
いいから早く助けてく
匿名劇壇
in→dependent theatre 2nd(大阪府)
2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
誰しもが陥るであろう一種のジレンマ的な要素が含まれる作品で、色々考えさせられる素晴らしい作品でした。
あまり演劇を観ることがない人にも観やすいだけでなく、心に響き記憶に残る。まるでドラマや映画のような作品です。
もどかしい!何でそうなるんだよぉ!ってつい言いたくなるような没入感があります。舞台なのに乗り込んでやろうかと思っちゃいましたw
でもそう感じさせるのは内容は然り、凝りに凝った舞台道具、絶妙な音響や照明、役者さん全員の演技力があったからだと思います。

『BORDER〜罪の道〜』
五反田タイガー
六行会ホール(東京都)
2025/03/05 (水) ~ 2025/03/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/03/09 (日) 12:00
刑務所内が舞台となる劇や映画、ドラマはよくあるが、大抵は囚人たちそれぞれの個性を描きながら、仲間を集めてチームを組んで、時にぶつかり、時に支えあいながら刑務所からの脱獄をするドタドタコメディ、シリアスな頭脳戦を駆使した脱獄劇こういったエンタメさくひんが一般的には多い。(男女どちらの刑務所を舞台としても同じく)
若しくは、冤罪や日本の死刑制度の在り方における人権侵害の問題に真摯に取り組んだ映画におけるミニシアター系やTVでいうと独立系のTV局、小劇場演劇などで行われる社会派作品といった形で囚人たちが、または囚人が描かれることは多い。
今回の劇では、、途中女囚たちと刑務官たち、刑務所長とのドタドタコメディや芸人の姉妹や女囚同士の笑い、ユニークで絶妙にズレているシスターやとある女囚と刑務官がレズの関係にあり、人前で公然とキスしようとする大胆な展開なども見られた。
しかし、意外と今まで描かれていそうで、特に演劇ではあんまり描かれてこなかった殺人事件で殺された被害者の生き残った母娘の側から、囚人や死刑囚がどういったふうに見られているか、最初娘は特に死刑囚に対して憎しみ、殺意さえあったが、その感情を乗り越えて、成長していく様が描かれていてなかなか新鮮だった。
そして、劇中に一線を越える、超えないといったこと、犯罪を犯す側と犯さない側の違い、犯罪を犯した場合、法のもとで裁かれるが、犯した人は社会に復帰するためには、再犯しないためにはどう自分を見つめ直し、反省し、2度と同じ過ちをしないように気を付ければ良いのかといったことを深く考えさせられながらも、笑えて歌って踊るエンタメ作品という要素、いくつかの要素をバランスを考えながら劇に昇華していて面白かった。
但し、個人的には、死刑囚だからといって、仮にその死刑囚が連続殺人犯だとしても(まぁ、被害者家族からしたら、自分の手で殺してしまいたいぐらいだが、それでは法に触れるので、法の名のもとにでも、犯人を裁いて極刑である死刑にしたい気持ちも判らないでもない)、日本の現状制度としてある死刑が、法の名のもとに行われるのはおかしいと感じる。
先進国では死刑が撤廃されている国も多いし、されていない国でも事実上の廃止になっている国も少なくない。
そういったことを考えた上で、死刑制度とは国の法の名のもとに平気で公然と人が人を殺せるシステムだと考える。
それにまた、日本で絞首刑を行う際、ボタン一つ押すだけで済ませられるということを考えても非人道性は否めない。
また、死刑囚になる程の罪を犯した人間が死刑になることで、死を持って償うというのもどうかと思う。
凶悪犯にだって、大抵の場合家族や親族がいる。奥さんや夫、小さい子どもがいる場合もある。法に則っていたとしても、囚人が死刑にされた場合、日本は軽犯罪でさえ、1度犯すと、就職や恋愛、結婚もままならず、軽犯罪者に家族や親族、子どもなどがいる場合、学校や職場に居づらくなり、自殺にまで追い込まれる人もいるのだから、これが死刑囚の家族や親族、子どもの場合、自殺どころか、一家心中、無理心中に発展するリスクも高くなるし、職場のパワハラ、同僚による陰口、学校での壮絶な虐めなどによって引き籠もりになるリスクも高まるだろう。子どもに八つ当たりして、虐待が頻発とかも十分考えられる。
勿論、上記のことは、犯罪被害者家族やその子どもにも言えることだが。
いずれにしろ、家族や親族、子どもたちの将来も壊すことになる。懲罰感情を近代的な法制化とが複雑に絡み合った死刑制度が、日本の死刑制度だと感じる。
以上のことから、私は死刑制度には反対だ。その死刑制度があることで、凶悪犯罪が増えていないといった確証もない。むしろ、地方都市や田舎で起きる凶悪犯罪は跡を立たない。
死刑制度の代わりに、凶悪犯には、終身刑にして、相当頑丈に出来ていて、脱獄不可能で、ほとんど光も入ってこない厳重警備な独房にいれて、本と写真、スクラップブックを持ち込むのだけはOKにして、勉強がしたいと言えば、他の囚人たちと交流させながら、刑務官がさり気なく見張って勉強をさせ、時々凶悪犯の場合は、被害者家族とも合わせつつ、長い時間をかけて自分の犯した罪に対して、徐々に反省させていく仕組みのほうが、今の死刑制度よりか、よほど健全で、人道的だと考える。
人はすぐには反省しないかもしれないが、たとえ凶悪犯であっても、時間をかけて、カウンセリングや他の囚人たちとの運動なども含め、長い時間と人との交流をして、本を読み、しっかりと勉強すれば少しずつ罪の意識を持つようになるかもしれない。そのチャンスさえ簡単に奪ってしまうのが、死刑制度だと強く感じた。

いいから早く助けてく
匿名劇壇
in→dependent theatre 2nd(大阪府)
2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初めて観劇させて頂きましたが、とても細かく作り込まれた作品だと思いました。
役者さん一人一人の役の落とし込み、そしてそれを表現するための身体・表情、全てお見事でした。
演技力が本当に凄く、作品の世界観から外れることなく最後まで観ることが出来ました。
好みは分かれるかと思いますが、「好き」か「嫌い」という感覚で観るのは勿体ないと感じました。
色んな視点から楽しめる作品だなと思いました。
最後まで楽しませて頂きました、ありがとうございました。

いいから早く助けてく
匿名劇壇
in→dependent theatre 2nd(大阪府)
2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
グダグダコメディ会話劇
舞台美術 役者の演技力 テンポなんかは、流石だなーと思いました
ただ、内容が僕の波長には…
グダグダ感が強過ぎて、本当に言いたかったことがかき消されてしまっていたような… 終わり方も私としては残念感が残った作品でした
期待感を持たずに観れば、それなりに楽しめると思います

ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ
あまい洋々
インディペンデントシアターOji(東京都)
2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/03/13 (木) 19:00
こういうのって難しい。物語の評価と同時代性や切迫感という観点をどう評価するかだ。
自分の周りでも事件かどうかの話が多かった。当然だと思う。あまりにそんな事件が多すぎる。周りの人たちが騒がないのを不審に思うのは当然だと思う。悲しい話だが、一般の人たちにとっては、故人の心情やプライベート(法律的に故人にプライベートはない)なストーリーより、女子高生を殺した殺人犯が権力を使って警察の捜査を止めて野放しになっているかも知れない、という不安のほうがはるかに強いと思うので、騒いで警察に捜査を促すのは必然だと思う。警察も人員不足で証拠がないとなかなか捜査をしてもらえないからだ。
自分の周りでも実際、似たような事件があり、いろいろと考えながら見ていた。ちなみに会社内の身近なひとか1年ほど前に不審死して、警察が上司たちを捜査していたことがある。死因が分からないと不審死になる。現在でも毒殺だと死んだばかりで検死しても死因がはっきりしないことがある。今でも殺されたんじゃないかとの噂が絶えない。8年前ならなおさらだ。こうした事件は全く人ごとではない。
こういう事件性と劇作とを分けて考えるべきなのかは何とも言えないけれど、人間の生命がゴミのように扱われて消費されている時代においては、よくある話のようだが極めて同時代的な物語(最近は邪魔な人間がいると憎悪がなくても簡単に殺す人が多い)とも言え、そういう意味では演劇的だと思う。
学校教育では、社会に蔓延する暴力や無知について教えてくれない。YouTubeも官公庁のホームページも教えてくれない。
実は教えてくれるのは演劇くらいである。演劇経験者が社会の底辺にいることが多いからとも言える。それは悪いことではない。たいていの組織を支配すら人たちは暴力的である。トップの公人級だけが法律と弁護士たちに監視されているが、その直下の人たちはバイキングと変わらない、そんな組織が多い気がする。自由人たちは野蛮なバイキングの支配を逃れて食べていければ、奴隷同然の生活を送る一般的なサラリーマンよりマトモな人が圧倒的に多い気がする。昔の演劇人たちを河原の人たちのように言ったことがあったが、河原からみてみないと社会の病巣に気づかないことがある。あるいは実感しない。
実際自分も以前会社内で殺されかけて(実話)警察署に行ったが、捜査しようとしたところで、噂では副社長(教育長との噂もある)から『そいつは頭がおかしいから捜査するな!』という滅茶苦茶な理由の指示が署長に出てストップしたという…そして警察の人たちは逆になんで捜査が中止になるんだ、上からの指示らしいがどうなってんだ!と目の前でブチ切れていた。しかし結局はわざわざそんな連絡をしたおかげでヤバい副社長だと自分で証明した。(警察の人たちには次は110番しろと言われた)。でもそれも結局誰かが騒いだから問題になったので、騒がなければ問題にならない。騒いだからとんでもない会社があると全国の警察に知れた。マスコミより警察の情報網に載せるのが次の犯罪を防ぐのには有効である。
その副社長も任期満了で今月で解任される。教育長はその前に外された。…当然だが…でも、そういうのは割と普通らしい、一部の町ではだが。ちなみに副社長はとても良い人だが、詐欺師に騙されやすい。殺そうとした人が、私はあいつに脅迫された、と言われたらすぐ信じてしまう。脅迫した人がなんで警察に行くのかは分からないが、嘘でも信じてしまう、らしい。今まで自分の街の自分より強い人には遭遇したが、他の町から来た自分より強い人には遭遇した経験がないのだろう。そういうのが多い。詐欺師は自分では警察署を騙さず、権力者を騙して警察署を止める。そんな街ではいくら街が綺麗でも薄気味悪い犯罪が多い気がする。
とりま、世の中は危険がいっぱいなのに、子どもたちにはその知識が少なすぎる。かといって今みたいな僕の特殊な経験だと、なかなか実感がわかないから自分のパターンに落とし込めない(自分も当時いろんな人たちから話を聞いて冷静に対応した)し、結局はあり得そうなラインを見極めてストーリー化するしかない。教えるために。それは教育的な観点ではなく、世間の勝手な物語に騙されないようにと言う意味で。猫の視点にして話を客観的に落とし込むとかの手法に着目した夏目漱石はいま考えても本当に凄いと今でも思うよ。他人の物語も身近に可愛く語れるのだから。テレビは大金持ちの息子がパンピーのふりをして楽に生活しているイメージしか流さないから、危険なんて最初から存在しないような錯覚に陥るが、そのような既得権益で護られていない層にとっては社会をサバイブするのは無人島で生きるより過酷である。
ネタバレで世間話から離れて作品の分析を試みてみたいので、続く予定で

淵に沈む
名取事務所
小劇場B1(東京都)
2025/03/07 (金) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

少女想う故にはなあり
劇団花束とマフラー
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2025/03/08 (土) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

『BORDER〜罪の道〜』
五反田タイガー
六行会ホール(東京都)
2025/03/05 (水) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

ボンゴレロッソ 2025
A.R.P
小劇場B1(東京都)
2025/02/19 (水) ~ 2025/02/25 (火)公演終了

R老人の終末の御予定
ポップンマッシュルームチキン野郎
すみだパークシアター倉(東京都)
2025/03/06 (木) ~ 2025/03/11 (火)公演終了

Lovely wife
劇団青年座
本多劇場(東京都)
2025/03/06 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/03/13 (木) 13:30
座席1階
高畑淳子への書き下ろし。青年座のビッグネームと根本宗子の作・演出で期待して出掛けたが、期待が大き過ぎたか。
高畑を長女とする4姉妹と家族の物語。高畑は編集者、夫役の岩松了は作家という役。岩松は次々に担当編集者の若い女性と浮気をしているが、高畑は結果的に耐え忍んでいるという具合。結婚当初と現在を舞台を回転させることでクロスオーバーする演出だ。
4姉妹の話は近年、他劇団でもその人間模様が扱われている。今作は高畑以外の3人のストーリーも盛り込まれているが、少し突飛と思える設定もあってうまく共感できなかった。また、全般的に感情むき出しの場面が多くて、見ている方が引いてしまった。
岩松了演じる夫も少し極端で、それが終盤でもう一方の極端に触れる感じ。女性の思いに寄り添った作りなのだが、大笑いというのもなんだかなぁと思った。
出ている俳優さんは青年座の名優なのだから、その演技力が遺憾なく発揮されるようなもっとジーンとくる人間物語を見たかった。

やなぎにツバメは
シス・カンパニー
紀伊國屋ホール(東京都)
2025/03/07 (金) ~ 2025/03/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/03/12 (水) 18:00
横山拓也さんの作品ということもあって観劇を決めました。
すごく面白くて納得できて、観ることできて良かったぁと思いました。
さすがにベテラン揃いだし。後ろから2列目で観劇したのですが飽きることなく食いついて観ていました。

Lovely wife
劇団青年座
本多劇場(東京都)
2025/03/06 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/03/11 (火) 18:30
なんというか、構えずに笑えた。
タイトルもなるほど!だったし
特に舞台美術には驚きとともに感激しました

『BORDER〜罪の道〜』
五反田タイガー
六行会ホール(東京都)
2025/03/05 (水) ~ 2025/03/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
「ナンバーの付いたバカたち」
ナンバカな設定風の緩い感じの
監獄話なのだがー後半はシリアスに
話が進み人死も出してくるのが
結構なギャップであったが
前半で出してきた緩さからか
後半のシリアスモードに違和感しきりで
あまり自分的には刺さらなかったデス
緩さの感じはピンクパンサーとかが
近いかなぁとー
前半のコメディ調で統一して
後半の重い話も明るく軽く
流していけばーとか思いました

ノートルダム・ド・パリ ストレートプレイ
GROUP THEATRE
浅草九劇(東京都)
2025/03/05 (水) ~ 2025/03/10 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
上下二段のシンプルな舞台セットで
下段にギミック仕込んで
いろいろと場面転換を巧みに見せてました
左右の二階舞台も使ってたし
衣装などもらしく表現されており
見応えありました
長丁場ながら眠気など
全く起こらず舞台に魅入ってしまいました

女歌舞伎「新雪之丞変化」
Project Nyx
ザ・スズナリ(東京都)
2025/03/04 (火) ~ 2025/03/13 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
2回目。
水嶋カンナさんの貫禄、観客を手のひらで自在に転がす。
BUCK-TICKのアルバム「RAZZLE DAZZLE」のジャケットをイラストレーターの宇野亜喜良氏が手掛けた縁で数々のコラボが実現。今作も氏の発案らしい。(角川文庫の「ドグラ・マグラ」の表紙をずっと氏の作品だと思っていたら、米倉斎加年〈まさかね〉氏で驚いた。)
踊り子達が被る上半分の狐面がベルク・カッツェみたいでカッコイイ。

昭和元禄落語心中
研音/梅田芸術劇場
東急シアターオーブ(東京都)
2025/02/28 (金) ~ 2025/03/22 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
素晴らしい俳優3人の共演ということで非常に楽しみにしていました。実際出演者の皆さんの 演技も歌もみな素晴らしかったですが
原作は読んでいないのでわかりませんが ストーリーが分かりにくい またせっかくミュージカルなのに ここぞというところが歌ではなくセリフで終わっているのが残念でした。
苦しさや悲しみそして喜び 思いのたけを心を込めて歌い上げる 心が震えるような歌がミュージカルの醍醐味だと思うのですが

不思議の国のマーヤ
ティーファクトリー
吉祥寺シアター(東京都)
2025/02/15 (土) ~ 2025/02/24 (月)公演終了
実演鑑賞
前作「ヘルマン」に続いて、ダンス等の異色の試みを見たさに今回も出向いた。前作が「何故今ヘッセか」の解答を得たくて得られた気がしなかった感想と、今回は「何故今回これをやったか」の答えがやはり自分には見えなかった点で、似た後味であった。インド舞踊がある種の高揚をもたらす「効果」は実感したが、少女にとって「神」(一神教の神でない)が一つの媒介となって世界へ足を踏み出す支えとなった、という所の説得力が私には今ひとつ迫って来なかった。神を巡る議論については、一神教(ユダヤ~キリスト教)での様々な神学論争が実は現代においても存在し、人間に目指すべき世界像の指針を示そうとするもの、との期待に神学は応えようとしている事を知る自分にとっては、甘い議論にはケチを付けたくなる。一神教も多神教も「人間が生み出したもの」であるが、一応建前としては「神が先に存在し、人間は神によって作られた、もしくは神より劣った存在として生まれ、試練を課せられている・・といった具合に神との関係を整理する。そういう用い方をするために人間は神を作り出した、とも言える。
例えば人は自分の化身を持っており(ヒンズーで言う所のブラフマンであったり、何とかであったりが劇中に出て来る)、そういう存在がある、という自己相対化が如何に身を軽くするか、というのは仮設として分かる気がするのだが、新興宗教も一つの信仰のあり方を提供しているんじゃない?という所に結びついてしまう。ただ新興宗教の弊害は組織の体質であり儲け第一主義が蔓延るからで、純粋に信仰のみを問題にすれば(オウムさえも)それはそれでその有効性を見出す事もできる・・となる。また別の見方をすれば、劇に登場する神々を、歌舞伎町のとあるゲイバーのコミュニティに置き換えても成立する、という気がする。私は未経験だが、想像を逞しくすると、男女関係も含めた「利害」を超えた関係性が築けるから、ある人たちはそこへ集うのでは・・と思う。少女が出会う相手はヒンズーの神々である必要があった、とまで言える何かが、やはり欲しいと思う。それがこの作劇に対する感想で、私的にはやや淋しい観劇であった。

若手演出家コンクール2024 最終審査
一般社団法人 日本演出者協会
「劇」小劇場(東京都)
2025/02/25 (火) ~ 2025/03/02 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
コロナによって映像配信なるものが実現し、初めてこの企画を目にしたのが5年前。2019年度の3月だからコロナ急性期。2月後半あたりから大手が公演を取り止め、小劇場は3月に入ってもしぶとく打っていたが4月緊急事態宣言でゼロになった。第27班・深谷氏は2019年度の最優秀賞受賞で知ったのだった(忘れていた)。翌2020年度はぽこぽこクラブ・三上氏。
ユニークな演目が並んでいたが何しろ画像音声が粗いため見るのに難渋する、その印象もあって積極的に観には行かなかったが、今回は申大樹の名もあって覗いてみた。相変わらず定点撮影で録音もシンプルだが随分と見やすくなっていた。
1演目目から順に観た。まず申演出の「野ばら」。
深海洋燈はまだ一度も観れていないが流石、金守珍の薫陶を受けた才人に違いなく、原作の小編を劇中劇風にし、日本の戦争時代の少女たちの交流をベースに、そこに登場する不思議な少女が「野ばら」を読んでいる、という構成。音楽、歌・踊りに女性教師(佐藤梟)が縦横無尽に場を席巻する笑わせ場面あったりと盛り沢山。毎回の短いポストトークではコンクールでは珍しい作り込みの美術を一様に話題にされていたが、梁山泊仕込みのトリッキーな舞台処理もそれを感じさせないスムーズさであった。
ただ、演出を離れて作品という事で言えば(作も申大樹)、現代における戦争への認識に二つの戦争悲話が届いているのか、という部分では、「戦争」の語り口が定型的に思えた。いや元がそういう作品だから、という弁もありそうだが、主人公の二人の女友達の死が最後に来る日本の戦時下の話と、いつかの時代のどこかの外国の国境に立つ二人の兵士の物語が、「戦争悲話」で括られてしまうと、物語世界が狭くなる感じがある。演出等でありきたり感を大いに解放し、見事なのではあるが、テキストのレベルで言えば、「戦争はやめるべきだ」「世界から戦争をなくすべきだ」という、犠牲者の存在の裏返しとしての反戦の論理(大島渚が前にこれを「単純正義論」と言っていた記憶がある)が如何に弱いか・・その事を戦後の日本人は見て来たのだと私は考えている。少女たちは確かに犠牲者であったが、既に一個の考えを持つ彼女らは同じく人としての責任にもさらされ、友達を殺した者=「戦争?」への恨みを持つとするならば、その矛先は自分にも向くものだろう。「はだしのゲン」のゲンらが訴える相手も見出せず虚空に向かってピカドンのせいじゃ、と言う。せいぜいがあれを落とした人間への恨みつらみを言うがそれは戦争を起こした者(日本の上層部)にも向かうが、今や存在するかも分からぬ相手に、言っている。このお話の少女も誰に向けるべきかも分からず「戦争め」と言うしか、その時は術はなかったかも知れないが、今舞台を作るにおいては当時そうであった彼女たちを、今の私たちが評するなり掬い上げるなりして、何かを付け加える必要がある。劇においてそれが何なのかは作り手の問題だが、「戦争」が悪い、のは分かっている、その先を考えなきゃ何も変わらない・・そんな一抹の思いが見ていて過ったのは確かであった。
ラストを締めくくるまでの大がかりな道筋は金守珍ばりに考えられていたが、作品性もそれに相応しく深く周到なものであってほしい・・欲を言えばの話。
他の作品についてはまた、ネタバレにでも少しずつ書いてみる。

淵に沈む
名取事務所
小劇場B1(東京都)
2025/03/07 (金) ~ 2025/03/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
テーマを深く抉った上質な作品をこう飛ばしている名取事務所の観劇頻度が上がって来るのもむべなる哉。
内藤裕子は「灯に佇む」「カタブイ、1970」「カタブイ、1995」に続いての名取事務所への書下ろしで、今作も流石だなと感服した。
作者は今、法律の条文を人(日本人)の耳に鳴らせたいのだな、と思う。特に、理念法(憲法や、各法律の目的の項=立法目的としての理念が書き込まれている事が多い)、「カタブイ」続編の方ではその条文(確か日米地位協定等もあった)を読む場面が幾つもあり、些か固いテキストとなっていた。私たちの生活が「法律に規定されている」厳然たる事実は、とりわけ沖縄では(法そのものの是非も含めて)切実であるが、その事を本土人が軽視してはならない。それには法律が「私たちを取り囲んでいるもの」、日常と地続きにある感覚で捉えなければ・・と、勝手な推測ではあるが、作者は今その思いを強く持って居る、そう思った。
これを経ての今作「淵に沈む」でも開幕後、簡易ベッドに横たわった青年がうなされるように憲法の条文(前文)を音読(暗誦)しており、夜だったのだろう、周囲から「うるさい!」「静にしろ」と罵声を浴びる。場所は牢屋に見えたが、実は精神病棟の一室であった。
精神を病む彼のそれ(独語)は「症状」であった事が後に分かるが、冒頭のインパクトを狙ったかの出だしに私は構えてしまった。「本当は大事な条文なのに軽視されている」、だから今一度ここで(彼に語らせるという形で)読ませて頂く・・的な、直接的な関連はないけれど広く捉えれば全て憲法問題とも言える正当性でもって「条文のアナウンス」が敢行されている、と警戒したのである(別に警戒せんでよろし、との意見もあろうけれど)。
私たちが怖れをもって想像する「収容所」に等しい精神病棟は、あの恐ろしげな冒頭場面で象徴的に表現され、不可欠なシーンだったかも知れないが、結論的には、「法律を勉強していた」彼が独語で呟く(又は叫ぶ)のは憲法条文でなくても良く、であればメッセージ性の強い、かつ定型のそれでなく、少し捻りの効いたチョイスがあって良かったか、とは思った。
さて物語は温かみのある話であり、精神病棟の鋭利な刃のような酷薄な現実の中で、安全圏(ドラマを見る者にとっての、でもある)を確保しようとするものだった。その証拠に、体制に組み込まれ、正しい判断と行動が出来なかった事を悔いる者を含めた「良い人達」に対し、病院の体制側を代表する存在は院長一人である。この一人の「悪役」も倒しがたい状況に、精神疾患を20年の間に寛解させた青年のささやかな「施設外での」人生の再出発を支えようとする四名の姿がラストに揃い、危うい現実の中で人を支え、支えられる人と人の関係とコミュニティこそ、まずは答えなのである、と終幕のシーンが語るのを聴く(私の捉え方だが)。
精神病棟の現実を告発したルポは既に1970、80年代にあり、障害福祉のあり方も変遷を辿ったが、私もよくは知らないが、知的障害について言えば、強度の障害は家族との同居が難しく施設を頼るケースが少なくない。施設建設が趨勢だった1970年代を過ぎると、施設から地域へ、となったのは確かで(海外からそうした潮流が輸入された所もあり、厚労省のそういう部分での功績は認める所だ)、介護業界も保育業界もそうだが、今は人材育成もさる事ながら障害福祉でも平均年収より100万以上低いと言われる分野だ。医療の方も構造的な改革が進んでいるが厳しい状況に追い込まれている医療機関は多いと聞く。そんな中でこの劇のような精神病院(精神科のみの単科病院)が何十年間、ヘタをすれば死ぬまでの長期入院を病院側が進めようとする事が起きるとすれば、悲劇だ(通常の病院が3ヶ月で患者を退院させたがるのと精神科がどう異なるのか知らないが)。長期化により「諦め」が心に住み、生活習慣がそれに合わせて変わる。医師や病院の「やってる感」のための服薬や治療行為が行なわれてしまう。
古くは「カッコーの巣の上で」が描いた精神病院の無残な現実が思い出される。行きがかり上収容される羽目になったとある男(はみ出し者)が、図らずも病院内にもたらした自由と解放の日々(それは最も的確な治療でもあったと観客には見える)と、病院に都合の良い管理法とそれを裏付ける旧い知見への揺り戻し、挙げ句は男自身が電気ショック療法などで「精神病者にさせられて行く」様は強烈であった。
障害者という弱者は常に「軽視」されるのであり、軽視する正当性を健常者は手にしており、彼らを縛る大義名分があり、彼らの同意が医師らの得になる訳でもない(彼らの不同意は医師らの不都合にはならない)。非対称な関係が力の一方的な行使を許し、都合よく支配し・される関係が成り立つ。
院長役の田代隆秀は「灯に佇む」で良き医師を好演して記憶に残った俳優、以後内藤作品で見る事が多いが、今作も悪い医師役を好演。同じく常連の鬼頭典子女史も良き女医を変わらず好演、センシティブな患者役に西山聖了、MSD役の歌川貴賀志、他の役者たちもハマって半ば「地でやってる」かのように見えた。