櫻ふぶき日本の心中 公演情報 櫻ふぶき日本の心中」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★★

    男と女の地獄(日本国)巡り
    「日本」という国は、こういう「国」なのだ。

    私たちが、今、「日本」と「心中」しないためには……。

    ネタバレBOX

    40年ぐらい前に書かれた戯曲だと言う。
    しかし、そういう古さは感じない。
    かと言って、「古典」的なかび臭さもない。

    今の世、特にネットでもてはやされるような、「日本的」な「強さ」の根底にあるものを感じる。

    すなわち、「男は死ぬことを目指してしまう」ということ。

    男は、「死んでしまえば」「すべてが終わる」と思っている。
    さらに言えば、「死んでしまって」「神になった」ほうがいいと思っていたりする。
    それが潔く、「男らしい」ともてはやされる。
    「強い」と褒められ、いい気になったりもする。
    その死に様は、「桜」の花にたとえられたりもする。


    この作品では、3人の座頭が、江戸から東海道を下り、さらに江戸に戻って、東北を旅するのだが、時間軸としては、江戸時代から現代までを貫いて行く。

    貫いていきながら、立ち止まって「見る」のは、男女の心中。

    時代の波に翻弄され、「死」を選ぶ男たち。
    それに従わされる女たち。
    「死」を選ぶ理由はそれぞれ。
    しかし、自分が納得すれば、理由なんて何でもいいのではないだろうか。
    なにしろ「死にたがって」いるのだから。

    「死にたがる男」たちは、心中をしたいと思っているのだが、それは個人的なエピソードではない。
    つまり、「死にたがる男」たちというのは、「日本」という「国」(カタチ)をよく表しているのではないだろうか。
    いつの世でも、それは日本的。

    女たちにはそういう感覚はない。
    女がいたから、今まで日本は滅びなかったと言っていい。
    日本人が全員男だったら(生物的な意味ではなく)、少なくとも先の大戦では、日本は完全に滅んでしまったと思うのだ。
    「死にたい男」たちとともに、まさに「心中」してしまっただろう。

    「滅び」に「美学」を感じるのは、「日本的」だと思う。
    「桜」にたとえられ、「美しい」と感じる。
    しかし、それはそこまでのことであり、それを「押し付けられる」ことは絶対にイヤだ。

    心中エピソードの中には、「戦争」の時代が入っていなかった。
    これは「あえて」入れなかったのだろう。

    あまりにも当たり前に「死にたい男」ばかりになるからだ。

    男と心中してしまう女も出てくるが、その女は決して死んではいない。

    劇中の台詞にもあったが「男は女を殺すことはできない」。
    それは絶対にできないのだ。

    ラストに座頭たちは、「実は目が見えていた」ということが明かされる。
    「見えて」いた。彼らは心中の「傍観者」だった。

    「めくら」のふりをしていた彼らもまた、「日本人」なのだ。
    「見えないこと」にしてしまう、「聞こえないこと」にしてしまう、その姿は、私たちに、そのまま重なっていくのではないだろうか。

    多くの人々が、座頭になって、「見えない(見ない)」「聞こえない(聞かない)」と言っているうちに、日本中が「死にたい男たち」になってしまうのだ。
    座頭たちは、互いに殺し合い、死んでしまう。
    それが、社会の座頭になった人々の末路ではないだろうか。

    「死にたい男」たちと「心中」しないためには、「目を見開け」ということだ。
    ……って、そこまで書いてしまうと少々野暮ったいが。


    この作品ではさらに、こうも言っていた「桜は女」だと。
    つまり、見事に散っていく「男」たちが「桜」なのではなく、また「咲く」ことができる「女」が「桜」なのだ。
    「桜」を「男」のモノにしない、この作品の凄さはここにある、と言っていいだろう。

    外波山文明さんが珍しく、作品の中心にいた。座頭の1人として物語を回していく。
    ときにユーモアな姿も見せながら、最後の立ち回りはカッコ良すぎ。

    心中者の片割れを演じた「ゆう」役の女優さんは、それぞれがすべて良かった。
    くの市を演じた井上カオリさんの、地に足がついている感と粋な感じが良かったし、戦後間もないころのエピソードに登場する遊(今井夢子さん)の、しっとりとした哀しさも良かった。お茶を淹れるという仕草だけでも素晴らしいと思った。田舎で村人たちの共有物となっている、ゆう(浜野まどかさん)は、こういう演技は、紙一重なのだが、泣かせてくれた。血のつながりがあるとは知らずに関係を持ってしまう、夕(長嶺安奈さん)は、弱そうに見えて強さがある、という雰囲気が良かった。

    この作品自体も、女(女優)のものだったのかもしれない。

    舞台の下手で、演奏する寺田英一さんのギターは、音楽であり、効果音でもあり、リアルな音を感じられ、とてもよかった。

    次回の椿組は、桟敷童子の東さんの作品を、花園神社でテント芝居だという。
    これはベストマッチではないだろうか。
    桟敷童子がセットも組んだらいいのな、と思う。
    今から楽しみだ。
  • 日本の心を巧みに挑発する快作だ


    『座頭市』は、世界的映画監督・黒澤明の代表作として多くの人が知っている。昨年10月、シネーマート六本木にて『座頭市血笑旅』を鑑賞したが、時代劇という映画作品ながら、コマ割の削れるところを削っていく大衆性を感じざるをえなかった。
    この東京国際映画祭2013関連企画上映会『時代劇へようこそ~先ず、粋にいきましょう』は、国立近代フィルムセンター等が中心となり現在進められている「フィルムプリント復元事業」の成果を社会一般へアピールする企画として、文化庁が昨年から主催するイベントだ。


    『椿組』は、国際社会のバッシングの対象となっている「ハラキリ文化」「恋色沙汰心中」「輪廻転生」(インド・バラモン教へ通じ、カースト制を生む原因)の三点を、驚くべき編成、人物描写により劇場空間を席巻してしまった。
    四方のステージ。通路を老人が歩き出し、「盲で ございまーす。盲でございまーす」(差別語であることは承知しておりますが、江戸時代を描く史実関係も大切だと思い、台詞をそのまま掲載させて頂いています)を お知らせする。
    黒澤明も撮影した その『座頭市』を現在進行形の形に添えた上、終戦後50年代〜60年代の「色沙汰心中」で交差させる、スリリングな構成であった。


    開場中、ずっと音響スピーカが流していたBGMこそ「50年代ニュース映画」である。1951年4月16日7時25分マッカーサーの離日実況中継は、当時の「民主化の父」へ対する崇拝の世論を映し出すようで興味深い。
    戦後復興期を迎え、「金」が絶対権利を持つ資本主義社会と、個人の悲壮感「挑み、そして散る者」に哲学価値を定義する舞台は多い。漫画家・手塚治虫も1980年代以降、こうしたテーマを強く意識した作品制作を行っている。
    だが、『椿組』が全く異なったアプローチであるのは、「色沙汰心中」を、かなり思い切って肯定してみせたことだろう。


    「都会にはレモンがいる」等の台詞が、シェイクスピア調の格式高い香り。あまりの難解なセリフは笑いすら起こった。





















  • 満足度★★★★★

    無題969(14-008)
    19:00の回(晴)。18:20会場着、受付(指定席)、18:29開場。前2列(桟敷)が自由席、3列目(A)から椅子席(クッションあり)、ひな壇。(たぶん)正方形の一段高くなった舞台、赤い模様がちょっと不気味、下手に木らしきもの、壁を伝って天井まで。こちらは2作目(「後ろの正面だあれ!(2013/2)」)、今井さん、長嶺さん、鳥越さんは、先月「THE BELL(@セッションハウス)」を観ました。
    お客さん詰まっています。列の前後、間隔「0」。開場時からラジオの「ニュース」番組でしょうか、極東国際軍事裁判、浅沼事件、東京オリンピック…19:01前説、19:02ブザー、暗転〜20:55終演。

    壁に暗幕、舞台上、初めは何もないのですが、場面によって小道具が設置され、下手にギター奏者(アコースティックのダブルネック、ボディは小さ目…K.yairiでしょうか?)。

    女と男…、旅の一行は時を超えて何処へ行く。エピソードのつながりがよくわからないものの見応えありました。ギター(スライドあり)の音色も綺麗、とてもクリーンなので々、BGMのほうのギターと聴き間違える。会場が少し寒く感じました。

    ネタバレBOX

    当パンのイラスト(役名とご本人とソックリの衣装を着ているイラスト)がよくできていて楽しい。「ゆう」という女は「遊」「ゆう」「夕」とわかれていました。3名の女性にひた向きさを感じるのに、相手の男はどうしてこんなにも中途半端なのでしょうね...哀しいお話。

    暗い世界から、花が舞い散る世界への展開はたいへん鮮やかでした。
  • 満足度★★★★★

    始まってすぐ、
    「あ、これはヤバい・・・・」と。まさに「ザ・お芝居」という感じだったなぁ。舞台美術、衣装、演技などすべて素晴らしかったですが、何といっても他の劇団にはないお芝居の毒みたいなものがたっぷりで、こんなものを見てしまっては他の劇団が物足りなくなってしまうのではないか、と本気で心配しています。大衆演劇などのけれん味とは全く違う、お芝居のエッセンスが滴るような舞台でした。ストーリー云々よりも、何というか、持っていかれてしまいました。危ないです。

  • 満足度★★★★

    男と女のおとしまえ
     エンターテインメントとしても楽しめる舞台である。然し、実に様々な要素が織り込まれているので、観る者の関心によって様々な観方が可能な作品である。

    ネタバレBOX

     平時に、男は女を守るだろう。だが、非常の際、オトシマエをつけるのは女である。殊に日本の非常時、男の責任の取り方は死ぬことだけのように思われる。このことが、尚の事、人間としての全体について深く考えることを阻害しているのだ。
     江戸時代、心中御法度の時代から敗戦闇市の時代を経て60年代安保、70年代沖縄闘争翌年辺り迄の状況に弄ばれる男女の心中を連綿たる横糸として通し、男女の対応に絡む時の流れ、擬制を縦糸として、男、女それぞれの時代に対するオトシマエ、互いに対するオトシマエとその有効性について、また対応の差異の要因と差異差による発展性について考えさせる舞台である。
     舞台美術では相変わらず冴えた加藤 ちかの、手際が目立つ。舞台上に描かれた桜とも薄赤い花の絨毯ともとれるような、心に沁み入る文様が印象的であるばかりではない。見事な展開が用意されているから期待して観るべし。
     また、原始共産性に於ける共有・共同は何処迄許容できるかについてや、その際、何を具体的に共有・共同の実体として纏まるのか? といった本質的問題が提起されていることも重要である。未だに残る地域もあると言われる若衆宿の伝統的習慣などにも、この発想は連綿と息づいているわけだし、イデオロギー的にも解決されていない本質的問題の一つである。
     更に、闘いの絶えないヒトの歴史に於いて、暴力以外にヒトを纏める力についての考察への非常に示唆的な対応が、女性の持つ融通性や非戦闘的調整能力としても提起されていることが重要である。
  • 満足度★★★★★

    ツアーガイドに導かれ
    皆さんピタッとハマっていました。

    ネタバレBOX

    盲目の市たちに導かれながら時代時代の心中を見て回るのは、まるで学習院女子大学で観た『女子大生100年日記』のおっさん版のようで、随分汚いツアーガイドに案内されるものだと思いながら観ていました。

    江戸時代の心中で生き残ったお女郎さんの話、戦後まもなくの元海軍の軍人さんと肺病のお女郎さんの話、村の娼婦的役割の娘と学生運動に挫折した青年の話、後で双子の兄妹と知った男女の話等があり、どちらかというと、桜が似合う古典的心中物が中心でした。

    派手ではないですが、腰の定まった殺陣はさすがでした。お女郎らしく、軍人崩れらしく、皆さん役柄にピタッとハマっていました。特に、そこそこできるけれども風体の上がらない刑事さんが好きでした。

    市たちが途中の寸劇で見せた百両強奪事件についての顛末の解説で、誰がどうした、誰の女房がこうしたとか言われても良く分からず、初っ端の武装蜂起した武士たちの中から逃げてきた男の事情も良く分からずで、この辺りが絡み合ってそうなったのでしょうが、ラストの実は盲目ではなかった市たちの斬り合いが良く理解できませんでした。

    やっぱ見えていなけりゃ人は斬れませんよねぇと、そこんところは妙に納得しました。
  • 満足度★★★★★

    ユニークな作りが楽しめました
    オムニバスのようで繋がっている話を上手に見せておりました♪

    自分好みの細かい小道具選別など、
    使い方・見せ方がカッコ良かったなぁと思った1時間50分。

    ネタバレBOX

    初日の終劇後はロビーにてビール提供などもしておりました
    (毎回恒例の事のようです)

    音楽は珍しいダブルネックのギターの生演奏であります
    ~かっこよいです~

    ラストシーンの美しさに星一つ追加しますが出演者コメント付きのパンフで、
    桜吹雪が舞台で必ずありますと分かる内容はボカシてもよかったんじゃないのかしら?
    (毎回の公演でやってたりするのでいいんでしょうか?)
  • ラスト30秒の心意気、しかと受け取りました。
    終演後挨拶での、「ラスト30秒に命賭けてますから!」
    はい、その通りです。
    舞台装置は本当に素晴らしいです。
    三方を囲む黒、日本の“日”とも読めそうな月、赤い舞台。
    そして白の世界。
    すっかり心奪われてしまいました。

    時代はめぐる。「ゆう」と共に。

    椿組は昨年夏の花園神社野外劇以来、二回目の観劇。
    理解力の乏しい私には、「何でこうなったの?」「どうしてこうなるの?」って所が多々あるのは今回も同じ。
    一つ例を挙げると、終盤の座頭三人が斬り合う理由とか。

    しかし、全体のストーリーとしては楽しめた。
    色々な時代の、様々な男女模様の、心中。
    その時代でなかったら、そこに生まれていなければ、知らなければ、幸せになれたはずの男と女。
    泣きたかったなぁ。何故泣けなかったのか…

    表面的になってしまったからなぁ…?
    各パートとも、相手を殺すほどの狂気はなかったのは確か。

    江戸から始まり、時代をめぐり、また江戸に戻る。
    時代劇の中に、「(当初の時代からの)未来の回想」という劇中劇が入る、何とも複雑な構成。
    劇中劇の中に、今がいつといった正確な説明はないものの、大体の時代やその背景は理解できる。
    そしてそんな複雑な構成でも、こちらは混乱せずに観られる。

    ギターの生演奏が舞台を盛り上げてくれた。
    時代劇にギター?と思って観始めたが、これが合う!

このページのQRコードです。

拡大