櫻ふぶき日本の心中 公演情報 椿組「櫻ふぶき日本の心中」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    男と女の地獄(日本国)巡り
    「日本」という国は、こういう「国」なのだ。

    私たちが、今、「日本」と「心中」しないためには……。

    ネタバレBOX

    40年ぐらい前に書かれた戯曲だと言う。
    しかし、そういう古さは感じない。
    かと言って、「古典」的なかび臭さもない。

    今の世、特にネットでもてはやされるような、「日本的」な「強さ」の根底にあるものを感じる。

    すなわち、「男は死ぬことを目指してしまう」ということ。

    男は、「死んでしまえば」「すべてが終わる」と思っている。
    さらに言えば、「死んでしまって」「神になった」ほうがいいと思っていたりする。
    それが潔く、「男らしい」ともてはやされる。
    「強い」と褒められ、いい気になったりもする。
    その死に様は、「桜」の花にたとえられたりもする。


    この作品では、3人の座頭が、江戸から東海道を下り、さらに江戸に戻って、東北を旅するのだが、時間軸としては、江戸時代から現代までを貫いて行く。

    貫いていきながら、立ち止まって「見る」のは、男女の心中。

    時代の波に翻弄され、「死」を選ぶ男たち。
    それに従わされる女たち。
    「死」を選ぶ理由はそれぞれ。
    しかし、自分が納得すれば、理由なんて何でもいいのではないだろうか。
    なにしろ「死にたがって」いるのだから。

    「死にたがる男」たちは、心中をしたいと思っているのだが、それは個人的なエピソードではない。
    つまり、「死にたがる男」たちというのは、「日本」という「国」(カタチ)をよく表しているのではないだろうか。
    いつの世でも、それは日本的。

    女たちにはそういう感覚はない。
    女がいたから、今まで日本は滅びなかったと言っていい。
    日本人が全員男だったら(生物的な意味ではなく)、少なくとも先の大戦では、日本は完全に滅んでしまったと思うのだ。
    「死にたい男」たちとともに、まさに「心中」してしまっただろう。

    「滅び」に「美学」を感じるのは、「日本的」だと思う。
    「桜」にたとえられ、「美しい」と感じる。
    しかし、それはそこまでのことであり、それを「押し付けられる」ことは絶対にイヤだ。

    心中エピソードの中には、「戦争」の時代が入っていなかった。
    これは「あえて」入れなかったのだろう。

    あまりにも当たり前に「死にたい男」ばかりになるからだ。

    男と心中してしまう女も出てくるが、その女は決して死んではいない。

    劇中の台詞にもあったが「男は女を殺すことはできない」。
    それは絶対にできないのだ。

    ラストに座頭たちは、「実は目が見えていた」ということが明かされる。
    「見えて」いた。彼らは心中の「傍観者」だった。

    「めくら」のふりをしていた彼らもまた、「日本人」なのだ。
    「見えないこと」にしてしまう、「聞こえないこと」にしてしまう、その姿は、私たちに、そのまま重なっていくのではないだろうか。

    多くの人々が、座頭になって、「見えない(見ない)」「聞こえない(聞かない)」と言っているうちに、日本中が「死にたい男たち」になってしまうのだ。
    座頭たちは、互いに殺し合い、死んでしまう。
    それが、社会の座頭になった人々の末路ではないだろうか。

    「死にたい男」たちと「心中」しないためには、「目を見開け」ということだ。
    ……って、そこまで書いてしまうと少々野暮ったいが。


    この作品ではさらに、こうも言っていた「桜は女」だと。
    つまり、見事に散っていく「男」たちが「桜」なのではなく、また「咲く」ことができる「女」が「桜」なのだ。
    「桜」を「男」のモノにしない、この作品の凄さはここにある、と言っていいだろう。

    外波山文明さんが珍しく、作品の中心にいた。座頭の1人として物語を回していく。
    ときにユーモアな姿も見せながら、最後の立ち回りはカッコ良すぎ。

    心中者の片割れを演じた「ゆう」役の女優さんは、それぞれがすべて良かった。
    くの市を演じた井上カオリさんの、地に足がついている感と粋な感じが良かったし、戦後間もないころのエピソードに登場する遊(今井夢子さん)の、しっとりとした哀しさも良かった。お茶を淹れるという仕草だけでも素晴らしいと思った。田舎で村人たちの共有物となっている、ゆう(浜野まどかさん)は、こういう演技は、紙一重なのだが、泣かせてくれた。血のつながりがあるとは知らずに関係を持ってしまう、夕(長嶺安奈さん)は、弱そうに見えて強さがある、という雰囲気が良かった。

    この作品自体も、女(女優)のものだったのかもしれない。

    舞台の下手で、演奏する寺田英一さんのギターは、音楽であり、効果音でもあり、リアルな音を感じられ、とてもよかった。

    次回の椿組は、桟敷童子の東さんの作品を、花園神社でテント芝居だという。
    これはベストマッチではないだろうか。
    桟敷童子がセットも組んだらいいのな、と思う。
    今から楽しみだ。

    0

    2014/01/19 07:37

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大