ジンジャーに乗って 公演情報 ジンジャーに乗って」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.4
1-20件 / 31件中
  • 満足度★★★★★

    演劇に仕上げていく姿勢
    一観客が、どこまで書いていのかわからないけれど、確かに反応が色々あるのが面白いなあ、と。

    あとはネタバレボックスへ。

    ネタバレBOX

    僕としては、すんなり見れてしまったし、楽しかった。
    演劇ではない場所から、演劇に向かっていく姿勢。演劇がそもそも土壌としてありえない場所から、演劇を構築していく姿勢。

    それは、既存の演劇がさも存在しているかのように感じている人たちにとっては意味不明だったのかもしれないが、そういうのを抜きにして、「肩の荷を降ろして」見たときに、「あ、演劇になった」という瞬間があったりして。

    「普通」に面白かったので、この「普通」ってところに、なにやら得たいの知れない背景が詰まっていると思う。

    だから、快快を面白くないと感じた人がいたことに、僕は驚きがあった。

    それを切り取ったのが、快快だ、という見方ができなくもない。
    これは普通に面白い。
  • 満足度★★★★★

    ♪つっこんでーおくれー
    おもろすぎー。

  • 満足度★★★★★

    リピートすることにしました
    すがすがしい。気持ちいい。軽く作っていながら、しっかり考えてきっちり作りこまれている。

    ネタバレBOX

    前半、しかけもりだくさんのせいで会話のテンポがやや停滞する部分はあったけど、これくらいは待てるな。
    入場時からのサービス精神がすばらしい。
  • 満足度★★★★★

    映像的で具体的だから、その背後の根本が滲み出る
    地球の、日本の、静岡と東京の、六本木と渋谷の街とそこにいる人を克明描写。その描写手法が半端なく映像的で秀逸。かつ、町や人を見る視点が地に足が着いていてステキすぎる。その結果、具体的な街や人物を描いているのに、現代の、ある若い世代が持つ、共通の空気やら価値観やらがそこら中に滲み出まくり。ある意味、究極のリアルで等身大な描写。一方ある意味、現代に自分たちが存在する必然性を問う、テツガク的で抽象的な根本問題を突きつける、ふるえが来るほどオソロシくて鋭い表現。すげぇや。これ。

  • 満足度★★★★★

    セグウェイ乗るべし、乗るべし!
    一回観たら乗りたくなりませんか?そのためにしゃかりきになって早く行ってみました。楽しい楽しい。一人で行っても夢中で楽しめます。行くべし。

    ネタバレBOX

    一回観た後でも、確実に二回目も楽しいです。ネタ増えてます。セグウェイももっと広い場所で乗りたくなります。意外に空いているので、劇団の方ともお話ができます。そしてセグウェイを乗りこなす天野くんがよりかっこよく見えてきます。

    すみません、演劇的な感想じゃないですね。。。
  • 満足度★★★★

    2回目。
    初日→4日目。くだらなさは倍に、構造はシンプルに。
    1時間半を生きられない彼らが生きる一瞬一瞬が素敵。

  • 満足度★★★★

    やっぱり魅力的な集団
    団体名は変わっても、遊びたっぷりの舞台は相変わらず。
    入場したら既に役者さんが舞台上に揃っていて挨拶されたのでビックリ。
    今日は夜の講演後に研究発表会があって、論点がわかりづらい発表会だったけど、言いたいことは「デザインの面でも見にくる人たちとの距離感をなくしたい」ということでした。確かに快快になってからは距離感を縮めようというという意味で、参加型イベントも用意されてて楽しいですね。

    あと脚本がよければ★5つなのだけど。。。

  • 満足度★★★★

    2回目観劇。
    初日よりもくだらなさ倍増で破壊力アップ!

    ネタバレBOX

    1幕目は、
    初日の2倍増しのノリで、
    隙あらば突っ込んで来る
    体を張ったネタが、メチャメチャ楽しい!

    2幕目は、
    台詞をしゃべりながらバタバタ人が死んで、
    また直ぐに生き返って台詞をしゃべる。
    を繰り返す演出が新しくなっていて、
    コレが初日は単調に感じた部分に、
    変なリズムが加わっていてミョ~に可笑しい。

    ようやく期待した快快らしさが感じられたかなと。

    さて、ここから楽日に向けて、
    どう予想外に変化していくのか?
    が、最大の見所かなと。
  • 満足度★★★★

    残るなあ。
    エピソードや繰り返される言葉が今を生きているので、観劇後そのまま自分の日常にまるごとシフトして行く感じがしました。いいもの観ました。

  • 満足度★★★★

    hiphop?違います。new raveです。
    誰がなんと言おうが、この集団だけが、海外のユースロックとメンタル的に同じ立場にいることは間違いない。田中宗一郎は勿論、鹿野淳も渋谷陽一御大も鑑賞奨励。ていうかクラブ系も高校生もスイーツ脳もここに集まりやがれ!チェルよりもポップ、コンテンポラリーよりイージーかつセンチメンタル。オールナイトでも飽きないね。俺は。60分はみじけーよ!

  • 満足度★★★★

    試乗しました
    観劇から数日たってみると、セグウェイの試乗会が一番面白かったように思う。やはり体感したものって強く残るのでせうね。

    第2幕は、セグウェイが出てこなくて、ちょっと寂しかった(笑)

    本編だけでなく、客入れ中の会話や仕込み打ち合わせも、アフターイベントも全てコミコミでひとつの形態なんだろうなあ。
    演劇というよりアトラクションみたい。

  • 満足度★★★★

    「わかんない」と「ひさしぶり」
     面白かった。何より肩肘張らず気楽に観ることができたし、僕にとっては非常に興味深い作品だった。前作の『霊感少女ヒドミ』もだけれど、それ以前の作品でも同様に描かれ続けている「東京」という都市の肖像が、雑然として生々しく目の前に開けていく。それが本作では「これでもか」というほど一層にあざやかだった。(彼(女)らの「東京」を舞台にパッケージングするセンスはとても鋭い)
     劇中に繰り返される「わかんない」と「ひさしぶり」に、僕は雑踏での邂逅を見た気がする。これは日常生活にある他者とのちょっとした擦れ違いのなかにも生じる触れ合いの質感とでも言えるだろうか、例えば肩を寄せてひしめき合う存在の喧噪への耐えられなさや、ふと他人同士の手と手がぶつかり合ってぱちんと乾いた音を鳴らすときに感じるスリル——都市が内包する刹那の緊張感——が、ダンス中の不安定な身体性に集約されていく。瞬間瞬間が、ふつふつと忘我の彼方へと消え去ってはまた新たに次々と現れてくる。浮遊ではなく"滑走"という感じ。キェルケゴールが「ほんとうの反復は前方に向って追憶される」と言ったように、延々と続くかのような「日常」の経験は、決死の跳躍、そして束の間の浮遊感の後に現れてくる欲動の滑空であり、重力との均衡を保ち続けるような滑走の疾走感なのだ。
     終演後の舞台に残存する気分は確かに切ない。が、これはノスタルジーなどではなく圧倒的なリアリティなんだと思う。

    ネタバレBOX

     あ、随分とたいそうな書き方をしてしまった。けれども"贅語的だ"なんて笑わないで下さいよね。:-)

     「セグウェイに乗って、何もしない」——約めて言えばそういう印象の作品だろうか。この「何もしない」ということが、演劇における物語ることの過剰さ(「無駄」)を通じて描かれていく。それは、一幕においてはベケットを通じて、二幕ではその再現と展開を通じて、そして最後には、まるで折り紙を開け広げ解体したかのような幾筋もの折り目だけが残される。が、この折り目に物語の痕跡を認めてノスタルジーを感じても仕方がないのは上に述べた通り。
     本作では、日常にぽっかりと空いたエアポケットのような瞬間に感じられる爽快感が「晴れた日の散歩」として登場する。この感覚がもし、本作の演出シノダがアフター・トークで語っていたような「瞬間が死んでいく」こと(ハイデガーなら「先駆的了解」とでも言いそうなもの。本作では、演者が立ち上がって台詞を口にしては倒れる、という動作に還元されている)へも通じていくのだとすれば、それは「再極限の未了」(死の直前)でのスリリングな戯れともみえてくる。こうやってハイデガーを引き合いに出して語ると嫌が応なく壮語的な匂いがしてしまうものだけれど、この種の想像力が案外バカにならない作品だなと思った。
     近頃では他人の死が当然のごとく記述されていく時代になったが、それが戦時下のような肉体的な死の感覚とは違うとしても、やはりそれとは別種の仕方でありありと平明に認識されるようになっている。そして現に、インターネットを通じて今までは考えられなかったようなより多くの死亡者数を目の当たりにしている。だから焼け野原の六本木と普段の会話で口にするようないわゆる今の六本木とが結び合わされることには、もはや何の不思議もない。「死」を口にすると相変わらずドラマチックな感じのする世の中ではあるけれど、それでも自らの死は相変わらず自分自身のリアリティの核としてあり続ける(本作では「期限」とか「終わり」とか言われている)し、他者にとってもなお歴然とした事実としてはあり続けている。例えば死に関する記憶と事実とに向かい合った場合、そのような記憶は単に追憶されるものだとしても、事実はやはり事実として反復される(キェルケゴール的な「反復」は、初めて現れる出来事が既に在ったもののように繰り返される予言的な振る舞いをする)。だから2度目のデモのシーンのダンスから受ける爽快感は、こういう"強度の反復"——言うなれば「日常」の絶対的な肯定——によって現れるマイナー・トーンの清々しさなんだろうと思う。僕はこれを「生かされていることの自由さ」とでも言いたい。
  • 満足度★★★

    演劇の旭山動物園。ってタロウくん、うまいこと言うなぁ。↓
    「快快」って、
    まさにイマノニジュウダイノワカモノの
    "生態展示"や"行動展示"を、
    俳優陣の爆発的な身体能力を駆使して
    劇的な表現に変えてしまうアホーマンス集団で、

    ネタバレBOX

    今回は稲中卓球部ライクに、
    突破的な表現で爆笑を生むも、
    2部構成の後半が失速するのが残念。故に星3個
    ま、日々面白くなっているのでしょう。
    19日にも行くのでそこで再確認です。
  • 満足度★★★


    始まる前までは面白そうだったんだけど、
    実際始まってみると、段取り芝居に収まってしまって、
    ”本気”というものが見えなかった。

    それぞれがどういうキャラを持っているのかも、知りたかったな。

    これだけ期待のある劇団だから、
    私が見た回はたまたまイマイチだったんだなと思う。

    個人的に第二幕の方が好きでした。

    また次回に期待します。

  • 満足度★★★

    「楽しむ」ことの可能性
    まずは自分たちが楽しんで、客を楽しませようとする姿勢に感服。
    ただ、舞台上で行われるのは「楽しむとは何か」を見つめ直す試み。

    小劇場というアマチュアリズムを許容する空間を超えて、
    日常のエンタメとして成立させられる場所はどこにあるのか。
    内気で許容度が低く、閉塞観あふれる日本は狭い?
    とりあえず「楽しむ」ことで状況を打開する、
    そんな意気込みにあふれてて、感心します。

  • 満足度★★★

    演劇の旭山動物園。
    乗ってきました、セグウェイ。

    初日の様子だと、試乗会の受付は開場45分前(開演75分前)までとのこと。30人がその時間に来ることはないと思いますが、多いと回らない気もするので、乗りたきゃ早めが良さそうです。
    初日はジンジャー独り占めでした。ぐるぐる。

    18日にもう一度観る予定です。
    今後の変化も期待し、三つ星。

    ネタバレBOX

    不条理さえもおもちゃにし始めた、小指値新チーム「快快」。慣れた感のあるジンジャーの操作に比べ、こちらはまだ遊び切れてない印象です。山崎皓司の身体能力と言語感覚にまだまだ助けられているというか。後半に移った瞬間の期待感の高まりは凄いので、もっと遊び尽くしてくれたらと。

    一番もったいないのは、ジンジャーで(と)踊るシーンがないこと。
    というか乗ってる人と乗ってない人の絡み自体が少ないような気も。
  • 満足度★★★

    確実に言えることはセグウェイがあるということだけなのだ。
    前回の衝撃のままに大いなる期待を持って観劇。
    生でセグウェイを見るのも初めてだったもので、若干ミーハー気分もあり。

    改めて感じさせられたのは、「物語」を持たない作品性だということ。
    むしろ、その語りは「感想」とか「提起」とかそんなものに近くて。
    日常と思考のパッチワーク具合がなかなか面白いのだが、
    終盤に向かって、いまいち尻すぼみになっているような気がするのだ。

    セグウェイの軽やかさが作品自体に乗ってこないのはちょっともったいない。
    「そこにあるもの」だけで魅せる難しさを感じさせられた。

    ネタバレBOX

    テクノを使うのは、もはや卑怯だと思う。
    こちらは、テクノでアドレナリンが出てしまう仕様なんだから。
    そういう意味でひじょうに確信犯的なパフォーマンスであると思う。
    そんな旦那芸に終始しているのが、今回の不満。
    でも、IKZOを出してくるセンスは、脱帽。というか腹筋破壊。

    岸田戯曲賞云々の話が宣伝文句にあったので、それについても。
    はたして読むべき「戯曲」はどこにあったのでしょうか?
    もはや「戯曲」というものが解体されてしまっているきらいがあって。
    彼らには岸田戯曲賞なんて要らないんじゃないでしょうか。
  • 満足度★★★

    一歩間違えれば
    仲良しメンバーが楽しんでるだけのように感じてしまうかもしれない。
    自分も最初はそう感じて一歩引いてしまいそうになったものの、
    ある瞬間に「あ、もっと気楽に観ればいいんだ」と思えて楽しめた。

  • 満足度★★

    初小指値改め快快
    どういう舞台をするのか全く知らないまま観た。

    うーん。

    ラフに見えて中身はすごくソリッドだと思う。主張はきちんとあるはずだし。ただ、その伝え方というのが、あるいは主張そのものが、とても偏っているというか、ぼやけそうになる。つかまえるのが、難しい。
    観た直後は本当に混乱した。今はちょっと、その時より評価は上です。

    あとは、空気感なのかな。
    「敷居が低いですよー」と構えられても、初見にとっては逆に「何て敷居の高い芝居ダ!!!」となってしまう気がした。
    慣れが大事ですね。
    ダンスはかっこよかったけど、全体的にうまく入りこめなかったので、この評価。

    ネタバレBOX

    僕らは日々更新される。新陳代謝し、新しい細胞で上書きを繰り返す。また僕らは日々老いてゆく。新しくなることと、古くなることを同時にしている。
    更新は進化ではないし、ただの連続する「日常」という惰性である。
    突如癌化した日常は異常な新陳代謝を繰り返し、僕らは異常な日常に食い潰されてしまう。食い潰されてゆく中で見たはずのゲロの輝きは、目が覚めるともう消えてしまう。更新された視界は、もう老化した後の視界だ。僕らに進化はない。
    イヌネコネズミの下等生物は僕らニンゲンの未来を奪い、ダイナミックな進化を遂げる。代わりに持ってきた新しいセグウェイはカッコイイけれど、それはただの更新だ。
    僕らは進化をしない。いつか、いつかは定かではないけれども、本当にセグウェイを降りるときが来て、仙人にスライドしてゆくのだろう。僕らの未来は老化しかない。

    伝えたいことと違うかもだけど漠然と思った。
  • 満足度★★

    『三月の5日間』
    ですよね。

    ネタバレBOX

    チェルフィッチュのフォロワー。特に『三月の5日間』を意識した内容になっている。セックスの代りに飲み会ね。
    前半は後半の為の当て馬という構成。セグウェイは話のダシに過ぎず、本当の題材はホームレスの爺さんを見てのあれやこれやだ。
    演劇というのはやってみせることだと思っていたのだが、そうだとすれば、これは身体をかなり使っているけれども、相当文学性が勝った演劇なのかなあと。
    言葉の描写の「リフ」を別人が別の場面でずらして言うことで、意味を付け替えてゆくという仕掛けを使い、モチーフに迫ってゆく。無関心で冷酷なイマドキの若者のふりをしてマトモな事を言い、客に「聞かせる」というような手法か。
    代表的な演技者は、池野拓哉(from パパ・タラフマラ?)。
    余談だが、これから、美術畑の人間の習い性でどうしょうもないのだが、手法の可能性の追求・細分化・トリビアリズム・退廃・放棄という様なサイクルを作ってゆくんじゃないでしょうか。

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