正安寺悠造×PATCH-WORKS『はじめての夜』
PATCH-WORKS
ひつじ座(東京都)
2016/10/05 (水) ~ 2016/10/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
生演奏の魅力
生演奏はステキでした。効果音もいいし、芝居もおもしろいです。個性のある登場人物に釘付けにさせられました。
ネタバレBOX
千佳子と新一のはじめての夜がメインテーマのはずが、父、姉ら、個性豊かないい味が出ているキャラクターによって、ストーリーの内容もおもしろいのですが、ほんとうにおもしろすぎました。楽しい時間を過ごすことができて感謝します。
10月歌舞伎公演「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」
国立劇場
国立劇場 大劇場(東京都)
2016/10/03 (月) ~ 2016/10/27 (木)公演終了
満足度★★★★★
第一部鑑賞
5時間15分、休憩2回。開演15分前に人形口上がある。配役の口上なので見逃しても影響はないが、せっかくの完全通しで第一部のみなので見るにこしたことはない。第四段に「通さん場」があり、50分間出入りできなくなるので注意が必要。完全通し狂言は一生のいつでもめったに観ることができないので、それだででもうれしくなる。印象としては嵐の前の静けさのようなものを感じた。今月の第一部だけでもかなり長いが、第二部・第三部と長丁場で楽しみ。公演プログラムの内容は全体ではなく第一部のみ。
来てけつかるべき新世界
ヨーロッパ企画
JMSアステールプラザ 中ホール(広島県)
2016/09/29 (木) ~ 2016/09/29 (木)公演終了
満足度★★★★★
組み合わせの妙
「新世界」でのベタな大阪と近未来との組み合わせの妙ですかね。。そこで生きる市井の人々を上手く描いてました。
めちゃくちゃ笑いましたが奥はかなり深い話やなと感じました。。
今までの企画性コメディとは一線を画す新境地かなと思います。
みんな良かったし、特にG2プロデュース以来の福田転球さんは、やっぱおもろいです。。
あと、永野さんがあんなに大阪が似合うとは思いませんでした。。
まあ、ヨーロッパ企画むかしから好きだからちょっと甘くなりますね。
ネタバレBOX
悲観的な未来の芝居が多いなか、この舞台はラストで明るい未来を感じさせてくれました。
ハロウザディップ
演劇組織KIMYO
名古屋市東文化小劇場(愛知県)
2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
ハロウザディップ
舞台装置、照明、音響、演技、すべての面で圧倒されました!!
劇を見てこんなに衝撃を受けたのははじめてです
すっかりKIMYOさんのファンになってしまいました
次回の公演からも必ず観劇させていただきたいです!
ネタバレBOX
最後のりんこりんがまとりちゃん以外の全員を撃ち殺すところが1番の衝撃でした
そのあとの一瞬照明がつきみんなが笑っているところでは鳥肌がすごかったです
ハロウザディップ
演劇組織KIMYO
名古屋市東文化小劇場(愛知県)
2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
大千秋楽
ド派手なステージにド派手な衣装、大音量の音楽に歌にダンス、個性的で濃いキャラクターたち・・・
全てにおいて刺激的で興奮しました!!
アフターイベントも最高に面白かったデス!!
ハロウザディップ
演劇組織KIMYO
名古屋市東文化小劇場(愛知県)
2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
初KIMYO
やっぱり生で見ると動画で見るよりすごくパワフルで熱が伝わりました!初めて生でKIMYOさんのお芝居を観れて本当によかったです!
演劇
DULL-COLORED POP
インディペンデントシアターOji(東京都)
2016/05/12 (木) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
観劇させていただきました
随分と時間が空いてしまいましたが、忘れないために、書かせていただこうと思います。
観劇できて、良かったです。結局、他にも1日、観劇させていただきました。
この出会いをきっかけに、少しずつですが、観劇が私の日常に少しずつ溶け込んでいくようになり、視線を大きく広げてくれたように思います。
細かい感想は上げたらキリがないので割愛しますが、「演劇」の中の人たちは、今尚、私の中で鮮烈で、ふとした時に顔を出し、気づきや勇気や笑いをもたらしくれます。
迷ったり落ち込んだりした時に、思い出すと、「自分とは?」を考えさせて自分という存在の原点を思い出させてくれる、大切な宝物になりました。
この場をお借りして、ありがとうございました!!
カランのコロン
ふくふくや
駅前劇場(東京都)
2016/09/28 (水) ~ 2016/10/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
マジさ
素晴らしい。
ネタバレBOX
まだやくざが芸人を仕切っていた頃の昭和の浅草を舞台に、みなし子から芸人、ダンサー、暴力団の若頭になった三人を中心として浅草界隈の人々の生き様を切なく生々しく描いた話。
いつものように山野海さんのマジが素晴らしく、全員が引っ張られる形で舞台が作られていました。素晴らしかったです。
させこ、床上手事情については面白く学ばせていただきました。社長の座を姪に譲り芸人に復帰するのかと思わせておいて実は若い男との駆け落ちだったというオチと、大人しいダンサー見習いからいきなり口の汚い社長として仕切り出すなどの大阪の新旧女興行主の変貌振りにも笑いました。
こうしたマジな生き様を昭和でなく現在に置き換えて見せてほしいと思います。
恋とか愛とか(仮)
広島ホームテレビ
ザ・ポケット(東京都)
2016/09/21 (水) ~ 2016/09/25 (日)公演終了
満足度★★★★
なかなか斬新
観客の拍手でストーリの行く末が異なるという、なかなか斬新な演劇でした。
恋愛のあるあるが散りばめられ、楽しいストーリーで
自分で選んだもののアナザーストーリーも気になりました。
直前までどちらのストーリーになるのか分からないので、
演者は大変だろうなぁ。
新版 国性爺合戦
30-DELUX
福岡市民会館(福岡県)
2016/09/30 (金) ~ 2016/09/30 (金)公演終了
満足度★★★★
エンタメ満喫
殺陣シーンは見応えたっぷり。
ネタバレBOX
老一官の「斬っても斬っても恨みが晴れぬ。」という台詞が印象に残る。
和藤内が、恨みを晴らすか葛藤する姿が、原作と違い面白かった。
狂犬百景(2016)
MU
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2016/10/01 (土) ~ 2016/10/10 (月)公演終了
満足度★★★
ネタばれ
ネタばれ
ネタバレBOX
MUの【狂犬百景】を観劇。
街では人間を噛み殺す狂犬が多数出現していて、パニックになっている。
その犬はゾンビに変身するウィルスを持っていて、街中は狂犬とゾンビの天国になってしまいそうだ。
その騒乱の中で描かれる人間模様を短編集として描いている。
パニックとゾンビと映画の要素をたっぷりと感じさせてくるのだが、
それはただの背景に過ぎず、その混乱の中で垣間見える人間の本質を炙りだしていく。
ただそんなパニックの状況での炙り出しは、正義、勇気、プライドなどが定番なのだが、今作では、日常の恨み、つらみ、嫉妬ばかりが表に出てきて、そんな状況で出るわけないだろう?と思いがちだが、そこに妙に現実味を感じてしまい、一番危険なのは狂犬とゾンビとウィルスではなく、人間そのものだと感じてしまうほどだ。
やや平田オリザの【東京ノート】に通じるものがあるようで、演出家の眼差しをちゃんと感じられる良好な芝居であった。
天召し-テンメシ- 【第28回池袋演劇祭参加作品】
ラビット番長
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2016/09/15 (木) ~ 2016/09/19 (月)公演終了
満足度★★★★★
全てが素晴らしい
「新宿の殺し屋」の異名を持つ小池 重明氏と腎臓の難病「ネフローゼ」にかかりながら「羽生が恐れた男」と言わしめ弱冠29歳でこの世を去った村山聖九段をモデルに、もし小池が縁あって村山に将棋を教え、もし二人が戦っていたら、という設定で描かれた作品です。
ネタバレBOX
村山聖九段の話は幾度かTVで放送されたこともあり、将棋を知らない方でもご存じの方は多いのでは、と思います。
本作はアイディアの素晴らしさは言うまでもありませんが、ストーリー展開の素晴らしさ、各役者陣の卓越した演技力により、感動を呼ぶ素晴らしい舞台に仕上がっていると感じました。
また団鬼六先生をモデルとしたストーリーテラーの野崎さん、森 信雄七段の人情味溢れる人柄を見事に演じきった井保さんは特に印象的でした。
最後に、対局の場面が何度か出てきましたが、数十手に及ぶ指し手が驚くほど正確に行われていたのは驚きでした。駒の持ち方、動かし方、間合いを含めてです。
適当に駒を動かしていてもほとんどの観客は気づかないし、咎める人も居ないと思われるのに。演じた役者さんによっては台詞より入ってこないくらい高難易度の舞台になったと思われます。
当劇団のこういったことまで全てに手を抜かない、素晴らしさを痛切に感じました。
際の人
文月堂
阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)
2016/10/04 (火) ~ 2016/10/09 (日)公演終了
満足度★★★★
こういう語り口だからこそ描きうる凡庸さ
気負わずに観ることができて、素敵にラフな物語の展開や踏み出しもあって、ドキッとするような色香も差し入れられて・・・。
でも、そうして描き出されるものが、やがてフォーカスを定め、ステレオタイプにならず、しっかりと、実存感をもって、ある意味凡庸な登場人物の生きる感覚を浮かび上がらせることに惹かれる。
こういう、どこかコミカルで、遊び心をもち、ちょっと緩めななかに、キャラクターが抱くものがぶれずにクオリティをもって、削ぎ出されていくのは、実はとてもしたたかだとおもう。
こういう語り口でなければクリアに描きえないであろう凡庸さの肌触りを、あっと驚くリアリティとともに受け取り、素敵に得心させられてしまいました。
ネタバレBOX
冒頭に編まれる「有言不実行」のありようが物語の基礎になっていて、いくつかのエピソードがそことの重なりや対比となって歩むことで、終盤には描かれるキャラクターの肌触りが死んでも変わらないみたいな感じとともに、とてもビビッドに浮かび上がってきました。
それは、多分正攻法で役者がひとりで描こうとしてもなかなか表現しえない感覚なのだとおもう・。
さまざまな貫きを持った人物たちや主人公と同じ匂いをもつ女性を配したその先だからこそ、初めて観る側が感じうるものであった気がします。
斬新さはなく、ちょっと古風な手作り感満載のお芝居なのですが、その世界から歩みだしてくるものが、やがて息をのむほどにしなやかな実存感として残る。
こういう作り手の表現力は、地味ではあっても、じつはなかなかに巡り合えないものだし、貴重だと感じました。
ちなみに初日の観劇でしたが、回を重ねるにしたがって、この凡庸さの実存感は更に際立っていくような予感もありました。
サクラサクコロ2016
TAIYO MAGIC FILM
赤坂RED/THEATER(東京都)
2016/10/01 (土) ~ 2016/10/10 (月)公演終了
満足度★★★★★
前回に続き
昨日観劇。前回のセンチュリープラント2016も観ましたが今回もまた面白かった。家族ものに弱いんです。。
感情移入しまくって泣いてしまいました。
騙されたと思って観るべし!
月の剥がれる
アマヤドリ
吉祥寺シアター(東京都)
2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了
満足度★★★★★
華と散るな、月よ剥がれるな
凄まじい作品だった。
命が失われることに涙を流す私たちは、一方で決死に美しさを感じ続けている。
尊い犠牲を誰も無下にはできず、ミシマの自決にさえ浪漫をみる。
命の華が花火のように散るその様を忘れられない。
その音に意味があるなら、意志があるなら、それをどうか掴みたい。
そう思わずにはいられないのだろうか?
ネタバレBOX
華と、月に表象された「命」とはなんなのか。
華、命の華。美しく散った後にだけ、それを華と呼びたがる。
月、剥がれなければ命。卵が流れていくときの血液を私たちは、月経(月の経る)といったり生理(生のことわり)だなんて意味深に呼ぶ。
願い事ひとつ叶えられるなら、「昼間の月も黄色くして。」白いのは納得いかない。
と「転校生」の美耶(みや)がいう。
「黄」体ホルモンがなければ子宮(子の「みや」)に卵は着床しない。流れ行く卵は命にならない。
クラスメイトのソラは、象徴的なフレーズを繰り返す。「おはようって言葉がkill youって意味に変わったらどうする?」
子宮という「まっくら」な場所から光あふれる朝をみて、「おはよう」の言葉をきいたときには、流れた卵は命(の可能性)を剥奪されている。
美耶は、報復の正当性を疑わない。カラスにつつかれたら、石を投げかえす。カラスに目をつつかれた見知らぬおばあさんの分まで石をなげつける。
やられたらやりかえす、では憎しみの連鎖が増すばかり、と信じている私たちの前で、生まれる前に命を剥ぎ取られた者は、別の誰かの命を剥ぎ取ることはできない。報復の正当性を無邪気に話す彼女は、誰にも報復できない者の化身として立ち現れ、そして夢のようにいなくなってしまう。トイレにいきたいといってお腹をおさえる美耶、保健室につき添おうとする恋人の南部を、「男子がいってどうする」と制止して、付き添うソラ。観客が既視感をもつだろう生理痛の暗示のシーンのあと、もう美耶のことを覚えているものはソラ以外にいない。寝起きのソラが「美耶はどこ?」と問うと、南部は「美耶?夢の中の友達か?」と答える。
劇は、もう、美耶の生まれなかった世界にスライドしている。
美耶という不可思議な存在を含みながら行われる学校授業で「ミシマ先生」から語られるのは、「散華(サンゲ)」の歴史だ。
人は人を殺してはいけない、戦争はいけない、70年間、平和に祈りをただ捧げてきた私たちは、戦争がなくならない世界の中に浮かぶ平和の国に生きている。どうやったら戦争がなくなるのか。赤羽という青年の思いつきは、羽田の寂しさと目蓮の金と太地の純朴さとを糧として、世界的な影響を与える平和運動へと発展する。
「人が人を殺したら、私も私を殺す」という脅迫。
母国が他国の者を殺したら、私は私を殺す。
母国よ私を生かしたいのであれば、誰も殺すな。
赤羽は妹と愛しあっている。その設定は、散華の思想に、繁殖の発想が欠如していることを教えている。
太地という兄を、散華で失い、
太地の意志を無碍にはできないもう一人の兄とは決裂し、
そして夫までもが散華に与しようとする、という運命のただなかで「朝桐」菜津は、
美耶を生まないことという決断をもって、
散華に抗議する。
ここにある小さな幸せを守ることをしないで、
美しく命を散らして平和を問うなんて、間違っている。
サンゲが終焉を迎えた「大抗議」という歴史的大事件は、
私たちに怒りの感情を放棄することを選択させる契機となった。
怒りを放棄した私たちは、報復をおこさない。
月の剥がれるまえに、散った命よ、どうか還ってきてくれないか。
『月の剥がれる』というひとつの舞台作品が、
生者である私たちに、命を懸けることを問うている。
狂犬百景(2016)
MU
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2016/10/01 (土) ~ 2016/10/10 (月)公演終了
満足度★★★★★
MUはJoy Divisionなのか、New Orderなのか
初演は予約していたのだが、風邪をひき、咳が酷いので断念した。
その後、「いつものMU」の感じをあてはめながら戯曲を読み、ニヤリとしながら観に行けなかったことを悔やんだ。
そして、まさかこの作品が再演!
作・演のハセガワアユムさんによると「リブート」的で、ある意味、ここまでのMUの「集大成」であるという。
期待は高まるしかない。
(以下ネタバレボックスですが、思いつくままに書いてしまったので、とんでもない長文になってしまいました)
ネタバレBOX
連作4話構成。
短編と中編作品に定評があるMUだけあって、それぞれのまとまりがとても良い。
そもそも短編作品というと、つい「オチ」に集約させてしまうものが多い中で、MUは良く出来た短編小説的な世界を広げ、きちんと人を描いていく。
その中には、独特のネジれ方とアイロニー風味が必ずある。
今回の作品でも4話ともにそれが上手く発動していて、見事である。
それぞれの幕切れの個所とタイミングが、スッパリしていて気持ちがいい。
「いかにも」というところ(役者がドヤ顔的な顔をして「いかにも」な台詞ではなく・笑)で幕切れにしないところが、上手く余韻を残す。
舞台の外では狂犬が徐々に増えていき、大変なことになりつつあるという様子と舞台の上の出来事の悪化がリンクしているのも上手いなと思う。外の出来事を観客に想像させるやり方も上手い。
登場人物たちに「余裕」がなく、何かについも急き立てられていて、自分の正面しか見ていない(見ることができない)。客観的に見ているのは観客だけ。観客には登場人物の行動が滑稽であったり残虐であったり、理解不能であったりする。
それは彼らが「狂っている」わけではなく、狂犬病のように伝染していくわけでもない。観客を含めて「普通の姿」なのだ。普通の姿が「狂っている」ように見えてしまうほど、余裕のない世界に生きているのかもしれない。
今回の作品で特筆すべきは「座組の良さ」ではないだろうか。
役者たちのバランスがとてもいい。それは『狂犬百景(2016)』と言う作品においてのバランスである。
主人公を最上段に据えたヒエラルキーがあって、主人公に対するカウンター的なキャラがいて、なんて風にはなっていない。
短編連作でそれぞれにクローズアップしたい主人公やキャラがあるだろうが、そこをあまり強く押さないし、役者も出たいところをうまく抑えているように見える。
しかも、作品全体は、全体的に上手く抑制が効いていて、非常にクールな顔をしている。
台詞がリズムに乗ってポンポンいくような感じではなく、どこかオフビートである。
その台詞のビートがMUらしくて面白い。
一部の役者を前に出し過ぎないこと、台詞をテンポだけで見せないことは、作品に強弱をつけにくくなるのではないだろうか。それはメリハリがなくなってきて冗長になってしまう危険性があるのではないか。
ところがこの作品では冗長になることもないし、途中で気持ちが削がれることもない。4話がそれぞれ暗転で繋がっているにもかかわらずにだ。
そのあたりの演出が上手く機能しているのと、役者がそれぞれの作品の中で立っている場所を理解しているからだろうと思う。
MUは劇場以外の場所で観客と至近距離で上演することが多い。
今回、星のホールは結構大きいし、普通に劇場である。
至近距離での上演は、役者の熱量が伝わりやすい。だから熱さのある演出だったが、今回はサイズが違い、観客は「客席」から観るという構図ということもあり、この抑制の効いた演出だったのではないか、とも思った。
第3話の「漫画の世界」での、犬殺しの元ボクサー橘あたりは、大塚尚吾さんという肉体を持った俳優さんが演じることで、凶暴なキチガイにもできたものをそうしなかった。そうしないことで、観客は彼の内面に触れたような気分なるのだ。実はそろそろ辞めたくなっていて、「狂っているか?」と自分のことを聞く彼に、漫画家の田崎が「そう聞くやつは狂っていない」という台詞がとてもすんなりと入ってきて、さらに彼を形作る。
普通のおっさんのような編集者の西田が、橘が集めている犬の爪が入っている瓶を空けたときに「いい匂い」という台詞は、すでに第1話を観ている観客にとって、それは「臭い」ものであるということを知っているだけに、彼の普通ではなさが一瞬で現れたシーンであって、そこを強調しないところが、また上手いのだ。
漫画家とその仲間たちが家に侵入した犬を片付けて部屋に戻ってきたシーンでも、彼らがはしゃぎすぎることなく、身体の内側で喜びを感じているという表現があることで、彼らの内側にこもっている熱と残虐性を感じさせる。まるで犬殺しが、彼らのダウナー系の薬のように。
ここがあるから最後の第4話で明らかになる彼らの姿が効くのだ。
第2話の「グッドバイブレーション」では、専務がキーパーソンになるのだが、彼を特殊なキャラにしなかったことで、第2話の収まりがうまくついたのではないだろうか。落ち着いた印象で優しいおじさんが渦の中心にいることで。
第4話では第3話で登場した彼らが爪を剥がされた悲惨な姿で現れる。
(集めているのが「爪」ではなく、犬なんだから「犬歯」とかだったらどうかな、とも思ったのだが。痛そうだし、「歯には歯を」にも合うし。合いすぎるか・笑)
犬殺しの彼らに罰を与えているのだが、先の第3話で彼らの行為が酷く狂ったものであることは十分にわかるのだが、「相手は狂犬だし」という感情もわく、それは第3話での彼らの描き方もある。さらに彼らに罰を与えている深谷は、明らかにやり過ぎで引いてしまう。
この、どちらにもまったく共感を生まない対立のさせ方は、暴力に暴力であたる無意味さを如実に表している。
深谷を演じた古屋敷さんは、カメラマンの立場から漫画家たちのカバンを暴くところ、動物愛護センターで働いているところで、顔に陰を落として目に変な光を輝かせるあたりは、なかなかだと思う。MUでは、いつもこんな自分の思い込みに囚われる役が多いような気がするが、そういうのめり込み方のネジれ方がいいのだ。
ライターの元カノの目のアザも気になる。
ライターがいい感じで自分の言葉・考えにのめり込んでいくことで、深谷の変な感じが上手く消されていて、という視点の切り替えの上手さも感じた。ライター役の青山祥子さん、ぐいぐい来ていて、この人の目の輝きもとってもいい。飲み込まれて圧倒される。MUにまた出てほしい。こんなネジれた役だとは思うけど(笑)。
第4話ではそれをさらに上にいく、動物愛護団体に所属している久保がいる。久保を演じているのは黒岩三佳さんで、彼女ののめり込み方も凄まじい。
第1話で元カノとして現れてきて普通に元カレに寄付を頼んでいて、特に変なところはないのだが、なんか「恐い」。今回のフライヤーに彼女がドーンと写っているのだが、「恐い」のだ。
(1話で元カレに突っ込みの手が入るのだが、このタイミングの良さはさすが、あひるなんちゃらで鍛え抜かれた黒岩さんである、と感心した)
第4話で彼女はさらに恐くなっていて、モダン・ホラーそのものだ。
自分の信じていることを疑わない深谷と久保の2人の会話は、相手に向かって話しているようで、言葉は自分自身に向かっている。
この2人の会話がいい。
第1話と4話で登場する佐々木なふみさんの振り幅も見事。やっぱり安定していて上手い。ほかの女優さんとはまったく違う空気があるから、大人数が登場するときのMUには欠かせない人なのだろう。どうやら1話と4話では別人のようだが、一緒でも良かったのではないだろうか。子どもが出来てから別人になって、なんていう設定でも。
第3話で登場する漫画のアシ役の沈ゆうこさんは、実家のアガリスクでは優等生的なイメージがあるので、オタク的な感じからの、あのさらりと言ってのける発言がいい感じにネジが外れているんじゃないかと思わせる。短い登場時間と台詞なのに物語にきっちりと爪痕を残していた。
あと、第2話の女子社員同士の無言のキャットファイト、笑った。こういう細かいところが面白い。
第4話後のカーテンコールで登場人物たちがすべて舞台の上に出るのだが、彼らが拍手の中立ち去る後ろ姿を見て「あれっ、こんなに出てたんだ」と思った。
つまり、客演がほとんどという作品で、いいバランス座組を作り出していたことに驚かさせるのだ。こんなに多くいて、きれいに整理されていたということを。まるでイコライザを使って音のレンジを調整するように、演出家が舞台の上ある感情や盛り上がりの上下をうまくコントロールしていたようだ。
ついでに書くと、当パンには登場人物たちの年齢まで書いてある。これ見ながら舞台を思い出すとまたちょっと面白くなったりする。
台詞の細かいところにとても注意を払って戯曲が作られているのがよくわかる。
文字面ではわからないタイミングの妙が舞台の上にある。
シリアスなのだが、笑いは結構ある。
クスクス笑いが多いのもMUらしい。
第3話の「オザケン」とか、第2話で腕に怪我をした岸の写真を撮るときの「笑顔はいらない」とか、第2話の「俺を踏み台にして行け」「(ペットボトルを出されて)そっちじゃないほう」とか(笑)。
パンクの終焉に、彼らが外に向かって吐き出していた暴力的なものが内向し、彼らが内向していた内省的な感情が外に出てきたバンドが、ヨーロッパを中心にいくつか出てきた。
その中の1つが「Joy Division」だ。
「いかにも」なバンド名とサウンドはリスナーも内省的な気分にさせる。「いかにも」のバンド名やカッコ良すぎのジャケットデザインは、「つかみはOK」で、その意味「ポップ」でもある。
中心メンバーのイアン・カーティスが自殺したあと、残ったメンバーで組んだのが、「New Order」だ。
New Orderの最初のアルバムを聴いたときに「あれっ?」となった。
シンセのリズムが強いのだ。
明らかにポップ。
「Joy Divisionと違いすぎるじゃないか!」と思ったら、メロディの切なさが効いた曲調であり、Joy Divisionに戻ってみるとボーカルの強い印象の陰には、やはり切ないメロディが鳴っていたことを発見する。
そして、New Orderのダンサブルな曲の裏側には「陰」がある。
MUは「狂犬」とか「ゾンビを狂犬に変えて」とかというあたりは、Joy Divisionのバンド名やジャケットワーク的な、(Joy Division的)ポップさを感じる。
そして作品自体については、今回は特に「主人公(たち)」の前面に押し出さなかったあたり(個人より作品を前に出した)が、イアン・カーティスなきNew Orderであり、New Orderの入口のダンサブルに似た口当たりの良さと、良く聴くと「陰」があるというところがNew Orderっぽい。
ポップで口当たりはいいのだけど、グロさ(人間そのものの行為のグロさも含めて)を前面に出さずに、観客に「その人それぞれの中にあるグロさレベル」で感じさせる上手さがある。聴く者に感じさせ方を違わせる。
つまり、公演の楽しさを味わう(ダンスビートに踊る)もよし、裏のグロさに思いを馳せるのもよし、というところではないか。
Joy DivisionとかNew Orderとか出して、結局何が言いたかったのか、わかんないか(笑)。まあいいや。
で、この作品が「(ここまでの)MUの集大成」であるのは間違いない。
今までの公演で培ってきた作品へのアプローチ方法がうまく活かされているだけではなく、単にそれらを大きな場所で上演しただけではない。それらを1つの完成型として高めた作品であったと思う。
こうなると「MITAKA “Next” Selection」後のMUにも期待せざるを得ない。
あ、そうそう、セットや装置のセンスも抜群だった。
際の人
文月堂
阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)
2016/10/04 (火) ~ 2016/10/09 (日)公演終了
満足度★★★★
不言実行 有限不実行 花4つ星
有言不実行を絵に描いたような主人公、俊博は現在31歳(物語開始時は、明日31歳の誕生日を迎える設定)、
ネタバレBOX
チェーンの中華料理店副店長で、誕生日前日、回りが羨む可愛い彼女との4年に及ぶ同棲生活に幕を下ろした、月130時間以上の残業をこなす社員である。因みに店の従業員の中で社員は店長と俊博だけ。仕事が終わった後、休憩時間中は寝て体を休めなければどうにもならない状況である。最近では時々耳が聞こえないといった症状も出ている。自分の出世だけを追い求めるマネージャーはシンドイことは一切せず、偉そうに命ずるだけ、現場に立つなどということは殆ど皆無である。無論、有給休暇など貰えるハズもない。然し、俊博は、他の業界の経験もなく転職するにも自らのつてもなければノウハウもない。忙しすぎて新たなことにチャレンジする道も探せずにきた。
一方、彼女は幸せを求めた。そして変われない俊博に愛想を尽かし出て行った。だが、それはまだしもましだった。誕生日当日彼はトンデモナイ事件に巻き込まれることになった。
初日なので、ネタバレは此処まで。苦労人の書いたシナリオで、キラキラした部分が削がれている点が素晴らしい。観客の反発を買わないからである。観客も皆例外なく際の人々であるから、キラキラしている人々には嫉妬を禁じ得ない。その反発を抑え込んでいるのだ。だが、侃々諤々の議論、毀誉褒貶を引き受ける覚悟がなければ更に高い評価を望むことは難しかろう。そして、このような評価を得る為には、キラキラしたシーン(本物の才能の輝きだとか、天才の閃きなど)も取り込んだ方が良いようには思う。ただ、以上の意見は更にメジャーを目指す場合のリスクも伴う意見であって今作を否定的に見ている訳ではない。地味だが、心に残る作品であることは間違いないからである。
風ガ姿、華ト伝
法政大学Ⅰ部演劇研究会
法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎地下一階多目的室1番(東京都)
2016/10/01 (土) ~ 2016/10/04 (火)公演終了
満足度★★★★★
オリジナリティたっぷり、眼福
能のシテ方市松家の崩壊。愛と不倫、家の権力争い、ジャーナリズムのフレームアップ、芸能プロダクションの事情など、能のあれこれや最近の梨園のゴタゴタも思い起こされて、楽しい芝居でした。ちょっと「ヌーヴォー・ロマン」風のテイストがあり、しかも役役が際立って演じられていて、素晴らしく思いました。それだけに、摑みどころは難しい。一人一人で「これかなと、腑にドロップする」のでよいのでしょう。
僕の居場所
劇団あおきりみかん
インディペンデントシアターOji(東京都)
2016/10/01 (土) ~ 2016/10/03 (月)公演終了
満足度★★★★★
「捨て子」
の哀しさは、体験した者にしか分かるまい。
ネタバレBOX
今作に登場するななしは、無論、この捨て子である。バーチャル世界に顕れるさくらが彼の否定的言辞の真のきっかけではない。母に捨てられたことが、彼が総てを否定する根拠なのだ。だって母は、子の故郷。母の胎内で個々の受精卵は系統発生を体験した。即ち母とは地球上に生命が誕生して以来の歴史を子に伝える存在なのである。子にとっては地球そのもののように懐かしい命の揺り籠だ。その母に見捨てられるということが、如何に子供を傷つけるか!? 大人たちは真剣に考えたことがあるのだろうか? そんなことまで問いたくなるような問い掛けが、今作にはある。
無論、作家の鹿目 由紀さんの優れた感性と女性らしいが、非常に上手な論理構成が、今作を此処までの作品にしていることは疑いようもないが、改めて彼女の出会っている難題の深刻さ、それに出会わざるを得ぬ才能故の淋しさにも深い共感を覚える。
同時にななしにとっての聖杯が、元カノのくれたマグカップであること、彼女も彼と別れたことがトラウマとなって過食嘔吐を繰り返している。そんな優しい彼女が、ななしの居るべき場所だというのは、とても素敵!
夏の終わりサーキュレーション
劇団テアトルジュンヌ
立教大学 池袋キャンパス・ウィリアムズホール(東京都)
2016/10/01 (土) ~ 2016/10/04 (火)公演終了
満足度★★★
ビジュアル面で成功
やはり印象に残ったのはヒナコのビジュアル。物語の核を成す人物だけに、横溝正史ばりのメイクは効果的。
惜しいのは、ミステリーっぽい展開になりながらも謎があっさりしていたこと。謎が深まっていく過程や、それに対する各登場人物のリアクションにリアリティが欲しかった。
ネタバレBOX
身体の使い方とか意識の向け方とか、演技面での課題が多かったと思います。