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なべげん太宰まつり『駈込み訴え』

なべげん太宰まつり『駈込み訴え』

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2025/04/27 (日) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

渡辺源四郎商店が毎年ゴールデンウィークの季節にスズナリで行う公演シリーズ。今年は太宰治をテーマにして、口開けは1日だけの公演。30分に構成した「駈込み訴え」一人芝居の上演と、「駈込み訴え」を上演しようとしている高校演劇部の物語60分(第70回全国高等学校演劇大会(ぎふ総文)優秀賞受賞作品)を組みあわせて上演。全体で95分。

https://kawahira.cocolog-nifty.com/fringe/2025/05/post-43df1d.html

あるアルル

あるアルル

やみ・あがりシアター

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2025/04/30 (水) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

はっちゃけたEテレ(Eテレ自体はっちゃけた番組多かったりだけど)みたいな感じ。
ただ、Eテレの番組は短いものが多いけど、これは長編でして。
自分は、前のめりになるよりも、冗長さを感じたほうが強かったかも。
観終わった後に、『ハウルの動く城』の階段シーンを思い出したりしました。
歌が多くて、巧みな歌唱ってわけじゃないんだけど、いい味わいになっていた。
ラストシーンは好き。

逆光が聞こえる

逆光が聞こえる

かるがも団地

新宿シアタートップス(東京都)

2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

トップスで3,800円はかなり破格だし、充実の演者陣。重いテーマを見やすい範疇で届けてるのも見事だと思う。
加害と被害を善悪で一面には描いておらず、重層的に受け取る側の一考になる、確かな重さがあるとゆうか。
個人個人への問題提起として受け取りやすかったです。

きっと団体の特徴なんでしょうが、一人の役者がアンサンブル的に色んな役を兼ねる、とても面白いんですが今作に関しては、やや気が散る印象を受けました。

お針子マーチ

お針子マーチ

さんらん

市田邸(東京都)

2025/05/13 (火) ~ 2025/05/17 (土)公演終了

実演鑑賞

なるほど。

ネタバレを書きますよ。

ネタバレBOX

登場人物は流暢な日本語を話す実習生三人と、カタコトの日本語を話す雇い主。

日本人は技能実習生の方というオチがつきます。
思い込み、先入観を利用した意外な結末。

だけど、遠くない将来ありうることだと思いますよ。
最終兵器ピノキオ〜蜃気楼の向こう側〜

最終兵器ピノキオ〜蜃気楼の向こう側〜

X-QUEST

すみだパークシアター倉(東京都)

2025/05/09 (金) ~ 2025/05/13 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

千秋楽スペシャル的な感じはなく淡々と笑えるシーンもほぼ同じなのに2度目見るこちらも初見同様に新鮮に笑えた。練習したうまさではなくしっかり客席の空気をふまえて演じているという感じ。やはりあの青い妖怪ただもんじゃない #最終ピノ

kaguya

kaguya

まぼろしのくに

ザ・ポケット(東京都)

2025/04/03 (木) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

疾走感と混乱の中でかぐや姫の罪を問う

ネタバレBOX

冒頭シーンから一貫して、膨大なセリフ量とハイスピードな展開に圧倒される。独自の美学で演出された、自分たちをかぐや姫の血族であると信じて疑わない片田舎の家族の物語である。洗脳される息子と死んだと見せかけて洗脳を解こうとする母。主人公を父と呼ぶ得体のしれない女。錯綜する家族模様の中、「かぐや姫の原罪とはなにか、地球で罰を受けていたのはなぜか」を課題設定し直す後半から物語はさらにスピード感を増す。権力、富、愛情の権化となり主人公ノゾムを追い詰める母親、社会的な孤立、そこから流れるようにつながる首相暗殺事件のイメージにも結着するように見えたラストシーンの戸惑いの感情の共有は、物語全体の疾走感との落差によって効果を増しており、他に類を見ない鑑賞後感であった。

イマジナリーフレンドとして舞台に散りばめられた人形や、ミニキッチンの演出など舞台美術と俳優との間の強固な信頼関係が見て取れた。膨大なきっかけがある作品の中でスタッフワークが光る。

原作となる竹取物語のイメージ上でのコラージュ(宇宙、竹、道化など)と、物語の骨子(夫選び、月への帰還、原罪など)の借用が明確に言及されずに混在しているので、見ている側としては今描かれているのがどちらのレイヤーにある表象かの判別がつかず混乱しやすい。その混乱をも逆手にとってラストシーンに繋げてほしいという期待があった。またジムノペディなどの有名曲を使う場合、観客側に想像力の引き攣れが起きる。音楽、効果音の使い方に既視感がある点を演出時にどのように考えたかは気になった。

(以下、ゆるいつぶやき)
竹取物語での最も大きな謎である、「かぐや姫の犯した罪とは何なのか」について、「血族の原罪」として作中で扱おうとしていた点、意欲作であったと思う。改めて竹取物語を見返してみると、貴族男性どころか帝でさえ寄せ付けない常識破りの自由さを持ち、気が強く頭の回転が速く、他者の思いのままにならない「おもしれー女」であることがわかる。ノゾムの祖母はそんな自由な女性で、それを孫であり、部屋に引きこもって人形と遊ぶのが好きな内向的なノゾムがある種の憧れを持って追いかけるという構図なのが、物語で描かれない時間の奥行を感じさせた。
肝っ玉おっ母とその子供たち

肝っ玉おっ母とその子供たち

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2025/05/02 (金) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ドイツとポーランド中心にヨーロッパ強国が終わらないのではとさえ思える戦いを続けた
三十年戦争(1618~1648)。その前半部分を舞台に、“肝っ玉母さん”ことアンネを
主な登場人物に据えて描いた叙事詩。

ブレヒトの提唱した「異化効果」が全面的に用いられた結果、ただ「お偉方は兵士が死んでるのに
安全なとこでのうのうしてる」「弱い民衆から殺されていく」というステレオタイプ的な反戦演劇とは
一線を画し、もっとより高度な視点から「戦争が何故終わらないのか」「本当に民衆は平和を望むだけの
存在なのか」という問題を深掘りしている傑作かと思いました。

ネタバレBOX

この物語の巧みな点は、アイギフ、スイスチーズ、カトリンの子どもたちの「母」であると同時に、
戦場で物資を売りまくってひと山儲けようといつも目論んでいる「従軍商人」というキャラ設定を
主人公アンナに与えたこと。

これによってアンナは、子どもたちが戦場で死んでいく姿に「戦争はキライだよ」と毒つきつつ、
一方では「平和になったら破産さ!」と大乱を望む、一見矛盾した複雑かつ魅力的な人物になって
いるんですよね。ただ単に好戦的だったり、ただ単に反戦をひたすら望む直線的な人間じゃない。

よくよく観察していると、従軍牧師がいみじくも言い放ったように、「戦争はあらゆるものを内包
している」んですね。酒も女もどんなぜいたく品でも飛び交い、だらだら続く戦局の合間には
(一発の銃撃で消え去るにしても)チェスやったり歌うたって楽しむような「日常」だって存在する。

そんな日常に慣らされていった結果、肝っ玉おっ母も他の人物も、上手く立ち回るために戦場にいるのか、
戦いや戦場が“恋しく”なってしまってその場にいるのか、全然分からないようになってしまう。

男に騙されて戦場を転々としたあげく高級将校の未亡人にまで成り上がった元娼婦のイヴェットや、
子どもを結局全員失っても戦列に加わろうとする肝っ玉おっ母みたいなのはその典型で、殺しの場で
いつも顔を合わせるような「おまいつ」人間と化しているわけです。もうそれって利益不利益の
状況を超えて戦争から離れられなくなっているんですね。

よくよく考えると、何でもあけすけで女たらしだけど、常識的な判断から戦線離脱してユトレヒトに
帰って遺産の居酒屋でつつましく暮らそうとするラムはマトモなのかもしれない……。

※そういえば、たった1人遺されたにもかかわらず、ユトレヒトに行かずになおも従軍を続けようとする
おっ母はすごく変だよな……。「娘がいるからアンタにはついていけない」って言ってたのに。

その場におかれ続けた人間が「戦争の中毒状態」になってしまう、そしてそれが平穏な「日常」と
すり替えられてしまう、いつの間にか人間がフツーの人間ではなくなってしまう。

ブレヒトはストレートに「戦争反対!」と唱えて満足するだけでは結局形を変えての殺し合いに
対応できない(当時ナチスが権力を握り、周辺諸国を次々と併合する状態を、強国は平和を
望むあまり見過ごしていた)と悟って、こんなスケッチ風のエモくならない作品を書いたのでは。

「戦争って人間がこんなにヘンになっちゃうんですよ」「これおかしくないですか? あなた
耐えられますか?」という問いを投げかけられているような気がして、だからありふれた反戦劇と
違って生命力を保ってるんだと思います。
『パンとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。』再々演ツアー2025

『パンとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。』再々演ツアー2025

趣向

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2025/05/09 (金) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

コロナ禍で緊急事態宣言が出されていた頃、一生苦しみ続ける心の病を抱えた者達を集めて戯曲の読書会をする鬱病の劇作家。『人形の家』、『三月の5日間』、『サロメ』。段々盛り上がって来たメンバー達は『サロメ』を舞台として人前で上演することを決める。

まずは現在2025年5月、登場した大川翔子さんが観客に語り掛ける。これは2020年7月から2021年12月の話だと。今となっては過去となった日々のことを思い返しているのだと。

コロナウイルス変異株の名前は差別や偏見に繋がらないように意味のないギリシャ文字の順番に付けられた。アルファからゼータまでの6人は順番通り。語り手の主人公だけは最後の文字、オメガを名乗る。

フォーマットが『コーラスライン』っぽい。
凄く観易く工夫されている。うんざりする意識高い系のスカした討論を危惧していたら全く違った。配役が見事、皆役者とは感じさせずに自然とそこにいる。その自然な存在感こそがテクニックだと終演した後、改めて唸らせる。皆さん歌が上手い。舞台上手でずっとキーボードを弾く作曲の後藤浩明氏。複数の役者が奏でる謎の楽器、ウォーターフォン。鍋の蓋に塞がれたフライパンのような器具、真ん中には水を入れる金属の筒。要は平べったい金属製のフラスコ。その円周上にアルミや真鍮の棒を複数立て、弓で弾く。ホラーの効果音に最適。

主演のオメガ役大川翔子さんは誰かに似てるなとずっと思っていたが、BLUESTAXIの鈴木絵里加さんか?
アルファ役三澤さきさん、ガンマ役榊原美鳳(よしたか)氏は役者に見えずもう本当にそういう人に見えた。
ベータ役前原麻希さんは歌のシーンで魅せる。
デルタ役KAKAZUさんはビョーク系の顔。センシティヴでナイーヴなキャラだが演技に入った途端、ガチ・サロメに豹変、客席が沸く。ニッチェ江上のネタみたい。
ゼータ役海老根理(おさむ)氏は元ジャンポケ斉藤っぽいハイテンション。
劇作家イプシロン役伊藤昌子さんがキーパーソン。作者オノマ・リコさんをダブらせるように描かれている。

いろんなことに負けてしまった連中。死んで物語を終わらすことも選べず、つまらない毎日を続けていくしかない。とっくに終わってしまった話なのにまだだらだらと続けている。その先に何があるわけでもない長いエピローグ。19世紀英国、社会主義者アーティスト、ウィリアム・モリス「人はパンがないと生きていけないが、パンだけでなくバラも求めよう。生活をバラで飾らないといけない」。バラとは何か?

各問題の当事者同士で自助グループを形成し、悩みや苦しみを共有し分かち合うシステムがある。昔自分もアルコール依存症の治療を調べ断酒会を知った。結局行かなかったが参加したらどうなっていたのか?今作は自分がそんなグループに関わったシミュレーションのように観た。集団精神療法の一つにサイコドラマというものがある。自分という役を演じる過程で自分というものを客観的に認識させていく。

宗教でも精神医療でもとにかく人に話を聴いてもらうことが重要。人間は誰もが自分の胸の奥底に溜まった感情を吐き出したがっている。そんなこと話して一体何になる?と思いながら、整理出来ない言語化出来ないモヤモヤを全て反吐のように吐き続ける。それでヘトヘトになって精神の均衡を保つのだろう。カール・マルクスは「宗教は阿片である」と断じた。その場しのぎの現実逃避であり、実際の問題の解決には至らないと。全くその通りだと思う。そう、皆欲しているのは阿片なんだ。とにかく今をやり過ごしたい。今さえやり過ごせれば後のことなんかどうだっていい。後でまとめて後悔してやる。

自身も含めた全ての苦しむ人々に作家(オノマ・リコさん)は自分の知る対処法を告げる。生きることは無意味だが死ぬことも無意味。無理して生きることはないが無理して死ぬこともない。あるがままに。

Nirvana 『On a Plain』

あと一つ何かそれっぽいメッセージを付け加えて
それで終わり、やっと家に帰れる

自分自身を愛するんだ、他の誰よりも
それが間違ってることは知ってる、でもどうすりゃいい?

俺は平原の上
文句なんか言えないんだ
平原の上で

オノマ・リコさんのやろうとしたことにRespect。こんなもの誰がどうやったってどうにもならないジャンル。そもそも誰も救えない。でも何かやろうとした。何かやりたかった。その足掻きが意味を生み出す。

アフタートークのゲスト、精神科医の劇作家・くるみざわしん氏の話が興味深かった。秋に中野MOMOで精神病院の勤務時代から封印していた闇を到頭舞台として発表するとのこと。これは観ないと。

ネタバレBOX

アイディアとして素晴らしいのは「時間を巻き戻す」こと。ベータに劇の出演を皆でお願いする。それでも断るベータ。激昂したオメガは顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。オメガは自分が正しいと認識している事柄への執着が激しい。それを拒絶されると自我が保てなくなりパニックを起こす。この揉め事で公演自体が中止となる。
そこでオメガは「時間を巻き戻す」ことを観客に提案する。もっと別のやり方を選べれば公演は行えたのではないか?もう一度過去のシーンをやり直す。ベータに「出演しなくてもいいからアイディアを出して演出に加わって」と。ベータは「それならば」とOKする。
インカ帝国の太陽神インティを思わせる仮面に棒を付けた人形で表現するヘロデ王は秀逸。
ラスト、全てが崩壊した後、不意に歌い始めるゼータに『ラ・マンチャの男』に似た感慨を。やはり歌しかないのか。

途中まで非常に昂揚して観ていたが、クライマックス前辺りから停滞。『サロメ』の内容が本筋と関わらない(登場人物の誰が嫌いか?ぐらい)のも勿体ない。最後の喧嘩も無理矢理っぽい。そんな伏せられていた事実の提示ではなく、「本当はあんた達なんかずっと嫌いだったんだよ!」ぐらい身も蓋もないどうしようもなさで良かった。人間関係を築いては全部ぶち壊し途方に暮れる感覚。それでもあの頃のことを今も思い出す的な。無駄で無意味な日々こそが生きていた証。

アフタートーク、若きくるみざわしん氏、リストカット症候群の患者に「それで心が安定するんなら切ってもいいんだよ」と肯定する言葉を先輩にアドバイスされる。だが診療の際、患者を前にしてなかなかそれが言い出せない。頭では判っていてもどうしても口に出せない。
このエピソードから連想したのは「森田療法」。それは森田正馬(まさたけ)によって創始された神経症の精神療法。「とらわれ」や「はからい」から逃れ、現実をそのまま受け入れ「あるがままに」生きることを提唱。先入観や常識、こうであらねばならぬ正しい生き方みたいなものを「とらわれ」と呼ぶ。自分を正当化する為に色々とつく嘘を「はからい」と呼ぶ。自分に嘘をつかず、ありのままの自分を受け入れること。この考え方はそのままゴータマ・シッダッタの説いた原始仏教に通ずる。
反乱のボヤージュ

反乱のボヤージュ

松竹

新橋演舞場(東京都)

2025/05/06 (火) ~ 2025/05/16 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/05/11 (日) 11:30

ちょっと左巻きの反体制的な群像劇を作らせるなら鴻上尚史が適任。いつもの手書きの文をコピーした挨拶文がなかったのが寂しかった。

明日、泣けない女/昨日、甘えた男

明日、泣けない女/昨日、甘えた男

株式会社テッコウショ

シアターサンモール(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/05/09 (金) 14:00

冒頭と最後に大音量で流れたジェイムズ・ブラウンのIt's A Man's Worldが全てを語ってたように思います。のんびりとした田舎町のようでいて、Jアラートが頻繁になる国際紛争の最前線。閉塞感が半端なかったです。

ソファー

ソファー

小松台東

ザ・スズナリ(東京都)

2025/05/10 (土) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/05/11 (日) 14:00

じれったいようなもどかしいようなテンポかと思うと、リアル過ぎて怖い台詞の応酬が
ぽんぽん!このソファー、きっと私も捨てられないと思うとボロ泣きした。
お父さん、あなたはどんな気持ちで、あのソファーに座っていたのだろう。

ネタバレBOX

舞台上には茶色い革張りの、古い大きなソファーがひとつだけ。
ゆるくカーブを描くソファ―、これが今日の主役か。

ひとり暮らしだった父親が亡くなり、実家の取り壊しが決まっている家。
時々実家に来て父親の世話をしていた妹から「最後に相談したいことがある」と
招集がかかり、久しぶりに兄弟3人が顔を合わせる。

「映画監督になりたい!」と東京へ出た長男。
再婚してえらく若い奥さんをもらった次男。その奥さんも来る。
そして夫とは別居中の妹。その別居中の夫も来る。

東京にいて大した手助けもしなかったくせに、近くにいた次男と妹に不満を言う長男。
妹が父に車の免許返納を説得し、することが無くなった父は庭いじりするしかなかった。
その結果庭で転倒して死んでしまったのだ、と言う長男。
妹は後悔の念に苛まれ、最後に父がいつも座っていたソファーをどうしても捨てられない、
捨てることは父親を2度殺すことになるから。
だからどうしたらいいかを相談したかったのだと心情を吐露する。

時折差し込まれる過去のエピソードによって、一家の歴史が語られる。
「ママ」として夜働く妻が、酔って客のひとりである地元の金持ちの和菓子屋を
連れて帰宅した時のエピソードは、配役の妙もあって感情移入せずにいられない。
互いが大切なことはわかっているのに妻は「優しいだけが取り柄の男」と口にし、
夫は「この人を連れて帰ってくれ」と和菓子屋にタクシーを呼んでやる。
ソファーがまるで父親の魂が乗り移ったかのように、ふんぞり返って座る和菓子屋を 
床に放り投げるシーン、この超常現象(?)の場面だけは痛快だった。

妻が次第に帰って来なくなっても、父は毎晩
「電気つけっ放しにしてこのソファーで帰りを待ってた」と妹は言う。
このソファーは父の誇りであり、孤独であり、愛情の全てだったのだ。
妹のこの一言に父親の無念さや寂しさがあふれていてボロ泣きした。
このソファーを、捨てられるわけがない。

結論の出ないソアーの処遇をめぐってぐだぐだと兄弟が言い争う中、
次男の若い妻が要所要所で放つ天然のひと言がスパイスのように効きまくる。
妹の別居中の夫も、クッションとしての役割を期待されつつ時にそれを自ら
かなぐり捨てて極めて能動的に場を回す。
この外様(?)の二人が冷静に、時に熱く一家に絡む存在感がすごい。
グチグチのあるあるのリアルさ、漫画のような急展開のバランスが素晴らしい。

ラストはソファー(イコール父親)のみた幸せな夢なのだろうと思った。

あるアルル

あるアルル

やみ・あがりシアター

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2025/04/30 (水) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

普段あまりエンタメ色の強い作品を観ないので、最初のシーンで面食らってしまい、途中まで「これはちょっと私には合わなかったかも」と思っていました。
人物それぞれの繋がりや背景が見え始めたあたりから面白くなり、ラストはちょっと無理に綺麗に畳んだ感じはしましたが、脚本の力と役者さんたちの力量の成せる技でしょうか、とても良いラストでした。

最終兵器ピノキオ〜蜃気楼の向こう側〜

最終兵器ピノキオ〜蜃気楼の向こう側〜

X-QUEST

すみだパークシアター倉(東京都)

2025/05/09 (金) ~ 2025/05/13 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/05/12 (月) 14:00

#最終ピノ 8年前と同じで、あんな感じなのに「とても熱い会話劇」で2時間があっという間。終わり方も心地良く楽しかった。

ネタバレBOX

前半戦の殺陣とダンスとおはなしがハイテンポすぎて好き。
『ベイジルタウンの女神』

『ベイジルタウンの女神』

キューブ

世田谷パブリックシアター(東京都)

2025/05/09 (金) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

5年前の初演時から大好きな演目でした。この再演版も、初演で感じた魅力はそのままに、より「ならでは」の魅力が増した印象。この出演者ならでは、ファンタジー作品ならでは、映像演出ならでは、物語ならでは、etc…。ベイジルタウンという架空の貧民地区を舞台に、市井の人々の前向きな生命力を描き、「夢を見ることの大切さ」を感じさせる一作だと思います。

ネタバレBOX

公演チラシのビジュアルにある「カートゥーン調」のイラストが劇中でも用いられます。その結果、カートゥーン映像から俳優へ、俳優からカートゥーン映像へ、のスイッチング演出が多用され、より「フィクションだからこその夢物語」が強調された印象を受けました。キャスト陣には初演を経験済みの俳優が多く、そこに再演版から参加した俳優も加わり、見応えも十分。難解すぎず飲み込み易い物語は、後半に進むにつれて大きく揺れ動き、ラストシーンまで飽きることなく楽しめます。劇場体験の少ないお子さんなどを連れて、家族みんなで夢中になってもらいたくなる一作です。
團菊祭五月大歌舞伎

團菊祭五月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2025/05/02 (金) ~ 2025/05/27 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「花盛りの娘三様」

 菊之助改め八代目菊五郎、丑之助改め六代目菊之助の襲名披露の團菊祭である。昼の部の最後に玉三郎と三人の「娘道成寺」が出た。

ネタバレBOX

 道行きではすっぽんから新菊五郎と新菊之助がドロドロでせり上がる。大曲に果敢と立ち向かう親子といった絵で緊張感がありながらも微笑ましい。新菊之助がすっぽんで下がってからの新菊五郎と聞いたか坊主たちによる問答はひととおり。このあと紅白の幕があがって初めて玉三郎と三人で揃った姿に観客から大きな喝采があがった。

 「言わず語らず」の手踊りまで三人で揃い、このあとの鞠唄は新菊之助が新菊五郎とまず踊り、そこに割り込むかたちで玉三郎と二人で踊り分ける。父親と先輩に挟まれた新菊之助はここから花笠まで踊り抜くから大したものである。

 お待ちかねのクドキはまず新菊五郎がひとりでしっぽりと、「ふっつり悋気」から玉三郎が入って男女の機微を娘姿の二人が表現する。性が倒錯し怪しくも美しいこの二人のクドキは、2004年初演の「二人道成寺」の感動を呼び起こした。客席に向け手ぬぐいを撒いてからの山づくしは新菊五郎・新菊之助親子、「ただ頼め」は玉三郎ひとり、そこから引き抜きとなり鈴太鼓を持ってからまた三人で鐘入りまで踊り抜いて幕となった。

 襲名ならではの豪華な一幕を大いに堪能した。
illuminaTe The Room

illuminaTe The Room

遠山ドラマティア

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2025/04/25 (金) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ザ・エンターテイメント。
SFもののコメディベースではありつつシリアスな展開、ミュージカル・2.5次元・ストレートプレイの其々の面白さを集めたような作品でした。
キャラクターや背景の設定が細かく深みを感じますが、パンフや上演台本を読まないと拾い切れない部分があるのは少し残念かもしれません。ミュージカルというには…とも感じますが、そのあたりは他の面白さでカバーしているということで。
主演の藤原祐規さんの芝居がまずとても巧い。巧い人が真ん中に立つと作品が安定するなぁとつくづく思いました。
語られていない部分も表情や仕草でこれだけ伝わるものかと。膨大な台詞が聞き取りやすく聞き心地が良い。
音くり寿さんの歌唱力は当然ながらレベル違いといいますか、このキャパでこんなすごい歌を聴けるなんて!と感動します。
この二人がキャラクターとしても役者としてもバランスの良さと技術面がうまく噛み合っていて光っていました。

楽屋より愛をこめて2025

楽屋より愛をこめて2025

劇団S.W.A.T!

「劇」小劇場(東京都)

2025/04/17 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/04/26 (土)

26日の昼・夜で両楽屋を観劇。
とある演劇公演の初日・中日・千穐楽のハプニング(トラブル?)をその劇場の楽屋を舞台に描いたコメディ。
もちろん誇張/戯画化されているが、そこまで極端でなくとも似たようなことは実際にありそうで虚実の狭間を描いているのが愉しい。
さらに舞台役者であれば避けられないであろうことも描いて鮮やか。
あと、ルーキー楽屋Ver.とベテラン楽屋Ver.、2つ3つの固有名詞の違いといくつかの立ち位置の違いだけで同じ筈なのに役者の違いでかなり異なった印象なのもダブルキャストの醍醐味。

逆光が聞こえる

逆光が聞こえる

かるがも団地

新宿シアタートップス(東京都)

2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

劇団としては10回目となる本公演だそう。20代のおわり、いままでのところで作家が「目をそらしてきたこと」を描くのだという115分。4月27日までTHEATER/TOPS。

https://kawahira.cocolog-nifty.com/fringe/2025/05/post-05fafa.html

『パンとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。』再々演ツアー2025

『パンとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。』再々演ツアー2025

趣向

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2025/05/09 (金) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

鑑賞日2025/05/11 (日) 16:00

座席1階1列3番

価格4,000円

あまい洋々の結城真央氏がいう「「とある現実」を材料にして、ルポやドキュメンタリーなどノンフィクションとして世間に出されること、ドラマや小説などフィクションとして世間に出されること、どちらにも搾取性や暴力性」をこれほど感じる作品もない、と個人的には感じた。
過去に親や大人に虐待を受けたりいじめにあって心を病んでしまっている人、あるいはそれに近い経験があった人にはオススメできない。逆に、そういう人たち(虐待サバイバー)に「かわいそうな人」と同情の目を向ける人、もしくは「確かに不幸なことはあったがいつまでも過去に囚われて乗り越えることができない努力が足りない人」と批判的な目を向ける人ならば、この話はとても理解できるし、納得のいく素晴らしい劇に見えることだろう。
とはいえ、中庸な発想が自然にできる人ならば、「言いたいことはわかるけど、そういうもんだろうか」という違和感は感じてくれると信じたい。

ネタバレBOX

「こうあるべき」というのに散々タコ殴りにされて病気になった人のことを劇中で、優しくしているつもりで実はさらに「こうあるべき」でタコ殴りにしている劇です。
赤目兎の罪悪感

赤目兎の罪悪感

らくだ企画

studio ZAP!(東京都)

2025/05/09 (金) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

誰もが葬りたい過去を抱えて生きており、その痛みを癒す そんな心を探す旅のよう。
古事記「因幡の白兎」をモチーフに、人生の罪悪感を問う物語。説明にあるように、修学旅行先の下見のため 車を走らせていたが…。気が付いたら赤い目をした兎が現れて、「人生コンティニューしますか?」と問う。続けて「ここは黄泉の国の入り口ー黄泉比良坂だ」という。

一般的に「因幡の白兎」では、嘘や欺瞞を戒め 親切で優しい心が大切だと伝えている。そして困難を乗り越えるためには、周囲の助けを借りることが大切で、自己中心的な行いは良くないといった教訓的な教え。この教訓的なことを教師1人ひとりが或る生徒との関りを通して罪悪感を告白していく。どうして この生徒と関わっていくのか、その謎めいた設定が肝。しかし、何故 教師がそれほど罪悪感を抱かなければならないのか釈然としない。だから「人生で最も愚かな罪悪感を正しく告白してください」、その追及に迫力を欠く。自分の感想は、劇作意図(対象者のこと)と反対かもしれないが…。
(上演時間1時間20分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、白い車のフロント部分のみ。ナンバープレートは 「出雲303.わ.5 09」で、修学旅行先は出雲地方だと知れる。車の後ろに黒い箱馬が並び、高い段差を設える。その左右に黒い幕。全体的に昏い中で白い車体が浮かび鯨幕のようにも思える。それが黄泉の国といった雰囲気を漂わす。物語の展開に応じてフロント部分を回転させ、職員室や保健室の場景を表す。

或る生徒の自死がキッカケで 修学旅行先を変更、その下見をする5人の教師たち。何故 修学旅行先を変更する必要があるのか不明。当日パンフがないため、教師(教科)と生徒の名前は定かでないが、台詞からサワワタリ(社会)、カラスマル(英語)、フクロタニ(国語)、イヌイ(体育)そしてコサカ(養護)、生徒はウサミ。黄泉比良坂にいて赤目兎の被り物をしていたのは ウサミ。つまり自死したのはウサミで、存命中に この教師たちと関りがあった。ここで言う<罪悪感>とは、主にウサミとの関りという限定された狭い中でのこと。

ウサミは孤児院育ちで、里親に引き取られた。里親との関係は特に描いていないが、周りからは恵まれた環境と言われていることから良好のようだ。しかし、ウサミの気持は孤児院(仲間)での暮らしのほうが幸せ、その鬱積が自閉傾向になり 保健室登校へ。カラスマルは成績優秀なウサミを更に伸ばすため、イヌイは悩みごとは何でも打ち明けろ というが、それらはウサミの癇に障る。生徒1人ひとりの個性や考え方に合わせた教育は難しい、そんな冷静な教師がサワワタリ。実は 彼も孤児院育ちでウサミの兄貴的存在。

公演では「因幡の白兎」の教訓は、前段ではなく 後段の”自己中心的”なウサミに焦点を当てているように思えた。そしてサワワタリの「教師を信じるな」は、過度に期待するなといった甘えに対する苦言のよう。罪悪感を知らず、黄泉の入り口で彷徨っていたのは、赤目兎ことウサミの方ではなかろうか。ラスト、黄泉比良坂の管理人ー赤目兎をウサミに代わってサワワタリが担うが、その役割は必要なのか?いくつかの不明や疑問が解けていないようで 気になる。
登場人物は僅か6人、その役者陣の演技は確かで、1人ひとりの立場、考え方、キャラクターを巧く立ち上げていた。
次回公演も楽しみにしております。

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