旗森の観てきた!クチコミ一覧

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クラカチット

クラカチット

東京演劇アンサンブル

ブレヒトの芝居小屋(東京都)

2019/03/20 (水) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★

「ブレヒトの芝居小屋」の最終公演がチャペックとはどういうことだろう。
広渡常敏率いる三期会が東京演劇アンサンブルになって、ブレヒトをやると旗印を鮮明にして東京郊外に自前の小屋を持ったあたりまでは、俳優座衛星劇団の中ではユニークな演劇活動だったが、その小屋での肝心のブレヒトが、旗幟鮮明とはいかず、SCOTのようなメソッドも生み出せず、スターも生まれないと言う事で、今回は地主の意向で小屋をしめる。その残念さが、最後にチャペックをやる、というところにも表れているように思う。
再演でも、何でもいいからせめてブレヒトをやるべきだった。ブレヒトは最近人気がないが、なんといっても二十世紀の分断の時代を東西両陣営で生きた稀有の劇作家である。しっかり取り組めば、何らかの成果はあったはずである。
チャペックはブレヒトに似ていると広渡なら強弁しそうだが、これは百年前の戯曲である。原子爆弾時代を予見していると言うが、ファンタジーの世界で、そこでの寓意が今も生きているとはとても言えない。ブレヒトは戯曲になっているが、これは戯曲風に書いたファンタジーだ。カットしても良さそうなところが沢山ある。俳優は一生懸命だが、今なお、志賀澤子が最も安定して見られるようでは、結局、演技も劇団として確立できなかったということではないか。皮肉なことに、装置と音楽がよく出来ていて舞台を引き締めている。朝日新聞劇評は小屋閉めのようなセンチな時は見境なく甘くなる。これでは劇評ではない。3時間15分。夜十時をかなり過ぎて、武蔵関の田舎道に出てくると寒さが身にしみた。

水の駅

水の駅

KUNIO

森下スタジオ(東京都)

2019/03/27 (水) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

大田省吾晩年の学生の中の優等生による「水の駅」である。
弟子筋だから、原作へのリスペクトも十分、テキスト(と言っても台詞はないのだが)は原文を使っているのだろうが、大田省吾演出版とは全く違う。この舞台は間違いなく現代の「水の駅」だし、大田省吾版は80年代の水の駅である。
冒頭、コロコロ太った健康そのものの少女がヤオヤ舞台を転がって登場する。ここでもう時代が変わったことを実感する。音楽はサティ。大田版と同じだが編曲が違う。ピアノ曲にかなり大きくパーカッションが編曲されていて、劇場の音響のせいもあって強く響く。舞台に寄り添うようだった音楽は、現代の健康な俳優たちに拮抗するように挑発的なサティになっている。性的な表現が表面に強く出ているのも特徴だろう。
では舞台成果としてはどうか、と言う事になると、KUNIO天晴れ、である。大田省吾を散々見た観客には、若さあふれる舞台はまぶしいが、かつては、大田省吾も十分に若く挑発的だったのだから。大田省吾はいい弟子を持った。杉原邦生はいい師匠を持った。日本の古典演劇を現代劇に生かす道が、より受け入れられやすい形で伝承されたのだから持って瞑すべし。見事に師に応えている。1時間50分、飽かず現代の水の駅を見た。

ネタバレBOX

大田版では、水場が、登場する人間たちに救いになる、ととれるような象徴性があったが、現代版は、もう、こういう健康な人たちには、ここでの救いや希望など与えなくてもいいような気がしてくる。それほどいい子たちが出演しているのだ。品川、大杉、佐藤などの、言葉は悪いが畸形の役者のエネルギーが大田版にあった。それはそれを見た観客のタダの郷愁だが。
血のように真っ赤な夕陽

血のように真っ赤な夕陽

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2019/03/15 (金) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

これはこれでよく出来ていると思う。
第二次大戦期の満州開拓団の素材、俳優座の公演、古川健の書き下ろし戯曲。
この組み合わせで何か新しい舞台成果を上げることは、出来そうで実は、不可能なことなのだ。そこが演劇なのだとも言えよう。
素材から、民族を越えた平和と融和をという絶対的なテーマ。日本の現代劇を背負ってきたと自負する層の厚い劇団の実力。現代劇の新しい書き手として最も実績実力のある作者。
満点のものだけを掛け合わせても、それ以上のものは出るべくもなく、それぞれの要素は空しく空中分解しているが、掛け合わせたらどうにかなると考える方が無理難題だろう。現実の舞台では、現在も大きな問題になっている近隣諸国の民族近親憎悪の融和が美しく描かれ、俳優たちは見事な発声とそつのない演技でその世界を表現し、作者はほとんどの席を埋める高年齢の観客の紅涙を、事実に基ずく物語の上に仕組んでいく。
80歳代も半ばになるだろう、しっかり舞台を務めた岩崎加根子を先頭にカーテンコールで俳優たちが並ぶと、一種の感動がある。俳優陣の年齢的な広がり、粒ぞろいのその力量、若い俳優もとにかく柄も演技もそつがない。こんな素晴らしい俳優たちを持ち、新進の第一人者の作者を起用してこういう芝居にしかできないのは本当に勿体ない。
演劇が集団で作るものである以上、劇団というものは有効なものであろう。これはこれでいいとする劇団の空洞化が、日本の現代劇を貧しいものにしている。

殺し屋ジョー

殺し屋ジョー

劇団俳小

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/03/20 (水) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★

うっかりしていたら見逃すところだった。
行き届いた戯曲を手堅く纏めている、という印象であった「俳小」が大変貌である。
入口はやはり戯曲だったのだろう。アメリカではすでに人気作家というトレーシー・レッツの戯曲は、現代アメリカ戯曲の一面として強く持っている反社会性、暴力性、孤立性、家族への深い憧れと懐疑などを、お家芸のハードボイルド・ミステリ調に詰め込んだ二十数年前の若書きである。(日本初演)薬物販売の下っ端の若者22歳とその妹20歳の切ない青春ものとも見える。警察官でありながらアルバイトに殺し屋もやるという悪徳警官ものでもある。
舞台の物語は二転三転、筋だけ書いても意味がなさそうなハチャメチャの展開ながら、さすがアメリカの本だけあって、よく出来ていて、見ている間は乗せられてしまう。演出がシライケイタ。劇団温泉ドラゴンの主宰者で、そこのいわいのふ健と、外部から山崎薫が客演、総員5名の俳優で、現代社会の普遍に迫る世界を作り上げた。小劇場だから、俳優の技量を越えたナマの迫力がある。失礼ながら、いわいのふ健以外の俳優はいままで記憶に残っていなかったが、これで忘れられない役者になった。
シライケイタに星五つ。完全に満席。いい芝居が入るのは素敵なことだ。二時間二十分。珍しく休憩があるが、これもよく考えられている。こういう身も蓋もないアメリカの現代劇は今までもやってこなかったわけではない(サムシェパードやマメットなど)が、今回は最も旨く行っていると思う。今回は上演回数が少なすぎた。少し長い再演を待っている。

パラドックス定数第45項 「Das Orchester」

パラドックス定数第45項 「Das Orchester」

パラドックス定数

シアター風姿花伝(東京都)

2019/03/19 (火) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

ナチ政権発足時のベルリンフィル国有化が素材になっている。この作者が名を挙げた「三億円事件」や「東京裁判」も歴史的大事件を背景にしたものだが、いずれもこの大事件に巻き込まれたごく普通の職業人を登場させていて、彼らの視点が社会と人間へのユニークな切り口を見せて成功した。だが、今回の作品は(そしてほかの多くの作品にも共通することだが)、ドラマの軸になるオケの指揮者(芸術家)とナチの宣伝相(権力者)が主役となって自らの主張を表明する。ユダヤ人のV奏者や、指揮者秘書、間に入るオケの事務局長なども登場するが、本人たちが直接対決するし、彼らに生活の空気がほとんどない。結局はナチ(権力)に抵抗しても、芸術家は押し切られる、という政治事件の経緯を見せられただけになってしまった。
それはそれで面白いし、大きな権威(たとえば国家)の力が市民生活へも迫ってくる昨今の状況の中で意味のないことではないとは思うが、それならば、翻って、この作者が突然、新国立劇場に免罪符のように起用されている現実はどう考えているのだろう。
新国立劇場が、設立当初から国家権力と反権力の基盤を持つ日本の現代演劇の対立の構図を引きずってきたのは、いささかでも演劇に関心のある人ならだれでも知っていることで、十年もたたない昔にも権力が芸術を支配しようとした芸術監督事件が起きた。
多くの現代演劇のリーダーたちは、慎重に距離を置き、警戒を怠らない。現に新国立劇場支配を試みた文部官僚が天下ったトヨタ財団が新国立劇場の有力サポーターである。
この一年の風姿花伝の試みは、ユニークで意味のある試みであったとは思う。一人の人間が演劇人生であふれるような創造力に恵まれるのはそんなに長い時期ではない。野田、ケラ、三谷、平田、みな最盛期には年に5本を超える創作劇を発表して多くの若い観客を集め、廣く文化界でも注目を浴びた。その時期に劇場がなくて発表できない、と言う事は演劇にとっては致命的である。それを劇場として補佐しようというのは新しい視点だ。しかし、上に上げた彼らは、ほとんど独力で、そこを乗り切って自分の演劇の地盤を固めたのだ。
今回の連続公演はパラドックス定数にはかなり荷が重かったのではないだろうか。後半は再演の内容の絞りが甘くなって、かなりくたびれていた。これで野木萌葱という作者の資質もかなり明らかになった。私が見たのは、ここ以外では、上野の地下、711などで、小さなスペースでの上演では面白く見られるが、百席以上の劇場になるとどうだろう。俳優で埋められる、という問題ではなさそうな気がする。
しかし、この作者の常識の盲点を突いたような論理の「突っ込み」はなかなか面白い。時に馬まで出してしまう大胆さも(魚を出すのは失敗したが)得難い才能だ。乱作にならないよう、旧作は少し大きな劇場で演出を預けて(和田憲明・演出はさすがに劇団公演とは大きく違っていた)作品の魅力を広げることも大事だろうと思う。

三人の姉妹たち

三人の姉妹たち

タテヨコ企画

小劇場 楽園(東京都)

2019/03/14 (木) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★

作・演出の劇団主宰者の横田修が舞台制作中に入院し、演出は劇団員が引き継いだ、と当日パンフにあったので、さぞ、舞台裏は落ち着かなかったと思う。
チェーホフへのオマージュの三人姉妹の物語と振られると、原芝居が好きな私のような客は、重ねたわけではない、と言われてもどうしても重ねる。幕開きが、記念日(命日)である、とか、不慮の火事があるとか、主要な登場人物が決斗で死ぬ(こちらは不慮の飛行機事故)とか、軸になる個別の事件が原作からとってはある。しかし、原作の、モスクワからは幾千里、軍隊が駐在する田舎町の三姉妹が、精神的に都に憧れながらも鄙の生活に埋もれていき、「それでも生きていかなければ」という、時代の流れと人間の運命を描く肝心のテーマは、村の農家の三姉妹の日常に置き換えられて、迫ってこない。ことに農村で十二年も時がたつ、のは原作の設定と違いすぎる。事件も、テーマも、部分的に台詞も、思わせぶりにとるだけで、重ねないのなら、なにもチェーホフを持ち出すことはないじゃないか、と思ってしまう。転換の幕間のロシア語の歌など完全に浮いている。
チェーホフ抜きで、地方の農家の三姉妹の物語、としたのではモチーフにならないのだろうか。小さな舞台ながら細かく行き届く配慮があるのが特徴の劇団なのだから、有名作品によりかからないで、日本の現代農村劇を作る気概が欲しかった。自然回帰とか言われ出し農村が注目されている今、あまり芝居が扱ってこなかったテーマとしても面白いのに。
主宰者の不慮の不参加でさまざまなところがが行き届いていないのは残念だった。

糸井版 摂州合邦辻 せっしゅうがっぽうがつじ

糸井版 摂州合邦辻 せっしゅうがっぽうがつじ

木ノ下歌舞伎

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2019/03/14 (木) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★

「合邦」は木下歌舞伎でも手に余るだろうと思っていた。
日本の伝承に根付いているとか、江戸武家社会の倫理劇の古典とかいうが、物語はいかにも無理筋である。解説で見どころを教えてくれるも歌舞伎で、名演と言われていた歌右衛門の玉手を歳を置いて二度見ても、なんとなく納得できない。
それが、この木ノ下歌舞伎の合邦は、まるで、東宝ミュージカルのように、やさしく面白く腑に落ちた。
長く複雑な原作から、玉手御前の生涯に絞って、親子の情と、羽曳野を生かして武家の家の妻の座の筋を通したのが成功した。現代にも通じる人間家族の話と、お家の社会の話である。焦点が決まれば、脚本、演出、振り付け、ほとんど完璧である。
玉手の親との過去を庵室でフラッシュバックのように見せるところとか、大きな玉(大きさも色も秀逸)を舞台に上げて振付に使うところ、虎の因果をさりげなく前半で振っているところなど、俗に言えば,しびれるうまさだ。出道具がいいのは木下歌舞伎の特色だが今回もホントに道具の出し方、下げ方がうまい。
難を言えば、音楽はわかりやすい(現代語や外国語が詞に入りすぎているという意見はあるだろうが)が、俳優たちの歌唱力が追い付かない。独唱だと言ってることがわかるが、斉唱になるともういけない。歌詞がほとんど内容を追っていないだけに、歌になるたびに舞台から気がそがれる。ことに幕開きの長い歌のシーンは、正直、これで大丈夫かと心配になった。歌のうまい華のある役者で見たいと、熱演の俳優たちには申し訳ないが思ってしまう。初日なのに、満席。追加公演もすでに売り切れと言うが、お富与三郎だってコクーン歌舞伎になったのだから、これもクリエで座組みを変えて再演、などという大胆な企画も、たまには東宝もやってみたら? 2時間20分休憩なし。

「ベッドに縛られて」 「ミスターマン」

「ベッドに縛られて」 「ミスターマン」

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2019/03/08 (金) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★

アイルランドの現代劇の小品二本立て。
海に囲まれた国という共通性があるのか、アイルランド演劇は、例えば、チャペックくらいしか知られていない内陸国のチェコなどに比べるとずいぶん日本には親しみがあるようだ。
マクドナーは大当たりの作家だが、こちらのエンダ・ウオルッシュは、後継者と言われている由。今回も土着性、幻想的、宗教的な面も含めてその国の伝統を引き継いでいる。その上に様式にはこだわらない。現地でどのような上演になっているかうかがわれないが、今回の舞台は、いわば、モノローグ芝居。最初の「ベッドに縛られて」は親子の葛藤、ことに生活者の父と娘の地域に縛られた生活と脱出願望。あとの「ミスターマン」はダブリンよりもさらに田舎町の青年の域苦しい青春を描いている。なにやら日本の自然主義小説にも通底しそうな物語を、最初の作品は二人、あとは一人の演者が演じていく。
演者は最初が寺十吾と小飯塚貴世江。寺十吾は、私にはよくわからない演劇人で、演出も俳優も、ちょっと変わったものがうまい。派手な見せ場になりそうなところも、手際がよくまとめてボロを出さない。しかしときには見当違いと思える出来のものもあって、つかめない。だが、今回はほとんど一人でこの台詞の多い舞台を背負って特異な国の父親像をうまく造形した。小飯塚貴世江は、最初の早いせりふ回しなど頑張っているが、残念がら使っている声域が高く狭いので単調になってしまう。娘と父の二重唱にするという演出の意図があったのかもしれない。きっとうまい人なのだろうが、これで大損をしている。声域が生来のものなら、これは配役のミスだろう。
あとの方は斉藤淳。こちらは一人で全部やるのだが、さすがに荷が重すぎる。一つ一つのエピソードがバラバラで、一つの青年像に集約していかない。父の墓参に行くシーンとか、おばさんに踊りに誘われるとか、空中に舞い上がっていくところとか、演出も気を入れて面白くしているところがつながらないうらみがある。
演出の扇田拓也は、この難しい様式の戯曲を飽きさせず、ヘンに突っ張りもせず、いや、突っ張っているのだが、それをあの手この手で抑え込んで、うまくまとめている。ことに音の使い方がうまい。難しいものを何とか納得できるようにしてしまうのは、なんだか故人の父の扇田昭彦の演劇評にも似ていると、懐かしく思った。この演出が第一の収穫であった。

ネタバレBOX

入口が狭いので見るともなく見ていたら、ずいぶんご招待席が出ている。中へ入ると、満席ながら、業界老人たちの同窓会のような雰囲気で、これでは芝居を見たい若者は少し引くのではないか。この事務所は歴史も長くユニークな仕事も多いが、こういう人たちがバックアップになっているのは意外だった。
なのはな

なのはな

Studio Life(スタジオライフ)

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2019/02/27 (水) ~ 2019/03/10 (日)公演終了

スタジオライフまで原発問題を意識していることを、原発関係者は知らなければならない。
原発事故はどう考えても、原子力への取り組みが甘かった人災で、大惨事が起きたからには、すぐやめる、というのが近代以後の社会の常識である。まだそれを図々しく続ける、という神経に普通の市民は呆れているのだ。
仕方がないとあきらめた結果ひどいことになったのは日本国民何度も経験しているから、スタジオライフまで、これでいいのか。国民はせめて菜の花を育てて抵抗しようぜ、と言っている。
1時間の小品だが、単純なだけに、明確だ。、

TOCTOC あなたと少しだけ違う癖

TOCTOC あなたと少しだけ違う癖

株式会社NLT

ザ・ポケット(東京都)

2019/02/28 (木) ~ 2019/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

フランスの芝居だなぁ、とつくづく思う。
精神診療科に集まったそれぞれ直すべき癖を持った六人の患者がそれぞれの少しだけ違う癖の日常生活との落差で笑わせる笑劇である。フランスではどのような劇場で上演されているのか知らないが、生活に近い場所にある小劇場などで、少しは知られた俳優が入って、観客も普段着で見る商業演劇なのだろう。教訓めいたテーマもあるがそれはどうでもいい内容で愉しみのためだけの舞台である。
こういう芝居を劇団お柱にしているNLTにルー大柴が参加した小劇場プロデュース公演だ。数年前の再演らしい。賀原夏子が健在だったころはもう少し大きな劇場で二週間以上やっていたような記憶があるが、この舞台もそつはないのに百人規模の劇場が8割程度の入りだ。結局、この手のフランス演劇は、フランス土着の国民の好みに深く依存していて、日本にはなじめないのではないかと感じる。演劇を見て分かる国民性、というものもあるようで、日本人は新喜劇の方がくつろいで笑えるのだ。この芝居はこれで完成していて、どうすれば苦労に見合った客が来るか、という質問には回答がなさそうな気がする。

「かくも碧き海、風のように」

「かくも碧き海、風のように」

椿組

ザ・スズナリ(東京都)

2019/02/27 (水) ~ 2019/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

賑やかな椿組春公演だが、内容は暗い。昭和11年から20年までに青春期を送った学生や演劇人の青春譜なのだが、この時期彼らにとっては非常に不幸な時代である。
戦後新劇が散々描いてきた時代と人々で、人物像は近いところでは、宮本研、斉藤憐、少し古くは森本薫や木下順二で見てきた人物たちだ。しかし彼らが実体験に基づいて書くところが、この座組みにとっては、調べて考証したうえでの時代劇だろう。そういう時代になったと言う事には感慨がある。
金澤の廻船問屋の息子が、実家の没落で東京に出て、浅草のレビュー団に出会い、同時に左翼学生のバーにも出入りして青春を重ねていく。その生活の方は本当に参考文献通りという定番のものだが、今の人々にとってはこう設定しないと、この時期の青春が実感できないのだろう。この舞台は椿組らしい多くの小劇場のメンバーの参加も得て、華やかに苦い青春時代がつづられる。いいところを挙げれば、軸になるカップルの新人二人・三津谷亮と那須野恵は新鮮でしかも、度胸もあって今後が楽しめそうだ。
苦言を呈すれば、この時代と今を安易に重ね合わせるのは、最近の流行だが、それで思考停止をしてしまうのはなによりも危険だと思う。今は、当時よりはるかに多様化された社会で、それでこそいろいろな問題が露呈しているのだ。最近、皇太子や退位する天皇の非常に考え抜いた発言の中にそういうニュアンスがある。時代は変わったし、新しいモラルが求められている。


ネタバレBOX

公演自体はテンポもよく皆一生懸命で、矢野洋子などという知られざるいい俳優を発見できて好感が持てるのだが、いかんせん、一生懸命調べました、という本の古めかしさが邪魔になる。それを若い人に言うのは酷だとは知っているが、もう少し絞ってものを考えないとこの時代乗り切れないぞ。
世界は一人

世界は一人

パルコ・プロデュース

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2019/02/24 (日) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★

異色の顔合わせの大劇場公演だ。オリザ派・岩井の作・演出、無頼アウトローの松尾スズキが作演出ではなくて主演、ハイソの女優・松たか子がつきあう。音楽に生バンドと前野健太の歌。興業元は劇場休館中のパルコの制作、小屋は東芸プレイハウスへと打って出た。
それぞれの分野で個性の強い活動をしてきた顔合わせだから、さぞ、舞台裏は大変だったろうと同情するが、結果は、お互い忖度配慮の挙句、すくんでしまっている今の社会を反映している。
平成の末とあって、この日本の三十年を回顧するような筋の運びになっているが、松尾スズキが主演ではどうしてもアクセントがそこへ寄ってしまう。明らかに北九州らしい故郷から出てきた主人公が、都会でコンサル業で成功するが、家族も精神も空洞化、再び故郷に帰り家庭を持つ。所詮世界は一人、というストーリー。これではこの顔合わせを生かすパンチがない。
鉄鋼都市が高度成長期に多くの産業廃棄物を海に沈殿させて、繁栄してきたが、この三十年で、その残渣は浚渫された、だが、あの沈殿した廃棄物はどうなったのだろう、とテーマを振られるが、物語がついていかない。三十年にわたる細切れの思わせぶりなシーンを並べ、そこに歌だかなりの数で入ってくる。大劇場向きの本ではない。いつもはキャラの立つ俳優たちも役をつかみかねて、手探りで、姿勢が、前のめりになっている。セットはパイプ管の構成でそっけなく、これで二時間十五分は苦しい。(まだ四日目だから、そのうちにどこか突破口が見つかるかもしれないが)
パルコの意図はよくわからないが、とにもかくにも、いろいろの顔合わせで新作をやってみようという壮図は買おう。今までは、この種の企画はほとんどシスカンパニーの独占で、安全第一でしかも当ててしまうというところが心憎いのだが、東宝・松竹・四季以外で、有力で冒険を辞さない演劇製作の会社がもう一つは欲しい。新国立は絶望だが、ホリプロ、文化村、池袋、三軒茶屋の公共劇場は、失敗を恐れず、頑張ってほしい。




オルタリティ

オルタリティ

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2019/02/22 (金) ~ 2019/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★

時代を打つ社会劇を旗印にしたこの劇団らしい快作だ。
さまざまな正義がせめぎ合う現代の閉塞感を、いくつもの面からドラマにしていて、面白く見られる。最初はもっと客席笑えば、と思いながら見ていたが、いや、結構この問題若者にとっても切実なのだな、と問題の根の深さを感じた。社会劇と言うより、後半は風刺劇みたいな展開になっていくのだが、そこでようやく笑いが出る。
だが、劇としては、その三幕がいささか性急で、説得力にも欠ける。この作者なら、「背水の孤島」で見せたような見事なエピローグも考えられただろうに。前半のタテマエ合戦が面白く、喫煙と言う小道具の使い方や、町長が変わってしまうあたり、ニヤリとさせる。
ここのところ少し、方向を失っているように見えていたこの劇団だが、復調の兆しが見えた。時代としっかり向き合って観客を興奮させるような作品を期待している。

ネタバレBOX

このタイトルの英語はどういう意味だろう。オルターまではわかるが後半はタダの名詞化のつもりだろうか? そういう単語はないだろう。日本語で、「ああいえばこういう」でもいいのではないか。
芸人と兵隊

芸人と兵隊

トム・プロジェクト

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2019/02/13 (水) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

作・古川健、演出・日澤雄介、とくれば、チョコレートケーキ。タイトル「芸人と兵隊」とあれば、これは芸能と戦争に関する秘話をもとに反戦大討論会か、と予期して見に行ったら、そこはまるでこちらの見当違い。当代の売れっ子の方が一枚上手だった。
かつて、中間小説にならって、中間演劇と言う商業演劇のジャンルがあって、新派や新国劇、新劇のプロデュース公演には楽しめる作品 (そういえば、中野実などという達人がいた)があったものだが、ここ三十年ほどで駆逐されてしまっていた。ところが、最近、中劇場プロデュース公演や地方まわりの興業になどで、この路線の作品を見かけるようになった。
「芸人と兵隊」は「南の島に雪が降る」のような戦時中芸能秘話で、笑で戦争をなくす、とか、戦地でこそ兵隊には平時の芸が必要だ、とか、いかにものテーマはあるが、纏めは人情劇。いつもの古川節とは異なり、呆気ないほどわかりやすい。だが、中間演劇は全体の座組みも重要だ。本と演出はこれでいいとしても、このキャスティングには大いに疑問が残る。村井、柴田はさすがベテランで畑違いの戦前の芸人世界らしい雰囲気を出しているが、あとの四人は期待の新人ではあろうが、戦地に駆り出された場違いの芸人を演じるにはキャリアが足りない。これは本人たちの責任ではなく、キャスティング・エラーである。今は芸人ばやりなのだから、芝居の出来る芸人や落語家が、せめて半分(四人うち二人)入っていれば、戦地の慰問隊の楽屋の雰囲気も出たことだろう。中間演劇は大人の芝居で、こう青臭くては折角の柴田の好演も飛んでしまう。中間演劇はウエルメイドで、しかも時代をはずさない、商売になる、という課題がある。ややこしい問題劇ばかりが能ではないから、トムプロジェクトのこの路線の作品も円熟していくともっと劇場は楽しくなる。。

拝啓、衆議院議長様

拝啓、衆議院議長様

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/02/06 (水) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

いくら作者がこれはフィクションと言っても、歴然としたキワモノである。それが成功して珍しく補助席もでる大当たり。テーマが現代社会の倫理を打っていて面白いのである。
こういうものは手の内の作者らしく、主人公の設定を弁護士の去就に据えて、犯人の性格付けもうまく、周囲の人々も、冷酷派、人情派とうまく散らしてサスペンスのある展開になっている。80年代に山崎哲の転移21の犯罪シリーズを思い出した。犯罪は世相を映すから、時代瓦版の演劇には欠かせない。キワモノと言われようと、臆せずにこの罪と罰でもどんどんやって欲しい
残念なのは、力演の俳優さんには申し訳ないが、みなさん演技スタイルが古い。五十年前の新劇三劇団風で、これではひとり犯人役の役者ががんばっても現代の風は吹いてこない。

シェアハウス「過ぎたるは、なお」

シェアハウス「過ぎたるは、なお」

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/02/08 (金) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

地方で劇団をやっていくのはさぞ大変なことだろう。その中で、そろそろ二十年、地方の要請にもこたえ、中央でも一目置かれる作品を、地元のキャストスタッフで作っていき、それを地元でも東京を含めて全国で打つ。想像しただけで気が遠くなるような仕事を成立させてきたことに頭が下がる。
こんかいはSF仕立てで中央の地方への勝手な押し付けを喜劇的寓話にしているが(75分、まだまだ練った方がいいとは思う。役割の振り付けが性急だ。こういう地方に身近な社会問題も手早くやらなければならないところが難しいところだが、この劇団にも日本在住の東南アジアの女性が居たりするところが現代日本の実体が透けて見えて面白いのである

Le Père	父

Le Père 父

東京芸術劇場/兵庫県立芸術文化センター

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2019/02/02 (土) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

良く出来た喜劇である。流石フランス随一のヒットメーカーの戯曲だ。それに役者がハマった。この芝居はこの二点に尽きる。
老人ボケをテーマにした芝居は、高齢者社会を反映して今や若者小劇場ですらよく扱われるテーマになった。社会問題でもあり、家族問題でもある。芝居にはいい素材で日本で行けば「三婆」と言う事になるが、この芝居はドライに乾いている。役を客観的に見ていて、べとつかない。ストーリーとしては、夫の都合でイギリス暮らしをしなければならなくなった娘(若村麻由美)が呆けていても一人暮らしをするとがんばる老父(橋爪功)を、若いヘルパー(太田緑ロランス)の手を借りながら老人ホームに送り込むまで、というだけなのだがその間に、現代の親子の亀裂、娘やヘルパーの職業的環境、同居する娘夫婦の問題、などを矢継ぎ早に取り込んで笑いと共に登場人物を追いこんでいく。テンポがいい。技術的には、ときにシーンが客観から、主人公の主観になったりする。そういうことが可能な設定になっているところが面白い。
役者がいい。橋爪はお手の物だが、やり過ぎになるところをうまく抑えている。いいのは若村麻由美・現代のクールな職業人が問題に直面するときの空気がよく出ている。太田緑ロランスも暗くならないで芝居のアクセントになっている。長い公演だが、客も楽しんでいる。

ネタバレBOX

ただ、この喜劇のキーはだれも逆らえない「老い」である。いつかはわが身にも襲いかかる内容だけに薄氷の上の笑いで、娯楽としての喜劇を大団円で救うには(あまり救う気もなさそうなところもフランス戯曲らしいと言えるのだが)随分あっさりした幕切れた。
夜が摑む

夜が摑む

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2019/02/02 (土) ~ 2019/02/12 (火)公演終了

満足度★★★★

いろいろな面白い見方が出来る異色の公演だ。十年前に亡くなった関西の小劇場作家・大竹野正典の1988年の作品は、当時の風俗を背景にした不条理劇のような趣だ。
まず、脚本。内容は大規模団地に住む孤独な中年男の家族や隣人たちとの距離感・違和感から、現代生活の中の生きづらさを、描いている。タッチは、別役実のような不条理劇のスタイルなのだが、描かれた世界が団地生活のピアノ騒音とか、ごみだしをはじめとする団地の生活とか、児童の生物飼育とか、当時の団地サラリーマンの定型的家庭生活などで世話物風なところがユニークである。主人公の孤独は最後には大きなカタストロフを迎えるが、子供が弾くピアノ曲をうまく使って、情感に抑え、(そこは演出の工夫かもしれないが)何か、現代劇古典のような風格すらある懐かしい味わいである。
演出はここの所話題作の多い詩森ろば。ロシアアヴァンギャルドどのような斜めに交錯した団地のドアの前に、室内の食堂の机とアップライトのピアノ。団地の窓を模様風にあしらった三個の箱をうまく使って抽象的な展開の物語を流れのいい芝居にまとめた。トーンを統一しにくい戯曲なのだが、そこをテンポよく処理して飽きさせない。ラストにつながる、箱を親子で受け渡しながら舞台を一周し、屋上のミニチュアの給水塔からクラゲを取り出すシーン、ここで個人の中に秘めた「夜」が見えてくる。演出の冴えで、うまい。
俳優。役者がハマって生き生きと演じてくれると小劇場は楽しい。この劇場は百人足らずの小劇場だが、その二つ上の四百人クラスの劇場でもよく見かけるベテランの俳優に、新進の俳優が噛ませてあって、制作のキャスティングのうまさもあるが俳優の地力もよく発揮された。皆いいのだが、特に、と言えは、町田マリーの団地妻、塩野谷正幸の子供(秀逸)、有薗芳樹の男女二役、若い方では、主演の山田百次は少し力み過ぎたが、最近目立つ異議田夏葉、ご苦労さんはピアノ演奏の西沢香夏、みな役にはまって個性的だが、息をそろえなければならない台詞や動きも見事に揃う。そういう細かさが行き届いているところが見ていて気持ちがいい。
今となっては昭和回顧のような内容の芝居なのだが、それを現代の生きづらさにも通じるところまで引き出して、いま楽しめる舞台にしたのはこのプロダクションの総合力だろう。すっきり見られ、切なくもあるいい舞台であった。1時間40分。

『スーパープレミアムソフト W バニラリッチソリッド』

『スーパープレミアムソフト W バニラリッチソリッド』

チェルフィッチュ

シアタートラム(東京都)

2019/01/25 (金) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

舞台の奥、八分あたりにコンビニの店の陳列棚を描いた紗幕が下がっている。コンビニのアルバイトらしき店員が二人出てきて、個人が孤立している現代社会でのコンビニの仕組みや店長や経営への不満、索漠たる仕事の話を、チェルフィッチュ独特の動きと共に語り出す。これはコンビニを巡る現代劇なのだ。国際共同制作が出来たのだから、こういう状況は世界(今回はヨーロッパだが)に通じる現代の風景と言う事だろう。
「三月の五日間」で鮮烈な衝撃を受けてからもう十五年近い。この作品をきっかけに、岡田は国内よりも海外に仕事の場を求めてきた。国内での消耗を避けるというのは賢明な判断だったのかもしれない。今回の舞台も再演と言う事だ。(初演は見ていない)。
ストーリーは、コンビニの二人の従業員と店長、それに本店の地区責任者と、後半新しく来たアルバイト店員が加わる。客は、深夜になるとアイスを食べずにいられなくなる女(彼女がこのコンビニで買う愛好物が長たらしい名前のスパープレミアムソフトWバニラリッチだ)と、見るだけで買わない客が、二人。慎重に雑狭物は取り除かれているが、「三月」と同じように、ここでは特に変わった事件が起きるでもなく、彼らの生活は続いていく。しかし、すべての登場人物に共通する現代人の「やってられないよ」という根こぎされた生活と心情がユニークな振り付けで演じられる。
丁寧に作り込まれていて、チェルフィッチュの世界に引き込まれた。エピソードごとに休止符を打つスタイルは洗練され、無駄がなく、何より見ていて面白いし楽しめる。背景音楽のバッハも巧みな選曲だ。1時間50分。あまり宣伝もしていなかったのに、見た回は掛け値なしの満席であった。
見た回は英語のスーパー付きの回だった。世界各地で上演するときはこういう形でやるのだろう。よくはわからないが、日本的な現代語台詞を無理にそれらしく英訳しているのではなく、内容を伝える翻訳で、言葉(オトで聞こえる台詞)よりも身体の動きで世界に共通する現代人の状況を伝えようとしていると感じた。国際的な演劇の場も変わっていく。

暗くなるまで待って

暗くなるまで待って

日本テレビ

サンシャイン劇場(東京都)

2019/01/25 (金) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★

「罠」「検事側の証人」と並んで「ミステリ劇」の代表作と言われている戯曲。あとは、「スルース」とか「デストラップ」とか。いかにもウエストエンドで役者を変えてはかかりそうな著名ミステリ作家の筆になる作品たちだが、この作者ノットは「ダイヤルMを回せ」とこの作品だけが著名。ほかには一作しかない。それで十分の資産家だったようだ。
原戯曲はサスペンスとしてよく出来ていて、日本でも何度も上演されていてる。主人公が交通事故で視力を失った視覚障碍者(凰稀かなめ)の若妻。見えないと言う事以外は一般人の女性が、たまたま自宅に持ち込まれることになった麻薬犯罪のブツを狙う犯罪者たち(加藤和樹、高橋、猪塚)と対決することになる。主人公が見えないと言う事や、事件が起きるのが一般家庭であること、主人公の夫が写真家で自宅に現像室がある、などの条件を生かして、ドアがドンドンとノックされるたびに、主人公に何か起きるのでは、とサスペンスが高まっていく。
今回の美術はかつてパルコ劇場での上演の朝倉摂の美術を踏襲して、中央に階段があってそこが出入りになっている。半地下の部屋は、作品が書かれた1966年当時の市民生活を良く写しているのだろう。介助のために訪れる上の階の少女(黒澤美澪奈)とはつながるパイプ管をたたいて連絡するとか、現像室の作業中には赤ランプがつくとか、冷蔵庫は別電源になっているとか、細かく一般人の生活を生かしている。五十年前の話だから、電話が固定しかないとか、麻薬運搬の手法が牧歌的なところは致し方がない。それを認めてもうまく出来ている戯曲なのだ。
ところが、俳優たちがそろって大振りで、サスペンスが生きない。細かいリアクションが出来ないし、セリフ術が拙い。今はマイクがあるのだから、小声の会話も成立するのにその技巧がない。悪役三人組が平板で面白くない。加藤はみえをはりすぎ(2・5ディメンション出身らしい)、高橋、松田は力不足。主役の凰稀かなめ、目が見えなくとも凛と立つ役なのだが、芝居が細い。対決する主役同士がこういう調子だからハラハラしない。
少女(黒澤美澪奈)は脇のいい役どころなのだが、どういう位置なのか、芝居が定まらない。芝居を見ていると、外を見るときにブラインドを下げて下を見る。おや?、ここは2階か三階か、と感じる。そういう小さな違和感が随所にあって、行き届かないから芝居がますますつまらなくなる。そこは演出が決めてやらなければいけないだろう。
戯曲は、ミステリ劇の商業演劇ながら、突然交通事故で失明した若い女性の自立物語でもあり、何かというとすぐバッシングの対象となる今のご時世でも障碍者を主役にしたいい芝居だ。もっとうまくやれなかったものかと残念だ。
それにしても、これが8,800円は、どう贔屓目に見ても高すぎる。




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