メメントモリに花束を
9-States
駅前劇場(東京都)
2020/03/18 (水) ~ 2020/03/22 (日)公演終了
終演後に拍手が無いというのは不思議な感じですね。
拍手したい内容でした。
冬の時代【3/28-29公演中止】
アン・ラト(unrato)
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2020/03/20 (金) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
二幕目が終了したあとに帰る人が結構いた。
あと居眠りする人とか。
私も少し寝た。
冬の時代【3/28-29公演中止】
アン・ラト(unrato)
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2020/03/20 (金) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
流石に木下順二の脚本。骨太で日本の左翼の抱え込まざるを得ない根本的な問題を総て取り込んでいる。
ネタバレBOX
サンジカリズム等について触れられる際にも語られていることだが、労働者階級との実質的な連携の無い点は、象徴的にこの国の西欧文明・文化移入の特質及び限界をハッキリ示している、而もこの傾向は残念ながら現在に於いても延々と続いている傾向である。(例えば哲学研究などに於いても大学で哲学を教えている教授の大多数は、単に海外の新しい兆候を持つ哲学者及び著作の翻訳と解釈のみを行い己の思想を立てない。つまりヒトとは何か? 何処から来て何処へ行くのか? なぜ、生きるのか? 生きることに意味があるのか? 等々基本的で根本的な問いを自らの問題としては考えることができないので、総てのことが猿真似に終わる。結果、生活にも己の生き死にを賭けた深い問いに自らの全存在を賭けて答えようとする努力も問い続ける過程で発見できる実に様々な層や可能性についても無自覚で、その無自覚を恥じることさえできない。このような諸々の結果として捏ねる論理の根拠も浅薄で、形式論理さえ整っていれば、論理のオーダーが整ったと勘違いしてしまうから、其処から先は一瀉千里、論理の唯一の展開である先鋭化という道しか辿れないのだ。資本論にしてもカール・マルクス本人が厳しく批判したカウツキー版を翻訳している学者が出てくるが、この辺りも自分が指摘した問題は当て嵌まる部分があろう。また、仮にマルクスが日本に来ていたら、というような仮定を立てどんなことを先ず最初にやるか? と想像力を働かせ、培ってきた本物の思考を用いて社会の諸問題を先ず事実に即して徹底的に調べ、調べた結果を徹底的に分析した上で導き出された結論を如何様に解釈するか? という視点に立つならば自ずと歴史も変わる可能性が増す。)こういったことができなかった日本の左派の消長を描いているとはいえよう。
舞台は赤旗事件(1908)大逆事件(1910)後、12月31日に設立された売文社(1919.3月迄)に集ったアナーキスト、コミュニストらのイデ闘や主義主張、官憲から睨まれるという共通性を通じ、また新たな女性を目指す青鞜の伊藤野枝などをモデルにしている人物が登場しつつ展開する。因みに千葉は堺利彦、官憲に追われ生活もままならない同士たちの生活を支える為に売文社を立ち上げた訳だ。あとは観てのお楽しみ。各観客の持っている知識や思考によって様々な観方のできる作品である。
時代絵巻AsH 番外公演 『鬼人幻燈抄〜水泡の日々〜』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
2020.3.14㈯ PM19:00 池袋シアターグリーン・BASE THEATRE
雨から束の間の春の雪へと移ろい、ひらひら雪の舞う土曜日の夜の池袋をシアターグリーン・BASE シアターへと時代絵巻AsH番外公演『鬼人幻燈抄~水泡の日々~葛野組』を観に足を運んだ。
幕が開いた瞬間から、引き込まれ気がつけば冷えた身体がいつの間にか暖まり、いつきひめである白夜(櫻井彩子さん)と幼なじみで巫女守である甚太(村田祐輔さん)の互いに抱く恋心を自らの胸の奥底に沈め、白夜は集落の者たちと集落の繁栄の為に、鬼に殺された先代のいつきひめだった母の後を幼くして自らの意思でいつきひめを継ぎことを決め、その決意を美しいと思い支える事を選んだ甚太の二人以外には誰も、理解し得ない生き方と思い、二人に想いを寄せる者たちとの気持ちと想いの掛け違えが招いたやり場のない悲しみと痛み、それぞれがそれぞれの成すことを成すために、翻弄され、掛け違え、すれ違い、奪われて行く命、誰よりもかけがえのない白夜を誰よりもかけがえのないと思っていた妹鈴音(辻村りかさん/伊藤優希さん)の甚太への想いの暴走が己が中に眠っていた鬼を覚醒させ殺した鈴音への烈しい甚太憤りと葛藤、そこから170年後の現代に現れた甚太の佇まいに涙が溢れていた。
原作を読んでいた時から感じていた、鬼の血を引く鈴音の鬼を覚醒させた遠見の鬼(生粋万鈴さん)にしても、遠見の鬼と共に葛野の集落を襲う剛力の鬼(黒﨑翔晴さん)もまた、自分たち鬼が人々に忘れられ、この世に存在しなくなり物語の中だけの存在になる事を阻止すべく、何の恨みもない葛野の人たちを殺め、鬼神となり、鬼をこの世に留め、忘れ去られないようにする為、自分たちの居場所を残すために、白夜を、葛野を襲いはしても遠見の鬼も剛力の鬼も何処かにすまなさのようなものを抱えているのではというのを、生粋万鈴さんの『あんた達には悪いけどね』のひと言で強く感じた。
遠見の鬼と剛力の鬼も互いを想い、それでも尚、鬼族の未来の為に、喩え自分たちが犠牲になっても、心ならずも鈴音を利用し、何の恨みもない葛野の人達を犠牲にしても、自分たちが成すべきことを成すために犠牲にする。
白夜は葛野と葛野の民たちの為、甚太はそんな白夜の為、互いの恋心を胸に沈め、いつきひめと巫女守として、共に葛野を守る事を選んだ。
これも、ひとつの愛のかたちである。しかし、それを理解し得る者は多くはない。それは、恐らく、白夜と甚太の二人しか理解し得ない思いだったろう。
だからこそ、白夜を想い、ただ白夜の傍に居られればいいと思いながら、甚太に嫉妬しつつも、白夜への想いを誰にも明かさなかった清正(愛太さん)は、甚太とは母の違う、鬼と人間の間に生まれ鬼の血を引き、父に虐待されていた自分を守ってくれた兄甚太へ思いを寄せながら、兄が白夜と幸せになることを信じて、想いを抑えていたのに、息子可愛さから清正といつきひめを後継を成すためとの大義名分で妻せ(めあわせ)ようとした葛野の長(垣内あきらさん)の説得によって清正と夫婦になることを決めた白夜を憎み鬼と化し、鈴音が白夜を殺めるという悲劇へと至ってしまったのではないだろうか。
それぞれの成すべきこと、掛け違い、すれ違う想い、もし、鈴音が白夜と甚太の決めた生き方が、誰よりも二人を強く結びつけ、真から互いを思う愛のかたちであったのだと知っていたなら、この水泡の日々は無かったのかも知れない。
此処に出てくる誰もが、誰しをも思っているのに、それぞれの持つ思いと生き方、成すべきことを掛け違い、理解し得なかった事が引き起こした悲劇が胸を抉る。
人の命も、鬼の命も、流れ行き、過ぎて行く時は、全て儚い水泡。その日々の中で、確かに白夜も甚太も生きた。
二人の日々は、喩え水泡の日々でも、170年後の現代にも白夜と甚太の守ったもの、思いは子孫へと引き継がれ、儚い水泡ではない。そんな事を、次から次へと胸に去来した舞台だった。
文:麻美 雪
安らかな眠りを、あなたに YASUKUNI
燐光群
劇場MOMO(東京都)
2020/03/20 (金) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
満足度★★★★
タイとの共同制作というと「赤鬼」が浮かぶ。国際共同制作という点では、野田の場合は、自分の作品を、世界各地で上演してみる、燐光群の場合は、地域先行で東南アジアの各地と、混合型というか、できるところから共同で作ってみる。今回は本もタイで俳優も来ている。共同制作だからただ役割分担しただけでなく、現場の交流も重ねてのことである。
タイは日本に親しい国の一つであるが、もちろん国情は大いに違う。お互いの理解も距離があるのはこの二つの「共同制作」を見てもよくわかる。
今回の本は、日本の靖国問題がタイではどのように見られているか、というケーススタディになっていて、勉強にはなるが、演劇的に見て面白いかというとかなり苦しい。観客の中に政治的な意識の側面が抜きがたくあって、それがコロナ騒ぎの中で靖国問題を取り上げた芝居を見るという営為とバッティングする。芝居が靖国から広がっていかないのだ。
現実のタイとの関係で言えば、外国人労働者の問題がある。身近な小さな会社でもタイの人を迎え入れて、たぶんお互いに初めての国際経験をしている。こちらは人間的に具体的で面白い。そういう素材は中津留に任せて、と言わないで、現実的な話題から入った方が実り多いのではないかと思う。85分。
紙とダイヤモンド
Dotoo!
駅前劇場(東京都)
2020/03/25 (水) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
満足度★★★★
電夏の新野アコヤが出るというので、初の劇団Dotoo!。質の高いコメディ作品だった(^_^)v。1996年に別名で初演され、2010年に本タイトルに変えて再演されたものの再々演だそうだが、手慣れた感じが出ていたのは確かだ。どんな結婚式でもやってみせるウェディングプランナー会社のマジカル・ウェディング・ラボにやってくる、あれこれ様々なワケありカップルたちが起こすテンヤワンヤを描き、温かい物語が展開される。タイトルは、1年目の紙婚式から60年目のダイヤモンド婚式までという意味だ。
なお、劇中で使う大道具の観葉植物が私の方向に倒れてきて、すんでのところで押さえたけど、終演後、スタッフからも役者からも気遣う発言は一切なかった。もし誰も気づいてないとしたら劇団として問題だと思う。
ミュージカル ひとりアフターファイブ!
舞台の企画と製作委員会
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2020/03/23 (月) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
満足度★★★★
婚活する男女の恋愛を描いた舞台でした。ミュージカルにしては、歌もダンスも少なく、個人の歌唱レベルも「・・・」という印象でしたが、明るく楽しい雰囲気で、観ていて笑顔になりました。そして、登場人物を応援する自分がいました。テーマ音楽が印象的で、ずっと頭を流れました。楽しい時間を過ごせました。面白かったです。
野鴨
ハツビロコウ
シアター711(東京都)
2020/03/24 (火) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
会話のやりとりに、にんまりするところがたくさんあった。熱演で二時間十分、あっという間に過ぎた。日本人が演じるのだから、外国人らしくなくても十分、楽しめる。
紙とダイヤモンド
Dotoo!
駅前劇場(東京都)
2020/03/25 (水) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
黒い砂礫
オレンヂスタ
七ツ寺共同スタジオ(愛知県)
2020/03/14 (土) ~ 2020/03/22 (日)公演終了
満足度★★★
「山に消えた女性の足跡をたどる」
ネタバレBOX
四角いブロックが組まれた舞台上は凹凸が目につき、SEの風音が耳に入る。明転すると、山中で人気登山家の前地悠子(宮田頌子)がビデオカメラを使い自撮りをしている。場所は変わり大学の研究室。准教授の前地弥太郎(今津知也)が妻の悠子の自撮り映像を観ていると、登山家の屑木和伸(松竹亭ごみ箱)に平謝りされる。悠子は屑木と一緒にネパールのK2に挑み命を落としていた。悠子の死には不審な点が多くやがて彼女を取り巻く人々が登山隊を組みK2へと挑み、厳しい環境に直面しながら悠子の足跡をたどっていく。
K2とはインド・中国・パキスタンに横たわるカラコルム山脈に位置する標高8,611メートルの高峰で、その遭難率の高さから「非情の山」と恐れられているそうだ(公演パンフレットより)。これまで登山に親しみがあったわけではない作・演出のニキノコスターはさまざまな資料にあたり本作を書き上げたという。私は登山に明るいわけではないが、登山道具や大学登山部の練習風景、入山前の健康診断の様子など細かなところまでよく取材したものだと感心した。本作の主軸は「非情の山」に挑む人々とその過程になるわけだが、それ以外の場面にもきちんと気配りしている点がいい。
登山者を演じた俳優たちは険しい山道を進む姿を手足を大きく動かして表現していていかにもそれらしい。なかでも撮影をしている田部敦子を演じた大脇ぱんだが緩急自在で面白い。
反面、人間関係が込み入っており時間や場所が頻繁に移動するため、物語の筋の把握には一定の困難がつきまとった。登山シーンが本作の白眉であるからには、もう少し焦点を絞ってもよかったのではないだろうか。くわえて説明的な台詞やBGMが土臭くエネルギッシュな身体表現・照明変化とミスマッチを起こしているようにも感じた。
悠子が「非情の山」に挑んだ理由から女性登山家について問うという作者の企みは中途半端になってしまったという感は拭い難い。しかし悠子を演じた宮田頌子の芝居は印象に残る。登山中でテンションが上っているとはいえ感情過多で、なんらか事件を引き起こすような危うさをうちに秘めているかのような熱演を見せてくれた。今際の際で幻覚に取り憑かれる狂気じみた表情、妹の凛(暁月セリナ)の幻影とあやとりをする姿は忘れがたい。
なお、上演と直接は関係ないが、この劇団の感染症対策が他と一線を画す入念さであった点を記しておきたい。
インテリア
福井裕孝
THEATRE E9 KYOTO(京都府)
2020/03/12 (木) ~ 2020/03/15 (日)公演終了
満足度★★★★
「ものを動かすことへの執拗なこだわり」
隣席には戸惑いの表情を浮かべている人がいたが、私は一瞬たりとも飽きなかった。まるで生活音をBGMにした日常動作という振付のダンス作品を観ているような心地になった。
ネタバレBOX
上演が始まると手前のドアから男(金子仁司)が入ってくる。手を入念に消毒し洗面所の鏡の前で身支度を整える。ソックスを履き直し、ビニールをたたみ、ズボンの上から尻を叩いて「オシッ」と声を上げる。少しすると男は外出する。この間せりふは一切ない。
客席から全体を見下ろせる舞台上にはソファや机、ペットボトルの飲み物や電灯、絵画や飾りなど、自室に置いてあるものが所狭しと並べられている。観客は主宰から、自宅のインテリアを持参して舞台上に設置するよう事前に呼びかけられていた。ものの配置から推察するに、何部屋かに区切られているように思われる。
今度は後方のドアから女(石田ミヲ)が入ってくる。机の上に加湿器を置き水を入れて顔面に蒸気をあててくつろいでいるようだ。先程の男との関係はよくわからない。そしてこの間も一切のせりふはない。舞台上にはただものが出す音や演者の出す音が響くだけである。
この調子で演者が自室でやっている動作を続けものを動かしたり置いたりして1時間半近く上演が続く。男も女も同じような動作を繰り返す。途中別の女が入ってきて絵画や美術作品(と思しき物体)を置き移動させる。そうして最後はこの三人がものを全て一箇所にまとめて終幕する。
本作は劇作家の書いたドラマではないが、観客はいくらでもドラマを想像する余地がある。ここまで思い切った上演を実現した福井裕孝の企みは興味深い。観終わってから自室に置いている「インテリア」とはなにか、私は考え直さざるをえなかった。また台詞なしで動きだけにもかかわらず丁度いい間で実演をした演者たちも見事である。時節柄入念な手洗い、うがい、消毒という動作にもリアリティを感じた。小津安二郎やロベール・ブレッソンの映画で描かれるような体の動きへの執拗な注目を想起した。
そうしてくると徐々に演者がものを動かすというよりはものが演者を動かしているような心地にもなってきたから痛快であった。インテリアひとつとっても、ものをある場所に動かしたりそれをもとに戻したりするには相応のエネルギーが必要である。高校時代の化学や物理の授業で習った熱力学の法則を思い出した。
一点不満が残るとすれば、本作のコンセプトである観客が自室のインテリアを舞台に持ち込み、上演で使われたそれを持ち帰ることの意義があまり伝わってことなかったということである。ここは再考の余地があるのではないだろうか。
HOMO
OrganWorks
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2020/03/06 (金) ~ 2020/03/08 (日)公演終了
満足度★★★★
「振付の拮抗と調和で描く人類の新時代」
漆黒の舞台面から金属性のワイヤーでできた突起状の物体が生えている。男たちが無言で先端を撫で感触を確かめている様子はさながら未知の物体に触る動物を見ているかのようである。少し経つと客席から向かってやや上手側に建つ赤い柱のあたりにいる男(東海林靖志)がその場に横たわる。こうして「2020年人類の旅」なる『HOMO』は静かに幕を開ける。
ネタバレBOX
この作品には三組のダンサー群が登場する。人類最後の生き残りであるHOMO(柴一平、薬師寺綾、渡辺はるか)、一つの人格を複数人で共有する未来の人類LEGO(町田妙子、佐藤琢哉、小松睦、池上たっくん、村井玲美)、歌声でコミュニケーションをとる旧人類CANT(平原慎太郎、高橋真帆、浜田純平、大西彩瑛)。この三組の踊り分けと調和が本作第一の見どころである。
ぜんまいじかけの人形のような角々した動きのHOMOは、エッジが効いた動きが新鮮だが見ているうちに滑稽にも物悲しくも見えてくる。白い衣装が印象的なLEGOは手足をよく伸ばしエレガントな群舞で魅了する。特に女性ダンサーのフリルが黒一面の舞台に美しく旋回して鮮やかである。そしてCANTは下半身の動作とうめき声で相互理解を図る。ダンサーたちは体を密着させたりオランウータンのような鳴き声を上げたりしていて思わず笑みがこぼれる。付言するとこのダンサーのカテゴリの詳細は、会場で販売されていたプロダクション・ノートで鑑賞後に知った。しかし舞台を観ただけで如上の分類はある程度理解することができた。
三組のダンサー群は序盤から中盤にかけてはそれぞれが見せ場をこなす。たとえ舞台上に並んでいたとしてもHOMOやCANTがいる横をLEGOは空気のように通過するだけといった具合で干渉し合わない。彼・彼女らはやがてすこしずつ絡んでいく。この絡み方が面白い。異なる振付や身体の差異があるダンサー同士があるときは拮抗し、またあるときは調和して舞台上にイメージを創り出していく。それは鋭角的でありながら滑らかさが感じられた。きわめつけはハイライトの群舞。しだいに三組の振付の差異は無くなり舞台上に所狭しとダンサーたちが交錯してひとつのうねりのようなものが立ち上がっていく。
音楽(熊地勇太)は近未来的でありながら土臭い粗暴さをのぞかせる。ビート音やノイズが中心だが時折息遣いや鈴虫の声に似た音色が挟み込まれ、人工的なもののなかに天然由来が入り込むゾクゾクした感触が心地よかった。
ラストにHOMOの女性ダンサーがなにかを見つけようと光の指す方向で体を向けるところにLEGOの女性ダンサーが絡み、包み込むようにして体を預ける。そうするとそれまで絶望的な表情であったHOMOの表情がすこし和らいだようにも見えた。作・演出・振付の平原慎太郎が参照したというスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』は、旧人類のメッセージをもとに行動した人類が新人類へと進化するまでを、雄弁な説明を入れず視覚的・音楽的に描いた。本作のラストを人類に対する新人類からの前向きなメッセージととるべきか、はたまた終息の予兆ととるべきか。私はまだ考えあぐねている。
是でいいのだ
小田尚稔の演劇
SCOOL(東京都)
2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了
満足度★★★
「本質へ迫る思考の運動」
ネタバレBOX
本作には5人の男女が登場する。大地震が起きた日に帰宅難民となり、被災地の実家を案じながら都内各所を歩き回る就職活動中の女、夫との関係に悩み離婚しようとしていた女、その女に声をかけた文系学生と、復縁を持ちかけようとする夫、そして学生生活や社会人としての日々を回顧しながらフランクルを読む女。以上の人物がそれぞれの身の上話を淡々と語り、舞台上の場所と時間が交錯している。全容を掴むためには強い集中を要した。
私が面白いと感じたのは、俳優の語りが切り替わりるときの舞台の表情の変化である。ある俳優は登場したやにわに観客に向かいひとり語りを続ける。そしてその状態からべつの俳優と会話を交わす。そして会話をしている途中にもひとり語りが挟まりまた会話に戻っていく。
ここには三種類の語りが存在する。独白、対話、そして傍白。この切り替わりはスムースに行われるために見逃しやすいのだが、語りのスイッチが入れ替わるごとに俳優の身体性、方法論が変化する。この切り替わりを照明や音響ではなく俳優の肉体のみで舞台上に乗せ、瞬時に変えようと見せていた点が面白い。
とはいえこの手法だとごまかしがきかず俳優の力量があらわになってしまうため、まだ手探りな状態で演じている者と自家薬籠中にしている者とでは力量の差が出てしまう。なかでも復縁を考える夫を演じた橋本清は、さすがに初演から同役を演じ続けているというだけあって存在感が抜きん出ている。自然とほかの俳優が見劣りしてしまった。
もう一つ、この作品が舞台上に再現した都市の感触は忘れがたい。大掛かりな装置を入れられないSCOOLの白壁にミラーボールや模様で型どられた照明が当たる。そこで文系学生と女が六本木をデートし、OLが別れた男からもらったサボテンの話をしたりする。そこで都会の孤独、きらびやかな灯りが当たらない闇の深さ、物質的には満たされているものの精神的には空虚な都会人の姿が浮かび上がる。本作には都内の地名や映画、音楽や思想などさまざまな固有名詞が登場するが、それらの響きが次第に空虚で、虚飾にまみれたものに聞こえてきた。
上演に先立ち発表された本作の小説版を読んだが、似たような語尾の語りが連続するため舞台版を観るまでは登場人物の人数や性別、関係性を正確には把握することができなかった。しかし上演を観たうえで考えると、小田尚稔が演劇と小説で試みたかったことは、人間は他者をどのように識別するのかという問いを提示することだったのではないだろうか。自分は他人とそんなに違っているのか、違っているとすればそれは何なのか、それは言葉か、それとも肉体かーー本作を観終えたあとに湧いたこれらの問いに対して私はまだ答えを出せないでいる。
本作が小田の企図するとおり、東日本大震災の出来事とカントやフランクルの思索との接続が成立しているのかどうかは私にはわからない。文系学生と女の淡い恋愛模様の破綻であるとか登場人物の身の上話にはあまり興味が湧かなかった。ただ舞台の表層を剥ぎ取り、深く掘り下げてより本質的なものへと接近しようとする思考の運動を体験できたことは、他では得難いものである。それは理論を追い求める哲学者の如き鋭利かつ地道な取り組みの成果だと私は思う。
ゆうめいの座標軸
ゆうめい
こまばアゴラ劇場(東京都)
2020/03/04 (水) ~ 2020/03/16 (月)公演終了
満足度★★★
「現実と妄想が行き交う巧みな作劇・演出」
劇団ゆうめいが過去の上演履歴のなかからこれまで活動の軸となる三作品を再演する企画「ゆうめいの座標軸」。2019年上演の『姿』上映会やワークショップ発表会を含む大型の催しである。途中『俺』のダブルキャスト中止や『あか』の上演中止が決定。私は上演作品の『弟兄』と『俺』を観劇した。以下の記述は『弟兄』の初日公演を中心としている。
2019年にMITAKA"Next"Selectionで上演された『姿』は、三鷹市芸術文化センター星のホールの広い空間を目一杯使った力作で、2時間近く全く飽きなかった。今回はこまばアゴラ劇場の小空間をどのように使おうとしているのか、期待しながら劇場へ向かった。
ネタバレBOX
場内に入るとブラスバンドによる『ルパン三世のテーマ』や『風になりたい』『LOVEマシーン』の演奏が耳に入る。舞台上に10枚ほど並べられたキャンバスには油絵のような抽象画が飾られている(これらの絵画の由来は『あか』で明かされるとのことだった)。中学・高校の放課後や学園祭の風景を思い出す客入れである。
作・演出の池田亮本人を投影していると思しき主人公の池田(中村亮太)は、中学時代の壮絶ないじめ体験を観客に打ち明ける。舞台上には中学時代の池田(古賀友樹)が登場しその傍らに現在の池田が寄り添いながら物語を進めていく。いじめっ子へ復讐を夢想し、自殺をしようにもできなかった日々を乗り越え高校に進学した池田は、陸上部で親友と出会い、やがて彼を弟と呼ぶようになる(演じるのは古賀友樹・二役)。幸せな時間がずっと続くかに思えたが次第に暗雲が立ち込め……やがて池田は演劇と出合い自身が負った体験を劇化する術を覚えるのだった。
本作第一の魅力はせりふの巧みさである。池田と弟はふたりきりでいじめ体験を茶化しながら湿っぽくなく打ち明け合う。「二人でスイーツパラダイスに入って浮きまくったのを誇ったり、ドンキホーテにいる不良カップルへ気付かれないようにウインクしまくる回数を競ったり」というような逸話も固有名詞の入れ方が絶妙である。やや若書きでぶっきらぼうに聞こえはしたが、作者が書きたかったことはきっとこの弟との日々にあると思えたし、後に知ることになる悲劇を思えばこの二人のやり取りは輝いて見える。
現実を徹底して描く一方、そこに入り込む夢や妄想は強烈な印象である。池田はいじめっ子たちへの復讐をノートに記していたが、それを成し遂げることはできない。代わりにどのように復讐したかったが舞台上に再現される。いじめっ子が飼い犬に食い殺されるであるとか、いじめっ子の家がザリガニの大群に乗っ取られるであるとかが、犬のぬいぐるみや家のミニチュア模型など手の込んだギミックで描かれて面白い。なかでも成長した池田が彼女(鈴木もも)と寝そべっているときに悪夢にうなされる場面は、おかしいながら生々しくもあり苦い見ごたえがした。
さらに音楽の使い方がいい。中学時代の池田は自殺を図ろうと屋上へ登る途中で、高校生たちが部活の顧問のため長渕剛『乾杯』を練習する様子を目にする。稚拙な演奏がサビに近づくにつれて感極まる。この演奏を聞いた池田が「(自分のことを)殺せねえよ」と漏らす場面が目に焼き付いた。また弟が好きだった椎名林檎『女の子はいつでも』が、成長したいじめっ子(小松大二郎)からの逃亡に使われる幕切れが切ない。
2017年2月に初演、同年9月に再演した『弟兄』の三演は「トラウマティックな思い出を消化し劇化したことで実人生がどう変わったか」と銘打たれている(「CoRich舞台芸術まつり!2020 応募公演への意気込み」より)。冒頭の説明でいじめっ子たちに許諾を得て劇化し仮名化、一部にフェイスブックをブロックされたとの説明があったり、成長したいじめっ子に対していじめ体験を劇化していると激白する場面を見ればその企図はわかるものの、やや食い足りないと感じた。それは許諾を得る過程でモデルとなったかつてのいじめっ子たちとどのようなやり取りを交わしたのか、という点をさらっと流したことに覚えた違和感に端を発している。たとえば『俺』の主人公がスマートフォンのアプリを用いて自身の体験を実況中継したように、より現在進行系で内面を吐露する手法を採用すれば本来の上演意図に近づいたのではないかと感じた。
また、なぜいじめっ子は池田をいじめたのか、いじめに走らざるを得ない動機は深くは掘り下げられないため図式的に見えてしまった点は拭い難い。「死ね」という紙を貼られたりザリガニを食わされたりしたいじめのエピソードは強烈ではあるが、被害者の告白にウェイトが置かれすぎており加害者側の言い分が軽視されていると感じたのである。『姿』で描かれたような、両親の不和や虐待がいじめと連関するような場面があってもよかったのではないだろうか。
メメントモリに花束を
9-States
駅前劇場(東京都)
2020/03/18 (水) ~ 2020/03/22 (日)公演終了
Leo of hearT 〜怪盗レグルスからの予告状〜
天華楽喜
新宿スターフィールド(東京都)
2020/03/18 (水) ~ 2020/03/24 (火)公演終了
Leo of hearT 〜怪盗レグルスからの予告状〜
天華楽喜
新宿スターフィールド(東京都)
2020/03/18 (水) ~ 2020/03/24 (火)公演終了
満足度★★★★
シンプルな謎に、王道な感じの謎解き、面白かったです!
途中のやりとりは好みが分かれそうですが、
楽しくて良かったのではないでしょうか⁉︎
ただ、台詞を噛むのが多かったのが気になってしまいました
『4.48 PSYCHOSIS』(4時48分精神崩壊)
一般社団法人PAIR/PARADISE AIR
SPACE EDGE(東京都)
2020/03/20 (金) ~ 2020/03/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
サラ・ケインが精神崩壊していくさまがパンクオペラに!!楽しめました。公開リハにもお邪魔してまだ完全ではない歌とか稽古をしている様子を見ていたので本番がすごく楽しみでした。サラ・ケインのテキストに合わせ全曲、鈴木光介さんが作ったとか、歌って演奏してすごい!!倍音も入っていたし(笑) そして小野友輔さんの歌、中西星羅さんの歌声、滝本直子さんの表情、みんなが一つとなって奏でるオペラに心が躍り歌った。英語の歌詞なのにストンと腑に落ちるというか、友達、医者との会話が入ってきた。枝光本町商店街アイアンシアターでの公演も気になります。
ただ残念だったのが、この状況のため葉名樺さんのダンスが観られなかったこと。ドラマトゥルクのニーナ・ケインさんの話が聞けなかったこと。ぜひ、全員揃ったところで再演を望みます。
トイレはこちら
劇団東京乾電池
アトリエ乾電池(東京都)
2020/03/20 (金) ~ 2020/03/22 (日)公演終了
満足度★★★★
期待通りの面白さ。別役実さんは生きている!!しかも座長の柄本明さんが入り口で一人一人をお出迎え。観て良かった。
新雪之丞変化
Project Nyx
ザ・スズナリ(東京都)
2020/03/19 (木) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
満足度★★★★
歌舞伎や映画で有名な『雪之丞変化』を小劇場に向けて戯曲化されたものを、女優だけで演じる女歌舞伎として上演する試みだが、独自性もある面白い作品になっていた。物語は、両親の仇を討つため芝居一座の女形として江戸に出て来た雪之丞が、仇の娘を籠絡して仇を討とうとするが、最後に…、というもの。基本的なストーリーは変えていないが、Nyxらしいアングラテイストもふんだんに交え、BUCK-TICK楽曲も折り混ぜてのエンターテイメントとして、しっかりした作品になっていた。女優陣も熱演だが、幼い頃の雪之丞を演じる河辺珠伶は、中学校の卒業式の翌日に本作の初日を迎えるという若さで、身体能力の高さを見せる等で驚かされてしまった。