/09/18 (木) ~ 2014/09/20 (土)公演終了
満足度★★★★
しっかりミュージカル!!
ちょっとダークな結末に、生演奏でのミュージカルをしっかり感じさせる構成、楽しかったです!!もう少し長いストーリーも観てみたいです!あと、オタク役の子が凄く気になりました!
ちょべりばペット
右手愛美プロデュース企画
ステージカフェ下北沢亭(東京都)
2014/09/18 (木) ~ 2014/09/20 (土)公演終了
満足度★★★★
オリジナル楽曲
上演時間50分+イベント。オリジナルのみとはたいしたもんだ。ほどよい時間に、シンプルなステージがよく合っていた。今後は急には大作化させないで手ごろなサイズで続けていってほしい。
人間機械より夜空へ
劇団晴天
Route Theater/ルートシアター(東京都)
2014/09/20 (土) ~ 2014/09/23 (火)公演終了
満足度★★★★★
心を考える
メッセージ性が高いので、毎回観終わると、
しばらく思考する時間になります。
若者たちは、何を訴えたかったのか!
一緒に行った友人が、「初心に戻って、自分もがんばりたい!」
と言っていました。そんな気持ちにさせてくれた作品でした。
スティング・オペレーション
THE ROB CARLTON
元・立誠小学校(京都府)
2014/09/11 (木) ~ 2014/09/15 (月)公演終了
笑わせて頂きました
今回も笑わせて頂きました。
毎回、チケットも凝っていて受付行くの楽しいです
今回は伝家の宝刀”うまい棒”の出番が少なかったようです
Libido
創作集団Alea
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2014/09/18 (木) ~ 2014/09/21 (日)公演終了
満足度★★★
ハート・ヘビーな・・・
エンディングを迎えるまで終始“ハート・ヘビー”な作品で、“ド根暗ポップ×人間の本質”としてはある意味、そこそこ成功しているとは感じた。ただ、表現の方向・方法が単一的でストーリーの広がり感に欠けてるように感じた。気になったところをあげると、照明が全体的に暗く、演者の表情が伝わりにくい。BGMのバランスが悪く、台詞が聴き取れないことがあった。これは、役者の声量が足りないということもあるとは思うが・・・。クリスマスを表現する場面での歌は、音程はともかくメロディが正しくないし、楽曲の作者に対して失礼な表現は改めたほうが良いでしょう。そして、エンディングの場面では“安堵感”が出たのか?集中力がなくなったのか?芝居が雑になり、台詞が聴き取りにくかったりして、とても勿体無い。
しかし、この劇団の違う作品を観てみたい気もしました。
※これは、ほとんどの劇団に言えることですが、“R指定”を表記して欲しいということです。というのは、小学生・中学生を連れて観劇することもありますので、劇の内容を劇団側で判断していただけると良いかと。
ネタバレBOX
将来の希望や不安を抱えた、卒業間近の大学生達の“現在の状況”から、もしかして“最悪の状況”になったら、という将来の話なんだろう。だが、なんでもかんでも“死”に直結してしまうのはどうだろうか?自ら“死”を選択してしまう若者が多い昨今、この作品は心が重たくなってしまった。ハッピーエンドだったのがせめてもの救いだが、そこまでの重い心が晴れやかになるよう、“ハッピー”をもっと強調したエンディングにして欲しかった。