満足度★★★★
【必殺仕事人 /スリ / 生きとし生けるもの】
急に行くことになったので、連日の観劇でした。
平日の夜に木川劇場さんに行くのははじめてだったんですが、開場してすぐに入ったので舞台の幕の向こうから気合いの入った役者さんの声が聞こえて、それだけでワクワクしてしまいました。
この日はお客さんが少なめだったのですが(お昼の回は多かったらしく、ダブルの大入りにはなっていたらしいです)
ショーの時間に空席の椅子の上に渡って演技をされたりもしていて、そういう臨機応変さも大衆演劇の魅力のような気がします。
この日のお芝居の『スリ』は子役さんの出るお芝居だったので、子役の子達がとても可愛かったです。
「金持ちからだけ奪って来たと思ってた」
「でも、自分のせいで死んだ人間が他にもいるかもしれない」
切った切られたが頻繁におこる大衆演劇の作品の中で、『命を奪う怖さ』が見えたのはとても印象的でした
大衆演劇って言うと、殺陣!!チャンバラ!!っていうイメージが強いのですが、
こういう誰も死なない、ある意味、ちっちゃな世界のお話も好きです。
満足度★★★★★
【新撰組土方/ 供養旅 / 花魁いろは歌】
大衆演劇そのものが私はまだまだにわかなのですが、初観劇させていただいた劇団さんでした。
劇場さんは昨年の12月の長谷川武弥劇団さんで何度か行かせていただいたのですが
(女性が総座長をされてる劇団さんで、個人的に凄く好きです!!今年は関西での公演がないそうなので残念でなりません……)
のる劇団さんが変わると、劇団で持ち込まれている照明や装置も変わるので、かなり印象が変わるんだなーとか思ったりもしました。
はる駒座さんは小劇場で言う前説的なことを凄く元気にされていました。
私が今まで観劇させていただいた劇団さんはミニショーがいきなりはじまる場合が多かったので新鮮でした。
(あ、大衆演劇は「ミニショー」「お芝居」「舞踊ショー」の三部構成の場合が多いのです)
ミニショーと舞踊ショーにもお芝居の要素が盛り込まれていて、とても楽しめました。
この日は座長さんの花魁が初だったらしく、とてもいいものを観たと思います。
花道の真横の席で観劇していたので、花魁の豪華な衣装が間近で見れました。というか、間近すぎて、思いっきりぶつけられました。ぶわっと!!
でもって、その衣装のままで送り出しにも出てくださっていたので(大衆演劇の劇団さんは大抵、衣装のままで送り出しをされます。とても素敵です!!)とてもお得な日だったように思います。
木川劇場さんの公演は通常料金なら1300円です。
(そして、前売りは1000円です。近隣のお店で観劇当日にも前売り券は買えてしまいます)
はる駒座さんの公演は今月末までですが(4月は門真のゆの蔵です!!)劇場さんも椅子がふかふかしていて、ミラーボールがあったりする不思議な雰囲気な素敵な劇場さんです。
是非是非、観劇に行ってみてくださいね!!
満足度★★★★★
台風の中の『雨のち、奇跡』
オムニバス、とのことだったのですが、完全に別れた話ではなく、全てが繋がっているお話でした。
同じ時間軸の中で、だんだんと視点を変えていく感じ。
いろんな人が、思いが、交差して、重なって行く、そんな舞台でした。
以下、パンフレット記載文を引用しつつの感想です。
私はパンフレットは観劇前には見なかったのですが、読んでから観てもよかったかもしれません。
ネタバレBOX
第一話『季節外れの軌跡』
未来を予知してしまう男。でも、望むことを予知できるわけではない。予知できるのはどうでもいいことばかり。
皮膚の病気を発病し、紫外線を避けて生きている男。生きる意味や、自分の役割を模索している。
『モノローグ』とか『長台詞』とか、そんな演劇のご都合、のような表現の描き方が凄く好きでした。
ああ、舞台だな。ああ、演劇だな。って思いました。
演劇的な、演劇でしか、見れないものだと思います。
1話の時点では、はっきりとした区切りがあるかと思っていたのですが、1話は本当にはじまりという感じでした。
見えてしまった、見たくなかった未来。
それが変わることがあるなら、奇跡。
奇跡が起これば、奇跡が起こるかもしれない。
そういうお話だったんだと思います。
『生きる意味』を探している弟に、
兄は
「特別なことなんてなくたって、悩まなくていいんだよ」
そう言います。
その言葉そのものは、凄く優しい言葉だと思います。
でも、その兄は結局、弟を『生きる意味』にしてしまっている。
多分、そうやって、自分を『特別』にしようとしてしまっている。
特別でないことを悩む辛さよりも、
特別でないことを悩んでしまうことを悩んでしまう辛さの方がきつい気がします。
私はこの第1話で
『悩んだっていいんだ』という風に感じれた気がします。
特別じゃないって、満足できないでいるのは、当たり前なんだよって言ってもらえた気がしました。
パチンコの当たり台、万馬券、
お金に困っていた男にそれが見える。
でも、そうやって得たお金をひったくられる……が、それは無事に手元に戻る。
このひったくりのシーンが少し唐突だった気もしたのですが、このシーンが2話と3話へのバトンのようなシーンでした。
2話と3話にも同じシーンが出ます。
でも、視点が変わるので、見え方が違う。
同じものを見ているのに(勿論、生のお芝居なので完全に同じと言うわけにはいきませんが)いろんなことが見えてきた上で見ると、見え方が違う。
今回の舞台はそれが凄く気持ちが良かったです。
1話の奇跡は、桜が見えたのだろうなと思いました。
そして、2話に繋がり、全体に途切れなく進むのがわかった感じでした。
第二話『正義のダークヒーロー』
滑舌が悪いスーツアクター
空気が読めない新聞記者
第1話のひったくりのシーンで、ひったくりを捕まえた男が2話のスーツアクターでした。
そのひったくりを捕まえたことで新聞記者から取材を受けることから始まるお話。
アバレッドをやっていた西君がスーツアクターを追いかける、追い詰める、というのが凄く印象的だった気がします。
というか、公演ごとに西君の扱いがイケメン枠的なものから離れている気がしていたのですが、今回は凄く色々な顔のある役だったと思います。(昨年の夏の丸ごと真っ直ぐバカな感じも凄い好きでしたが)
『これじゃインパクトが足りないんだよ』
『面白いドラマを作らなきゃ』
この取材を終えた後の本音が漏れるような感じの嫌な感じが、凄く好きです。
人の汚い部分を見せつける感じがゾクゾクする。
スーツアクターを尾行する新聞記者。
そして、スーツアクターがひったくりの現場にいた理由を知る。
別れた彼女への未練が断ち切れなくて、ストーカーになってしまっていたスーツアクター。
ひったくりの現場は、彼女の家の近く。
それを知った新聞記者はそのことを記事にしようとする。
スクープを取らないと、会社をクビになってしまうから。
彼女に、やり直したいと伝えると言うスーツアクター。
そうすれば、ストーカーではなくなる。
でも、思いがもう通じないのはわかってる。
奇跡は起こらない。
それでも、伝えたい。
2話のラストも1話のラストと同じでした。
秋の夜空に舞う奇跡。
新聞記者はそう言って、カメラのシャッターを切る。
でも、秋に桜が咲いたら奇跡だとは思いますが、そこまでは……みたいにも感じました。
そして、3話に続きます。
第三話『踏んだり蹴ったり』
花火職人の話。
実際、今年は花火大会の中止が多かったので、凄くリアルな気がしました。
『世界で1番雨が嫌いなんだ』
西永さんの作品の中で、雨は凄く綺麗に表現されることが多いので(神様からのプレゼント、とか)
世界で一番嫌い、から、どう持って行くのかな……という風に感じました。
3話の花火職人が、ひったくりの犯人でした。
花火大会の中止が続いて、借金にまみれて、どうしようもない。
そんな中、万馬券を手にした男を真横に見てしまう。
見習いの男が凄く可愛らしかったです。
可愛らしくないのに、可愛らしく見えてしまうのが凄く可愛らしい!!!
花火職人の元に、1話の兄がやってきます。
万馬券であてたお金で花火を今夜、あげて欲しいと。
外は雨。台風が直撃している。やむはずがない。
でも、兄は雨がやむ未来を見ている。見た未来は当たる。
弟が死んでしまうと言う未来も当たる。
だから、花火をあげて欲しい。
ここで、桜が咲いただけでなく、花火もあげたのだとわかります。
でも、台風の雨がそんないきなり止まるわけがない。
……私事ですが、観劇時にリアル台風で翌日の観劇を諦めようとしていたのに、本当にやむなら奇跡すぎるよねとか思ってしまいました。
そして、4話に続きます。
第四話『神の暴走』
天気を操れる男。カミサマと呼ばれている男。
カミサマに振り回されている側近。でも、幼馴染。
カミサマの話、でした。
流れてくる感想ツイート等でカミサマカミサマというワードが出ていたので、これか!!!という感じでした。
カミサマと言っても、操れるのは天気だけ。多額の報酬で縛られて、監視されている存在。彼女も出来ない。
花火職人の嫌いな雨を降らせていた、ある意味、犯人ですね。
オーダーどおりの天気にしろと言われているのに、従わない。
それに振り回されている側近。でも、幼馴染。
ある日、総理大臣が屋形船で接待をするので絶対に雨を降らすなというオーダーが出る。
でも、カミサマはそれに反発して、巨大台風を作ってしまう。
カミサマを殺せば、台風も消える。
だから、総理大臣が殺し屋を連れて現われる……というのがゲストシーンでした。
私が観劇した回は男〆天魚の平野さんと長戸さんでした。
空飛ぶ猫☆魂のゲストシーンは凄く楽しいです。
本当、他の回も観たいです。
記録用でいいから、ゲストシーンを何かしらで観たいです。
まあ、観たければ劇場に!!!…がゲストシーンなんだとは思うのですが!!!!
ゲストシーンにどこまで台本に指定が入っているのかが気になります。
毎回、私には本気で好き放題やってるように見えるのですが、どうなんでしょう……。
ゲストシーンから、全てが繋がっていく感じでした。
雨がやむのはカミサマが雨を止めるから。
でも、カミサマがとめても雨はやまない。
花火職人はやっぱりやまない。やむはずがないんだ!!と叫ぶ。
カミサマは必死に雨をやまそうとする。
結果、兄が見た未来とは5分遅れで雨がやむ。
秋の夜空に桜が咲いて、花火があがる。
奇跡が起こって、奇跡が起こる。
新聞記者はそれを記事にする。
その記事が評判になり、花火職人には仕事が出来る。
兄は花火職人の元で働くことになる。
奇跡はおこった。
5分遅れで。
奇跡は起こったけれど、兄が見た未来とは違う。
未来は変わるかもしれない。
そんな奇跡も、起こるかもしれない。
そんな『雨のち、奇跡』の話でした。
いっぱい、頭から漏れてしまっているものがあると思います。
リアル台風の心配等が頭をよぎってしまい、集中しきれなかったような感じもありました。
それでも、凄く凄く、素敵な話でした。
観れて、本当に良かったです。
私事ですが、夕方の時点で翌日の地元電車が16時には止まると言う告知が出ており、千秋楽のチケットも申し込んでいたのですが、予定前倒しで帰ることになりました。
もしかしたら、もしかしたら、大丈夫だったかもしれない。
どうしても、そういう後悔は感じてしまいます。
でも、公演そのものに影響がなくて、本当によかったと思います。
今回の観劇上京も、私の人生の一部になるわけです。
本当に本当に千秋楽が観れなかったのは残念なのですが!!!!!
それでも、その分、一生懸命観よう、みたいな感じはいつもより強かったです。
最前列でメモリながら観劇しました。しかし、ぐちゃぐちゃすぎて、感想を書くにはあまり役にたたなかったのですが。
今回の舞台を観て、自分の人生を、ちょぴっとだけ好きになれた気がします。
それも、ちっちゃな『奇跡』なのだと思います。
本当に文章力が全然なくて、何も通じないであろう感じがもどかしいのですが、
動けば、奇跡は起こせるかもしれないので。
大好きな作品、大好きな劇団さんです。
だから、欠片だけでも誰かに伝えられて、その人が劇場に行ってくれたらいいなと思います。
そんな、ちっちゃな奇跡を起こしたいのです。
満足度★★★★
いつもと違う食材で。
私が観劇したのは名古屋千秋楽なので、湯沢さんが出演されてるバージョンです。
DVDに入るのは東京公演版なので、湯沢さんは本編にいらっしゃいません。でも、映像特典にはいらっしゃるらしいです。
えっと……それは湯沢さん目当ての人的には本編の湯沢さんのシーンとか入れてもらった方が嬉しいんじゃないかなあ……映像特典は名古屋公演への移動中に撮影した映像らしいです。自分的には沢井ちゃんがいないので心惹かれはしないかな……まあ、興行的には基本あのへんの俳優さんメインの公演だから致し方ございません。あ、でも、お芝居本編での沢井ちゃんの扱いは良かったので良いのですよ。ほんまに可愛かったわ……沢井ちゃんのお写真があれば買ったのに!!!(まあ当然ですが、男性陣のしかなかったのでございますよ)
制作的には若干残念クオリティでした。
だって、開演前にめっちゃ堂々とステージの写真撮ってるお客放置なんだもの……っていうか、多分、客席側にスタッフいなかったんと違うかな(これは私が見なかっただけかもですが、いてあれなら、それはそれで……)直近のお芝居がマツケンさまでその辺の対応はパーフェクトクオリティだったので余計に気になりました。
よっぽど注意しようかと思ったんですが、男性やったし、開演前にもめるのも嫌なんで、とりあえずアンケートに席番書くだけに留めました。チキンで申し訳ない……あんなん当日に抑えないと意味ないしな。
ステージもセットの担当の人の著作物扱いになるので撮影とか駄目絶対駄目なはずですけどね……ていうかあれ、下手したら客も映ってるだろ……もにょもにょ。
ちゃんと西永さんの作品で、ちゃんと西永さんの作品じゃなかったです。
それが本当に本当に素敵でした。
これ大事、すっごい大事!!
今回は脚本が西永さんではないのでどうかなーとは思っていたのです。
でもまあ、名古屋なら東京よりはかなり安価で行けるし、沢井ちゃんも出るし、他の出演陣もそこまで熱心ではないにしても観てみたい気はある子達が出るので思い切ってみたわけなのです。
だからまあ、観劇前はお芝居の内容自体は好みじゃなかったりする場合もあるかもなって思っていたのです。
私は今までは西永さんの作品は一番最初のアンラッキーディズ以外は完全に西永さんの作品が好きだから観に行っていた感じだったので(なので、逆に作演出の作品であれば、キャストは関係なしに行きたいわけです)自分のいつも期待しているものはないかもなって。
でも、それはプロのお仕事なので作品として破綻していたりしていなければ、いいんですけどね。後から「だって俺が脚本書いたんじゃないもん」的なこと漏らしたりしなきゃね。
結果として、本当に素敵でした。
脚本を担当された方の他の作品を存じていないので、どれくらい手を加えられているかとかわからないんですが。
キャラクター的にも「ああこういう子、よく出てくるよね」みたいな印象も強かったです。別にそれが悪いとかじゃなくて。
多分、脚本と演出の相性が凄くいいんだと思います。もしかしたら、脚本の方も西永さんが演出することを前提に書かれたのかもしれないけど。
今まで観劇した西永さんの作品と比べると、光の割合が強い印象の作品。本当にすっごい元気。いつもの作品はもっと影の印象も強くてヒリヒリとした切り裂かれるような感じがあって、それはそれで大好きなんですが。でも、それこそ、それをやろうとしてたりしたら、破綻しちゃうんじゃないかなと思います。
食材は違えど、料理人が同じみたいな感じですかね。ってツイッターで書かれていたんですが、ちゃんとその料理人さんはいつもと違う食材を大事にして、ちゃんとその食材に合わせて且つ、自分の味もちゃんと残したお料理をしてらっしゃるのです。
あ、これに関しては自分の味を殺して、食材を生かすのもアリだと思います。それはそれでプロのお仕事だと思います。最低なのは食材殺して自分を生かそうとするパターンですよね……だったら、全部最初から自前でやれよとか関係のない毒を若干混ぜ込んでみたりします(苦笑)
でも、本当、自分の元から好きな作品の演出とかしてくれたら、素直にすっごい嬉しいと思う。逆に頼むから私の好きなものに関わらないでくれ……って方もいますからね。個人&団体として。
作品としても、すっごい観やすかったと思います。いつもの西永さんの作品だとわりと時間軸を巻き戻して視点を変えて繰り返して解いていくみたいな感じが多いんですが、時間軸はそのまま進んでいくお芝居なので混乱なく見れると思う。
勘違いとすれ違いの嵐で進んでいく作品。キャラクターも全員すごく個性的。
沢井ちゃんの演じた女の子はすっごい元気でした。
平凡な生活にうんざりしてるOL…みたいな設定だったわけですが、ああもうアンタみたいな可愛い子、周りが放っておくわけなくて、平凡とかありえんわ!!!って感じでしたね……本当、かわいすぎた……私、リアルに動いてる沢井ちゃんはせらむんぶりだったんですが……いやもう本気で可愛いです。ていうか、せらむん組はきっと今でもリアルで観たら死ねると思います……あ、あくまで女性陣限定です。勿論、ベリル様も含みます。
本当、本気でかわいすぎて辛い………沢井ちゃんは可愛い女の子が好きな女の子が好きな可愛さだと思うんだ……
沢井ちゃんとこまっちゃんは是非ともニチアサに参戦していただきたかとです。
沢井ちゃんのしずかちゃんは最高でした。ていうか、あのシーン、DVDとか大丈夫なのかな……藤子プロ的に………
そんな感じでした。
何も伝わらない感じの感想でスミマセン><。
満足度★★★★★
一緒に。
今回は『家族物』でした。
前作の『サヨナラ誘拐犯のパーフェクト・ストーリー』も家族の要素が強かったので、事前に「初の家族モノです」的な記述を見て、「前回もじゃなかったっけ??」と思ったりもしたのですが(前回のはカテゴライズ的には「誘拐物」とのことでした)
そして、今回の冒頭のシーンが完全にバカップルだったので、「家族物???」と思ってしまったのですが、終わってみれば、本当に家族の話でした。
ネタバレBOX
「ご飯、食べたくない?」
「食べたい。でも、食べれない」
恋人の作った料理が食べたい。でも、食べれない。
満腹だからでも、体調が悪いでもなく、
幽霊だから。
恋人と結婚の約束をしていた女性。
叶わぬまま、事故で亡くなってしまった恋人。
その設定の記述はパンフレット等にもされてたのですが、私はなんでだか頭の中から飛ばして観劇していたので、ちょっとだけ本気で「なんだこのやりとり」的に観てました。
本当、若干、イラッ☆とするくらいのラブラブバカップルでした。
素で見たら、片方が幽霊だなんて思えないくらいの。
でも、2人でいて、お互いがお互いには見えていているのだから、それは当たり前なんでしょう。
だから、本気で「幸せだよ」とも言える。
でも、2人だけで生きているわけでなくて、他の人とも関わっていて、他の人には彼は見えないし、言葉も聞こえない。
2人だけなら、問題はない。
2人だけじゃないから、大問題。
それでも、2人でいたいから「幽霊と結婚します」と宣言しようとするし、してしまう。
今回の話の軸はそんな感じでした。
2人だけだった彼女の部屋に、共通の友人がやってくる。
その友人は彼女のことが好き。多分、恋人のことは忘れてほしい。
なのに、彼は彼女にしか見えなかった恋人のことが条件付きで見えてしまう。
その為、彼女が家族に恋人を紹介することに協力することになってしまう。
「好きなら協力してよ!」って言ってしまう彼女は凄いと思います。でも、それで協力しちゃう彼もいいヤツですよね。とんでもなく頭が弱い感じでしたが。
その友人役が西興一郎さんで、↑であげたリストの作品でも4作、今回で5作目だったんですが……回を重ねるごとに扱いの酷い役になってる気がですね………とてもとても素敵だと思います(なんだそりゃ)
「simple」は本当、1人で芸能人!!って感じもあったので……お客様感がなくなった感じと言うか。
昨年の夏の公演の終盤で関西弁で気持ちを吐露するシーンはとても素敵でした。
そういえば、昨年の夏公演はずっと話題としては恋人が出てくるけど、実際には一切、出てこなくて(死んだ恋人の四十九日に元彼が集まるという話だったので。実際には死んではいなかったんですが)
でも、今年はずっと一緒にいる話でしたね。
昨年は実際には生きていて、今年は実際には死んでしまってるわけですが。
探偵さんはマリアさんと幸せになれたんでしょうか。
演じられたのが佐々木さんで、今回の幽霊役も佐々木さんなので被るモノもありました。
(でもって、昨年の楽日に佐々木さんはカーテンコールでプロポーズされて新婚ホヤホヤです。他人さまのプロポーズを目の前で観たのも昨年の観劇の思い出です)
友人が彼のことを見える条件が携帯の着メロでした。
鈴木亜美の「BE TOGETHER」をはじめとするTKメドレー。
他の人の曲じゃ駄目。小室さんの曲でも曲によってはぼんやりしたりする。純度の違い?
でも、メインでかかるのが亜美ちゃんの「BE TOGETHER」なので、それはそれで、それがメジャーなのはわかっちゃいるけど純正ではないよね……とも思ったりもしました。
「BE TOGETHER」って曲が大事なのかな。一緒にって意味だしね。
そして、イントロ1音でわかってしまう自分。
ちょうど昨年の夏公演時にえんえん頭の中を巡ってた曲でした。
同時期にやっていたaccessのツアーでカヴァーを披露していたので。
なので、「BE TOGETHER」がかかる度に頭をよぎって、ちょっとだけ邪魔でした。ええもうめっさ上機嫌で歌い踊ってるのが……帰宅してから動画を見直し、今もこの感想を打ちつつ聴いております。
音楽っていっぱいあるものなのに、それで被る?のはなんだか不思議な感じでしたね。まあ世代的にね!!ってのもありますね。多分。
友人の名前は零(レイ)君。
恋人のことは見えない彼女の家族。(父、弟、兄)
「紹介します。霊です」
そう言って、友人と一緒に幽霊の恋人を実家で父親に紹介する彼女。
友人が恋人だと勘違いしてしまう彼女の父親。
以降、いろんな勘違いやすれ違いが混ざり合って進んでいくストーリー。
絡めて絡めて絡めて、ぐっちゃんこになりかけた感じを解いていく感じが好きです。
観劇している側は全部、見えてる。
でも、舞台の上で生きているキャラクターにとってはそうじゃない。全部が見えてるわけじゃない。
だから、見てる側は「どうやってバラすの?」みたいな感じでドキドキするのです。
シーンを重ねて重ねて、時間の感覚がいい意味でなくなりかける。
観劇中は携帯を切ってしまっていて時間がわからなくて、どれだけ経過してるかわからないので、「今、どのあたり?」みたいな気分になるんです。話がギュッとなっていて、実際の経過時間よりも長い時間、観てる気になる。(いい意味で!!)
バラバラになっていた家族の距離が戻っていく話、でした。
多分、普通のセオリー通りの話なら、幽霊の彼は成仏してしまって、彼女は現実世界で生きて行くのが妥当な展開でしょう。
でも、彼は「でも、ずっと、そばにいます」と言い切る。
それしか、出来ない。
でも、
それは出来る。
それが、彼女の幸せ。
普通なら否定される。それでも、それが、彼女の幸せ。
「家族が増えた」
そう言って、閉じられるストーリー。
解釈によっては何も解決してません。
家族の関係は修復されたかもですが、幽霊と結婚するとか言い続けてしまってる彼女。
普通なら、問題が残りまくりです。
それでも、そういう『普通』じゃなくてもいい。
そういうお話でした。
ちょっと普通からは外れてしまってるかもですが、それでも彼女はとてもとても素敵で、とてもとても幸福だと思います。
恋人が幽霊だったら、
他の人から認めてもらうことを望んだりしなければ、普通よりも幸福だったりするかもしれません。
出来ないこと、いっぱい発生しそうですけど、せずにすむこともいっぱいありそうですから。
ずっと一緒にいてくれる。自分とだけ一緒にいてくれる。
それは、ある意味では理想的かもしれません。
一緒にいることが出来る。
一緒にいることしか出来ない。
それじゃ恋愛関係は成立しなくなってしまうかもしれない。
でも、『家族』みたいにずっと一緒にいられるかもしれません。
日替わりゲストさんのシーンも凄かったです。
本当に話の終盤に出てきはるので……というか、「ゲスト出るんじゃなかったっけ??」みたいな感じで物語の大半が締められた感じになってからの登場だったので。
劇団本公演との一番の違い、なんでしょうね。もう本当に、嵐、みたいな。
今回は千秋楽のみの観劇だったんですが、他の方の回も観たかったです!!!!
昨年の夏は2ステージ観たのですが、もう全然違うシーンのようでしたから。
全体を通して、温かい作品でした。
家族物、ですもんね。
重い要素もいろんな所に散りばめられてましたが。
そして、冷静に考えると、そのどれもが根本的な解決にはなってない気もするのですが。
それでも、最後にちゃんと前を向いている作品でした。
簡単に解決なんてしない。でも、それでいい。
それをしっかり抱えて、進んでく。抱えたままでいい。
そんな感じが、します。
満足度★★★★★
プレゼントをいただきました。
き‐きゅう【希求/冀求】 [名](スル)強く願い求めること。「平和を―する精神」
もしも、願いが一つだけ叶うなら、
選ぶのは自分以外の、自分の大切な人の願いを叶えることかもしれません。
多分、作品の根幹の思いはそんな感じな気がします。
誰かが、誰かのために願ってる、その繰り返し、巡り合わせ。
ネタバレBOX
羽を奪われた3人のおっさん天使が課題を与える。
課題を達成しなければ、元に戻れない。
(なんでそうなったかは忘れてしまったわけです。作中で出てたかな……)
「困った人を助けなさい」
その課題を達成するために街に出る。
まずは困った人を探さなければならない。
困った人なんて、いくらでもいる。不幸じゃない人間なんていない。
でも、『不幸』の判断が難しい。
死や病気、あからさまな『不幸』はわかりやすい。
でも、その人にとっての『不幸』はわかりにくい。
課題を達成するには『幸福』にしなければいけないので、『不幸』は選ばなければならない。
そんな言いあいをしながら、困った人を探すために街に出る。
3人のおっさんは各々、困った人をみつけて、自分のターゲットにします。
・好きな人に好きになってもらえなかった女。
・身体に病気を抱えた男。
・ひきこもりで若年性痴ほう症の、恋人のいない男。
女は病気の男の妹でした。何年も会えてませんでしたが、病気のことを知った兄貴分が探してきてくれたのです。
女の好きな人は、ひきこもりの男の友人でした。その友人は男の為に、彼女と会わせました。彼に恋人を作る為に。
女は男と恋人にはなりませんが、友人になりました。
病気の男の兄貴分は、男に手術を受けさせるために事務所のお金を盗みました。その為にその身が危うくなりました。
各々に自分の願いと、自分の大切な相手の為の願いを抱えます。
・自分の病気を治したい。死にたくない。
・自分の友人の病気を治したい。
・自分の兄の病気を治したい。命を助けたい。
・自分の恋を叶えたい。好きな人に好きになってもらいたい。
・自分の好きな人の恋を叶えたい。好きな人に好きになってもらって幸せになって欲しい。
・自分の命を助けてくれた相手の命を助けたい。
叶えてもらえる願いは一つだけ。
天使が鐘を鳴らせば、願いが叶う。
でも、願いを叶えた代償として、誰かの願いを叶えたら、その誰かは自分を忘れてしまう。
それでもいい。
そう言って、自分の大切な人の願いを叶えます。
自分の大切な人が、自分の知らないうちに自分の願いを叶えてくれるのです。
でも、その人を忘れてしまう。その大切な人を忘れてしまうのです。
願いを叶えたんだ。だから、幸福になるはずなんだ。
おっさん天使達は叫びます。
幸福になってなければ、課題を達成することにならず、元に戻れない。
なのに、自分が願いをかなえた人達は不幸になってるように見える。
・女は好きな人が好きになってもらえた。兄の病気も治せた。
だけど、自分の願いを叶えてくれた友人のことは忘れてしまい、自分の兄には忘れられてしまう。
・病気の男は病気が治った。自分の兄貴分を助けることが出来た。
でも、自分の願いをかなえてくれた妹のことを忘れてしまい、兄貴分には忘れられてしまう。自分を助けてくれようとしていた人が自分に敵意を向けてくる。
・ひきこもりの男は好きな人の恋を叶えることが出来た。
でも、その人に忘れられてしまう。自分は忘れてしまうのが得意なんだから平気なんだと思ってた。でも、彼女が好きだ、忘れたくないんだ、その気持ちが残ってしまう。
彼女は自分を忘れている。自分も彼女を忘れている。でも、自分は彼女が好きなんだと思う。
自分の願いを、自分以外の誰かが叶えてくれたはずなのに、幸福にはなれていない。
幸福には見えない。
元に戻した方がいいんじゃないのか。でも、天使には元に戻す力はない。
そこに神様が現われる。
ずっと天使と人間の周りにいて、天使を見ていた神様が。
天使は神様に元に戻してほしいとお願いします。
神様は天使に
願いを叶えても人間は幸福にはならなかっただろう?それがわかればいい。
そう言います。
自分は人間の願いを叶えたことはないと、
ある人の願いを叶えると、別の人は不幸になる。
それどころか、自分さえも更に不幸になることもある。
代償を受けるのなら、元に戻してあげよう。神様は天使に言います。
天使は代償を受けても、元に戻すことを選びます。
神様の力で、忘れていた人間達は思い出します。
自分を大切に思ってくれていた、自分の大切な人のことを。
不幸はなくならない。
でも、だから、不幸でも幸福になれる。
神様は願いを叶えてはくれない。
でも、神様は雨を降らせてくれる。雨は神様のプレゼントなんだ。
雨が降らなければ、人間は生きていけない。神様のプレゼントで人間は生きていくことが出来る。
そんな話、でした。
相変わらず、伝えきれません。
でもでも、伝えたいなって思う舞台でした。ほんの少しの欠片でも、伝わればいいなと思います。
どれだけ強く強く心を揺さぶられても、
それでも全てを覚えてはいられない。忘れてしまう。
でも、だから、何度も劇場に行くんだと思います。
素敵なものをどれだけ受け取っても、どうしても零れ落ちて行ってしまう。
でも、だから、素敵なものを補充するために劇場に行くんだと思います。
劇場は素敵な人達が、素敵なものを作ってる、素敵な場所です。本当に素敵。
本気で私の感想文などでは何も伝わらないと思うので、機会があれば劇場に行ってみてください。
素敵な作品に関わった人達の関わるものはきっと素敵です。
この感想文を書いた舞台は終わってしまいましたが(あ、今回のはDVDも出ますよ!!)
関わった人達のこれから関わる作品もきっと素敵だと思います。
そうやって、出会って行くのが好きなのです。そうやって出会いをくれる人が好きです。
満足度★★★★
Aエンドの感想です。
今回、私は1回のみの観劇だったのでAエンドしか観れなかったのですが、Cエンドを観劇した友人に感想を聞く機会がありました。
わりと早い段階で友人は『ループもの』とわかったと感想に書いてたのですが、
私は『ループもの』と判断するのに時間がかかりました。
劇中で登場人物が気づく描写が入るまで『回想シーンを積み重ねる』演出かもしれない。どっち???みたいな
結果、ループだったわけですが、この辺は白紙の状態で観る人の方が素直に観れるのかな?って気もしました。
今回のお芝居は時間軸も時間の経過どおりだったので、かなり観やすかった気がします。
舞台では先にとあるシーンを見せて、その後でそのシーンの根拠になるシーンを入れる…みたいな演出も多いので、観慣れないとわかりにくい気がするので。
なので、今回の作品は難解さもあるけど、わかりやすいお芝居だったように思います。
以下、ちょっことだけ友人の感想を書き記しておきます。
あ、友人は普段は観劇をしない方です。
(諸事情により私の手元に余りチケットがあったので観劇しに行ってもらったのです)
アニメだと、ループはフィルムを使いまわして節約をする。
演劇の凄いところは、尺を調整したり、見せたい部分の表現を強めてく。
凄いと感じるのが凄いと思ってしまった私です。
私は冒頭のループ箇所ではあまりにも今までの作風と違って笑いの要素がどこにもないので、なんだかよくわからない心配にかられてしまっていたのでした。
だって、前の作品なんて幽霊と結婚するとか大真面目に言ってたわけですよ。
でも、シーンを積み重ねるごとに、笑いのなさにゾクゾクしました。
同じ人が、これを描くんだ。あの人が、これを描くんだって。
ネタバレBOX
登場人物は5人、ざっくりと設定を書くなら
・何かトラウマを抱えてるであろう、平凡な男←主人公
・物語を書いているであろう男
・研究に携わっているであろう男
・過去に何かやらかしてるであろう男(元犯罪者)
・幼児退行しているであろう主人公の兄
の5人です。
あと、『アリス』と呼ばれているカナリア。
見ようによっては、緩やかに時間の流れる幸福な空間。
起きて、挨拶をして、一緒に朝食をとりながら、他愛もない話をする。
ただ、『おはよう』って言ったばかりのはずなのに、『おやすみ』と全員が退室して行く。
「あれ?」って感じの3回のループ。
おかしい事に気づいてしまった主人公。ハッキリさせよう、ハッキリさせようと足掻く。
『今日って、5日ですよね?』
その台詞が何度も繰り返される。少しづつ変化の加えられていくシーンの繰り返しの中で。
多分、『5日』は『いつか』なんでしょう。
1時間40分の上演時間の中で曖昧にされている部分は多々あります。
でも、それは舞台の上で登場人物のぶつかり合いを描くには不要な部分なんでしょう。
戦争がおこって、シェルターに避難している。
戦争がおこってるらしいことさえ伝われば、その戦争に関する情報はいらないわけです。
逆にその情報を入れてしまうとリアリティを殺してしまう気がします。その辺は観た人の想像の想定でかまわない。
人と人とのぶつかり合い、なんだと思います。
どちらが正しいか。
「俺とあいつとどちらが正しい!!??」
終盤近くの激しいシーンで、主人公は問われます。
「どちらも正しいです」
押し殺すように主人公は答えます。
「それでいい」
激しく主人公を問い詰めた男は、そう答えます。
自分は悪くない。
でも、相手も悪くない。
それは、わかってるんですよね。
でも、ぶつかるしかない。
『自分の家族が大事』
何度もその台詞が出てきます。
自分の家族が大事。
誰かの家族を傷つけることになっても、自分の家族を守りたい。
誰かの家族を傷つけたいわけじゃない。でも、自分の家族を守りたい。
それは仕方ないよねって、他愛もない話のひとつとしての会話がありました。
でも、実際にそういうシーンになってしまうと、痛々しくて、たまらない。
ああ、こういうことなんだよね。みたいな。
1人の男には奥さんがいました。アリスという名前の。
6人で一緒に過ごしていました。
だけど、今は5人の男だけで過ごしています。
引き離されたくない、一緒にいるんだ。男は叫びました。
それは、その男にとっては当たり前のことです。だって、アリスはその男の家族ですから。
でも、他の男たちにとってはアリスの存在は自分の家族を危険にさらすものでした。
だから、男をアリスと引き離しました。それも、当たり前のことです。
だけど、そのために男は狂ってしまいました。
自分の家族を守ろうとした男は、どちらも狂ってしまったのです。
狂うことによって、バランスを保っていた。
なのに、狂っていることに気づいてしまった。
狂ったままでいた方がいいのではないか、
狂ったままではいけないのではないか、
ぶつかって、ぶつかって、繰り返します。
もしかしたら、戦争は終わってるかもしれない。
もう狂わなくてもいいのかもしれない。
シェルターの扉を開けるか開けないかで男たちはぶつかります。
もしかしたら、『扉を開けない』という選択肢も存在したのかもしれません。
私が観た回のラストは(今回のお芝居のラストは4パターンです)
主人公は扉を開けます。
扉の外には何もありませんでした。アリスさんもいませんでした。
(アリスは隣の女性用のシェルターにいると劇中では説明されていますが、それが真実かどうかは描かれていません)
主人公は絶望します。
扉を開ければ、希望があるかもしれない。でも、開けてみたら、そこにあるのは何もない世界。
男たちは再び薬を飲みはじめます。
再び狂って、他愛もない日々の繰り返しに戻るために。
繰り返し続けてるうちに、なんとかなるかもしれない。
でも、なんとかならなければ、食料も尽きて、その時が死ぬ時だ。
主人公は絶望して、致死量の薬を飲んでしまいます(……と思われます)
主人公はその場で眠りにつきます。(多分、死んでると思われます)
そして、外から扉を叩く音が鳴り響きます。
……で、幕です。
ヤムアキさんが観た回はびっくりするほどのハッピーエンドだったらしいです。
もう本当、私の観た回は救いゼロですよ!!!!
でも、その分、カーテンコールでの笑顔を観たりすると役者さん凄い!!怖い!!!とか思ってしまうわけです。
しかも、私の観た回はアフタートークがあって(ヤムアキさんの回はお見送り会でした)そりゃあまあ、なごやかだったわけです。
お誕生日のお祝いしたり、裏話したり、もうその落差が凄いわけです。
笑いの要素が全然ないかもしれないと思ったと書きましたが、終盤で笑えたシーンはありました。
そこで、ああ西永さんの作品だ。とか、思ってしまったわけです。
「人間も鳥みたいに飛べたらいいのにな」
「人間も人間にしか出来ないことが出来たらいいのにな」
「人間は、笑える」
「笑うと、どうなるの?」
「笑えば、幸せになれる」
きびしめのシーンの中に挟まれた、一連の平和なほっこりするやりとり。
だけど、ぶつかってしまう。
「笑ってよ!!」
「人間になってよ!!」
異常な環境の中で、人間じゃなくなってしまう。
そんな、ぶつかり合いの物語でした。
多分、文章じゃ伝わりません。
重要なのはお話の内容ではないから(と書くとかなり語弊がありますが)
感情と感情が、ぶつかる。
それを観て、感情を揺さぶられる。
誰に感情移入するかも人によって全然違うでしょう。きっと、その人の状況によっても感じ方は違う。
舞台は
演出家と役者の勝負であり、
役者と役者の勝負であり、
役者と観客の勝負であり、
……なんだと思います。ぶつかりあって生まれてくもの。
「演劇は風に書いた文字である」
鴻上尚史さんの名言です。
劇場に来て、実際に観劇してみないと、どうしても伝わらない。
劇場に来ないと伝わらないんです。
でも、劇場に来れば、伝わる。
舞台の上にいる人達が伝えてくれる人達なら。
演出家さんが舞台の上にいる人達に伝えてくれる人なら。
満足度★★★★
雨が、少し好きになりました。
観劇したのは3月2日の夜公演の千秋楽です。
やっと原作を読んだので観劇感想です。
原作……過去に読んだかどうか微妙な感じなのです。
どこかしらからは読んでいる記憶はあるんですが、今回の『時計仕掛けのリンゴ』は初期のエピソードなので漫画では読んでいないかもしれません。(単行本なら2,3巻。ドラマ版では1期の2話です)
1997年、17年前の作品です。
今さら何故に舞台化感は否めない気はしもしました。(今、続編やってますが)
観劇前に原作を読み返そうかとも思ったんですが、バタバタしていて観劇前には読めませんでした。
読んだらオチがわかってしまうだろう。
……というのはテレビドラマを同じでキャストが出た時点で犯人の目星は付くのであまり問題はないのです。
むしろ、頭が追いつかないので前情報は入れておきたい派です。
今回なら、読まずに観劇して→原作を読んで→再度観劇……くらいがよかった気がします。
行ったのが千秋楽なのでどうしようもありませんね。
原作を読んでからの感想として、原作と完全に一致するのは2割程度な気がします。
おおまかな話の流れは原作と同じです。
でも、原作にあるエピソードをざっくり切って、残したエピソードを膨らませてるみたいな印象でした。
以下、原作を手元に置いて打ってはいないので間違ってる点があったりするかもしれません。
そして、舞台版に関しても観劇から半月近く経過しているので相違があったりするかもしれません。
でも、書きとめておきたいので、書きます。
ネタバレBOX
メインの登場人物は8名。
なので、原作と違って容疑者は4名、主人公の英児の友人は1名で舞台版は透流君です。ドラマ版には出てなかったらしいです。
キャストのビジュアルとかから考えれば、友人を1人に絞るなら透流君な気はするので妥当だと思います。
原作では章吉君の方がこのエピソードでは存在感が強い気はしたんですが、舞台版では作中の爆弾テロ事件で彼の彼女が巻き込まれて死亡した…というくだりはなくなっています。
(遺留品として『被害者女性が握りしめていたカバンの持ち手』は出てきます)
舞台の冒頭の場面はパレットタウン。
原作では妹の恵美ちゃんは爆破事件には巻き込まれずにすんだのですが、舞台版では巻きこまれます。
舞台版はキャストの佐野ひなこちゃんの印象もあってか、原作よりもブラコン色が強かった気がします。
事件に巻き込まれる形にしたのは『友人の彼女を巻き込んだ』っていうエピソードの代替なのかな?
舞台版はなんだかんだで妹に振り回されてるいいお兄ちゃんな印象でしたね。
なので、『事件が起こることがわかっていたのに妹を助けられなかった』後悔に説得力が出る気がします。
あ、巻き込まれたって言っても生き死にに関わるレベルじゃないです。
舞台版と原作版の一番の違いは容疑者側の描き方だと思います。
原作を読んでみて、『あのシーンの場面なかったんですけど!!』みたいなシーンが大量にありました。
なので、原作を読んで舞台に……という方との感想と私の感想はかなり違ってしまうと思います。
おそらく、今回の舞台のターゲットは10代後半から30代前半くらいの女性な気がします。
あ、主演の小澤君の劇団EXILEの客層がわからないのであれなのですが。
でもまあ、イケメンヒーロー出身役者さんの舞台に観劇に行く層がメインターゲットかと思われます。
なので、完全に原作とは客層が違うのだと思います。
でも、そのあたりの人達は(更に絞り込むなら20代後半くらいが一番メインな気がします)原作やドラマの記憶がうっすらある世代な気もします。
舞台版での夏目比美子の描写は凄く痛々しい気がしました。
描き方が酷い、とかではなく(まあ、ある意味ではそれでも間違ってないかも)
あ、気持ちがわかるなって、そうだよねって、
劇中での彼女や西巻君の叫びは本当に痛い。
苦しくて、どうしようもない、
「あんたに何がわかるのよ!!」
そう言う側も、言われた側も、痛くて苦しい。
そうやって感情をぶつけ合う。
痛くて痛くてたまらないけど、凄く好きなシーンでした。
西永さんの作品のこういう所が好きなのです。
不器用で、ひねくれてて、でも、ある意味でまっすぐで、一生懸命で、そいう女の子の描き方が凄く好き。
それは多分、女子独特の感想な気がします。
男性はとりあえず、共感……ではない気がします。
そして、原作を読み返したら、そのあたりのシーンはざっくり存在してなかったです。
原作では比美子さんと西巻君はつきあっててSMやってるらしいぜ。くらいの描写です。ざっくり言うと。
舞台版ではその辺を膨らませた感じでした。
『こうだからだったんじゃないの?』みたいな。
原作を読んでからだと、膨らませるのはここなの!?みたいな印象も持ったりしたかもしれません。
でもまあ、その辺はキャストを見せることが優先な感じとかはあると思うので、善し悪しを語るところではない気がします。
1時間50分駆け抜けて行った感じでした。
ドラマ版が1時間であることを考えれば、倍近い尺がある、それでも原作のボリュームを考えたら、原作通りでは出来ない。
時間だけでなく、舞台では舞台ではできない縛りが大量にある。
でも、逆に『舞台だから出来ること』もたくさんある。
生身の人間が目の前で、身体を、声を、感情を、ぶつけあう。
それは舞台特有のもので、多分、劇場にいた人にしかわからないことも大量にあるんだと思います。
それはきっと、DVDで観ても、伝わらないことな気がします。
舞台版は仕上がりとして、とてもとても『いい話』でした。
痛々しいシーンが痛ければ痛いほど、温かいシーンで温かさが伝わる。
私はラストのシーンが一番好きでした。
原作を読み返す前の観劇直後に
このシーンは原作にはないシーンだろうな。という感じはしました。
約2時間、その場に一緒にいたから、伝わるシーンな気がします。
ああ、この子なら、こういうことを言うね。みたいに。
空から降ってきた天気雨に手をのばして、
雨を降らせている神様の気持ちをサイコメトリーする。
雨は神様からのプレゼントですから。ね。
素敵な雨のシーンがある作品を続けて観て、雨が少し好きになった気がします。
3月2日の観劇後も雨が降っていて、
天気雨でもなんでもなく、普通の雨だったわけですが、それでも、なんだかウキウキしてしまったのです。