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2020年度 1-10位と総評
モマの火星探検記

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モマの火星探検記

少年社中

何度目かの再演。
再演されるたびにブラッシュアップされ、何度観ても何度でも胸いっぱいになる、感動をくれる。
舞台いっぱいの星空、満天の星空があまりに綺麗で、いつまでも見上げていたくなりました。
良い舞台は何度観ても良い、浴びに行きたくなる、この観劇体験は幸せ。

MATCH

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MATCH

ステージタイガー

ステージタイガーの舞台は、いつもそこに上っ面ではない確かな心があり、人生がある。
台詞にされてない想いまでも、ひとつの場面から、深く豊かに感じさせてくれる。
ここ数年、もう観るたびごとに、それは増すばかり。
故に、観て持ち帰るものがおおきくて、2時間という観劇体験以上のものをいつも頂いてしまう。
舞台というものは創作物、でも作り物じゃない、板の上にあるものは全部本物、そう思わせてくれる。
そこにいる人達の想い、人生、描かれないこの先の人生、ここに至るまでに歩んできた人生、想い馳せる。
観た後々までも、ずっと頭の片隅に心の内側に有り続ける、そんな舞台でした。
平十郎も、さつきも、勇吉も、それぞれに出会い、経験を経て、変化してゆく。
それは人生であり、生きていくということであり、それを舞台の上で生の質感で観せてくれた。
本当に大変な世情の中、こんな素晴らしい舞台をありがとうございました。
観る前から、観てる間も、観た後も、たくさん幸せ頂きました。
これぞまさに鉄壁の対策という信頼感、これぞまさに生きた生の舞台。
熱かった!笑った!泣いた!感動しました!
また必ず、どこかの劇場で。。。

「アルバート、はなして」

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「アルバート、はなして」

彗星マジック

初日に劇場で、さらに配信チケットでアーカイブを観させて頂きました。
なんと1枚買うだけで、全公演のアーカイブが一週間観放題という太っ腹。
彗星マジックは観劇三昧Liveで全公演生配信、客席後方からの定点撮影というスタイルでした。
アルバートとウルズとの対話。
ウルズはアルバート自身が、自身の中に生み出した存在。
思考する中で、自分の思考の対話相手として生み出した存在。
その存在に過去の女神の名前をつけてしまったせいで、アルバートの意識の中でウルズは過去でしか存在できないと定義づけてしまった。
ウルズを過去でしか存在できないものにしたのはアルバートのその定義づけのせい、つまりはアルバートの意識次第でウルズはどこででも存在できる。
名前とは存在を象徴するもの、存在は名前に縛られる。
現代でも姓名判断などがあるように。
そして無意識化ではアルバートも分かってた。
分かっていたから、出現できなくなったウルズの次に、現在の女神の名前、ウルズと名付けた。
しかしそのウルズでさえも、現在というものに対する己の定義付けにより手放してしまう。
同時に考えることをも手放してしまう。

世界は不思議に満ち満ちている。
分からないことを、明らかにされていないことを、どう考えるも、自由。
考える自由がそこには存在している、こうであらねばならない、こうであるはずがない、そんな枠はない、自身を枠の中に押し込めて、枠の中に囚われてしまうのは、自分自身、自身の思考。
歳を重ねて経験を積み重ねていくと、子供の頃にもっていた思考の自由をその経験によって失ってゆく。
あんなに世界の不思議を思考することを楽しんでいたアルバートも、歳を重ねることで次第に無意識にあるいは意識的に、自身を縛ってゆく、思考する自由を手放してゆく。
死の間際、3に縛られていたアルバートは、3の次には4があることに気が付く、限界の向こう側があることに気が付く、枠の外側があることに気が付く、思考の自由を思い出す、何をどう考えるも自由だったのだということを思い出す。
その瞬間、死によって身体だという枠から解き放たれたアルバートは魂だけの存在になり4次元の世界へ自由に飛び立つ。
冒頭から自分に関わる全ての人々を暖かな眼差しで見守り続けていたのは、このアルバート。
4次元の世界で時間軸を移動する、過去の自身と周囲の人々を見守り辿ってきた思考を辿り直す、そして辿り着く。
辿り着いた先にあったものは、ウルズとの再会。

また同じように父ヘルマンも臨終を迎えて魂の存在になった瞬間に4次元を悟り、それまではアルバートを通して存在を認識していたウルズに出会う。
妻が最期の別れを言ってた時には、その身体からは既に魂は離れている。

好きなシーン。
マヤが両親を説教するシーン。可愛い、とかく可愛い。コブシはグーで膝の上!がもうとかく可愛い。
アドルフがフリッツを伴って社長室を訪れるシーン。ここは初演でも面白かったけれども、中川さんの一人芝居もまた面白かった。
離婚調停のシーン、貧困時代を支えてくれた献身的な妻をよそに、母親そっくりな女性と本気の浮気をするというマザコンっぷりを発揮した、なかなかに泥泥な状況にも関わらず。
とってもコミカルに演出されてて、とっても楽しい。
女神ふたりの実況面白いし、ミレーバ可愛いし、エルザ憎めないし、アルバート情けないし。
アルバートの晩年の病室のシーン。この劇中最も終始愉快だったシーンな気がする。立花さんのコメディ手腕がいかんなく発揮されてる。
4次元へと解き放たれた魂の出発点のシーン。ここのシークエンスは初演から好きだった。アルバートの人生に登場した様々な人々の元を巡る。巡る。巡る。時も場所も越えて。とても彗星マジックらしいと思う。好きだ。ここでは誰ももう何も取り繕わない、むき出しの魂だ。

主に焦点が合わされているのはアルバートの人生だったけれども、
暗黒の時代に、信仰だの人種だのに翻弄されたフリッツ、アドルフの人生も、生々しさを伴って描かれている。あまりに物悲しい。悪役を担っている人でも、産まれた時からそうであったわけではない、そこには理由がある、そうなるに値する理由が。運命の哀しさ。

アーカイブを観直す時に、ツイキャスで聞いたSEの3について注目してみようとは思ったのだけれども。
観てる最中に、その意識はノイズで、邪魔だなって思ってしまって、探すのをやめてしまいました。
意識してなくてもそれでもそういう仕掛けというものは、無意識化に働きかけてきて心地よく観させてくれるもの。
舞台の世界に厚みを増してくれる。
何かしら軽いな~という印象を受ける時というのは、そういう丁寧な仕事がなされていない場合なのかもしれない。。。

これまで様々な折につけ、一度ちゃんと相対性理論読みたいと思い、いまだ未読な現状。
相対性理論そのものではないけれども、興味が沸いたアインシュタインの生涯にも触れている、相対性理論を楽しむ本というものをようやく買いました。
まだ一文字も読んでませんが、買ったからには、読書の秋な間には完読を目指したいと思います。
時間とはなんなのか、ということを考える時の材料にしたいです。
そう考えることは自由、何をどう考えるも自由、考えることは楽しいことなんです。
台本も読みたい、まだ2020年度版は一文字も読んでない。

アーカイブで千秋楽のカーテンコールを観ていて。
おひとりおひとりのお顔観ていて。
あぁ、なんて最強な布陣だったかと、なんて最高の再生だったかと、改めて。
ある人はこの方はこんなに達者たったのかと今さらながらに驚いた方もいて、ある人はこの方は本当にいいお芝居をされるようになられたなぁと驚いた人もいて、ある人はこの方の存在は全てを率いて纏める説得力のある豊かな芝居をされるなぁという方もいて。
どなたにとっても間違いなくご自身の代表作のひとつになりうる舞台になったのではないかと思います。
ありがとうございました。

【Perfect Murder Case -パーフェクト マーダー ケース-】

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【Perfect Murder Case -パーフェクト マーダー ケース-】

竹内尚文プロデュース

遠方からでしたので、配信で観させて頂きました。
観終わった後、魂を吸い取られたかのような心地に。
劇場で観てたら、しばらく立ち上がれなかったかもしれません。
冒頭と終幕で視点が変わるような、入り口と出口が違うような、観ていたものが徐々に、あるいはガラリと、正体を現す。
なんとも奥深い、心が交錯する舞台でした。
素晴らしかった。

『君ヲ泣ク』×『ラズベリーシャウト』

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『君ヲ泣ク』×『ラズベリーシャウト』

PLANT M

ラズベリーシャウトの方を観劇しました。
空間の空気が濃密でした。
空気がうねうね蠢く生き物のようにさえ感じた。
生の観劇の醍醐味、劇場でしか味わえない感覚、映像には絶対に残せない。
こういうのがあるから、劇場へ足を運ぶことをやめられない。

屋上の父帰る

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屋上の父帰る

Contondo

時間軸の違い、空間の違いを表現する演出のなされ方が、とても洒落てて良かった。
場面が進み、ベールを脱ぐように仕掛けが動き出した瞬間が快感でした。
全く別々のものだと思ってた同時進行するふたつの物語が、時空を超えて交錯する瞬間。
心を奪われました、あまりに巧み。
演者の中ではザキくんの演技が特に良かった、こんな風に演じてるところはあまり観たことない気がします、新しい顔を観せて頂きました。

最終電車極楽橋往

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最終電車極楽橋往

MEHEM

劇場での観劇、アーカイブ配信での観劇、ノベライズ。
様々な媒体で楽しませて頂きました。
時は大正時代、怪異が居る世界、大正浪漫の世界。
華族の家柄、父親の分からない子供ということで、肩身の狭い想いをしながら過ごすエミ。
母の死をきっかけに家を出されることに。
そこに現れる、母の旧友の青山。
青山に連れ出され、見知らぬ父親を探す旅に出る。
汽車の旅、切符は書き手の想いの残る手紙。
汽車ってのがいいですよね、銀河鉄道とか色々と連想する。
手紙は白紙、文字が消失している、切符を切る毎に、そこに書かれていたはずの思い出の残る場所へ誘われる。

巡る場所には、それぞれ怪異がいて、それぞれに父親との思い出が語られる。
ここがとても楽しかったです、一緒に旅してる気分。
旅を通して各キャラクターの個性が掘り下げられて、役がどんどん質感をもっていき、親しみが湧く。
スピンオフで、この巡る場面いっぱい創れそう、ていうか観たい、もしくは読みたい。
怪異と聞くと個人的には某物語シリーズが頭に浮かびますが、怪異辞典とかあったら読みたいかも、他にどんな怪異がいるんだろう、でもあんまりおどろおどろしくない書き口なのがいいな。

青山の想いがせつなかった…。
思い出の中、ちづちゃんと一緒にいる時の青山の表情が、あまりに幸せそうで、愛おしさが滲み出ていて。
正一の消失の真相明らかになり、ちづちゃんの娘から責められ罵られ想いを暴かれた時の青山の泣き出す一歩手前な表情が、あまりに辛そうで悲しそうで。
ずっと好きだった想い人が、突如現れた男に奪われてゆく、それを祝うことしかできない、見てることしかできない。
記憶から消えてもなお、独りぼっちにされてもなお、夫を想い続けこちらに想いを向けてはくれないちづちゃんを前にした時の絶望。
ずっと、ずっと、傍に居続けていたのは自分なのに。
自分にもしものことがあった時は娘をよろしくと、憎い恋敵との間との子を託された時の気持ちは、如何程だったろうか。
それでも、正一の消失に罪の意識を背負う青山は、託された娘を連れて、父親に会わせる旅に出る、命を賭した贖罪。

エミが青山を責め立てている場面は、辛かった。
紹介はした、だけど選んだのは正一自身、拒絶することもできた、なのに言い訳するでもなく、弁明するでなく、エミの言葉全部受け止めて罪を背負って死を選ぶなんて。
幼い頃からきっと青山はずっとエミのことも可愛がってた、大切にしてくれてた。
それも全部なかったことかのように、帳消しに、そんなのって…。

青山は、果たしてそんなに悪いことをしたのだろうか、と思う。
確かにサトリに引き合わせはした、だがしかし、無理強いをしたわけではない、サトリと契約することを選び取ったのは正一自身。
自身の存在と引き換えにしてまでも、小説家として成功を納めたかった、納得のいく作品を書き上げたかった、そしてそれは叶った。
取引の代償で結果自身がどうなってしまうのか、事前にどこまで承知しての選択だったのかは分からない、でも劇中のサトリの台詞からは納得ずくだったのだと覗える。
ならば、例え存在がこの世から消えてしまおうとも、書きたいものが書けて、そしてその作品はこの世に残り続ける、それは自身満足のいく人生だったのではないだろうか…。
何が正しくて、何が間違っていて、何が幸せで、何が不幸せか、それは他人が決めることではない、自分だけのもの。
正一はどこまでも芸術家で、そして妻も芸術家だった夫を愛していた、芸術と妻どちらの方が大切だったかということではなく、そんなの比較できることではなく。

それでもやはり心残りは、妻を置いてゆくこと、産まれてくる子供に一目会うこともできないこと。
その心残りこそが、この旅の始まりだった。

旅を終え。
父が書き残した作品、その足跡を辿って引継ぎ書いた娘の作品、永遠に残り続ける親子の競作。
父の作品は、人の記憶から消えても残り続け。
母の記憶からも父は消えたけれども消えて尚、愛していたという感情だけは残り続けていた、覚えてないのに、気持ちだけは。
同じように、この旅で見た父の記憶は娘の記憶からは消えてしまうけれども、著書と共に、父への慕わしさは残り続けるのだろう。
旅に出る前とは違う、旅に出たことは無駄ではなかった、得られた温もり。
旅を通して、周りの自分を支えてくれる存在にも気づけた、従妹は自分を大切に思ってくれてるし、旅を一緒にしてきた二人も心から自分を心配してくれてる、自分はひとりだという思い込みから脱せた。

作品は時代を越えて残り続ける、人が没した後々までも。
そしていつかこの作品を読んだ誰かが、また旅に…ということまで思い馳せてみたり。
観終わった後までも、この世界から去りがたい、抜け出しがたい気持ちにさせられる。
美術、灯り、音楽、衣装、演じる皆々が、隙なく揺らぎなく世界を創り上げてくれていたので、わたしは一瞬たりとも現実に還ることなく、この世界に居続けられた。
きっとこの舞台の上にあるどれが何一つ欠けたとしても誰ひとり欠けたとしても、実現はしなかったのではないだろうか、結集したからこそ。
この作品を劇場で観られて良かった、観終わってまだこの世界に浸かっていたいなぁと思わされる極上の2時間を過ごさせて頂きました。

また後にノベライズも読みました。
人物像や関係性等が舞台版とは異なる印象で。
これはこれでまた一つの並行世界、作品における姉妹として。
舞台のコミカライズが流行っている昨今ですが、わたしは触れたことがあまりなく。
こうして世界が広がって紡がれてゆくのも、悪くないなと思いました。
京都の鞍馬山、南海高野線の極楽橋駅という、聖地巡りも悪くない。

その鉄塔に男たちはいるという+

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その鉄塔に男たちはいるという+

MONO

だいぶ前、まだ観劇に出会って間もない頃に、プロデュース公演的な別団体で観ました。
それをホームで観られる喜びが先立つ。
上演当時から月日が随分と経っていておそらく随分と変わっているであろうに、観ると不思議なもので、あぁやっぱりここがホームなんだなという感覚、しっくり馴染んでいて。
プラスの部分、進化の部分、見事でした。
作品が時を超えて在り続ける姿を観た思いがしました。

北向きのヴァルキュリヤ

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北向きのヴァルキュリヤ

BALBOLABO

とても良かったです!
キラメキの時のような、煌きがありました!
魅力的な役者さんが揃っていて、個性的なキャラクターに仕上がっている。
展開が気になってグイグイ引っ張っていかれました。
熱い舞台でした!

ぷらすのと☆えれき「我が生涯、痛恨のダ・カーポ」【東京公演延期】

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ぷらすのと☆えれき「我が生涯、痛恨のダ・カーポ」【東京公演延期】

ラボチ

ボケとツッコミのキャッチボールが抜群。
最高の間の良さでリズムが良く、隙間なくどこまでも笑いに貪欲。
3人ともにモンスターでした。笑い疲れました。

総評

いつも通りの観劇だったのは2月までで、3月から横線が引かれた予定が増え始め。
4月初めを最後に予定は真っ白になり、観劇が再開したのは7月下旬でした。
そんな状況の中で、配信でも観られる環境が定着し遠方で諦めてた演劇も観られる喜びと共に、劇場で生で観られる演劇の素晴らしさも改めて実感する年でした。
まだまだ難しい状況が続くけれども、配信観劇の利用と共に、可能な限り今年も劇場へ演劇を浴びに行きたいです。
そして力の限り演劇を届けてくださる皆さまに心よりの感謝を。

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