満足度★★★★
小劇場の手打ちの公演がウイルス騒ぎで立ち往生している真っただ中で、果敢に開けたトラッシュマスターズ公演。駅前劇場で、座席も80くらいに絞って席の間を少し開け、マスクを配り、観客にアルコール消毒を求める、という苦渋の決断だ。こういう風に見せないと、ネットで叩かれたりするらしい。そういう上からのお達しに配慮はしたくない劇団だろうに涙ぐましい。生活が懸かっている。
表向きはいま問題が顕在化しているIRが素材だが、テーマは、こういう「已む無し、ことなかれ処理」でうやむやに解決していくことこそが、日本の宿痾であるという芝居だ。最近の「埋没」も「オルタニティ」も、表面的な事件の奥に、日本の社会構造の見えにくいところに触れていた。しかし、その課題には解決の先も見えていない。昔の新劇社会劇の裁きではどうにもならないから、民芸に書いた作品などは、訳のわからない風俗劇になってしまう。
「対岸の絢爛」では、戦時中の空襲による市民被害者の処理、80年代の開発ブームの中の地方都市の開発、近未来のIRの受け入れに揺れる大都市の住民説明会、と三つの時代の場面が交錯する。政府が住民に求めることは住民の生活の安寧とは食い違っているが、住民の方にも、付け込まれる要因がある。住民の中にも賭博嗜好が消えがたくある。いままで、パチンコとか、宝くじで長年、法で禁止しておきながら、抜け道を作って賭博には慣れ親しむようにされてきている。舞台で演じられるように、市民の家庭の中にも深く入り込んでいて、今さら単純な論理で排除できない。そこでどう生きるか。IRのように先端的な問題提起のおくに、根本的な問題を提起しているところがいいが、そこを解くにはまだ、作者にも見る方の社会にも時間がかかりそうだ。
七人の俳優が、三つの時代の登場人物を演じる。時代を超えて、相互に関係があるような、ないような作りで、それが日本に遍在する国民性を現していて、これはなかなかうまい趣向だ。トラッシュマスターズも二十年という。俳優も力をつけてきて、それぞれリアリティのある演技だ。今、小劇場で、社会問題を素材に、かつての新劇のような政治に沿った型通りのプロバカンダ劇でない芝居を志す劇団は少なくない。トップランナーとして、頑張ってほしい。
運悪く、今回は勘定は合わないだろうが、作った席だけは売れている。