満足度★★★★
キュン
難しそうだなーという先入観がありましたが
とても分かりやすくすんなり入っていける脚本になっていて
観に行って良かったなと思いました。胸キュンでした!
脚本だけでなくパフォーマンスなど
みせかたがとても良かったです!!!
セリフ回しも凄かった。
満足度★★★★★
『ジゼル』と,不倫問題で共通している。
『ジゼル』は,現代の不倫問題にも該当し,解釈によっては悲劇にもなる。
タリオーニとエルスラーの時代は去った。カルロッタ・グリジの時代が来た。彼女は,7歳からバレエをやっている。15歳になったとき,24際だったジュール・ペローと出会う。ペローは,バレエの指導者として優秀で,その様子は,名画ドガ『踊り子』に残されている。当時,メートル・ド・バレエは,ジャン・コラーリであった。『ジゼル』を誰が振付するか。プリ・マドンナであったグリジは,振付もやっていた恋人ペローのいいなりであった。そのために,『ジゼル』の振付は,記録としては,ジャン・コラーリとなっているが,実際には,ジュール・ペローの振付である。
グリジは,ドニゼッティのオペラでのバレエ・シーンが,初舞台であった。五幕でなく二幕の『ジゼル』は,グリジには取り組み易く,彼女を有名にした。原題は,『Giselle, ou Les Wills』で,1842年,ボードレールも崇拝する文学者テオフィル・ゴーチエが,書き下ろしたものである。ゴーチエの作品としては,もう一つ『バラの精霊』がある。ハイネの民話からヒントを得て,ユーゴー作品中の舞踏会も参考にしている。ゴーチエ同様に,バレエ好きなアダンは音楽を担当した。アダンは,視覚的に,踊り子の足を見ることが快感であったことを告白している。
『ジゼル』は,ロマンチック・バレエなので,異国趣味の,妖精物語。淡いはかない貴族と,村娘の恋という以上の意図はなかった。しかし,これが,すぐに,ロシアに渡り改訂され,フランスで上演されなくなっても,人気を得ていく。1884年頃,マリウス・プティパが大規模に作品を手直ししている。貴族のきまぐれな恋の物語は,『フィガロの結婚』『二都物語』も同様である。しかし,『ジゼル』は,現代の不倫問題にも該当し,解釈によっては悲劇にもなる。
以下,ストーリーを追うと,
村娘ジゼルの笑顔は,人を引きつける。彼女は,ダンスがとても上手である。あるとき,とおりすがりの男は,この娘に出会い恋に落ちた。しかし,彼には,許婚がすでにいた。そのことを隠しても,娘に近付きたくなって,アルブレヒトは転落していく。
村娘ジゼルのことを村で一番想っていたヒラリオンは,アルブレヒトの許婚であるバディルドと,彼女の父親を,無理やり密会の現場に引きずり出す。愛するアルブレヒトに許婚がいたことに衝撃を受けたジゼルは,もはや生きている希望を失ってしまうのである。
村には言い伝えがあった。恋に盲目となり,身を滅ばした者は,妖精となって,暗い森を彷徨う。娘たちをだました男がその森を訪れたら,妖精は復讐をすれば良い。皆でからかってやるといい。祝宴を催し,酒をのませ,毒牙にかけて,ダンスの相手をさせるのだ。妖精には,疲れという言葉は存在しない。だから,妖精たちが気の済むまで,ダンスの相手したまぬけな男たちは,気が狂うか,絶命してしまうしかないのだ。
ある日,ジゼルたちの祝宴には,二人の懐かしい顔があった。ひとりは,一方的に自分にのぼせあがって,挙句に,アルブレヒトと自分の恋を見事に引き裂いた,ヒラリオンである。もう一人は,村にたまたま寄ったために,自分のダンスを見て,自分の美に釘付けになり,はからずも恋に落ちたアルブレヒトだった。妖精たちの判断は,まず,ヒラリオンを死ぬまで踊らせて,目的を果たす。しかし,次なる標的のアルブレヒトには,ジゼルはなんの恨みも抱いていなかった。しいていえば,許婚の存在を明かさなかったことだ。ただ,最初にそのような男を誘惑したのも自分であり,恨む筋合いでもなかったのだ。この男に,本当に罰を与えて良いものなのだろうか。
というようなことになると,『ジゼル』は,きまぐれな貴族の遊びにされた恋という意味を失う。現代人の恋,不倫的な気持ちが起こるのは,自然なものか,許されざるものか,そいうシリアスな劇になる。
ところで,『ジゼル』の時代は,靴も十分に完成されていない。技術を,足の筋肉で補うのが精一杯であった。『ジゼル』の少し前の,『ラ・シルフィールド』で,初めて爪先の利用,ポワントが出現する。鳥のように軽やかで地に足がついていないこと,これを示すために,どうしたら良いだろう。一回跳ぶあいだに二回交差して,元に戻ってみよう,これが,アントルシャ・カトルと呼ばれた。
参考文献:バレエの歴史(佐々木涼子)
満足度★★★★★
楽しいハイリンド版
独特の言い回しと、とてつもない長台詞に汗だくの熱演。
この公演、役者の客席登場もとても多く、間近で沢山の役者さんが観れました。
肩っ苦しい台詞もシェイクスピアの楽しみ。
ハイリンド的シェイクスピアは、現代風にアレンジしてあって、なかなか面白く仕上がってました。
楽しかったです。
満足度★★★★★
ハイリンド版、楽しい!
シェークスピアというと敬遠してしまいがちだったので(彼の作品は重厚な悲劇の方が印象が強いせいか)観る前は多少不安だった。しかしハイリンド版はその不安を吹き飛ばす楽しいものでした。
何よりストーリーが分かりやすく、恋愛における男女の心理を最も単純化した形で描くことにより、こちら側に情感がストレートに伝わってきた。(もちろん原作がそうなのだろうが、きっと松岡和子さんの新訳に因るところが大きいのではないだろうか。)
特に印象に残るシーンがフローディアス(井原農)を想うジュリア(はざまみゆき)が 少年の姿で一人佇み独白するシーン。“嗚呼、なんという乙女心の切なさよ”と、オジサンもジーンときてしまいました。またその時の彼女の表情も素敵だったし、なによりその発声の美しさに聞き惚れました。
長く独特なセリフ回しは(ある程度予測していたこともあって)それほど苦にならなかっし、ラーンス(高木稟)の関西弁も不思議と物語に溶け込んでいました。
そして何より感嘆したのはラストのパイ投げです。ハッピーエンドで終わる物語の登場人物たちの喜びをMAXで表現したシーンであり、古典劇の枠組みをいいかたちで崩すという「してやられたり」の表現でした。
素直にシェークスピアって面白い、演劇は面白いと感じた作品でした。
満足度★★★★★
『ヴェローナの二紳士』は,非常におもしろい演劇だった。
『ヴェローナの二紳士』は,非常におもしろい演劇だった。最初大好きだった女性がいるのだが,遠方に出かける機会があると,その恋が色あせていく。そのために,今度は,本当に美しい姫に出会ってしまうのだ。ただ,彼は,凡人なので,その後やりたい放題をやって,一番恥をかいてしまうのだ。
彼が子どもであったとか,一度決めた相手があるのだから,誰かに心惹かれるのはおかしい,とかそういう視点も勿論あるだろう。初期のシェークスピア作品ゆえに,作品の完成度が低いとか言うのだが,今回の演劇を観ると結構おもしろかった。むしろ,期待大だった『お気に召すまま』より良かった。
ディケンズ作品もそうだが,内容があっちに飛び,こっちに広がり,さっぱりまとまらないようなことは良くある。書きながら考えているうちに,上演されてしまうこともあるだろう。でも,作品の好き嫌いは,全体の完成度にあるのでなく,その一部に非常に興味深い展開が含まれていることも多い。
恋愛に関する意識,友情というものの意味,そういったものが,180度変化していく現代にあって,『ヴェローナの二紳士』をやることは,意外と好評なのではないだろか。シェークスピア作品にあって,一番上演されなかった作品は,ひょっとすると,もっとも現代人に愛されるかもしれない。
満足度★★★★
若者向けのシェイクスピア
冒頭からセリフ回しがすごく早くて内容が入ってこなくて、ちょっとどうかなーと思いましたが、若々しい台本とコミカルな演出を生かすものだと納得しました。しかし年齢の高い方には受け入れられにくい作りになっている様に思えます。
役者の生き生きとした演技はとても気持ちが良かったです。唐突な展開で強引な感じが感動というよりクスリと笑ってしまう様な最後で今まで観たシェイクスピアとは違った感覚でした。 あたし個人としてはすごく好きな演出でした。
満足度★★★★
テンポが良く楽しい物語
セリフが多くついていけないような部分もあったし、最後の展開は現実的には無理があると思ったが、全体的にはテンポが良く楽しい物語に仕上がっていた。オープニングとエンディングのパフォーマンスに加え、途中に組み込まれていた歌とコントも良いアクセントになっていて、そのあたりのバランスも良く全体を通して楽しむことができた。
満足度★★★
素敵な舞台空間
客席に入る時に、飛び込んできた舞台セットが素敵で、期待をより高めてくれました。随所に笑いも散りばめられた舞台で、堅苦しいイメージのシェイクスピアではなかったです。帰りにパンフレットを買ってしまいました!
満足度★★★★
とてもわかりやすいシェイクスピアになっていた
台詞の新訳はまだまだ昔の訳を引きずっていて、さらなる磨き上げが必要と思うが、全体的にはわかりやすい、いい新訳だと思った。シェイクスピア入門としておすすめ。
役者によっては長い早口の台詞が聞き取りにくい箇所もあり。
尾崎紀代彦の歌が2曲使われていたので、もっと出てくるかと思ったが、後半はなかったな。残念。
衣装がとてもきれいで目を引いた。大公、召使、主人公の男女4人、その他、身分別に違う衣装で、その時代とまったく同じ衣装ではないが、独創的な衣装だと思った。最後に全員が白い衣装に変身したのもよかった。もっともその後のアレで汚れたよね~(笑)
満足度★★★★★
爽やかで楽しいシェイクスピア
シェイクスピア20代の作品だが、演劇の基本である対比を言葉によって完全に書き上げており、その才能の凄さを改めて見せつける内容であった。その原文の内容を見事な新訳に移した松岡 和子も、当然、高い評価を受けるべきである。演出の斬新、その覚悟も志の高さも称賛に値する。更に、中心になった四人の役者達の、若々しく爽やかな演技は、観ていて本当に気持ちの良いものであった。殊に、岡本 篤の演技が気に入った。何れにせよ、体当たりの演技で軽やかに力強く、爽やかさを感じさせるほどに純粋に演じていたことに好感を持った。
台詞ごとに“待ってました!”痛快•二紳士
シェイクスピアの幅の広さを改めて認識できた。
聴いているだけで、気持ちがいい。
観ているだけで、引き込まれる。
この世界に、ずうっと浸かっていたかった。
優しさに溢れた逆転劇。
大人も、子供も、違った目線で堪能できる。
イタリア貴族階級における恋愛悲喜劇である。
劇ならではの空気が漂うなか、「安心感」が あった。
シェイクスピアといえば、難解な、30年 間 詩の研究に没頭した者でさえ 自分の血となり、肉とすることができない言語である。
思春期の青年を惑わす魔女に囁かれた観客は、 雷に打たれた後の大木だ。
言語に折れ、焼き払われたっていい。それが、魔女の囁きから生まれた 演劇史なら、誰が 魅力的な摩擦を止めて、今朝の 大木を もう一度 眺めたいなどというだろうか。
「安心感」は どの要素から生まれたかといえば、コメディタッチで描いた点にある。
ラストのシーンは象徴だった。
友同士が、激烈に語り合い、分かち合う泪する場面なのにもかかわらず、「シェイクスピア」の言語のため、会場からは“笑い”。
基本的には「シェイクスピア」であることを否定しない反面、最も 要求される場面において、“笑い”へ変換された。
伝統の看板が立つホテルを訪れたら、中では 大相撲の最中だった。
それは、◯◯投げにも通用する台詞かもしれない。(目に入ると痛いですよ)
吉祥寺シアターがOKの二文字をこっそりと示したことこそ、柔らかな怒りさえ持たぬ コメディ劇の証拠であり、旅館の襖を開けて確認できるくらい明白な事実である。
「独白」は、男として、友として、貴族して、人として の守らなければならない鉄則と、女を奪いたい本心とが交錯する、見応えのある“対話”だった。
観客に訴えるのは、日本むかし話ではなく、登場人物の自身における対話、観客との対話だろう。
そこには、水戸黄門の論理を越えた 物事の深い面が備わっている。
迷いながらも、不断の決意により 実施してしまう男は、セクシーではないか。
セクシーという名の印籠だ。
この舞台は、姫に嫌われ、友を裏切った男が、実は 最大にモテるオトコだったといえる。
シェイクスピア×コメディの試験管であれば、さらに強烈な言語で、知的な詩人を“笑い”に変換する手もあった。
ところが、そうした明確な意図はラストシーンのみであり、全編に渡って シェイクスピアの忠実な下部だった。
結果論としてのコメディである。
(それも意図的な)
“イヌ”も登場するくらいだから、もっと“忠実”が度をすぎたコメディ化を目指すべきだったのではないか。これは批判どころか、個人的な要望である。
知的なシェイクスピア劇は、より“忠実”、より“深化”させようと思うほど、逆にコメディ化に適した部分もある。
一昨年、ロンドンインターナショナル劇団のシェイクスピア劇(本番)を埼玉•濁協大学公演にて観劇したが、人によっては「えー、昼間なのに!困るよ」と聞こえてくる内容も あった。
そして、彼らは観客の女性の髪をボサボサにして帰って行った。
そうだ。
シェイクスピアは、幅の広いジャンルである。
◯◯投げをしあう、それは 非シェイクスピアとはいえない。
むしろ、シェイクスピアの出番なのだ。
満足度★★★
もっと遊んでほしかった
『ヴェローナの二紳士』を書いたのは、二十台後半のシェークスピアらしい。
そういえばどっかで聞いたことある掛け合いだなあとか、この設定はどっかで観たなあという気がした。その後のシェークスピア演劇の萌芽がそこにはあるということなんですね。
そういう意味で、『ヴェローナの二紳士』を観られたのは、貴重な体験でした。
満足度★★★★
淡白なシェイクスピア?
後の数々の名作につながっていくシェイクスピアの片鱗が垣間見れるような作品です。今の観点からすると、話の展開に不自然さや強引なところもあります。例えば、終盤で、ヴァレンタインがプローティアスに仲直りの友情の証として、本人の同意もなく、シルヴィアを譲ろうとし、それを見ていた変装したジュリアが卒倒する場面などはいきなりこんなのアリ?と思ってしまいます。一貫性のなさこそがまさにシェイクスピアらしさということでしょうか。
が、新訳をひっさげてのスーピーディーな台詞回し、吉祥寺シアターの劇場空間をうまく使ったきびきびとした演出もあって、喜劇としてみればあっててもいいのかなと思える飽きのこない作品に仕上がっていたと思います。
ただ、スピード感を重視しすぎたこともあるのでしょうが、もう少しじっくり観たいかなというところもあっという間に進んでしまいあっさりし過ぎている場面が多々見受けられたのは、もったいなかったかなという気がしました。
また、最初のキャッチボールから始まる意味不明?の場面は最後の場面につながりますので、それは観てのお楽しみということで。
満足度★★★★
見てからのお楽しみにしました
先入観無く観劇しました(^^)
楽しかったですーレトロな感じの舞台セットに言い回し。
衣装なども各人のシンボルカラーなどを決めて観客にわかり易くする配慮など評価高いです。それにしても、よく見つけて舞台化したですネェ。観劇できた事、感謝です。な~んか塩商人組合の村祭りでの他組合との対抗劇って見方しても面白かった(勝手な妄想ですが・・・)。
(休憩無しの約2時間)
満足度★★★★
珍しい古典の公演、
とても興味深く観ました。当時の劇場を模したかのような美術はすごく素敵だった。召使が主人の恋のお手伝いをしたり、狂言回しを務めるというのは、当時の喜劇の常套だったと何かで読んだことがありますが、なるほどこんな感じかぁ・・・・と面白かったです。現代劇とは全く違う台詞回し、膨大な台詞量、所作などただただほう~という感じ。台詞については少々こなれが悪く、何より横や下を向いていると聞き取りにくい。あと、衣装が少々気になりました。身分の差による区別がほとんどなく、古典劇の楽しみに欠けてしまった気がする。贅沢なものを用意する必要は無いと思いますが、物語の解り易さのためや当時の空気感を出すためにも、もう少し何とかして欲しかったなぁ。
満足度★★★★
ヤング・シェイクスピア!
まさに「ヤング・シェイクスピア」な作品で格式と軽やかさを併せ持つ、な感じ。
さらに「あんな曲」で始めたり「あんなコト」で締め括ったりの演出が輪をかけて愉快愉快。舞台上方と奥の「アレ」がまた開放感を醸し出してイイ感じ。
満足度★★★★★
面白かったです!
初めてのハイリンドさん。
そした、メジャーなシェイクスピアの中でも、こちらはマイナーなこの作品。
初めて知りました!!
シェイクスピア作品は、あの古典の台詞まわしに、1ページ以上もありそうな長い台詞で、実は少し苦手でしたが、役者さんたちの生き生きした表情や動きに、2時間あっという間に過ぎて行きました!!
シェイクスピアの若き日の作品ということで、とっても熱くて、初々しくて。。。
面白かったです!!
満足度★★★★★
今の季節にぴったり!
シェイクスピア作品のむちゃくちゃ感たっぷりの『ヴェローナの二紳士』。そのせいで、あまり評価は高くない原作なのだけれど、そのむちゃくちゃ感と若さを笑い飛ばす、夏がはじまるこの時期にぴったりな、熱さと胸きゅんと笑いたっぷりの作品になっていました!