前世でも来世でも君は僕のことが嫌
キュイ
アトリエ春風舎(東京都)
2017/12/14 (木) ~ 2017/12/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
①スパイラルする悪夢は夢か現か幻か❔いくつかのソレは無関係か繋がっているのか❔人生をやり直せるなら何処に戻るだろう❔戻れたら…うまいことやれるのか❔
ガラスの向こうの世界❔割られた硝子のような美術がルーレットのようにソコへ誘う。
続きは「ネタバレ」に。
ネタバレBOX
②人生はゲームのようにリセットできない。悪意と狂気と暴力が人生に開けた風穴は、じゃくじゃくと噛み砕くぬか漬けのように味わい深いものになるはずもない。繰り返される暴力のループは恐怖が麻痺して滑稽に見えてくる。笑うしかないのか😅
アゴラ劇場に向かう。まつもと演劇祭で観た『無風』の4番目の彼女がどんなことになっているのか楽しみでならない。
③千秋楽も終演したけれど言っておきたいことがたくさんある。まず最初に、これはかなりの秀作だ。それはリピートした方なら頷けるはず。初見で見えた可笑しさや恐怖もそうだが、破綻と歪みが細かく計算されている。音楽と美術の緻密さに唸る
④繰り返される悲劇のルーレット。それはまるでドラえもんのタイムマシンのように時を廻る時計。繰り返され、変化させることがユガミとヒズミを生み、正気が狂気に蝕まれることを、照明とBGMがスクラッチしながら教えてくれる。巧みな技だ👍
⑤特筆すべきはキャスティングの妙。ぶつかり合わない個性の彩り。この演者の並びが勝利🙆
バス🚌の中田麦平さんが最高に可笑し可愛い😁確かBGMゆらゆら帝国『できない』でのフリフリ💃ダンスがツボ😁👍
大竹直さんの失意と狂気も絶品。
⑥三人の女優さんも素敵。岩井由紀子さんの艶々の唇💋と絶望的なダンス💃にクラクラ。西村由花さんの溢れそうな白目と脳天を突き破る声に撃ち抜かれる。着衣の乱れた井神沙恵さんは反則😍だし、じゃくじゃく可愛いし、箸を運ぶ口元がヤバイ💘
⑦綾門優季さんの書く言葉は、決して言いやすい台詞ではない。なのに何故か心地いい。そして耳に残る。それは紛れもなく俳優さんのスキルの高さであり、演出家の得地弘基さんとの稽古の賜に違いない。それが世界の刺の塊となって迫ってくる。
⑧恐怖の瞬間がスパイラルしながら、善と悪の境界が摩耗してマーブル状に融合し、常識人が狂人と化す。世の不可解な凶悪犯罪が、こうして破綻した人格から生まれたとすれば…と考えて怖くなった。
彼女の最後の夢がハッピーでありますように。
髑髏城の七人 Season月
TBS/ヴィレッヂ/劇団☆新感線
IHIステージアラウンド東京(東京都)
2017/11/23 (木) ~ 2018/02/21 (水)公演終了
満足度★★★★★
①他のバージョンと比較してキャストのインパクトが欠ける印象は否めない。でも、出来映えは決してそうではない。千葉哲也さんと羽野晶紀さんの存在感は半端ない。中でも極楽太夫の羽野晶紀さんは同キャストの中で、役の持つ力を最も理解し、歌も身のこなしも抜群でウットリ😍
②羽野晶紀さんがこの劇団出身であることを何人の客が知っているのだろう❔TVで見るそれとは別人に思えるほどクールでスマートでパワフルだ。軽やかに動けて美しく歌う。
「何で~ッ❗」一発で胸を抉られ、涙が溢れて自分がビックリ。作品の胆を理解した優れた女優さんに敬服
③若手客演では天魔王の鈴木拡樹さんが気合いのこもった熱演で好印象。
それにしても劇団員の素晴らしさに感服。インディ高橋さんの出落ちにとどまらない笑いと情の深み、中谷さとみさんの美しいスタイルに裏打ちされたキレ味は、歌舞伎の見栄を切る姿に通じるカッコよさ💘
果ての踊り子
劇団晴天
王子小劇場(東京都)
2017/12/23 (土) ~ 2017/12/30 (土)公演終了
①まだまだ初々しい。それはきっと全員が同世代だから。その強みを生かしたテーマの作品。興味深い設定で趣旨主張も感じる。ただ、やや強引さはある。若さのドライブ感かもしれないが、個人的にはもう少し行間を埋めて欲しかった。
ワクイラズで観た近藤陽子さんが輝いてた。
②スタイル抜群の近藤陽子さんのダンス💃を期待していたが、予想外に(失礼❔)パンチのある台詞を発する新しい面を発見。
もう一人気になったのは永野百合子さん。白痴的な少女の不思議な魅力を好演。ダンス💃も綺麗。抜群の存在感。他者と違うアプローチで言葉に力を与えた🙆
グランパと赤い塔
青☆組
吉祥寺シアター(東京都)
2017/11/18 (土) ~ 2017/11/27 (月)公演終了
満足度★★★★★
思いつくままに「ネタバレ」に長ーーーく書きました。よろしかったらお付き合いください。
ネタバレBOX
なんとも幸せな135分だった。
そこに生きる人たちの姿は、人を信じること、自分を信じること、人生を信じること、未来を信じることの大切さ、そして家族の愛しさを思い出させてくれた。
人にはドラマがある。
目に見え、語られるものばかりではなく、心の奥底にしまわれているものもあれば、そこにはいない人たちとの関わりの中にもある。
離れて生活する家族の元に届けられる荷物から愛が溢れ出す。
それは家族本人だけでなく、その周囲にいる人へも向けられる。
そうした愛の連鎖が、人の営みの過ちや不幸を浄化すると信じさせてくれる豊かさに満ちた135分について、思いつくままに書き連ねてみたい。
昭和の東京オリンピック前後の高度成長期の日本。
敗戦国としてうちひしがれ、世界での地位向上を目指して焼け野原から立ち上がり駆け上る姿が逞しく、そして微笑ましく、でもどこか愁いを帯びて映る人たち。
そんな時代の愛しい人々の姿がノスタルジックに浮かび上がる。
作演出の吉田小夏さんが、曾お婆様からお母様までの家族の出来事をモデルに書かれた作品。
全編を通して流れる柔らかな空気は、演出家としての吉田小夏さんの姿勢そのものだ。
劇団の企画で稽古場見学の機会を戴いたとき、そこは優しさに満ちた人肌の温もりのような空気に包まれていた。
小夏さんはまるで保育士のように俳優さんと作品を見つめ、スタッフさんとは文字通りそれを育てる仲間として見守っていた。
稽古のトライアンドエラーにおけるリクエストも、世の巨匠と呼ばれる人が世間にもたらした演出家のイメージとはかけ離れ、シンプルで明確でありながら、実にソフトだった。
産み落とされた作品は、確かにその延長線上に立ち上がり、携わる全ての人の愛が芳醇に香っている。
劇場に組まれた美術は、まるで生まれ育った家が帰省した自分を迎えてくれているかのように温かく美しかった。
稽古場のあの平面にバミられた空想の世界は、見事なセットが組まれて、人が憩うかけがえのない家となってそこに確かに存在した。
豪邸であるけれど派手ではなく、豊かさと謙虚さが同居して嫌味がない。
これは、今作品において共感を呼ぶ胆であるように思う。
そして細部まで行き届いた照明の美しさが、家が有する幸福と、人々の機微を照らし出す。
一場ラストの僅かな時間の微かな明かりの変化が、確実に世界を変えてみせた。
それは、きめ細かな演出力とスタッフの技術の高さの賜物である。
衣装やメイクも時代を映し出す大きな要素。
高度成長を支える男たちの労働着、気品と華やかさのある女たちの着物、慎ましい割烹着、モダンで艶やかな洋服…どれも美しかった。
音楽は、特に歌への思いが明白だった。
これまでの作品も然り、吉田小夏さんはBGMよりも生の歌声に価値を見い出しているに違いない。
劇中のクリスマス会で歌われたあの歌は、稽古場見学の時にたくさん拝聴した唱歌『冬景色』だった。稽古のウォーミングアップで歌われたその曲に、こんな形で再会するとは思わずにいたので、まさにクリスマスプレゼントを戴いたような喜びに浸っている。
一つの家での二つの時間が紡がれる。
そこにずっといるのは女中のカズコの大西玲子さんただ一人。
その間にグランパとグランマ、運転手のコタロウは他界し、この家ももうすぐ取り壊される。
おそらくそれは戦後という時代の終焉と、高度成長の完成期となる時代の幕開けそのものだ。
今作品を牽引しているのは紛れもなく大西玲子さん。
これは視線のお芝居だと思う。
それを大西さんが体現している。
ところどころで慈愛に満ちた柔らかな眼差しや、「うふふ」を含んだお茶目な眼差し、時には苛立ちを押し隠そうとする強さも瞳に宿す。
最後?のお見合い相手が我が同業者だったことに胸を痛めるとともに、国語教師にあるまじき目の曇りように情けなくなる…ごめんなさい。
今泉舞さん演じるトモエが、両親への愛情欲求が満たされずに彼女の膝枕で呟く台詞がカズコの豊かさを表している。
一番好きなシーンは、小瀧万梨子さん演じる社交ダンス講師でBarの女ハルが、藤川修二さん演じる酔っ払いのコタロウを介抱する場面。
これも膝枕だ。
吉田小夏さんの作品には、水商売などの「夜の女」がよく登場する。
彼女たちに共通するのは粋で鯔背。
陰はあっても決してイヤらしさはなく、看板花魁のような眩しさを纏っている。
そう、彼女たちは女神なんだ。
男女平等を謳うウーマンリヴの現代社会ではお叱りを受けかねないが、彼女たちの立ち居振る舞いは美しい。
女性の地位向上は必要だし、そうあるべきで異存はない。
それでも彼女たちはオトコのプライドを上手に立てて、イイ心持ちにしてくれる。
それでいて手が届きそうで届かない、少し高嶺の花のマドンナの距離に居る。
なんとも男心を擽られる。
彼女たちの描かれ方には、作家吉田小夏さんからのリスペクトが感じ取れる。
容姿だけではない女性の美しさ、気配りやゆかしさに敬意を持って女流作家が書いていることに、むしろ女性としての誇りを感じて嬉しく思う。
今回の小瀧万梨子さんの巻き髪や口紅も、鼓動を早める艶やかさがある。
同時に、あの少し鼻を膨らませて口を尖らせた「おほほ」や「あらま」が溢れる表情が堪らなくチャーミング。
これだけ男心を擽られたら惚れずにいられる術はない。
最も泣けたのは女中ミヨと鳶の技術者コバヤシとの求婚を受けられない身の上話。
三人娘を持つ父としては、ミヨの父の気持ちが痛いほど解って苦しい。
二人の娘を連れて過ごした特別な時間の幸福と、アレに遭遇してしまった地獄。
戦争の是非や、加害被害の立場を超越して、語り継がなければいけないものがあることを突きつける。
ミヨの石田迪子さんの健気さと、コバヤシの竜史さんの一途さや実直さが胸を締め付ける。彼女を追うコバヤシの姿と、数年後の時間にミヨはいないことで、人生に負い目を感じている二人が幸せになってくれていると願う。
流れた時間以上に戦後から遠く離れてしまったこの日本は、いつのまにかまた戦前に入ってしまっているのかもしれない。
あの大戦を生き抜いた方々から直接お話を伺える時間は、もうそれほど残されていない。
今夏の中学一年生への宿題は「戦争体験者にインタヴューして新聞を書く」にした。
彼らには、この国が過ちを繰り返さないよう次世代に語り継ぐ役割を担って欲しいと思っている。
だから、あのシーンのメッセージは胸の深いところまで突き刺さった。
グランパの佐藤滋さんとグランマの福寿奈央さんを観て、やはり金は稼がなきゃダメだなと実感する。
金銭的余裕は心にゆとりを生み、人に優しくできる器を作る。
グランパの懐の深さは人を魅了する。
その姿から「男とは…」という永遠の命題に思いをめぐらせている。
大きな要素の一つは、男気と女心の掌握力にあると思う。
部下の成長を願うこと、仕事を任せること、部下の失敗を黙し責任を負うこと、言い訳や言い逃れをしないこと...そうした全てがグランパから中間管理職キムラ(吉澤宙彦さん)へ、若手技士ササキ(有吉宣人さん)へと受け継がれていく。
人は期待されれば意気に感じて頑張り成果を上げるもの。
役(責任ある立場)が人を育てるという。
人を育て、組織を育てるとはこういうことなんだ。
やたら「報・連・相」だと言って全てを把握したがる管理職の下で、人が育つはずがない。
現代の日本にどれほどのグランパがいるだろう。
重箱の隅の汚れを寄って集って突き吊し上げ、スケープゴートを求める現代。
マスコミ、ネットが作り上げたこの状況を憂うばかり。
彼らから、見習うべき男気が匂い立つ。
本物の男には素敵な女性が寄り添っているもの。
できる男に連れ添う女は、やはり気風がいい。
家族を救うために退職金の前払いを申し出たキムラに、瞬時に承諾するグランマの姿に器の大きさを感じる。
それはある種「極道の妻」ばりの格好良さだ。
登場する三世代の真ん中のタカコを福寿奈央さんと演じ分ける土屋杏文さん。
同一人物であることを思いながら観るのも楽しい。
大先輩と役を作るプレッシャーは如何ばかりか…と親心のようなものが芽生えたりもするが、これもグランパの会社同様の、劇団の男気、いや親心ではなかろうか。
期待に応えるように成長し、やがて柱となっていくのだろう。
教育や育成の壮大な夢計画…の実現を感じる。
最も心がざわついたのは、今泉舞さん演じる幼いトモエが父ジロウの細身慎之介さんからビンタを受ける場面。
幼い娘が叩かれるだけでざわつくのに、あんなにカワイイ娘なのだから余計にいたたまれない。
ましてや悪気がない失敗なのだから尚更だ。
今ならすぐにDVだなんだと大騒ぎになる。
ただ、ジロウも真っ直ぐな男で、その主張も解らないではないというギリギリを攻めてくる。
その上、トモエの素晴らしさを盛大に褒め称えてみたりするのだから面倒だ。
マスオさん的なポジションのジロウの、その面倒くささをみんなが受け入れている希有な家庭という小さな社会。
刺々した空気を中和してくれていたのが代田正彦さんのマツシマと、田村元さんのヤマムラ医師。
何よりトモエの可愛らしさを見事に演じきる今泉舞さんに脱帽するしかない。
グランパと並んで双眼鏡を覗く時に脚を肩幅に開き、はしゃぎながらも囁くように返事する様子が堪らない。
彼女の可愛らしさをMAXに引き出した、小夏さんの見事なリクエストの勝利と言えるだろう。
「言葉はレンズと同じだ」という台詞に勇気を貰った。
遠くにある見たいモノを大きく見せてくれる魔法。
どんよりとしてボンヤリとしている靄の向こうにあるモノを捉えてくれる魔法。
そのモノはきっと明るい未来であり、希望であり、叶えるべき夢だ。
それを捉えるために言葉を磨かなければいけないことを教えてくれる。
悩める中学校国語教師の背中を押してくれていると勝手に解釈している。
ありがとう。
明日もう一度、素晴らしい作品と135分過ごせる喜びに胸を躍らせている。
そんな中で唯一、欲を言わせて戴くなら、グランパと呼ばせる理由はもう少し違った形で明かされたいなぁと思う。
さぁ、おさらいだ。
もう少し頑張って生きなきゃな。
田園にくちづけ
ブルドッキングヘッドロック
ザ・スズナリ(東京都)
2017/09/22 (金) ~ 2017/10/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
公演が終了していますので、気にしなくていいのかもしれませんが、とにかく長い感想を書きましたので「ネタバレBOX」の方にUPします。よろしかったらお付き合いくださいませ。
ネタバレBOX
「記憶は思い出す度に強化され、思い出し味わい直すほど鮮明になる。」
そんな台詞があった。
千秋楽から三週間が経ち、消えずに積もった思いは、熟成され旨味を増したと感じている。
そして、大きく二つの思いが発酵し始め芳醇な香りを広げている。
食と家族のことと、マイノリティとコミュニティのこと。
それを今、味わい直してみたい。
「くちづけ」…憧れのkiss。
なのにそれが、口を付ける=食事をする…でしかない美男美女が現れたら…。これは文化の違いによるカルチャーショックの比では無い。
さらにそれを「美味しい」とか「不味い」と評価されたら、我々は「上手い」と「下手」のテクニックの問題だと勘違いする。
それはもう、アイデンティティを揺るがす大問題だ。
そんなギャップが、世の中の「常識」や「当たり前」や「普通」、そして「道徳」や「倫理」といった物差しに個人差があることを突きつける。理解しようとしても埋まらないその感覚に「正義」の判断が伴った時、生じる摩擦は大いに人を苦しめる。
相手を大切に思う人物のその姿は痛々しく、胸を締め付けられる思いがした。
懐かしい味…田舎の味…おふくろの味。
どれも旨いものとして好意的に響く。もしそれが、かなり残念な味だったら、それはやはり不幸なことなのだろうか。
食事の栄養が身体を作るのと同じように、母親の手料理が心を作るのかもしれない。
他界した我が母の料理(新メニュー)は最初が一番旨かった。
何度か作っているうちにいろんな手を加え始める。だんだんと味が変わっていき残念に思ったことを思い出した。
でもそれは不幸ではなかった。
母も幹枝(深澤千有紀さん)も、おそらく同じ気持ちなのだと思う。
「作ってくれてるんで」という息子(浦嶋建太さん)と夫(永井秀樹さん)は黙って食べる。残念な味は大量の調味料で包み込んで。
娘(山田桃子さん)は反抗期でジャンクフードばかりに手を出し幹枝の怒りを買ってしまう。
そんな彼女が、兄を誘惑する女にクギを刺すのは、同じ「家族を思う」気持ちに他ならない。
これは全て「愛ある残念な味の母の手料理」によって育まれたもの。
農家を継いだこの次男夫婦と他界した父親が暮らした田園の中にある「家」が、かつてあった日本の家庭の姿として温もりを持って迫ってくる。そこに家長としての男の自負のようなものも感じる。
次男でありながら兼業農家として家と田を守ってきた草次(永井秀樹さん)の毎日の葛藤や、父への尊敬の念と喪失感が、冒頭の、縁側に座り空を眺める抜け殻のような姿に凝縮されている。
その背中を見つめる人たち。
あの、時が止まったような静かなシーンがなんとも美しかった。
伏せっていた父が他界した日から物語は始まったが、この父の存在感がなんとも偉大だ。それはまるで、大きな愛でできた蚊帳で家族を包み込んでいるよう。
自由気ままに蚊帳から転がり出てしまった長男(吉増裕士さん)も、実はまだその中にいる。長男に代わって家を継いだ草次が、兄を立てつつも心配している姿の中に父の思いも映る。
奥手の三男(寺井義貴さん)の恋愛を見守るのも同じこと。
こうした姿が、新米で握った塩むすびにだけは「余計なことはするな」と嫁に唯一の注文を付けた亡き父の大きな愛情を浮かび上がらせる。
ラストの草次の「うまい…」に深みと味わいを与える。
日本人は、やはり米だ…と思う。
「田園」…の風景は、肥よくな土壌に育った広大な田畑を思い浮かべる。
それは、東京と地方との格差の問題への警鐘も含まれているように思う。
居心地の良さは距離に関係する。物理的な距離と心の距離。
その距離と心地良さは比例しているとは限らない。
年齢によってもその感じ方は違うものだし、一定であるはずもない。
そこで必要なのは言葉であり、言語だ。標準語は無機質でカラッとしているように感じる。それに対し方言や訛りは何だか人肌の温もりを感じる。電車に乗って帰省する時、故郷に近づくにつれて車内の空気が変わってきて『嗚呼、帰ってきたなぁ』と感じるのは、そこで交わされる言葉の変化によるものだ。
この作品には三者がいる。
ずっと田舎に居る者、田舎を出て東京へ行き戻ってきた者、東京から来た者。
それぞれが違和感や疎外感を感じるのは仕方ない。同じ立場の者に親近感や安心を抱くのも人情である。
田舎は隣の家までの物理的な距離は遠いだろう。けれども心の距離が何とも近い。それを東京から戻ってきた者が最も強く感じているに違いない。
作品の視点であろう草次の息子の耕太(浦嶋建太さん)はそれを好意的に感じているように思う。
三男の竹三の見合い相手でミステリアスな空気を纏う美女の伊織(山本真由美さん)は、嬉しさと違和感を感じているように見える。
孤独の闇を持つ彼女は東京に戻るのか、ここに残るのか。それが正に地域格差への回答のように思う。何を選択したとしても、寂しさの滲む伊織の幸せを願わずにはいられない。
くちづけが食事の日暮(吉川純広さん)と穂波(葛堂里奈さん)は、ある意味奇病を持っていると言える。あるいは記憶を餌にするエイリアン的な未確認生物。実際の設定はわからない。
彼らは身を隠して生きることを強いられる逃亡者に近い。それはかつてのハンセン病や、最近ならHIVなど。日常で言えばイジメもそれだし、歴史的には身分制度や同和問題もそうだ。さらには同性愛や性同一性障害なども含むマイノリティの苦しみにも思えた。
彼らの未来を案じる川面(瓜生和成さん)が「特殊な生き物だと思われながら暮らす…」ことの苦しみを案じ、「そんな目で見ないでいただきたい」と静かに、それでいて揺るぎない強さで話す言葉が、小さな棘のように胸に刺さり、ゆっくりと確実に深いところへ沈み化膿し始めている。
学校教育の現場には、普通学級と特別支援学級のボーダーにいる児童生徒が少なからずいる。その児童生徒本人ばかりでなく、家族が「そんな目」に対してどれほど恐れているのかを、理解しているつもりで全く寄り添えていなかったのではないかと恐くなった。
川面は「おっぱいをあげるような感覚」と表現した。親身になることをこれ以上的確に捉えた言葉はないだろう。
我が家に双子の娘が生まれたとき、彼女たちは2000gそこそこの未熟児で保育器に入っていた。周りのベビーベッドには健康そうな赤ちゃんが並び、その家族や親族がガラス越しに嬉々として眺めている。そこで保育器を覗き込み、未熟児の父がいるとは知らずに憐れむ。その声を聞き空気を感じながら『いやいや全然大丈夫だから』と思うのと同時に、「そんな目」で見られていることに僅かな苛立ちと、彼女たちへの不憫さを感じたのを思い出した。
千秋楽のカーテンコールで、客演の永井秀樹さんに呼び出された主宰の喜安浩平さんの挨拶が、劇団の現在地を示しつつ、活動の姿勢を伝える素敵なものだった。
客演の功績を讃えた上で、劇団員の頑張りと成長を喜び、今作に出演していない俳優の作品に関わる姿勢と、スタッフの力を誇る言葉から、井出内家の家長として一家を見守った父のように大きな蚊帳で包み込む劇団への愛を感じた。
美しいセットと照明と音響の中で、キャストが確かに活き活きと生きていた。優れた俳優を招いて上演すれば、どうしたって劇団員が割を食う。それはいたしかたない。だからこそ、短い出演時間であっても存在感を示し得る役柄を劇団員に当て書きする喜安さんの脚本と演出に敬服する。
冒頭の鉄矢(竹内健史さん)がその最たるもの。あのカレーの話しから腰砕けで膝から崩れ落ちるまでの日暮とのシーンに、今作で展開される全てのきっかけが詰まっている。あっという間に客席が作品世界に飲み込まれていく圧倒的なエネルギーを感じた。
劇団員の一人ひとりがまた、作品に貢献すべく様々な仕掛けを施していて、隅々までご馳走が詰まったおせち料理に仕上がっていた。
例えば、出落ち的な風貌で切り込んできた真木志(高橋龍児さん)は庭に吐き出された浅漬けを弔い、生徒の穂波に心奪われた常川先生(猪爪尚紀さん)は川面の追求から逃れる去り際に襖の間から僅かな視線の動きで後ろ髪引かれる思いを可視化した。
一人ひとり挙げていけばきりがない。
そうした劇団員が持ち寄った燦めきの粒が、作品に力を与え輝かせていた。
特筆すべきは、今回出演されなかった劇団員が劇場グッズコーナーに立ったばかりでなく、稽古期間に街へ繰り出しフライヤーを手渡すイベントを何度も行っている。
もちろんフライヤーは永井幸子さんのデザイン。ビジュアル的に目を引く素晴らしい出来映えであるのは言うまでもないが、公演を観てから改めて見ると、その的を射た見事な作品である事実に驚愕する。ちなみに赤い唇の美女は…吉川純広さんであることにさらに驚愕。
畏れ入った。
長々と書いた。
書き始めてから既に三日が経つ。
それでもまだ書き切れなかった思いはあるし、うまく言葉にできていない感も拭いきれないが、それはもう仕方ない。
とにかく、随分と久しぶりに、公演を観て心に刺さったものや染み出てきた思いを書き残しておきたいと思う作品だった。
食卓を囲む家族を舞台に、優しさと可笑しみをちりばめ、劇団員の総力が結集された秀逸な作品『田園にくちづけ』。
おかわりを下さい。
バルバトス
TABACCHI
小劇場B1(東京都)
2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了
開場前に長蛇の列で、満席の賑わい。タイトルからは気づかなかったけれど、大好きな某戯曲だった。アレをこのサイズの劇場で上演する挑戦を見届けた。
これから観る人は絶対に上着か羽織るものを持つことをオススメします。
鎌塚氏、腹におさめる
森崎事務所M&Oplays
本多劇場(東京都)
2017/08/05 (土) ~ 2017/08/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
やっぱり楽しい。このシリーズは毎年上演して欲しい。演劇界の寅さんシリーズを目指して欲しい。
今回は大堀こういちさんがピカ一だな。
あいだヶ原のほおずき祭り
FunIQ
Ito・M・Studio(東京都)
2017/08/07 (月) ~ 2017/08/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
今城文恵さんて、こんな面白い本を書く人なんだ🎵お盆前の上演を基準に書いたのか、構想を基に期日を選んだのか……前者だろうな。本の出来同様にキャスティングも見事だった。このユニットは毎回キャスティングが素晴らしい。今回の女優陣も👍目当ての安川まりさんは天才の領域。開いた口が塞がらない😆初めて拝見した和田碧さんも不思議な魅力を感じた。声が低めで素敵だ🎵このユニットの旗揚げ公演で知った石澤希代子さんも無二の存在。居場所のない悲しさと愛されたい思いが見事👏誰にもない空気を纏っている稀有な女優。西岡未央さんの艶っぽさにドキリ💓熱情を秘めた冷静さと柔らかさの中に、覚悟と微かな絶望が香った。
もう一回観たいなぁ。
業音
大人計画
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2017/08/10 (木) ~ 2017/09/03 (日)公演終了
記憶って曖昧だなぁ。同時にインパクトの強かったシーンを元に勝手に歪曲して記憶させているのかもしれないなぁ。オープニングのインパクトは変わらない❗時事ネタは15年分の歴史が感じられた。舞台がキレイだった。
エリザベス・マリーさんに目を奪われた。ダンスの美しさは勿論、存在自体が観念的で官能的。もしかすると、作品世界を一番伝えていたかもしれない。綺麗な顔立ちは彫刻のようで、豊かなヒップラインは男心を掴んで離さない
サマデーナイトフィーバー
20歳の国
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2017/08/07 (月) ~ 2017/08/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
夢の世界。夢のような時間。あんな時間を持っていたら強いよなぁ。一生戦える気がする。高校のいろんな場所で、いろんなことがあって、恋して傷ついて、何かを手にして…己の足らぬを知る😏
国王竜史さんの俳優へのリスペクトを感じる。優しい人だ。全てのキャストにスポットを当てる。それが、誰にだって人生があり誰もが主役であることを示す。
キャストを観に行く人、ハズレ無し👍楽しめます🙆
ルート64
ハツビロコウ
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2017/08/05 (土) ~ 2017/08/11 (金)公演終了
満足度★★★★★
本当に手作りの演劇がそこにある。演劇に携わる全ての人が観たらいい。作品を作るということ、上演するということ、客席に届けるということの何たるかを知るはず。受付、誘導は勿論、演じながら音響と照明も操る。俳優ってスゲ~なぁ。岩野未知さんは受付・諸注意までの表情と、暗転して開演後の輝き✨が尋常じゃない。美しさと輝きのステージが上がる❗誘導していた松本光生さんの柔らかさと劇中の殺気の変貌も同様。四人の焦りや葛藤。人間らしさが意外だった。頭がキレるのに、用意周到に情報収集しながらも曜日を確認できないという欠落の不自然さが逆にリアル。唐突な終演…もう少し観たい…と思えたのは、作品に引き込まれた証し👍
元天才子役【いよいよ千秋楽!当日あります!】
元東京バンビ
スタジオ空洞(東京都)
2016/11/25 (金) ~ 2016/12/05 (月)公演終了
バカバカしさが超一級品
何ともバカバカしい作品で、ゆる~く笑ってゆる~く観劇した。タカハシカナコさんがいるだけで幸せ。今回は女役ながらも、社長という肩書きのなせる技なのか、とても男っぽく荒々しく思えた。加藤美佐江さんのダンディーさはその上をいく👍 この二人が牽引する逞しさと、可能性👍 そうした作品において、中村英香さんの色気が匂い立つ。衣装はほぼジャージなのにあの艶っぽさは何だろう⁉異彩を放つ❗ そのビジュアルで毒を吐くのだから堪らない。豪快なコントを観た気分。
ま○この話~あるいはヴァギナ・モノローグス~
On7
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
1ヶ月経つ節目に
思うことをブログに書いたモノを「ネタバレ」に貼ってみました。なので、ここにはオンタイムで感じたことをつぶやいたツイッターを貼っておきます。◆初日。ついに観たよツイート。美術が素敵だった。ショーのウォーキング👠でのオープニングで、一気にテンション上がる❗キラキラ✨オーラは流石は女優😘2時間とは思えない濃厚な時間。嬉し恥ずかしから、心抉る告白まで。彼女たちと生きてみたらいい。◆音楽の選曲もイイ🎵 マイルス・デイビス🎺もイイ。ワタシの結婚式の乾杯時に使ったビートルズ「愛こそはすべて」が見事にハマる。そして、短いけれど『ディアハンター』の曲が絶妙で鳥肌❗◆一番イキイキして見えるのは宮山知衣さん。「ヴァルヴァ・グラブ」もそうだけど、全編感じる。他のモノローグを聴く姿が7人みんな素晴らしい。その中で、宮山さんがとても優雅。そして楽しそう。自然と目が行く。視線を奪われるんだよなぁ😌◆渋谷はるかさんは揺るぎない世界を持っている。一瞬にして飲み込む。息を呑んで、彼女が身を削るように絞り出す言葉に耳を傾ける。道徳的通念によって刷り込まれた性への関心に対する嫌悪に身を焦がし、もがき苦しみ、そして恐る恐る手探りで自分を解放していく…その告白から血の滲むような心の痛みが伝わってくる。渋谷はるかという女優さんの真骨頂。ヒリヒリする時間だ。このモノローグを体感するだけで価値がある。男としてどうあるべきかを考えよう。マスターベーションのようなSEXではいけない❗男よ立ち上がれ❗◆女性が純粋に快楽を求めることがあってイイ。当然の権利だ。それをしっかりと認識させられ…少しの動揺を自覚した。ベッドを共にするなら、互いの快楽を享受できる行為でなければならないのだなぁ。反省と責任が渦巻く🌀◆小暮智美さんは、シーツを闘牛士のように翻し、見事に行為を立ち上がらせた。右足がまるで別のイキモノのように饒舌。立てた赤いソフトチェアに首だけ乗せて、クリトリスだった人とは思えない😁◆最も酷しく聴く人の心に刺さるモノローグで、吉田久美さんをひとり残す演出は酷だったが、抗えない状況と恐怖を連想した。シーンとして痛々しさを感じた。◆老女の保亜美さんが話途中で帰ろうとするのが可愛くて可笑しい。彼女が閉ざしてしまった人生を思うと泣けてくる。尾身美詞さんのアレは会場中が大ウケだった。楽しんでやるしかないだろうけど…思いきっなぁ。美詞さん、クセになるでしょ⁉◆安藤瞳さんが舵取り役。全編を通して、サウンド・オブ・ミュージックのマリアのポジションだな。◆取材、アンケート、独白を元にしたテキストは、演じる者にも観る者にも痛みを与える。彼女たちはその痛みを体感しながら語る。そして、自らのモノローグを迫られる。まさに身を削って板に立っている。彼女たちの覚悟を目撃した。◆2回目での最大の発見は、吉田久美さんを残して出ていく6人のこと。舞台に後ろ髪を引かれながら扉を閉める様子に恐怖を感じた。彼女が語るのは、慈しみと嫌悪、清らかさと穢れ、愛情と憎悪、安らぎと恐怖…それらが引いたり押し寄せたり、割り込んだりしながら語られる。その支離滅裂にも思える文脈の混乱が、彼女の肉体と精神を破壊したことを物語っている。ある意味、彼女は生きながら死んでいる。いつか、平和で美しい村を取り戻せることを願う。◆前楽。観納め。3回観て解った。物語は舞台の上で生まれているという真実。上演すること、回を重ねることでドラマが生まれてる。◆「お怒り」の赤裸々告白に、メンバーも自分自身も突き動かされ、作品も人生も歩み出す。それが他のモノローグを変えていく。キャストとモノローグがどんどん一体化していくのが見える。初日で既に高みに立っていた渋谷はるかさんに引っ張られたのも間違いないが…吸収してどんどん変化し向上し同化するキャストに敬服。安藤瞳さんが圧巻。「毛」の立ち姿、その語りかける温度と響きに神が宿っていた。その神は13歳の彼女にもちゃんといて…マリア様に抱かれていると思った。◆劇団のように「方向性を定め、色を持ち、こんな作品を作る」というコンセプトではなく、可能性を探り様々なタイプの作品に挑戦してみる。だから、次はどんな姿を披露してくれるのか、どんな作品に出会わせてくれるのか、彼女たちの七変化から目が離せない。◆そんなオンナ7人の七変化を応援しょう。次はどんな色の彼女たちが観られるのか、考えただけで楽しいではないか。演劇の大海原に航海するOn7が作る引き波は美しく広がる気がする。そう、彼女たちはまさに演劇の宝船🚢に乗る七福神👼
ネタバレBOX
『ま○この話』終演から1ヶ月。あの興奮を、この節目に少し落ち着いて記しておこうと思う。
何故、麗しき7人の女優たちがこの戯曲に、そしてこの邦題を立てて上演したのか。
それを書き出すと、On7結成の趣旨まで遡らなければならないようなので、
それはまた別の機会にすることにしよう。
だから、今作品に感じたことのみを…
既に前置きが長いな。
それでももう一つ、先に触れておきたいことがある。
それは、今回、公演の1ヶ月前に1週間に渡るワークインプログレス(以後WP)を開催したこと。
台本の初読み合わせを公開し、
美容講座なども開催し、
最後に成果発表と題して、通しに近い稽古を公開したこと。
それを拝見する機会を得たが、もうかなりの形を成していたことを公演を観て理解した。
それはつまり、7人が戯曲に対して深い理解を既に持ち得ていたということと、
演出の谷賢一さんが7人の思いを大切にして作品を構築してくださったのだろうということ。
もちろん精度の問題はあるが、WPで拝見したそれが、本当に見事に舞台で披露されていて驚いた。
それと同時に、
稽古開始に合わせてWPを開催することやクラウドファンディングに取り組んだことなどから、
観客も含めた多くの人と関わり共有しながら創り育てていこうとする
彼女たちの姿勢を拝見することができた。
それは作品と演劇そのものに対する愛情に他ならない。
その愛は紛れもなく、わたしたち演劇を楽しむ観客にも向けられている。
そんなOn7と彼女たちの作品を”好きにならずにいられない”。
■開場■
劇場に入るとセットを目にする。
同時に客席の形状及び舞台の形状を知る。
それはまさにファッションショーのランウェイだった。
いま流行のアリーナ級のそれではなく、
アトリエやギャラリーで開催されるような洗練されたコレクションのそれだ。
これはキャストに対する、いや果敢にチャレンジする7人に対する
演出家からの敬意だったに違いない。
そしてそれは、きっと全女性に対しても向けられているのだと思う。
■オープニング■
美しく着飾って、メイクを決めた7人が力強く登場する。
そうだ。
オンナは美しく鎧を纏って戦闘モードに入っていく。
世の理不尽に戦いを挑む。
スーパーモデルよろしくポーズを決めて客席に笑顔を振りまくキャスト。
それは歌舞伎役者が見得を切る姿にも見える。
その中央で一人、安藤瞳さんが絶望した表情をしている。
或いは疲弊した表情だ。
彼女が投げ上げたパンプスが全女性に向けた「いざ出陣」のメッセージであり、
全男性及び社会に対する宣戦布告の狼煙だ。
それを合図に、彼女たちはまるでプロムの大学生が帽子を投げ上げて卒業を喜ぶ時のように
自らの戦闘服を剥ぎ取る。
吊された衣装を降ろしステージで着替えさせる演出は、
谷賢一さんの故蜷川幸雄に対するオマージュだろうと勝手に思っている。
そうして彼女たちはオーディエンスの前で普段着の自分…
つまり素の自分を曝け出す態勢を整える。
そう、これは真実を解放する戦いだ。
さぁ、いざ勝負。
★ただ、このあと客席に「~ですよね。」と語りかけるのだが、
この語りの方が着替えを見せることよりよっぽど恥ずかしく、
今作で最も難しいシーン及び台詞だったのではないだろうか。
少なくともわたしは、こそばゆくて、一番直視できないシーンだった。
■毛■安藤瞳さん
作品中、通して、安藤さんがコンダクターを担う。
その彼女が口火を切る。
夫の性癖による剃毛強要という性的虐待。
そこから派生する夫の浮気。
そこに、欧米では珍しくない性交渉に関わるカウンセリングが一石を投じる。
女性セラピストからの理不尽な提言を一人三役で再現する様が滑稽だ。
その如何にもな雰囲気のセラピストと、
提言をご褒美と捉える夫の、剃毛に没頭して流血にも気付けない様から受ける絶望と激痛。
一人芝居の質が上がれば上がるほど、
その可笑しさと彼女の絶望とのギャップが浮き彫りになり切なくなる。
●男の愚かさが嘆かわしい。
■大洪水■保亜美さん
メンバーが保亜美さんにスカーフを巻き付けたりスタイリングして老婆を作り上げる。
仕上げは90度近く折った腰。
見事に可愛らしいお婆さんが現れる。
自身の女性器についての話を求められた老婆の恥じらいと苛立ちを、
悪態を吐くことと逃亡しようとすることで立ち上がらせた。
逃げようとする彼女を引き止めるメンバーが(引き止めることを楽しんでいる面も含めて)可愛い。
話を聞く様子が回を重ねる毎にオーバーアクションになっていったが、
老婆の話を有り難く聞き入るという関係性が見えて微笑ましい。
保さんが発する「地下室」や「閉店」という言葉が、恐怖と絶望、そしてトラウマを感じさせる。
話し終え立ち去る彼女。
袖で腰を伸ばし老婆のベールを脱いで、初めて人に話したことを告げる。
その後ろ姿に鼻の奥がツンとする。
彼女は何十年も縛られていた苦しみから解放されたのだろうか。
あの後ろ姿の持つ意味は、まだもう少し宿題にしておこうと思う。
●男の度量が女性の幸不幸を決めることを実感し、身震いする。
■ヴァギナ・ワークショップ■渋谷はるかさん
個人的に一番辛いエピソード。
男としての責任というものを考えさせられる。
人間に与えられた快楽。
男は行為の最後に絶頂を手にする。
しかし女性は必ずしもそうはならない。
その理不尽を突きつけられ愕然とした。
果たして充分に理解している男はどれほどいるだろうか。
女性がそれを手に入れるスイッチを、倒したソファーに顔を乗せて表現する小暮智美さん。
可笑しいのだけれど、それでいて神秘的。
渋谷はるかさんが語り始めると、会場の空気が一変する。
理想の女性像と、自分の奥底にくすぶる欲望と、満たされない苛立ちが溢れ出す。
そうした感情が呼び水になって、身体的欠陥者ではないかという恐怖と、
「中心」発見の驚きと安堵のカオスが生まれる。
戸惑いの果てで、
すべてと繋がったと語る恍惚の表情の中に、彼女と渋谷さんが一つに融け合って見えた。
いつでも快楽に手が届くという安心、いや余裕を手に入れた彼女に、
もう男は太刀打ちできない。
渋谷さんは毎回あのピリピリの緊張の世界へ連れて行ってくれる。
感服。
●男よ、独りよがりではいかん。奉仕せよ。
★余談だが、ソファーで見守る宮山知衣さんが妖艶で困った。
■彼がまじまじ見るから■小暮智美さん
WP時と比較し、最も進化したパートではなかろうか。
WPで小暮さんが客イジリにトライされ、その相手に選ばれたことは光栄で幸福だった。
それでも、男とのやりとりを一人芝居で再現した本公演は見事だった。
出会いから発展への不自然さも、男の性癖も、
小暮さんの絶妙なデフォルメで上質なコメディに仕上げられた。
あの右足は生きていた。
命を宿したと言ってもいい。
シーツを巧みに使い、潜った男を魅力的にした。
客席の男たちは皆、男に感情移入して興奮したはずである。
可笑しいのに、堪らなく淫靡だった。
BGMもエルビス『好きにならずにいられない』で始まって、
ビートルズの『愛こそはすべて』で締める…というか歓喜に沸かせる
という流れが見事な演出だった。
●男の拘りも、共有できるモノなら可愛い。
★余談だが、椅子を抱いてSEXを連想させるシーンで、
小暮さんがバックを披露しようとした回があって度肝を抜かれた。
大笑いした。
身を削ってチャレンジしてみせる彼女の、作品に賭ける情熱に敬服する。
■おまんこ様はお怒りである■On7
このコーナーの持つ意味・意義は大きい。
パーソナルな主張や告白であるからこそ、人の心を打つ。
稽古を積む中でトライ&エラーを繰り返し整えてきたのだろうが、
実際はどれくらい自由が与えられていただろうか。
ゴングにパフォーマンス性があったにせよ、「言わせろ!」感は増長され、盛り上がった。
また、7人が互いの主張や告白に影響を受け、支え見守る姿が美しく印象的だった。
★このコーナーを全公演収録してないのだろうか。
7人の全ての叫びを拝聴したかった。
『DVD特典 全公演のお怒り収録』なんてものがあったら、かなり売れただろうに。
■私のヴァギナ、私の村■吉田久美さん
最も重い話で、聴衆の心が最も痛み軋むモノローグ。
秋元松代の『マニラ瑞穂記』という作品に
「オンナだって戦ってるのよ!」というような台詞があった。
それは戦争の最前線で戦う男たちをカラダで慰め、力づけながら稼ぐことを意味していたが、
これはその対極だ。
レイプによって引き裂かれた肉体と精神。
その恐怖を表すべく、6人が吉田久美さん一人を残して出て行く。
大きな音を立てて閉められた扉が恐怖を増加させる。
このモノローグだけはたった一人だ。
吉田さんは、健全だった村とカラダ、陵辱された国とカラダのことを混濁させて語る。
混乱し脈絡を失った話と嘆きが白痴に見せる。
ハムレットの愛を失い発狂したオフィーリアのよう。
あのセットと照明、そして「今は別の場所にいる」という台詞から、
彼女が個室病棟に収容されていると連想し震えた。
万華鏡のように表情を変え、感情の起伏の激しい彼女を生きること。
それが数分であっても、吉田さんの心身にかかった負担の大きさは計り知れない。
●男は野蛮で無慈悲で愚かだ。男であることが嫌になる。
■”ヴァルヴァ・クラブ”改め、ミホトの会■宮山知衣さん
このモノローグを『ミホトの会』と改名した谷賢一さんの功績は大きい。
今作品には、
「ヴァギナ」という女性器名称を「まんこ」と呼ぶことに躊躇するということが根幹にある。
その苛立ちや困惑を解消する提案であり、目から鱗が落ちる思いだ。
ましてや古事記にまで遡った日本古来の言葉によるという神話っぽさが、
愛着を抱かせるのに申し分ない。
「美火戸」漢字もイイ。
黒魔術のような儀式を行う不思議少女を宮山さんが怪演。
「ミヨコ~トゥミトゥミ~レイジ~ポコタ~ン」は今でも頭をグルグル回っている。 ちょっと舌っ足らずの幼児言葉で甘えたように喋るノリノリの宮山さんがツボだった。
これまでのイメージを完全に打ち破った。
「ミホト」に巡り会ったときの表情が可笑しすぎ。
座席番号A列6番(付近)の男性に迫る件にも驚いた。
★わたしも一度その席に座る幸運に恵まれた。
しかし、あまりの速さに気づいたら目の前でアワアワした。
何も出来ぬまま(しちゃダメだけど)一瞬のうちに行ってしまった。
嗚呼、もっと堪能したかった。不覚。
●男も一緒に楽しんであげられれば平和で幸福なんだな。
■まけるな!ちっちゃなクーチ・スノーチャ■On7
一人の成長を7人で追った。
悪戯(触ること)を我慢した渋谷さんが超キュート。
ベッドのスプリングでハプニングの保さんが可愛すぎで可笑しすぎ。
衝撃の事件で座り込む小暮さんの可愛らしさが、会えなくなった父親の気持ちになって切ない。
そこからの転落期が悲惨すぎて息苦しい。
彼女を救ってくれたのは神や宗教ではなく、友達でもましてや男でなどあるはずもない。
メシアは綺麗なお姉さま。
それもその世界でしか生きられないようにしたのではなく、
ノーマルに(バイ込みで)導いてくれた。
体操?で息を切らしてママに秘密を持った安藤さんが素敵。
そして転落期の小暮・尾身ペアがみんなに労われ祝福されているのが微笑ましく、
父親気分で安堵した。
●男ってちっちぇーな。
■ヴァギナを喜ばせし女■尾身美詞さん
最も華やかなコーナー。
その華やかさに紛れているが、男の不甲斐なさが前提にある。
それを補う救いの手は女性である事実。
結局、女性を悦ばせることが出来るのは、自分自身か同性。オトコよ目覚めろ。
覚醒したのは尾身美詞さん。
真っ赤なドレスが眩しい。
それでガーターベルトと黒い下着が露わになることも厭わず、
何パターンもの喘ぎ声をレクチャー。
尾身さんは恥じらいを見せず、楽しんでいるように見える。
それはまるでスポーツのよう。
彼女を取り囲むSPのような黒服にサングラスのブレーンがカッコイイ。
そのくせ舌なめずりしたり頷いたりする姿が可笑しすぎる。
一人、インテリ女性秘書風なメガネの宮山さんが輪をかけて可笑しい。
6人の可笑しなサポートが卑猥さを軽減し、エンターテイメントに転化したワザだ。
●男って…バカだなぁ。
★それにしても、どこまでが戯曲にあり、
ネコ型ロボット系を筆頭にどこからがオリジナルなのだろうか。
また、メンバーで「こんなのは?あんなのは?」とレクチャーし合ったことを想像すると
笑ってしまう。
■私はそこにいました■安藤瞳さん~On7
女性であることが厳かで神秘であるモノローグ。
唯一、他者としてのモノローグ。
妊婦と新しい命を慈しむ安藤さんの柔らかな言葉と表情が神々しい。
セットと照明がステンドグラスを思わせ、まるで教会の中にいるよう。
7人が愛を繋ぎ、言葉をリレーする。
やがて、モノローグの視点は胎内の人へと移る。
舞台中央には小さなスポットライト。
これは、差し込む「きらめく光」だ。
それが脈打つように微かに広がったり狭まったりしている。
つまりそれは「社会の窓」だ。
「社会の窓」は男のズボンなんかには無い。
母となる女性の美火戸だ。
果たして君の瞳に「きらめく光」の向こうの世界は、どう映るのだろう。
わたしたちは、どんな世界を用意しているのか、もう一度顧みなければならない。
両手を広げて迎え入れるのなら、その責任について考える必要があるはずだ。
●男は、ただオロオロとして、祈るしかない。
これは奇跡の公演だ。
同じキャストとスタッフで再演したとしても、絶対に再現はできない。
なぜなら、生き、生活していることの全てがダイレクトに影響を与える作品であるから。
7人が抱える問題は解決したり変化し、また新たな問題に頭を悩ませているだろう。
だからこそ、その時の生き様を晒す公演として、いつかまた披露してくれることを期待したい。
On7第3回公演。
0回公演を含めれば4作品と番外のパフォーマンスを合わせても、
一つとして同じ色、同じ匂いのするものがない。
On7七変化。
それこそがOn7がOn7 たる意義であり所以だ。
次はどんな新しい顔を披露してくれるだろう。
七変化を超えて、二十面相でも百面相でも、万華鏡までも追いかけよう。
彼女たちの挑戦が、演劇の世界に新しい風を吹き込んでいると信じている。
その風がたくさんの可能性を巻き上げ、
大きなうねりとなって、
素晴らしい作品がたくさん生まれることを願う。
だせぇ
艶∞ポリス
駅前劇場(東京都)
2016/07/27 (水) ~ 2016/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★★
エンターテイメント・ショー
アパレル業界の話だもの、ショーだよ、ウォーキングだよ。 そこにしんみりを散りばめながらのサスペンス! と思わせておいてコメディ気味のヒューマン・ドラマ。 オモシロイよ。怖いよ。切ないよ。◆オンナは下剋上。戦う毎日。勢力、ポジション…笑顔の下に隠された本音。そして本音をブツブツ呟く彼女にハラハラドキドキ。やがて本音が吉を生み出す。いやぁ、オモシロイ。そこに、親友にもなれたであろうオンナ同士の積年の怨みの応酬。それが只の詰り合いになって…だせぇ!◆大好きな小園茉奈さんが、作品に他のキャラとは違う風を吹き込む。それが大きなうねりとなって何やら不穏な空気を巻き起こす。そして…。大車輪の活躍に大満足です。これは、もう一回観たくなる作品です。
虹の跡
ぱぷりか
シアター風姿花伝(東京都)
2016/04/02 (土) ~ 2016/04/05 (火)公演終了
初日を観ました
不器用な人たちの話。もう、不器用な人しかいない。そのダメ人間っぷりにイライラする。人の気持ちを推し測ることができない人ばかりで悲しくなる。悲しみに暮れる長女を三森麻美さんが好演。静かに怒りを表現し、葛藤を立ち上がらせた。散歩のシーンが美しく切ない。●マスオさん的な夫を辻響平さんが爽やかに演じた。散歩のシーンで、悲しみの底から妻を救い出そうとする優しさが滲む。その優しさを照れ隠しにおどけて見せる心情がリアルに立ち上がった。アマヤドリの宮崎雄真さんは苛立ちと戸惑いを漂わせる。ダメな方を選ぶ人のよさが切ない。
Gliese
ピヨピヨレボリューション
シアターノルン(東京都)
2016/04/01 (金) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
冒頭の
ダンスからキレッキレでカッコイイ。やっぱり右手愛美さんが素敵。ダンスのキレも表情も、主宰として一歩引いていても輝きは隠せない。その上でメンバーへの愛が溢れている。メンバーが良さを充分に発揮できるプロデュース。この人、分かってるなぁ。●これまで以上にあずささんがキュートで目を引いた。macoさんがキリッとして、東理紗さんのエネルギッシュが健在で、メンバーの良さが際立った。天の声のコ⚫さんの愛情も充分に伝わってくる。カメラマンの小板奈央美さんのキレも抜群だった。●それにしても、38mmなぐりーず初期メンバーの山崎未来さんと真嶋一歌さんの二人にデュエットさせる心憎い演出。二人が裏表だなんて…面白い。とにかく、エンターテイメント性に優れた作品であることに間違いない。客席の心の掴み方を知っている。脱帽。
カムアウト
燐光群
ザ・スズナリ(東京都)
2016/03/19 (土) ~ 2016/03/31 (木)公演終了
満足度★★★★★
二回目の観劇。
少し角度を変えて観る。見えてなかったことが見える。これは視線の舞台。目は口ほどにものを言う。見つめ合い、逸らし、目配せし、チラ見して…台詞以上に…いや、台詞が語らないことを雄弁に語る。●娘の告白に対する母の反応は、世間の目の代弁。そして自戒の念に苛まれる。型破りの母でさえ"普通"という化け物から逃れられない。「お母さんに解ってもらえずに、誰に…」それも理に叶っている。相反する思いが真正面からぶつかり合っても破綻しない家族の力が見える。泣く。●モノに宿る魂。遺された水中花もそうだが、幕間にボンヤリ照らされる柱時計も、あの家も、人の想いを記憶し包み込む。正に居場所であり、拠り所。メスの蝉の鳴き声にならない泣き声を聞いてきた家。「ここが無くなれば、お互いお客さんだね」母の呟きがラストに沁みてくる。●気がつくと、最初から最後までずっと心乱れ光が見えないままのシズエ演じる渋谷はるかさんを見つめている。書き込み、男、キス、二度目のカムアウト、まるで血を吐くように自虐的。その全てから『ワタシを見て!解って!』という叫びが聞こえる。シズエの視線の先には常に彼女がいて…意識し合う二人の、投げる視線。逸れる視線。縺れて絡んで解けなくなった愛情と愛憎。虐められる悦びを曝されても真っ直ぐな純愛と、真逆な行動のギャップの大きさこそが、彼女の愛と苦しみの深さ。江ノ島の夜から続く闇から抜け、霧も晴れて、シズエに幸せが訪れることを切に願う。●前回、尖って見えたケイコ。その攻めの姿勢に、あの場所への愛を感じた。そこに加わった柔らかさに、ケイコの、そして百花亜希さんの愛情の深まりを見た。裏切りに「あなたが…あなたにしか…」に人間力が溢れる。たくさんの人が切なくなるほどに惚れる女性の姿が見事に香りたった。●どんな作品でも、どんな時でもキレのある演技で存在感のある長尾純子さん。彼女がグイグイ立ち向かう力強さ、その対局にあるラストの繊細さ、この幅が作品を鮮やかに彩る。二度目の観劇だから分かる、彼女が散りばめた数えきれない程の伏線を観て欲しい。生の舞台だからこその楽しさ。●女を商売にしていると詰られる水商売のジュンコ。明け透けで、ずぼらに見える彼女のおおらかさは人間愛に満ち、集団の潤滑油。彼女のような存在が人を繋ぐ。橘麦さんが人のいいジュンコを好演。愛する人の旅立ちを応援し、新しい恋人を持ち、エアメールを破るポーズ。愛らしく魅力的。●生徒を迎えにきた教師。厳しい言葉を並べ、ここの人たちを貶める。でも、そこには確かな愛がある。個人的見解でなく、社会からどんな評価を受けるのかを基準にし、そのレッテルによる仕打ちを懸念する。女性としての感情と教師としての責務による狭間の苦悩を、西村順子さんが好演。●二組のカップル。それぞにパートナーがありながらも惹かれ合う。でも、パートナーのことを思い自制する。パートナーも、愛するが故に気づいてしまう。秘めてはいても匂い立つ。抑えきれれば問題ないが、越えてしまえば、巷で話題のゲスな話。一人の離脱者が二人の堤防を決壊させる。●ノ島で「傷心を癒す」という印籠を手に越えてしまった二人。これもゲスな話なのだろうか。パートナーは紛れもなく傷付いた。それが分かる故に、一度の過ち? きっかけを作った離脱者も無理をしていた。誰も傷つけたくない心優しい人たちが図らずも堕ちてゆく闇を目撃した。
カムアウト
燐光群
ザ・スズナリ(東京都)
2016/03/19 (土) ~ 2016/03/31 (木)公演終了
満足度★★★★★
出会えてよかった
作品の背骨となるテーマばかりが先行して話題になっているけれど、これは生き方を考える作品であり、家族について考える作品だ。そして、家だ。●素敵な女優さんがたくさん出演されることに目が行くが、男優さんも素晴らしい。父親の鴨川てんしさんに釘付け。娘のカミングアウトに「なぁんだ、そんなことか。知ってたよ」と答える父親の器と申し訳ない思いがしみる。●親に「あなたの子で良かった」という子供からの言葉はよくあるお涙頂戴シーン。でも、「あなたが好きなの」恋ではなく人間として娘に評価された父の感激を連想すれば涙無しでは観られなかった。娘の生き方にダメ出しして泣かせたばかりの自分の小ささを思い知らされる。●舞台、映像、現実世界でいくつものキスを観た。でも、こんなにも美しく切なく、全身に毒が回ったような痺れを感じる、優しくて熱いキスはなかった。「貴女の背中で泣かせて」閉じ込めた愛が切なくも溢れ出たあんな愛の言葉の後で。性差に関わらず、自身に禁じた恋の炎に全身焼かれた。●百花亜希さんの人間力の幅と深さのなせる技。攻撃的に映る姿と言葉の鎧に守られているのは、大切な人と場所と思いを守ろうとする心。凛として見える人ほど、弱さを隠し強さを装っているもの。そうした感情を理解する百花さんの、近くに絶望が潜んでいることを認知した正義と覚悟が香る。●ジャーナリズムは世間の目。好奇心を満たすための大義名分。でも、ミイラ取りもミイラの人間力に惹かれ、愛されていることを感じ、愛し始めていることに気づく。『そうだったけど、今はそうじゃなくなった』ことに自分自身が怯えている。いや、大義名分を持って始めたことを知られる…で、芽生え始めた気持ちと大切に思えてきた人を失うかもしれない恐怖。凛々しくて可笑しくて踊れる長尾純子さん。シリアスというアイテムも最大級の威力有りと証明した。ポテンシャルの高さハンパない。彼女の戸惑い、葛藤、焦燥、狼狽、決意…震える思いを味わうだけで観劇の価値アリ。●渋谷はるかさんが作品を動かしていく。拗ね者で自虐的にするのは愛の裏返し。本当はとても素直なシズエを好演。居れば負のオーラを発するが、戻ってくる度に表情を変え変化をもたらす。そう、本に書かれていないところ、舞台に見えないところで沢山の物語を持ったことを見事に纏った。●大人になるに当たり受け入れなければならないことって何だろうか?普通とは何だろう?普通と呼ばれるものの歪さを考えさせられる。この作品の難は、登場人物が多くてみな魅力的。それぞれの物語をもっと知りたくなる。この物足りなさを満たすにはスピンオフ作品の制作しか手はないな。
愛、あるいは哀、それは相。
TOKYOハンバーグ
「劇」小劇場(東京都)
2016/03/30 (水) ~ 2016/04/10 (日)公演終了
満足度★★★★★
人間て素晴らしい
ゲネプロを拝見した。未曾有の災害に見舞われた日本。誰もが流れてくる情報や報道の信憑性に疑心暗鬼なった。安全と危険を判定する基準は誰が決め、それに誰が照らして判断するのか。使用したデータは正しいものなのか。それが怪しければ、判断自体の意味が失われる。●被災者、被災地へ向けられる言葉には、愛あるものも無責任なものも混在する。それを見極めるのは難しく、図らずも傷つけられる。ましてや報道に作為的なものがあるなら最善策を探すのは困難を極める。親なら誰だって、ウミガメのように、我が子を安全な場所でと願う。●杜甫が社会や政治を嘆いて詩を詠んだように、この作品にも人々の苦しみや悲しみがある。国家、政治という化け物に翻弄され、怒りと不安をぶつける矛先も分からずに苦しむ人たちがいる。救いは、疎開先の人たちが人間味があって…「世の中そんなに捨てたもんじゃない」と思わせてくれる。そう、この作品を観て、悲しみを包み込み浄化させてくれる『人の温もり』がある。たくさんの人に、寂しさに凍えている人に、この作品を観て欲しい。きっと、生きる希望と勇気を持ち帰れるはず。●喫茶店で飛び交う「hot(珈琲)くれ」が「放っといてくれ」にも聞こえる。人の心に立つ壁。HOT LINEは紛れもなく温もりが繋がる場所。年越しパーティのやり方に悩む人たちが出した結論に涙を堪えるのは至難の業。それで心を洗えばいい。●家族の繋がりを考える。子は鎹とはよく言ったものだ。子の親思う心に胸打たれるが、それを承知している親心は、全てを包み込んで温かく尊い。ウミガメにも負けない慈しみに溢れていた。●人見知りで拗ねてもいた二女が、あの男に何気なく言う「おかえりなさい」が胸を打つ。なんて優しい言葉なのだろう。自然な挨拶に勝る優しい言葉は無い。帰る場所のある幸せと、人に受け入れられている安心と喜びが詰まっていた。●魅力的な人物がたくさん登場する。中でも二女の友人役の永田涼香さんが初々しくて涼風を届けた。喫茶店店主の弟の彼女役の鷹野梨恵子さんがいい。そこに生きていた。柔らかく、そして力強く生きていた。こういう役者さんに出会うと本当に幸せな気持ちになる。●責任て何だろう。あまりにも巨大な力に、人間の無力さを知る。そして自然に刃を向け、未来に刃を立て続ける人間の愚かさについて考える。
カステラと伊達巻
タイマン
ライトサイドカフェ(東京都杉並区高円寺南2-20-19-2F)(東京都)
2016/02/25 (木) ~ 2016/02/29 (月)公演終了
演劇って
生きているんだと感じる。まずは、作る側の変化で作風も変化する。今回は作演出する主宰の齋藤陽介さんの私生活ご自身の結婚と、妹さんのご結婚と懐妊。それが色濃く作品に反映されて、ある種ノスタルジックな作品が立ち上がっていた。そう、ちょっぴりセピア色に染まっていた。また、演劇作品は、会場で上演されながら変化し成長していく。それも、演劇が生きていると感じさせること。初日を観たが、どんどん成長していく作品は、ごっこ遊びをする幼い子供から、親を看取り新たな家族を迎える大人へと成長する様に通じるのだろう。次回作には、いつ出会えるだろうか。2年は待てないですよ庸介さん。半年で観たいくらいだけど、せめて1年で再会させてください。