
カサブランカ
株式会社スタイルオフィス
博品館劇場(東京都)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/09/07 (日) 16:00
劇中何度かリック役の口から「君の瞳に乾杯」等の映画『カサブランカ』に出てきて、今や映画の中を飛び越えて、その台詞があまりにも有名になり過ぎた名言の数々が、あまりにもさり気なく朗読劇の中に丁寧に織り込まれていて、演出家の遊び心を感じて、楽しむことが出来た。
ただ、カーテンコールで出てきて感想を最後に述べた時の時のリック役の廣瀬智紀さんは、大人の色気があって「君の瞳に乾杯」と言うようなキザな台詞が似合う雰囲気と違って、責任感があって真面目で優しいが、どこか着眼点等が変わっていて、劇中とのギャップが面白かった。

カサブランカ
株式会社スタイルオフィス
博品館劇場(東京都)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/09/07 (日) 16:00
かの有名な名作映画『カサブランカ』を朗読劇として演るということで、どんな感じになるものか、想像もできなかったが、実際に観てみて、そんな長時間の劇ではなかったのにも関わらず、そのどこかほろ苦さも感じさせつつ、不穏な戦争の影響も描かれ、愛憎絡み、最後まで誰の言葉を信じて良いのか予測のつかない展開となり、お互いの思惑から、互いに騙し合い、利用し合うといった感じで、物語に深みが与えられ、ただの恋愛物語と言うよりも、終始サスペンスな要素も強かったので、知らぬうちに緊迫した感じに集中させられ、劇に没入していた。
朗読劇な筈なのに、男女のすれ違い
や主人公のリックの過去と向き合うこと、戦争の影が色濃く忍び寄ってきて、ナチスドイツのシューラッサー少佐のナチスドイツに忠誠を誓い、威圧的な態度で、地元警察等に対して接してきて、中立を謳う酒場を経営するリックも密売人でリックと顔馴染みのギレルモ・ウガーテが自身が経営する酒場で捕まり、そのウガーテが国外に出るためのビザ手続きのために関わった亡命者でレジスタンスのリーダーヴィクター·ラズロがかつてリックと惹かれ合ったイルザの夫だと知った。
そのことによって、リックは信念と愛との間で激しく揺られ、ある重要な決断をするに至るまでを丁寧に描いて、リックに関わる人たちの様々な思惑が絡みあっていくのがサスペンス仕立てにされていて、とてもドラマチックで、途中でシューラッサー少佐がウガーテに対する尋問場面で、ウガーテ役の台本を取り上げ、自分の台本を見ずに、堂々と台詞を言う場面や、リックの独白場面で、リックが過去の思い出したくないイルザとの別れのことや現在イルザがラズロの妻だということに思い悩むところで、リック役の役者がそれまでの表情一つ変えず、冷淡ささえ見て取れる無表情で淡々とした物腰や表情から一転し、ボロ泣きして、汗を大量に流し、鼻水を大量に垂らし、啜っては激しく動揺しながら、胸の内を吐露する感じが、人間味を感じ、非常に共感できた。
戦争に運命を引き裂かれ、3角関係に悩まされ、イルザをリックが思う気持ちと、イルザと、その夫でレジスタンスのリーダーのラズロを無事にアメリカに送り届けてあげたい、もう間もなくこのカサブランカも危ないというような思いの間で最後のほうまで決断しきれないリックの歯切れの悪さが人間味があって良かった。
朗読劇ならではの出てくる人物も最小限にして、色濃い人間ドラマ、場所も主にはリックが経営する酒場、ホテルが舞台となり、観ている側も、登場人物たちの様々な思惑を台詞やちょっとした細かい言動を注視しながら、恋愛要素もありつつもサスペンスふるで予測も付かない展開に、息を呑みながら、集中して観れて、途中余りの緊迫感に身体が身動き取れないほどだった。
ここまで、笑いがなくて、観客に良い意味で集中力を強いる劇もなかなかないと感じた。
なので、逆に私は映画の『カサブランカ』は今まで観る機会がなかったが、これを気に観てみたくなった。
朗読劇との細かい違いなど知れる楽しみもあると感じた。

『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場MOMO(東京都)
2025/08/26 (火) ~ 2025/08/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/08/28 (木) 19:00
『私立シバイベ女学園 灼熱の課外授業編』のSチームの公演を観た。
「学力があれば防げた」と事務所判断で私立シバイベ女学園に入学させられた生徒ばかりが集まる、非常識で、筋金入りの馬鹿すぎてこのままでは世に出せないレベルの年齢的には社会人で、普段の仕事は、アイドルグループのリーダー、モデル、グラビアアイドル、下北沢の劇団員、深夜アニメの声優、お笑い芸人、シンガーソングライター、ライバー等々で、その殆どが兼業でアルバイトもしていると、芸能人だが、個性豊かで癖強だが、人間味があって親しみやすい設定の芸能人が多く出てきて、全員社会に出れないレベルの馬鹿というような極端で、突飛すぎるコメディなのにも関わらず、妙に現実味もあって、大いに笑えつつ、その独特な世界観に引き込まれた。
途中袋に入ったボールが渡され、授業参観に来た芸能関係者という設定で、私たち観客も、国語の授業で感じの読み間違いなど、ミスが多かったら、当たっても痛くない小さなよくアイドルが投げるメッセージボールぐらいより大きめだが、メッセージボールと同じ軽さ、柔らかさのあるボールを投げて良いというような趣旨の説明を副校長やS組担任から受けて、国語の場面で生徒役にミスがあるとボールを投げてみた。(もちろん生徒役本人にできるだけ当たらないように配慮して、生徒役の立っている位置より奥か、手前にボール落ちるように意識して投げた)
しかし、このように観客も自然と巻き込んでいくスタイルは、意外と面白いと感じた。劇は中断せずに、劇の一通りの流れの中でさり気なく、ボールの説明をする辺りも、現実に一瞬でも観客を引き戻さずに、劇に集中しながらも参加させていて、しかもやることがボール投げとよく小中学校の運動会である玉入れが思い起こされ、単純だけれども、童心に帰ったようで、純粋に楽しかった。
但し、例えばS組担任息吹楓役の邑上優希子さん(本当はS組担任役は大西彰子さんだったが、恐らく体調不良で出れなくなった為)、または副校長秋元康子役の板垣まゆさん等が、国語の授業の原稿を読む場面で、観客の中から適当に選んで、その選んだ人を舞台に上げて、生徒役に読ませていたものより遥かに難しく、普段使わない漢字や、聞いたこともない言葉が羅列してある原稿を読ませて、恥をかかせる、そんな企画があっても、個人的には面白かったと思う。
完全に実在する実際の姉妹ではない叶姉妹というユニットの芸能人にあやかって、この劇には非常勤講師の保健室の先生役として、毎回guestで4姉妹という設定で、入れ代わり、立ち代わりグラビア、モデル、アイドル、役者などを読んでおり、実際と同じく叶(かのう)という苗字な上、名前にguestの本名が組み込まれており、妙な生々しさが相まって、フィクメンタリーな要素が絡んでいて、面白かった。
副校長の秋元康子も実在するアイドルプロデューサーの秋元康さんに子を付け加え、ほぼ名前を寄せてきている辺りとかも、妙な現実味があって楽しめた。(隠れミッキーならぬ、役の名前や苗字、経歴などの中に実在する宝塚や劇団四季へのオマージュがパンフレットを買って、見返してみると、そういう楽しみ方も出来て楽しい。まぁ、劇を見ているときに気付いた、実在する芸能人の名前が役名に入り込んでいることに気付けることもあったが)
芸能人だと特に最近取り沙汰されがちな、セクハラやハニートラップといったことへの対処法を生徒役やguestの非常勤講師叶智絵子役の小林智絵子さんも参加してのショート劇で実演したりする場面もあるが、極端化してブラックコメディにしていて、緊張感あるシリアスな感じに描いていなかったので、気軽に見れた。
しかし、後から、深く考えさせられた。そもそも個人的には、セクハラやハニートラップ等に被害者側が対処しなければいけないということではなく、そういうことが起こらないように、芸能界、TV、映画業界等が真剣に取り組む事こそ大事なのではないかと感じた。
だが、セクハラ、ハニートラップこういったことが芸能界、TV等ではよく起こること、その他芸能人による不祥事や不正、脱税そういった闇の部分にもさり気なく劇中のショート劇といった形をとって描かれ、または劇中の生徒役同士の会話から浮かび上がらせたりすることで、そういった事に普段から目を通している観客じゃなくても、芸能人や芸能界、TV業界の陽の側面だけではない闇の部分や裏事情について知って、関心を持つ初心者向けと考えると、良いとも思えた。
今回の劇は、アイドルグループのリーダーが主役だが、恐らく2024年で、劇場MoMoで観た公演だったと思うが、それもアイドルグループのメンバーが主役(リーダーではないが)の少し不思議だがシリアスでサスペンス要素の強い群像劇だったが、その劇では、ストーカー被害にあってグループに復帰できないメンバーの葛藤や不信感、被害者に寄り添いつつ、社会問題として取り扱いながら、ハッキリと加害者が誰であるかを名前や刺して怪我を負わせる動機などが描かれない。そういったシリアスでサスペンスな展開が続き、主人公が追い詰められていきながらも、最後は多少幸せと思われるような描き方をしており、途中詩的な表現や少し不思議な表現も多々ある静かだが実験的要素もある劇だった。
同じアイドルが主人公で、芸能界や芸能人の闇の要素を扱いつつも、今回見た劇はブラックな要素もあるかも知れないが、根本的に大いに笑い飛ばせる明るいコメディだったので、こんなにも同じようなものを扱っても、こうも違う感じになるのかと、驚いてしまった。

Go West!
劇団芝居屋樂屋
たましんRISURUホール(立川市市民会館)(東京都)
2025/08/28 (木) ~ 2025/08/30 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/08/29 (金) 18:00
予定より7分程遅れて開演したが、開演時間が押したことが気にならない程、濃密で、大いに馬鹿らしくて笑える場面もあったが、深く考えさせられる作品だった。
今回の劇は正直、子どもも沢山出ており、演技経験のそんなになさそうな人も出ている市民劇といった感じが否めなかったので、そんなに期待していなかった。
しかし、実際に観てみると(まぁ、出演者の子どもによっては、明らかに歌う場面で、音階がズレていたり、台詞がたどたどしくて、苦笑レベルの子もいなくはなかったが)、思っていたよりも、完成度も高いし、プロの役者とそうでない人や、子どもの明確な線引きが出来ない程、演技も自然に見え、歌も上手くて、眼を見張るものがあった。
今回の劇は、西部劇のミュージカルだが、その組み合わせだけでもかなり詰め込んでいると感じるのに、今年戦後80年ということもあってか、西部劇なのだけれど、人を殺さず、敵を作らず、西部劇ではお決まりのならず者、お尋ね者、ギャング的なものは出て来ない。
最初敵役として出てくるならず者たちも、そうなってしまった背景が語られたり、主役たちの側の言い分、ならず者側が悪いことを続ける言い分が語られ、どっちの言い分が絶対に正しいとかではなく、お互いのことをもっと知ろうと努力し、相互理解するよう努め、心を開いて話し合えば銃などで撃ち合わなくて済む。
もっと平和的に大きなトラブル、戦争、紛争であっても解決できるといったテーマが盛り込まれていて、ただの古典的なアクション西部劇ではなくて、面白かった。
互いに憎しみあい、怒り、お互いの正義や守るべき者の為、大義名分があれば、銃を取って人を殺すことだって正当化される。
そういったことが肥大化していくと、かつて西洋の植民地政策や、それに習った日本が現在の韓国や中国、台湾、南アジアを一時期支配し、言語の強制等といったこと、ジハード(聖戦)の名のもとに戦争や紛争が正当化され、安全保障の名のもとに核保持が正当化され、原発が正当化されるといったことに繋がっていく。
そういう風になっていかない為にも、相手のことを考える想像力を働かせ、お互いのことをもっと知ろうと努力し、相互理解するよう努め、お互いに心を開いて話し合い、偏見や相手を下に見るのを辞め、まずは相手のことを理解するため、主義主張やその背景になっていることを丁寧に聞き、忍耐強く、何かと言うとすぐ武力に走らず、平和維持のため、争いや諍いよりも相手と対話し続けることが人類が平和でいられることなんだという平和でいる為の理念としては素晴らしいと感じた。
但し、西部劇の時代は、荒くれ者、ならず者が街をうろつき、ゴロツキ共も相当いて、更に野生肉食動物もその辺をうろつき、ギャングもいてといった状況の中で、劇中の保安官補佐の青年のように簡単に銃は捨てられない時代だったと感じた。それに街の人たちも自分の身は自分で守らないといけない危険と隣り合わせの時代が西部劇の世界だと感じた。
以上のようなことを踏まえると、簡単に西部劇の舞台となっている時代に、銃を捨て、武器を捨て、相手を互いに理解しようと努め、話し合うことで解決できるというのは、現実的に考えると余りに夢物語だと感じた。
ただ、この劇はあくまでフィクションなので、今の時代にあって、この世知辛い世の中で、緊迫した世界情勢の中、不安定な世の中の中では、せめてフィクションの中ぐらいは幾ら理想的過ぎたとしても、そういう理想を夢見ていても良いと思うし、更にそれが現実のウクライナ侵攻の問題やイスラエルとパレスチナとの問題に関しても、いつの日か平和的な話し合いによる解決が実現すれば良いと思う。
それに、核抑止ではなく、核廃絶の声が今よりもっと世界に広まってもらいたいし、原発回帰が正当化されるのではなく、将来的には再生可能エネルギーに移行していってもらいたい。
その為にも、今回の劇のテーマである自分の意見を持つ、一生懸命考える、思考停止しない、安易に多数意見に同調しない、人類の可能性を諦めない、お互いを認め合い、尊重し合う、武力、暴力は事態を悪化させるだけ、根気強く話し合うことこそが平和への道といったことを心に刻み、考え続けることが大事だと思った。

えがお、かして!
四喜坊劇集※台湾の劇団です!日本で公演します※
小劇場B1(東京都)
2025/08/14 (木) ~ 2025/08/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/08/16 (土) 15:00
今回の台湾の劇団による『えがお、かして』という公演は、生まれつき顔面神経麻痺により、口をすぼめたり、笑ったり泣いたり、怒ったりといった感情を面に表すことが出来ない「モービウス症候群」(PCで調べてみたら、実際にはモービウス症候群というような病名は見つからなかった。しかし、モービウス症候群と同じような症状のメビウス症候群というものが見つかったので、現実に顔面神経麻痺といったものがあることは事実で、それへの正確な対処方法が見つかっていないことも事実なんだと考えると、感慨深くなってしまった)の王曉天(ワン·シャオティエン)とその家族、交通事故で父親の王克強(ワン·クァチャン)の実際の肉体は病院で生死の間を彷徨っていた。
だが、どうしても王曉天(ワン·シャオティエン)や家族のこれからが心配で、気にかかっている父親の王克強(ワン·クァチャン)の思いが強すぎて、自分の分身である謎の少女を生み出してしまい、王曉天(ワン·シャオティエン)にしか見えないその少女との不思議な交流を主軸とした、学校の教師や生徒、近隣住民のモービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)に対する無理解や差別、侮蔑、支え合わなきゃいけない家族内での意見のすれ違い、不和といった深刻な社会問題を内包したシリアスになりがちな劇を、ミュージカル劇として上演されていて、時に緊迫して観ながら、モービウス症候群や障害のある子どもを育てる大変さを真剣に考えつつ、肩の力を抜いて観れて良かった。
またこれだけ深刻なテーマ(モービウス症候群を持った王曉天(ワン·シャオティエン)、障害を持った子どもに対する世間の無理解、差別や侮蔑、家族の不和や少しでも普通の人と同じになってほしい姉との確執)などをそのままリアルに描いて、心理描写や人間関係に重点を置いて描くと全然救いがなくなるが(王曉天(ワン·シャオティエン)が追い詰められて、自殺しようとする場面が劇中に出てきたり、父親の王克強(ワン·クァチャン)が現実としては交通事故で病院のベットで生死を彷徨っていたりしていることからも)、輪廻転生の要素や転生オークション会場責任者の地縛霊を劇中に出したり、王曉天(ワン·シャオティエン)に対する想いや家族への未練が強すぎて、父親の王克強(ワン·クァチャン)が分身の少女が生み出されたりといったどこかミステリアスで、ファンタジックな要素を混ぜ込むことで、少し救われた気がした。
それに、王曉天(ワン·シャオティエン)の母親が家族の前では、気丈に振る舞い、学校の先生や保護者に対しても息子を守ろうと強気で振る舞ってきたが、一人になるとこれで良かったのか(息子のために会社も辞めたことが本当に正解だったのか)と、自問自答する場面が描かれたりと、王曉天(ワン·シャオティエン)の姉も本人の前では時に辛く当たることもあるが、実は弟のことを愛しており、モービウス症候群という障害を持つ弟を理解しようと陰ながら努力し、弟が思い悩みながらも頑張ろうとする姿を陰ながら応援していたりと、この劇に出てくる登場人物たちは1枚岩ではない人物が数多く登場し、物語自体も複雑に絡んでおり、そこがミステリアスでファンタジックな要素もありつつ、何よりも現実の人間関係や1筋縄ではいかない社会を表していると感じ、他人事とは思えなかった。
自分も愛の手帳(障害福祉手帳)を保持しているし、癲癇持ちで(これも劇中のモービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)とほぼ共通で完全に治すことはできない。ただし、癲癇の場合は、無理をしないことと、薬を飲むことである程度癲癇発作を抑えることはできるが)、モービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)と全く同じ条件かは分からないが、どこかシンパシーを感じた。
ただし、自分は愛の手帳(障害福祉手帳)を普段使いして長いもので、もはや他人に自分がどう見られているかといったことをそんなに気にしなくなって久しいので(寧ろ、その手帳のお陰で、得することのほうが多いのもあって)、愛の手帳を使うことで、ジロジロ赤の他人に見られる、差別される、侮蔑されるかも知れないと極端に怖がり、不安になる王曉天(ワン·シャオティエン)の繊細な心情は、人によって違う気はした。
劇中に登場する転生オークションや生まれ変われるのは人のみというような転生条件が一般的な輪廻転生の価値観と似ているようで違っていて、その違いやどこかキリスト教を思わせるような転生を待つ待機場所では、天使のような格好で1回人生が終わった人たちが転生を待っていたりと色々混合していたりしていて、観ていてユニークで飽きなかった。
自分は今まで、モービウス症候群(PC検索では、メビウス症候群)という顔面神経麻痺の障害のある治らない病気について、全く知らなかったので、これを機会に知れて良かった。
自分も癲癇の持病を持っていたので、モービウス症候群について、普通の人よりも、より身近な感覚として、その症状を持った人の心情や思い悩んでいることについて理解することができたと思う。
アフタートークも有意義で、本多劇場グループ運営の本田さんを間近に見れて、出演者とのトークも観れて、貴重だった。

六道追分(ろくどうおいわけ)~第八期~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/07/24 (木) ~ 2025/08/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/07/31 (木) 19:00
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」第33回ロングラン本公演『六道追分』第八期の剣チームによる公演ということで、長く続いてきたロングラン公演も、この八期をもって本当の意味で締め括りということで、それに私が1~4期まで観た後、長らく観てなかったが、この集大成を観れたということで、色々と感慨深いものがあった。
そうはいっても、物語の内容や核となる部分、悲劇的な終わり方は変わっていなかったが。
今回遣り手役が、金にがめつく守銭奴的で少し維持悪くて、狡賢い感じに演じられていて、それでいてそんなに威圧感や恐怖で支配するといった冷たさやサディスティックな感じ、人間味に欠けた感じには演じられていなくて、どこか小悪党感が否めない風に演じられていていたので、最初第二期で遣り手を演じられた薮田美由紀さんが今回も同じ役で続投されたのかと思っていたが、今回の第八期のパンフレットを後で見たら、遣り手役を演じられていたのは高橋綾さんという全然違う役者だったことに気付き、全然違う役者なのに、ここまで演技パターンが似通ってシンクロすることってあるものなのかと、只々、驚き、唖然としてしまった。
今回W主役の盗賊の頭領の鬼アザミ清吉役の江田剛さんと花魁お菊役の百合香さんは、良い意味でズラ感、どこかコスプレ感が否めなかった。
勿論他の遊女七越役の猪谷茉由さん、花里役の加藤瞳さん、松山役の乙坂みどりさんにしても、上に同じで、ズラを被ってる感じやコスプレ感が否めなかった。
そういう側面もあってか、鬼アザミ清吉役の江田剛さんとお菊役の百合香さんの茶屋での言い争いの場面で、緊張感が高まって手に汗握るというよりかは、どこか間が抜けていて、普通に笑える感じになっていて、これはこれで良いなと感じた。
自分が今まで観てきたロングラン公演一、小ネタやくだらないドタバタ、アドリブが微に入り細に入りあって、全然飽きず、疲れず、観ていて常に大いに笑えて、面白かった。
特に同心の章衛門役の水野淳之さんと共蔵役の桜木ユウさんの掛け合いの場面において、共蔵役の桜木ユウさんの顔が長いことをいじったり、同じく共蔵役の3枚目な顔の桜木ユウさんが決めた決め顔が2期目のトランプ政権と不和になったと取りざたされているイーロン·マスクに少し似ていることや、今はトランプとイーロン·マスクの関係ぶっちゃけどうなのといったかなり突っ込んだいじりもしていて、大いに笑えた。
九次役の昇希さんは見た目はイケメンとは程遠いどころか、どちらかというとブサメンだったが、鬼アザミ一味のきゅう(感じが出てこないので、すみませんがひらがなで書かせてもらいます)次郎を崖付近で追い詰める場面での、本格的な殺陣や手に汗握る感じの切迫感を醸し出していて、さらにキレがあって動きが素早い感じといい、見た感じより、実際にかなり俊敏な感じも見て取れて、人はやはり見た目によらないものだと見直した。
激しく素早い動きや、役人的な目的の為なら手段を選ばない怜悧で横柄、慇懃な態度な感じに演じられていて、今まで九次を演じられていてきた役者の中でも多少の妥協さえしない感じ、優しさや隙がない感じが、九次の性格や行動とフィットした感じになっていて、印象に残った。
禿のお琴役のあいねさんは、今年の11月で17で、今はまだ16歳と実際の少女が演じられていていたということで、今までこの役を演じてきた人たちの中で、かなりリアリティを感じさせる自然で初々しく、素直で純真な感じで演じられていて、良い意味で、演技されているというより、自然体な感じに心動かされた。
尼さんの念念役の種村昌子さんは、良い意味で普通に真面目で融通が効かなくて、どこか浮世離れしていて、どこか達観して、落ち着き払ったお坊さんな感じが自然と醸し出されていて、僧服も含めて、似合っていて、役と完全にフィットしていた。
どこかとぼけた感じで、弟子の珍念役の谷口敏也さんの繰り広げるアドリブや小ネタにも、時々戸惑いながらもちゃんと即応して返していて、凄いと思った。
ただし、珍念を演じる谷口敏也さんに拮抗できたかというと、どこか谷口さんの存在感があり過ぎたのもあるとは思うが、念念を演じる種村さんが存在感が薄く見えた。
谷口敏也さんは、珍念だけでなく、磯七、亡八も演じているが、磯七の際はコミカルで優しい感じ、亡八の際は遊女を折檻したり、殴る蹴ると容赦がなく、少しも共感が得られないクズ男として演じていたりと、演じる役によって器用に表情や言動、行動、声の大きさや雰囲気を変えていて、役者でここまでしっかりと細かい部分に至るまで演じ分けることができる役者がいるものなのかと感心してしまった。

あの夏の夜の夢
演劇ユニットキングスメン
LIVE HOUSE 曼荼羅(東京都)
2025/07/18 (金) ~ 2025/07/19 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/07/18 (金) 19:00
前回観た座·高円寺の『マクベス』では、マクベスが悪の権化と化して、最終的に野望欲望が肥大化していった結果、全てを失い、身の破滅に繋がるピカレスク悲喜劇だが、それを野性味溢れ、残酷で、エログロな場面も露骨に導入しながらも、最後の最後までマクベスが良心や理性との葛藤で揺れ続ける、1人の等身大の人間として描かれる。
周りの持ち上げや、唆し、畏怖によって、マクベスが独善的で独裁的な怪物と化していくといった風に描かれ、むしろ哀れにさえ思えた。
しかし、世の独裁者はこうやって形作られていくのかと思うと、背筋が凍り付き、襟が正される思いがした。
その『マクベス』に引き続き、今回は同じくシェイクピアの『真夏の夜の夢』を曼荼羅という吉祥寺の老舗ライブハウスで、それもバンド演奏付きということで期待しかなかった。
今回は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を、シェイクスピアの台詞の良さや世界観は残しつつ、ジェンダー問題の観点から『夏の夜の夢』を捉えるということで、現代的な価値観をいかにこの劇にアレンジとして活かしつつ、どう本編と融合して、違和感なく観れるのかということに、興味が湧いた。
実際に観てみると、アテネの公爵のシーシュースが結婚前に公爵の婚約者ヒポリタを力で従わせていることがよく分かる演出として、血だらけのドレスに黄色の鎖をヒポリタの首にかけ、鎖の先をシーシュースが持ち、時々鎖を引っ張りながら会話するという、明らかに対等とは言い難い、シーシュースに隷属する婚約者という構図が、DV夫とその妻の関係性を如実に連想させる。
そのシーシュースとヒポリタの関係性は、家父長制、現代日本においても完全に消えたとは言い難い男尊女卑観を視覚的にも体現しており、鬼気迫る迫力、強烈な印象を与えられるとともに、深く考えさせられてしまった。
忠臣イージアスの、イージアスの娘ハーミアの意志とは関係なく、ディミートリアスと結婚させようとする独善的で父権的、家父長的、封建的価値観に支配された行動、森で身体関係をハーミアに拒まれ、不気味で謎めいていて、神秘的で不穏な感じに描かれる妖精王オーベロンの臣下妖精パックの惚れ薬によって、ライサンダーがヘレナに目を向ける。
ディミートリアスは、元々はヘレナと仲が良かった筈だが、今は心変わりして、ハーミアを追いかけ回すという勝手過ぎて、やりたい放題の男たち、それに翻弄され、尊厳も何もかもズタズタにされる女たちという構図を普段の『夏の夜の夢』よりも露骨に強調していて、ジェンダー問題について考えさせられた。
妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの妖精の女王タイテーニアと上手くいかないとなると、急に柄にもなく大声で手足をジタバタさせて、まるで赤ん坊か3歳児のように泣き喚く場面などは、ギャップ萌えで大いに笑えた。
妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの両乳首が見えて、ガタイが良くて引き締まって、筋肉質な身体には、男の色気を感じてしまった。
妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの身体にフィットし過ぎて下半身の大事な部分が露骨に強調されている海パンに上半身裸に白い布を引っ掛けただけ、頭にもお粗末な冠のようなものを被っているという出で立ちも妙な生々しさと渾然一体となった不健康な色気が漂っており、しかしその露骨な感じが寧ろ笑えてしまった。
妖精の女王タイテーニア役の高村絵里さんも黒のブラジャーに黒のパンツ、腰布を巻いただけといった出で立ちで、そのあまりのもろ出し感と、艶感に驚いてしまった。
まだ役者が河原乞食と呼ばれていた頃の荒々しく、過激で、エロティックで、残酷で観客に媚びてなかった頃の原初の演劇を思い出さずにいられず、今演じられるどんなシェイクスピア劇よりも、シェイクスピアの根幹となる部分や匂い立ち上ってくるような、舞台と客席の距離がなかった頃の大衆性が今ここに現出したかのような舞台に、演劇ユニットキングスメンに可能性を感じた。
妖精パックが暗くて不気味で、闇感があって、神秘的で不穏な、声の出し方1つとってもこの世のものとは思えない感じに高村絵里さんが演じられていて、妖精パックっというと、大抵は軽くて、イタズラ好きで、でも何処か憎めない道化的に描かれることが多かっただけに、良い意味で、新鮮で衝撃を受けた。
しかし、よくよく考えてみれば、妖精パックは妖精なのだし、人ならざるもので、人智を超えた能力を有しているとしたら、そんな人好きのするような感じではなく描くのが、リアルみを感じるのだと思えた。
アテネの庶民や妖精たちの役をバンドFURUCHANSが演じるという、役者だけでなくバンドメンバーまでもが劇に参加するというところが、ライブハウスという特殊性も相まってか、全然違和感なく、寧ろ自然に見れた。
妖精王オーベロンの妖精の女王タイテーニアと関係性が上手く行かないことで癇癪を起こし、タイテーニアとアテネの庶民で妖精パックの魔法でロバの顔にされたボトムとを惚れ薬で無理矢理くっつけようとしたりと強引で、勝手過ぎるが最後は、惚れ薬の効き目を解き、オーベロンを疑う妖精の女王タイテーニアと仲直りして、人間界では、ハーミアとライサンダー、ヘレナとディミートリアスといった感じで、お互い本当に好き者同士で結ばれ、シーシュースとヒポリタの関係性も逆転して、今度はヒポリタがシーシュースの首に鎖をかけ、鎖の先を自分が持って時々引っ張るといった感じに、主従の立場が逆転し、忠臣で封建的、家父長的で偉そうで傲慢だったハーミアの父親のイージアスもヒポリタに鎖を首にかけられ、大人しく従うといった感じに、大袈裟で視覚的も、見ていて大いに楽しめて、みんな幸せになって心底安心した。
だが、これで本当に良かったのだろうか、少なくとも一時的にだとしても妖精王オーベロンの妖精の女王タイテーニアが別れ話を切り出してきたことに逆ギレして、タイテーニアと人間で、妖精パックのイタズラでロバのあたまにされたボトムとくっつかせ、後で、あれは夏の夜の夢だったんだと弁明するこのエピソード1つ取っても感化できない女性軽視、女性蔑視、女性をただの物として扱っているように思えて許せず、他の登場人物の男性たちも同様で、現実としてはまだまだジェンダー問題が解決したとは言えない日本において、この劇や、この劇に出てくる登場人物たちの言動行動を通して、深く考えさせられた。
自分もあんまり考えずに普段、大なり小なり女性に不快な思いをさせていないか、良かれと思って言ったことでも、相手を深く傷付けていないか、改めて自分を振り返る良い機会になった。

花がこがれる
アユカプロジェクト
シアター風姿花伝(東京都)
2025/07/03 (木) ~ 2025/07/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/07/06 (日) 12:00
花屋を目指してきた(実際には、病院のベットで重病で生死の間を彷徨っている)少女は、花屋があった筈のところで花の魔女が運営するスナックのような魔女の店に迷い込む。
そして、魔女の店のアクが強くて個性豊かで、騒がしい常連客たち、魔女の店を切り盛りする何処か謎めいていて、でも底抜けに明るく、その場を癒し、人々の心を照らし、良い気持ちにさせるが、人懐っこいが、掴みどころのない花の魔女、また花の魔女と真逆で一見冷たく、ミステリアスで、星占いが得意で、厳格な現実主義者で、冗談が通じなくて、ニヒルで、取っ付きにくく、人と群れることを嫌い、気難しいが、本当は良い人な星の魔女たちとの少し不思議な交流を通して、少女のアイリスが少しずつ成長していくといった風に劇が途中までは進んでいた。
なのでこれは、小説で映画化もされた『コーヒーが冷めないうちに』と似たような構造だなぁと感じた。
常連客たちが頼むお酒や紅茶に花の汁を垂らすと、それが不思議な効果を生むという構造も、『コーヒーが冷めないうちに』における少し不思議な体験ができるコーヒーといったところが、偶然にも良い意味で似通っていた。
更に、それに加えて、舞台所狭しと飾られた花々や微かに香るお香の匂いが劇世界に彩りを添えて、華やかで優雅な雰囲気で、『コーヒーが冷めないうちに』をより、洗練させた大人な感じで、少し不思議な最高級な世界観が出来上がっているように感じた。
しかし劇の中盤から後半にかけて、花の魔女の店に来る常連客たちが既に生きている人間でなく、それも立派に生を全うしたというより、石膏になるのが夢だったが、馬に轢かれて事故死した男や、プリマドンナだったが、才能を周りに妬まれ、嫉まれ、追い詰められて自殺したセーラ、魔女の店に来ると南のほうに旅行に行ってきた話を周りにいる客たちに嬉々として話していたアビーも、生きていた時は北の国で夫のDVと寒さに耐えながら、精神的にも肉体的にも追い込まれて、病死して、魔女の店に彷徨っているといったような境遇の、実に凄惨で、救い難い幽霊たちが、現世と夢の境界線である魔女の家に留まっているというような実態が浮かび上がってくる。
更に、魔女狩り、異端審問といった不吉で不穏な中世の時代に実際に行われていたことが、花の魔女や星の魔女も例外ではなく、巻き込まれていく、暗雲立ち込め、シリアスな展開に驚愕してしまった。
但し、最後のほうで生死を彷徨っていたアイリスが時空を超え、夢と現実の狭間にある魔女の店から、皆に迷惑をかけまいとして、自ら出て行った花の魔女カガミを助けに行き、現実ではアイリスが重病から立ち直ることができるという奇跡なような展開に、途中まで救いようが無い終わり方になるのではないかという絶体絶命で、不穏な感じが漂っていて、どうなるんだろうとドキドキしていただけに、感じ入ってしまった。
前半から途中までの少し不思議で謎めいてはいるが、ゆったりと優雅で大人、そして華やかさもあるような感じとは、中盤から後半にかけてはほとんど違って、暗くて、不穏な感じが劇の終盤まで続くという大きく物語が変化していき、劇が進むに従って、花の魔女カガミが隠す秘密や、魔女の店に集う常連客たちの過去が明らかになっていく展開、その構成が見事だと感じた。
Aキャストバージョンの劇を観たが、終わった後にトークショーがあったので、聞いた。
A、BのWキャストとも同じ役者だが、A、Bではそれぞれ違う役を演じ、役者によっては全くイメージが違う役を演じられ、劇作、演出家であり、俳優として今回の劇にも出ている港谷順さんの独断と偏見で、役を役者に振り分けた話など、込み入った話や裏話が聞けて興味深かった。
また、トークショーの際に港谷順さんが今回の劇に出てくる登場人物たちの役名が、実際にある花の名前や鉱石から取っていたり、名作小説『ハイジ』に出てくる登場人物から取っていたり、性格も花言葉の意味から取っていたりと、港谷順さんのセンスの良さや、お洒落さ、譲れないこだわりといったものが伝わってきて、非常に興味深かった。

アンネの逆襲
劇団PDW
ウッディシアター中目黒(東京都)
2025/06/25 (水) ~ 2025/07/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/06/28 (土) 18:00
『アンネの逆襲』という公演タイトル通り、かの有名で悲劇的な結末、しかも、事実が描かれ、第二次対戦中のヒトラー政権当時のユダヤ人の隠れての生活、それから見つかった後の強制収容所での生活が赤裸々にアンネの視点で描かれた『アンネの日記』を元にしつつも(勿論、アンネと関わる人や家族、一緒に隠れ家で避難生活をするアンネの父親オットーの知り合いのユダヤ人家族など、劇に出てくる登場人物の大半も事実に即している)、事実と違って、アンネが強制収容所の不衛生で過酷な環境で、すっかり衰弱して、収容所内で病死したということや、多くのユダヤ人がガス室に送られたことを変え、少し幸せな終わり方になっていて、事実はもっと過酷で悲惨であることに変わりはないし、今こうしてる間にも世界では、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルとガザの紛争、ミャンマー内戦、アフリカ諸国での戦争や紛争が起こり続けていて、とても平和とは程遠い状況だが、せめてフィクションの中でアンネが少し幸せになる描かれ方をすることで、少しは救われる気がした。
今の世の中、あまりにも救われないことが多過ぎる上に、未だに戦争や紛争、内戦が起こると、正規の兵士に匹敵する数で、主に、赤ちゃんや幼い子供、少年·少女や女性、障害者、老人、病人など社会的、経済的弱者が狙われ、空爆や爆撃の対象にされ、レイプが公然と横行するという考えたくもない、思考停止したくなるようなこの世の悪夢が何処の世界であろうと情け容赦なく横行する、戦争や紛争、内戦とはそういったものだといつの時代であれ、そうだと否が応でもそう思わされる。
この劇を見ると、権力者、独裁者も戦争をも、もしかしたら事前にその原因を丁寧に取り除き、皆んなが恒久平和を願い、ヤラれたらやり返すというような憎しみの連鎖を断ち切り、不信感や差別を助長させず、お互いに歩み寄り、理解し合おうと努力し、政治に関心を持ち、困っている人を見捨てず助け合える社会だと、戦争などは起こらず、独裁者や権力者は生まれづらいんじゃないかと感じた。
勿論現実は、そう簡単にできていないことも十分分かっているが。
せめて、劇の中において、中盤で強制収容所に入れられたアンネたちが家事を起こし、火事の中逃げ惑うユダヤ人や収容所の刑務官たちに混じって逃げていたヒトラーが躓き、意識を失ったのをいいことに、アンネたちは医者のデュッセルをヒトラーに扮装させることで収容所を脱獄することに成功し、アンネたち全員戦後まで生きたということに一抹の希望を感じた。
そして実家に戻ったアンネが、ある満月の夜に、ひょんなことから飼い猫のキティと共に違う次元の戦争前?の世界で憎んでいた筈のヒトラーの若き頃、絵が売れなくて、金がなくて、空腹過ぎてフラフラになっているのと出会う。
その出会いを通して、偏狭で、気難しくて、神経質で、諦めと差別意識が強く、非常に独善的で卑屈、といった感じの独裁者ヒトラーになっていくのを、絵を売れさせ、自信を付けさせていくことで、未然に防ぎ、愛と平和、日常のささやかな幸せを大切にするヒトラーへと、さり気なくアンネが導いていく、相手への憎しみ以上に、若い頃の独裁者になる前のヒトラーに罪はないと、内心ヒトラーを憎む気持ちと葛藤しながらも、若き日のヒトラーを理解し、救おうとする在り方に、人は、現実的には、ここまで吹っ切れるものではないと思いつつ、若きヒトラーとアンネのお互いを理解し合おうとする交流に、世の中全てこうだと争いなんて起きないのにと感慨深くなってしまった。
ヒトラーと秘書の絶妙にズレた会話が面白かった。
アンネとマルゴー、ペーターやアウグステたちの愉快でユニークな会話は見ていて、大いに笑えて、楽しめた。

北欧神話の世界
カプセル兵団
三鷹Ri劇場(旧 三鷹RIスタジオ)(東京都)
2025/06/20 (金) ~ 2025/06/22 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/06/21 (土) 17:00
カプセル兵団のベテラン実力派声優や中堅で味のある声優、若手で印象に残る声優などの男女の声優や役者が混ざり合い、更に毎回の如く恒例化しているゲストまで呼んでの、内容は毎回基本的には世界各国にある神話等を朗読する朗読劇ということで、私は過去にも何度かカプセル兵団の朗読劇を観たことがあるが、基本的に大いに笑えて、コンプラもクソもない発言が次々飛び出す自由さや、それぞれの神々や英雄、王、庶民等の登場人物の性格がしっかりと立っていて、また演じている声優や俳優たちによるアドリブや思い付きの小ネタ、一発ギャグも満載で、いつも神話を気軽に、肩の力を抜いて楽しめるところが、神話だからといって観客に集中して、常に緊迫感を伴うような朗読劇に仕立てていないところに、親しみやすさを感じていた。
今回、カプセル兵団が朗読劇に選んだのは『北欧神話の世界 アスガルドの神々』ということで、8年ぶりの再演だと言う。
しかも、今までのギリシア神話や中国神話以上に、またキリスト教の聖典『聖書』やイスラム教の聖典『コーラン』、インド神話の神々や仏教に出てくる観音や仏やブッダ、マヤ、アステカ、インカ神話、密教、エジプト神話、ケルト神話、トルストイの民話、ネイティブアメリカンの神話、イヌイットの神話、アボリジニの神話、シュメール神話、アフリカの土着信仰、ハイチのブードゥー教神話、そして日本神話に匹敵する程の知名度を誇り、アニメや映画、ドラマ、最近流行りの異世界転生ものの小説、漫画、演劇、幻想文学、ゲーム等において幅広く北欧神話は使われており、各分野において引っ張りだこで、北欧神話に出てくる神々等を1人も知らない人はいないと言っても過言ではないほど、目にしたり、耳にする事が当たり前すぎて、何の違和感も感じない程に、私達の中にすっかり浸透している。
北欧神話の中でも有名過ぎるが、傲慢で非常に我儘、冷徹で非常に冷酷、例え肉親、親や兄弟だとしても目的の為なら殺すことさえ躊躇しない、手段を選ばず、卑怯な手だって厭わない、騙すことに対して臆することが無い、温かみや人情などは欠片もなく、猜疑心が強く、仲間だろうと人間だろうと殆ど信用しない、過去に犯した過ちに対しても葛藤や反省の意が認められず、巨人や小人、人間を露骨に見下し、下に見ており(因みに北欧神話において、巨人や小人、人間等を下に見て蔑んでいるのは、基本的に神々全体としてそう)、更にどこか家父長的で、独裁的、大抵の場合魔法使いの老人のような不気味な姿で描かれる最強最悪の神オーディン、MAVER漫画や映画で有名な『マイティ·ソー』の元になった超有名人で怒りっぽく、すぐ武力で解決しようとするトール、その弟でお調子者で抜け目なく、こズルく、狡賢い、策士で同じくMAVERで有名なロキ、得体が知れず、その存在自体が恐怖でしかない大蛇のヨルムンガンド、フェンリル、冥界に君臨する神々でさえ逆らえない死を司る闇の女神ヘル、また神々1のアイドル女神のフレイヤ(但し赤ら様に醜いものに嫌悪感を覚え、神々の中でも1、2を争う程に巨人や小人を毛嫌いし、露骨に見下している。また、小人たちが造っていたブリージングの金の首飾り欲しさに、その欲望に負けて、4人の小人たちと、1日1夜、夜を共にしなければならないという条件を丸呑みしてしまったりと、強欲さと軽さ、性格の悪さを併せ持っている。但し、外面だけは良く、お洒落に気を使い、損得勘定で動く。しかし、フレイヤに関するエピソードのどこにも共感出来ず、人間味のなさが際立っていた)、それを噛じれば永遠に歳を取ることなく永久に生きることが出来るイドゥンの林檎のエピソードで有名な女神のイドゥン等、余りにも有名でアクが強く個性的で、超人的な能力を持つが、絶対的な存在感があり、一切共感することが出来ない登場人物たちが多く登場したが(中には共感しやすい巨人や人間等も数少ないけれども出てくる)、こういった登場人物たちを、今回声優やゲストの方がどういう風に演じるのだろうと、非常に興味深かった。
実際観てみると、カプセル兵団のいつもの朗読劇と同じく、声優やゲストの方の衣装は私服で、アドリブあり、コンプラ無視の発言、無茶振りあり、思い付きの小ネタや一発芸あり、ネタが滑り過ぎてもはや痛い感じにしか見えないのに、度胸と勢い、その場鎬で何とかこの場を乗り切ろうとする必死過ぎるロキ役ゲストの池田航さんなど、ある意味印象に残った。
しかし良い意味で、私が今までイメージしていた非常に美しく、幻想怪奇的で、ハイファンタジーな世界観、ユグドラシル(世界樹)のエピソードやイドゥンの林檎など北欧神話の核となるエピソードを抑え、高圧的で威嚇的、厳格で格調高く、どこか植民地主義的で、独裁的、傲慢で猜疑心が強く、家父長的で自分たち以外の種族を蔑み、下に見ており、人間味のない神々(全員ではないが)といった北欧神話のイメージは、朗読劇で声優やゲストの方が演じており、確かに元々の北欧神話よりかは大分堅苦しくなく、気軽に、時々笑えるようにはなっており、多少北欧神話のイメージを変えてはいたが、そうは言っても朗読劇全体としては、私がイメージしていた北欧神話のイメージ通りだった。
また、北欧神話のいつか神も人もこの世に生を受ける何もかも滅び、この世界は1から再生されるという、まさに中二病的な終末論、今で言うところの陰謀論的な部分もしっかりと真面目に取り組んでおり、楽しめた。
しかし、邪神や怪物、巨人や小人と神々、人同士が争い、戦い一旦は滅亡するという構図が、中二病的と一蹴して笑える程、実際に私達が生きているこの世界が到底平和とは言えず、世界各地では、ロシアによるウクライナ侵攻、ミャンマー紛争、ガザのハマスとイスラエルによる民間人を巻き込んだ紛争、アフリカ諸国での絶えない紛争、地球温暖化による異常気象、密猟などが起こっており、北欧神話の在り方がただのフィクションとも言えない状況となってきていることに気付き、ゾッと寒くなった。
但し、北欧神話の朗読劇の最後では全てが滅びたあとに、僅かに生き残ったオーディンの子どもたちや一組だけ辛うじて生き残った人間の男女などを中心に、質素で貧しく、先行きが見通せない絶望的な世界ながらも、一歩を踏み出そうと努力する姿勢に心打たれ、そこに現実はどうか分からないが、少なくとも劇の中では希望を見出すことができた。

ユグドラシル
劇団KⅢ
座・高円寺2(東京都)
2025/06/05 (木) ~ 2025/06/07 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/06/06 (金) 19:00
劇のタイトルが『ユグドラシル』ということから北欧神話のユグドラシル(日本語に訳すと世界樹ともなる)に関するエピソードと、この劇を観るより大分前に貰ったチラシに書かれていたあらすじやCoRichに載っていたあらすじに書かれていた「創造」といった言葉もキーポイントになる事から、キリスト教の旧約聖書の中の天地創造〜アダムとイブが蛇の誘惑(実は悪魔の化身とも)によって禁断の果実(真っ赤な林檎)を食べたので、神様から楽園を追放され、荒野を彷徨い歩くといったところまでの創世神話の2つを下敷きにした上で、荒廃し、水も殆枯れ果て、食物も余り育たず、極端に地球温暖化が進んで、異常気象が続く、さらに少子高齢化が突き進み、人が木になってしまう奇病が瞬く間に人類に浸透し、村や街から荷物をまとめて、ここよりかはまだマシであるはずの新天地を求めて、若者や女子どもは出ていった壊滅的、絶望的、僅かな希望さえ残っているとは言い難い近未来が舞台のハイファンタジーと、あらすじからは読み取れて、実際観に行ったら、私が頭の中で描いていた世界観とほぼ合致していた。
地球温暖化が行き着く所まで行ってしまって、異常気象も相まって、作物はほとんど育たず、僅かに村に残った人たちは村長含め毎日腹を好かせ、その上水がほとんど取れなくて貴重なので、本当は喉を潤したくても、僅かな水で村長含め我慢し、その上に、木になってしまう奇病の原因とされる村の近くにある森を立入禁止区域としたり、劇中出てくる空気感染や濃厚接触といった言葉、18、19世紀等に流行った疫病対策に使われたカラスのような不気味な形をした鉄のガスマスク(効き目があるとは到底思えない)が出てきたりと2020~2022年末まで世界を、社会を恐怖と混乱、不安に陥れ、なかなか治る感染症なのかさえ予測不能だったCovid19を彷彿させ、近未来の明らかに現実離れしたことがまかり通るファンタジーなのに、どこかリアル感があり、シリアスだった。
勿論、大いにくだらなくて笑える場面も多かったが。
ハードコア·メタル、ラウドロック、それに加えてヴィジュアル系といった要素が色々絡まったロックバンドと劇の組み合わせだったが、全然違和感なく、寧ろロックと劇の役者との劇中少し関わったりするのも含め、お互いに切磋琢磨し合って、良いコラボレーションだった。
禁断の果実(真っ赤な林檎)を未知の木になってしまう奇病の抗体とすべく、今までずっと奴隷商人の頭領シニアから重病患者、重傷者、負傷者等を森の中にある父の代から続いている研究所で、極秘に人体実験を繰り返していた表の顔は村の村長の兄ウツギ、そしてこの物語のキーポイントとなる木になってしまう奇病を治すための抗体を作る為の犠牲者で唯一の生き残りのスノウ、同じく禁断の果実(真っ赤な林檎)を狙う奴隷商人の頭領で隣村の酋長、目的の為なら手段を選ばず、利己主義で自信家、野性味溢れ、冷酷非道な男シニア、その後を追うシニアの手下で幹部のオトギリ、アザミ、新鮮な水を探していた事がきっかけで、スノウと出会い交流する、村思いで、天真爛漫、怖いものなしで距離感ゼロの村長ウツギの妹でこの物語の主人公ミズキ、ミズキの仲間で変わり者で学者のシャガ、いつも2人に振り回されている機械工の娘でカッとしやすいレモン、そしてウツギの妻で、ハッキリと物怖じせず言いたいことを言う、夫婦喧嘩が耐えないロメリア、こういった個性豊かで、存在感があって、アクの強い登場人物たちが、スノウや禁断の果実(真っ赤な林檎)を巡って話が展開し、スノウや禁断の果実(真っ赤な林檎)を巡ってウツギやミズキたちとシニアたちが対立し、やがて破滅していくといった終わり方に、救いがないほどに人って強欲で、自分のことしか頭になくて、他人より自分さえ良ければといった感じに、超少子高齢化で子どもや若者、若い女性がほとんどいなくなった世界であっても、醜い争いを繰り返し、ちょっとした嫉妬や何かをきっかけに戦争や紛争って起こるんだなと感じた。そういった意味では、あらゆる動物の中で、愚かで馬鹿で、本当に救いようのない生物は人間くらいのものかとも感じ、暗鬱とした気分になった。
さらに、物語の最後でミズキがシニアに拳銃で撃たれ、瀕死のスノウと共にその犠牲を基に、その身体に大きな根を張って、巨大な緑の葉っぱが生い茂る巨木となるという主人公たちが殺されてしまうのは悲しい。
しかし、巨木となって地球温暖化が軽減され、世界で起こる争いが少しでもなくなり、平和と自然の恵によって、少子高齢化にも歯止めがかかるのかも知れないと考えると、確かに悲しい悲劇的な結末だが、それにどうにも個人的には誰かの犠牲の元に成り立つ豊かさや平和とはと考えてしまうので納得はしない。
それでも多少の希望というか、一筋の光が差すような終わり方に、現実世界も、この劇で描かれているほどじゃないにしろ、暗くて、陰鬱で、余り良い未来が思い描けない、戦争や紛争も世界各地で起きていて、不穏で、日本の与党の政治家も腐りきっており、一体何を信頼したら良いのやら分からない時代だからこそ、多少の希望を見いだせた気がした。
劇中の無茶振りなシニア役工藤竜太さんのアドリブやそれに一瞬困惑するもコナンのモノマネで(地味に上手かった)乗り切るアザミ役の葉月さんの即応力も目を見張るものがあり、面白かった。

Blue moment
Theater Company 夜明け
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2025/05/29 (木) ~ 2025/06/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/05/30 (金) 14:00
この劇『Blue Moment』の感想を公開で、UPしたつもりでしたが、非公開になっていたようなので、UPし直しました。
感想の内容は全く非公開だった時と変わらないのですが、見ていただけると嬉しいです。
非公開だった時と違って、今回こそはちゃんと公開にできていると思います。
夜明け前。
かすかに揺れる潮風の中、一台の古びたバイクが静かにエンジンを鳴らす。
ハンドルを握る男の背に、そっと寄り添うように腰かけた、不思議な少年。ふたりを乗せたその影は、星々の名残をなぞるように、かつての夢の境を越えてゆくといった抽象的、観念的であり、詩的美しくどこか儚さ、淡い感じがCoRichのあらすじを読んだ感じだと感じ、あらすじの最後のところに載っていた謎の少年と50代くらいの中年男性との会話のやり取りが、非常に何処か不思議で謎めいた感じがしたので、勝手にこの作品はサンテグジュペリの『星の王子さま』に出てくる年齢不詳で砂漠のコブラに噛まれたが、例え肉体は滅びるとも、もっと観念的であり抽象的な何か、魂とも違う、確かに存在するがもっと軽くて、人間の眼には見えず、聞こえない神聖な何かとなって自分のいた星に一旦帰っていた星の王子さまがふとしたなにかの拍子で、昔に出会った飛行士の孫と今度はバイクに乗って実際に旅をしながら、飛行士の孫のアイデンティティーや自分探し、過去に対する後悔といったことと徐々に向き合わせていくと言った話かと思って、期待して観に行ったが、違った。
バイクに乗った中年男が海辺で突っ伏して眠っていると、不思議で神秘的な好奇心が旺盛で、汚れがなく、躊躇がなく、純粋無垢で、何処か怖いもの知らずな感じの全身青い格好をした年齢不詳な少年がどこからともなく現れ、主人公の50代くらいの中年男性Kに話しかける場面から物語が始まるといった物語の始まり方的には、サンテグジュペリ作『星の王子さま』と偶然かも知れないが、良い意味で確かに似通っていた。
だが劇が進むにつれ、主人公の50代くらいの中年男Kが青い神秘的で何処か不思議な少年を流れ的に乗せて走るが、そのバイクで走っている道は湘南の海沿いを走っているのが次第に分かってきて、その終着点として江ノ島線電鉄(通称江ノ電)にバイクごと突っ込んで自殺を図ろうとしていることが分かってきた。自殺に向けて助走をつけてバイクを最大出力で出して道路を疾走している間に、バイク後部座席に座った青い少年の人智を超えた不思議な力なのかも分からないが、走馬燈のように主人公の中年男がお腹にいた時から、生まれた直後、ただ普通に純粋で真っ直ぐで、おバカだった小学生時代、自分家の屋根裏に秘密基地を作ろうと準備を整えていたら、屋根裏からとあるカセットテープが見つかって、そのカセットテープに録音されていた音声が元で父親の不倫がばれ、両親が離婚し、その後の小学生高学年になると、何もかもから逃げたい一心でか、バスケットボールにのめり込む。
中学になると、地元の湘南にある学校ではなかったのもあって、周りがすぐ友達ができるなか、クラスで孤立していたが、天真爛漫で優しい女の子に声をかけられ、片想いをし、下心丸出しで入った吹奏楽部。しかし、そのうち本当に音楽にのめり込み、地元のオーケストラの門戸を叩く無鉄砲さと、ひた向きで真っ直ぐで、猪突猛進だった中学時代。中学卒業式の日に後輩の女の子に告白されるも、自分が片想いしている吹奏楽部の女の子との約束の為振るが、その後前に告白した際に受験期間なのを理由に吹奏楽部の女の子に断られたが、卒業式後に映画を一緒に観に行き、もう一度告白するがものの見事に振られる。しかも吹奏楽部の春ちゃんが好きといったのは、高校生でロードバイクを嗜む何やらヤンキーめいた先輩だったというショック。
敢え無く中学時代の淡い青春も終わりを迎え、今までの過剰な自信も消え失せ、自身をなくし、高校生になると、七三分けにして、普通になる。しかし、電車の中で出会った受験生の女の子のイヤホンから漏れてくる音楽と女の子が気になって、黙っていられなくなり、またしても情熱的に勢いで、メールを後で送ってもらうことを半ば強引に取り付ける。そういったところから彼女との関係が始まり、彼女と同じ高校に受かりたいと考え、彼女が目指す高校に一緒に受かれば自分がもっと彼女と話す時間ができるようになると思い、わざわざ今通っている高校を中退して、猛勉強して湘南の地元の自由な学風で有名だが、超難関高に何とか受かるという奇跡としか言いようが無い母親も呆れる猪突猛進ぶり。彼女と仲良くなって、だんだんお互い打ち解けてくるようになると、彼女がじつは重い持病を抱えていること、その持病は手術をすれば治るが、親が許さないこと。両親が新興宗教をしており、父親が教祖であり、自分は2世であること、結婚や恋愛も信者以外としてはいけないことなどの秘密が彼女の口から暴露される。そんなの許せないと思った主人公は彼女の両親が信者を集めて説教をする教会に踏み込んで反論しようとするが、逆に彼女と引き離され、彼女は説教壇より奥に生まれ変わるのがどうのとか、身を清めるとかいったことから、信者たちと彼女の父親によって連れて行かれる。それでも最後に彼女は主人公に力なく微笑みかけるが、それが彼女の笑顔と、彼女自身を見た最後となる。
彼女を金も権力なく、勇気もなく無力だったことから救えなかった自分の不甲斐なさ無力感と公開に打ちひしがれて、音大目指すも、明らかに自分より優秀で裕福な家庭との圧倒的な落差を見て夢破れ、音大を中退し、知り合いがやっているという劇団に入る。
主人公は今度は劇団内で同期の気が合い、愚痴も言い合うことができ、腹を割って気兼ねなく話せる女優と飲み友であるうちに、いつの間にか恋人同士になるが、演劇では食えいないと思った主人公が、副業としてマルチ商法に手を出し、劇団の仲間とも険悪になり、そのうち劇団の女優の彼女から別れを切り出され、振られる。
しばらくは意気消沈しているが、仲間の励ましもあり、劇団を主宰の知り合いと1から始めるが、今度は主人公は裏方に徹する。
30代くらいになって、劇団もだんだんと大世帯となり、主人公も劇団内で演出も任されるようになり、ある時高校で演劇をするワークショップに出向き、高校生の劇の演出をすることになったが、そのことがきっかけで、高校生で劇団の事務所を叩き劇団員になった女子高生のやる気と元気があって行動力がある女の子のことを気にかけるようになり、そのうち結婚する。
歳はお互い離れているが好き同士で、仲睦まじく、子どもも生まれ、共働きで、大変ながらも、ささやかで幸せな時間の筈だった。しかし第2子がを身籠り、その子は主人公と彼女との子ではないことが夫に黙っていること、隠していることの罪悪感から正直に実は同じ劇団内の劇団員と不倫関係にあったことが暴露され、主人公は茫然自失となり、バイクに飛び乗って…。
といったような壮絶で激的で、もはや取り返しのつかない、全然救いようのない過去が流れるように見えては消えていくという、サンテグジュペリの『星の王子さま』より、余程大人で、世知辛い内容であまりの救いのなさに衝撃を受けた。
しかし、青い少年が、劇団の元高校生の妻が劇団員との不倫で宿して、堕胎した子どもで、その青い少年が最後のほうで言う「次生まれ変わって会えなくても、何度も生まれ変わることは出来るんだから、きっといつかはお父さんとその息子として会うことだって、運命の巡り合わせ的に、可能性はきっとあるよ」といった自殺した主人公の魂に言う励みの言葉が、よくよく文脈を考えて捉え直してみると、少しのお互いの救いにもなっていないのに、愕然とした。
しかし、幻想的、詩的、観念的で、美しく淡いファンタジックな作品なのにここまで現実を突きつけ、僅かな救いさえ用意せず、観ている側をも絶望のドン底に突き落とす、笑いもほとんどない作品に愕然とさせられた。でも、実際の人生の場合、よく劇や映画で見るほど、ハッピーエンドでもなく、過激なバッドエンドでもないと思うので、ある意味現実の上手くばかりも行かないし、かと言って闇の住人に引きずり降ろさられる、連れ去られるといったこともない人生を移してるろも思えて、衝撃は大きかったが、こういう劇の終わり方もありかもと感じた。

六道追分(ろくどうおいわけ)~第四期~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/05/28 (水) ~ 2025/06/08 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/06/08 (日) 14:00
今回は、片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」第33回ロングラン本公演『六道追分』第四期を観に行った。剣チームの公演で、他に龍チームの公演もあるのだが、私が観た回の次の回の公演が、第四期公演において本当の意味での千秋楽公演だったので、私は千秋楽公演ではなかったものの、千秋楽を夜の回に控えた、14:00の公演だったこともあってか、全体的に役者にも磨きがかかっており、役者がアドリブをぶっ込んでも、他の役者が即応できているといった感じで、大きなミスやケアレスミスもなく、緊張し過ぎず、程良い緊迫感も時々作り出していて、そのバランス感と言い、劇全体としても完成度の高い仕上がりになっていると感じた。
また、第三期の章衛門役の俳優の喉が枯れていて大丈夫かと思って、劇中ところどころ劇に集中云々以前に、俳優個人の体調を心配してしまったが、今回は、少なくとも剣チームに関しては、役者全員が健康上の問題はなく、万全の状態でこの舞台に望んでいるのを見て、前回以上に集中して観ることができた。
一期目から始まったロングラン本公演『六道追分』は、今回の四期目に至っても良い意味で、劇の内容も、終わらせ方も変わっていなかった。
但し、細かい部分での所作や動き、役者のアドリブなどは一期目の時以上に柔軟に役者が対応できるようになり(但し同じ役者じゃないが)、磨きがかかっている気がした。
この第四期をもって、座長の山田拓未さんがロングラン本公演『六道追分』に出演するのが最後だというのもあって、山田さん演じる鬼アザミ一味の頭領鬼アザミ清吉をいつも以上に着目して見ていたが、良い意味で今までと変わらず、お菊との茶屋での喧嘩の場面でも、威圧感があったり、居丈高というより、どこか温厚で優しくて、気さくな素顔が演技の端々に現れていて、勿論無意識に素が出ている可能性もあるが、人として共感を持てた。決してハッピーエンドとは言えない切ない結末なだけに、多少なりとも共感が得られる等身大で人間味溢れる感じの清吉に、せめてもの救いを感じた。
そう考えると、この清吉を違う役者が演じるとまた違った清吉像が出来上がるのかもと考えると、無論山田拓未さんではない役者による清吉も1回は観ているが、もっと観てみたいし、興味深く感じた。
また、余談だが、女優や中高生ぐらいの子どもが清吉役を演じたら、どんな化学反応が起きるのか、個人的に気になった。
今回お菊役を演じた二宮響子さんは、二期目の龍チームの公演の際に石井陽菜さんに匹敵するか、それ以上に茶屋での清吉との喧嘩や宿屋で意地を張り合う場面において、啖呵を切ったり、威圧感、高圧感、切れた具合の凄みに尋常ならざる迫力と緊張感があり、清吉役の山田さんを圧倒しており、観ている私まで硬直する程の恐さと迫力、緊張感があった。
良い意味で今までのお菊役以上に、存在感があり、今までお菊を演じてこられた女優さんたち以上に花魁の中でも最上位の花魁の役が似合っていた。肝の座り方、美人で艶があり、和装が似合う感じといい、二宮響子さんがお菊役として、どこか堂々とした足取りで周りを圧倒する感じといい、余りにもはまり役過ぎた。
今まで、このロングラン本公演『六道追分』の山田拓未さんが出る公演の際、W主演のお菊役の女優さんはどこか(必ずしも身長差があるとは限らないが)山田さんと疑似親子のような関係性に見えやすい感じになっていたが、今回は対等というか、二宮さん演じるお菊に圧倒されていて、新鮮だった。
これからも、役者が変わるごとに清吉やお菊のイメージもどんどんその役者の個性やアクの強さ、存在感などによって更新されていくのが楽しみで仕方なくなった。(勿論、他の役の役者にも要注目だが)
今回は、七越、松山、花里の花魁役の女優さんたちが、今まで以上に存在感があり、また一期目〜今回の四期目に至るまでの中で、四期目剣チームの七越、松山、花里役を演じる女優さんたちが特に大人の色気というか艶があって、花魁役を演じる女優さん3人全員花魁衣装が似合うと言うことはなかなかないことだったので、驚愕した。
しかも、今まで花魁役を現役の有名アイドルが演じることがあまりなかったので、剣チーム花魁花里役を有名アイドルグループの現役メンバー「アイオケ」の草凪美海さんが演じられていたことを、終演後に買った第四期のパンフレットに書かれており、意外に思った。
但し、事前に女優さんが普段どんな活動しているかとか、別段調べず行って、劇場で観た段階だと、草凪美海さんが良い意味で大人の色気というか艶やかに見えた。花魁役が似合って見えた。そして後で、パンフレットを買って、「アイオケ」という有名グループにいるような人が、小劇場演劇に出て下さって、それも前のほうの席が舞台と距離が近いような劇場で上演されている劇に出て下さっていると言うことに感動し、感慨深くなった。
今回の剣チームお琴役を、お琴役としては初めてのアイドルグループ「RiKKYY」の現役メンバーの長瀬友起さんが演じられていると、後でパンフレットを見て知って、どうりで劇中観た際に、お琴役にしては、あまりに可愛く、輝いて見えた訳だと、良い意味で納得がいった。
今回の剣チーム尼さん念念役の白須慶子さんは一期目剣チーム念念役の吉田真綸さんとやや性格付けを被せてきたが、大きく違ったのは吉田さんがアイドルじみた雰囲気で、小悪魔っぽく、あざとくて憎めない感じのSキャラだとしたら、今回の白須さん演じる念念は普通に穏やかな尼さんに見えるドSというような違いがあって、面白かった。
但し、吉田さんも、今回の白須さんもギャップ萌ということでは、不思議なことに共通していた。
そしてどことなく蓮舫氏に似ている白須さん演じる今回の念念は、今まででかなりリアルにいそうな生真面目で、堅物で質素な感じの僧侶な雰囲気と裏腹に、馬鹿力で調子の良く、人の話を聞かなかったり、念念が説法してる時に柏餅を食べたりと食い意地も張った、でもどこか憎みきれない加藤拓也さん演じる珍念の腕を捻じりあげたり、珍念の首を、手に持っている数珠で締め上げたりと一期目剣チーム念念役の吉田さん以上の過激差ぐあいが面白く、それでいて普段清吉たちに説法する際は、何処か姉御肌な感じの温度差が面白かった。
一期目剣チーム遣り手役を演じた太田有美佳さんは、当時は今年の誕生日がまだ来てなかったので、31歳と、この後に続く期の遣り手役の人たちの中で1番若かったのだが、今回遣り手役の剣チームの関口恵那さんは、その太田さんよりも若く、更に今年の誕生日がまだ来てないので、今は27歳とパンフレットで知って、驚いた。
しかし、観た時点で関口さんは遣り手を演るには若すぎる感じもしたが、ドスの効いた、相手を威圧し、今まで見た遣り手の中で一見怖くて近づき難い、言葉の端々からも高圧的で、演じた本人がそう思っていたかどうかは別として、非常に命令的でパワハラ気質、ドSな感じが自然と滲み出ていて、存在感があって、改めて遣り手という役柄上最低でも30代くらいになっていないと、というイメージというか、勝手な既成概念をぶち壊してくれ、いくら若くても、年齢なんかは、演じ方次第、個性やアクの強さ、存在感の滲み出す感じ次第で、いかようにもカヴァーすることができると感じ、恐れ入った。
また関口恵那さん演じる遣り手はどことなくしっかりしていて、自我を持ち、強く艶やかさもあって、ただの嫌な遣り手とか、守銭奴といった感じではなく、与力の徳蔵や九次といった上級役人に対しても、媚び諂うと言うでもなく、キツく、毅然と立ち居振る舞っているように見える態度が、良い意味で非常に現代的な解釈をしており、とても共感できた。
そしてまた今回の剣チーム遣り手役の関口恵那さんが、今までの遣り手一若いと言うだけでなく、今までの遣り手一、衣装も今までと比べると目立っていたのが新鮮だった。
それにカラコンをしているのも、良い意味で、関口さん演じる遣り手を際立たせていた。
そして、どこか今どきのSMの女王様な感じが滲み出ていて、一期目〜四期目までの遣り手役一、今までの中では一番印象に残った。
今まで遣り手役の人で、W主演の主役や金襴豪華で艶やかな花魁たちの役の人たちが霞みかねないほどの存在感と、遣り手役にしては地味じゃなく、どちらかというと派手な感じで、食い込んでくるのは新しみがあって良かった。
例え、主役じゃなくても、これぐらいの存在感と、派手さは欲しいと、次の遣り手役の人にも大きな期待を抱かずにはいられなくなった。
今回の剣チーム同心共蔵役の伊藤清之さんは、今時な爽やかで純朴で、世間知らずな雰囲気の俳優だったので、アドリブほとんど無し、小ネタも殆どなしのほぼ台本通りだとしても、屈託のない笑顔と真っ直ぐ純粋で可愛らしい顔に癒やされ、細かいことなんてどうでも良くなって、全て受け入れられる気がした。
先輩同心章衛門役の剣チームの田中しげ美さんが共蔵役の伊藤清之さんとのやり取りで、恐らくアドリブであり、田中さんの本音でもあるんじゃないかと思える「君のその真っ直ぐで素直で汚れがない感じを見ていると、俺つい意地悪したくなっちゃうんだよねぇ」と言うような発言も面白かった。
また、今までの章衛門役と違って、髪を後ろで束ねている感じが印象的だった。忍者や浪人といった役も似合いそうだと感じた。
四期目与力の徳蔵役の小林一誠さんは、どちらかというと良い意味で、堅い役職の人というより、遊び上手、世渡り上手で、吉原遊廓等で豪勢に遊ぶ商家の大旦那とかにいそうな雰囲気の人といった感じで、与力の徳蔵といった感じはしなかった。
そういう意味で、優しくイケオジで、良い声をした与力の徳蔵演じる小林さんと、剣チーム与力の九次役を演じる今どき感のない、私の高校の英語の中年男性教師に似ている濃いいイケメン山西貴大さんの熱血で、猪突猛進で、無骨で生真面目で、エリート気質な性格とのまさに水と油なバディの組み合わせが新鮮で、面白かった。
また、山西さん演じる与力?同心のトップ?の九次は、今まで演じられてきた九次の中で、その濃いい見た目に反して、闇感がある感じじゃなく、嫌な感じも色濃くさせず、ワイルドな感じもせず、熱血で生真面目でエリート気質で、どこか真っ直ぐで、猪突猛進なところが、全く違う新たな九次像を創出していて、新鮮だった。
宿屋の女将、茶屋の女中役が今までの安定の川手ふきのさんから、今回の剣チームでは野村祥代さんが演じられていたので、どうなることかと思ったが意外と合っていた。
図々しく、出たがりで、漫画みたいに誇張された感じで、アドリブもちょこちょこ入れ込んでくる川手さんとは違って、野村さん演じる宿屋の女将、茶屋の女中は無駄に出しゃばったり、アドリブを急にぶっ込んで来ることもないが、良い意味で、格好も含め、地味で本当にその辺にいる宿屋の女将や茶屋の女中な感じに見えた。

リア
劇団うつり座
上野ストアハウス(東京都)
2025/05/28 (水) ~ 2025/06/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/05/31 (土) 17:00
岸田理生作『リア』を観た。これはW.シェイクスピアの戯曲『リア王』を基にしながら女性の視点から捉え直した作品といったようなことがCoRichのあらすじに書かれており、一体どうやってW.シェイクスピアの『リア王』を題材にしながら、それを換骨奪胎してどんな劇が私の眼前に立ち現れてくるのだろうと、期待と不安が入り混じった感じで観に行った。
実際に観てみると、岸田理生版では、劇中前提条件となる老王リアが幽玄の時間から歩み出てきて琵琶法師に、自分が何者であったかを聞くといったところ、老王リアには、3人姉妹でなく、2人の姉妹がいることになっていること、登場人物たちが明確な名前を持たず、現代演劇でありがちな具体性を持たない名前になっているところも含めて、物語の根幹にある部分が大きく改変されていて、それでいて観ている観客側に違和感を感じさせず、父であるリアと娘の長女との対立や葛藤に焦点を合わせて丁寧に描いていて、今においても色褪せない、謂わば家族の葛藤や対立と言ったテーマは時代を越えて、国や民族を越えて、永遠に考えさせられるものだと感じた。
大抵の場合、最初父の老王リアが王位を退くに当たって、3人の娘の内で孝行な者に領地を与えるとの約束に、領地欲しさから父王に聞こえの良い、都合の良いことを言って父王に気に入られ、領地を与えられる。それに対して、素直な物言いをした三女は、父王に怒りのあまり追放されるといった展開になり、その後話が進行するに従って、上の娘たちが如何に薄情で、裏切り者で、嫉妬深く、謀略に長けてるかが分かる展開となり、上の娘たちが嫌な徹底した悪女として描かれがちだ。
しかし今回の岸田理生版『リア』では、リアが王位を退くと、長女は今までの態度を急に手のひらを返したかのごとくに硬化させ、自分の時代が来たとばかりに、今まで父親に縛られ自由に身動き出来ず、封建的、閉鎖的社会に外においても家においてもがんじがらめになっていたところからようやく開放されたという感じから、父王が座っていた玉座に座り、若いうちにという感じで、闘剣で家来の男たちを戦わせて、勝った物には褒美として装飾がされた美しい剣や黄金を与えるのではなく、王宮に仕える高貴な女性や自分との性的な関係を結ぶことを褒美の代わりとするような放埒振り、さらにリア王を可愛そうな老人と吐き捨てるように言うようになる上、リア王の忠義者の老人を自分の家来に指示して両眼を潰させたり、リア王の象徴だった王冠を奪って長女が被り、元王の老人には木の枝で結わえた粗末な王冠被せ、王宮から追放した上、時々娘の顔見たさに帰ってくることも許さず、道化たちを伴って荒野を着の身着のままで彷徨わせる。さらにお金に困っても支援せず、親子の縁はこれで切れたとばかりに絶縁を宣言する。さらに心優しいが口数少なくほとんど喋らない次女も、時々元リア王だった身寄りのない老人を不憫に思って自分の家に招いたことを快く思ない長女は、いくら自分の妹とはいえ、このまま生かしておいたら、元父王リア、また私のことを快く思わない諸外国の王たちといつか結託して反乱を起こして、成功させるんじゃないかと言うような疑惑から妹の次女を、自分の忠実な家来に宮殿の中で首を絞めて殺させる。しかしそれでも飽き足りない長女は、自分の忠実な家来で、自分と性的な関係にある男を、実は密かに反乱を企ててるのではないかと疑い、寝室で情事に耽る最中、短刀で突いて殺すと言ったように、元になったW.シェイクスピアの『リア王』よりも一見救いがなく、W.シェイクスピアの『マクベス』よりも凶悪で冷徹で、残忍で非道、手段を選ばず、共感、同情の余地さえ見受けられないここまでのピカレスクぶりは、むしろ天晴と言っても良い。
しかし当然のことながら、長女もやはり人間なのか。劇の終盤が近づくにつれ、今まで殺したり追放し、自分の周りにはイエスマンしかいなくなったが、元リア王の気狂いになった哀れで薄汚くてかつての威厳や栄光はどこへやらの弱々しい老人を自分の手で殺し、これで封建制や閉鎖的社会、父権的といったものに全て勝ち得て、全ての事柄から開放され、これからは父の幻影を見る必要もなく、今まで以上に自由に生きることができ、自身が完全に自立できたと確信するが、父を殺した後、寧ろ父や家来を殺した幻に悩まされ、今までよりももっと不安と恐怖に怯え、誰も信用出来なくなって塞ぎ込み、不眠に悩まされ、身体を壊し、徐々に精神も壊れて、気が狂っていき、気付くと長女自身も幽霊になって彷徨っているという、何処か因果応報的だが、この岸田理生版『リア』がせめてもの救いがあるとするなら、長女が死してようやっと自分が殺したリアに許されるといった展開が用意されてるところぐらいか。
元々、シェイクスピア悲喜劇の中でも『リア王』は、コミカルだったり笑いやユーモアが極端に少なく、登場人物たち誰一人として幸せになれない、救いようがない作品だったが、岸田理生版『リア』はよりコミカルだったり、笑いやユーモアと言ったものが殆んど無く、独白も多くて、実験演劇的で、深刻で残虐で緊迫して、何処か生々しさが目立つ場面が多かったが、それこそが今を生きる私たちの現実でもあり、なかなか変わらない世の中、生き辛い世の中、未だに多様性とは言い切れないこの日本、ジェンダー問題一つとっても、女性の首相どころか、会社の部長かそれ以上のクラスで女性が殆どそういった責任ある役職に付いておらず、そもそも未だに男性と女性とで給料に格差が生じたりと言ったこともこの日本では全然解決されていない。そんな時代だからこそ、岸田理生版『リア』の長女のような、男社会の中で野心と野望で持って手段を選ばず成り上がり、しかし忠実な家来や実の妹を殺し、父を殺したことから、長女自身鋼のメンタルとは言えず、気が狂い亡くなって幽霊となるまでの過程が、ただの大悪人や、闇を抱えた異常な人物として描くのでは無く、傍から見たらそういうふうに見えつつも、その実どこか人間味が完全には消えない生身の等身大の人間、思い悩み、葛藤する複雑な感じに描いているところが、非現実的なまでに誇張して描き過ぎるよりも、リアル味があって共感できた。
長女は、ついつい弱音を吐きそうになる自分を、自分自身で牽制し、父権的、封建制、閉鎖的なるものと孤軍奮闘し続ける姿勢が、今を生きる人たちにとって多少の励みとなるのかもしれないと感じた。

ヘンリー四世 第一部
イエローヘルメッツ(Produced by GMBH)
ROCK JOINT GB(東京都)
2025/05/29 (木) ~ 2025/06/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/06/01 (日) 18:00
前にも、ライブハウスで劇を観たことは1回はあったが、それは古典劇ではなく、疾走感、臨場感があって、俳優が舞台を所狭しと使って、爆音で音楽が流れる中、ロックな歌を叫んだり、台詞を叫んだりと言ったパンク精神に溢れた、良くも悪くも演劇というよりかLIVE感強めな劇だったので、ライブハウスで演るのに適していた。
しかし、今回は普段子ども〜大人まで幅広い年代が楽しめて、肩肘張らず気軽にW.シェイクスピアの戯曲に親しむことができることを標榜して、実践している劇団イエローヘルメッツによる劇、W.シェイクスピア作『ヘンリー四世』とあって、正直ライブハウスでの公演、この組み合わせは上手くいくものなのか不安だった。
しかし、実際に観てみると、そんな一抹の不安など、一瞬で吹き飛んだ。
本来客席を置かないライブハウスの特性を活かして、仮設の右側、左側の座席の真ん中に花道を設け、役者が花道と舞台上とで同時に会話をするような場面もあったりして、普通の座席が固定化した小劇場ではあまり無い演出もあったりして、臨場感があって良かった。
『ヘンリー四世』は歴史劇だが、普通どこか荘厳な部分や緊迫して息が詰まるような要素、笑える場面もありつつ、全体としては重苦しく、どこか権威的な作品になりがちな気がするが、今回は違って、勿論緊迫した場面もあるのだが、その中にさえ大酒飲みでごろつき騎士、大洞吹きだがどこか憎めない感じで演じられたフォールスタッフ、訛りすぎてるゆえ過去の武勲を誇張して話したり、あり得ない大洞を兵器でまくし立てたりするグレンダワーなど一癖も二癖もある連中が出てきたりすることで、場の空気が一気に愉快になったりと、馬鹿らしさと緊迫した場面とのバランスが非常に上手くて、観ていて飽きさせず、大いに楽しめた。
劇中、役者は黒子のように全身無地の黒づくめの衣装で出てきて、舞台上には役者の数分の5つのパイプ椅子が置いてあるだけで、客席側にもなにもセットらしきものは見えず、至ってシンプルだった。
ここが居酒屋なのか、王宮の中の大広間なのか、ホットスパーたちが密約を練る場所なのか、森の中なのかといったことは役者たちが喋る台詞の中でさり気なく説明されるといったことで、今どの場面が展開されているのかが、舞台セットがなくとも、人物に合った服装をしていなくても、自然と想像しやすい工夫がなされていて、大変興味深かった。
昔新国立劇場中劇場で観た『ヘンリー四世』などと違い、フォールスタッフが大酒飲みで、女好きの追い剥ぎを糧とするごろつき騎士で、大洞吹きといったようなただの救いようのないクズとして描ききるのではなく、しかも上原奈美さんという女性の役者が演じたからかどうかは分からないが、女好きの要素を排し、ただの大酒飲みの大洞吹き、しかしどこか憎めない愛すべきキャラとして描いており、その上下世話な要素を控えめで演じていたので、こういうユニークなフォールスタッフも良いなと魅力を感じた。
大抵ハル王子が演じられる場合、救いようがない不良な感じで描かれ、途中から、戦争場面において本領発揮といった感じで演じられがちだが、萬家江美さん演じるハル王子の場合は、前半から中盤にかけては不良というよりは親にただ反抗的な思春期のティーンエイジャーと言った形で演じていて、共感できた。但し、後半の戦争場面での心を入れ替え父親のヘンリー四世と共に戦う際、また戦場でフォールスタッフたちにあった際のやり取りがそんなにケジメを付けている感じには見えなかったので、人間味があって感情移入しやすかった。
小山あずささん演じるヘンリー四世も、時に威厳があって権威的に振る舞いつつも、子どものことで悩んだり、英国の貴族たちとの関係で悩んで一人自室に籠もったりと、どこか非常に現代にも共通の親の悩みや部下との関わり方の悩みなどといったことはいつの時代も似たようなものかと共感しやすかった。決して、冷徹で頑固な感じで、融通が効かないだけな感じに描かれておらず、新鮮だった。
役者5人とも女性だったが、宝塚的な型式的な型に嵌った感じじゃなく、自由闊達で、アドリブも飛んでいたりして、全員が男役を演じていたが、違和感が全く感じられなかった。

六道追分(ろくどうおいわけ)~第三期~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/05/14 (水) ~ 2025/05/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/05/24 (土) 19:00
今回、片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」第33回ロングラン本公演『六道追分』の第三期、龍チームの千秋楽公演(第三期の全体としての千秋楽公演ではないが)を観た。
第一期から観ているが、三期目ともなると、当然のことながら、基本的な劇の内容は変わらなず、寧ろ始まる前からどういった内容で、どういった結末なのかは容易に想像できるようになった。
だが、一期から今回の三期に至るまで主演含めて、役者がガラッと変わるだけで、役者個々人の個性やアクの強さ、アドリブを入れてくるところや細かい小ネタ、笑いを取る部分が絶妙に違っていて、一期から三期まで一つとして同じパターン化されておらず、感心してしまった。
一期目からのロングラン公演だったので、一期目の際は気を引き締めて、演じてたとしても、三期目ともなると同じ役者陣でやっていないとはいえ、最初でないのもあって、多少の気の抜けや台詞が思いっきり飛んだりといったことがあってもおかしくないと思ったが、実際に演じていた役者たちはそんなことはほとんど無く、プロの役者としての気概に恐れいった。
鬼アザミ一味頭領の清吉を演じる山田拓未さんは良い意味で、一期目の時とそんなに変わっていない気がした。
但し、手探りで観客の反応を見極めようとしながら演じていた一期目の時と違い、通常のお菊とのやり取りと一期目では吉原遊廓花魁のお菊と喧嘩する場面が声を張り上げ過ぎたところを、バランスよく演じていて、良い意味で三期目ともなると、肩の力を抜いて、緊張し過ぎず、リラックスしながら演じられているのかなと感じた。
そして、山田さん演じる鬼アザミ一味頭領の清吉が今まで一生き生きとしていて、清吉の能天気でユニークで、飄々としていて、ちゃっかりもしていて、でも根は良い奴で、人情味溢れ、正義感が強く、仲間愛も強いといった感じに演じられていて、とても共感できる清吉像だった。
一期目、違う役者が演じた二期目の清吉像も悪くは無かったが、ロングラン公演で、期を重ねる毎、龍、剣それぞれのチームの特性や個性もあるだろうが、よりグレードアップして、より良いものになって、作品全体の完成度も高いものになっていっているのに、感慨深く感じた。
三期目お菊役の湯田陽花さんは、良い意味で、見た目は花魁お菊役が似合う雰囲気だが、どこか演じていると、幼い空気感が醸し出されて、山田拓未さん演じる清吉との喧嘩の場面や段々と打ち解けていく場面で、どことなく、父と思春期の娘の素直になれず、時にぶつかったりする、そういった関係性が見られて、また新たなこういうお菊像も新鮮で良いと感じた。
三期目龍チームの吉原遊廓花魁七越役の松尾彩加さんが途中で複数回煙管を燻らせる場面は、一期目、二期目ではそんなに強調されていなかったりしたので、アドリブだと思うが、あまりにもさり気なく、また艶やかな着物も似合う、煙管を燻らせる、流し目を使うといった所作をするだけで、ここまで色気が滲み出る役者もなかなかいないと感じ、良い意味で衝撃を受けた。
三期目龍チーム九次役の三宅礼央は、一期目の与力の九次役のように多少の妥協もせず職務遂行の為なら、犠牲も厭わず、冷徹で冷酷無比な感じでもなければ、二期目二期目の九次役のように生真面目で、仕事のためなら妥協はしないが、どこか優しさが滲み出ていた感じとも違って、真面目だが、冷徹過ぎず、優しい訳でもなく、ただ淡々と仕事をこなす中間管理職的な、良い意味で普通な感じだった。
但し、一期目に匹敵するレベルに、九次役の三宅礼央さんがイケメンだった。
三期目龍チーム与力の徳三役の熊坂貢児さんは、一期目のように大人で徳があるが、酒を少し飲まされただけで大げさにぐでーんと気を失う感じや、二期目のように悪酔いしてドスケベになり、清吉とは男色を思わせるような大胆な絡みを匂わせるような生々しい場面もあったりするのと違って、普通だった。常識人で、少し怖がりで、酔うと白目を剝いて倒れてしまうが、酒が回って倒れるときにしては大げさな感じとかになり過ぎず、徹底した良い意味で普通で、終始徳三の行動がリアリズムに即して演じられていて、その辺にいるおじさんな感じで、これはこれで共感しやすいと感じた。
三期目龍チーム念念役の大須賀彩子さんは、一期目のようにアイドルじみているがドSというギャップ萌な感じでもなければ、二期目のように大人で、徳が高く、真面目で落ち着いていて、どこか可愛らしさがある中年な感じでもなく、清吉たちと一緒になってふざけたりする、ワチャワチャしていて、面白みがあって、ユニークでコミカルな感じで、今までの尼さんのイメージを大きく覆してきて、なかなか面白かった。
三期目龍チーム同心章衛門の妻美奈子役の岩本貴子さんは一期目の若い役者や二期目の5、60代くらいのオバちゃんよりももっと年齢が言って、最低でも70代後半ぐらいはいってるんじゃないかと思われ、その岩本さんと章衛門役の西秋元喜さんによる老年夫婦の掛け合い、そして下ネタも多少混ぜてくるところが、痛くもあり、しかし大いに馬鹿馬鹿しく笑え、楽しめた。
ただ個人的には、章衛門役の西秋元喜さんが、声がガラガラ過ぎて、体調大丈夫かなと心配になった。
しかし、そこはプロの役者だけあって、最後まで演じ切っていて、別の意味で感動してしまった。
三期目龍チーム遣り手役の藤田優香さんは、普段は声優としても活動しているだけあってから、声に張りがあって良く通り、客席の後ろの方にまではっきりと聞き取れて、流石だと感じた。
また、一期目のように美人だが怖い見た目と恐怖で支配し、威圧的で近寄り難く見えて、意外と影で何気にお菊たちを気遣っているように見える感じ、二期目の中年で意地悪く、遊女たちの弱みを握って搾取し、守銭奴な感じと違って、声こそ迫力があったが、優しさがある訳でなく、かと言って遊女たちの弱みを握って搾取し、守銭奴で嫌な感じでもなく、普通な感じだったので、こういった遣り手は寧ろ妙なリアリティもあって良いと感じた。
三期目龍チーム宿屋の女将/女中役を演じた川手ふきのさんは、今回の公演を持って六道追分に出なくなると知って、感慨深くなった。
またこの役を違う人が演じるとどういった化学反応が生まれるのかにも、純粋に興味を抱いた。
今回三期目龍チームの千秋楽公演というのもあってから、最初のカーテンコール、観客の拍手に答えて2、3回に渡るカーテンコールと、三期目全体の千秋楽でもないのに合わせて3回のカーテンコールとなり、会場の熱気が凄かった。
通常では考えられない、連続カーテンコールということもあってか、役者やダンサー1人1人から、感想を話していくという異例の展開となり、その場に居合わせることができた私は、とても貴重な体験が出来たと感じた。
但し、徳三を演じた熊坂さんの不適切発言には、役を演じていたときの印象とだいぶ違っていて、役者の素の姿が垣間見られて、発言には呆れ返って、笑えたが、もっと他の役者の素の姿も気になった。
珍念/亡八役の西海健二郎さんが、今まで一おバカで、ヌボーとした感じで、それでいて目立ちたがり、出しゃばり、亡八では、普通な感じで、あんまり極端な感じになってなくて、役者って、やっぱり役者それぞれの個性やアクが演じる役に滲み出ると言うが、本当にその通りだと感じいってしまった。

トランス
表現ユニットえんぶる
前橋市芸術文化れんが蔵(群馬県)
2025/05/17 (土) ~ 2025/05/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/05/17 (土) 18:00
フリーライターで解離性同一症に悩む立原雅人、その立原を患者として相手する精神科医の紅谷礼子、ゲイバーに勤め、ひょんなことから立原に付き添い、時に励ます後藤参三、この3人の再開を基軸に、解離性同一症の立原を通常生活が遅れる程度に復帰させる話かと途中まではそういうふうな感じで話が進む。
しかし途中から、果たして立原が解離性同一症だったのか、患者は実は自身を精神科医と思っているだけの紅谷やゲイバーに勤めて、甲斐甲斐しく立原に付き添い、時に励ましていると思っている後藤なのかもしれないという疑惑が劇の終盤にかけて強くなってくる。
そもそも3人の職業も、それぞれ本当にその職業で合っていたのかどうかさえ、あやふやになってくる。
劇の終盤、3人それぞれのアイデンティティーが崩れ去り、確固たる自分が無くなり、妄想と真実の境界の線引きが非常に曖昧になっていくといった終わり方が、非常に現代でも通用する内容だと感じた。
現代社会では、生き辛さや孤独を抱え、没個性化し、他人が見えづらくなって久しいこの頃、更に不穏で世知辛い世の中だからこそ、この劇は、今の人たちの精神を体現していると感じた。
他人事でなく、今の私たち一人一人が解離性同一症か、そこまではっきりした精神病でないまでも、多かれ少なかれ、今回の劇に出てくる登場人物たちのように悩みを一人で抱え込む人が多いのではないかと感じた。
今回の作品『トランス』は、現代演劇を代表する寺山修司や唐十郎と鈴木忠志、佐藤信、別役実や清水邦夫、岸田理生やつかこうへいといった人たちよりかは後の鴻上尚史の作品だが、良い意味で全然古びず、古典化せず、取っつきづらくなく、元の脚本を読んでなくても、大いに笑い、十分楽しむことができた。
また、今の時代でも、時代とか関係なく刺さる話だと感じた。
勿論、演出家の上田裕之さんの演出力、役者の演技力あってこその作品だとは思うが。
役者の演技力や白熱した感じと静かに淡々と独白を語りだす場面との自然な使い分け、さり気なく笑える場面を導入するなど、演技力において熟練しており、目を見張るものがあった。
閉鎖された精神病院の中や精神病院の屋上、アパートの中などの狭くてじめっとして、居心地の悪さや不気味さ、不穏さをも感じさせるのに、前橋市にある芸術文化れんが蔵はという空間は、劇の世界観に観客を引き込むことにおいて、普通の小劇場より適しており、空間を上手く使いこなしていると感じ、感心させられてしまった。

六道追分(ろくどうおいわけ)~第二期~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/04/30 (水) ~ 2025/05/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/05/09 (金) 19:00
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」第33回ロングラン本公演『六道追分』第二期龍チームを観た。
前回『六道追分』を観ての、今回が2回目だったが、二期目も劇の物語の内容は全く変わっていなくて、出演している役者が大幅に入れ替わり、私が観た龍チームに至っては座長の山田拓未が珍しく出演していないということで、劇としてのまとまりなど、若手が主演で大丈夫かという一抹の不安も正直あったが、実際本編が始まってみると、勿論龍チームにとっては、明日が千秋楽公演で、5月9日(金)19:00の回が千秋楽前最後の公演ということもあるのかも知れないが、役者一同気合が入り、大きなミスや台詞を間違えたり、台詞が飛んだり、声を枯らしたりすることもほとんどなく、軽妙なアドリブで腹がよじれる程大笑いさせたりする余裕も垣間見せていて、劇全体としても一期目の役者たちに引けを取らず、完成度が高かった。主演が瀬戸啓太さんと石井陽菜さんになっても、全然良い意味で違和感を感じなかった。
鬼アザミ一味の頭領清吉役の瀬戸啓太さんは濃くて今どき感のない俳優の高良健吾さんに少し似たイケメンで、それを活かした演出なのかどうかは分からないが、野性味溢れる粗野とか、粗暴というか短期というかで、彫物がしてある腕を着物を開けてバッと見せる演出など、鬼アザミの清吉の性格や言動が役者が変わっただけで、こうも変わるのかと感心させられてしまった。
また瀬戸啓太さんのパッと見た感じの印象と、瀬戸さんが演じる鬼アザミの清吉の言動がフィットしていて、当て書きならぬ、その役者のイメージにフィットした性格に清吉を寄せてきていて、本当に演劇って生ものだなぁと実感させられた。
お菊役の石井陽菜さんも、一期目のお菊役のしっかりしているが時々緩い感じとはまた違って、良い意味で意思が強い上に、気が強く、隙が無く、喧嘩する場面が笑いにならずに、迫力があって、ドスの効いた緊迫感が出るような威圧感が出ていて、演じる役者によって、役は同じだとしても、こうも役のイメージがガラッと変わるのかと驚いた。
個人的には、こういうお菊像も全然ありだと思った。
この後も、3期、4期というふうに続いてゆくのだろうが、大枠の作品の内容はそのままに、演じる役者によって演る役のイメージがころころとどういうふうに変わるのか、その役者の個性も反映された感じになるのか、これからもそういった小さな変化が興味があり、今から期待しかない。
また与力の九次役の多田有我さんは、役柄的にはかなり冷酷無比で、職務遂行のためならば自分が嫌われ役になるのさえ厭わず、手段を選ばないような役のはずなのに、多田さんの見た目とフィットするかのように、所々優しさが滲み出て、冷徹に振る舞おうとするが、どこかお間抜けな感じが滲み出たりと、人間味のある感じに演じられていて、本来あまり共感できない役のはずなのに、憎み切れず、愛すべきキャラだと感じ、自然と引き込まれた。
与力の徳蔵役の西川智宏さんはどこかX経営者のイーロン·マスクに似て、イケオジでもなんでもないただのおじさん俳優だが、男性同士の恋愛を茶化したような場面だったり、よって下ネタに走る場面が印象的で、ドキドキ感があって、大いに笑えて、楽しめた。
尼さん?の念念役の阿達由香さんは、一期目の時の同役の役者の意外とドSでコミカルで、どこか派手でアイドル的な感じと違って、地味で中年のリアルにいそうな尼さんな感じに演じられていて、阿達さん自身の独特な地味だが達観した雰囲気と相まって、その辺に普通にいそうな尼さんの感じが出ていて良かった。
石津雄貴さん演じる念念の弟子の珍念は、一期目の同役の役者と違って、よりふざけて、さり気なくアドリブもかましていて、今回の念念役の阿達さんが地味で中年、真面目で達観した感じなのと対象的な感じで笑いを取っていて、その全然違う組合せで、バランスが良いと感じた。
宿で花札に興じたり、鬼アザミ一味と疑われた男女が一瞬出てくる場面で、東海Wallkerを広げたりと一期目にも増して、二期目は小ネタやアドリブが数多く散見されて、一期目との違いも楽しめて良かった。

ワトソンとスィートホームズ/皆目見当がつかない
かーんず企画
シアター711(東京都)
2025/05/02 (金) ~ 2025/05/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/05/06 (火) 16:00
かーんず企画第13回GW特別公演【ワトソンとスィートホームズ】と【皆目見当がつかない】の2作品を交互に上演している中で、前者の作品の千秋楽公演を観劇した。
CoRichのあらすじを読んだ感じだと、公園の片隅でゆるく暮らすホームレスの人々の生活を描く……だったはずが、新しい公園で暮らしたい人の登場で、やがて人間が向かうべき方向が露わになっていくという、タイトル除いたら、探偵小説『シャーロック・ホームズ』に出てくるワトソンもホームズも出てこないように一見えるが、『シャーロック・ホームズ』の亜流の話で、更に色々な要素を混ぜつつも、ワトソンとホームズが群像劇的な中で、さり気なく出てくるような劇かと思って、期待して観に行った。良い意味で裏切られた。
そもそもワトソンらしき人やホームズらしき人すら出て来ない。強いて言えば、シャーロック・ホームズ帽をホームレスの中の中心的な人物が途中で被って出てくるぐらいで、別にそれが劇の伏線回収になる訳でもなく、劇自体ミステリーの要素はからっきし無かった。但し、最後まで予想出来ない展開で、絶対的と思われた価値観や存在意義が変わってしまう不条理喜劇で、大いに笑えて、面白かった。
実際のホームレスになる人の大半は、ホームレスという何者にも縛られなくて、自由で、社会規範とも比較的無縁な路上生活に憧れてとか、人類の原点に帰ってというような考え方、在り方でと言うよりも、生活苦からそうなっていることが多く、好きでホームレスやっている人の割合は、特にこの日本においては顕著だと思う。
なので、劇中でホームレスの人たちが、不穏な現代社会で息苦しく、心も狭く、現状に満足せず、仕事も好きになれず、一人で塞ぎ込み、孤立感が高まり、想像力も思いやりもない人たちと対比して、どこか現代社会の病理の対極にある理想的な社会という風に描いているのは、普段街中でよく路上生活者を見かけて、身近なだけに、都合よく描き過ぎていないかという違和感は、少なからず感じた。
但し、その違和感以上に、途中で約1名除いたホームレスの人たちはホームレスになりきり、演じ切っていた、ということが劇の後半になって分かってくる。でも、例え最初の間口が不順な動機でも、途中からは本当のホームレスの生活が気に入り、いつの間にかコミュニティーに溶け込み、本当のホームレスのようになっていく人々の心の変遷、成長が丁寧に描かれていて良かった。
劇の終わりの方でただの普通のコーヒーを飲んでいただけな筈なのに、変な動きを始めたから、最初はゾンビになる展開かと思ったら違った。何と、予想外にも、新しく入った新入りを歓迎するホームレスたちによる路上飲み会で盛り上がってきたタイミングで、次々に類人猿になっていくという不条理で、不気味で、どこか不安だが、ユニークで突飛な終わり方になっていく。
そのホームレスたちや支援者弥生の心が綺麗に見えるが、実はホームレスが出してくれたコーヒーを飲むと見せかけて、こっそり隠して置いたり、自分がせっかく作ってきた手料理よりも、ホームレスの人たちが自分たちでゴミ箱漁って持ってきた食べ物で盛り上がっているのを見て、機嫌を損ねたりとどこか偽善者じみた令嬢までもが次々に類人猿になっていく様子に、その動き方の可笑しさに、今までと打って変わった不条理さに、馬鹿馬鹿し過ぎて大いに笑えたが、その後、類人猿への急な様変わりがある意味現代社会の人々の孤独や闇を炙り出している気がして、急にスーと背筋が凍り付くほどの恐怖を覚えた。

アルカの板
9-States
駅前劇場(東京都)
2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/04/27 (日) 19:00
今回観た劇『アルカの板』のあらすじをCoRichで読んだ段階だと、旧約聖書の創世記の中に出てくる、ノアの箱舟のエピソードと、古代ギリシアの哲学者カルネアデスが出したとされる倫理学上の思考実験であるカルネアデスの板、面白いことにこの2つの話とも、人類が窮地に追い込まれ、究極の選択をしなければならないという意味では同じで、さらに2つの話とも舟が重要な要素となっている共通点があるが、この2つの話と現実的な日本の漁協組合とそれに属している九海丸の船員たちと経営者の井上柚、経営者の母井上花楓が過労で倒れたことを気に地元に戻り、九海丸の経営改革をしようとする経営者の妹の井上杏子の話が混ざって、観念的で哲学的、かなりファンタジックな作品なのかと、あらすじの抽象的、詩的表現が多々散見される事からも感じた。また、CoRichに載っていたチラシの雰囲気を見ても、非常に抽象的で幻想的で謎めいた雰囲気だった事からも確信していた。
しかし、実際にこの『アルカの板』を観て見ると、良い意味で裏切られた。
まぁ、確かに海難事故で漁に出たきり帰らぬ人となった九海丸経営者家族の井上家の父親の声が急に聞こえてきたりする多少の不思議はあるし、観念的で哲学的、詩的な言葉が舞台向かって右端、左端に備え付けられたモニター画面に移されたり、登場人物たちの独白も普通の劇より多い気がしなくはない。
しかし全体としては、非常に現実的で、今の日本の漁協組合と組合から舟を貸してもらって漁をする漁師たちの切実で切羽詰まった問題と組合と漁師の絶妙に対等とは言い難い関係性、権威主義的で保守的な組合長と、それによって余計に前に進めなくなって、このままいくともろとも潰れかねない壊滅的な状況の弱小の漁師たちを束ねる九海丸経営者の井上柚とその母親で過労で倒れた井上花楓、その妹で東京から戻ってきた井上杏子を中心とした家族の絆と家族のような漁師たちとの関係性、組合長の娘の尾田レオナと杏子とのレズだけど、素直になれない関係性などが時にシリアスに、時にバカバカしく、時々笑いも交えながら描いていて、人間関係や家族のこと、今の漁業の悲惨な現状を何とか改善しようと組合長と対立しながらも変えようともがき、奮闘する話だが、その中で漁師たちを救おうと、井上杏子が提案する『ノアの箱舟計画』といったところでモチーフとして旧約聖書のノアの箱舟のエピソードを元にしつつも、漁師の救済計画といった別の形で導入されてきていて、幻想強めでは全然なかったが、非常に面白く、また感動する内容だった。
また、この劇で井上杏子の『ノアの箱舟計画』に強力な助っ人になってくれる漁協組合副組合長の荒木康一が村を出ることが条件で、この計画が成功するという在り方は、まさにカルネアデスの板の意味と一致しており、哲学原理をこういった現実問題でさり気なく描く演出家の手腕が凄いと感じた。
この劇をきっかけに、今まで以上にもっと日本の漁業の現状を正しく理解し、どうやったら物価も上がる中、漁師や農家等が将来に渡って生き残っていけるのか真剣に考えてみたいと感じた。