ケエツブロウよ-伊藤野枝ただいま帰省中
劇団青年座
紀伊國屋ホール(東京都)
2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
那須凛は、家と恋の間で苦しんだり、ダメ男辻潤から心は離れているのに、外見はそれを否定する前半がよかった。後半、大杉と一緒になると一直線すぎて迷いがなくなってしまう。
伯父役の横堀悦男が存在感があった。アジア主義者の頭山満と親交があって、その話もよく出てくる。幼い野枝を預かって育てたそうで、あの伯父があってこその伊藤野江だったという気がしてくる。
それにしても伊藤野江の芝居は、この7年で5本目。永井愛、宮本研ほかいろんな作家がそれぞれの野枝を書く。小説、映画も。村山由佳「風よあらしよ」はNHKでドラマになった。すごい人気である。華もあり嵐もあり棘もある。史上傑出したマドンナであり、スターだ。
未来少年コナン
ホリプロ
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2024/05/28 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
映像やメカの模型を一切使わず、見立てと人力で未来少年コナンを舞台に再現したところが見事。アニメのあれこれの名場面を思い出した。モンスリー(門脇麦)の回心(痛みの回復)やレプカ(今井朋彦)の力の哲学はセリフを補筆して深みがあった。「バカね」の名セリフもあって堪能した。
人間関係の変化を、長いダンスやパフォーマンス場面で見せていたのがよかった。コナン(加藤清史郎)とジモシー(成河)が最初の反発から親友と認め合うまでの競い合いなど。特によかったのは、がんボート上でダイス(宮尾俊太郎)とモンスリーが、磁気拘束具のリモコンを奪い合いながら、ダンスのようにもつれあって関係を接近させるシークエンス。
海、風、砂から、射撃音や足音、飛行機の音など、すべての効果音を舞台袖でミュージシャンがその場でつくる。紗幕を通して客席からも見えるつくりも、今回の成功した試みとして挙げておきたい。
幕開けのモンスリーとおじいの対話は、戦争を起こした大人たちを責める戦後世代と、過ちを繰り返すなと諭す戦争世代の対話として、日本の戦後のそれぞれの言い分と重なった。アニメ「未来少年コナン」が、敗戦と復興という戦後状況をそのまま映していたことに気づかされた。
ライカムで待っとく
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初演の時は劇場が遠いのでパスして、後で後悔した。今回は是が非でもと、早めに予約して臨んだ。
初演後の『悲劇喜劇』に戯曲が載って読んだはずなのだが、1964年の米兵殺傷事件の容疑者の経験に迷い込む話という記憶が全然なかった。
俳優たちは、現代の本土のライターとその妻は、いわば事件を目撃するコロスのようなものであって、その周囲の沖縄の人たちが真の主役。現代のタクシー運転手と、妻の祖父で写真館主人の佐久本寛二を演じる佐久本宝の弾けた演技がよかった。重いテーマだからと言って沈むことなく、明るい舞台にしていたと思う。現代のユタ?のおばあと、60年前の飲み屋のおかみを演じたあめくみちこも自然なコミカルさがいい。横浜の若い女性伊礼ちえ(蔵下穂波)の、「基地県なのに、神奈川の人は反対などと騒いだりしない、大人ださー。だからここが好きなの」と、神奈川をいじる皮肉が嫌味でないのも、素直な演技のおかげだろう。
回り舞台と、周囲のたくさんの空の段ボール箱をうまく使い、テンポの速い場面展開だった。
デカローグ5・6
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/05/18 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
5は20歳の青年ヤツェク(福崎那由他)が、タクシードライバー(寺十吾)の強盗殺人をする話。青年の犯行は、ひもを用意しているあたり、計画的ともとれるが、タクシーに乗るまでほぼ何の予兆も見えず、犯罪の理由がない。金を奪うから、金目当てではあるのだろうが、それほど金に困っているという描写もない。
6は、19歳の青年トメク(田中亨)が、団地の窓から覗き見た女性(仙名彩世)に恋をし、ストーカー行為をする。女性は、それを告白されて、最初は嫌がるが、すぐ青年に興味を持つ。「愛している」という純真で一途な青年と、「愛など存在しない」と、多くの男と寝ている女。
柿喰う客新作本公演 2024『殺文句』
柿喰う客
本多劇場(東京都)
2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
「タン麺をタンタンメン、ワンタンメンをタンメン、タンタンメンをタンメン」などなど、早口言葉とリズミカルな洒落を含むせりふが速射砲のように延々と続く。つかこうへいと野田秀樹を合わせたようなせりふ術。その言葉のエネルギーには圧倒され、時に置いてきぼりにされた。
活動家の夫婦から生まれた男・継美ツクシ(玉置玲央)が、革命組織から組合つぶしのために入社し、総務部の7人の女性たちをはらませて、妊娠退社に追い込み…、核だった女性たちがいなくなり組合も弱体化…という話らしい。そんな設定は後から見えてくるので、最初はとにかく速射砲のような言葉の嵐。
上司(中屋敷)が痴漢で逮捕・休職中に、ツクシがしきり、総務部長(七味まゆ味)が産休になるが、妊娠してないんじゃないの? そんなこんなのうちに、上司が部長を階段で誤って突き落とし、いや、逆に突き落とされてあしをくじき…と。総務部長と総務課女子が組合を守り、労災認定を迫るが、ワルシャワ労働歌や、「蟹工船」「海に生きる人々」、インターナショナルまで出てきて、カクメイはもはや空疎なネタでしかないことを突き付けられる。
玉置はでづっぱりだが、最後までせりふが一つもない。一言も発しない。本人の「せりふのない役をやってみたい」という要望から、この芝居ができたらしい。
休憩なし1時間50分+AT10分
ハムレットQ1
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2024/05/11 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
柿沢ハムレットに続いて観劇。吉田羊のハムレットが、狂気を演じているときは裏声でコミカルに、素に戻ったセリフは地声で、と顕著に演じ分けていたのが目立つ。
Q1はスピーディーというが、それでも休憩込み3時間ある。それをほとんどカットしていないのだろう。ポローニアス(佐藤誓)が息子への使者レナルドー(佐川和正)にいろいろ伝言するところなど、初めて見た。
確かに短いところもいくつかある。第4独白の欠如は有名だが、他にもハムレットがイギリスから舞い戻ったことは、兵士の報告しかない。レアティーズ(大鶴佐助)との剣試合も、誘いに来る貴族の口上も含め、全体があっさりしている。クローディアス(吉田栄作)に毒杯を飲ませて命を奪う駄目押しをしない。今回の演出は、クローディアスが自ら剣を受けて死を選ばせている。その前のガートルード(広岡由里子)も、夫の制止を無視して毅然として毒杯を仰ぐ。二人の苦悩と絶望は大きいという解釈だ。
オットーと呼ばれる日本人
劇団民藝
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/05/17 (金) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
他の方も書いているが、オットー(尾崎秀実)役の神敏将が光った。思想劇ともいえる王道の戦後せりふ劇。木下順二の戯曲・せりふのうまさもあちこちで感じた。
(抽象的なセリフは俳優泣かせだったと、どこかに書いてあったが、本作は言葉としては平易だ。情報の出し方も、通信員のフィリップの仕事を「とんつーやるだけだよ」ですませたり巧み。比喩やイメージも工夫しており、活動の危険性を地バチのたとえで語るとか。「用心しないと、巻き込まれちまいますよ」と新妻に忠告した、検事の友人が、最後に糾問役で出てくる)
ただ男同士の政治活動のわきで、男女の恋愛関係は今一つとってつけた感があった。とくに宋夫人(桜井明美)と尾崎の関係。ジョンスン(ゾルゲ、千葉茂則)と女給の愛人も、ジョンスンたちの崇高な仕事を汚すだけのような気がする。
転向して屈折した友人と、直接の弾圧は受けずに首相ブレーンに食い込んだオットーの対比も、考えさせられる。
火曜昼の回を見たが、サザンシアターの客席がほぼいっぱい。この作品への関心が高いのだろう。
GOOD -善き人-
フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京
世田谷パブリックシアター(東京都)
2024/04/06 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ナチスが台頭する1930年代のフランクフルト、大学でドイツ文学を教えるハルダー(佐藤隆太)が、ナチスに入党し、その仕事を引き受け、時流に流されていく姿を描く。同時に、施設に入っている母(那須佐代子)の我がままに翻弄される。精神を病んでいるらしく家事の出来ない妻(野波麻帆)にはいたわりが必要。
親友のユダヤ人の精神科医のモーリス(萩原聖人)からは、ナチス党員の力で出国許可をくれと言われるが、うけあわない。保身をなじられるが、モーリスも無理だということはわかるので、あきらめて、ある日、いなくなる。
ハルダーは教え子のアン(藤野涼子)にいいよられ、関係が深まり、妻とは別居へ。小悪魔的な藤野が、自分のことしか考えてない身勝手さをかわいく演じていた。同時に、ナチのボウラー(と、ジャズ好き同士で仲良くなる。ボウラーは子どもができないために出世できないと嘆く。ナチスにはそんな因習もあった。
とにかく佐藤隆太が出ずっぱりで大変な芝居。スマートな好人物を、嫌みなく演じていた。もう少し深みが出れば、言うことない。
椿姫
新国立劇場
新国立劇場 オペラ劇場(東京都)
2024/05/16 (木) ~ 2024/05/29 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
何度聞いても、ほれぼれする傑作。緩徐曲のあとに速い歌を組み合わせる、当時のオペラ作法にのっとったところも、2幕1場の冒頭のアルフレードの歌など、感情の変化に合っている。なかほどのヴィオレッタの歌もそうなっているのは、少し滑稽な感じ。でも変化がついて楽しめる。
今回は2幕1場のヴィオレッタとジェルモンの駆け引きの二重唱が、感情の変化とドラマを一曲に乗せて発見があった。聞きごたえ抜群であった。この曲が、アリア中心のオペラから、演劇的オペラへの転換を促した画期的曲というのも分かる。これはワーグナーも同じ方向で、さすが、ベルディと同い年というのはダテではない。ベルディは「オテロ」や「ファルスタッフ」で、演劇性を一層徹底させる。一方、もっと時代の下るプッチーニの方が少々アリア中心に戻るのはまた興味深い。
ジェルモンの歌う「プロヴァンスの海と陸」は有名な曲だが、2幕2場のクライマックスのジェルモンも参加する歌、3幕のヴィオレッタの別れの歌も、メロディや伴奏が共通している気がした。全く同じとは言えないけれど。
ヴィオレッタの中村恵理が好演で、高音の伸びは絶品。アルフレードのリッカルド・デッラ・シュッカもまけてない。ジェルモンのグスターボ・カスティーリョもいい声を聴かせてくれた。
深い森のほとりで
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
紀伊國屋ホール(東京都)
2024/05/10 (金) ~ 2024/05/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
バングラデシュで待っている人のために、次々直面する困難を乗り越えて、ワクチンつくりに挑む科学者の物語。素直に感動した。運営交付金を減らされる弱小国立大学、金のない人たちが死んでも、多額の資金のかかる薬の開発に腰を上げない製薬会社(「死の谷」という)、海外からは何をしているか見えないガラパゴスの日本の研究者など、新聞かテレビのドキュメンタリーのように今日的実情が盛り込まれている。また、ビル・ゲイツ財団やワクチン開発支援機構など、ハードルは高いが支援の手があることも分かる。2017年2月から2023年3月31日まで、最後の場面ではコロナ禍もかかわってくる。
主人公原陽子(湯本弘美)の研究者歴もきちんと語っている。恩師本田教授(広戸聡)のおかげで今があるという背景が、物語の奥行きを深めている。わきに配された人々も、それぞれモデルがいておかしくないつくり。東大史料編纂所の学術支援専門員という、知り合いの娘さんが来ていて「まさに自分も、作中の産学連携支援の山口さんと同じような立場」と言っていた。女性研究者たちの直面する壁、挫折、それでも持ち続ける研究への思いを、過たず描いていた。
夢と生活のはざまで悩んだことのある、多くの人の心を打つ舞台である。主人公の壁にくじけず挑戦し続ける姿に励ましをもらえるだろう。
俳優たちは、青年劇場らしい楷書の演技で、ユーモアさえまじめさがみえる。看板役者たちは今回はおらず、広戸さん以外は知らない顔だが、よかった。若い五嶋佑菜さんには太めキャラの愛敬があり、八代名菜子さんは清楚な美しさがよかった。
ハムレット
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)
2024/05/07 (火) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今回は、体調のせいか前半はのれなかったのだが、後半は舞台のセリフがビンビン響いてきた。とくに4幕4場のハムレットのいわゆる第4独白ははっとさせられた。イギリスに派遣される途中、ポーランドへ向かうフォーティンブラスの軍勢を見て、大した意味のない狭い土地をめぐって戦争する愚を語り、つづいて「思考の4分の1は知性だが、残りは臆病だ」という。ハムレットが自分の不行動・逡巡を、知性のもつ臆病さ(慎重さ)として自省する。400年前より、人々の教育程度があがり知識は増えたが、行動力の落ちた現代の我々にとって刺さる話だ。「これでいいのか、いけないのか(小田島雄志訳)」の、死(自殺)の誘惑とたたかう第3独白より、よっぽど重要だと思う。
実はこの第4独白、主に3種の原テキストのうち、Q2にはあるが、最も完成形とされるF1にはない!!!! この重要な独白がないバージョンが基本テキストとは!。当然、現在の上演でもカットされる場合がある。
「ハムレット」はなぜこれほど評価が高いのか。私は今までぴんと来なかった。今回、知性に足を引っ張られて行動できない姿が、非常に現代的であることに気づいた。シェイクスピアの主人公の中でも、これほど知的で内省的な人物はいない。レアティーズが父の怪死を知って、民衆をたきつけて王宮を攻めてくる単純な行動とは、まさに対照的だ。ハムレットはそれでいて退屈な人物ではなく、諧謔や機知もある。与えられた任務(運命)の重みに加えて、人物としてのふくらみと面白みがある。この芝居はハムレットの比重が大きすぎて(出番もセリフ量も)ハムレット役者次第で芝居の成否が決まる。怖い役でもある。(頭はいいが、他人を陥れるために知性を使うイアーゴ―とも違う)
結局ハムレットは最後まで復讐を行っていない。クローディアスを討つのは、彼らの罠にはまった怪我の功名にすぎず、みずから能動的に行動したものではない。レアティーズとの試合に向かう「覚悟が肝要だ」という肝のせりふも、実は受け身の姿勢である。どんな事態に臨んでもひるまない、ということである。演出の吉田鋼太郎は、ハムレットは「人を殺すとはどういうことか」に真っ向から挑み、「殺してはいけない」ということを描いたと述べている(パンフレット対談)。
その通りだが、一方、ガートルードの寝室で、物陰に潜んでいた人物(ポローニアス)のことは、何度も短剣でめった刺しにしている(今回の演出)。明らかに殺意が見えた。それは、相手を王と思ったからと語る。復讐を遂げようと思ったからというわけだ。(しかし、ここに来る途中で、祈る王を見て通り過ぎてきたのだから、自分より先回りしていることはあり得ないとわかるだろう。芝居には出てこないが、ハムレットはどこかで寄り道していたのか。それはさておき)つまり「殺すことを否定する」のと矛盾する。このようにシーンとシーンの間に矛盾があるのが、ハムレットの難しいところだ。だから、答えが出ない。そして、そのわりきれなさが「ハムレット」がいつまでも演じられ、語られ続ける理由なのだろう。
柿澤勇人のハムレットは予想以上によかった。登場した宴会の場で、本当に聞こえないほどの小声。亡霊の「誓え~」への反応の速さ、第4独白のしみじみした語り等々。墓場で「俺はオフィーリアを愛していた!!」と力いっぱい叫び、オフィーリアの遺体を両手で抱え上げ仁王立ちする姿は、心技体の一致した名場面である。オフィーリア(北香那)の狂乱の場も、バレエのように回り、舞い、幼子のように歌う。広い舞台いっぱいに舞う姿は可憐で美しく、素晴らしかった。
すぐ吉田羊の「ハムレットQ1」がある。見て、何を感じることになるだろうか。
「シカゴ」来日公演2024
TBS/キョードー東京
東急シアターオーブ(東京都)
2024/04/25 (木) ~ 2024/05/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
何度見てもほれぼれするザ・エンターテインメントである。しかし、それだけではない。無力な女性がメディアや弁護士を巧みに使って、男社会の中でしたたかにのし上がる、女性賛歌、フェミニズムの作品ととれないこともない。とんでもない悪女だけれど。金次第でどんな嘘でもつくビリー・フリンの一方で、愚鈍なほど正直で影の薄い夫のエイモス・ハートも、きちんとソロで丸々一曲歌う(ミスター・セロファン)見せ場がある(「君の時間を取りすぎてないと良いけれど」と控えめですらある)。
また真実や正義などそっちのけで、売れるネタに飛びつくマスコミのセンセーショナリズム、腕利き弁護士の弁舌一つで陪審員の採決が変わる衆愚裁判、そしてすべては金次第というアメリカの軽薄さを暴いている。「この国がいかに素晴らしいか、私たちこそ「生きた見本」です」と歌うフィナーレは、アメリカ大衆社会への痛烈な皮肉である。こうしたアメリカの破廉恥と退廃を、極上のエンターテインメントにしてしまうこと自体、アメリカのしたたかさを示している。
Medicine メディスン
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2024/05/06 (月) ~ 2024/06/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
精神病院らしい施設の一室で行われる演劇治療らしい。その出来次第では退院できるのではないかと、ジョン(田中圭)は期待を持つ。老人の紛争で現れる音響兼役者のメアリー(奈緒)、ロブスターの着ぐるみで現れる、エネルギッシュに指示を下す俳優のメアリー2(富山えり子)、そしてドラマー(荒井康太)。彼らがジョンの治療劇の出演者、音響だ。メアリー2がブースに入るときに起こる強風など、演出家の工夫かと思いきや、すべて台本の指定らしい。かなり凝った戯曲である。
「気分はどうだね」「いいです」「何でここに来たんだと思うかね」「僕がほかの人と違うから…」…医師とジョンらしき会話の録音が、舞台にいる4人以外の、監視者の存在を示す。二人のメアリーは、雇い主と携帯で話したりもする。こちらからは見えないが、相手からは見えると思わせる「視線の政治学」が可視化されている。監視と監禁の中での、1年に一度の治療劇。両親の愛情の薄かった幼少時代(赤ん坊の人形も使う)、いじめ、そして、施設の庭で花咲いた恋と退院の夢…。歌ったり、踊ったり、走ったり。劇中劇を出たり入ったり。振幅の激しい感情と、ダンススタジオのような動きはすさまじかった。
トリスタンとイゾルデ
新国立劇場
新国立劇場 オペラ劇場(東京都)
2024/03/14 (木) ~ 2024/03/29 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
イゾルデ役のリエネ・キンチャ、トリスタン役のゾルターン・ニャリとも途中交代の出演であったが、心配は全くの杞憂だった。バスのヴィルヘルム・シュヴィングハマー(マルケ王)もすばらしい。プランゲーネの藤村実穂子もよかった。私は「ワルキューレ」のフリッカで見た記憶がよみがえった。
デカローグ1~4
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
プログラムA:1 計算では絶対起きないはずの事件によって、人知の限界を語る。デカローグとはモーゼの「十戒」のことだが、全10話がきれいに10の戒律に該当するわけではなさそうだ。しかし第1話は「主が唯一の神である」という第1戒律に直結する。そのため、やや抽象的な芝居になったと思う。
2階建てのセットが団地を示す。これからの10話で、コンクリートの箱の住民たちの小さな出来事が演じられていくことが予告されている。
同3 小島聖は、精神的に不安定で危うい女性を演じるとピカイチである。今作でも、元不倫相手の前に突如現れて、彼を巻き込んでいくが、巻き込まれてしまうのも無理がないと思わせる。寂しいクリスマスイブを送りたくない、というのはカトリック国では日本以上に切実かもしれない。それが未婚率上昇に歯止めをかけているかも。
B:2 がんで死にそうな夫と、夫以外の男の子供を妊娠した妻。女は医師に「自分は産むべきか中絶すべきか。教えてくれ」と迫る。ユダヤ人の医師は、収容所で妻子をなくした。子供を失った傷を抱える医師には、妻にいう言葉は一つしかないが…。
同4 ABプログラムの中では、抜群の出来。この1編を見られただけでも、とくに近藤芳正の抑えた動きの中に、葛藤がにじむ演技が素晴らしい。娘の夏子の下着姿もさらす真正面のぶつかりも、父役に負けてなかった。そして結末の見事な回収。途中の娘の動きが、そういう意味だったのかと分かる。ドキドキした緊張と解放を1時間の中で存分に味わえる舞台だった。近藤の演技にあたたかい笑いも多かった。
夢の泪
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/04/06 (土) ~ 2024/04/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
東京裁判3部作の二部作目。久しぶりに見ると、よいところ、イマイチのところ、ともによくわかる。
松岡洋右の弁護人に抜擢された弁護士夫婦、同じ曲を互いに「夫が作った曲だ」と奪い合う占領軍で歌う歌手二人、朝鮮人の父をヤクザに刺されて警察に訴えても相手にされない学生(「いまぼくは感じる…捨てられた」は強い曲)、アメリカで日系人として収容所に入れられた日系2世の将校(「うるわし父母の国」もよい)、以上の4つの筋がない合わされている。いずれも作者の追求したテーマであり、一つのテーマだけで独立した作品も書いている。そういう点では、集大成的な作品である。このなかで、一つの曲の謎を解いていく顛末が、理屈っぽくなりやすい芝居を救っている。
日本人弁護士に、被告が弁護料を払えないからと、みなで街頭で募金を訴える歌が面白い。「こころやさし君よ」。心優しい人々のはずが、石を投げられ袋叩きにされる皮肉がきいている。全体として歌は、既存の曲に、新しい歌詞をつけているのだが、メロディーと合わない、かなりこじ付けというか無理筋の歌詞もあり、苦しいところだ。
弁護の証拠を集めようとしても、戦時中の役所の書類は焼却されてしまった。その償却命令が8月7日に出ていたというのが、どうしてだろう。まだ御前会議で決まっていないはず。ポツダム宣言受諾の最初の「ご聖断」は9日なのだが。
ラスト近くにしみじみ歌われる「丘の上の桜の木」(宇野誠一郎作曲「心のこり」=ひょっこりひょうたん島挿入歌)が、耳に残る。郷愁と戦死者への鎮魂とが込められた名場面。しかし、それで終わらず、さらに10年後、戦争を忘れ旧指導者が復活して繁栄に浮かれる日本を揶揄するシーンで締めくくるのは、井上ひさし流の戦後日本へのきつ~い風刺である
VIOLET
梅田芸術劇場
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2024/04/07 (日) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
見てる間は、よくわからないところが残るけれど、見終わってあれこれ考えると見えてくるものがある。主人公の顔の傷も、黒人の肌の色も、舞台ではノーメイクなので、能動的に想像しないと見えてこない。「大事なものは目に見えないんだよ」という『星の王子様』の狐の教えのとおりである。映画と違って想像力を使わなければならないからこそ、能であれ、新劇であれ、古びない訴求力を持つということを考えさせられる。観客に考えさせることの多い芝居である。歌はうまくて素晴らしい。
2時間10分休憩なし
獅子の見た夢―戦禍に生きた演劇人たち
劇団東演
俳優座劇場(東京都)
2024/04/12 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
桜隊が原爆で全滅したことをめぐる芝居だが、桜隊(特に丸山定夫=南保大樹)よりも、演出家の八田元夫(能登剛)と劇作家の三好十郎(星野真広)が強く印象に残る。最後に、丸山の死に責任があるのは誰か、丸山の堕落を厳しく批判して映画をやめさせた三好十郎が丸山を殺したのではないかと、二人が語り合うシーンが印象に強いせいだ。また、桜隊の「獅子」の稽古を三好が見に来て、我慢できなくなって、役者たちをくそみそにこき下ろすシーンが格段に秀逸だからだ。
1940年から次第次第に厳しくなる新劇人へのしめつけと、その中で芝居を続けるためには、移動演劇連盟に入るしかなく、また広島へ行くしか選択肢がなかったという苦境が、劇団内の議論で示されていく。疎開や、軍都・広島に感じた危険性から、俳優がどんどん抜けて、その代わりの俳優を探す。そうして彰子が加わるのである。彰子は、大映の女優の友達も誘い、その彼女も原爆で亡くなった。
桜隊の話に並行して、出征した夫・かもんに宛てた新妻・女優の彰子(あきこ)の手紙が挿入されていく。彰子は結局、桜隊に加わって、原爆死する。(原案になった本を読むと、この手紙は、戦後50年以上、カモン(映画「無法松の一生」で、息子役を演じた俳優)が保存していた、妻からの手紙の現物である。それを知って、感動した)
桜隊が演じる「獅子」のラスト、丸山定夫の獅子舞は、それまでの2時間の集大成にふさわしい、リアルで生き生きした場面だった。園井恵子( )の演じる慌てふためく農家の国策おかみをおしのけて、丸山の堂々としたせりふ「それが人間じゃぞ」の晴れやかさがよかった。2時間20分(15分休憩込み)
イノセント・ピープル
CoRich舞台芸術!プロデュース
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
原爆を賞賛したり、いろいろ心が波立たせられる芝居だった。原爆実験で、もしかしたら空気に連鎖反応を起こして世界が破滅するかもしれない、という議論が出てきた。映画「オッペンハイマー」でも、カギとなる疑いとして出てくる。それを相談しにオッペンハイマーはアインシュタインに会いに行き、その後の二人の関係の伏線になる。
1944年から2009年までを、60年代、70年代、90年代と時を追いつつ、ロスアラモスで出会ったカップル、子供たち、友人たちの60年以上の人生を描く。
La Mère 母
東京芸術劇場
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2024/04/05 (金) ~ 2024/04/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
5,6年前に作者ゼレールは「父」で、認知症の高齢者がみる世界を観客に体験させて、鮮烈な日本デビューを果たした。全く知らない人たちの住む別の場所と思ったら、それはよく知る娘夫婦の家だったというような。別々の俳優が演じるのがじつは同一人物という奇策で、当然別人と思っていた観客にもショックを与えた。
前置きが長くなったが、「母」はこの手法の延長にある。舞台で起きていることは、現実なのか、母(若村麻由美)の脳内妄想なのか。最後になるまで、その境目がわからない。
子離れできない母親の「からの巣症候群」を描いたということになる。極端すぎる気がするが、そこが妄想の妄想たるところなのだろう。でも「父」の変化球や、「息子」の多声性とどんでん返しに比べて、少々一本調子のように思った。