誰もいない国 公演情報 誰もいない国」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.2
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★

    ハロルド・ピンター作。東京乾電池以来の柄本明をちゃんと観ておきたくて出かけてみた。
    この難解で訳の分からない作品を、取りあえず退屈させずに最後まで見せてしまうのは、役者が上手かったからなのか、そもそもの作品が面白く出来ていたのか判然としない。

    ー果たして会話の内容が真実なのか一種のゲームを演じているのか、虚実のわからなさを楽しむピンターの世界

    とチラシにあるように、いかに真剣に子細に台詞を追っても誰に何が起こっていたのかが、さっぱり解らないのである。
    しかも、舞台の上方からぴっちょん、ぴっちょんと大きな水滴が降ってくるのだ。やがて水は舞台の後方全面で湖のようになる。転んだ柄本が衣装がずぶ濡れのまま台詞を喋り続ける。なぜ水なのか、意味は全く分からない。
    休憩時間に、ロビーに掲示された演出家や出演者のインタビュー記事(写真参照)に観客の人だかりが出来ていた。
    みんな訳が解らないんだなあとホッとする。

    前日に末広亭の高座で聴いた柳家権太楼のマクラを思い出した。「こうして毎日落語を演じられることは、幸せだとおもうんですよ。お客さんがどう思うかは別としてね。」と。
    役者というものも、時にこのような(難解な)芝居を演じてみたくなるのであろう。
    画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、屋外

  • 満足度★★★

    人は外界を自分なりに捉え、それを元に自分の言動を導き出している。結局、人は「主観の世界」を基に生きているのであり、他者の抱く「他者の主観による世界」と自らの「主観の世界」が近いものであれば、共感しやすく、離れていれば共感し難いということですかしらね。会話の中で触れられる、欲にまつわる話題などは、ある意味、主観と外界をつなぐものなのですが、そうしたものですら、互いの思いは必ずしも合致しない。「主観の世界」の中には実在の人はいないのでしょうね。登場人物の設定自体が見終わった後も確信できず、ある意味、そのこと自体が芝居の世界観にシンクロしているのかな。

  • 語られる言葉の意味、関係性の変化が何を示しているのか…明らかな回答は得づらい戯曲です。舞台で起こる出来事を、必死で集中して追いかける緊張感が心地よく、意外性もあって、充実の観劇になりました。男性4人の恋愛がらみのエロティックな空気が流れるのも良かったですね。

    ただ、寺十吾さんの演出は音、水、光などの足し算でわかり易い娯楽作を目指したようで、ピンターならではの面白味を切り落としてしまっている気もしました。

    柄本明さんの演技が素晴らしかったです。冒頭の「そこに在る」姿こそ私の見たいもの。宇宙で、点で、孤独な生命でした。震えるほど感動!

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2018/11/25 (日) 13:00

    「・・・ですな」石倉三郎のセリフの語尾が余韻深く響く。

    パンフレットを読むと、柄本明が「石倉さんにとって。芝居は稼業だから」というようなことを言っていたと書いているが、やはり、この芝居は柄本明と石倉三郎という、背景も価値観も異質な存在がなせる化学反応なのだろう。
    ピンターの戯曲を、何が発生するか判らない状況において演じらせる不安定感。
    柄本明のひらめきと、石倉三郎の武骨な芝居。観続けていると、頭がくらくらする。
    台詞や物語に意味がないのだから、役者としては、流れに身を委ねるしかない。
    それにまた身を委ねる観客にとって、得体のしれない浮遊感が気持ち悪くもあり、気持ち良くもあり。そんな芝居だ。

    天上から落下し、堆積されていく水。これは、ハーストが飲んだ酒の量か。終幕には、舞台の前面まで、はっきりと見える水面は、混濁した意識の象徴にも思える。
    果たして、ハーストやスプーナーの存在自体も不安定に思えてくる会話劇は、唐突なエンディングを迎えるが、誰もいない国って何?

  • 満足度★★★★

    観てきたのですが、このピンと来ないのがピンターなのかな。
    かみ合ってるようで、話が進まない戯曲術は不条理劇らしく
    加速度的に破綻していく。
    水と照明は美しかった。
    全ては壊れていく様を包んでくれた。

  • 満足度★★★

    鑑賞日2018/11/22 (木) 18:30

     ピンターの不条理劇だが、あれだけのセリフを重ねても何も解決しないのは、ピンターらしいとしか言いようがない。会話が成立しているようで、全く筋が通らない、というのがピンターっぽい、と私は思っているのだが、1幕65分の最初と後半でハースト(柄本明)のキャラクターが一変し、15分の休憩を挟んだ2幕55分でも変化する。何が本当なのか、全く分からず終わるが、不思議な感触を残すのは、個々の役者の力量と言えるだろうか。水を効果的に使った美術と照明は見事で、公共劇場らしい存在感を見せる。

  • 満足度★★★

    観ているうちに、昔モダンジャズの良さが全く分からなかった時のことを思い出した。

    モダンジャズの肝は「各人が交代でアドリブ演奏をする」ことにある。昔、ジャズ好きの友人に「そんなにアドリブ・フレーズが魅力的ならそこだけ抜き出せばヒット曲を連発できるじゃないか」と言って困らせたことがある。今では、一般の曲とは違った独特のフレーズの魅力にどっぷりと浸かっているが昔の自分を説得できる言葉は残念ながら持っていない。

    この戯曲の場合、4人の登場人物が長短の違いはあれ、ソロをとる。一つのソロはある程度のまとまりを持っているが通常の劇としては美しくもなく明確な意味があるわけでもない。さらには前後のソロとの共通性などない。そんな劇なのである。そう考えるとソロが変わるたびに明後日の方向へ進んで行くのも理解できる。したがって、戯曲の各部分を統一するような意味を探しても無駄なのである。なすがままに翻弄されてみよう。おっと、各ソロに共通性はないと書いたがもちろん登場人物は同じだし、舞台セットも同じである。それはジャズではリズムやコード進行が同じであることに対応する。

    ではこのような戯曲を楽しむにはどうしたら良いのだろうか。ジャズと同じならば繰り返し聞く(観る)しかないということになる。身もふたもない結論で申し訳ない。

    ジャズとは違ってアドリブ・フレーズを作るのは原作者であり、時空を超えて楽器である役者を操っていると考えられる。マイルスやコルトレーンの決定的な演奏がいくつものバリエーションで聴けるようなものであり、舞台の大きな魅力である。

    …などと無理筋の考察をしてみた。私自身はまだ全然楽しめていないが楽しめるようになるのではないかという光は見えた気がする。

    おまけ:以上の解釈からは題名の「誰もいない国」というのは最後のソロのアドリブフレーズの中の印象的な1小節を取り出しただけで、意味はないということになる。

  • 満足度★★★★

    ピンターの迷宮を存分に彷徨う気分になれる演出。天井から落ちる水は何なのだろう。

  • 満足度★★★

    仰々しくオーバーな表現と論旨展開の応酬が、舞台を見つめている者に「何が
    本当に確かなことなのか」、「ここで起きていることで真実は何なのか」を
    分からなくさせる。そんな作品です。

    ひたすら言葉、言葉、言葉であらすじはほぼ無きに等しいので中盤退屈してしまう
    人もいるかも知れません…。隣席の人は始まってすぐにまどろんでました。

    ネタバレBOX

    主人公は、互いに「詩人」「芸術家」と名乗る初老の男性ハーストとスプーナー。
    舞台は富裕ぶりがうかがえるハーストの自宅の一室のみであり、与えられる確かな
    情報はこれだけです。

    スプーナーの長広舌により、どうやら2人がパブで出くわし、ここに来たらしいと
    いうことが分かりますが、ハーストのよそよそしい態度からそれほど親しい関係を
    築いたわけでもないことが読み取れます。ハーストはことあるごとにアルコールを
    欲し、どうやらアル中の傾向があるっぽい。

    その後、ハーストに仕える2人の若い使用人(らしき男性)の登場を挟み、続く2幕では
    夜を超えて朝になった模様。そこから雲行きが怪しくなり、赤の他人だったはずの
    ハーストとスプーナーが古くからの知人だったばかりか、お互いの親しい女性をめぐって
    わだかまりを持つ仲であることがどちらからともなく語られます。

    みっともない老人同士の金切り声を上げての痴話喧嘩の末、ハーストが異常性癖だと
    告発した後、スプーナーは相手の肩を抱き、類まれなる詩の能力を後進に伝えるよう
    切々と説き始めます。

    しかし、ハーストはその依頼を拒絶し、いつの間にか照明がほぼ落とされて朝か夜か
    分からなくなった室内で酒をいっぱいあおっておしまい、といった感じです。ラスト、
    ほぼ真っ暗な室内に立ち尽くす4人がぶつぶつ意味の分からないポエティックな台詞を
    こぼし続ける風景は軽くホラーでしたね。

    見た通りに出来る限り合理的に判断するなら、2人は友人の間柄で、ハーストは
    スプーナーの申し出を断っただけにみえます。が、2人が友人同士か、芸術家または
    詩人なのか、若者2人は本当にハーストの使用人なのか、確かなことは分からない。
    今挙げたことはすべて本人たちがただ単にそう語るだけで何も証拠がない。

    ハーストはアル中で病院の一室に監禁されてて、永遠に閉じ込められる妄想を見て
    いるのかも知れない。または、医師や看護人を友人や使用人と混同するほど病んで
    いるのかも知れない。

    もしくは、ハースト以外の3人は自身の別人格で、自分の殻を破るよう手を差し伸べた
    ところ、ハースト本人が救いを拒絶して、永遠の精神の闇に堕ちていく過程を見せられて
    いるのかも知れない。

    本来、私たちが小説や舞台に触れる際、向こうから与えられる情報を「前提」「作品内
    設定」として受け入れているわけですが、ピンターはわざと荒唐無稽な台詞を連発させる
    ことによって、その境界をぶち壊し、「どの前提が正しいのか」「そもそも与えられて
    いる前提や設定はそのままこっちが疑いなく呑み込める性質のものなのか」と問いかけます。

    そこで、作品の解釈可能性がグッと拡大し、思いもよらなかった作品受け取りの世界が
    見えてくることを望まれている気がしました。

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