満足度★★★★
水族館の季節
今年もこの季節がやってきました。
もちろん観てきましたよ、水族館劇場。
毎度の事ながら、この一言につきる。
「クソ面白かった!」
演劇でしか出来ない事をしっかりと見つめ、それに向かって全力で挑んでいる、数少ない劇団の一つだと思います。
リスペクト。
ネタバレBOX
千代次、風兄宇内の圧倒的存在感には毎年息を飲みます。
そして昨年(だったと思う)、大復活劇を見せた鏡野有栖が、今回とても良かった。
終始彼女から目が離せない。
ラストシーンは圧巻。
終演後、ずぶ濡れになった彼女が、冷え込んだ空気の中でしっかりと客出ししていて、その姿に心を打たれました。
すげぇぜ。
今回、例年よりも水多かった気がする。
そして仕掛けも派手に。
不安定な道具を吊るす時のワイヤー掛けなどの作業の際、
スタッフの方々が、
「いくぞオラー!」
「倒せー!」
「上げろー!」
と言った掛け声をかけて安全を守っている様子が、
とてもパワフルで、ドラマチックで、観てて泣きそうになった。
今までは気づかなかったんだが、そういう部分がまた、「演劇」していてとても魅力的だった。
あぁ、いい芝居を観たぞ。
満足度★★
地味だ…
5月7日のプログラムを観に行った。
もう1ヶ月も前の事だけど、書く。
5月7日のプログラムは
子どもで大人
『相寄る魂』
演出 横山央
絶対安全ピン
『動機』
演出 黒田圭
SPPTテエイパーズハウス
『ストレス解消センター行き』
演出 山下裕士
Company 空
『橋の上の男』
演出 荒川貴代
の4本。
時間の都合で、絶対安全ピンの公演を観終えてから帰った。
ネタバレBOX
一本目の「子どもで大人」の『相寄る魂』は、非常にありがちな、「お芝居」だった。
物足りない。
二本目の「絶対安全ピン」の『動機』は、
立つ・座る、という動作に焦点を当ててみたり、額縁舞台の外に、観客席に役者を飛び出させてみたりと、
演出に「やったれ!」的な気合いが感じられた。
立つ・座るに合わせて椅子を操るのは、非常に前衛的な雰囲気を持っていたが、
いまいち効果的に機能している所がなく、
「前衛的な雰囲気」だけに思えてしまったのが残念。
普通にやったらもっと面白かったかもしれない。
満足度★★★
日本語を「読む」ということ
「日本語を読む」
という企画にばっちりドストライクな芝居。
ネタバレBOX
三島由紀夫の戯曲、聞いているとシェイクスピアを連想させられる。
この『熱帯樹』は『ハムレット』と『マクベス』が見え隠れするようで、
リーディングなのだけれどとてもダイナミック。
ダイナミックかつ、繊細な世界観がなかなか心地よかった。
今流行の現代口語による戯曲とはかけはなれた、
セリフで聞かせる三島由紀夫の文体が、
リーディングという形にピタリとはまっている。
動きも最小限に絞ってあり、文字通り、
まさに「日本語を読む」正統派リーディングだ。
リーディングとなると難しいのは、どこまでやるか、じゃなかろうか。
稽古を重ねるうちに役者は動きたくなってくるだろうし、
演出家もきっとどんどん欲が出てくる。
「リーディング」という形式を見失わずに上演にこぎつけるのは
なかなか難しいことのように思う。
その点、この『熱帯樹』は動きが邪魔になることなく、
むしろ少ない動きを効果的にキメていたのが印象に残った。
リーディングの背骨を「言葉」と「戯曲」に持ってくるのは、
きっと簡単そうで一番難しい事だ。
二人だけが共有する秘密、とか
それが明るみに出ちゃう、とか
そういうシーンがとてもセクシーに見えたのは、
演出家・谷賢一がアフタートークで語った「H」が重要なんだろうな。
どっぷり三島由紀夫の日本語を味わえたが、
ちょっとセリフ早い感じがする、とか、
ちょっとテンション高すぎでは…ってなシーンがあったように思えるのも事実。
やはりリーディングってのは難しい。
満足度★★★
斎藤晴彦さんから目が離せない!
最後の最後で、とても暖かい気持ちになれる芝居でした。
ゴーシュを演じた斎藤晴彦さんがいかす!
ネタバレBOX
タイトル通り、平成派遣版の、窓際のセロ弾きのゴーシュ。
この作品、17年ぶりの再演だそうだ。
時代に取り残されてしまい、
今じゃ仕事の出来ない、会社のお荷物的存在のおじさん・ゴーシュ(=斎藤晴彦)
今日も書類をうまく作成できず、
自分よりも若い上司(=滝本直子)にいびられたあげく、残業を命じられる。
はやく終わらせて帰ろうとがんばるゴーシュだが、
どうにも集中できない。
すると事務所の扉の開く音が…
事務所を訪ねてくる面々との会話が、
(だいぶおやじギャグが多いが)軽妙で楽しい。
ゴーシュを演じる斎藤晴彦さんの疲れたおじさんぶり、
そして時折見せるハッスルぶりは見事。
どんな場面でも、ゴーシュから目が離せない。
訪問者たちとの出会いがあった後、
ゴーシュは
「やろうと思えばやれたんじゃないか。」
という言葉をもらい、
ゴーシュはちょいと照れくさそうにつぶやく。
この一言で、この芝居を観に来た甲斐があったな、と。
この一言へ、芝居は向かっていたのだな、という感じがあり、とても印象的なラストとなった。
ただ、訪問者の来訪が若干ワンパターンにも見え、
少し中だるみのようにも見えた。
ゴーシュが正論を言って迷惑な訪問者たちを追っ払っているように見えなくもないので、
もっとこう、ゴーシュとのやりとりの中で、
訪問者たちが個性を発揮できると、
というか、「めんどくさいけどいいやつら」的な感じがあると良かったなぁ、
というのが個人的な感想。
斎藤晴彦さんが魅力的すぎるだけに、
他の面々(若い方が多いように思えた)にもっとインパクトが出てくると、
作品全体のバランスも良くなってくるのではないだろうか。
歌、良かった。
満足度★★★★
バカの塊
谷賢一がバカをし尽くすのを久々に観られて、
とてもとても幸せでした。
役者陣もそうですが、なにより作者が本を楽しんでいる感があり、
よかったです。
満足度★★★
王子で観る面白さ
芝居自体はコテコテでしたが、
王子に関する芝居を
王子の人たちが
王子で観る
という観劇空間はとても面白かったです。
芝居だから出来る楽しみ方の一つを
確かに実践している舞台でした。
満足度★★★★
良かった
冒頭の、すごく「演劇演劇した」作風に若干、疲れてしまいそうになったんですが、
そこここに散りばめられた謎が明らかになるにつれ、ぐいぐいと引き込まれていた自分がいました。
良かったです。
満足度★★★
マスコットの
シガラキくんがとってもかわいいのです。
満足度★★★
噂の真相はわからんもの。
塩野谷幸蔵(和知龍範)が喋り始める辺りから、だんだんと話に集中して観られました。
それまでは丹波秀徳(小林タクシー)の事ばっかり観ちゃったのですが、
中盤から話が動き始めた感があってよかったです。
和知龍範の芸の細かさ
小林タクシーのオーラ
玉置玲央の大胆で心地よい演技
が印象に残りました。
ネタバレBOX
タイトルの『とりあえず寝る女』ってのに、知らず知らずのうちに登場人物に
「とりあえず寝る」というレッテルを貼っていた自分がいたことに、
終盤の丹波のセリフに気付かされました。
見たわけでもないのにみんなとやかく言う、
噂の真相なんてわからんものなのに、
人間、簡単に人を傷つけるような噂を広めまくる。
そういう感じに、ぐいと胸を抉られた想いでした。
舞台設定の「団地」というのも、
都会の中の閉ざされた、極めて狭いコミュニティーの場所として
とても魅力的のように思えます。
「○号棟の××さん、誰とでも寝るらしいわよ!」
なんて噂、実際にありそうで恐いです。
ただ、その「団地」という設定が、どうも舞台装置に活きていないように思えました。
そもそも、一つの団地の部屋の中に二階って無いような…
庭も立派すぎ、というか団地ってベランダでは…
なんてのはつまんない話ですが、
もっと団地らしく見えたらより面白かったな、と思うのです。
「とりあえず寝る女」というレッテルを周囲に、娘たちにすら貼られ、
それでも何も言わずに奥の部屋にずっと居る(といっても仏壇ですが)母の姿が、今思うと、舞台全体を暖かく包んでいたように思えます。
発言しない、登場もしない人物がこれだけイメージに残るのは素敵だなと思いました。
娘たちが団地を去る一つのきっかけが母親の四十九日、というのも、
ラストシーンを引き締めていたように感じます。
それにしても、どう見ても女子高生にしか見えない井上みなみさんがやたらと印象に残りました。パンフ見たら青年団の役者さん。
おそるべし青年団。
すごいどうでもいい事ですけど、
お金払って観に行って、
「とりあえず」連発の前説から始まると、少しだけ残念な気がしました。
満足度★★★★★
元気が出ました。
観ていて、観終わって、
「俺もがんばろう」
って気にさせてくれる、すごく暖かい作品でした。
ネタバレBOX
以前、『百千万 2008 改訂版』を観た時にはそんなに思わなかったんですが、
歌がいい。
帰り道についつい口ずさんでしまう、
そんな、ミュージカルの醍醐味のような、
親しみやすく、ぐっと来る曲が揃っていてウキウキ。
菜月チョビさんの歌声にやられました。
話がいい。
子供の頃の思い出をごたまぜにしたような、
おもちゃ箱をひっくり返したような、
そんなにぎやかさと懐かしさの同居する舞台。
ブッチャー(政岡泰志)が全部持っていったようなとこはあるけど、
ハートに響く話。
ラストがほんと見事で、ちょっと泣いちゃいました。
昔のアルバム見返してみたりすると、
当時の思いや夢なんかがそこには鮮明にあって、
今の自分とどうしてもかみ合わない部分が出てきたり複雑な思いもあるけれど、
昔の自分に言うとしたら、
俺は元気でやってるよ、
ってことなんだななんて。
ほんと、懐かしい気持ちと前向きな気持ちとが同時にやってくる不思議な公演で、
活動10周年にこの公演を出してきた劇団の心意気みたいなものにハートを揺さぶられるのでした。
満足度★★
個人的には
まったく個人的な感想ですが、
肌に合うか合わないかで言うと、合わない。
それが素直な感想です。
ネタバレBOX
チェルフィッチュの『三月の5日間』は観ていない、読んでいない、
という状態なのだけれど、
新国立劇場で観たチェルフィッチュの『エンジョイ』から考えるに、
「劇場で観る」のが楽しそうな公演だな、と思います。
「劇場で観る」という事は、やっぱり演劇の演劇たる魅力なのだと思うわけで、
その点、
オーストラ・マコンドーの『三月の5日間』にはそれがあったかどうかと聞かれると、首をひねってしまう。
作りがとても映像的な感じがして、
そんなら映画でいいかな。とか思ったりもしてしまう。
でも、こういう芝居が、今、人気があるのだろうって事も、
肌で感じる部分ではある。
きっと僕の趣味が古臭いだけなんだろう。
エネルギーがあふれ出して抑えきれません、みたいなのが大好きな僕にとっては、なんだか物足りないのです。
じゃあ、現代口語演劇自体苦手かっていうとそうでもなく、
青年団とか観ると面白い。
なんだろう。なにが起きてるんだろう。
オーストラ・マコンドー版の『三月の5日間』、
原作をだいぶ脚色しているらしいとの事。
しのぶの演劇レビューを読んだ感じだと、
この公演で一番観客の目を引くだろう、「捕虜虐待ゲーム」的な場面に発展するシーンが原作には無いのだとか。
そう言われてみれば、あのシーン、
「ずっと豆腐食べてたのに味噌カツが出てきた」みたいな空気の違いがあったな。
あのシーン、演出も役者も相当気合い入れて作ってるように見えただけに、
原作にある無いってのは気になります。本読んで確かめよう。
ほんとに、やたら気合いが入っていたというか、
空気感とか、うまいな、と思います。
ただ、うまいと好きは違うのが面白いところ。
あれで一撃ハートに響くかというと、僕はそうではなかったですね。
やりすぎは基本的には面白いんだけど、
やりすぎすぎるともはや観ていて痛々しいというか、一歩引いてしまうところがありました。
今日、たまたま読んでいた本に、印象的な一文が。
「忘れられがちなことですが、拷問者というものは実はすぐに退屈してしまうのです。やる気をなくさないでいるためには、笑えるような事柄がなくてはならないのです。」
『ハロルド・ピンター Ⅱ』/早川書房(ハヤカワ演劇文庫)
これ読んで、あのシーンを思い出してみると、また
いろいろと考えさせられます。
怖かったのは、ミッフィー(岡田あがさ)。
セリフ言ってるときはもちろんなんだけど、
じっと座ってるときなど、始終、舞台にいる間中、
エネルギーがだだ漏れ。もちろん、いい意味で。
「三月の5日間」への愛が、一人飛びぬけているようで、素敵でした。
満足度★★★
道学先生
初めて観ました。
名前だけ知ってて、勝手に
おかたい芝居する団体なんだろうと思ってたら
全然そんな事なかった!
楽しく観れました。
満足度★★★
攻めの姿勢
新しい事いろいろ挑戦してるなー、という感じが漂っておりました。
明確にストーリーを追うというよりは、
イメージの積み重ねが効いてくる感じでしょうか。
文学座の攻めの姿勢がうかがえた作品でした。
親にほっぽられてる少年役の渋谷はるかさんが、
この舞台全体を一つに集約しているようで印象深かったです。
満足度★★★
いい。
この脚本を、谷賢一が書いたのかと思うと、
わくわくしてぞくぞくした。
ネタバレBOX
流麗かつ力強さのある骨太な台詞
重なり合う場面と場面
そこに潜む黒々とした何か。
聞いていて、「あぁ、この台詞言ってみたい」と思える本。
チラシにも書いてある、インパクトのある台詞
「隠されているものは、絶対に見えない」
この言葉と、マリーの最後の台詞がなんだか呼応しているようで鳥肌が立つ。
これに関連して個人的に印象に残った場面が、マリーの旦那、ゴブラン(大塚秀記)らが賭けに興じる場面。
真相を知るサントクロワを挟み、侯爵らが「遺産ががっぽり転がり込む」的な会話をしているシーンはなんというかどす黒いものを感じた。
僕の大好きな漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に、「本当の悪は、自分の事を悪と思っていない悪だ」みたいな台詞があるんだが、そんな感じ。
決して、事件が解決してスッキリみたいな話じゃない。
このスッキリしない感じ、心にどす黒い膿が溜まったままみたいな感覚がどこから来るのかよくわからないが、
この『マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人』という芝居が巨大な何かにぶち当たる姿が、僕をこんな気分にさせているんだと思う。
地獄の底から不穏さを匂わせるような音と、不自然に明るくチャーミングなメロディーが交錯する劇場の空気は、なんだか(悪い意味ではなく)気持ちが悪かった。
どこが良かったとか、そういう事でなく、よかった。
全体的に、一つの芝居として。
細かい事を言うと、
役者陣の若干が、谷賢一の書いた台詞に飲まれていた感がある。
台詞を制御できていないというか、操りきれていないというか、
自分の血肉になっていないというか。
シェイクスピアの芝居とか観に行くとたまに出会う現象が起きていたように思えて、なんだか歯がゆい思いをした。あぁ、いい台詞なのに、と。
そんな中、印象に残ったのがテレーズ・ドオブレ(堀奈津美)。
鮮やかな感情の表現、クリアに心に響く台詞には、従来の安定感に加えてダイナミックさが窺えた。
DULL‐COLORED POPにおける堀奈津美の立ち位置の重要性を改めて思い知る公演でした。
ま、あれです。細かい事抜きにして、いい芝居でした。
決して楽しい芝居ではないけれど。
☆5つだと思うんですが、これからもがんがんいい芝居を観たいので3つにしときます。
満足度★
もがく姿が輝かしいのではないでしょうか
初めて見にいきました、アロッタファジャイナ。
以前からよく名前を耳にしていたので楽しみに劇場に足を運びました。
僕の、この劇団との出会いは、はっきり言って最悪でした。
観劇の感想書くときってたいてい僕は良いと思ったことを書くようにしてますが、今回は無理です。相当口が悪くなっているので、この先読みたくない方はここまでで止めてください。
僕はアロッタファジャイナの芝居を見るのは初めてです。
たまたま今回、作風が肌に合わなかっただけかもしれません。
あくまで、今回の『溺れる家族』に対する感想です。
ネタバレBOX
開演ぎりぎりの到着になってしまいそうだったので1分でも早く着こうとタクシーに乗り込み、なんとか劇場に着いたのが開演3分前。
本当に迷惑な客で申し訳ないとは思いつつも、遅れ客は僕のほかにもいたようで、数分押して始まる芝居。
ギリギリに到着してしまって、本当に申し訳ない。
しかし、席に着くまでの間に、制作の客への対応でいささか不満な点があり(詳しく書くのは無粋なのでやめますが、簡単に言うと、3500円払ってるのに客として扱われなかったって事です。)若干不機嫌な状態で溶暗する舞台。
いくら芝居前に不機嫌な状態でも、いい芝居が観られればそんな事は終演時には忘れちまいますからね。
ところが、そうはいかなかった。
芝居が進むごとに、僕の心の中の不機嫌は嫌悪感へと、苦痛へと、そして怒りを通り越した諦めへと変わりました。
『溺れる家族』とあるように、この芝居にはいくつかの家族の像が登場します。
家族の崩壊
うつ
DV
セックス
所得格差
エリート
家柄
近親相姦
略奪愛
殺人
そして、家族の再生
そんな、現代社会の闇にするどく切り込み、人間そのものを描き出した作品
とでもいえば耳障りがいいですね。
僕は感じました。
「現代社会の闇をニュースで見たんだけど、それを盛り込んだら面白いんじゃない?」
ぐらいの感覚の、問題に対して踏み込んで考える真摯さが全くない作品だと。
闇をあつかうなら闇に対して本気で向き合わないと何もならないと思うんです。
人の痛みなんて、どんなに「分かるよ」って言ったって結局わかんないですよ、自分で経験したことじゃないと。
そういう、人の痛みを単なる好奇心と知識だけで踏みにじっているように思えてならず、見ていて激しい嫌悪感を覚えました。
社会の問題に、闇に面している登場人物たちの、
台詞がまず浅い。
ニュースや雑誌などでよく耳にするような台詞を吐く人物たちの言葉には、
一切、その闇と苦闘し悶絶し、悩みぬく様子が見受けられない。
「分かるよ」って簡単に人に言える人間の台詞にしか聞こえませんでした。
そして、この脚本上の台詞の浅さを、役者陣がさらに浅く
「分かるよ」と表現していることに絶望を感じました。
人の心に届く台詞を話せていたのはほんのわずかの役者だけ。
闇を扱う台詞って、それを発する時に「覚悟」するもんじゃないんですか、役者って。真摯に闇と向き合って、悩みぬくから役者なんじゃないんですか。
人の痛みは本当の意味ではわからないもの。
でも、そういったものを扱う時に、少しでも、少しでもその本質に近づこうと闘うからこそ、人は芝居を観て感動するんじゃないですか。
ほとんどの役者が「分かるよ」って平気で言っているように思えてなりませんでした。人の痛みの千分の一もわからないかもしれない、けど、それを千分の二にでも、千分の三にでも出来るようにもがくからこそ役者は輝くのではないでしょうか。
「あぁ、この闇ね、わかるよ」
自分の想像のつく範囲の、千分の一の痛みを、実際の闇と同じ重さと思えちゃう役者の芝居なんてどれだけ薄っぺらいのでしょう。
脚本上浅い台詞だったとしても、
せめて、それを言葉に出す役者はもがいてくださいよ。
「あなた、少しでももがきましたか?」って思ってしまう役者が大半でした。
千分の一で止まらないでくださいよ。
自分が闇を表現できてると思うなんてとんでもなくおこがましい行為ですよ。
あなたは役者で、役じゃないんです、どんなにがんばっても。
なら、最後までもがきましょうよ。
簡単に「分かった」なんて言わないでくださいよ、せめて舞台上だけでも。
自分の芝居が「かっこいい」とか「上手い」とか思って
自分の芝居に自分で酔ったらそこでおしまいですよ。
相手に影響与えるのが台詞でしょう。
その場の空気を変え得るのが台詞でしょう。
人の心を震わせるのが台詞でしょう。
相手役を意識の片隅にも置かずに、
自分の発する台詞に酔ってるだけじゃ
客の心をゆさぶる事なんて夢のまた夢ですよ。
本当に、台詞が心に届く場面が、片手で足りるほどしか無かったように思えます。
残念でした。芝居を観てこんなに嫌な思いで帰ったのは久しぶりです。
加えて言えば、前半の場面転換の多さには疑問を感じました。
各エピソードのさわりをやって、その後深く切り込む、
みたいな手法だったのですが、その度に場面転換があり、正直舞台でこれはないなと思いました。
シーンがすぐに切り替えられる映像媒体ならば効果的でしょうけど、こんなに序盤で場面転換ばかり見せられてはまったく入り込めなかったです。
映画でやればいいのに、なぜ舞台で、と思ってしまいます。
ラストシーンの照明が、とてもキレイでした。普段照明とか全然気にしない方ですが、あれはキレイだったな。
こんなに色々と書いてしまうのは久しぶりですが、どうしても譲りたくないことなんです、僕にとって。
満足度★★★
もっと近くで観たい!
害獣芝居の「第参回 岸田理生アバンギャルド・フェスティバル2009」参加作品。
ネタバレBOX
今まで何度か害獣芝居の公演を観てきたが、今回の劇場はでかくて、客席もちゃんとした劇場の客席。
今までルデコだったり野外に椅子とかで観てきたので、今回の「劇場の作りをした建物での害獣芝居」は私にとっては初めての体験だった。
害獣芝居は以前観た時よりもはるかにエネルギー量が増し、統率も取れ、今まで観た中では最高の出来だった。のだと思う。
のだと思う、というのは、客席からそれが感じ取りにくかったから。
害獣芝居独特の身体表現や台詞、空間の使い方には一層の磨きがかかっており、激しい稽古の様子が肌で感じられる。
しかし、どうも今回の客席、距離を感じる。害獣の熱さ、勢いが、よく冷えた劇場の空気で客席に届くまでに新鮮さを失わせてしまっているように思えた。
役者と同じか、椅子一つ分くらいの地平で観てきた今までの害獣には、肌で感じる凄味があった。
しかし今回の、客席から舞台を見下ろす形の客席が、私にはどうもしっくり来ない。前から5列目くらいの端っこで観てたので、観てる途中に「正面で観れば良かった」「最前列で観りゃよかった」と度々思った。害獣のエネルギーが、客席3列目くらいの地面にめり込んで見えるように思えたのだ。
そこが今回、いい芝居のはずなのにいまひとつ物足りない、という私の感想の要因に思える。
客席の階段を使った部分もあり、全部が全部物足りなかったわけではないし、鳥肌の立つ場面もあった(私は芝居にシビれると鳥肌が立つ)。
しかし今回、害獣の「空間」を肌で感じられなかったのがなにより残念だった。
わかる人にしかわからん例えをするなら、ガンダムGP-01ゼフィランサス(地上戦用)が、フルバーニアンに換装する前に宇宙に出て、宇宙の海で溺れるのを見た感じ。
ともあれ、あの大きさの劇場で多くのお客さんが害獣芝居を観られるのはいい事だ。
あの大きさに満ちる害獣芝居が楽しみである。
見る度に力を増す害獣芝居。だから次回も観に行ってしまうんだろう。
満足度★★★
うん、よかった。
『JUMON(反転)』
扱っているテーマが面白く、濃く、目に見えないダイナミックさを感じる。
しかし、どうも何か物足りない。もっとガツンと一撃欲しいと思うのは欲張りだろうか。
芝居全体がわりかしさらっとした演技で進むのでとても観やすいのだが、「愛」という何かがぼやけてしまっているようにも思える。
被害者の会会長(小林タクシー)が異様な存在感を放っていて引きつけられた。
『便所の落書き屋さん』
これまた脚本の発想がとんでる。役者もうまい。
ただ、その先にある何かをもっと観たい。
せっかくこういう作品だから、「恋」の、何か塊みたいなものをガシッと観たい。
舞台全体が一つの塊になって体当たりしてくるような何かを。
便所の落書きとか、非常に面白いエネルギーをもってると思うのでそこらへんをもっと観てみたかった気も。
落書き屋の先輩(小林タクシー)の、ゆるさの中にある確固たる存在感が魅力的。そこにいるだけで舞台が引き締まる。
満足度★★★
はじめての唐組。
噂だけは前から聞いていたのだが、とうとう観に行ってきた!
期待が膨らみすぎたのか、「大感動!!」というまではいかなかったが、
それでも楽しい時間が過ごせました。
ネタバレBOX
水槽が出てくるシーンはよくわからない迫力に胸を打たれた。
満足度★★★
Aプログラム
『ショート7』のAプログラム。
様々な作風の作品が入り乱れる。
どれか好みの作品に出会えるはず。
ネタバレBOX
『ソヴァージュばあさん』
翻案・演出 谷賢一
原作 ギ・ド・モーパッサン
アクティングディレクター 黒澤世莉(時間堂)
これ、好き。
わかっちゃいるけどどうにも解決しようの無い問題を抱える二つの事柄を、二つの言語を解する者が、奇妙さとやるせなさに引き裂かれながら、ただただ記述する。
迷い・戸惑いの感覚を和知龍範が好演。
『Bloody Sauce Sandwich』
作・演出 谷賢一
一人の人間が世界をどのように捉えるか。
そこには無限の宇宙が広がっている。
目を背けたくなる痛々しさをたたえた彼女の日常は、今も続いているのだろう。
個人的にはとても苦手。
『15分しかないの』
作・演出 谷賢一
『15 minuites made vol.5』から時間をさほど置かないでの再演。
初演よりも濃密な空間で描かれる三人一役芝居。
一人の人間の思考が三つの肉体で描かれる面白さは、空間が狭まった事でより増したように思える。
特に四人目の人物である元彼との思考の混ざり具合がよく見えたように思う。
一人の人間の持つ、様々な思考を目に見える形で描き出した作品。
初演ほどのインパクトはないものの、斬新さは消えず。
『アムカと長い鳥』
作・演出 谷賢一
憑依の芝居というものを見せつけられる作品。
ややこしい計算などから完全に解き放たれた自由な表現体が存在する。
そこに観る物は引き込まれてしまうわけで、後はもう言うことはない。
長い鳥の声が本当に不快に感じ、もうどこにも行き場がない、強い八方塞がり感に襲われる。
満足度★★★★★
Bプログラム。
贅沢すぎる2時間。もう、満腹。
ネタバレBOX
以下、作品毎の感想など。
『息をひそめて』
作・演出 谷賢一
口語会話に独白を織りまぜるダイナミックな作品。
以前観た初演時には口語会話が印象的であったが、改めて観てみると、独白の持つ力強さに心打たれる。
現代の恋愛模様を描いた作品だが、独白は異様な程に力強い台詞で、シェイクスピアを想起させる迫力がある。
恋人の話を床下で盗み聞く、という構成も、情けない話だがダイナミック。
床下・床上の空間の切り取り方、混ぜ方も絶品で、決して映像作品では実現できない舞台の魅力を体現したつくり。
現代日本の小さな一室に起きる、小さな恋の問題を、繊細に、かつダイナミックに描き出す作・演出に惚れ惚れする一品。
『エリクシールの味わい』
作・演出・作詞 谷賢一
音楽 伊藤靖浩(作曲・演奏・出演・音楽監修)
「飲尿ミュージカル」(業界初)という宣伝文句がひときわ目をひく、今回の企画唯一の初演作。
とあるバーで酔いつぶれる製薬会社のサラリーマンのおやすみとおはようの間の物語。
とにかく良かった。
どうしても「飲尿ミュージカル」という言葉にとらわれてお馬鹿作品の様なイメージが付きまとってしまうが、そのイメージを前面に押し出すのは、これほどまでに痛々しく切ないラブストーリーを書いてしまった作者の照れ隠しなんじゃないだろうか。
本当によかった。僕は涙目で観ました。
飲尿を扱った大胆さ・馬鹿さと、作者が全身全霊を込めたラブストーリーの繊細さ・もろさがとてもいい具合に混ぜ合わされていて本当にいい。
初期のDCPOPの馬鹿馬力と現在のDCPOPの緻密さ・繊細さを兼ね備えた、これからのDCPOPの可能性を改めて見せつけられる傑作。
役者も素晴らしい。
「くたびれたサラリーマン」という言葉が似合いすぎる小林タクシーの軽妙な存在感はもちろん、個性豊かなおしっこ娘たち、ミステリアスなバーテン(千葉淳)、感情むき出しの恐い女(清水那保)などなど、強すぎる存在感の絶妙さは何とも言えない。
そしてその中でも極めて異質な迫力を放つ、飲尿の天使・岡田あがさ。
「まるで、天使」なんて台詞を何の疑いもなく受け入れられる、驚異的なまでの存在感・現実感のなさ。
この作品は、このキャスティングにより戯曲の持つ力をとことん引き出している。
岡田あがさの登場から立った鳥肌はカーテンコールまで続いた。本当に、よかった。なんだあれ。
そして、バーの謎の演奏者伊藤靖浩(作曲・演奏・出演・音楽監修)の手によるミュージカルナンバーが本当に心にぐっとくる。
アホらしい歌詞なのにあそこまでぐっと来る曲がつくと、気分はまるでブロードウェイ。
帰り道に口ずさめる覚えやすいが心にささるナンバーは必聴。劇場でCD売ってたら絶対買ってた。
特に「ひゃくまんかい」は本当にいい。小林タクシーの異様に高い歌唱力と岡田あがさの消えてしまいそうに淡く優しい歌声に、もうどうしていいかわからない。
そんなこんなで感動の渦に引き込まれてしまう。
中国の古典に、お粥が出来るのを待ってる間に眠ってしまい、自分の一生の夢を見て、目が覚めたらまだ粥は出来ていない、なんて話があったが、そんな中国の古典の雰囲気を舞台で味わったのは本当に初めて。
いい芝居観たよ。
『藪の中』
翻案・演出 谷賢一
原作 芥川龍之介
芥川龍之介の『藪の中』を翻案した一人芝居。
花組芝居の堀越涼が出演。
『エリクシールの味わい』ですでに夢見心地だったのに、もう一本あるという短編のグランバザールの幸せ。
この作品も初演を観ているのだが、役者に合わせて大胆に趣を変えた作品になっている。
漂うのは日本の伝統芸能的香り。
狂言・歌舞伎を織り交ぜたような独特の演技スタイルは『藪の中』の時代観を出すにはもってこい。気持ちよく見得を切り、朗々と語られる台詞によって作られるピンと貼りつめた空気感は見事の一言。
ただ、型のダイナミックさを追求する余り、感情のダイナミックさ・目に見えない迫力がやや犠牲になってしまっている印象を受けた。
型のダイナミックさで見せる今回よりも、目に見えない爆発力があった初演の方が僕は好み。
本当に、ただの好み。
これはこれで素晴らしかった。