最新の観てきた!クチコミ一覧

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冥途

冥途

ピタパタ

調布市せんがわ劇場(東京都)

2016/09/30 (金) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★

生モノ
原作に対するリスペクトも大事ですが、台詞に出てくる単語や言い回しは現代風にしてもらった方が入ってきやすいかなと思います。
会話の意味を考えている間に次に行ってしまう事もありました。
ただ、演出的には不気味さや幻想的な雰囲気が伝わってきて頭の中に『?』マークが飛び交いながらも舞台から目が離せませんでした。

カランのコロン

カランのコロン

ふくふくや

駅前劇場(東京都)

2016/09/28 (水) ~ 2016/10/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

おもしろかったです
伸さんいないの寂しいー
でも今回もおもしろかったし切ない場面もあって、本当に素敵な舞台でした。
ある舞台と繋がっているって気付いたときは『おおー!!』となり、とても嬉しかったです
(*^∀^*)

また来年も期待しています☆
『六男坊の嫁』いつか再演してほしいです。

桜の森の満開のあとで

桜の森の満開のあとで

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2016/09/28 (水) ~ 2016/10/04 (火)公演終了

満足度★★★★

模擬でも議論自体に意味がある
会議者の舞台というと、三谷幸喜の「12人の優しい日本人」やアガリスクエンターテイメントの「ナイゲン」を思い浮かべるが、この劇はコメディではない会議劇。しかし、シチュエーションなどによる笑いはなくても、会議や議論する様というのは会話劇の恰好の材料であることに変わりはなく、それぞれの立場でぶつかり合う登場人物たちの思惑や感情、移り変わる会議の趨勢がテンポよく繰り広げられ、非常に面白い劇だった。
現実の当事者たちの会議ではなく、大学のゼミのモックカンファレンスと言う設定により、劇が2段構造になっており、それぞれの立場の登場人物の意見や発言が、本当の感情・本音とイコールに必ずしもならないという「議論」の本質を強調することになっている。
「超高齢化社会」という今まさにそこにある大きな問題を議論の題材にしており、劇として脚本として「これがこの劇での正解だ」とう姿勢で観客にぶつけるのではなく、誰も間違っていないそれぞれの立場の登場人物たちの意見を観客にぶつけることで、「知る事」「考える事」「他の人の考えを聞くこと」という議論や会議の、話し合うということの意義を観客に持たせることができていると思う。特に席も近いし、客席も多くないのでそのぶん自分も本当にオブザーバーとして参加しているように思えてきて、自分の意見を発表したくなってしまうくらい、考えて議論に感情ともども入り込むことができた
劇自体の完成度という点では、ちょっと気になる所もあったけど、面白い劇だったので、観客が少なかったのが非常に残念だった。世の中に会議とか議論好きってやっぱりそんなに多くないのかなぁ。。。

ネタバレBOX

気になった点としては、音響系の効果音やBGMが劇の場面や雰囲気にあっていなかった。また、教授役の方だけ、他の人の演技との差が目立ってしまってどうにも気になった。ラストのワカナとミユキの2人のシーンも、説明不足というかそこまでの雰囲気とぜんぜん違う感じだったので違和感だけが残ってしまった
しかし、それらの違和感やノイズがあっても、それぞれの登場人物たちが少しの台詞で大体どういうキャラかわかる展開なのは上手いと思うし、モックや会議の説明を新規に参加した登場人物に教えるということで観客にもわかりやすく説明される展開など、会議や登場人物の立場がよくわかった上で議論が始まるので、引き込まれてしまった。
バックトゥ・ザ・舞台袖

バックトゥ・ザ・舞台袖

ENG

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

すべてが正しく機能している奇跡
おそらく脚本の時点で相当おもしろかったんだと思う。
とにかく座組の全員が、あるいは制作のスタッフワークまで含めて自分が何をするべきかを正しく理解していればこんな奇跡が起こるのか、ということを感じさせる傑作。
どこがどうとか言い出すときりがないので省くがとにかくキャラクター、ストーリーともに過不足なくしっかりと、そして活き活きと描かれている。小劇場でこのクオリティの作品が観られることはそう多くない。とても演劇らしい演劇。

余談。
BigTreeならA席でいいや、と思って千円の差額をケチったが、客席が適度に温まっている回だと爆笑シーン直後の舞台上の音やセリフが聞こえないことが多々あった。S席にすべきだった。

ネタバレBOX

舞台監督(平山空)はツンデレだと思う。あと足袋がかわいい。
冥途

冥途

ピタパタ

調布市せんがわ劇場(東京都)

2016/09/30 (金) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★

構成が見事
構成が良かった。
短編小説を切り貼りしたとのことだが、全体として見事にまとめあげられていた。
役者さんの演技も違和感無く、かなり工夫されているものと見受けられる。テンポが一定にならないように随所でアクセントがあり、観ていて退屈しない。

ネタバレBOX

大きな劇場の広い舞台だったがため、デハケの際の動線に少し無理があったように見えた。もう少し狭い舞台なら、もっと良かったように思う。
Hands Up

Hands Up

SANETTY Produce

新宿村LIVE(東京都)

2016/05/25 (水) ~ 2016/05/29 (日)公演終了

満足度★★

キャストのファンなら…
ボクラ団義の初演を観た者です。

前作Over Smileのときも思ったのですが、これ久保田唱演出とクレジットされてるの本当?名義貸しみたいなものじゃなくて?

この時期のボクラ団義の作品は怒涛の伏線回収劇というか、もうほんとにすべてのキャラクターの一挙手一投足に意味というか、物語上の「機能」があったんです。

その「機能」を理解しないまま台本通りにやってみた感じ。アテ書き的な部分も含めて。
NAOTOとDAICHIは最初っから完全にセットで扱われてるし。
バスケットボール選手、初演の竹石悟朗に比べてボールの扱いが明らかに下手。

物部と曉美(キャサリン)が戸籍上の夫婦になっている改変もよくわからなかった。
誰が演じるかに関係なく物部というキャラクターは結婚という関係を望む、あるいは受け入れるタイプとは思えないし、曉美も初演の終盤でのバカップルぶりから遡って物部に裏切られた(と感じて)自殺する展開にリアリティが見えてくるが、この二人が夫婦で、一般的な夫婦と同様に同居しているのであれば、家庭内で決着がついて自殺にまで至らない気がする。

笑いの要素も、何がおもしろいのか以前に、そこは笑いである、という「記号」が理解できていなさそうな場面が複数あった。
2012年の初演当時、前年まで首相であった菅直人の記憶が観客の中でも鮮明だったかもしれないが、今「カンナオト」と言われても。一事が万事こういった調子。

キャストの力量にもかなり差があるように思う。
物語を「ドライブできる」役者と、乗っかるのが精一杯の人がいる。

こういった事情に比べて衣装や小道具が変に派手なのがかえって「滑稽だと思わないか!」

個々のキャストを見ていくと光るものはたくさんあるので、作品そのものを楽しむよりもキャストを見に行くと思えば悪くない。悪くないが、わざわざこの作品を選んで再演した、そこで見る意味は見出せない。

これだったら広島大学演劇部が上演した「わラワレ!」の方がおもしろかった。

余談だがDVDの出来もあまり良くない。
まず全体的に音声のゲインが低すぎてセリフが聞き取れない。再生機器で、ちょっとびっくりするようなところまでボリュームを上げるか、ヘッドホンを使えばなんとか。ただし音楽が流れる部分もラインで録ってるのではなく現場のPAをマイキンクしているようで急に10倍くらいの音量が鳴る。しかも収録時点でなのかクリップしている。
セリフといえば会場PAの都合なのかもしれないが終始ディレイがかかっているように二重に聞こえて、言葉として認識しづらい。規模が同程度の、たとえば他団体の六行会ホールやCBGK!!で収録された作品では問題ないので、新宿村LIVEがよほど特異な劇場であるか収録部隊の力量不足のどちらかだろう。
もうひとつは、舞台上の位置関係において成立する場面、ミザンスとは少し違うのだが、その位置関係があえて見えないように(?)編集されている。舞台をテレビドラマのように見せようという畑違いのプロ?的な仕事。

こういうこと書くと再演そのものを否定しているとかずっとDVD見てろと言われるかもしれないが、オリジナルを踏襲する部分と新たな命を吹き込むべく改変された部分の出来、バランスが悪い。

これはあまり時間をおかずに今のボクラ団義がPlay Againで再演して作品としての意味、また再演の意味を世に問うべき。

P.S.上原真梨華を後ろから手帳でどつくシーンやってみてえー。

夢見る喜世子レヴュー

夢見る喜世子レヴュー

ピストンズ

スタジオ空洞(東京都)

2016/09/28 (水) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

個人的には今年1番の面白さ
倉垣まどかさんに会いたいがゆえに観劇してきました。

ネタバレBOX

戦後のいわゆる娼婦たちの物語。

女の強さも、弱さも、惨めさも、幸せも、女の魅力がつまりにつまった良作です。

女性のキャストさんがもう、身体を張りまくってます。
いや、もはや身体を張る事に恥ずかしげなんかなく、むしろ誇らしげで気持ち良いくらいでした。

あの小さな舞台の中で、仕切りをうまく使い、モニターを写したり、空間を拡げたり縮めたり、はたまた透けた布を使うことで妖艶さも演出。

またどの役者さんも自然に美味い。言葉まわしも、違和感なく受け取れました。あとエロい。ただ押し付けてくるようなエロさではなかったので不快感はなかった。

また男性陣も素敵な役者さんでした。

衣装も素敵だった。もう女の私もメロメロでした。
遊侠 沓掛時次郎

遊侠 沓掛時次郎

シス・カンパニー

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2016/08/27 (土) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★

久々に・・・・・。
これだけの役者さんをそろえて、しかも私の好きな役者さんがほとんどなのに・・・まったく、舞台に寄り添えなかった。
何が言いたいのかもまったくわからなかった。
昭和の話らしいのに、amazonで局留めで本頼んだ・・なんて、せりふは入らないし・・・・。こういう、くすぐりは嫌いなんです。
いやあ、久々につまらん!と、思ってしまった。

月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

命の存在感。
2回、観劇しました。
2時間半、物語の持つ緊張感、役者さんたちの緊張感、そして、それを受け止める客席の緊張感で、ずっと張り詰めていた気がしました。
でも、それはとてもいい緊張感でした。
無機質な舞台で、生々しいまでの命の存在感が圧倒的でした。
小角まやさんの演じた女性が、印象に残ります。

冥途

冥途

ピタパタ

調布市せんがわ劇場(東京都)

2016/09/30 (金) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★

内田百閒meets別役実?
そんな雰囲気の不条理劇でした。「交錯する時間、混在する現実と幻想」は嘘ではなく、私の頭の中は?????だらけ。でも、和のテイストがあふれたビジュアルの雰囲気はグー。

魔族会議

魔族会議

たすいち

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2016/08/27 (土) ~ 2016/09/04 (日)公演終了

満足度★★

脚本が雑だと思いました
メモをして投稿をし忘れていたので今更投稿すいません。

たすいちさんの演劇は好きです。

でも脚本が年々「くどく」なっていて、客がお話に集中できない感じになっています。1言でいうと「キャラクター・設定の説明場面」が多すぎるということです。学芸会ではないので、役者の全員が全員光って、お客さんに覚えてもらって、という配慮はいらないと思うのです。というか、この人がどんな魔族でどんな能力があって・・という紹介で前半が終わり、実際に能力がディベートに絡んでお話が動き出すのが後半だけ。長いです。脚本が「役者」と「アイデア」ありきで、「構造」がない上に「話の中身」が薄いのが残念です。誰かに脚本だけを読んでもらったほうがいいんじゃないかと思うぐらい、近年の作品は脚本がグダグダだと思います。

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

演劇レーベルBo″-tanz

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

クロコスの糸に感心
座談会は良い手ですね。クロコスの糸のあれやこれやの表現も感心しました。中年男の天使というのもありですかね。ヤクザさん2人もなかなかいかしてましたね。クビになった福井の川内組(せんだいぐみ)というのはこちらの世界で本物の福井の川内組(かわうちぐみ)が破門になったのに対応してるんですかね。理屈が通るようなオチをつけずにもっと派手に殺戮しまくっても良かったかな。いつかは別な世界でお金持ちの劇団になって宙乗りが可能な大きな劇場で頭上を天使が飛び回る芝居をやってもらいたいものです。

僕の居場所

僕の居場所

劇団あおきりみかん

G/PIT 名古屋市中区栄1丁目23-30中京ビル(愛知県)

2016/09/21 (水) ~ 2016/09/27 (火)公演終了

満足度★★★★★

面白かったー!
いろいろな意味でビックリ!
あのアイディアは何処から出てくるんだろう?
本当にさすがでした。
素敵な作品をありがとうございました☆

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

演劇レーベルBo″-tanz

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★

SF?
初見の人にも分かり易いように 1・2部の粗筋をキャストみんなで説明してくれたのは親切♪ 始まりの映像を使いながらの首ちょんぱはびっくりしましたが 3.11震災を大胆な発想で SFチックに仕上げてあるのに なるほど~ 
でした。

かえってきた不死身のお兄さんー赤城写真館編ー

かえってきた不死身のお兄さんー赤城写真館編ー

演劇企画ハッピー圏外

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2016/09/26 (月) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

北ひとみさんって素敵
割と明快なストーリーで(本筋にはあまりかかわらない県会議員さんは何のために出てきたのかがいま一つ判りませんでしたが)、滑舌の良い俳優さんばかりの良い芝居でした。とくに北ひとみさんって素敵な女優さんですね。難点を挙げるとすると、最後の結論にたどり着くのにあんなに時間をかける必要はあったかな、「常識で考えればわかるでしょ、」という気持ちが若干しました。

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

演劇レーベルBo″-tanz

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★

アンブレイカブル
本編が始まる前のイントロダクションでなんだかすごく登場人物のバランスがいいなと感じました。一章、二章は見ていないのでこの前説(とは言わない?)はありがたかったです。暗く辛辣な内容でしたが、笑い(ブラックなのも含めて)もあり、映像や小道具も生きていました。お芝居は滅多に見ない、まして小劇場なんて初めて!と言う友人を連れて行きました。役者さんが近くて迫力があって疲れた。でも面白かった!と言う感想でした。池袋演劇祭のCM大会の様子を観劇前日に見ましたが、予約前にこれを見ていたら観劇しなかったかも(笑)

へなちょこヴィーナス

へなちょこヴィーナス

“STRAYDOG” Seedling

ワーサルシアター(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★

【はち組】観劇
元気いっぱいでした。

ネタバレBOX

陸上部の有望選手を応援するために作られた高校チアリーダー部の話。

応援団の延長、立体的ではありませんでした。

100mの準決勝後に肉離れを起こした選手が決勝戦に出場するのを美談にしたところは全く理解できませんでした。陸上選手の将来を考えれば、監督は制止し続けるべきでした。高校野球でも、投手のローテーションを重視する高校がある時代なのに残念でした。若い女優陣が中心の活気溢れる作品であるだけに時代遅れ感はなおさら残念です。
月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★

月の剥がれる
殺人(主に戦争らしい)に抗議の意を表明するために自殺する。命を賭けた抗議と言えば聞こえはいいが、自殺した本人はその死が果たして意義があったものかどうか確かめようがないのである。そればかりかその思想を持つ平和団体さえも、偉い人たちは会員を増やして自分は死ななくてすむように画策しているだけで、自分たちの行為の確証さえないように見える。そんな団体でもまっとうなものとして受け入れられてしまう流れが恐ろしい。
散華のメンバーだった元フリーターの男が「アルバイトで生計立てて、それでもなんとかやっていけて、たまには焼き肉とかも食べられて特別何もなくて生きているのはいけないんですか?」と言うセリフが胸に刺さる。特別なことなど何もなく生きているから。とても考えさせられる舞台でしたが、登場人物にどういう人なのかわからない人がいたり、ダンスの意味・意義がわかりませんでした。終演後主宰さんを捕まえてお聞きしたところ「言葉のさらに先にあるものを表現したい」とのことでしたが、私から見たらあんなに長くはいらないんじゃないかと。上演時間だって短くできるのではないかと思ってしまいました。

---黄離取リ線---【ご来場いただき誠にありがとうございました!】

---黄離取リ線---【ご来場いただき誠にありがとうございました!】

劇団えのぐ

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

良かった!
現実でもあり得そうな話だからこそとても考えさせられる作品でした。
親には子供が成人になるまでは責任を持って子育てしてほしいですねと思うのですが、親だって毎日毎日自分の事を犠牲にして子育て頑張ってると思うと何でもかんでも親の責任には出来ないと思うし難しいですね…
人間って難しいです。

月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★

重層世界への広がりと視点の転換にアマヤドリの良さを見た
なぜだか初演を観ていない。
なので、初『月の剥がれる』。

一見とてもストレートなテーマなのだが、答えがそこにあるのではなくきちんと考えさせるところがアマヤドリだ。
19時30分からスタートで上演時間2時間30分のアナウンスには、エエッとなったが、最後の最後まで目を惹き付けた。

また長文になってしまった。
以下ネタバレボックスヘ。

ネタバレBOX

フライヤーの出演者を数えたら27人もの登場人物がいるわけで、その人数を登場させ1つの方向へ演出する力は並大抵のものではないと感じた。

ただ、どうもキレがあまり感じられない。いつもはビシビシと決まっていたのに。
きちんと描きたいという想いからつい盛り込みすぎたのではないか。伝えたいことに対しては言葉を尽くして、役者を観客に向き合わせてじっくりと見せたかったのではないか。
その気持ちはわからないでもないが、逆に疎かになってしまったところはないだろうか。

演劇は、小説ではなく、戯曲を読むことともイコールではない。
当然のことだが、生身の人が演じることで文字だった台詞に「意味」をもたらす。
極端なことを言えば演出によって台詞の「意味」だって変わってしまう。
「文字の固まり」の戯曲では語ることができないものを舞台の上ならば語らせることができるのが演劇だ。

しかも「言葉で語ることができない何か」「戯曲作者もそれがなんだかわからないモヤモヤのようなもの」をそこに込めることができる。
そして、その送り出された「モヤモヤ」と観客が受け取る「モヤモヤ」には差が出来てしまう(これは演劇に限ることではないかもしれないのだが)。さらに演出家(戯曲作者)と役者との「モヤモヤ度」や解釈の違い、齟齬も生まれるだろう。しかもそれらが「生」で訪れるのが演劇だ。
その「生で訪れる」「差」や「齟齬」も含めて演劇であり、そこが演劇の面白さでもある。

アマヤドリ(ひょっとこ乱舞)の舞台にはそんな面白さがある。
つまり、観客には「劇団」(演出家・戯曲作家・役者)からの「モヤモヤ」まで繋がっている糸を探すために、舞台の上で行われていることを解きほぐしていく楽しみが常にあるのがアマヤドリの作品ではないか、と思う。

非常にまどろっこしく書いたが簡単に言えば、「舞台を見終わってから、あれってこうだったのかな、と考えながら帰るという楽しみを与えてくれる」ということとも言える。見終わって「ああ、面白かった」だけで終わらない楽しみがそこには広がっている。

こういう見方は私個人の見方なのかもしれないが。

さて、この作品についてそれはどうだったのだろうか。
「もやっとした部分」を整理するために、いったん引いた世界、つまり学校のある世界を設定したのではないかと思った。
なぞの転校生との関係が散華の結末(物語の結末)を表している。そんな関係だ。

「命」を巡るストーリーであり、散華のエピソードは「命」を「数」や「道具」としてしか見ていない。そこに散華という団体の問題点や限界がある。
「死ぬ人、1名」とカウントしているからこその樹海でのスカウトだ。

しかし、ラストに至り「命」は「生命」であり、連綿と現在まで続いていているもので、さらにさらに続いていくものだという展開が見えてくる。
その価値観の転換の上手さに「あっ」と思った。そして少し恐くなった。

そして、散華のリーダーだった男の妹がどうしたのかが見えてくる。
つまり、「いたはずの転校生」がラストでは「いなくなってしまう」、つまり妹は自己矛盾をしながらも散華に対して自らの命を引き替えに止めようとしたのではないか、ということだ。だから「生命」の連続が断ち切られてしまったのではないか。

朝起きると世界が変わっていると言う女子学生の台詞とも繋がっていく。
「自分がいなくなる」ということではなく、過去との繋がりの中で「世界が変わっていく」ことの恐怖。価値観の変化は実は恐ろしい。世界を破滅に導いていたのが
戦争だけではなかったという恐怖も冒頭とラストからうかがえる。

彼女の台詞が2度あることで「繋がり」を意識させられる。

過去と現在というリンクの中で、「現在はどうなっているのか」が見えない。「怒りを放棄した世界はどうなっているのか」がわかるとさらに世界が広がったのではないか。

自殺をしようとしている女性の位置づけも上手い。これで散華の正体が少し見え、それだけでなく彼女のその後の台詞により、もうひとつ散華の世界の外側と内側(内面)を描いたのではないか。

散華という団体の行動だけでなく、さらにその世界から視点を引いていくことで、さらなる世界を見せ、「命を引き替えに戦争(人を殺すこと)を止めさせる」ということだけでないテーマへも、深さを増して見せてくれたのではないかと思うのだ。

このあたりのダイナミックさと視点の移動がアマヤドリならではであり、見応えがある。

ただし、先に書いたように疎かになってしまったところがあると感じた。
1つは散華の実質的なリーダー・羽田。彼はもと証券マンだったらしい。それもたぶんやり手だったのだろう。彼が本音では何を目指してるのかが、どうもつかめない。ネットで散華のアイデアを知り、彼の豪腕で団体を立ち上げ大きくしていった。そして内部からそれを破壊しようとする。カネが動いてそこが彼の目的かと思えばそんなところは出てこない。彼に賛同しているクラッチバッグを手にしているスーツの男は十分に怪しいのに。そこが見えて来ないので、散華自体の意味合いがきちっと頭の中にはまってこない。

さらに、下手にときどき座っている袴姿の女性がよくわからない。彼女は過去の人らしいのだが、明治〜大正時代っぽい。当日パンフ的な相関図を見ると名字が同じで繋がりがわかるのだが、いまひとつ判然としない。教室での議長的発言があることや、九条に重ねた「怒りの放棄」で過去と現在(教室のこと)との関係はわかるのだが、どうもそのあたりがすっきりとしない。テンとソラといういい名前があるのに、それが人物相関図の中だけなのがもったいない。というか何故そこの中だけなのか。
時間をかけて広がる世界を描いているのだが、この2点はストーリーの土台に位置すると思うだけに、つかみ切れなかったのは残念だ。

あと、ジャーナリストの設定はなくてもよかったような気がする。取材により語る姿などは演劇なのだから「自分語り」がいきなり出てきても違和感は感じなかっただろう。

オープニングとラストの飛行機のシークエンスは9.11を思い起こさせる。炎に包まれるビルと焼身自殺を遂げる散華のメンバーの姿が重なる。
そして、子どもたちも死ぬ。
「戦争」ではなく「テロ」によって奪われる多くの命があり、これからはそれと見合うだけの散華に属する人の命を差し出さなければならないということなのだ。

大きな戦争でなくても、世界中で起こっているテロで多くの人が亡くなっているということも、ここのテーマに含まれているのだろう。
散華の命がいくつあっても足りない世界に我々は生きているということなのだ。

広田さんからの挨拶文によるとこの作品は、チベット僧の抗議が発端だと言う。私は見ていて、ベトナム戦争時に僧侶がアメリカ大使館前で焼身の抗議を行った写真を思い出した。「自分の命と引き替えに」という行動は気高くあるが、そこにある「死」すなわち「生」は、正しいのだろうかというモヤモヤも同時にわいてくる。それには答えはなく、そのモヤモヤが作品化されたのだと思う。
「死をもって…」ではなく「命を捧げて…」という「死」と「生」の発想の逆転があるのではないか。

散華という団体の行動は先に書いたとおりに問題点がある。「死」を「道具化」してしまったことだ。
僧侶たちの抗議の焼身はどうなのか、という重い問いかけがそこにはあるのではないか。
散華のメンバーたちがカウントしているような「他人の死」としてではなく「自分が死ぬこと」として考えることで、何かが感じることもあるのかもしれない。

アマヤドリという劇団は、役者の見せ場をストーリーの1つの山にしているようにいつも感じる。
そうした「山」は役者の姿と「台詞」によって形作っている。
ついも「ここぞ」というシーンでは役者の力を見せつけられ、惹き付けられる。

今回のこの作品で言えば、「そうしたシーンは、たぶんここではないか」と思われる個所がいくつかあったのだが、不発に終わってしまった感じがある。
シーンがぐっと立ち上がってこないのだ。
散華の実質的リーダーである羽田や散華の発案者である赤羽あたりには情念のような自分の想いを吐露するような台詞があっても良かったのではないか(台詞が立ち上がってくるようなシーンが)。それらが「山」となっていないと感じた。

そんな中で、唯一立ち上がってきたシーンがある。
兄と夫が散華に入ってしまった女性・朝桐が夫を止めようとするシーンである。
彼女がすべての登場人物の中で観客に近いところにいる。真っ当でそれが変な方向を向いてしまっている兄や夫に伝わらないもどかしさと哀しさが観客には理解しやすいということもあるのだが、舞台の上に彼女が1人立っているように思えるほど、役者と台詞がやってきた。

そうした「立ち上がる台詞(シーン、役者)」の少なさが、先に書いた「キレのなさ」に関係しているのかもしれない。
もちろん、そんなシーンばかり続いてもメリハリに欠けてしまうのだが。
そういう意味において、アマヤドリをよくわかっている笠井さんや渡邊さんの使い方は少々もったいないように思えた。

役者は前に書いたように朝桐を演じた小角まやさんがいい。いつも普通の真っ当な人がそこにいる。切実さが伝わる。
ザンヨウコさんの佇まいもいい。この味はほかの人では出なかったのではないか。

ダンスで舞台の上のリズムを生み出そうとしているようだったが、一部、せっかくの会話のやり取りをしているときに、ダンサーが前に出て台詞のやり取りから気が削がれてしまうところがあったと感じた。動いているから視線がそちらに奪われていまうのだ。視線が奪われればせっかく積み重ねていた台詞が脇に行ってしまうのではないか。

それと今回はユーモア(笑い)のパンチが弱かった。先生のところでそれが垣間見えたのだが、弱い。

アマヤドリ(旧ひょっとこ)フォーメーションと勝手に私が名づけた群舞は迫力がある。汗だくの真剣さが伝わってくる。蠢き混ざり合い、混沌と秩序を生み出していく「生命」を感じるフォーメーションだ。

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