誰もいない国 公演情報 新国立劇場「誰もいない国」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    観ているうちに、昔モダンジャズの良さが全く分からなかった時のことを思い出した。

    モダンジャズの肝は「各人が交代でアドリブ演奏をする」ことにある。昔、ジャズ好きの友人に「そんなにアドリブ・フレーズが魅力的ならそこだけ抜き出せばヒット曲を連発できるじゃないか」と言って困らせたことがある。今では、一般の曲とは違った独特のフレーズの魅力にどっぷりと浸かっているが昔の自分を説得できる言葉は残念ながら持っていない。

    この戯曲の場合、4人の登場人物が長短の違いはあれ、ソロをとる。一つのソロはある程度のまとまりを持っているが通常の劇としては美しくもなく明確な意味があるわけでもない。さらには前後のソロとの共通性などない。そんな劇なのである。そう考えるとソロが変わるたびに明後日の方向へ進んで行くのも理解できる。したがって、戯曲の各部分を統一するような意味を探しても無駄なのである。なすがままに翻弄されてみよう。おっと、各ソロに共通性はないと書いたがもちろん登場人物は同じだし、舞台セットも同じである。それはジャズではリズムやコード進行が同じであることに対応する。

    ではこのような戯曲を楽しむにはどうしたら良いのだろうか。ジャズと同じならば繰り返し聞く(観る)しかないということになる。身もふたもない結論で申し訳ない。

    ジャズとは違ってアドリブ・フレーズを作るのは原作者であり、時空を超えて楽器である役者を操っていると考えられる。マイルスやコルトレーンの決定的な演奏がいくつものバリエーションで聴けるようなものであり、舞台の大きな魅力である。

    …などと無理筋の考察をしてみた。私自身はまだ全然楽しめていないが楽しめるようになるのではないかという光は見えた気がする。

    おまけ:以上の解釈からは題名の「誰もいない国」というのは最後のソロのアドリブフレーズの中の印象的な1小節を取り出しただけで、意味はないということになる。

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    2018/11/23 01:21

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