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汎愛奇譚集

汎愛奇譚集

木村美月の企画

下北沢 スターダスト(東京都)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/03/03 (日) 14:00

ある不器用な家族の冒険と東京猫を観劇!
不思議な物語で、引き込まれます。
どぶろくも頂きました。

通る道

通る道

劇団芝居屋

中野スタジオあくとれ(東京都)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

自分好みの舞台。
旗揚げ公演をした<中野スタジオあくとれ>…比較的小さい空間だが、三十三回忌法要に集まった人々の心情を描き出すにはピッタリ。登場人物は5人、そこに三十三回忌法要らしさが出ており、人の死と過疎化という世の移り変わり、その寂しさ侘しさが感じられる。

説明では北国とあったが、舞台は冬の北海道、寒風が吹いており 極寒の様子がしっかり伝わる。それを体現する演技が実にリアル。
死という必然と少子高齢化という抗えない現代日本の課題・問題もちらつかせ、それを抒情豊かに描く。

法要という典型的な儀式、事件も大きな出来事も起きないが、そこに集まった人々の近況も含め人生が語られる。そこに この劇団の「覗かれる人生芝居」の面白さを観ることができる。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は菩提寺泉水寺の一室。上手 下手に障子の衝立、中央奥に石油ストーブ、そして座卓が2台。シンプルな作りであるが、法要が始まる迄の時間を過ごす 控えの間のよう。寒風が吹いている音響、障子を開けて入ってくる住職の未亡人、そして法要に集まってくる人々が一様に石油ストーブに手をかざし尻を向け 暖をとる。その姿 様子が滑稽であるが実にリアルだ。そこに表現力の確かさを観ることができる。

役者は5人…実の父親 角田正造の三十三回忌法要を行う正一(増田再起サン)、弟の嫁<義妹> 角田妙子(細川量代サン)、そして甥の角田誠司(木の下敬志サン)、姪の赤坂奈美恵(増田恵美サン)、それに住職の未亡人 武田文子(永井利枝サン)と少ない。しかし、何の変哲もない日常会話(夫婦間や子供のこと、仕事や健康等)、その淡々とした語りの中に しみじみとした 人生が感じられるほどの演技力。自分もその場にいて 法要に出席する、そんな錯覚に陥りそう。

この寺まで、以前はバスの運行本数もそれなりにあったが、今では1時間に2本と激減。少子化の影響で小学校が廃校になり、コロナ感染も相まって過疎化が進んだと。後々分かるが、飲み屋もシャッターを閉め(シャッター商店街)、人との交流も無くなってきている。何となく地方都市の厳しい状況が分かるような。

三十三回忌法要の後は、この泉水寺(北海道)の墓じまいをし、東京へ(墓を)移すという。現実的な対応を見せると同時に、故郷との縁がだんだんと薄れていく寂しさ、そこはかとない悲しさが込み上げてくる。
先週、親戚に不幸があり久しぶりに故郷へ帰った。幼き頃に見た風景が遠ざかるようで…そんな哀愁に浸ってしまった。
次回公演も楽しみにしております。
メビウス【ダイスキプロデュース】

メビウス【ダイスキプロデュース】

ダイスキ合同会社

難波サザンシアター(大阪府)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/03/02 (土) 16:00

感動して、最後は涙が溢れ止まりませんでした✨私の中に大切な言葉が2つ残りました🍀又観たいと思います✨💞🍀

ネバーエンディング・コミックス

ネバーエンディング・コミックス

東京にこにこちゃん

駅前劇場(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

主演の辻凪子さんを初めて知ったが、一発でファンになった。表情によっては藤谷美和子さんに見える超絶美人、それでいてこの狂った世界で小学生からの十数年の物語を見事に紡いでみせた。尾田清笑(せえ)という役名だが、セイだと思っていた。

中央には開いた本の白紙のページ。上手と下手に昇降式の白い緞帳(ブレヒト幕?)があり、テンポよくカットを割る。激しい場面転換、切り替えの為のアイディア。このスピード感が人気の秘密。笑いのセンスはずば抜けている。キャラの造形が異常。まともな人間が一人も出て来ない。凄く優しいキチガイのジュブナイル。観客は大熱狂、やたら凄いことになっている。ブレイク前のバンドみたいな盛り上がり。

亡くなった母親の影響で漫画大好きな小学生、辻凪子さんが転校してくる。その学校では誰も漫画の存在を知らず、アニメの話だけ。彼女が漫画を貸してやると、皆夢中になって読み耽る。彼女と亡き母親の一番好きな漫画、『ネバーエンディング・エスポワール』(終わりなき希望)にハマって、今後の展開を考察していく皆。担任の先生(高畑遊〈あそぶ〉さん)も『ネバエン』に夢中。だが狂気を秘めた教師、尾形悟氏はそれを許さなかった。

佐藤一馬氏がされる指錠に一番笑った。上下後ろ手に手を組まされ、親指だけを毎回指錠される。凄く好きなセンス。
中身空っぽイケメン、海上学彦(うなかみまなひこ)氏は徳井義実顔。
落語家の息子、てっぺい右利き氏は落語のサゲを極めることに。
四柳智惟(ともただ)氏は四つ子の四兄弟を一人で演じ切る。
立川がじら氏と土本燈子さん父娘の秘密。

映画ならトッド・ソロンズ系になるんだろうな。必死でバカをやって、カメラが引いて俯瞰になるとどこか物悲しい感じ。いつだってフィリップ・シーモア・ホフマンはそこにいた。
笑いは味覚と同じで個々人、好みは違う。けれど、それだからこそ面白いんだと思う。自分の味覚こそ最高と信じられたから、二郎系はここまでポピュラーになった。まだ見ぬ地平を地図もなく歩き出したのだから、誰にも正解は解らない。

「思い出野郎Aチーム」の『笑い話の夜』、『楽しく暮らそう』が印象的に使われる。凄く良いバンドだ。選曲センス、キャスティング・センス、笑いのセンスは脳の同じ領域にあるのかも知れない。この作家の武器は間違いなく笑いのセンス。自分を信じて貫いて欲しい。笑いにやられたので次作も観に行く。

「こんな夜は消えてしまいたい」とよく思うけれど
今終わったら全部が無駄で何か残したくて生きる
正解でも間違いでもそれが分かるのはどうせ未来今は走るだけ
amazarashi『奇跡』

ネタバレBOX

EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)落語でブレイクするてっぺい右利き氏。ラストにもうスタンドと化した「フォール・イン・エターナル・エターナル」が炸裂。オチのない世界に落とされる尾形悟氏。

中盤で漫画のコマ風にスタッフ紹介等のクレジットが投影される。『THE END OF EVANGELION』っぽい。そこから大人編。病気の元担任の先生が亡くなる前に連載を終わらせるべく考察系YouTubeを初める辻凪子さん。どんどん作品の謎を暴いていって作品が終わらざるを得ない状況にしていく。『ミザリー』は人気シリーズ小説が終わることを知った熱狂的ファンが、作家を監禁して続編を無理矢理書かせる話だった。だが好きな漫画の最終回を描かせることが目的の話というのは初めて。凄く変わった視点。『ネバエン』を卒業していったかつての仲間達が、『ネバエン』最終回に向かって結集していく。

アフタートーク・ゲストのサツマカワRPG氏も面白かった。

ここから余談、作家が途中で死んでしまった漫画としては『ベルセルク』。作家の構想が知りたかった。こんな話に納得のいくラストなんかあるのか?
学生時代からの親友、漫画家の森恒二が30年近く前、三浦建太郎から呼び出され一週間かけて物語を完成させたという。『恐ろしい事にそれから殆ど変更なくあの時に完成したあらすじ通りに物語は進んでいました。』
今、監修森恒二、作画スタジオ我画(アシスタント達)として『ベルセルク』は連載が続いている。

そして白土三平の『カムイ伝』。非人の子・カムイと百姓の子・正助が江戸時代に固定された世襲制の身分制度の中で激しい差別に苦しむ。どうにかこの世界を変えていこうともがく大河ドラマ。カムイは「力を手にして差別から自由になろう」と忍者になる。正助は百姓達を教育して一揆の指導者となり、権力者達との闘争を率いる。元ネタとなった中里介山の『大菩薩峠』も未完で終わっている。
『カムイ伝第二部』が連載再開した時は「ビッグコミック」を毎回買う程、期待して読んでいたのだが一切本筋は進まず、ひたすら衆道(しゅどう)ネタが続く地獄絵図。脇役の男色エピソードが延々と続いた。いや、何とか完結させてくれとの願いも虚しく白土三平は亡くなってしまった。
ご長寿ねばねばランド

ご長寿ねばねばランド

劇団扉座

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/02/29 (木) ~ 2024/03/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/03/02 (土) 18:00

座席1階

劇団扉座がプロデュースしているシニア劇団、初の本格公演。かつて本家の扉座が初演した演目を、元演劇初心者も含むメンバーが取り組んだ。A,B両チームのうち、自分はAチームを拝見した。

結論から言うと、相当なレベルに達していると思われる。創設から5年、精進を重ねてきた成果が花開いている。ちょっと緩いところはないとは言わないが、せりふに詰まったと思われる場面はそれほどなく、ましてやせりふが飛んだというところもなさそうだ。それぞれ、ある程度の分量のせりふをしっかり身に着けていて、前口上で登壇した4人が語る「覚えては忘れ、忘れては覚える」という毎日だったのだと思う。

舞台はとある南のリゾートアイランド。若者が出て行ってしまい、残された高齢者が奮闘して「ねばホテル」を運営している。ホテルのオーナーは109歳、その妻84歳。客室係やシェフ、ホテルに宿泊するお客など全員が80代以上というものすごい設定だ。もちろん、実際に演じるキャストはもっと若いから見た目は若々しく、特に飛び入りで島の美人コンテストに出る女優さんは真っ赤なワンピースをまとって客席の度肝を抜いた。自分としては、パーティーに出席した時の和服がとても似合っていたと思う。
中身はお客とホテル従業員、地元の「青年団(全員80代)」が繰り広げるドタバタ劇。尿漏れに悩む元プレーボーイ風の男性、毎回注文を間違えるウエイトレスなど、高齢社会の小ネタが満載だ。しかし、高齢であっても夢を追いかけ、恋をして、前向きに生きるというこの舞台のテーマははっきりしている。だから、ドタバタ劇でもとてもさわやかだ。

上演時間は2時間ちょっとだが、何と途中に10分間の休憩がある。これはもちろんキャストたちの体力回復策であろう。劇団民芸などでは長尺の舞台をぶっとおしで頑張る名物女優さんがいるが、「働き方改革」の時代なのだから、お客さんのためでなくキャストのために休憩を挟むのはこれからはありなのかもしれないと思った。

エアスイミング

エアスイミング

カリンカ

小劇場 楽園(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

役を2時間演じきるという制約が
劇中では生きる為に彼女たちが選んだ手段であり、小さな劇場内で発せられるパッションが収容所から外の世界へ渇望する彼女たちの願いと綯交ぜになっていて圧巻でした。橘さんのパンチのある芝居と小口さんの大胆かつ繊細な芝居のバランスがとても良かったです。

ファンタスティックベイビーズ

ファンタスティックベイビーズ

guizillen

王子小劇場(東京都)

2024/02/21 (水) ~ 2024/02/26 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/02/23 (金) 14:00

とかく生きづらい世の中をどうにか生き抜こうとする人々の群像劇……と言うよりは「エッセイ演劇」的な?
コロナ禍で活動を自粛していた4年間に鬱積されたものを登場人物に擬人化し社会問題/世相を戯画化した、みたいな。
なので笑いでコーティングされているものの観ていてけっこうツラい。それでも何とか観続けられるのは「何らかの救い」を期待させるものがあるからか? そうして迎えるラストの5文字・4文字・3文字……ヤラれたぁ。しかし前振りがあったとはいえあの3文字、ズルくね?(笑)

『シン・ワ』

『シン・ワ』

早稲田大学演劇研究会

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ(東京都)

2024/02/29 (木) ~ 2024/03/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

現在・過去・神話が交錯したストーリーで、少し難解に感じましたが面白かったです。
役者さん達の演技も良く、独特の雰囲気で、不思議な世界に惹き込まれました。
音響や照明も、舞台全体の雰囲気を引き立てていて良かったです。
若者の感性を感じる良い舞台でした。

リベルテ Vol.26

リベルテ Vol.26

END es PRODUCE

本所松坂亭(東京都)

2024/02/22 (木) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

面白かったです。

​骨と軽蔑

​骨と軽蔑

KERA CROSS

シアタークリエ(東京都)

2024/02/23 (金) ~ 2024/03/23 (土)公演終了

実演鑑賞

ナイロン100℃もたまにしか観ないが、ひと際値が張るKERA CROSSのチケットを「一度だけ」と購入。久々に(確か二度目の)シアタークリエに足を踏み入れた。
芝居は一定満足できるものだった。ケラっぽい箇所(予定調和というかイイ話っぽく収まりそうになる所)につい鼻白みそうになるのをこらえて、話に集中。
名だたる、と言おうか実力ある女優陣のどのあたりがチケット代を引き上げてるのか(集客を確実にするのは誰か)、そんな事を考えながらも芝居を観ていられる事に感心したりする。まあ、水川あさみが大分引き上げてるな、との結論。演技力は並だが、他の「声のいい」女優が遠目に見分けづらいのに比べ特徴ある声が強み。演技のキレの点ではケラ舞台にあっては犬山女史、峰村女史の秀逸さが際立つ。トリックスター的な溶媒的な役柄に小池栄子女史。これが効いてこその筋書きだったりする。主役の姉役・宮沢りえは「普通」で良い。姉を妬み意識し続けて幾歳月という、これもケラ戯曲に不可欠な極端キャラに、鈴木杏。これも難しい役どころ。一度どこかで見てその実力に感服した記憶だけある名、堀内敬子がやはり存在感あり。(お値段はこれら役者のアピール度全て合算したお値段だな。いやお金の話で申し訳ない。)

ギャグについて。姉と妹が所有権の主張と敢えての遠慮とを繰り返し、ドツボに嵌る笑わせ所(リフレインで二度やる)は、別役実の「うしろの正面だあれ」の冒頭のくだりをほぼなぞったもので、ケラ氏なりのオマージュと読めて嫌味が無かった。本作は同じ装置を照明変化で庭と屋内に区別していて、庭の場面に居た小間使い・犬山へ、照明変化後、屋内の階段から、女主人・峯村が声をかける。屋内シーンでは犬山の場所は一階の一角となり、「え?私?今私庭に居るはずが・・」で笑い。この犬山が、他の者がいなくなると暇つぶしのように観客に話しかけ、会話を勝手に進めて回答を引き出し、それを今度は他の登場人物に「日比谷の皆さんが○○」と弁明に用いたりと、芝居の約束事逸脱系の笑いがケラ芝居らしく多用され、だが程よい程度に収まっていた。
本編ストーリーの語り口をそこそこ補完している重要な「笑い」だが、これが一種カモフラージュとなって後に全貌を見せるのが今作。車窓の視界を遮る木々や建物のように風景の全貌を見せず、最初に見せれば何という事もない風景を最後に見せて劇的な瞬間を作る。

ネタバレBOX

今作では時代設定は不明ながら「戦争」が行なわれており、若い男性が激減した今は戦闘員の殆どが女性と子ども、という設定。女性だけの風景が不自然に見えない。長女(宮沢)のいなくなった夫からの「手紙」が物語のアイテムとなっており、不在の男性の影がそこにある。夫は徴兵された訳でもなく「ある時いなくなってしまった」。その謎は最後に解けるが、それまでは前面化させず、手紙を書いたのが実は夫でなく、後に登場するファンだった事、また最初の一通目から全ての手紙(77通)は妹が小間使いから受け取り、姉の夫が好きだった妹は「姉のため。この手紙は姉には読ませない方が良い」等と正当化して手紙を全てせしめている事、等の奇妙な事実が観客には前面に立ちはだかっている。
こじれた「愛」の三角関係が、手紙の本当の差出人だった姉の熱烈ファンをよそに解消される大団円が訪れるが、この顛末の後が見物である。

走れ!弥次喜多

走れ!弥次喜多

神奈川県演劇連盟

神奈川県立青少年センター・紅葉坂ホール(神奈川県)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

面白かったです。

ふしぎな木の実の料理法~こそあどの森の物語~

ふしぎな木の実の料理法~こそあどの森の物語~

劇団銅鑼

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2024/02/21 (水) ~ 2024/02/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

銅鑼の舞台は幾つか目にしていて、社会派なシリアス物から人情劇風のもの、SFチックなものと色々だが、そういう「想定」からは今度の舞台は随分外れていた。勿論良い意味で。架空の「森」という世界が、舞台装置、音楽そして役人物たちの演技によって破綻なく、醒めさせる事なく形作られていたのが、自分にとっての驚きであり発見。
ただ例によって体調がやはり万全でなかったらしく、後方席で受け取る視覚・聴覚の刺激が導眠効果となり、途中幾つかの「訪問」場面が抜けた。最後も良い感じで終わっていて勿体なく思ったが、これを埋めるべく原作に当たり、舞台を想像で再現する楽しみが出来た(そう思う事にする)。
アニバーサル公演で招聘しているらしい大澤遊演出の舞台も(中なか見れていないので)拝見できたが、演出の導きでもあの世界観を作り出す(というか破綻させない)演技を銅鑼役者がやれていた事が私の中での☆三つ。

川にはとうぜんはしがある

川にはとうぜんはしがある

ばぶれるりぐる

こまばアゴラ劇場(東京都)

2024/02/22 (木) ~ 2024/02/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

同じ竹田モモコ作の「ぼっちりばぁ」(青年座)を観たばかり。ばぶれるりぐる「いびしない愛」を観たアゴラで、同じく劇団公演での竹田作品だったが、関西役者(だけでなかった)によるノリか、演出か、ある種の芝居のリズムがあり、すき間があって想像力を駆使させられる。舞台は母屋と離れそれぞれの出入口とその間の土間、また離れと言っても屋根があって雨に降られずに移動でき、屋外とは壁、扉で隔てられいるので建物は別でも「内部」。そういった設えなのだがアゴラという事もあって「離れ」との距離が近い。なのでタイトルの「川には・・」の川として見るには、若干無理があり、相互の「隔たり」がテーマだろうに近いなあ・・と終始感じながら見ていた。すのこを置く事で便利!とより実感できる距離が、理想的で、対岸に立って対峙する時の距離感も、もう少しばかり、あると良い・・等と無いものねだりをしても仕方ないが。
大分あとになって確認した所、役者は「劇団員」ではなくオファーした人たち。渋い空気出してるなあ、と思わせる妹の旦那役。妹役も関西では色々と活躍との事。姉は竹田モモコ。本人が出演していたとは露知らず。他県から移住の若者は劇団5454(今はランドリーと添えるのかな)団員、残る娘(妹の)役が一人朝鮮名がいるなと思っていた若手で、実は関西の朝鮮高校出身。高校時代に(演劇部設立が叶わなかったので)劇団を3人で立ち上げ賞を取り韓国の演劇フェスに招待された(5年前)経験を持つその一人。持ちキャラでもあるらしいハキハキした役で大人らの先を行く。そして妙に理解が良く人当たりも良い青年は元広告代理店勤務で、これも年輩の姉妹の先を行く。見た目で年齢を判断して良ければ最年長の妹の夫も飄々として若者の波長を理解していた。
という訳で、この芝居は姉妹が互いに反発を覚えながらも励まし合う関係へと「促される」お話。押さえていた(とはずっと見えなかったが)感情が最後に溢れ出る情景が美しい。
デザインの仕事を家賃無しの四国の実家で継続して行こうと決め東京から出戻った独身の姉が離れに住み始め、二十歳になろうとする姪(妹の娘)が実は絵が描けて、自分の仕事の手伝いをやらせてみてその異才に気づき、自分が一歩引いてでもその才能を開花させたいと思い始める。一方娘が地元で勤めていた手作りパン屋を休みがちになり始めた頃から妹の娘の将来への懸念と姉へのわだかまりが大きくなる。芝居の冒頭で「空き家情報」を見て内見に訪れた青年はちょうど姉の引越し後のゴタゴタの場面に立ち会い、またバイトからちょうど戻って来た娘が、住居に困った彼に別の空き家情報を提供するといった事でこの家族と知った仲となる。姉と姪が二人になると姪は「さきちゃーん」と甘え、話の出来る姉のような存在であった事が薫って来る。
竹田モモコは高知県の幡多地区を舞台にした幡多弁による戯曲にこだわった劇作家だが、田舎の事情を組み込みながら現代にアプローチする。今作では田舎に飽き足らない(その人口比は現実には高い)人の都会志向と、田舎に馴染んで育った人の田舎で完結する傾向とを対置し、妹の後者を体現させている。現実にそこまで田舎の人間関係を厭わず受け入れ、それを代々引き継いでいく事を肯定的に積極的に受け入れている人格があるのか私には分からないが、情報化の現代を最も象徴する広告代理店を離職した若者を登場させ、都市的価値観の限界と、地方の限界とを提示する作品がこの作者によって今後も生み出されて行くのはこの上なく楽しみである。

ネタバレBOX

姉と妹のキャラが逆、のモンダイ。
アーティスと志向で出戻った姉・早希を竹田女史が演じるのは配役として理解できるが、風情がどう見ても姉妹が逆であった。最初は「姉」と認識していても、見ている内に妹・陽子の方が姉だと認識していた。
姉は肩身が狭いとは言え、幼い頃から年長は生来偉ぶるのが習い性で、その片鱗が見えるとか、妹の方が少し遠慮してるとか(姉を怒らせると怖い、とか)、あるいは、一般的な形から少しはずれた風変わりな姉妹なら、それが分かる場面やエピソードがあるとか。
単純に妹が姉を「さきちゃん」と呼ぶ呼び方が上から目線。せめて「お姉さん」と呼ぶ、等があれば少し違ったかな。
そうしたディテイルは観客としては見たいものである。
姉は飛び出し、妹は地元に収まる、という設定にしたい気持ちは分かる気がするので。。
『シン・ワ』

『シン・ワ』

早稲田大学演劇研究会

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ(東京都)

2024/02/29 (木) ~ 2024/03/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ギリシャ悲劇を知っている方が楽しめるかもだがセンシティブなテーマを神話に絡めて紡いでいく脚本は凄い。
終盤はそれまでの難解さがストンと腑に落ち役者の魂こもった演技に思わず涙。シン・ワの意味を理解。言葉遊びや刑事の件など80、90年代の小劇場を彷彿と。
面白かった!

エアスイミング

エアスイミング

カリンカ

小劇場 楽園(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

怒涛の1時間50分でした。
二人芝居なのに別人格が交差して複数人いる感覚。
いろいろなシチュエーションの想像を掻き立てさせられるが、その想像を断ち切る言葉のシャワー。それらの言葉の塊が言葉そのものを無条件に受け入れさせる。
その言葉の中から徐々に二人の感情が湧き立ってきて、言葉とは裏腹な本人達の感情が強く迫ってくる。
それらの言葉と感情の嵐が、最後の二人の高笑いによって、全て止揚される。
何回観ても、いつも違う表情を見せてくれるそんな「劇」だと思いました!演じてくれた小口ふみかさん、橘花梨さん、演出の堀越涼さん始めこの作品に関わった全ての人に称賛を!

人民の敵

人民の敵

劇団東演

東演パラータ(東京都)

2024/02/21 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

工場排水による温泉の水質汚染を突き止めた医師とその対策には巨額の税金がかかるとして隠蔽しようとする町長(主人公の兄でもある)の対立軸を中心に描く骨太な会話劇。

単純な勧善懲悪ではなく、ある種のユーモアも交えて人の世の理不尽さを綴っていて面白かった。

エアスイミング

エアスイミング

カリンカ

小劇場 楽園(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/03/02 (土) 18:30

鮮烈な舞台だった。

不当な理由で収容された2人の女性。日に1時間の磨き掃除の間だけ拘束を解かれて言葉を交わせる。その会話を支えに耐え続け生き延びた50年の月日。

壮絶な内容を軽やかにときに激しくあるいはまた幻想的に美しく描いていく。

2人の女優の細やかな表情の変化に目を奪われ、二面舞台プラス角に柱があるやや特殊な形状の劇場を使いこなす演出の手腕に舌を巻いた。

しだいにわかってくるそれぞれの過去や互いの呼び名が行き来する意味などを踏まえて、できたらもう一度観に行きたかった。

エアスイミング

エアスイミング

カリンカ

小劇場 楽園(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

橘花梨さんたちの実力をこの作品でもみさせていただきました。膨大な言葉の数、テンポ感、全てがプロフェッショナルでこれからの彼女が楽しみです。

夜は昼の母

夜は昼の母

風姿花伝プロデュース

シアター風姿花伝(東京都)

2024/02/02 (金) ~ 2024/02/29 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

二度目の観劇はならず、破の序盤ステージを目にしてより日が随分経っているが、褪せつつある記憶を掘り起こして言葉にしてみる。

ネタバレBOX

風姿花伝P・上村聡史演出による優れた舞台を目にした事で、自分が作者ラーシュ・ノレーン作品への「予断」を無遠慮なまでに持っている事はまず断った上で・・。

作品はストーリーテリングのずっと手前、舞台上に存在する個体としての人間描写が、細密画のレベルで求められている、というのが私の感じ方であり、作品への願望だ。
ゆえに役者の課題は「さらけ出された人間」の提示であり、「話を進める」最小限の役割よりも、「そこにリアルに存在し得る」ありようが深い洞察から生み出される事が重要だ、と感じる。
劇が進むリアルタイムの時間は、客観的事態の進行以上に、人物の他者への影響による変化に比重があるため、ある時間経過の後に想起する(観劇中であれ観劇後であれ)時の人物の整合性、リアリティの濃さが相対的に重要になる、という風に言えるか。
高度で複雑な役者の仕事は人それぞれ、説明困難ではあるが、恐らくは「役人物」と「役者本人」との「合作」として、己の中から有用なる人物を発見し、生み出す課題となるのだろうと思う。

という事で、結論を言ってしまえば、ストーリーよりはこの芝居に登場する人物たちの人物像にどれだけ役者が迫れているか、360度包囲されている「家族」内部の関係性と構成員の人格=たたずまいと行動が緻密に描けているか、の話になる。私の関心は(劇から受け取る快楽は)、それだからだ。
そしてそれはラーシュ・ノレーン戯曲の最大の特徴が「人間(あるいは家族)」の本質の暴露だから、である。

過去上演された二つの共通点は、ドメスティックな会話劇である点。一作目は父母と息子・娘、二作目は二組の夫婦。そして本作は再び父母と二人の息子即ち現代の核家族だ。
父に問題のある家族の痛み(現在・過去ともに)は、映画の題材としても多いが、父とはそういうものである、とも言う。反面教師、越えるべき壁。
だがセクハラと強姦が地続きだとは言いつつも「傷」の程度は大きな開きがあるように、「問題ある父」の影響力も様々だろう(同じ家族でも感受性によって大きく違ったりする)。
この作品に登場する父は重症の部類とされている。ただし、作者の経験が反映しているせいかその「度合い」を客観的に測る事をしていない。(そのような他者の目を存在させていない)
父は酒乱であり典型的アル中でもあるが、芝居では「アル中」という概念で父の状態を把握する家族を置いておらず、目の前の父という具体的な存在の言動に即反応せざるを得ないドメスティックな環境がある。幾分余裕のある観客は「これはアル中だ」と脳裏をかすめても、芝居に没入する事でそうした一般的なカテゴリーでの認識は背後に退き、無力に思える。家族の成員が見る家族の風景に同化する。

さてこの父は普段は人の良い人物である。が、酒を飲んだがために無茶苦茶な事をする、全くの別人格の出現に翻弄される経験を家族は重ねた結果、酒と事態との因果関係を体験的に把握するに至る。だが忘れた頃に出現するため、一家の長を常に監視する事はできず、、といった経験を何年もの間重ね(あるいは最初は何年かに一回、それが徐々に頻度を増してきたという事も)、「現在」即ち下の息子が17歳になった家族状況を迎えている、という訳である。
父を山崎一が演じる。
この配役については私は懸念があったが、これはあくまで私が描くラーシュ・ノレーン作品のイメージに照らしてだが、やはりある線を超えられてない、というのは正直な感想。
父の一見情けなく病的なキャラに山崎氏は合っていそうなのだが、実際得意とする技をこれでもかと繰り出していたが、私の記憶と照合した所のNylon100℃による2000年前後の舞台(祖父と幻想の中の息子役)での山崎氏とほぼ変わりがない。彼一流の笑わせ術がある。その定型を駆使してうまく繋げた、という印象だ。俳優が演技を「技で繋げてる」と感じる事はあるが、上手い作劇の芝居だとストーリーへの注意が演技の細部を目立たせず、ポイントを押さえた演技をしてくれてたな、という印象を残す。役者の仕事は概ね、そういうものだと言えなくない。が、この作家の戯曲は「別」なのである。
ただ、本作は戯曲としての完成度に難があり、それゆえ細密画の完成よりは「展開」の妙、役者の身さばきの躍動を取り込もうとしたのかも知れぬ。多くの観客の納得を得る工夫は不正解とは言えない、が、私が求める快楽からは遠ざかる。「人間」の限界のリアルな形での提示は、芸術の重要な役割の一つ。話は逸れるが、どろどろな権力中枢の「人間ゆえの」醜さを、どことなく整理の付く話に置き換えて大衆に飲み込ませている欺瞞を見るにつけ、人間はもっと「暴かれねばならない」欲求が高まるのである。

4人家族の中で最も癖のある役柄は、岡本健一演じる次男だろう。芝居の冒頭は、彼が女装をして鏡の前に立ち、それを見つけた兄が容赦ない嫌悪の言葉を弟に投げ付ける場面だ。嫌悪が性的なものに対するそれなのか、自分の理解を超えた「趣味」に対する反発なのかは分からないが、弟の歪んだ人間性は後々次第に見えて来る。既に50近いだろう岡本氏が十代を演じている事に最初違和感がよぎったが、成長しない精神をもう一人の老成した自分が眺めているような爛れた性質に似つかわしく見えて来るのが不思議、というよりゾッとさせる。
兄はサックスを実際に吹く場面で技を披露していたが、家を出て自立したい願望を吐き出している相対的にまともな存在だが、最後は彼も家族のゴタゴタに関わらざるを得ず決断に至らない。これが家族の病としてなのか、行きがかり上そうなっちゃった(劇が終わる時点では)という事なのかは不明で、おそらくフィクションと割り切って書かれたなら兄は出て行くか「出て行けない」か明確にしただろうが、体験が元になってる故にそこを明確に出来なかった。(現実の家族は己の意思と、意思とは別の必然と間で繋がりが維持されている。)という事で兄の描き方はもう少し別のあり方があり得たかも知れない。
最後の曲者は母(那須佐代子)である。DVではないが酒乱で「迷惑をかける」父を見限り、絶縁するかに見えた母は、父の必死の改心の誓い、歯の浮く台詞、何度も裏切られたはずの言葉を重ねられる内に、「これが最後だよ」と軟化する態度に転じる。観客から見ればそれは父の巧みなトラップで「本当に君がいないと生きて行けない」と言いながらスキンシップに至り、性的な甘味な時間を仄めかしたのに母がフェロモンを発し始める訳だが、観客の目にも彼女の固い意志が明瞭と見えていただけに、裏切られた感は否めない。この一部始終を、次男は見ており、スッキリした顔で居間に出てきた母に次男は近づき、最近携帯するようになったナイフで母の頸動脈を斬る、という怒りの場面が挿入される。これは次男の想像の場面。現実を逸脱した場面はここともう一度、同じく次男の見る幻影として挟まれるが、次男という人間はこの過激な行動を「取らない代わりに取られる」歪な振る舞いにカモフラージュされた人格であると言える。だが掘り起こせばそこに理不尽さへの怒りがあるにせよ、現実の彼は解消できないものを抱え、現状において可能な自己防衛的な生活スタイル(学校には行けずにいる)を維持する他なく、故に家族に対して、とりわけ見切った父でなくまだ塗りしろのある母に期待があるだけに愛憎にまみれた感情が生起するといった様相である。
母は問題児である割にチャレンジをしない次男を諦めなのか敢えての突き放しなのか不明な態度も示す。元々子供への愛情に欠く性質を疑いそうになる人格で、冷酷さがふと現れる。子供に対して不敵な笑みを見せたり。子供らのためには父と離れるべき所、離れられない事を自己弁護もしない感性。家族とは綺麗事ばかりでない事を弁えている態度とも。
女性性と母性のバランスを男の子供の目線で疑う事を普通はしないが、老成した次男は無遠慮甚だしくもそれをやってのける(あからさまに言葉にして表面的な円満を壊すことはしないが)。だが糸が切れたら何をやるか分からない不気味さを湛え、これに言葉を与えるなら、愛の不結実ゆえ、という事になるのだろう。
子供は親を選べないと言うが、親も子供を選べない。親を親に育てるのは子供であったりする(自覚的でなかろうと)意味では、この次男の性質はこういう父の影響によるものだろう、と推察させる第一段階から、実は(子供にとっての味方と見えた)母の影響が最も強くあったのかも知れないと推察する第二段階、そして家族にとって最大の影響力は次男の存在にあったと考える第三段階へ。作品がそう導いている訳ではないが、有機体である家族の問題に対し、あるいは家族環境で受けたダメージを解消する課題に対し、必ず通過する思考過程をこの芝居を見ながら思い巡らしたものであった。

結論。こうした影響関係にある人間の形象という課題には、(芝居は相手からもらう、という事とは別に)単体として自分がどのような「状態」にあるかを突き詰め、己を具象として舞台上に存在させる必要がある。
山崎氏の演技は特に彼が隠していた酒を取り出して飲み、元に戻すも次男に目撃されており証拠まで突きつけられてもなお「飲んでない」と言い張るくだりが極め付けで、笑わせ、呆れさせるのだが、闇の深さ(人間の浅さ、という事であればそれも一つの闇)の出どころが見えないのが疵である。
戯曲の最後、彼がふと漏らした「とっておきの」履歴、すなわち救国軍(的な部隊)に参加していた事、これに息子らが反応し、今父親を見直そうとし始めた瞬間を切り取っている。息子らを懐柔させる手を持ち出した父、それに絆される息子らの「弱点」、としたかったのか、それとも実は父は英雄だったと仄めかす事で暗澹たる物語に光を与えようとしたのかが演出面でも不明だった。私は前者の線で徹底的にこき下ろすのが整合的だと思ったが、それらも人物像の土台があればそれなりに見えて来た可能性もあるな、と(自分に都合よく)解釈したような事である。

この話の舞台は1950年台の前半だったか。長男がサックスで奏でるのが「ディア オールド ストックホルム」。スウェーデンの古い民謡をジャズスタンダードにしたスタン・ゲッツのレコーディングがこの頃で、あるいは作者自身の経験の反映か?と想像。ここでこの曲である必要は特にないので。
この世界は、だれのもの

この世界は、だれのもの

ながめくらしつ

現代座会館(東京都)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

考えさせられる内容でした。演者の方々の息遣いが伝わってくるような迫力ある表現が凄かったです。

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