箱を持っている 公演情報 箱を持っている」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-13件 / 13件中
  • 満足度★★


    おもしろくなかったという訳ではないのですが
    見られたい自分と見られてる自分、という誰もが経験する
    テーマに対して、新しい発見がなかったような気がします。

    誰もが箱を持っているという設定はすごくおもしろいのに、
    それもあまり活かし切れていなかったような。
    最後のシーンも、これをやるために箱を使っただけなんじゃ
    ないかと疑ってしまうほど、特に意味を感じませんでした。

    似てる人が同じ箱、ではなく、それぞれの人生が刻まれた
    箱を持っている、ある人は汚れた、ある人は形のいびつな、
    ‥という意味の持たせ方の方がしっくりくる気がしますです。

  • 満足度★★★★

    なるほど
    箱ってそういう意味だったんだ。ホント面白い芝居でした。アフタートークはなんかバタバタ感があったけど,あおきりみかんって劇団を知れて,これも良い時間でした。なかなか名古屋の劇団って観ること少ないもんね。それにしても90分弱の箱の積み上げ,大変でしょうね。でも,あの箱がよい空間を作っていたと思います。

  • 満足度★★★★★

    箱で出来た世界
    全然違う二人は、似ている。
    でも似ていない。
    いや、似ている。。
    箱が積みあがっていくにつれ、疑問や憶測、主観や客観の違いなどが積みあがっていく。
    世界が出来上がって行くのに、謎は多く膨れ上がる。

    多面性、とか、
    これを本に書くのはとても難しいだろうなぁとか、
    そんなことを考える暇がないくらいに楽しく観劇させて頂きました。
    本も音も視覚も、全面的に感覚に訴えてくる。。

    最終的に、白い箱に囲まれた舞台。
    積み上げられて行くにつれ、違うものに見えてくる。
    迫力のある、大胆な箱の使い方が凄かった。
    よくよく考えると混乱してきて、ちょっぴり難しい。
    そこがまた、気持ちよかったりして。

    とってもよく出来たお芝居でした!

  • 満足度

    やっぱり合わない。
    面白くなかったわけではないですが。

    ネタバレBOX

    観終わって思ったこと「・・・だから何?」

    喜劇として観ると笑いが弱いし
    メッセージ性の強い劇かと言われても「うん。あるよね」的な切り口なだけで、
    この劇を通して何を言いたいの?という疑問符が残らざるをえないというか。

    笑うなら、もっと徹底的に笑いたいし、
    メッセージを伝えたいならもっと説得力が欲しい。ぐっとくるセリフも少なくて。

    「とことん嫌われたら、あとは好かれるだけ」っていうセリフがありましたが、
    それは違うと思いました。
    それは違うと思った瞬間、冷めて(醒めて)しまったのかもしれません。

    ギャル⇒パレード⇒布団⇒箱(今回)と、
    ここ1年半ほど(2008年からってことですね)の作風は、
    私は好きになれませんでした。

    でも、楽しんでらっしゃる方も多いようなので、
    好みの問題だと思いますから、この感想を不快に思われたらごめんなさい。

    私には合わない。それだけのことです。

    【追記】
    さっきふと思ったのですが、昨年くらいからの作品すべて、
    対象年齢が10代後半~20代くらい(ワカモノ向け)なのかも。。。と思いました。
    そう考えると、合点がいくところもあったりします。

    【さらに追記】
    2008年以降の作品というと、木村仁美さん退団後ってことでしたね。
    妙に納得。
  • 満足度★★★

    なるほど
    奥行きのある舞台だった。価値観の違いはあるけど、世の中のみんな自分がスタンダードだと思っているけど、この舞台を観るとその辺の行き違いにハッとさせられる。

  • 満足度★★★★

    楽しく観劇しました!
    私の箱って、サイズは、色は、見たい様な見たくないような・・・・・。

    ネタバレBOX

    前作同様、楽しみました。
    箱、数えたんだけど途中で止めました。最後は大きな箱一つに全て入ってしまったように感じました。それが潰れたとき人は・・・・。
    スペシャルコントがツボにはまり笑いました。
  • 満足度★★★★

    なかなかの出来映えですね。
    人間の深層と真実の姿をこんな風に描く事を考え付く、その発想がとても面白く、なるほどと言える現実に対比できる事柄が沢山身の回りにあるような気がして、とても興味深く観劇。
    ただ欲を言えば、ガナリ立てる声が聞き取りにくい場面が多かったので、一考を。
    全体的なテンポもよく、背景に静かに積まれてゆく白い箱が意味深く、構成は良かったと思う。
    この発想をますます進化させ、私達を楽しませ、そして何かを気付かせてくれるだろう。

  • 満足度★★★

    自分はどんな箱を持っているのだろう?
    「劇団おおきりみかん」を観劇するのは2回目でしたが、前回と同じようにとても印象に残りました。前回は他の劇団とは違う匂いを感じるなぁと思ったのですが、やはり今回も感じました。とても好きな劇団です。
    話の発想はとても面白く良かったです。どんどん箱が積み上がっていく所が印象的で、最後まで積み上がっていったらどうなるんだろう?と思いながら観劇してました。
    でも話の途中の展開が悪く、何度か眠たくなってしまいました。もっと話に変化が欲しかったです。後半は良かったので残念でした。
    役者さんは皆さんとても良かったです。
    アフタートークはとても楽しくて良かったです。いい劇団だなぁと思いました。
    本当は質問したかったのですが、恥ずかしくて出来ませんでした。
    おおきりみかん10周年おめでとうございました。20周年に向けて頑張ってください。

  • 満足度★★★★

    楽しかったです
    観劇後にも楽しめる、拡がりを持ったお芝居でした。
    ヒトは、それぞれに固有の多様性をもった存在ですが、
    それだけに 自らと同じものを相方に見出すと、親しみや愛おしさ、嫌悪などが
    湧きだしますが、一面で滑稽なんですね。
    一方で、コツコツと積み上げる真面目さ、のリズム感も効果的でした。
    ただ、私の年齢のせいか 台詞が聴き取れないことがあり、
    意味合いがつかめないところがあったのが残念でした。

  • 満足度★★★★

    果たして本当の自分とは
    それぞれの人格・個性をあらわす「箱」。
    誰もが「箱」を持っているらしいが、誰もが「箱」が見えるわけではないらしい。
    また、「箱」が見える人間は、自分と同じ「箱」を探して、その箱をつぶすと、「箱」が見えない生活に戻れるという。

    『もしあなたは「箱」が見えたときに、その「箱」をどう扱いますか?』
    と脚本家は問いかけてくる。

    「箱」の存在に気づいた人間はいやでも、自分自身と向かい合わざるを得ない。
    自分と同じ「箱」を持ったもう一人の自分は、自分の分身、つまり、鏡なのである。
    その鏡を通じて、自分が感じている自分と、他人が感じている自分は、必ずしも一致しないことに気づかされる。
    「箱」は決して、故意につぶそうとしてつぶせるものではなく、もう一人の自分と向かい合うことで、自分自身を受け入れ、かつ、もうその「箱」を必要としないことではじめて、「箱」は自然に消滅するのである。

    果たして、自分は同じシチュエーションに置かれたときに、どのように、対応するだろうか???
    と考えさせられた。

    役者が開演から終演までずっと舞台の四方に、箱を積み上げるという演出も新鮮であった。

    特異なシチュエーションションを使いながら、「自分の内面をみつめる機会を提供する」というオーソドックスな主題を扱う脚本家の力量に、感嘆させられた。

    作風が独特なため、誰もが楽しめるとは言いがたいが、私には楽しめる舞台であった。

  • 満足度★★★

    なんだかんだ言っても
    誰でも誰かに好かれたいと思っている。しかし、好かれれば好かれるほどその気持ちが持続するのだろうか?という不安にもなる。その一方で今度は自分が誰かを好きになれば成る程、嫌われたらどうしよう、という不安に襲われる。
    この物語はそんな繊細な気持ちを前提に、二人の女を軸に描いたもの。

    以下はネタばれBOXにて。

    ネタバレBOX

    みんな箱を持っている。しかし、箱とはその人物の象徴にすぎない。箱はその人の心、思い、価値観だ。

    秋野みさこは女優になりたかった。彼女は人に好かれたいと思いその努力をするが、仕事も人間関係も空回りしてしまう。見栄っ張りで傲慢さが見え隠れするなかで、「自分新聞」を作りそれをマメに知り合いに郵送するという自己主張の強いタイプに思われがちだが、実は人との係わり合いが下手でこのような手段しか取れない。

    夏川あやは「嫌われ屋」の仕事をしながら、「好きになってもらうくらいなら嫌われるほうがいいよね。」などと心にも無い事を言いながら、現況の自分の仕事を納得させる。「嫌われ屋」をしながら常に自分を可愛そうなポジションに置いて満足したり、かと思うと「とことん嫌われればあとは好かれるだけ」と本音もちらつかせ、そんな姿勢に自分で酔う。しかし、それは自分を甘やかしているに過ぎない。勝手に陶酔しその立ち居地に満足しているだけだ。

    この時点で二人はただの二つの人形だ。箱を持った人形を二つ置いただけのような空々しさがつきまとっている。
    実はこの二人、正反対の性格のようだがそうではない。本質は同じなのだと思う。
    二人とも上手く生きられないのだ。だから二人ともお互いにお互いをこだわる。気になる。二人はメビウスの帯の上にいて、裏側に廻っても結局、同じところにいる。

    そうやって、彼女たちはお互いに歩み寄った時点で気づく。同じなのだと。こうして二つの人形に心が宿り、「自分」という誰も入ることが出来ない大きな城壁は崩れる。
    「自分」の閉ざされた壁、つまり箱が崩れた瞬間に、彼女たちが持っていた箱も潰れる。つまり、彼女たちが持っていた箱は舞台の周りに積み上げられた壁なのだ。その壁(舞台いっぱいの巨大な一つの箱)の中でしか生きられなかった彼女たちは外へ飛び出す。

    ひじょうに深い物語だと感じた。しかし、何かが足りない。その何かは何か?
    解らないのだ。

  • 満足度★★★★

    まるで箱が積み上がっていくように、うまく構成された不思議喜劇
    ちょっとした不思議設定をもとに、いろいろと考えてしまうような舞台だった。
    笑いの数はそれほど多くないのだが、なかなか興味深い内容と展開がとても好印象。面白かったし。

    ・・・またネタバレに長々と書いてしまいました。

    ネタバレBOX

    人は「箱」を持っている。あるときからそれが見えるようになってしまう。どうやらまったく同じ箱を持っている人を見つけて、その箱を潰してしまえば、もう箱は見えなくなるという。あるとき「嫌われ屋」という商売をしている、人に嫌われたいと思っている女と、人に好かれたいと思い「女優」をしている女が、互いに同じ箱を持っていることに気がついた。そして、彼女たちは、「取材」という名目で相手のことを知ろうとする・・というストーリー。

    誰しも、自分を「演じて」いたりする。「こうありたい」「(みんなに)こう見てほしい」などという欲求からだ。「見せたい自分」に「演じて」いるのだが、自分は「演じている」とは思っていない。というか、演じているように周囲には感じてほしくない。そのために無理をしすぎたりしている。

    自分の性格がこうだから、こうありたい(こうあるべきだ)と思い込んでいる2人の女が、互いに「同じ箱」を持っていることが見えてしまう。相手を観察するうちに、自分の中で見たくなかった「演技する自分」「本当の自分」の影がちらついてしまう。それがとても嫌でたまらない。同じ箱を持っているのが嫌だし、彼女は自分とは同じではない、と互いに強く思う。それは単なる「近親憎悪」とは少し違う感覚だ。

    「箱」が見えてしまう状況というのは、どうやら、自分自身のあり方に行き詰まりが「見えて」きてしまった兆候なのかもしれない。ある種の閉塞感からくるものか。
    「箱」を見えなくしたいのは、自分と同じ箱を見たくないからであり、他人の箱が見えてしまうことそのものが嫌というわけではないのだろう。
    だから、潰すべきなのか、どうするべきなのか悩んでしまうのだ。見えなくしてしまっていいのだろうか、ということもあるのだろう。

    「箱とは何か」「箱が見えることの意味は」という謎を最後まで引っ張りながら、結論は具体的には提示せず、観客にある程度委ねながら、さらに記憶と事実を、どちらが正しい事実なのかはわからないまま見せていく手法はうまいと思った(ビデオによるリプレイなど)。

    彼女たち2人は、どうやら記憶も自分たちが感じていることも実際とはズレているようなのだが、それを彼女たちに突きつける2人の男たちも、実は互いに同じ箱を持っていて、やはり互いに憎悪があり、親近感もある。つまり、彼らが見せている彼女たちの状況も、すでに歪んでいるのかもしれないという不思議な感覚に陥る(ビデオに写っているからといっても、見ている側の感覚がある以上、事実とは限らないのだ)。つまり、自分の見ている世界が事実とは限らない(それは観客の側にとっても)。

    舞台では物語が進行していきながら、箱がどんどん積まれていく。最後は彼女2人を取り囲むように積まれていく。彼女たち2人だけの世界に塗り込まれていくのかと思えば、箱は崩れ、彼女たちは互いに別れて行く。

    相手のことを取材して知れば知るほど、自分の中にある「見たくない自分」が見えてきてしまうのだが、それを突き詰めていけば、その「見たくない自分」も「自分である」ということに気がついたのだろうか。穏やかに話す2人の姿がある。

    互いにわかり合えたのか、つまり、自分自身の姿に納得できたのか、ラスト、そんな「世界」から、ぴょんと飛び跳ねてこちら側(観客側)にやって来る2人。2人とも手には箱は持っていない。それは箱を潰してしまったのか、あるいは、閉塞感を互いに(自ら)突破して、箱の見えてしまう状況を脱したのか、あるいは、単にわれわれ観客には箱が見えないのか、それはわからない。男にはまだ箱が見えているようなのだが。
    意味を考えさせられるような、とても印象的なラストだった。

    ただし、観ていてわき上がる疑問に対して「コレだ!」と具体的に何かを突きつけることをしないというのは、諸刃の刃であり、観客が自分でいろいろ考えることの余白を提供しているようでもあるのだが、伝えたいメッセージが伝わらない可能性もあるのではないだろうか。

    さらに書いてしまうと、主人公の2人の女については、互いの取材でどのような人なのかが、浮かび上がってくるのだが、そのアウトラインが細いというか弱いというか。そこが太く強く浮かび上がってきたのならば、メッセージもストーリーもすべて伝わりやすくなったように思えるのだ。これは前回観た「蒲団生活者」でも感じたことなのだが。

    ついでに書くと、ある集団に嫌われることを仕事とする者を送り込み、その人を全員が嫌うことで、集団の結束を強めるという「嫌われ屋」の設定はとても面白いアイデア。
  • 満足度★★★★

    箱持ってます(きっと・・・)
    色、形、大きさ…
    様々な箱を持った、総勢16名の登場人物

    ネタバレBOX

    その箱は、それぞれの性格であったり、人間性を
    表す物ということかなのか…

    また、その箱は、誰にでも見えているわけではな
    く、自身について、何らかの思い悩みがある者に
    しか見えないようである


    自分と全く同じ色形の“箱”を持った者を探し出
    し、その箱を潰してしまえば、元の、箱が見えな
    い普通の生活に戻れるらしい

    同じ箱を持っている者こそが、自身と同じ穴の狢
    であり、自身の鏡であるのだから


    自身が、果たしてどういう人間なのか
    どうなりたいのか
    どう生きていけばいいのか

    人は自分をどう見ているのか
    人と自分はどう違うのか…


    社会生活に溶け込むため、自身を押し殺し、結果、
    何もかもが見えなくなり苦しんでいるという矛盾

    自身を知り、箱を潰さないと(殻を破らないと)、
    いつまで経っても、先へは進むことはできないの
    かもしれない



    人の心を、裏から、側面から、中から穿り出し、
    コミカルに、皮肉に、鋭く表現している作品だと
    思います


    笑いながら、はっ!と気付く

    「これって、オレのことじゃん」
    と…


    『パレード旋風~』『蒲団生活者』などの流れか
    ら思うに、これが鹿目ならではの表現方法なんで
    しょうね

    数年前のあおきりは知りませんし、今の鹿目の本
    は万人受けするものではないのかもしれませんが、
    ボクにはドンピシャ合ってるようです


    面白かった!!

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