うさぎライターが投票した舞台芸術アワード!

2019年度 1-5位と総評
五稜郭残党伝

1

五稜郭残党伝

温泉ドラゴン

スピーディーな場転でテンポよく進み、歴史と仕組みを上手く説明してくれる。
主人公と一緒にそれを理解することで、彼の“逃げる目的”の変化に気づく。
逃げる側のキャラが最高に魅力的で、一緒に逃げているような一体感の中で観た。
追う側の人物像も立体的なのでストーリーの厚みが増す。
この国はいつもこうして失敗してきたのだ。
“ざんねんな”国の理不尽さに血が煮えたぎった2時間5分。


戊辰戦争の終末期、「箱館戦争」の後日談だとういうこの作品は、
降伏が決まった直後に五稜郭から逃げた“脱藩者”二人の逃走劇である。
冒頭、二人が脱藩を決意して一緒に逃げようと決めるまでが簡潔で見事。
一気に惹き込まれて、後は行く先々で助け助けられ、いくつもの出会いに
観る側も転がるように巻き込まれていく。

二人が出会うのは皆「生きる場所が無い」隠れるように暮らす人々だ。
生きる場所を失った者同士、共感して行動を共にし、命を懸ける。
アイヌの人々、隠れキリシタン、混血・・・、皆繋がり、信頼し、危険を冒す。
次々と命を落としていく人々の無念を思い、脱藩はやがて新しい夢へと方向を変える。

一方追う側は「生きる場所」こそあるものの、それにしがみつき、もがいている。
「その先に何があるんでしょうね」という荒巻(佐藤銀平)の台詞に象徴される、
目的を見い出せないまま走り続ける疲労感がひしひしと伝わって来る。
目的の無さを振り払うように、がむしゃらに追い続ける彼らもまた痛々しい。

追いつめられながらも前向きで、強く真っ直ぐな蘓武源次郎(いわいのふ健)が素晴らしい。
次第に夢のような構想をいだき、しかし現実には遺書を残す冴えた頭脳を持つ男。
蘓武を信じて共に脱藩する銃の名手・名木野勇作(五十嵐明)、
二人と行動を共にするアイヌのシルンケ(筑波竜一)、
彼らを狂ったように追い続ける隅蔵兵馬(阪本篤)のキャラが秀逸。

「お前は逃げろ、クナシリで会おう」と言われながら、
やはり戻って源次郎の最期を見届けるヤエコエリカ(サヘル・ローズ)が
ラストシーンに相応しい力強さを見せて思わず涙があふれた。
源次郎の遺書を見つけ大音声で読み上げる。
この無念と希望こそが、作品を貫く大動脈であると思う。

こんなに悲劇的な結末を、終わってみれば“冒険活劇”に仕立てたのは
原作者・佐々木譲氏と脚本・演出のシライケイタ氏の力に他ならない。
まさに、“創り手の矜持”だと感じた。



「隣の家-THE NEIGHBOURS」 「屠殺人 ブッチャー」

2

「隣の家-THE NEIGHBOURS」 「屠殺人 ブッチャー」

名取事務所

「屠殺人ブッチャー」を観劇。
謎めいたオープニングから怒涛の展開、あっと驚くラストまで一気に見せる。
多民族・多様性社会のカナダから発信する、凄惨な民族紛争の実態が衝撃的。
生ぬるい日本に居ると遠い出来事かもしれないが、その普遍性は今とてもリアルだ。
役者陣には過酷な設定だが、それをモノともしない力量を見せつけて素晴らしい。
それにしてもあまりに鮮やかな騙し方で、騙されたこちらはむしろ爽快。
この作家、一体何者なのか?



いかにも警察署らしい無機質でそっけない空間。
警部がひとりと、椅子に座ったきり動かない軍服の老人。
そんなシーンから始まる。

警察署の前に置き去りにされたというこの老人は
一枚の名刺を持っていた。
その名刺の主である若い弁護士が呼ばれ、怪訝な面持ちで署にやって来る。
老人は時折、聞いたことの無い言語を発するほかは反応がない。
通訳として呼ばれた女が到着し、老人の身元調査が始まる・・・。

拷問の跡、古い軍服、25年前の激しい民族紛争、
そしてインターポールから追われる戦争犯罪人・・・と小出しにされる情報。
やがて老人の過去が暴かれ、復讐が始まる。
いや、実はとっくに始まっていたのだが。

ラストのどんでん返しが鮮やかで、これまでの話がひっくり返ってしまう。
巧みに張られた伏線は想像を軽々と超えて回収されていく。
重い主題でありながら、演劇の楽しみを見せつけてくれる。

役者陣が皆素晴らしく、特に渋谷はるかさんの迫力には圧倒された。
ここまでしないと気が済まない怒りが、隙なく漲っている。

2年前の再演だそうで、以下アフタートークからの情報。
作家が2人の言語学者と共に創り出したという架空の言語に説得力がある。
台本に英語の発音記号がついているというこの創作言語は、一切アドリブなし。
役者陣を悩ませたに違いないが、ナチスを思わせる、
特定の民族を粛清しようとする独裁政治がとてもリアルに立ち上がる。
再演のたびに、世界のどこかで起こっている事実と重なって
その普遍性が際立つだろう。

2年前の小笠原氏の演出と、ラストを変えてみたと言う扇田氏。
私には今回の方が、復讐の鬼の“赦さない自分”の虚ろが見えて
深い余韻を残したように思えた。






夢ぞろぞろ

3

夢ぞろぞろ

EPOCH MAN〈エポックマン〉

なんという二人芝居!この舞台美術、繊細さと大胆さ、沈黙と歌、緩急のタイミング、
全てが素晴らしく、熱くて温かい。
田中穂先さんとの掛け合いも見事の一言に尽きる。
アイデアてんこ盛りの舞台に、才能とチャレンジ精神が詰まっている。
ひとり芝居の時よりも“受けの芝居”が出来る分、世界観の広がりを感じる。
秀逸な舞台装置に一瞬ドリフの舞台を思い出したが、大いに笑ってしんみりして
ラスト、この泣かせ方はずるい!
それと小沢さん、足きれいすぎです。

会場に入ると舞台上手寄りに四角いキューブ状のセット。
駅の売店の面がこちらを向いていて、たくさんの商品が並んでいる。
上の方に書かれた「KIOKS」のつづりが笑わせる。
90度回ると隣の面は駅のベンチ。
その隣は中学校の校舎で、窓が空いている。
そしてもうひとつの面は、売店のおばちゃんが出入りするドアだ。
この四角いキューブがぐるぐる回って場転するのが秀逸。
人力で回るのを観ると、何だか昔のドリフの舞台を思い出して楽しくなる。

会社に行こうとは思うのだけれど電車に乗れなくて
いつまでもホームにいる男(田中穂先)と
売店で働くおばちゃん(小沢道成)の二人芝居。

何を聞かれても答えるおばちゃんと、聞かれたくないことだらけの男。
中学の時の初恋の思い出に男を巻き込んで盛り上がるおばちゃん。
ふらふらと電車に近づく男の手をしっかり握って我に返らせるおばちゃん。

会社の期待に応えられないのではないか、と不安になったら
応えられない自分の未来に絶望して、自分の存在すら危うくなっている男に
「私には私のことしかわからないから、私のことを話すわね」と言って
初恋の彼は目の前で電車の事故により死んでしまった、それがこの駅・・・
と語るおばちゃん。
その時の自分の行動から「人は自分のことしか考えないもの」と言うおばちゃん。
笑い満載の物語の中で、衝撃的で痛くて切なくて一番哀しい場面だ。
周囲の評価の中で生きて来た男は
「明日も乗れないと思うけれど、ここまでは来られる」と言って帰る。

痛みを知る人による“人生の応援歌”というドストレートなメッセージが
潔いほど真ん中に来る。
客入れの時点から昭和のアイドル歌謡曲が次々と流れてレトロな雰囲気だったが
(また私全部歌えるんだな、これが・・・)
おばちゃんの育った時代、今よりずっと人間関係が濃密だった時代を良く表している。

田中穂先さん、初恋の相手を演じる時のパワー全開な熱演と
電池切れのようなサラリーマンとの落差が、振れ幅大きくて素晴らしい。
ふたりのデュエット、最高!

小澤さん、いつもびっくりさせてくれる舞台に期待大だったが
設定からしてやられた感じ、面白すぎだわ。
それなのにこの涙は何だ?!
このラスト一瞬の劇的効果の大きさはどうだ?!

おばちゃんのキャラ、その過去、売店のトイレットペーパー、
テンポよく展開するストーリー、それら全てに飲み込まれる幸福。
夢って日常の中にこんなにたくさんあるんだ、見えていないだけなんだ。
そう気づかせて元気づけてくれる、アリナミンAみたいな舞台。

田中夢子、最強のKIOKSの女・・・。


死んだら流石に愛しく思え

4

死んだら流石に愛しく思え

MCR

初演も観たがやっぱりすごい芝居だ。
あの目、あの迷いの無い台詞、殺人鬼の2人が素晴らしくて
思わず感情移入しそうになる。
刑事とのやり取り、一体どんな風に稽古するんだろう?
たたみかける櫻井刑事の罵詈雑言と
私の好きなほっぺぶるぶるさせる熱い堀さんにしびれた。


自宅で売春しながら女装させた息子にそれを見せるという
そんなクズ母の元で子どもがすくすく育つわけがない。
どんな風に育つかというと、川島(川島潤哉)のようになるんだな。
その母親を皮切りに、川島は殺人を重ねていく。
一方奥田(奥田洋平)は快楽殺人タイプ。
天使のように純粋な奥田の妹(後藤飛鳥)と2人の殺人者は
町から町へ、人を殺しながら旅をする。
だがやがてそれが崩壊する日が来る・・・。

同じ殺人者でも全くタイプの違う2人。
登場しただけですべてを語っているような、奥田の目つきが素晴らしい。
思考を素通りして、殺人という行為に直進する異様さを見せつける。
さらにそれを隠そうともせず、刑事らと会話する姿にハラハラする。
直接的な場面よりもはるかに緊張感がある。

川島の悲惨な生い立ちと、歪んだ価値観には大いに同情する。
怒りと失望の行き場が「殺す」ことにしか見いだせない川島は
大切な人までも手にかけてしまう。
彼が思いとどまって殺さなかったのは、友人堀(堀靖明)だけだ。

今回改訂版として“ほぼ新作”のよう、と謳っているが
あまり根本には影響していないと思う。
元が強烈なので、周囲をいじっても根幹に変化はない感じ。
唯一、殺されなかった堀が面会室で川島と向き合う場面、
あれは良かったと思う。
「どうして俺を殺さなかったんだ?」と尋ねる堀に川島は答える。
「堀君の中の自分を殺すような気がしたから」

堀はただ一人、異常な自分の中に残された「普通の、健全な部分」を見ていた。
もはや「普通の自分」は、堀の心の中にしか存在しない。
堀を殺すことは、その自分までも殺してしまうことになるのだ。

奥田と川島が二人で、大きな包みをテーブルに置いたとき、
中から人間の首がたくさん出て来るような気がした。
が、転がり出てきたのは、大量のグレープフルーツだった。
ふたりはそれを片っ端から貪り食う。
享楽の果ての結末が、果実の苦味に重なる印象的なシーンだった。

川島が奥田と決定的に違うのは、殺人に喪失感を伴う事ではないか。
殺人者としては致命的な弱点かもしれない喪失感は、そのまま孤独につながる。
それはラストシーンに端的に表れている。




背中から四十分

5

背中から四十分

渡辺源四郎商店

吐露する男、吐露する女、見ず知らずの二人が
背中でつながるまでの謎解きに惹きつけられる。
斎藤歩と三上晴佳、まったくなんて役者だろう!
癒されていくのは彼の背中か、私の背中か・・・?
私の両隣の男性客がボロ泣きしていた。
深い揺さぶりに浸った1時間35分。


東北の場末の温泉地、ホテルの最上階8階の部屋が舞台。
案内されて部屋に入って来た中年男(斎藤歩)は、やたら金払いが良く、
ここで待ち合わせている誰かと頻繁に電話でやり取りしながら
連れの到着を待っている。
やがて待ちくたびれた男がマッサージを頼むと
女将(天明瑠璃子)やスタッフ(山上由美子)が止めるのも聞かずやって来たのは
大いに“ワケアリ”気味なマッサージ師、せつこ(三上晴佳)だった。
ここから命がけのマッサージが始まる・・・。

ホテルの部屋に入って来た時から、中年男の落ち着きの無さ、
自棄になったような金の使い方、無理難題を吹っ掛ける傍若無人ぶりなど
本来の彼とは違うキャラになっているような不自然さが目に付く。
それらが“絶望の果ての決断をした人間”に特有のテンションであることが
終盤、彼が心情を吐露して初めてすとんと腑に落ちる。

これはせつこも同じで、男の吐露に応えるように
せつこもまた問わず語りに心情を吐露する。
今日初めて出会った二人が、互いの絶望に共感した結果
誰にも言えなかった胸の内を吐き出し、共有する。
強烈な共通点が、時間を超えて人を結びつけることを見せつける。

洗練された役も似合いそうな斎藤さんが、
歩き方や姿勢に絶妙なくたびれ感を醸し出していて秀逸。
客と話しながらマッサージするのが身についているかのような
三上さんの自然な台詞回しが素晴らしい。
一体何があったのだろう、という興味が途切れることなく、
というかどんどん大きくなっていく展開の巧さは
畑澤氏ならではの台詞の面白さ、エピソードのリアルさ。

どんなに傷んだひとでも、きっと誰かに救われる。
誰かを救うと自分が救われる。

今日、マッサージしてもらったのは私だ。
背中から癒されたのは、私だったのだ。
ありがとうございました。






総評

 2019年は数を絞っての観劇となったが、結果的に”挑戦する”作品を5本選んだ。
MCRのみ再演だが、再演であることを忘れるほど衝撃的なテーマ。何度見ても戦慄する。

 温泉ドラゴンの「五稜郭残党伝」では怒涛の展開に巻き込まれる楽しさを堪能した。重く哀しいテーマを扱いながら”冒険”とか”活劇”という言葉を思い出させる舞台の勢いが素晴らしい。次の舞台が楽しみ。
 名取事務所の「屠殺人ブッチャー」は暗くスリリングなストーリー展開に引き込まれた。役者陣の負の熱量に感嘆すると共に、このカナダの作家を選択する主催者の視点を感じた。
 エポックマンのアイデアの豊かさとそれを実現するための追及の姿勢にいつも惹かれる。びっくりするような仕掛けとセットに、演劇の可能性を観る思いがする。
 渡辺源四郎商店のテーマの選び方、弱っちい人間に対する温かいまなざしが好きだ。絶望の淵にいる人間の挙動不審な様と台詞が切なくなるほどリアルで哀しい。

2019年、たくさんの感動をありがとうございました。
2020年も演劇によって人生が豊かになることを願っています。
 

このページのQRコードです。

拡大