鯉之滝登の観てきた!クチコミ一覧

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六道追分(ろくどうおいわけ)~第一期~

六道追分(ろくどうおいわけ)~第一期~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/04/05 (土) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/04/08 (火) 19:00

 片肌☆倶利伽羅紋紋一座の劇、第33回公演『六道追分』剣チームのバージョンで観た。
 片肌☆倶利伽羅紋紋一座、通称「ざ☆くりもん」というらしいが(以後くりもんと略す)、そのくりもん一座が今回は、今までありそうでなかった試み、今年の4~8月に掛けてのロングラン公演、更には、出る役者も1期、2期、3期、4期でそれぞれ違う上、2期目からは、座長(山田拓未さん)が主演しないチームで公演されることもあるということで、画期的で、斬新で、それぞれ劇の内容は一緒なものの、その期ごとに、また同じ月内でも、大きく2つのチームに分かれて役者が出ることで、アドリブや、役者の個性が違うので、公演ごと、期が変わる度に、違った印象を感じ取れるんじゃないかと感じ、その試みが面白かった。

 前回初めて観た、くりもん一座のBIG TREE THEATER(池袋グリーンシアター1大きな小劇場)での公演『冥土遊山』の際は、ファンタジーコメディ江戸時代劇ではあったものの、いまいち笑える場面も多々あったはずだが、劇場が大きかったせいもあるかも知れないが、役者との距離が遠く感じて、どこか客席と舞台の間に大きな見えない幕が下ろされて、仕切られているかの如くの距離感を感じた。
 なのでこの作品を観た時に、途中休憩が挟まったのもあって、劇の作品世界にいつの間にか引き込まれるといったようなことがなく、観ている途中度中で現実に引き戻され、大いに笑えなかった記憶がある。
 まぁ、内容が意外と悲惨で救いようが無く、シリアスな部分も結構目立っていたことも大きいかも知れないが。

 但し、今回の劇の『六道追分』では、ファンタジーでない上に、前回以上にかなり笑いに特化して、シリアス部分が無いわけではないし、どうしても、江戸の吉原遊廓を描く上で、悲惨な部分を描かず通る訳にもいかないので、そういった部分をちゃんと描きつつも、全体としては、吉原の大金盗んで逃げる鬼アザミ清吉を頭領にした盗賊たちと、流れ的に行動を共にして逃避行する羽目になる生まれも育ちも吉原遊廓花魁のお菊との凸凹コンビを中心にした、ドタバタ、時々人情なロードムービー喜劇で、旅の途中で出会う個性的でアクの強い人たちと出会いながら、さらに旅につきもののアクシデント(ゲリラ豪雨で川の水がこのままだと浸水)に見舞われたりといった、何が起こるか分からない珍道中ぶりに、腹が裂けんばかりに、普段のストレスや嫌な事が全て吹っ飛ぶほど、大笑い出来て良かった。
 それに恐らく、劇場が池袋グリーンシアター1小さいBASE THEATERでの劇ということもあって、くりもん一座の江戸情緒溢れる、馬鹿馬鹿しくて、騒がしくて、ドタバタ人情喜劇、笑って、最後は泣ける時代劇というコンセプトにピッタリハマると感じた。
 それに、こういう小さな劇場だからこそ、殺陣やダンスが臨場感に溢れ、音楽も含めてすぐそばに迫ってくるような錯覚に陥り、舞台と客席が非常に近いので、距離が感じられず、役者の演技を間近に観ることができるので、ちょっとした楽屋ネタやオーバーリアクションに大いに笑うことができ、劇に没入して、我を忘れることができるんじゃないかと考えた。
 大きな劇場では、大きな劇場ならではの良さや効果があるが、それ以上にこういった極小劇場ならではの良さを改めて実感した。
 それに、くりもん一座の場合、個人的には、役者やくりもん一座の世界観を狭い空間に最大限活かしきれていると感じた。
 但し、今後は大きな劇場で演る際にも、くりもん一座の江戸情緒溢れる、馬鹿馬鹿しくて、騒がしくて、ドタバタ人情喜劇、笑って、最後は泣ける時代劇というコンセプトを活かしきり、大いにに笑わせられるような空間造りができるようになるよう期待している。

 今回、剣チームでの念念(坊さん)役の吉田真綸さんと珍念役の馬場真佑さんとのコミカルで、坊さんたちな筈なのに、非常に現世的な感覚でのコミカルな掛け合いが面白かった。
 あと、念念役が鬼アザミ一味たちと花魁お菊に六道輪廻について詳しく、分かりやすく解説していたのが、大変勉強になった。例えば、仏教における天国や地獄、畜生道などは、実は人間誰しもの心に、大なり小なり潜んでいて、嫉妬や怒り、喜びなどといった形を取って現れる。つまり、皆が考えているような天国や地獄、畜生道といったものが極端で遠い世界、または空想の産物といったことでなく、もっと身近で、人間の感情や観念といったものと切っても切り離せない考え方だと知って、考えさせられた。
 剣チームでの遣り手役の太田有美佳さんが、遣り手役にしてはだいぶ若い人が演っていると感じて、驚いた。太田有美佳さん演じる遣り手は、見た目の怖くて、強気で、妖艶で、したたかな雰囲気で、声もドスの効いた低い声とは裏腹に、花魁や禿に対して、怖く、辛く当たってるようでいて、その実、意外と優しい一面が所々垣間見られて、悪役、憎まれ役と言い切れない、独特な味があって、憎み切れない人物造形になっていて、中々役から、役者の性格が滲み出てくるようで、印象に残った。

ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡

ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡

レティクル座

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2025/04/18 (金) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/04/19 (土) 18:00

 神奈川県横浜公演を観た。横浜公演でのみ『パセリ農家の悲願2025』、『ぬいぐるみおじさんと夢見る鏡』という短編中編2本連続休憩なし上演ということで、最初の短編劇はあまりにくだらなくアホらしく、馬鹿馬鹿しくて大いに笑える作品で、2つ目の中編劇は30過ぎのおじさんに50代後半ぐらいのおじさん俳優演じるおじさんが魔法を掛け、ぬいぐるみのクマにされてしまった30代のおじさんが鏡越しに過去が見えたり、未来が見えたりするが、さらにテレポート能力も手に入るが、結局自分より大分若い女性、それも出会い喫茶なるところでマジックミラー越しに見初めた女性と付き合おうと四苦八苦するが、まぁ、案の定徹底的に上手く行かないどころか、切ないというよりも、あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて呆れ変える終わり方に納得しながらも、30代のおじさんが露骨過ぎて性もなさすぎる上に見た目もパットしないどころか終わってるおじさんと、見た目はそんなに良くはなく、小ズルそうな顔立ちをしているが、意外と汚れなく純粋なところがかえって痛い以外の何者でもない50代のおじさんとの凸凹コンビがくだらなさ過ぎて腹を抱えて大いに笑え、普段のストレスが全て吹き飛んだ。
 
 『パセリ農家の悲願』では食卓に並ぶパセリが主食と一緒に食べられないどころか、パセリだけ残されるといった現実を、パセリにも兄妹がいてといった擬人化して人格まで持たせて、考えさせる劇だが、このそもそもどうでも良いパセリはなぜ食べられないのかを延々と考えさせる馬鹿馬鹿しくて、今どきここまで内容があってないようなドタバタ喜劇で昔の軽演劇のような洒脱さもあって、なかなか面白かった。
 今、全然笑えないどころか、塞ぎ込みたくなるような未来が見えず、暗いニュースばかりが目に入り、陰惨な事件がそんなに遠くない街で起きるような時代だからこそ、ただただ笑い転げられる、大したメッセージがないが面白い劇があっても良いんじゃないかと感じた。

 『ぬいぐるみおじさんと夢見る鏡』は端的に行ってしまえば年の離れたおじさんが出会い喫茶で会った若い女性に恋をするという、まぁパパ活の関係の話だが、そもそもパパ活のおじさんと若い女性の関係において、お互いの利害関係以上に純粋な意味での恋愛など、おじさんの勝手な迷惑極まりない幻想だと思うが、TPOを気にする今どきここまで不適切にも程がある劇も中々なく、大変面白かった。
 勿論、現実問題として考えると、大抵パパ活というとおじさんと若い女性というよりも、おじさんと金欲しさの女子中学生、女子高生、女子大生といったことが多く、特に、女子中学生、女子高生とおじさんとの関係性が多く、即逮捕の案件も多いので、あってはいけないことだと思うし、そもそも女性が下に見られる構図の最たるものだとも感じる。
 だが、劇だったら、いくら勝手なおじさんの幻想の押し付けやご都合主義も良いところな内容であっても、おじさんに多少の夢を与える劇だとしてもありかなと感じた。
 『おじ〜』と言ってくる不思議な魅力があり、相手がおじさんでも、同じ人間として対等に扱ってくれる出会い喫茶で働く女性が出てきたり、ゆるキャラのお姉さんさんの弟が実はホストだったりと、こんなご都合主義や、偶然が重なったりするものかと驚き呆れつつ、ジェットコースターの如く、起承転結が激しく、目まぐるしく展開する劇、そして最後はやはり成るほどと結ばれない、キレイさっぱり断られる終わり方に清々しさすら感じた。
 実際では、こんなに都合よく話は進んでいかないだろうし、おじさんが警戒されないどころか理解して、優しく接しようとしてくる女性なんていないだろうし、おじさんの童貞も奪ってあげようなんて言うのもまともな女性でいる訳はないと思うが、ここまで絵に描いた餅の如く徹底して、おじさんにとって都合の良い世界観の劇は、あまりに現実離れし過ぎていて、誇張も多いので、あくまでこれはフィクションの世界だと思って観ることが出来、大いに楽しめた。

あゝ大津島 碧き海

あゝ大津島 碧き海

若林哲行プロデュース

座・高円寺2(東京都)

2025/04/02 (水) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/04/03 (木) 19:00

 私は、天チームの回を観た。彼らは、将来の夢や希望に満ち溢れていた。
彼女らは、合唱に打ち込み日々に生きがいを感じていた。
 昭和19年、第二次世界大戦末期。それまで仲間同士でお寺に屯し、草野球したりして楽しみ、青春を謳歌し、食糧が日増しに貴重になっていく中でよく食べ、よく喧嘩し、大いに笑いあって、寺に時々遊びに来る合唱部の少女たちと交流したりして仲良く過ごしていた。
 しかし日増しに戦況が悪化して、あちらこちらで空襲の被害が大きくなるなか、少年たちは、一人また一人と、次々に意を決して、一人だけ陸軍航空部隊、他の草野球仲間は海軍に入隊した。暫くすると、彼らに特攻要員募集要綱が届けられた。
 この特別作戦こそが「回天特別攻撃隊」ーいわゆる人間魚雷であるといった感じで、ただ純粋に野球が好きだった少年たち、歌うことが好きな合唱部の少女たちの内の一人は学徒動員で軍需工場勤務に行かされたりと、否が応でも平和な日常が壊され、戦争に参加させられていくという不合理さ、非情さが身に沁みて、感じられた。

 特別攻撃隊と言うと、どうしても空の零戦で敵機に突っ込むイメージが強かったが、しかし実際は空だけでなく海の中で敵艦に突っ込む人間魚雷も海の特攻と言えると感じ、空だけでなく、海からも沢山の将来有望な少年たちが散っていったと思うと、何とも言えない気持ちにさせられた。

 今回の劇では、回天特別攻撃隊に参加した少年たちが儚く、美しく散っていくというふうな描き方をせず、少年たちそれぞれが、恋人や家族、仲間との会話を通して、「死にたくない、生きたい」という切なる当たり前の願いと、「お国のため、天皇陛下(昭和天皇)のため、いやそれより何よりも恋人や大切な家族を守るために、日本がここで負けるわけには行かない」と言ったようなこととが常に錯綜し、思い悩み、でもなんだかんだ言っていざ特攻のために人間魚雷に登場して、発信させる直前になると、怖さや不安、生きることの渇望のほうが買ってしまうがそれでも、進まなければいけないという「生きる」という人間の生存本能を犠牲にしなければいけなかった時代を、社会を丁寧に描き切っていて、現実味があり、その少年たちが決して完璧にできていた訳ではなく、その少年たちにも青春があったことを考えさせられ、普通の少年たちだったんだと感じた。そう思うと余計に切なくて、涙が出てきた。そして、このようなことは永久にあってはならないことだし、風化させず、人が生きている限り、皆で共有し、忘れないで記憶に止め続けることが大事だと、心に深く刻み込んだ。
 そして大事なことは、特攻という行為を美化しない。また、特攻に行く青年との儚い恋愛物語にしない。そして特攻を特別視し、完璧、死をも恐れぬと言ったふうに都合良く描かない。彼らだって、絶対に最後の最後まで一人の人間として思い悩み、死への恐怖に勝てない、超人でも何でもない、今を生きる私たちと同じ人間なんだってことを念頭に置かなければ、特攻で死んでいった人たちが浮かばれないと強く感じた。
 だから、戦争が起こってはいけないし、平和や人権意識を強く胸に抱いて生きて行かないと感じた。第二次世界大戦の中の太平洋戦争下では、相互監視をし、少年までもが特攻という形で青春や将来を壊され、戦争に巻き込まれて死んでいく、こんなこと二度と繰り返してはならないし、絶対にあってはならないと感じた。
 しかし、アフリカ諸国を見れば、しょっちゅう日常茶飯事に紛争が起こり、児童労働や児童婚が起こり、アジアでも似たようなことが起こり、中東やウクライナでは戦争が続き、ヨーロッパでは保護主義やポピュリズムが台頭し、テロがそこかしこで起こり、疫病が蔓延したりと、とても平和とは程遠い状況になっている。
 そして更には、核禁止条約に批准しないどころか、増やそうとしている国だって複数出てきている。この壊滅的な状況だからこそ、私たち一人一人が第二次世界大戦の記憶、太平洋戦争の記憶、特攻隊が少年たちで編成され、本当は生きたいけれども死んで行ったこと。沖縄戦の悲惨な状況、日本が第二次大戦中に東アジアや東南アジアなどにした加害の歴史、そういったことを常に記憶として止め、関心を持ち、加害の歴史に関しては常に反省し、今生きる自分たちのやったことではないけれども、無関心にならず、真摯に向き合っていく。その上で平和を願い続けること、これが今のような不穏で先行きが読めない時代だからこそ、日本だって本当の平和とは言い難い状況になりつつあるからこそ、大事だと切に感じた。

 また劇の中で、回天が一人分故障し、損傷が激しく、直せないレベルだったことから、一人だけ生き残ってしまったことを戦争が終わってだいぶ経って、お爺さんになっても悔やみ続け、自分を仲間を裏切ったんじゃないかと責め続け、その一方で、回天が故障して自分だけ敵に突っ込めないことが分かり、内心「これで生きられる」と思ってしまった自分がいたりする。     そういったことを女性記者に最初は気難しくて、話したがらないが、記者と交流するうちに段々と打ち解けて、心を開き、話し始める。
 最後のほうでは、自分が回天特別攻撃隊で死んでいった仲間のことを戦後何十年もの間思い続け、自分が後に続けなかったことを悔やみ、少しの間でも自分が生きれることに心底安心したことに対して、自責の念に駆られていたこと、そういったかつての仲間や特攻の記憶を覚え続けてきたこと、仲間たちへの供養になるんじゃないかと言うようなことを女性記者に言われ、やっと心の重荷が軽くなるといったふうに描かれていた。
 これほど、ただ生きたいということですら、戦争時、簡単に言うのが憚られ、普通に生きることができなかったかを考えると、私たちが今を普通に生きれることのなんと尊い事かと改めて考えさせられた。
 
 また、出てくる役者が美男美女ばかりという訳ではなく、むしろそうじゃない役者が大半だったのは、その当時普通に生活する人々が巻き込まれていったことを考えると、良い意味で現実感があって、劇的な悲劇などでなく、日常の延長線上で徐々にただ普通に生きたかっただけの人たちが巻き込まれ、悲惨な最後を遂げたり、家族と離れ離れになったりしていく感じがリアルに見えてきて、その当時の状況が浮き彫りになって見えて良かった。

 但し、特攻に行く人が、恋人とと通りで別れを惜しんで、いつまでも泣き合ったり、特攻に行く兄が妹や父母と長いお別れをして、悲しんだり、主婦同士で路上で戦争への愚痴を言ったりと言ったことは、現実的には出来なかっただろうと推察する。その当時、隣組が編成させられ、壁に耳あり、障子に目ありの状況で、更には官憲も跋扈していた状況で、そんなことは思っても、口には出せず、泣くことすらできない状況だったのではと感じた。そこら辺の時代状況、社会状況に対する細かい設定は、曖昧だなと感じつつ、特攻隊員たち一人ひとりに人生があって、夢があって、思い悩みながらもただ「生きたい」と切に願っていた。彼らも私たちと同じ人間なんだと思わせてくれる描き方には共感した。

地球は僕らの手の中

地球は僕らの手の中

劇団十夢

キーノートシアター(東京都)

2025/04/06 (日) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/04/06 (日) 13:00

 支店長になったその日に銀行強盗に入られた、不幸満載男の「ダーリン」。
そして人の不幸が何よりも大好きな妻「じゅんちゃん」。
責任を取って夫婦心中しようとするが、話は思わぬ方向へ進む。
一方、銀行強盗をした「アニキ」と「サブ」は必死に逃亡。
犯罪を犯すにはそれだけの理由があったのだ。(それだけの理由は、サブが謎の女達に噴霧状の睡眠薬を振りかけられ、意識を失っている間に組の軍資金が謎の女たちの怪盗団に組織的、計画的に盗まれたので、組のお金の分を銀行強盗で得た金で取り戻そうとなる)
更に一方、ヤクザの事務所から大金を盗んだ「るい」「ひとみ」「あい」。
3姉妹は成功の余韻に浸っていた。
更に成功の余韻に浸って盗んだ金を3姉妹3人で分配しているところに、警官隊から逃げてきたヤクザ2人が、暫くの隠れ場所として、3姉妹を脅して居座る。だが、ヤクザの「アニキ」も「サブ」もお互いにこの3姉妹の内の2人と面識があり、お互いに言えない隠し事をしており、劇の途中で明らかになる。
 さらに劇の終盤「サブ」を裏切った「アニキ」、3姉妹を裏切った長姉が車で逃げるのを、2人の姉妹とサブが車で全速力で追いかけ、3姉妹の内の末っ子の持つ車で逃げてくアニキと長姉をアニキの車に次姉が崖付近で思いっきりぶつける。そしてぶつけられたアニキの車に急に飛び出してきたのが銀行支店長の妻じゅんちゃんと言ったふうに3組が一堂に返し、3つの話が一つの物語に繋がっていく様が余りに見事で、華麗で、テンポが良すぎて、トントン拍子に話が調子良く進み、回収されて行っていて、現実はこうは上手くは行かないだろうと思いながらも、笑える場面も多かったので、大いに笑えて、その調子良く、小気味良い物語展開にスカッとして、日頃のストレスも吹き飛んだ。
 しかも3姉妹が盗んだ金も、アニキとサブが銀行強盗で盗んだ金も、最後はちゃっかり意外な物語の最初に登場した1組の夫婦に全て持っていかれるという、そんなバカな、想定外で予測不能な、不合理だが良く出来た劇展開に息を呑み、観客の予想をも良い意味で打ち壊してくれ、途中のカーチェイスや騙し合いも馬鹿馬鹿しくも笑え、ドキドキハラハラのスリル感もあって良かった。
 そんな群像喜劇が、劇が終わる頃には狐につままれた気分にさせられた。
 笑いと緊迫感と馬鹿らしさ、全然先が読めない展開の均衡が見事過ぎて、感心してしまった。
 
 また、ベタな芝居がかった演技でなく、過度に誇張しない役者たちの素に近い演技が、返って信用して、まさかこう来るかという意表をついた終わり方過ぎて、ただ、ただ、唖然とさせられた。

 銀行強盗の場面やカーチェイスの場面や山間の崖に繋がる道路の場面、3姉妹の家の場面等で、能·狂言のごとくに大道具や背景、小道具を使わず、映像さえ使わないという(一部で大金が入ったバッグ2つや明らかに玩具の拳銃、ナイフが使われるが、それを除いて)在り方に、道具や映像を殆ど使わずとも、人の言葉や演技だけで、ここまで想像力を観客に膨らまさせることが出来ることに大いに感心してしまった。もっとも、表情力豊かで個性的、アクが強くてジェスチャーゲームで優勝できるレベルの身振り手振りで今どんな状況か、何を運転しているのか、どこにいるのかなどがひと目で分かり、よくできる粒揃いの役者ばかりで、物語も理解できるしと感心してしまった。決して美男美女ばかりではないけれども、完成度が高くて、なかなか見応えがあった。
 
 やはり演劇は、見た目の良い役者やアイドル、声優から引っ張ってきて動員稼ぎにやっ気になるよりも、無理に舞台狭しと大きな舞台セットや中道具、小道具、映像を最大限使って、観客の創造力を摘むよりも、背伸びし過ぎず、地道に公演を殆ど何も使わずに表現し、作品の魅力や純粋に役者の演技力だけで評判を呼び、人が自然と埋まる、こういった在り方の劇公演のほうが、至極真っ当だと感じた。
 まぁ、その代わり見た目や人気に頼れないし、舞台セットがほぼないし、場面を説明するものもほとんど無いので、観客の想像力に託された形となるので、説明的にならず、役者がどんな状況、場所かなどを観客が思い浮かべられるよう、さり気なく身振り手振りやちょっとした会話から分かるようにしなければいけないので、大変難易度が高くて、演技力も相当求められるものなので、役者にとって相当普通は磨かないと出来ない物だとは思う。天才を除いては。そう考えると、今回の劇団は笑いを自然に取るのも含めてプロの劇団の中でも高度な今どきなかなかいないプロフェッショナルだと感心した。

狂人よ、何処へ ~俳諧亭句楽ノ生ト死~

狂人よ、何処へ ~俳諧亭句楽ノ生ト死~

遊戯空間

上野ストアハウス(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/03/21 (金) 19:00

大正・昭和の歌人であり劇作家であり小説家だった吉井勇(1886-1960 )は、大女優・松井須磨子が唄い大流行させた「ゴンドラの歌」の作詞家としても知られている。「いのち短し恋せよ乙女~」という歌詞で有名なのは知っていた。
 しかし吉井勇が「句楽もの」と呼ばれる作品群があり、「俳諧亭句楽」という落語家と、その仲間たちの騒動を描いたもので、九本の戯曲のほかに「句楽の日記」「句楽の手紙」などの日記体小説もある。それらを通じて描かれているのは芸人たちのもの悲しく、そして微笑ましい生きざまが描かれた句楽ものを連作していた事は知らず、吉井勇の新たな、良い意味で意外な一面を覗けた気がして良かった。
 
 吉井勇作の俳諧亭句楽を主人公にした群像劇の句楽シリーズから九本の戯曲と複数の小説から面白い、不思議な、下らない、物悲しくも笑える話を選んでバランスよく組み合わせて一本の話にまとめられていて、時に笑えて、時に悲哀に満ちながらも、全体としてはあまりに馬鹿馬鹿しいが、それをあまりに真剣になり、何やら魂を作る機会だの、魂の病院だのと句楽は最終的に狂ったかに見えるが、意外と、もしかしたら実現不可能では無いんじゃないかと思わせてくる、妙な説得力があり、圧倒されているうちに終わっていた。
 もはや、今の時代、不穏で先行きが見えない社会の中で、魂の病院だの、魂を作る機会だの魂の墓場だのといった一見馬鹿馬鹿しいまでの話であっても、その話にほっこりさせられ、気持ちも晴れ晴れとするんだったら、それが本当に実現可能かどうかはおいといて、その発想は良いことだと感じた。

 句楽と仲間たちの基本取り留めもなく、しょうもない話が浅草喜劇のドタバタで話の筋があってないようなハチャメチャ喜劇や、エノケン映画の笑い、落語に出てくる人情的だが、涙に訴え過ぎない長屋連中の笑いといったような笑いが組み合わさったような感じで、登場人物たちもとても個性的で、癖が強くて、日々の嫌なことや、ストレスがたちどころに消えて大いに笑えて、解消できて良かった。

あのね、あの時、あの夜の音。

あのね、あの時、あの夜の音。

劇団さかさまのあさ

ひつじ座(東京都)

2025/03/20 (木) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/03/20 (木) 18:00

 舞台セットや、役者の化粧やカラコンの派手派手しく、今話題で漫画原作のアニメ化、映画化もされた『押しの子』のポップでダークな世界観、Tik TokでバズったアイドルグループやInsta映えなどを狙った感じなどと雰囲気が似ていた。
 しかし劇が始まると、全然そんなことはなかった。
 記憶喪失で自分の名前すら忘れてしまった女性が、不思議な女性と出会い、その女性は自らを"アイ"と名乗り、ここは死後ではなく、死語の世界だという。記憶喪失の主人公の女性からすると、その"アイ"とはこの死語の世界で会うの初めてな気がするのだが、"アイ"の側はどうにも記憶喪失の主人公の女性と前にも会ったことがあるような素振りをみせ、どうにも馴れ馴れしく、距離感をやたら詰めてくる上に、名前が思い出せないならと勝手にナナシと名付け、良い名前と一人満足して、勝手に他の妙に個性的でアクの強い死語たちに紹介してしまう強引さだが、どこか憎めず、謎を抱えているところが鮮明に印象に残った。
 また、大抵亡くなった人や昏睡状態、認知症が酷く進行して呆けている人が主役の話の場合は死後の世界が舞台になり、死神、鬼と閻魔大王、悪魔相手に七転八倒の地獄破りが描かれたり、現世とほぼ何ら変わらない世界が描かれたり、死後において六大王に裁かれながら進んでいくドタバタ、ハチャメチャ道中が描かれたり、主人公が幽霊となって現世でやり残したことを成し遂げようと奮闘する話だったりするものだが、そのどれにも当てはまらず、記憶喪失の主人公の女性が死後ではなく死語の世界で大切なものを思い出そうと悪戦苦闘する話ということで、発想が突飛でなかなか面白かった。
 チョベリグ(チョーベリーグット)、チョベリバ(チョーベリーバッド)というかつてのギャル言葉を擬人化した上でレズカップル?というような設定にしていたり、前田という言葉が絶妙に間が抜けていて、感覚がズレているが、時々的を射たことを言う、また死語の世界における人から忘れ去られると、その言葉を消す役割の鬼も、言葉を消す際衣服を奪う地獄で言うところの奪柄婆のような、非常なようでいて心根は優しさや人情も時々垣間見られるエバ、ギャルの組み合わせ鬼々羅々の言葉を消すのを何処か楽しんでいるようなサイコパス的で、情緒どうなっているんだろうと考えさせられるような鬼も出てきたり、かと思うと主人公のナナシの記憶のカケラが擬人化し、時に主人公を追い詰め、時にナナシが記憶を思い出すのに一役買ったりと闇なのか光となるのか全く言動行動が読めない登場人物を出してみたりと、登場人物たちの細かい設定や、主人公の記憶を封印したのにはそれ相応の理由があった背景、"アイ"も悩みなんてないようでいて実はといったことを一つ一つ丁寧に描いていて、そこそこ登場人物が混在し、登場人物の誰も彼もが主張しあい、その癖主人公は影が薄い割には、非常に分かりやすく、頭に入ってきて、鮮明に物語が眼の前に立ち上がって来るようだった。
 
 ふわふわしたキャラも出てきたが、言葉を消す鬼が出てくる際、照明が暗くなり、音楽も不穏で不気味で思わず背筋が凍るような音だったりして、闇陣営と主人公側の比較的光?陣営とのコントラストがハッキリしていて、分かり易かった。
 それでありながら、"アイ"が鬼たちに囲まれた際も、絶体絶命の危機のような状況で、古い流行語や間違った言葉、悲劇のヒロインぶったりすることで深刻な場面も深刻になりすぎず、時に笑える場面になっていて、非常に劇の中での緩急の使い方が、あまりにも自然で、上手いと感じた。

 主人公のナナシが途中から記憶を少し思い出し、赤いポーチをチョベリグ、前田氏たちと危険を試みず探し回るが、冒険の途中で必ず出てくるナナシの記憶のカケラに頭を悩まされ振り回され、追い詰められるが、それは本当の自分と結果的に向き合うことになり、自分が母親であることを思い出し、遠い昔に娘を、娘と友達複数人だけで行った海辺で貝を拾っていたら大きな波に飲まれ、海難事故で娘を亡くした辛い過去を思い出し、その辛い過去から現実逃避せず、向き合い、母親である自分だけは忘れないでいようと心に決め、歩き出し、そして、実は"アイ"こそが…という衝撃の結末に向かって、後半戦はジェットコースターのように話が進み、別れが辛くて切ない終わり方に、心にグッとくるものがあった。
 

泡風呂で生まれなおす

泡風呂で生まれなおす

COLLOL

cafe MURIWUI(東京都)

2025/03/20 (木) ~ 2025/03/20 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/03/20 (木) 15:00

 上演会場が小劇場やホール、公民館等でなく、Cafe MURI URIという、まぁ正確に言えば、Cafeというよりかは演劇やダンスや舞踏、展示会、シンガーソングライターによる弾き語りLIVE等に使われるイベントスペースだということを、Cafeの公式サイトを見て分かったが(なお、現在Cafeとしては営業していないということが公式サイトに書かれていた)、それにしてもCafeで公演するということだけでも気になる。その上、田口アヤコさんという役者による一人芝居であり、朗読劇であり、現代ダンスも多少取り入れており、観ていて、良い意味で演る作品の数も4作品とそんなに少なくなく、劇の内容も盛りだくさんで、観ていてお腹いっぱいになった。
 また、ドリンク代を払って、ドリンク片手に、気軽に鑑賞でき、Cafeがアパートの屋上に面している関係もあってか、窓から気持ちの良い陽光が差し込み、店内はあんまり無駄に電気を使っていない感じが、Cafeという空間を最大限に活かしていると感じ、自然さえも劇の背景に思えてきた。
 
 最初にCoRichに載っていた劇のイメージの写真とタイトルからは良い意味で、はっきり言ってどのような内容なのかが全く想像できなかったが、その現代アートのような写真や突飛なタイトルに惹かれて観にいったら、想像していた以上によく出来ていて、感心してしまった。

 
 私は、昼の回を観た。
 昼の回の前半の中編の劇川上弘美作『aer』では、出演しているのが役者の田口アヤコさんのみなことを逆に強みにした主人公の女性が赤裸々で欲望のままに生きていたところから、自分の子どもを身籠り、産みの苦しみ、息子が大きくなり、成長し、親離れしていき、段々息子が大きくなるにつれ、殺したい衝動が肥大化していき、苦しみ、いつの間にか自分が人並みに歳を取っていき、気付けば、息子も自分と似たような性癖を持ち、自分と同じような欠点を持ち、自分と同じように恋愛して結婚し、子どもが産まれ、気付くと歳を取っていくんだろうと考えると、その循環こそが、究極の復習になるのではないかといった風に考えるようになるまでを、時にに独白的、時に私小説的、時に詩的、時に哲学的、時に感情露わにして、主人公の女性の心情を描いたり、物語がどれくらい進行してるかを表現していて、これは田口アヤコさんの個性もあるのだろうが、内容的には多少のサスペンスやサイコホラーの要素さえあれど、幻想的だったり、ファンタジックな要素なんて微塵もないのに、その独特な動きや語り口から、不思議な話だと錯覚させられてしまうから見事なものだ。

 後半では、谷川俊太郎作の詩『ぼく』、短編劇田口アヤコ作『わたしが死んだら世界が終わる』、宮沢賢治作の詩『永訣の朝』を観た。
 2つの詩は、詩が描く人物描写や風景、世界観がありありと目に浮かんでくる朗読で、非常に良かった。
 短編劇田口アヤコ作『わたしが死んだら世界が終わる』は、タイトルだけ観ていると、村上春樹さんとかと似たような世界観と思いきや、蓋を開けてみると良い意味で裏切ってくれて、中味は、銀河鉄道の夜に出てくるジョバンニの母親とカンパネルラ亡き後のジョバンニのリアルで痛々しいその後を描いていて、『ドラえもん』におけるドラえもんが居なくなった後の、のび太とのび太ママ、ジャイアンとスネ夫、しずかちゃんと出来杉の中年になった姿を描くくらいに見てはいけないパンドラの箱を開けた感が否めなかったが、そのドキドキ冷や冷や感に引き込まれた。
 高齢なジョバンニママがコロナで亡くなり、自分が亡くなった後工場で夜勤で働く息子のジョバンニが上手くやっていけるかどうか等の不安や心配から暫くの間幽霊となって家に留まると言ったことなど、妙な現実と不思議さが日常の延長線上に描かれて、話が進んでいって、なかなか興味深かった。電気、ガス、水道代等が溜まっているなどリアル過ぎて怖いぐらいに、宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』のその後を描いているとは思えないぐらい、ロマンもクソあったもんじゃない現実が突きつけられていて、感慨深かった。

 但し、前半、後半を通して、ほぼ笑える場面がなくて、極度に身体を張り詰めて、極度に集中して観ていたので、観終わった後、そんなに長時間じゃなかったはずだが、途中休憩もあったし、適度にドリンクも飲んでいたはずだが、気の張り詰め過ぎで大いに疲れた。
 

ノートルダム・ド・パリ ストレートプレイ

ノートルダム・ド・パリ ストレートプレイ

GROUP THEATRE

浅草九劇(東京都)

2025/03/05 (水) ~ 2025/03/10 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/03/06 (木) 18:30

 ストレートプレイ劇として、かの有名なヴィクトル·ユゴー原作の『ノートルダム·ド·パリ』を観たが、通常一般的に、休憩含め3時間超というのは、オペラやバレエ、ミュージカル、シェイクスピア劇等を除いてあまりないはず。
 しかし、ストレートプレイ劇という、あんまり歌わず、過度に動かず、セリフや独白にかなり力を入れた言うなれば役者の演技力が試される劇だったので、役者も所謂現代劇やオペラやミュージカルよりもそのハードルたるや大変なものだったと思う。
 勿論ヴィクトル·ユゴーの『ノートルダム·ド·パリ』はオペラやミュージカルとして有名で、映画化も幾度かされ、ディズニーのアニメ映画『ノートルダムの鐘』としても有名で、日本でも児童劇団によって演られる演目の中にも入るほど有名で好評だが、それより何よりも、今回の劇が3時間超な上、内容が内容なこともあり、終始緊迫した感じで、一時たりとも、気が休まらなかったが、その疲れが吹き飛ぶかと思うぐらい、当時のジプシー(ロマ)に対する尋常じゃない差別や偏見、不具者で醜いカジモドに対する尋常じゃない差別や偏見が丁寧かつ克明に、残酷に描かれていて、その当時の常識や時代背景を描くためと思われるが、差別的蔑視的用語が役者の口からとめどなく溢れており、今の時代だったらこれはヘイトスピーチになるレベルの聞くも耐えない罵詈雑言だったりが平気で飛び出てきて、その当時の一般人の感覚を視覚的にも理解することができ、時に心根は優しく実直なカジモドや色んな人を翻弄しつつ、自分では翻弄している自覚なしのエスメラルダに感情移入したりして、気付くと終わっていたので、意外と時間感覚を忘れるぐらい感情移入し、物語世界に浸っていた。

 ヴィクトル·ユゴーの『ノートルダム·ド·パリ』は世界的にも有名な作品だが、シェイクスピア劇の『ロミオとジュリエット』、『美女と野獣』を足して2で割った作品だと感じた。
 但し、『ロミオとジュリエット』では、お互いの勘違い、すれ違いにより、または早合点により自殺していき、2人が自分の命を絶ったことをきっかけに、激しく対立していた2つの一族が仲直りするという結果的には、悲劇でもあるが喜劇でもあるという結果、『美女と野獣』の場合は末娘の野獣に対する無償の愛によって、野獣の閉ざされていた心が少しずつ開いていき、結果として魔法が解け、野獣が王子の姿になるといった感じのハッピーエンドだったりする。
 それに対して、『ノートルダム·ド·パリ』は『ロミオとジュリエット』と『美女と野獣』を足して2で割った世界のはずだが、最後の最後まで一切の救いがないところに、妙な現実の残酷さ、中身がいくら清らかだとしても見た目が醜いカジモドと見た目が美しいエスメラルダだとは簡単には同じ土台に立って恋愛ができる確率は低いのかと考えると、感慨深く、現実はなんと厳しいことかと思った。
 まぁ、しかし少なくとも、現代においては、見た目や格好が醜かったり、障害や知的障害を持っていても忌み嫌われ、罵られ、嘲られ、挙げ句の果てに例えば、軽犯罪を起こすと、実際の罪より、明らかに理不尽な罪が課されたりといった露骨な事はないだろうと感じた。
 だがしかし、軽犯罪を起こすと、実際の罪より、明らかに理不尽な罪が課されたりといったことや障害や知的障害を持っていたり、自分たちと違う文化、色の民族といっただけで差別的蔑視的、侮蔑的、言動や行動に出たりといった露骨な形では出ないものの、今の時代本人に直接言うことこそあまりなくなったものの、スマホのSNSやパソコン等で匿名でいくらでも誹謗中傷があり、差別的蔑視的、侮蔑的発言が書かれていることからも、今でも品を変え形を変えて、続いていると思うと、更に某大国同士レベルでの関税を巡っての煽り合戦で、国同士の紛争や戦争がある現代世界を考えると、程度こそ違えど、いつの時代も差別や偏見ってあるものだと考えると、何とも割り切れない想いに駆られた。

『BORDER〜罪の道〜』

『BORDER〜罪の道〜』

五反田タイガー

六行会ホール(東京都)

2025/03/05 (水) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/03/09 (日) 12:00

 刑務所内が舞台となる劇や映画、ドラマはよくあるが、大抵は囚人たちそれぞれの個性を描きながら、仲間を集めてチームを組んで、時にぶつかり、時に支えあいながら刑務所からの脱獄をするドタドタコメディ、シリアスな頭脳戦を駆使した脱獄劇こういったエンタメさくひんが一般的には多い。(男女どちらの刑務所を舞台としても同じく)
 若しくは、冤罪や日本の死刑制度の在り方における人権侵害の問題に真摯に取り組んだ映画におけるミニシアター系やTVでいうと独立系のTV局、小劇場演劇などで行われる社会派作品といった形で囚人たちが、または囚人が描かれることは多い。
 今回の劇では、、途中女囚たちと刑務官たち、刑務所長とのドタドタコメディや芸人の姉妹や女囚同士の笑い、ユニークで絶妙にズレているシスターやとある女囚と刑務官がレズの関係にあり、人前で公然とキスしようとする大胆な展開なども見られた。
 しかし、意外と今まで描かれていそうで、特に演劇ではあんまり描かれてこなかった殺人事件で殺された被害者の生き残った母娘の側から、囚人や死刑囚がどういったふうに見られているか、最初娘は特に死刑囚に対して憎しみ、殺意さえあったが、その感情を乗り越えて、成長していく様が描かれていてなかなか新鮮だった。
 そして、劇中に一線を越える、超えないといったこと、犯罪を犯す側と犯さない側の違い、犯罪を犯した場合、法のもとで裁かれるが、犯した人は社会に復帰するためには、再犯しないためにはどう自分を見つめ直し、反省し、2度と同じ過ちをしないように気を付ければ良いのかといったことを深く考えさせられながらも、笑えて歌って踊るエンタメ作品という要素、いくつかの要素をバランスを考えながら劇に昇華していて面白かった。
 
 但し、個人的には、死刑囚だからといって、仮にその死刑囚が連続殺人犯だとしても(まぁ、被害者家族からしたら、自分の手で殺してしまいたいぐらいだが、それでは法に触れるので、法の名のもとにでも、犯人を裁いて極刑である死刑にしたい気持ちも判らないでもない)、日本の現状制度としてある死刑が、法の名のもとに行われるのはおかしいと感じる。
 先進国では死刑が撤廃されている国も多いし、されていない国でも事実上の廃止になっている国も少なくない。
 そういったことを考えた上で、死刑制度とは国の法の名のもとに平気で公然と人が人を殺せるシステムだと考える。
 それにまた、日本で絞首刑を行う際、ボタン一つ押すだけで済ませられるということを考えても非人道性は否めない。
 また、死刑囚になる程の罪を犯した人間が死刑になることで、死を持って償うというのもどうかと思う。
 凶悪犯にだって、大抵の場合家族や親族がいる。奥さんや夫、小さい子どもがいる場合もある。法に則っていたとしても、囚人が死刑にされた場合、日本は軽犯罪でさえ、1度犯すと、就職や恋愛、結婚もままならず、軽犯罪者に家族や親族、子どもなどがいる場合、学校や職場に居づらくなり、自殺にまで追い込まれる人もいるのだから、これが死刑囚の家族や親族、子どもの場合、自殺どころか、一家心中、無理心中に発展するリスクも高くなるし、職場のパワハラ、同僚による陰口、学校での壮絶な虐めなどによって引き籠もりになるリスクも高まるだろう。子どもに八つ当たりして、虐待が頻発とかも十分考えられる。
 勿論、上記のことは、犯罪被害者家族やその子どもにも言えることだが。
 いずれにしろ、家族や親族、子どもたちの将来も壊すことになる。懲罰感情を近代的な法制化とが複雑に絡み合った死刑制度が、日本の死刑制度だと感じる。
 以上のことから、私は死刑制度には反対だ。その死刑制度があることで、凶悪犯罪が増えていないといった確証もない。むしろ、地方都市や田舎で起きる凶悪犯罪は跡を立たない。
 死刑制度の代わりに、凶悪犯には、終身刑にして、相当頑丈に出来ていて、脱獄不可能で、ほとんど光も入ってこない厳重警備な独房にいれて、本と写真、スクラップブックを持ち込むのだけはOKにして、勉強がしたいと言えば、他の囚人たちと交流させながら、刑務官がさり気なく見張って勉強をさせ、時々凶悪犯の場合は、被害者家族とも合わせつつ、長い時間をかけて自分の犯した罪に対して、徐々に反省させていく仕組みのほうが、今の死刑制度よりか、よほど健全で、人道的だと考える。
 人はすぐには反省しないかもしれないが、たとえ凶悪犯であっても、時間をかけて、カウンセリングや他の囚人たちとの運動なども含め、長い時間と人との交流をして、本を読み、しっかりと勉強すれば少しずつ罪の意識を持つようになるかもしれない。そのチャンスさえ簡単に奪ってしまうのが、死刑制度だと強く感じた。

プシュケーの蛹

プシュケーの蛹

中央大学第二演劇研究会

シアター風姿花伝(東京都)

2025/03/06 (木) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/03/07 (金) 18:00

 今回の中央大学第二演劇研究会2024年度卒業公演『プシュケーの蛹』というタイトルだけ見ると、現代舞踏集団群舞公演だと思った。
 しかし、実際観た公演は良い意味で裏切られて、混沌(カオス)としていて、アンドロイドに幽霊、宇宙人、さらに街の奇人変人で超個性的でアクが強い住人が舞台狭しと主人公3人とそれぞれ出会い、それらが複雑に絡み合っていて、最後のエンディングに向かって突っ走る。泥臭く、青春で、もどかしいまでのアンドロイドとの純愛の要素も絡まり、観念的、哲学的な劇でなかなか面白くて、その独特な世界観に引き込まれた。

 小西、中山、大野の三人はトリオでお笑いコンビを組んでいるが、目指す方向性や目標、将来像が違う。劇が進むに従って、小西は研究所でアルバイトを始めると宇宙人とひょんなことから出会い、大野は昼は骨董屋で夜はBARという明らかに胡散臭くて怪しげなBARのマスターに勧められるがままに飲んだお酒の効果によってか不思議と幽霊が普通に見えるようになった。
 そして劇の最初のほうで小西、中山、大野がシェアハウスを始めたアパートの中で見つけたアンドロイドるりを造った技術者を探そうとただの優しさから捜索を始めた中山が、アンドロイドるりと一緒に過ごすうちに、59日でるりとの現在の記憶が全て消えると分かっていながらも、本気でるりに恋をしていった。
 劇の途中から、るりが実はある豪雨の日に研究所所長が運転する車に乗った家族諸とも崖から海に落ち、海難事故で所長のみ助かり、娘のるりは遺体で見つかったが、人間として生かせないと知った所長はアンドロイドとして娘のるりを蘇らせ、今の技術では永久に生かせる程の高性能なアンドロイドは無理だと断念しつつ、現在の技術ではこれが最大限といった限界レベルでアンドロイドの命を持たせるといったような、アンドロイドるりを造った研究所所長や所員たちの思惑や、過去、所長の娘や妻に対する未練や後悔が滲み出ていて、アンドロイドるりの新事実や秘密が次々に暴かれていき、驚き、感動した。
 そして、終盤アンドロイドるりに対して純粋な愛を感じるようになっていた中山は新事実や秘密を次々と知り、とうとう耐えられなくなってるりと車で逃避行する。そういった状況の時に、小西が宇宙人との交流のことや大野の幽霊の話が全然違って進行していたようで、ここに来て仲間の中山とアンドロイドるりを探そうと、街の人たちも巻込み、一致団結し、繋がってきて、大変興味深く、良い意味でこれぞ混沌(カオス)だと感じた。
 何気に宇宙人や幽霊、アンドロイドやゴーストバスターズが街の景色に溶け込み、街の人たちに紛れ込んでいるのがさも普通といった感じに描いているのが、藤子不二雄のSF(少し不思議)な感じで緩く描いているのが、ある種の究極の多様性であり、何かじんわりと不思議な暖かさを感じた。

 ただし、純愛的なのは良いが、最終的に中山だけ蛹になることで、アンドロイドるりとの出来事を覚え続け、忘れないようにしようとするのは違うと感じた。それは、観念的、哲学的な終わり方としては良いかもしれない。
 しかし、アンドロイドるりとの想い出を引きずって諦めたか思考停止しているようにしか見えない蛹になるという結末よりか個人的には、娘と妻を海難事故で失って、娘をアンドロイドとして蘇らせ、妻の幽体をアンドロイドるりに移植せんとする研究所所長がアンドロイドるりの本当の持主で、元所長の娘だとしても、アンドロイドるりを真に愛しているのならば、中山が研究所から奪還し、きつく抱きしめ、涙が止めどなく溢れると、何かの拍子にアンドロイドるりが自らの意思を持ち、記憶が停止していたのが一気に蘇る軌跡が起き、ハッピーエンドというほうが良いと感じた。

 また、今回の劇は、ファンタジーでSFで、混沌(カオス)としていて、哲学的なのは良いが、闇陣営が出てこないのが物足りなく感じた。学生演劇にしては、プロとしての才覚があり、学生演劇に特にありがちな、内輪乗りもなく、大いに笑えて、感動もでき、とても良くできているだけに、残念だった。
 起承転結もしっかりと出来ていたが、惜しいと感じたのは、やはり闇陣営が出てきて、闇陣営によるリンチ(爪を剥がす。無論本物ではない。眼を刳りとる。本物でない墓石で叩く。鞭打ち。緊縛。本物でない指を叩っ切る)により息も絶え絶えの状況に追い込まれる等、残酷な場面、瀕死の場面、今まで信頼してた筈の仲間に裏切られたり、宇宙人の仲間の宇宙タイムパトロールに追い掛け回されたりと言った、激的だったり、緩急の激しい場面を入れ込むと、より劇に振り幅があって、完成度が高まると感じ、これからも劇作家の人には、プロの劇団を立ち上げて、書き続けてほしい。期待しています。

 韓国現代戯曲ドラマリーディング ネクストステップVol.2

韓国現代戯曲ドラマリーディング ネクストステップVol.2

日韓演劇交流センター

座・高円寺1(東京都)

2025/02/28 (金) ~ 2025/03/04 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/03/04 (火) 14:00

 大学教授であるチェ夫妻は、海外留学を控えた娘の送別会を開くために別荘を訪れる。彼らは自分たちの平穏で豊かな暮らしに満足していた。
 しかしその平穏は、娘のチェ·スンヨンが婚約者で少なくともスンヨンとは30は離れた大学非常勤講師の中年男を別荘に連れてきたことを発端にどんどんお互いに目を背けていた都合の悪い事実(不倫など)が浮き彫りになり、今までリベラルな考え方で寛容に見えた教授のチェ·ミョンガンも化けの皮が剥がれたように偏見が露呈し、妻のカン·スンオクも今まで上品で優しく見えたのが、娘の婚約者が中年男だと分かり、娘と30近くも離れていると知って忌避感が露骨に現れ、豹変して品位の欠片もなくなる。そして成り行きか、故意かは判らぬが婚約者チン·ソンピルを巡って事件が起き、現場にいた管理人家族の息子キム·ハヌルが犯人に仕立て上げられそうになるが、それをハヌルが阻止しようとしたりと、事件の責任を押し付け合うためについた嘘が嘘を呼び、お互いに保身に走り、疑い合う。
 後からパーティー(娘の送別会)に参加した管理人家族のキム·チョルス夫とチョン·エラン妻に事件のことを隠し切れず、物置部屋に置いた死体を見つけられたので死体を隠し通すことはもはや無理とチェ夫妻らが悟り、何とか真相までは突き止めさせず、責任逃れをしようとあがく様が大いに笑え、終盤でお互いに追い詰められ、今まで我慢してきたものが一気に吹き出し、パワーバランスが崩れ去り、最期に残ったのはキム·ハヌルのみという終わり方に愕然とした。
 非常に韓国社会の暗部、富裕層の偽善、欺瞞、貧困層の鬱屈した気持ちなどが劇を通して浮かび上がり、韓国社会の格差社会を嫌と言うほど震撼とさせられた。
 この作品は、ポンジュノ監督の映画『パラサイト 半地下の家族』と全体的には比較的テーマ性としてもかなり似かよっていると感じたが、ポンジュノ監督の映画以上に救いがなく、暗鬱とした気分になり、もはやキム·ハヌルに輝かしい未来が見えない終わり方に現実を突き付けられた。しかし、一部の光さえない徹底した不条理コメディサスペンス劇にある意味、清々しささえあった。
 やはり不謹慎だとは思うが、人の不幸を劇で観て、家族が崩壊し、知り合いで信頼しあえていたと思っていた管理人家族との関係性も壊れていきといった過程を観ていると、日頃のストレスや鬱憤が晴れて、気持ち良かった。

時代絵巻AsH 其ノ拾八『蒼穹~そうきゅう~』

時代絵巻AsH 其ノ拾八『蒼穹~そうきゅう~』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2025/02/06 (木) ~ 2025/02/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/02/07 (金) 18:30

 ― 蝦夷 ―
原始よりこの国に息づく誇り高き古の民。
彼らは立ち上がる。
まつろわぬ民と蔑み、東北を手中にせんとする大和朝廷の侵攻に。ということで、蝦夷に焦点が当たった歴史時代劇だった。
 そもそも大河ドラマ等では、江戸時代だったら○○代目徳川家将軍、もしくは明治の偉人やまれに昭和のオリンピックの群像劇、あとは江戸より前だと、鎌倉幕府、足利家や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らによる安土桃山時代。最近では、紫式部によって書かれた『源氏物語』の元ネタとなった平安時代や藤原道長、藤原不比等と紫式部たちの関係性が描かれた大河ドラマと、余り昭和、明治を描いたもの(昭和、明治を描いたものでは才能はあるかもしれないが、一般人や商才のある人物が主役となることもある)を除き、民衆というか、庶民の側、虐げられる側、少数民族アイヌなどを描いたものは、大河ドラマではない。
 時代劇映画では、虐げられた者たち、大衆、被差別部落の人たち、アイヌなどを描いたものはないわけではない。
 演劇ではどうかというと、忍者の郷を描いた者や桃太郎伝説に則りながら、朝敵とされて鬼にされていく過程を描き、桃太郎が利用されていく様を描いた作品などもあり、大河ドラマよりはある気がするが、純粋に事実に則った形で緻密に人間の心理描写を描き、単純な対立軸や平安時代だからといって平安貴族全員が浮世離れして、和歌を嗜んだり、庶民感覚が一切ないというような典型的に描かず、また終盤場面も判官贔屓になり過ぎてないところなど、さらに割とタブー視しているところまで切り込んでいる時代劇演劇は今回の『蒼穹』を除いて、今のところはないと感じた。
 ただし今回の劇は、他の時代劇演劇や殺陣が入る劇、大河ドラマや時代劇映画と比べて、殺陣の場面は人物の心理描写や駆け引きの場面、桓武天皇の冷徹な野心や藤原家が朝廷に取り入ろうと四苦八苦する場面などは丁寧に描かれているものの、殺陣に関しては迫力とリアリティに正直言って欠けていた。

 頭が良くて気が利く万能で父親である桓武天皇から信頼される弟の伊予親王と和歌などの才能はありつつ、貴族から影で馬鹿にされ、親である桓武天皇からも我が家の恥だと思われている安殿(あて)親王との確執が丁寧に描かれ、武官一つとっても、一人ひとりが全然違う性格で、さらに蝦夷に対する思いや蝦夷征伐において行う作戦も全然違って面白かった。
 また、桓武天皇が武官大友弟(おと)麻呂の失言に対して激昂した際に言う自身のルーツが渡来系であることを明かしたり、天皇家が近親相姦で家系の血統を守ろうとしていること(今は違うが)を話す場面など、世の中でタブー視されるような事実をさらっと登場人物に言わせていて、かなり大胆に切り込んでいて、ヒヤヒヤしつつも、こうやって忖度せずに言えるところが、大手スポンサーが一切付かない小劇場演劇ならではだし、それぐらいの、最低限の表現の自由があってこそ演劇だと、しみじみと演劇の良さを痛感した。
 陰謀渦巻、政争だらけで、隙を見ては相手を追い落として這い上がろうとする宮廷貴族たちや野心の塊の武官、冷徹な野心があり、蝦夷を同じ人とみない桓武天皇などの朝廷側に対して、それぞれの族が緩やかにまとまって一つの村を形成し、それを取りまとめているのが阿弖流為(あてるい)で、普段は呑気に楽しく唄って踊って酒飲んで暮らしている野心や政争とは無縁で、思いやりもあり、時々喧嘩もするけれど、基本的に包み隠さず言い合えて、卑怯な事は好まず、お互いを信頼していると言ったふうに蝦夷側は描かれており、その対比が一つのセットで、小細工を少し加えたり、加えなかったりと言った微々たる変化で差を表しており、演劇のなせる技だと感心した。
 朝廷側だけでなく、蝦夷側、それに加えて途中から蝦夷のことをよく理解して平和的に解決しようと奔走する坂上田村麻呂など時代劇演劇だからかかなりの人物が出てきたが、一人ひとり個性や性格、考え方に至るまで違って、その違いが劇中において丁寧に描写され、蝦夷征伐における考え方の違いなどもきめ細かく、台詞一つ一つにその人物の価値観が浮き彫りになっていて、理解しやすく、俯瞰的に観ることができた。
 
 日本政府与党(自公)が現代において、裏金問題発覚等で庶民を軽視している姿勢が目立ち、政策ごとに与党(自公)に擦り寄ったり、離反したりしようとする国民民主党のあり方が少し藤原摂関家的であり、都政や府政では、社会的弱者であるホームレス等の立ち退きやコロナ渦には夜の店や居酒屋等に都職員が立ち入り圧力をかけたり、海外ではイスラエルとパレスチナの人たちが住むガザを(先にハマスがテロ行為を仕掛けてきたとはいえ)虐殺と言っても大袈裟ではない、罪のないガザに住む民間人を大量に殺したり(まるでガザに住む民間人全てがハマスに深く関わっているとでも言うかのように)と今でも、醜い政争もあるし、社会的弱者を差別したり、人と思わず殺したりといったことが行われている現実が、昔も今も変わらないと、この劇を観て感じた。
 ただし事実に基づいたこういった時代劇演劇等を観ることで、少しずつそういった偏見や差別、圧力といったことに意識的になり、少しは変わることが出来るんじゃないかと感じた。

ごはんが炊けるまで(仮)

ごはんが炊けるまで(仮)

演劇企画アクタージュ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/01/30 (木) ~ 2025/02/03 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/02/03 (月) 16:00

 結婚をうっすら考えはじめたカップル、直人と結。
ある日結にせがまれ、家族を紹介することになった直人。
実家に招き家族だと紹介するが、その家族には何か違和感が、実家の家族とは真っ赤な嘘で、家族に対していろんな想いや問題を抱えている人達が集まり、年齢もバラバラな人達で構成される和式の家をシェアするシェアハウスではなく、各々が家族の役割分担を持つゆるい擬似家族だということが結にバレるまでのその場しのぎで何とか無理にでも結を騙しきろうと四苦八苦する直人たちのズレた会話が、劇前半から中盤にかけての、ハラハラドキドキ感満載のシチュエーションコメディで大いに笑えた。

 劇中盤から後半にかけては、擬似家族において長男を演じる智陽が実は離婚してたのは真っ赤な嘘で、本当はまだ奥さんがいた上、擬似家族で我儘でぶりっ子な典型的な、いや寧ろそんなに若くも見えないのに痛い末っ子役を演じる杏と2人で肩くんで楽しそうにベタベタと歩いているのを智陽の奥さんに見つかり誤解され、擬似家族がシェアする和式の家の中に居座られたり、それまで優しく可愛らしかった直人の彼女の結が、直人が自分を今まで擬似家族を実の家族と騙していたことが分かり、劇終盤において、それまで我慢に我慢を重ねていたが、ついにブチ切れ、擬似家族を構成している人達を徹底的に糾弾し、直人も追い詰めるという豹変ぶりで、今までとは打って変わって、激的な場面が幾度となく展開し、スピード感があって眼が離せなくて、擬似家族の人達のそれぞれの主張も飛び交い、なかなかの観もので迫力があり、思わず自分が劇中にいるかと錯覚させられるほど、作品世界に引のめり込んだ。
 あと、お隣さんの詩織がふてぶてしく、図々しく擬似家族の和式の家に居座って、長椅子に座ったり、漫画読んだりと他人の家なのに自由過ぎるのだが、何処か憎めない雰囲気で、観ているとついつい気になり、なかなか面白くて、原田桃さんが演じていたが、印象に残った。

実は、結の両親は○○で、だからそれが悩みでなど、それぞれの余り他人に言えない秘密や問題を抱えていて、擬似家族という在り方を通して、擬似家族が使う家を通して、世の中で言う『普通』とは何かに鋭く切り込みつつ、大いに笑えるコメディとして楽しみ、多様な「家族」の在り方について考え、一般的なイメージや世間が押し付ける「家族」概念に疑問を持つことの大事さ、少数派の意見を排除しない共生社会について、この疑似家族と直人、結を通して、もっと私達の身近に起こりうること、或いは起こっていることとして考えさせられる物語だった。

藤戸

藤戸

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2025/02/01 (土) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/02/01 (土) 18:00

能の「藤戸」。藤戸の戦で平氏に勝利をおさめた佐々木三郎盛綱が、児島の国(現在の岡山県倉敷市)の領主に着任した場面から始まる物語というCoRichに書かれたあらすじを読んだ感じだと、どんな感じか全容が分からなかった。
 なので観始めた時はどんな感じか分からない不安の方が大きかったが、観ているうちに現代音楽や映像、不気味な程に薄暗く、時々俳優に絶妙に当てられる照明の向けかた、多少の能の所作が組み合わさって、夢幻能的な幻想怪奇な独自な世界観の現代劇で、思わず現実世界を忘れその世界観に引き込まれていた。

 源平合戦の中で海上合戦が得意で児島周辺を支配していた平家と藤戸海峡を挟んで舟を持たない源氏軍が対峙する状況。
 そのなかで、源氏の武者「佐々木三郎盛綱」が先陣切って藤戸海峡を馬にて一気に児島に向かってかけ渡り源氏の状況を打破する。
 だがその為に、藤戸海峡から児島までの距離を測る為に児島の村人を水先案内人に児島の浜辺まで案内させ殺害するという衝撃的な残虐ピカレスク劇で、劇の前半から中盤に掛けての殺害再現場面や村人の母親の老婆の責められる場面、自分が殺害したことをいつまでも後悔と今を生きようとする心の狭間での葛藤でもがき苦しむ人間臭い佐々木三郎盛綱が、児島の国の領主となった際眼を失ったことからもギリシア悲劇『オイディプス王』における父殺しで実母と分からず結婚して犯し、眼を失うという同じではないが似通っており、日本版『オイディプス王』と言っても過言ではないと感じた。
 しかし劇の中盤から終盤にかけて、眼を失った上で水先案内人の村人の母親が佐々木三郎盛綱を刺殺しに来るというような安易な復讐ではなく、水先案内人の村人の亡霊によってか、佐々木三郎盛綱自身の懺悔の念が呼び起こすものかは知らねど、悪夢のように村人を殺害した後の島に上陸直後の同じ日を気付いて起きると何度も繰り返し、不死身の身体となり、無限にループし続ける、これこそが悪戯に殺された村人の怨霊によるある意味どんな呪いや復讐よりも、佐々木三郎盛綱を精神的にも肉体的にも窮極に追い詰める手段としての最大限の復讐だと考えると、スーと背筋が凍り付き、恐怖に慄いた。何より、いつの時代でも永遠の時間というものに対する恐怖と憧れは変わらぬものだと感じた。
 どんな恐怖映画やお化け屋敷にも匹敵するものを感じ、『藤戸』という能がもはや古典と化しているものの、全然忙しい現代でも通じるものを感じた。

バンバン学校裁判BANG!

バンバン学校裁判BANG!

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2025/01/16 (木) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/01/18 (土) 13:00

 観劇のだいぶ前に、CoRichであらすじを読んだ感じだと、とあるド田舎の小中一貫校では生徒間が対立しまくっていた。そこで教師と親たちは、全員の問題に白黒つける為に学校裁判を開く!思いつくままに告訴が乱発し、その矢は大人にまで飛び火していき、混乱がヒートアップしていき、カオスになっていく学校裁判劇ということだった。学校と裁判劇の組合せが異例ながら、生徒たちと先生たちの問題に裁判で白黒つけようということで、社会問題化している先生による性暴力、親による性暴力、虐め問題、虐待、暴力教師、引き籠もり問題、貧困問題、極端なスクールカースト問題、外国人やハーフの子の差別問題等に裁判劇という形式を用いて鋭く切り込みつつ、徹底したエンターテイメント性のあるコメディ劇になっているのかと感じて大いに期待していた。

 しかし、実際に観劇してみると、思っていたのとは良い意味で違っていた。
 具体的には、劇中の裁判では小中一貫校ということで、小学2年が学校内で飼っていた豚を逃した疑惑で中2のギャルを訴えたりと思っていたより、社会問題も多少は扱っていたものの、その殆どは所詮小中高生が訴える内容で、つまりあまりにもくだらなくしょうもない、中には結論が出ないような訴えもあったりと小中高生中心ならではの裁判で、期待していたものとはだいぶ違ったがなかなか面白かった。
 裁判なのに自分が馬鹿にされると本物ではないが、モデルガンを撃ちまくり、映画や漫画等のネタバレを使用ものなら本物の拳銃を撃とうとするまるで赤塚不二夫の漫画に出てきそうな大人気ないどころか極端な駐在が、そもそも実際の裁判では傍聴席にいるのさえ駄目なはずなのにいたりとハチャメチャで、裁判の法廷も学校内の上、裁判官役検察役、弁護士役が生徒によって時に小6の生徒を指名したり、時に先生、時に存在感が薄い事務員が指名されたりと、ころころ変わる所がメチャクチャであり、リアリティーのある裁判劇というよりかは、殆どが茶番劇であり、小学生、中学生らしい視点で話が展開し、時に感情論や強引な結論、友達が弁護士役をになったりとぜんぜん公平性には欠けるが、子供っぽく裁判というより裁判ごっこが進行していく展開、明らかに30代位のオジサンなのにおバカな小学3年を演じたりしている無理ある感じもなかなか大いに笑えた。

 最後のほうで中3が暴走しそうになったり、最後に産休教師の南名弥が子供が産まれそうになって、それまでいがみ合っていた生徒たち、微妙にズレた先生たちが協力して産ませてあげようとする様が、予想不可能な展開になってゆく上に、なんとはなしに劇が終わる頃には自然といい感じに感動していた。
さらに、全体通して大いに笑え、日々のストレスも吹き飛ばすことができて良かった。

アンナの銀河

アンナの銀河

演劇集団nohup

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/01/22 (水) ~ 2025/01/27 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/01/23 (木) 19:30

 『アンナの銀河』のタイトルやあらすじを読んだ感じだと、藤子F不二雄のSF(少し不思議)な漫画の話とかのパロディ的なSFコメディ劇と思って期待して観に行った。途中劇中にはっきり出てこない星人が優生思想で人間を研究対象で下等に見ているのがナチスを彷彿とさせる。
 さらにシェルターでアンナと他の家族が生活する。共同で隠れてシェルターで生活するが途中で大人同士のイザコザが起きたり、不倫が起きたりし、実験用ペットとして15年間シェルター外の入れ物の外から観察してきた星人が痺れを切らせて未知のウィルスを食べ物を作り出す機械の中に混入し、アンナ以外全滅するが、アンナだけ生き残り、引き続き観察が続けられる。といった在り方が『アンネの日記』を書いていたアンネとその一家が密告されて、ナチスに捕まり、アンネは病気で亡くなるという事実と偶然かもしれないが酷似して(厳密なやり方は違うものの)重なる部分が多くて、ちゃんと劇作家·演出の人は『アンネの日記』を読み込んで、アンネフランクに関わる文献を徹底的に調べ上げた上で書いて上演しているなと感じ、感心してしまった。
 それまでのけいかではハラハラドキドキ心配になり、時に戦慄さえ感じて、終始緊張しっぱなしで、時々笑える場面も多々ありつつも、劇の進行から片時も眼が離せなかったが、終わり方が『アンネの日記』を換骨奪胎した上にアンナが救われるということで、安心して胸をなでおろすことができた。

 アンナが劇中書く日記をアンナ自身が独白で読み上げる形式が普通の劇より説明的な感じがやや否めないものの、それが逆に新鮮で特徴的。アンネフランクの生涯は劇にもたくさんなっていると思うが、『アンネの日記』をアンネが独白形式で読む説明感強めでありつつの群像劇で、要所要所の重要な山場の場面さえ押さえれば、観客が劇に引き込まれつつ、最後にお涙頂戴的なことでなく、無理なく感動して、自然と涙が出てこれる演出方法で、本当の『アンネの日記』の劇化の際に参考になるんじゃないかと考えた。もちろん説明的すぎるのも良くないと思うので、適度なバランスは大事だと思うが。

 『アンネの日記』における性的描写やアンネが明るくお喋りで落ち着きがないが無邪気でありつつませていて、段々日記を書く中盤頃から思春期なのを意識し始めたりする、アンネがよくその辺にいる普通の女の子だといったエピソードがあるが、『アンナの銀河』においても似たようなエピソードをちょこちょこ挟む劇作家·演出の人の妙な忠実ぶりには感慨深かった。

PLATFORM LIVE

PLATFORM LIVE

インプロカンパニーPlatform

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2025/03/18 (火) ~ 2025/03/18 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/01/21 (火) 19:30

 私は複数回、インプロ(即興劇)を観たことはありましたが、今回のはまるで寄席みたいに3部制になっていて、途中短い休憩ありで、観客を良い意味でここまで巻き込み、飽きさせない。このようなインプロ劇なかなか観たことなかったので新鮮だった。

 インプロというとその名の通り即興劇をイメージし、お客さんに予め紙とペンを渡して、劇のタイトルや劇中に役者に言ってもらう言葉や台詞を書いてもらって、それらを籠に入れて、劇中に観客から集めた紙がランダムに置かれている中から適当に引いて書かれている言葉を見ながら台詞に落とし込む。仮にその言葉が劇の場面にそぐわなかったとしても、違和感があったとしても、さり気なく言い切るというような役者のアドリブ力が試される、長編、中編、短編のことを言うのだと思っていた。
 しかし、今回のインプロ(即興劇)を観たらその概念は吹っ飛んだ。まぁ、確かに上記のようなインプロもあるが、1部や2部におけるインプロゲームでは、昔話のお題を観客に言ってもらって1分で演じて見せたり、複数の役者が一人の人物を演じ、残った一人の役者が相手役を演じる、また役者と予め舞台出演希望の観客4人、そして当日空きがあったので1人希望者を募って舞台に出し、それぞれ観客一人と役者一人のペアで組ませて10~20分と素人を巻き込むにしてはまぁまぁ長丁場で演らせる上に、途中から演じてない役者が思い付きやアドバイスでかなり突っ込んだことや無茶振りを演らせるので、無理難題でインプロ(即興劇)ハードルを上げ、タイトルやざっくりどんな物語なのかも説明せず、会話しながら掴んでいくという難易度の高い技を観客にも求めていて良い意味で、今までのインプロイメージが立ち消えになり、インプロって一言で言っても多様だと感じた。
 また色んな種類があってどの方法が明確に正しいというか、公式なインプロというのはないんじゃないか、定義付けすることが難しいんじゃないかと感じた。

 3部での30分弱のメインのインプロ(即興劇)では、普通私たちが勝手に思い描くインプロだと、観客が書いてきた紙をさり気なく読むという以外何のルールも縛りも無いという既成概念を良い意味で打ち壊していて良かった。
 3人だけで回しながら演じるインプロ(即興劇)だったが、そのなかで劇の設定や場所、それぞれの劇の場面にあっていない台詞違和感のある言葉などを3人中1が発したら、他の役者が厳しく鋭く突っ込んでキレていい、怒って良いというルールというか、縛りというか条件を付けていて、それが返ってリアリティーショー的なライブ感というか、ハラハラドキドキ出来て良かった。

舞台『D-ystopia~終わりの始まり~』DVDリリースイベント

舞台『D-ystopia~終わりの始まり~』DVDリリースイベント

END es PRODUCE

本所松坂亭(東京都)

2025/01/18 (土) ~ 2025/01/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/01/18 (土) 18:30

 『D-ystopia〜終わりの始まり〜』というダークファンタジー劇のDVDのリリースイベントというのは、演劇を観に行くことは多かったのですが、意外とDVDリリースイベントという公開打ち上げイベント的なイベントに参加したことが無かったのでどんなもんかと思かったのだが、実際行ってみて大いに笑え、笑い転げられ、日々のストレスや嫌なことが吹っ飛べて良かった。

 劇のDVDを観ながら、『D-ystopia〜終わりの始まり〜』に出ていた出演者であり、今回のDVDリリースイベントに参加しているW主演の2人の俳優が高身長でハイスペックな見た目と低身長でガチャガチャしている3枚目なキャラな人が兄弟だっていうのが以外で、驚きだった。

 『D-ystopia〜終わりの始まり〜』の脚本を書いて、脚本·演出·出演もしていて、今イベントのMCをしている遠藤巧磨さんが他の出演者の役者たちを芸人男性とEND es PRODUCE所属の藍澤慶子さんたちが言葉巧みに、自虐も時々しつつ、時に鋭く突っ込みつつ、イジり倒していて面白く、爪痕の残し方が、芸人に匹敵していて良かった。

 所々DVDを観ながらのトークも面白かった。特に楽屋話や裏話、DVDのリリースイベントの参加役者による、リリイベにいない役者の暴露話、良い意味で悪口合戦がとても面白かった。
 特に、『D-ystopia〜終わりの始まり〜』に出てくる王子様系のムース役の女優が劇の稽古の休憩時や稽古後も王子様で同性を気を遣ってくれたり、同性に自分の役作りも含めてなのか、2人の飲みに声掛けてきたりするチャラい面があることの暴露がぶっちゃけていて大変面白かった。
 また、銃を使った女優によるアクションがDVDを観て、それっぽく見えているけれども、実はリアルな撃ち方ではないというような話も聞けてなかなか興味深かった。

 昼間のDVDリリイベの際の高身長の俳優が発した擬音のしもネタの話題がなかなか印象的で、腹を抱えて大笑い出来た。

 DVDリリイベの出演者を2組に分けてポイント獲得の為の射的が、出演者の反応が面白かった。
 また、インプロ(即興演劇)を2組に分かれて、お客さんに開演前にあらかじめ書いて貰った言葉をランダムに出演者の役者がセリフに嵌め込んでいて、何の言葉が出てくるのか分からないドキドキ感が大いに楽しめた。
 

サー☆カス!

サー☆カス!

to R mansion

ザムザ阿佐谷(東京都)

2025/01/12 (日) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/01/13 (月) 18:00

 今回は劇ではなく、ファミリーサーカスと言うことだったですが、to R mansionの公演ということだったので、物語性とコメディ要素、幻想的でアクロバティック、そしてパントマイム要素、また少し大人な世界観で、少し不条理で最後はじわっと感動的な終わり方になっていることが多い普段の公演とまでは言わないまでも、そういう要素を多少は期待して観に行ったのですが。
 良い意味で期待が裏切られて、良かった。コマ回しにけん玉、サーカスにto R mansion&江戸川じゅん兵さんたちによるパフォーマンスとマジックなど、思っていたのと違って、かなり現代演芸的でお祭り騒ぎで騒がしいワちゃわちゃした感じだったが、大いに笑えて、日頃のストレスも吹っ飛んで、楽しめた。
 また、ファミリー向け公演ということで、子供連れが多かったが、大人一人でも充分臆する事なく楽しむことが出来て良かった。

 コマ回しのKomatanは思っていたよりダイナミックでそれに比べると、けん玉師の伊藤祐介さんは芸が細かったがウッカリ見逃しそうになるくらい繊細だけれども凄い芸を見せつけられて、圧倒された。ただどうしても、天井も低く狭い小劇場で大道芸を演る側も、観る側双方に限界を感じてしまった。
 作曲家でピアノを弾くイーガルさんは、芸としては映画やジブリアニメの曲調に合わせながらそれらの物語を一言やにニ、三行の言葉で言い表すといったことなのでかなり観た感じは地味ですが、後から笑いが込み上げてくるような面白さがあり、良いところを突いていると感じた。イーガルさん自身のキャラが、根暗な調子で根明でポジティブで根拠なき自信があって見た目や雰囲気とのギャップが面白かった。
 to R mansion&江戸川じゅん兵さんたちによるによるMoonlightをテーマにした幻想的で少し大人な独特な世界感に癒やされ、ウットリさせられた。
 叶結さんたちによる男女のコンビによるサーカスも良かった。具体的には、サーカスというよりどちらかというと、ポールダンスを少しエロティックにする女性とその周りでポールダンスを真似ながらなかなか思うようにいかなかったり、時々成功したりする道化師の男性とのドタバタと技の共演が時に面白く、時に魅入ったりした。
 マジックの荒木巴さんはマジックも凄いことながら、それ以上に蛇の国のお姫様という色々無理がある設定と、蛇国のお姫様ということで、語尾に〜なの蛇と付けたりするキャラが個人的にツボにはまってしまった。

冥途遊山(めいどゆさん)

冥途遊山(めいどゆさん)

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2025/01/03 (金) ~ 2025/01/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/01/06 (月) 19:00

人は死ぬと、鬼の迎えで冥途に旅立つ。
 呉服問屋の番頭・善六にも鬼の迎えがやって来た。鬼と旅する49日では7日毎に裁きを受け、生前についた嘘や犯した悪行により、来世生まれる場所が決まるという。
 善六の他にも火消しや遊女(実は?)、主婦に僧侶など、命日が同じ死人達がそれぞれ事情を抱えつつ、冥土の旅をするというあらすじから勝手に、絵本『地獄のそうべい』や落語の『地獄八景亡者戯』と言ったような一癖も二癖もあるアクの強い登場人物たちが、鬼をコテンパンにし、八大地獄をメチャクチャにし、閻魔を出し抜いて、現世に意気揚々と戻ってきて恋人や奥さんと幸せに、または友達と仲良くなりといったファンタジックな抱腹絶倒で馬鹿馬鹿しい江戸人情ドタバタ喜劇かと勘違いして、大いに期待して、観に行った。
 実際、そこそこ笑えたし、江戸人情ドタバタ喜劇的ではあった。特に、どこかとボケた善六、熱血過ぎてどこか時々空回りする火消しに天然な遊女(?)、変な自信があり過ぎる主婦に強欲僧侶と確かに癖は強すぎたし、それぞれの絡みは面白かった。それに強欲僧侶担当の鬼子(名前が鬼滅の刃の禰󠄀豆子のパロディ?)僧侶役よりかなり年下に見える可愛強いによる、おじさん僧侶をスポンジスティックのようなもので滅多打ちにし、罵詈雑言な言葉攻めして、僧侶がヨガっている誇張したSMショーの様は、中々に見物で面白かった。厳密に言えば、スポンジスティックのようなものよりは、金属バットか乗馬用鞭、もしくはSM戯用のM男に使う鞭、ハリセン、鉄扇、殴る、蹴る、一斗缶を上から投げつける、タバコの吸い殻を落とす(本物に見えれば良い。本物だと尚良い)、バケツ目一杯入れた水を掛ける、ステッキで思いっきり叩くなどを実践してみると、視覚的に、より観ているこちらも中々スリリングで冷や冷やドキドキして面白いと思う。
 ただ、喜劇というよりかは、良い意味で期待を裏切られ、悲劇的な結末だと感じた。

 元々は商家のお嬢様で使用人たちにちゃんとお金を払う為、最終的に遊女にまでなるという、世間知らずで人を疑うことを知らない、人が良すぎ、正直者で嘘が付けないことから商才がない今作品のヒロインで難役を惣田紗莉渚さんがこなしていた。
 後から気になって、パソコンで調べてみたら、惣田紗莉渚さんは元SKEで現在女優をしていることが分かり、大変驚いた。
 良い意味で、言われなかったら、全然元アイドル感0で、よく見ると可愛らしい演技派役者にしか見えなかったので。
 ただし、今回のヒロインあき役での前半での世間知らずで、人が良くて、無邪気で、人を疑う事を知らなくて、正直者で嘘が付けないことから商家の一人娘なのに商才がないお嬢様は、雰囲気やおっとりとした言葉遣いからも伝わってきた。
 しかし、中盤から後半にかけてのヒロインのお嬢様が遊女になり、遊女の仲間たちとの会話や出てくる遊女全体の服装含めどこかコスプレにしか見えなく(一部の役者除いて)、正直吉原遊廓の時代考証が所々甘いと感じた。
 ただ、最終盤で、吉原遊廓が火事になり、それに乗じて家が貧しく、家計を助けるため、父親に嘘をついて、遊女になった雪乃を逃し、客席に向かって見え切って、啖呵を切った元商家のお嬢様からの変貌ぶり、覚悟を演じ切っていて、観ているこちらにも迫力が伝わってきて良かった。

 劇全体としては、お嬢様と使用人の現世で身分違いで結ばれぬ恋があの世で、善六は鬼となり、雪乃を逃し、自分(あき、源氏名薄雲)は吉原遊廓の火事の業火に巻き込まれ亡者となったことで結ばれるという終わり方だが、何というか個人的には、このような自己犠牲的な結末には納得がいかなかった。
 劇全体としては良かったが。
 ドタバタ人情喜劇ならば、徹底して欲しかった。
 それに、あきは雪乃を火事の吉原遊廓の混乱に乗じて逃しても、その後業火の遊郭にあき自身がわざわざ留まり続けなければ火事で焼死することもなかったと思う。
 キリスト教的にはもちろんのことながら、仏教的には、わざわざ生きられる命を自己犠牲にして、あの世では半永久的に地獄なはずなのに、それでも本当に良いのか、疑問に感じた。

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