Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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ワタシタチはモノガタリ

ワタシタチはモノガタリ

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2024/09/08 (日) ~ 2024/09/30 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

よかったと思う。基本は横山拓らしいアットホームな会話劇である。多くの場面が1対1の会話でできている。それが主人公の小説がネットでバズり映画化へ!? というサクセスストーリーの上に乗っけられ、面白い「物語」になる。さらに現実のさえない男女が、日記=小説の中の美男美女に置き換えられ、最後には互いにツッコミを入れ合いながら現実と夢がないまぜになって議論をする。

江口のり子のずーッと低体温調子の変わらないボケ的人物。自分がモデルとなった小説が広まって、慌てふためき、少しときめく松尾諭のコミカルぶり。松岡茉優のみごとな美人コメディアンヌぶり。横山作品の常連の橋爪未萠里も、いくつかの訳を楽しそうに演じて、いいわき役だったし、富山えり子の丸い存在が松尾の妻や、ウンピョウのプロデューサーなど、「山の神」的安定感と包み込む雰囲気をよく出していた。

ハートを少したおしたようなL字型の額縁を模した舞台装置、演技スペースを限定するめりはりある照明、俳優の立ち位置の変化などで、広い舞台に空白をつくらない演出がうまかった。

石を洗う

石を洗う

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2024/09/07 (土) ~ 2024/09/19 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ト書きもセリフとして口に出すのが特徴的。いくつかの話がちりばめられたオムニバス的群像劇。白いビニールがっぱを着た黒子たちが、エキストラ的無名の存在として場面をサポートし、それを脱ぐと、その場の登場人物に早変わりする。突然異界が口を開けるような、非現実的出来事が、当たり前のように起きるところが見どころ。突然訪ねてきた若い女が、死んだ妻の生まれ変わりだったとか、時々見かける犬が突然口をきき、あちこちにある丸い石の大事な意味を語るなど。「祈り」がキーワードになるが、見終わってなんとはなしに浄化された気がした。

失敗の研究―ノモンハン1939

失敗の研究―ノモンハン1939

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/09/13 (金) ~ 2024/09/23 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

何のてらいもなく、真面目に愚直にノモンハン事件の愚かさを、関係者の証言であぶり出していく。辻正信の怪物ぶりがなかなか印象的だ。そういう誇大妄想的好戦家を陸軍が愛したというところに、当時の日本のゆがみが最も表れている。
終演後、青年劇場のFさんが「ど直球ですいません」というので、私は「初心を思い起こさせられました」と答えた。

ネタバレBOX

後半、女性編集者の沢田利枝(名川伸子)が問いかけるのは、「どうやったら、戦争を止めることができたか」、関東軍は「東京が止めればよかった」と言い、東京の参謀は「現地の責任」という。責任の押し付け合いである。丸山眞男も言うように、当事者の「責任」こそ大事なカギだ。ノモンハンでは、実際の指揮官・立案者の責任は問われず、現場の良心的指揮官が撤退の責任を取らされて自決を強いられた。

戦争をなくすために必要なことは「生命の尊重を全人類が自覚すること」、「失敗から学ぶことをあきらめてはいけない」の沢田の訴えは、書生論に響くが、でも決して忘れてはいけない、戦後の原点だ。
リア王の悲劇

リア王の悲劇

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)

2024/09/16 (月) ~ 2024/10/03 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

芝居づくりは大体前半が難しい。本作も同様で、大仰なセリフがなかなか胸に響いてこない。リア王(木場勝己)の人を見る目のなさが、あまりにも愚かで類型的で、感情移入できないのが大きな理由だ。荒野の嵐の場では、天井からふる本水を使って、見せ場を作るが、感情移入できないのでセリフが空疎に響くのが難点。エドガー(きちがいトム)との小屋での出会いのところなど、長すぎるのではないか。

河合祥一郎の新訳は、原文の韻文の味を日本語に移そうとしている。七五調を土台にしたせりふは格調ある。エドガー(土居ケイト)が女性(姉)になること、道化(原田真絢=コーディリアと二役)が教訓話を歌うことが新しい。

と、ここで配役を書いていて、道化とコーディリアを同じ女優が演じていたことに初めて気づいた。これは前例があるのだろうか。この戯曲、コーディリアが王に寄り添う大事な役なのに、あまりにも出番が少ないことに難を感じていた。たしかに、ちょうど出番が道化と交代する構成になっている(グロスターが目をえぐられた後は、道化はいなくなってしまう)(沙翁時代も二役やったのかもしれない)。
そしてコーディリアも道化も王に「耳に痛い」真実を語る役だ。案外、コーディリアはフランスに嫁いだふりをして道化に身をやつしていたという解釈もあり得るかもしれない。

だが、後半になるとがぜん面白くなる。グロスター伯爵(伊原剛志)が両目をえぐりとられる場面から後は、舞台上の悲劇と嘆きが身につまされ、引き込まれる。(ここで、若い家臣が命懸けで制止に入るのも真実味がある)。リア王が前半の怒りと狂気を脱し、狂気も正気も超越したかのような悟りに達した感じが、木場勝己のひょうひょうとした味によくあっていた。3時間10分(休憩20分)

朝日のような夕日をつれて2024

朝日のような夕日をつれて2024

サードステージ

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/08/11 (日) ~ 2024/09/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ゲーム開発メーカーを舞台に、AIやVRなど現代の最先端の話題を存分に盛り込み、まるで新作である。心理学の分析やら、2・5次元病やら情報量が凄い。それを早口にまくしたて、次々に話題が変わっていく。そこにもう一つ、「ゴドーを待ちながら」がオマージュされて織り込まれる。このゴドーシーンは、二人が遊ぶ小道具が面白い。ドッジボールでボールがどんどん大きくなって行ったり、フラフープも巨大化し、ダーツ投げは客席にまで。これならゴドーもばかばかしいコメディとして笑える。

ダジャレも見事だし、コントの連続のような作り、一瞬すべてが精神病院の治療劇のようにどんでん返しするのは「日本人のへそ」のよう。また流行歌を織り込んだり、セリフを早口にまくしたてるのは、つかこうへいに似ているところもある。若さと才能の輝きを失わず、長いキャリアでさらに磨かれた、見事な処女作の再生だった。

星を追う人コメットハンター

星を追う人コメットハンター

劇団銅鑼

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2024/08/28 (水) ~ 2024/09/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

劇団銅鑼はいくつも見ているが、まずはずれがない。とくに誠実でひたむきに生きるドラマが得意だ。小さいながら良質な劇団である。今回も夢を追うことの素晴らしさが、登場人物たちを通して素直に伝わってきた。

実在のコメットハンター・本田実(池上礼朗)が物語の中心。その生涯を、夢を失いかけた現代の若者(山形敏之)に、ミノル君の親友を名乗る老人(舘野元彦)が語って聞かせる。語りたい老人に、青年が渋々付き合わされるうちに、先を聞きたくなっていく。この仕掛けがうまくいった。舘野の老け役が見事で、一瞬、本当に80すぎの老人に見えた。セリフ回しとともに、歩く時の体の揺らし方にかぎがありそうだ。

ネタバレBOX

戦後、すい星を初めて単独発見した時のシーンが素晴らしかった。新すい星かどうか確認するために、通信手段の乏しい中、世界の人々がチームワークを組んで、ついに南アフリカの天文台が本田の発見を追検証する。舞台狭しと並べたいくつものいすのうえに、何人ものひとがたちあがり、連携し、喜び合うシーンはぐっと来た。
旅芸人の記録【9/8(日)13時・9/9(月)14時・9/11(水)・12(木)公演中止】

旅芸人の記録【9/8(日)13時・9/9(月)14時・9/11(水)・12(木)公演中止】

ヒトハダ

ザ・スズナリ(東京都)

2024/09/05 (木) ~ 2024/09/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

おもしろかった。鄭義信ワールドを満喫した。足の悪い男、愛を求めてるのに喧嘩ばかりの素直でない親子、在日朝鮮人(今回は話に出るだけ)。ラストの旅立ちと紙吹雪は「焼肉ドラゴン」のラストと重なった。戦争中、時流に合わない女剣劇の大衆劇団。俳優もそれぞれに所を得て好演。女形の伯父役の怪演が見ものだった。太ってて吉原の花魁のなりが全然似合わないのが笑える。1時間45分休憩なし。

ネタバレBOX

全体は切なさを絡ませつつ、笑いが基調である。1カ所、感極まってぐっと引き込まれるのがラスト。ズボンの切れ端しか入っていない長男の骨壺を抱いて、こらえきれずに号泣する浅野雅博のシーンが心に残る。
どん底

どん底

劇団東演

シアタートラム(東京都)

2024/08/31 (土) ~ 2024/09/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「なぜいま『どん底』をやるのか」と、プログラムに寄稿者が書いていた。浮浪者が集まる木賃宿など今の日本にはないし、貴族ばかりの観客の前で貧乏人の芝居をやったインパクトはいまはないと。それはシェイクスピアにもチェーホフにも言えることだ。でも、こうした古典が今も繰り返し演じられるのは、舞台の具体的設定を越えたところで、今の人間をも揺さぶる普遍的な何かがあるからだ。

「どん底」の場合、それは「人間讃歌」ということになる。三角関係のもつれの末の殺人と発狂というド派手な悲劇と、社会の落後者たちの愚痴ばかりの中だからこそ、人間の素晴らしさが一層ひかるのだろう。女主人のワシーリサでさえ、「あんたが私をここから連れ出してくれると思った。あんたは私の夢だったのさ」とワーシカにもたれかかるほど、誰もが脱出したがっている現実。そうした絶望的な状況だからこそ「人を救う嘘は真実だ」(サーチン)と。さらに「真実は、自由な人間の神だ」(同)となって、宗教と社会主義思想が架橋される。なんという輝かしい思想の提示だろうか。ゴーリキーはもちろん社会主義者だったはずだが、でも小説は思想劇ではなく、リアリズム小説だった。劇ではこんなファンタジーのような思想劇を書けたのは、ちょっとゴーリキーらしくなく思えるが、だからこそまたすごいのだ。
亡くなった大先輩の作家が1960年に民藝の「どん底」で「人間、この素晴らしいもの」と大きく手を広げた語るシーンに、っ頃から感動したと書いていた。先輩作家は「滝沢修のルカが」と書いていたが、このセリフは、今回、サーチンのものだった。今回、最後の幕でのサーチン(能登剛)の語りは迫力あり、感動ものだった。

今回の舞台の話が最後になってしまった。ベリャコーヴィチ演出のユーゴザーパド劇場の「どん底」を2000年に見た時は、スタイリッシュに生まれ変わった「どん底」に引き込まれた。面白かった。今回はその演出を踏襲した舞台なのだが、今見ると、セリフの途中でベッドで転がったり、不自然な動きは、自然主義演劇破壊の行き過ぎのように思える。それでも、ワーシカが宿主を殺したのを見て、ナターシャが「二人ともグルだったのね」と誤解して狂乱するやるせなさはたまらなかった。

また音楽が効果的。深刻な話が始まると最初ポルカのような音楽が流れ、それが低音の響く重厚な音楽へと引き継がれてテーマの重さを印象付けていた。また、せつない曲が流れるシーンもよかった。冒頭の入場とラストに流れるダンス曲と合わせ、4つの曲でうまく組み立てられていた。
2時間50分(休憩15分含む)

流れんな

流れんな

iaku

ザ・スズナリ(東京都)

2024/07/11 (木) ~ 2024/07/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

11年前の作品を前編広島弁に書き直したということだったが、それほど広島弁を濃く感じなかった。
大衆食堂の店内のセット。冒頭、舞台中央奥のトイレで、女性がいびきをかいて眠りこけ、高校生の少女がそれを文句を言いながら見つめるプロローグで始まる。
食堂の店主の父が倒れて入院中、店を守る娘の睦美(異儀田夏葉)のもとに、幼馴染の司(つかさ=今村裕次郎)、東京の水産加工会社の駒田(近藤フク)が訪ねてくる。さらに故郷を出た妹夫婦も。この店をどうするかという話から、姉妹の秘めた過去、会社の公害の隠蔽が、次から次と明らかになり、互いの非難合戦はどんどんボルテージを上げていく。
作者得意の会話劇がさえにさえる芝居だった。会話の自然な流れで、次々大きな問題が出てくるので、まるでジェットコースターのように景色がガラガラ変わる。その分、一つのテーマを深めるというものではない。最後に残るのは、過去に縛られてきた姉の心の解放であり、再生の歩み出しである。
異儀田さんは複雑な役をしっかりと演じて、舞台の大黒柱を見事に務めていた。司役の今村裕次郎はボケ役で、笑いを醸すトリックスターを好演。ひ弱なサラリーマンの駒田を演じた近藤フクも、いざとなった時のダメ男ぶりがよかったし、妹役の宮地綾も長年の鬱屈を一気に吐き出すようなエキセントリックぶりがよかった。

ネタバレBOX

水産会社の有害廃棄物投棄隠し、姉と妹の確執、睦を思い続ける司の悲しいトラウマなど、出てくる話題は今では思い出せないほど。戯曲あり。(8月22日記)
ナイロン100℃ 49th SESSION 「江戸時代の思い出」

ナイロン100℃ 49th SESSION 「江戸時代の思い出」

ナイロン100℃

本多劇場(東京都)

2024/06/22 (土) ~ 2024/07/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

峠の茶屋で出会った武士と浪人から、小学校のタイムカプセルを掘り出しに来た4人組、峠の茶屋の三姉妹と亭主(池田成志、ピリリと舞台を占める客演)等々のナンセンスな話がどこまでも続く。すると突最前列右端のカップルの客が「こんなの見てられない。帰ろうぜ」と席を起つのでびっくり。雑兵姿の武士が「帰っちゃいけねえ」と二人を止めに来て、これも芝居のうちとすぐわかるのだが、最高に笑えた。
後半はとんでもないことが起きて、みのすけがキューセイシュを名乗って世迷言を言うのだが、細かいことは忘れてしまった。
テーマとかメッセージとかなしに、ナンセンスギャグだけで3時間20分の長さを感じさせない。ケラの手練手管と俳優陣の客席を引き込む怪演は大したものである。

ネタバレBOX

皆が「お尻侍」のことを噂していると、本人が出てくる。本当にお尻の張りぼてをかぶっており、笑える。みんな怖がるが実は気の弱い好人物というのはよくある設定だが、無理がない。
ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル

ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル

東宝

帝国劇場(東京都)

2024/06/20 (木) ~ 2024/08/07 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

売れない俳優(井上芳雄)が歌姫に一目ぼれ。相棒の作家と組んで、歌姫のパトロンに金を出させて新しい芝居を作ることになる。リハーサルでは俳優とパトロンが、演出やせりふをめぐって悉く対立するが…
「パリのアメリカ人」を連想させる筋立てだった。いろんな作品から借用した曲やせりふをちりばめているが、具体的には全然覚えていない(8月22日記)。シェイクスピアのセリフもあった気がする。

ネタバレBOX

二人の関係はパトロンに知られて、追い詰められていく。
デカローグ7~10

デカローグ7~10

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/06/22 (土) ~ 2024/07/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

7から10を一日で見た。1から通して、庶民生活に起きる小さな話を10個も並べる、しかも「社会主義」ポーランドの40年前のテレビシリーズが元ネタ、というと、普通はあまり食指を動かされないだろう。ところがそれがそうでもない。どの作を見ても、巧みな展開に引き込まれ、登場人物の心理や選択をめぐって、こちらもハラハラ・ドキドキさせられ、大小はあるが確実に心動かされる。それぞれ無関係の話をデカローグ(十戒)という枠で緩く(あるいは緊密に)つなぐアイデアもうまい。
(つい先日、山田太一「男たちの旅路」シリーズの「車輪の一歩」をDVDで見たが、庶民性、一話完結の連作というスタイル、そして何より各回にそれぞれ異なる強いテーマ性など、共通点がある)

7「ある告白に関する物語」十戒7盗む勿れ
22歳の娘マイカは16歳のときに産んだ女の子を、校長だった母親(津田真澄)が実子として戸籍に入れ、自分はその子の姉として生きてきた。うばわれた娘を取り戻すための思い切った反乱。娘は母親に向かって「私の娘を盗んだ!」となじる。6歳のアニャを誘拐することは「これは盗みではない取り戻すだけだ」と。「盗む勿れ」の戒律から、こんな話を着想したところに舌を巻く。
津田真澄の母親像にリアリティがある。かつて蒸す値を切り捨てたことに負い目はあるが、決して悪人でも冷血漢でもない。アニャを失いたくない悲痛さが胸にしみる。

8「ある過去に関する物語」十戒8隣人について偽証する勿れ
ホロコーストの過去をめぐる話。かつてユダヤ人少女を見捨てた女性と、見捨てられた少女の、40年後の再会を描く。テーマは10作の中で随一の注目度だが、内容は10作の中で一番茫洋としている。結末が肩透かしというか、何か不全感が残る。裏切られた少女の話を聞いても、当事者の二人をよそに、大学生たちはケーススタディとしてしか考えない。子の若者たちの姿にポーランドでも戦争体験の風化が示唆されているのかもしれない。

9「ある孤独に関する物語」 他人の妻を欲する勿れ
不能になった夫(外科医)と、不倫する妻。しかし、妻の不倫は、相手の大学生に押し切られたもので、妻は夫を愛している。よくある夫婦の疑心暗鬼と心理戦なのだが、夫の不能という設定が、男としてのプライド、夫としての自尊心にかかわるヒリヒリした問題にする。妻を疑う夫の行動と、情事がばれるかどうか、夫はどういう行動に出るのかに目を離せない。これこそどうでもいい小さな話のはずなのに、芝居に引き込まれ、一喜一憂させられた。

10「ある希望に関する物語」他人の財産を欲する勿れ。
父が莫大な価値を持つ切手コレクションを遺した、兄弟の話。人情としては、よくわかる話。天国から地獄へ、見事な落差を作って見せる展開がうまい。番犬として本物の犬が舞台に現れ、言うことを翌期うのはユーモアが漂い、舞台がなごんだ。

ネタバレBOX

7:最後はアニャは津田のもとに残り、娘マイカだけが、一人列車に飛び乗る。娘の誘拐・反乱は失敗しtが、成功した時の、今後の苦労を考えるとハッピーエンドと言える。去っていくマイカにアニャが大声で叫ぶが、列車の音がうるさくて聞こえない。その口は「ママ」と叫んだように見えたが、違うかもしれない。いずれにしても、その姿を見てマイカは泣き崩れる。救いのあるラストである。
8:ゾフィア教授は「本当の事を知ったらがっかりするかもしれないよ」という。少女をかくまうためのカトリック洗礼の代父母にならなかったのは、戒律のせいではなく、そのかくまうという夫婦がナチのスパイという情報が来たためだったという。戒律の為というのは嘘だったと。でもその女王法は間違いだった。そのかくまうはずの夫婦は、もう少しで地下軍に粛清されるところだった。
 二人にある種の和解した後、エルジュビェタはそのかくまいうはずだッととこ(仕立て屋)のもとに行く。男は「戦中のことは語りたくない」と何も言わないが、去っていく二人を見て、弟子に「知り合いだ。生きていたんだ」とつぶやく。
 かくまい役の夫婦(男)にわざわざ最後にスポットライトをあてることで、問題の広がり、裏切りと疑いの時代の傷の深さを示しているのだろう。


白き山

白き山

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

素晴らしい舞台だった。戦争と作家という骨太のテーマを貫きつつ、日常は苦労と失敗の積み重ねで、笑いが絶えない。楽しい時間を過ごしつつ、深く考えさせる。劇団チョコレートケーキで初めて笑った気がする。井上ひさし・永井愛の境地に、さらに大きく近づいたと思った。ただ、笑いの起きたところを台本(『悲劇喜劇』7月号所収)でみると、淡々と書いてあるだけで、演出と俳優が、隠れた笑いのネタを生かしていることがうかがえる。

そういう点では、作・演出・俳優の共同作業で生まれた奇跡のような舞台だった。俳優陣では斎藤茂吉を演じた緒方晋が出色。言葉数は少ないしぶっきらぼうだが、ぐっと抑えたマグマを内に持っている感じが、本当に茂吉に見えた。素晴らしい

ネタバレBOX

山々を見渡せる平場で、茂吉が、息子たちを戦死させた守谷に「すまなかった」と謝る。茂吉の戦争協力への半生を言葉にした場面だが、これは作者の願望を託したもの。現実の茂吉は言葉に出して謝罪しなかった(と思う)。この場面がなくても、いや、ない方が、茂吉の葛藤の複雑さと、観客が考える余白が残ってよかったのではないだろうか。。
雨とベンツと国道と私

雨とベンツと国道と私

モダンスイマーズ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/06/08 (土) ~ 2024/06/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

相変わらず、蓬莱隆太らしい、心がひりひりさせられる芝居だった。パワハラで人を傷つけた人間は、もう社会的に許されないのか。パワハラは見ていて痛ましいが、「仲良しごっこでいい映画は作れないんだ」という監督のセリフにもウソがないだけに、考えさせられる。作者は「許すべきではないか」と考えているようだ。それがパワハラ容認ととられる危険性もある。難しいところだ。

さえないメガネ女性五味栞を演じる山中志歩の、根暗で引っ込み思案で面倒臭そうな人間の姿が見事だった。セリフ量も膨大。全体の半分くらいあるんじゃないか。彼女のおかげで成功した舞台である。

ゴースト&レディ

ゴースト&レディ

劇団四季

JR東日本四季劇場[秋](東京都)

2024/05/06 (月) ~ 2024/11/11 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

舞台美術と、細かいマジカルな演出がまずすばらしい。マジカルというのは、寝床の死んだ人が魂(俳優)がぬけたあとも、死体(別の俳優がせりあがる?)は残っているとか、ゴーストとライバルが煙の中に入っていった後、煙が薄れると、そこには誰もいないとか。ちょっとした工夫とこだわりだが、見ていて驚きがある。

ナイチンゲールがただものではないことがよく分かった。女性は邪魔だ、という男社会に切り込んだジャンヌ・ダルクである。(ゴーストも「また神の声か。神が語り掛けるのは女ばかりだ」とぼやく)。看護師たちを募って、支援物資も集める社会起業家であり、非衛生状況を放置・隠ぺいする軍医の責任者と闘う改革者であり、本国の有力者に手紙を出しまくって、政治を動かす政治家でもある。そして、現場を回って負傷者に希望をあたえる「ランプの貴婦人」。小学生向けの偉人伝の中の人と思っていたら、とんでもない。「世界を変えた100人」の一人に選ばれる傑物だ。

派手さはないが、音楽もダンスも楽しめた。

ネタバレBOX

後半は、シアターゴーストのグレイの過去と、因縁のライバルのボーモン(女性)との対決が見どころになる。ナイチンゲール伝とは異なる、フィクションの部分が盛り上がって、スペクタクル的に面白くなる。ボーモンの長いソロ・ダンスや、二人の空中での決闘などたのしめる。

グレイは親にも、兄のような存在だった幼馴染にも、恋人にも裏切られ、人を信じられなくなっていた。しかしナイチンゲールに出会って、再び人を愛することを知る、という太い筋がくっきりしていて感動させる。

最後は数十年を一挙に飛んで、ナイチンゲール死去の場まで。死んだ彼女がグレイと結ばれるかに見えて、グレイはこの世に残り、ナイチンゲール伝の芝居(つまり本作)を完成させる、となかなか心憎い大団円になっている。
ケエツブロウよ-伊藤野枝ただいま帰省中

ケエツブロウよ-伊藤野枝ただいま帰省中

劇団青年座

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

那須凛は、家と恋の間で苦しんだり、ダメ男辻潤から心は離れているのに、外見はそれを否定する前半がよかった。後半、大杉と一緒になると一直線すぎて迷いがなくなってしまう。
伯父役の横堀悦男が存在感があった。アジア主義者の頭山満と親交があって、その話もよく出てくる。幼い野枝を預かって育てたそうで、あの伯父があってこその伊藤野江だったという気がしてくる。

それにしても伊藤野江の芝居は、この7年で5本目。永井愛、宮本研ほかいろんな作家がそれぞれの野枝を書く。小説、映画も。村山由佳「風よあらしよ」はNHKでドラマになった。すごい人気である。華もあり嵐もあり棘もある。史上傑出したマドンナであり、スターだ。

ネタバレBOX

大杉は八幡製鉄の労働者にストをたきつけるが、大杉の死後数年後に、実際にストが起き、煙突の煙が止まったそうだ。そういうことを知ると、また感慨が深くなる。
未来少年コナン

未来少年コナン

ホリプロ

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2024/05/28 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

映像やメカの模型を一切使わず、見立てと人力で未来少年コナンを舞台に再現したところが見事。アニメのあれこれの名場面を思い出した。モンスリー(門脇麦)の回心(痛みの回復)やレプカ(今井朋彦)の力の哲学はセリフを補筆して深みがあった。「バカね」の名セリフもあって堪能した。

人間関係の変化を、長いダンスやパフォーマンス場面で見せていたのがよかった。コナン(加藤清史郎)とジモシー(成河)が最初の反発から親友と認め合うまでの競い合いなど。特によかったのは、がんボート上でダイス(宮尾俊太郎)とモンスリーが、磁気拘束具のリモコンを奪い合いながら、ダンスのようにもつれあって関係を接近させるシークエンス。

海、風、砂から、射撃音や足音、飛行機の音など、すべての効果音を舞台袖でミュージシャンがその場でつくる。紗幕を通して客席からも見えるつくりも、今回の成功した試みとして挙げておきたい。

幕開けのモンスリーとおじいの対話は、戦争を起こした大人たちを責める戦後世代と、過ちを繰り返すなと諭す戦争世代の対話として、日本の戦後のそれぞれの言い分と重なった。アニメ「未来少年コナン」が、敗戦と復興という戦後状況をそのまま映していたことに気づかされた。

ネタバレBOX

ラストのギガント上の対決はどうやるのかと思ったら、三角の面も持つ人物大以上の箱を二つ組み合わせ、あくまでアナログと見立てで押し切った。横に並べれば飛行機らしくなり、三角の面を横にすれば、上辺は滑り落ちる危険な場所になる。
ライカムで待っとく

ライカムで待っとく

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

初演の時は劇場が遠いのでパスして、後で後悔した。今回は是が非でもと、早めに予約して臨んだ。
初演後の『悲劇喜劇』に戯曲が載って読んだはずなのだが、1964年の米兵殺傷事件の容疑者の経験に迷い込む話という記憶が全然なかった。
俳優たちは、現代の本土のライターとその妻は、いわば事件を目撃するコロスのようなものであって、その周囲の沖縄の人たちが真の主役。現代のタクシー運転手と、妻の祖父で写真館主人の佐久本寛二を演じる佐久本宝の弾けた演技がよかった。重いテーマだからと言って沈むことなく、明るい舞台にしていたと思う。現代のユタ?のおばあと、60年前の飲み屋のおかみを演じたあめくみちこも自然なコミカルさがいい。横浜の若い女性伊礼ちえ(蔵下穂波)の、「基地県なのに、神奈川の人は反対などと騒いだりしない、大人ださー。だからここが好きなの」と、神奈川をいじる皮肉が嫌味でないのも、素直な演技のおかげだろう。

回り舞台と、周囲のたくさんの空の段ボール箱をうまく使い、テンポの速い場面展開だった。

ネタバレBOX

さすが沖縄の若い劇作家である。沖縄からの告発の声に、本土の我々では言えない鋭さがある。
沖縄の戦争や基地被害を目の当たりにして、本土人に「寄り添ってください。今までもそうしたように寄り添ってくれればいいんです」とは、きついアイロニーである。

ライター・浅野夫婦の一人娘ちえみがライカムで行方不明になる。もう一人、伊礼ちえも。うろたえる夫婦に、ウチナーンチュたちは「どちらか一人は見つからない。それがここの決まりです」と残酷な覚悟を迫るが、夫婦はとても受け入れられない。これが本土が沖縄に押し付けている「決り」なのだと、観客に突き付けられて、胸に刺さった。観客も背負う問題だと訴えるように、一瞬客席の電気も明るくなった。
戯曲でもこの場面は何となく覚えている。この最後の印象が強くて、その前を忘れてしまったようだ
デカローグ5・6

デカローグ5・6

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/05/18 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

5は20歳の青年ヤツェク(福崎那由他)が、タクシードライバー(寺十吾)の強盗殺人をする話。青年の犯行は、ひもを用意しているあたり、計画的ともとれるが、タクシーに乗るまでほぼ何の予兆も見えず、犯罪の理由がない。金を奪うから、金目当てではあるのだろうが、それほど金に困っているという描写もない。

6は、19歳の青年トメク(田中亨)が、団地の窓から覗き見た女性(仙名彩世)に恋をし、ストーカー行為をする。女性は、それを告白されて、最初は嫌がるが、すぐ青年に興味を持つ。「愛している」という純真で一途な青年と、「愛など存在しない」と、多くの男と寝ている女。

ネタバレBOX

5は強盗殺人の場面が、縄で首を絞め、何度も頭を殴り、それでも死なずに、最後何度もとどめを刺し…と、暴力場面が結構きつい。死刑制度反対の新米弁護士(渋谷謙人)が弁護するが、死刑判決が出る。青年が強盗をする直前にミルクを飲んだカフェで、新米弁護士は、弁護士試験に合格した喜びを婚約者?に電話していた。ただの偶然だが、その対照に社会の明暗が込められているのだろう。青年は最後の願いに弁護士に話をするが…。絞首刑のシーンもやるので見ていてかなりダメージ受ける。

青年の弁護士への話というのは、故郷の田舎で5年前、12歳の妹が、友達の酔っぱらい運転のトラクターにひかれて死んだという話。青年も友達と一緒に酔って、乗っていた。そのため、青年は田舎にいられなくなった。「あの事が起きなければ、その後も違ったと思う。あのことが起きなければ」と。人生何が起きるかわからない不条理を言いたいのだともとれるが、あまりに当たり前のことで、言い訳にもならない。こんなくだらないことを持ち出すしかないばかばかしさも含めての、不条理な社会を表現したというべきか。救いのない人間の生というべきか。

6は、失恋した青年がリストカットで自殺未遂し、女が青年を追うように関係がいつしか逆転してしまう。ありそうにないが、物語的にはよくある話というべきか。
柿喰う客新作本公演 2024『殺文句』

柿喰う客新作本公演 2024『殺文句』

柿喰う客

本多劇場(東京都)

2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「タン麺をタンタンメン、ワンタンメンをタンメン、タンタンメンをタンメン」などなど、早口言葉とリズミカルな洒落を含むせりふが速射砲のように延々と続く。つかこうへいと野田秀樹を合わせたようなせりふ術。その言葉のエネルギーには圧倒され、時に置いてきぼりにされた。

活動家の夫婦から生まれた男・継美ツクシ(玉置玲央)が、革命組織から組合つぶしのために入社し、総務部の7人の女性たちをはらませて、妊娠退社に追い込み…、核だった女性たちがいなくなり組合も弱体化…という話らしい。そんな設定は後から見えてくるので、最初はとにかく速射砲のような言葉の嵐。

上司(中屋敷)が痴漢で逮捕・休職中に、ツクシがしきり、総務部長(七味まゆ味)が産休になるが、妊娠してないんじゃないの? そんなこんなのうちに、上司が部長を階段で誤って突き落とし、いや、逆に突き落とされてあしをくじき…と。総務部長と総務課女子が組合を守り、労災認定を迫るが、ワルシャワ労働歌や、「蟹工船」「海に生きる人々」、インターナショナルまで出てきて、カクメイはもはや空疎なネタでしかないことを突き付けられる。

玉置はでづっぱりだが、最後までせりふが一つもない。一言も発しない。本人の「せりふのない役をやってみたい」という要望から、この芝居ができたらしい。
休憩なし1時間50分+AT10分

ネタバレBOX

両親が組織を抜けるために作った子供ツクシが、両親のため、「非避妊主義者」となってみずからも中高校生時代やりまくり、両親の脱党をなしとげる。その時否認を頼んでも否認してもらえなかった女の弟が、背の高い労務課長(村松洸希)。しかし、ツクシは「子どもは革命の邪魔だ」と今やコンドームを二重で付ける避妊主義者。なのに、総務課の女たちは妊娠した。どうして? なぞを解くカギは、総務部長とのいつもより長い面会にあった。部長はツクシに、「子どもをつくらないというのは、革命を信じていないこと、革命を引き継ぐ人たちがいないのだから。そうじゃないのか」と詰め寄っていた。

生まれた子たちが成長してツクシをせめる。その中の唯一の男が「謝ってくれ、謝罪しろ、頭を垂れろ…生まれてきてくれて、ありがとう、愛している、と言ってくれ」と。アフタートークで、玉置は、このセリフが、一番ジンとくると語っていた。

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