『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月! 公演情報 『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-20件 / 60件中
  • 満足度★★★★

    フレッシュなヒトラー像
    『あの記憶の記録』は、「アウシュヴィッツの後で詩を書くのは野蛮である」というあのアドルノのよく知られた言葉を想起させるものであり、生き残りがいかにして語りうるのか、に真摯に向き合った作品だと言える。しかし果たしてこの真摯さ(生真面目さ)は、有効だろうか? お勉強として、ナチス・ドイツがユダヤ人たちに対して行った「歴史」を教育・周知する効果はあるだろうけども、むしろ本気でこの問題に取り組もうと(その必要があると)感じているのなら、おそらくこの道では到達できないのではないか。既視感を食い破るものは感じられなかった。

    いっぽうの『熱狂』はまさに熱くさせられる快作であり、俳優陣に安定感もあった。この「熱さ」が罠であるというところが良い(ネタバレボックスへ)。

    ネタバレBOX

    まず『あの記憶の記録』については、終盤の幾つかの対決シーンに白熱するものはあったけども、まず長男のキャラクター造形がいささか単調というか、愚かすぎたと思う。理想に燃えるのは結構だが、あまりにも無知すぎる。先生のキャラクターも、もっと複雑に描かれてほしい。なぜ彼女があのような立場をとるのか、今ひとつ伝わってこない。過去を語ることを頑なに拒んでいたはずの兄が、弟に触発されて語り出す心境の変化についても、もう少し細やかな描写が必要だったと思う。

    で、『熱狂』だけれども、これはなんといっても、ヒトラー(西尾友樹)にあのチョビヒゲを付けさせない、というところが良かった。よくあるヒトラー像とは一線を画したところで、新たなヒトラー像を創出することに成功していたと思う。見た目の小道具に頼らず、しかし演説の模写などはかなりよくできていて説得力があった。またぜひ観てみたい俳優さんだなと思った。なぜ、ナチスの党員たちが、ヒトラーを支えていったのか(あるいは反目していったのか)。そして彼がどうして人々(大衆)の支持を得たのか。このカラクリを見事な政治劇に仕上げていたし、最後は客席を「熱狂」させるような仕掛けになっている(つまり、観客はあろうことかナチスに感動してしまう!)。
  • 満足度★★★

    何事も多様に見せる演出で観たい
     「熱狂」はヒットラーがドイツで大統領に選ばれるまでのお話。「あの記憶の記録」は1970年のイスラエルを舞台に、ある男が1944年の出来事を語るお話でした。共通の登場人物によって2作品をつなげる工夫もあり、両方観るとより楽しめる公演でした。

     四角いステージをほぼ三方から客席が囲む舞台美術で、舞台中央奥の壁には床から天井にかけて逆L字型に、強制収容所をおもわせる金網と柵が張り巡らされていました。網の中にはがれき、レンガやごみ、くしゃくしゃになった布や、片方だけの革靴もはさまっています。家具やその他の装飾で変化をつけ、同じ舞台美術で2作品をうまく上演されていたと思います。

     私は「熱狂」の方が面白かったです。「あの記憶の記録」は主人公の一人語りに重きを置き過ぎて、歴史教科書のようになってしまっているように感じました。

     Ort-d.d『わが友ヒットラー』のクチコミにも書きましたとおり、同じ題材を扱った団体同士で半券割引や交互トーク出演などの共同企画を実施されました。2作品交互上演だけでも現場は大変だったでしょうに、他団体と協力し合って広報活動をされたことは素晴らしいと思います。

    ネタバレBOX

    ■「あの記憶の記録」
     家族4人の朝食の場面から始まったのですが、演技から時間帯が体感できず、食事をしているようにも見えず、私はしょっぱなからつまづいてしまったようです。照明の変化だけで場面転換する割に、役者さんの出ハケがもっさりしていました。違う空間にいるはずの人物たちが同時に舞台上にいても気にならないような、スピーディーな演出が欲しかったです。

     強制収容所にいたことを隠してきたイツハクは、息子が母国イスラエルのために兵隊になろうとしていることを知り、再び戦争と対峙せざるを得なくなります。ガス室での死体処理業務の詳細、生きるために死体から金歯を盗んだこと、善い人間は死んで悪い人間は生き残ったことなどを具体的に語らせたのは良かったですが、長いセリフが言葉というより説明に聴こえてしまうことが多かったです。一人語りだけでアウシュビッツで起こったことをヴィヴィッドに伝えるのは、かなり難しいと思いました。あと、「話がある」「聞いてくれ」といったセリフが何度もありましたが、不要だと思います。

     2人登場した母親がいわゆる「家族のためにご飯を作って温かく見守ってくれるいい人」として、終始描かれてしまったことが残念です。夫イツハクが人殺しだったと初めて知るのですから、少なからず衝撃を受けるでしょうし、彼を思いやる優しさだけでなく、疑問や不快感も噴出するのではないでしょうか。男女や夫婦の対比が、戦争と平和の対比であるかのように映るのも、シンプルすぎて物足りなかったです。

     ただ、子供のあるイツハクは過去と対峙し、子供のいないイツハクの兄アロンは過去に蓋をするという対比は効果的だったと思います。イツハクが殺したナチスSS将校ビルクナー(「熱狂」にも登場)について、アロンが「他のSS将校よりいい奴った(味方だった)」と言うことで、兄弟の認識が正反対だったことがわかります。人間の記憶の頼りなさを示し、罪悪感に打ちひしがれたイツハクをさらに絶望的な状況に追いたてるのは、残酷ですが説得力がありました。息子の歴史教師がイツハクの握手に応えなかったのも良かったです。

     言葉にして発せられたことが嬉しくなるようなセリフがありました。イツハクが息子に「生きていることは素晴らしい」「戦場に行くのは義務だから仕方ない。俺の息子なら何をしてでも生き残れ。逃げろ」「イスラエル(国)よりも、お前の命の方が大切だ」と言いきってくれました。私もそう信じています。日本でも、国のために死ぬことを美とする教育が行われ、たくさんの命が奪われました。国とは何なのかを説いた井上ひさしさんの戯曲『兄おとうと』を思い出しました。

     ■「熱狂」
     開演10分前には客席がほぼすべて埋まっていました。全席自由だから早めに来場する人が多いのかもしれませんが、それにしても人気があるんだなと思いました。私が観た回は前売り完売で、キャンセル待ちの列ができていました。

     ハーケンクロイツが描かれた垂れ幕を三方の壁に吊りさげて、客席を含む劇場内全体がナチス本部内のようで、観客を当時のドイツ国民と見立てて演説を行うのにも臨場感がありました。照明の切り替え、効果音や音楽の挿入、俳優の出ハケなどの演出がスピーディーで小気味良かったです。

     ナチスやヒットラーを題材にした作品は多くありますが、『熱狂』はヒットラーが大統領に選出されるまでを描いており、演説場面がいいハイライトになっていました。1人の政治家としてのヒットラー像を垣間見ることができました。

     舞台上に実際は登場しないけれどその場に居るはずの人々が、出演者の数よりもずっと多くいるように感じられました。それぐらい舞台背景を描ききれていたのだと思います。ただ、俳優の演技が熱いのか冷めているのか、怒っているのかいないのかといった両極端の2種類に偏りがちだったことは気になりました。もっと繊細で、多彩な表情を見せて欲しいです。

     「ハイル、ヒットラー」と敬礼されるのに応えて、ヒットラー役の西尾友樹さんが右手をユルっと顔の横に持ってきて返礼(?)する仕草が、とても可愛らしくてギャップ萌えしました(笑)。真剣ゆえに可笑しいんです。そもそも大の大人が勢ぞろいして、妙なほど背筋を伸ばし胸を張り、右腕を前方上部にあげたポーズで、同じ言葉を同時に叫ぶこと自体が滑稽なんですよね。仕組まれたかっこ良さの方がクローズ・アップされて、不格好さが鳴りを潜めていたのは少し残念。何事も多様に見せる高次的な演出があると、さらに良いのではないでしょうか。

     ナチスの飛躍的な台頭は、私の中で今年の自民党の圧勝と重なりました。数ある争点を1つだけに絞って「○か×か」を迫り、楽な単純思考へと導く罠に、私たちは簡単にハマります。広報戦略として行われた統制の取れた美しいパフォーマンスに、のせられ、騙されるのが人間なんですよね。「ヒューラー(=ヒットラー)に従ってさえいれば楽」という民衆心理もよくあらわされていたと思います。

     ヒットラーの雑用係になった若者ビルクナーが、語り部として物語の進行をつとめます。終盤に彼が親衛隊に入隊するエピソードがあり、『あの記憶の記録』へと続く構造になっていました。両方観ることの楽しみがちゃんと担保されていました。
  • 満足度★★★★★

    急成長する劇団
    もうチョコレートケーキを見始めてどれくらいなるだろう。この作品の完成度もそうだが、劇団が大きく成長していく過程を見させてもらっている。つい数年前まで、そんなに注目を浴びる劇団ではなかった。それがここ何本かの急成長ぶりはどうだ。

    「熱狂」は初演をルデコで観た。あの狭さゆえの迫力があり、サンモールスタジオでそれが再現されるかと心配したが杞憂だった。サンモールスタジオでさえ狭く感じる熱演で、舞台と観客席の一体感をさらに強めた。「あの記憶の記録」は「熱狂」のような派手さはない。しかし、表裏の関係でどちらも心に響く。同時期にこれだけのクオリティのものを二作品作り上げる劇団力に恐れいる。

  • 満足度★★

    その問いはどこへ、誰に、向かう?
    スケジュールの関係で「あの記憶の記録」のみの観劇となりました。複雑かつシビアな題材に取り組んでいるのだ、という自負に満ちた、集中力の高い上演でした。

    意欲を持って、沢山の資料に向き合いつつ、書かれた戯曲だと思いますが、どこか「勉強して構成した」感は拭えず、設定やせりふのディテールにも、今ひとつリアリティを感じることができませんでした。

    遠く離れた場所の出来事を、(一見)無関係な者たちが物語化し、演じることの意味とはなんでしょう。劇中にも「体験した者にしか分からない」といったせりふは出てきましたが、まずはそのことを表現者自身が自らに繰り返し問うことこそが、当事者/非当事者の間に横たわる距離を埋める”想像力”を育てるのだと思います。リアリティもまた、そうして生み出されるのではないでしょうか。

    イスラエルの事例は決して他人事ではないのですが、とはいえ、この劇団の高い志、集団性をいっそうよい形で生かすためにも、まずは身の回りにある溝、亀裂を見つめた作品づくりに取り組まれるもよいのではないかと思いました。私たちの身近な生活の中にも、さまざまな社会的課題の影を見出すことはできるはずです。また、そうして見出された小さな違和感こそが、時には宗教や民族をめぐる争いの本質を表すこともあるのではないでしょうか。





  • 満足度★★★★★

    万感胸にせまる
    「あの記憶の記録」を観劇しました。自分の生涯ベスト級の素晴らしい作品でした。

    教育論、人種差別・排外主義に対する正義論、国家論、憎しみと悲しみと言う個人の感情論とこれだけ論じているのに、自分には説教や勉強と言う感じは無く、逆にそれ故なのか脳と心が整理がつかなかったです。

    観ているのが辛くなるほど、ただただ自分の感情を強く揺り動かされました。


    ネタバレBOX

    チョコレートさんの芝居には、相変わらず「遠い国の話でしょ、昔々の話でしょ」と安全地帯で安心させない。「何言ってんだよ、お前の身近にある話だよ、まさに現代日本にも現実問題として有り続けてきたし、今も有るぜ」と、喉元にナイフを付けつけられる恐怖に襲われる。
    鼻息荒く自国を正当化若しくは優越化し他国を貶めている我が国そして周辺国の人達には響かないんでしょうなあと感じました。
  • 満足度★★★

    意外な演出、人間らしい会話が欲しい
    『あの記憶の記録』『熱狂』の順で拝見しました。
    両方とも客席は男性が多くて集中力が高かったです。
    『あの記憶~』では泣いてる人がいっぱいいらしゃいました。
    劇団の世界観が好きな人がいて、固定のファンがついているんですね。
    『熱狂』はお客さんの年齢層が高く、有名劇評家も何人かいらしていました。

    ネタバレBOX

    ○『あの記憶の記録』
    学校で上演される教育演劇のような印象を受けました。
    真剣に興味を持って、よく調べて書かれている脚本だと思いましたが、
    「昔こういうことがあった」という知識を教えてもらう状態で、
    そこからもう一歩何かを受け取れるまでは私はたどりつけずでした。

    例えば野田秀樹さんも歴史的事実をモチーフに作劇されますが、
    そのままズバリではなく違う形で見せてくれます。
    私がストレートなものを素直に受けとめられないのは、
    単に好みの問題か、色々なものを観すぎてるせいかもしれません。
     
    現在のイスラエルのことを描けるのは、演劇ならではですね。
    変わっていく世界情勢、現実を伝えるのは、上映まで時間がかかる映画よりも、
    演劇の方が有利で即効性があると思います。


    ○『熱狂』
    ナチス内の人間関係を描く会話劇で、俳優は熱演。
    制服、軍服をうまく着こなしていました。
    “男のハードボイルド”の印象が強く、男性が好きそうな作品ですよね。
    『熱狂』は一色のトーンで押していく直球勝負のパワーがあり、
    『あの記憶~』よりも力強かったように思います。
    ヒットラーの雑用係だったビルクナーが『あの記憶~』にも登場し、
    2本がリンクする仕組みでした。
    戦後の歴史が見えてくるので、両方とも観た方がいいと思いました。

    広報のゲッペルスが「美しさ」を重視したのに頷けます。
    民衆はそろいの制服やポーズ(敬礼、腕章など)に弱いんですよね。
    集団の熱を利用して、考える隙を与えず、雰囲気で乗せていく…
    プロパガンダで民衆を扇動するのはナチスだけが特殊なのではなく、
    日本でも起こり得ることだと思います。

    ヒットラーが登場するお芝居といえば、
    昨年の三谷幸喜さんの『国民の映画』がすぐに思い浮かびます。
    三谷さんの手法は、歴史上の人物を私たちと同じ人間として見せるところ。

    でも『熱狂』の登場人物のセリフは事実や解説など、
    意味や意図がしっかりあるものばかりで、
    心情的なものはほとんど語られないんですよね。
    人間臭さが感じられる日常会話がなく、
    劇作家の古川健さんは歴史にご興味があるのだろうと思いました。
  • 満足度★★★★★

    最終の土日
    熱狂、親愛なる我が総統、あの記憶の記録(2回目)を観た。

    熱狂は、初演ではわからなかったが、非常に深いメッセージが込められているんだとわかった。でもまだわかりきっていないのかもしれないが。

    今回は、ゲーリング・ヒムラーがものすごくしっくりはまっていた。
    各人物も前以上にすばらしかった。
    ヒューラーの声が少しかれていた気がするが、これだけ熱演すればそうなるのかもしれない。

    親愛なる我が総統。
    前に観れなかったので、これが観れてよかった。4人のすばらしい芝居だった。(真正面で観た)ラストシーンがまだ目に浮かぶ。

    あの記憶の記録。
    親愛なる我が総統を観たからか、もっと主題が浮かび上がってきたように思えた。それにしてもこの作品は恐ろしいぐらいすごい作品だ。

    今回もあの囲む形の観客席にしたのはよかった。なんとなく、臨場感というか、そういったものが感じられる。

    (おまけ)デボラの屈託のない笑顔がなんともいえず好きだ。

  • 満足度★★★★★

    まるでオーケストラのように
    重厚で硬派のイメージが強いチョコレートケーキ。絶対の信頼感を以て観る「ある記憶の記録」、それはそれは素晴らしいものでした。役者さんの、登場人物の人生を背負った確かな演技、緻密かつ情に満ちた脚本、それを最大限に効果的に観せる演出。全てが相まって2時間を実に濃密に、心豊かに過ごさせてくれました。人物それぞれの心情がまるでオーケストラで奏でられるそれぞれの楽器のように、心地良いタイミングでそれぞれのパートにスポットが当てられ。ときにはソロ、ときにはデュエット、トリオ・・・というように人物達の心情が変遷する様子がこちらの体に滑らかに染み込んでくる感覚が鮮烈。ナチスドイツ時代を引き摺る重いテーマでしたが、観終わってなぜか心が温まったのは、舞台の上に確実に「血の通った人間の温かさ」が根付いていたからなのでしょうね。

    ネタバレBOX

    根津さんが相変わらず素晴らしいです。忘れたことにしようと思っていた過去の記憶にスポットが当たったとき、感情表現の巧さにハッとさせられました。

    元々劇チョコやJACROWで拝見していた岡本さんは、最近は北京蝶々やリバーサルでの軽やかな演出での作品ばかり拝見していましたので、またこういう演技が観られて嬉しかったです。

    川田さんは2週間前には空想組曲で拝見したばかり。ここまで作り込めるなんて凄いなぁ、と。ご挨拶したときにあまりの綺麗さに見とれてしまいました。

    とても可愛らしい亀田さん、娘としてお父さんのあの重い話を千秋楽まで聴き続けるのは辛いだろうなぁなんて思ってしまいました(^-^;)
  • 満足度★★★★

    生き残るために
    「あの記憶の記録」を鑑賞。
    重いです。自分が生き残るためには、何をやっても許されるのか?という問いを突きつけられ、それは仕方のない状況だったと答えるという昔からのテーマです。戦争はいつも「仕方のない」状況を作り出し、一般人を殺人者にまで仕立て上げてしまう。昨今の日本の周辺国の様子を見るにつけ、相変わらず人間は同じ事を繰り返すものだなと思ってしまいます。
    いつもながら重厚なテーマをきちんと作り上げ、役者さんのきちんとした演技で見せていただき、良かったです。後半、父親が過去を話し始めてから少し長かったですが、ラストの事件で全体がまとまったという印象です。

  • 満足度★★★

    題材勝ち?
    そんな気がしてならない。噂通りの力強い作品ではあったが、年間一位を取るほどの作品ではないのではないだろうか?一位を取ったということで、ハードルを上げ過ぎてしまった感は否めないが、それにしても、期待を裏切られて、残念だ。

  • 満足度★★★★★

    親愛なる我が総統
    アウシュビッツ初代所長ルドルフ・フェルディナント・へースと彼の予審に関わる3人のポーランド人(判事、精神科医)の物語。
    誰もがもっている、善悪、愛憎、強さ脆さ、葛藤がある故に信じることに執着したのか?

    動きの少ない4人の会話劇は、静かに進むが、心の奥底の想いは激しく、惹きこまれました。
    後半のへースの激しさが、より作品を深く濃くしていると、感じました。


    史実を元にしているが、その元凶の一つでもある、人間の真相心理の真髄を、あぶり出すかのような脚本・演出・役者陣が、素晴らしかったです。

    劇団を支えるスタッフの方々の、親切丁寧な対応も、とても素晴らしく、感謝です。

    しかも、公演の半券を持っていれば、料金無料とは!観客サービスにも、感謝です。

  • 満足度★★★★

    残すべきもの
    この壮大な話をとてもストレートに観客に表現してくれたと思う。この劇団の真剣さがヒシヒシと伝わってくる。好みが別れるのは当然。でもこういう作品を真面目に取組むチョコレートケーキは素晴らしいと思う。更なるクオリティアップを期待してます。

  • 満足度★★★★

    きっちりした作品
    「熱狂」を見たのでこちらの作品も見たかった。どちらも重い題材だった。「あの記憶の記録」は、昔、見たアウシュビッツの記録映像の中で、死んでいく無気力なユダヤ人が思い出させる。2作品共に引き込まれるように観劇したが、個人的には、ヒットラーが成り上がっていく「熱狂」の方がワクワクしてしまう。同じ人間がなぜこうなるのか!

  • 満足度★★★★★

    素晴らしかった!
    『熱狂』 『親愛なる我が総統』 『あの記憶の記録』と連続で観劇。再演の2本は初演も観てるけど今回も素晴らしかった。「親愛なる~」も含め、それぞれの理解を深め合うところも良かったと思う。見た目は動と静という感じもあるけど、どれも根底に熱い人の魂が感じられる作品。1日で観るにはかなりタイトなスケジュールで体力的にもややしんどかったけど、充実した時間を過ごせた。会場スタッフの対応も素晴らしかったと思う。

  • 満足度★★★★

    人間の強さと弱さと脆さは全ての時代に共通する。
    『親愛なる我が総統』
    絶対のがしたく無いので予約して拝見いたしました。
    静かに進む時間と重くのしかかる過去

    人は余りに辛い時には感覚を麻痺させる

    良い時間を過ごせた
    とても良い時間であった
    ギリギリのマチネとソワレの間に公演を打つのは
    とても大変だったとおもいますが、
    熱狂とあの記憶の記録をみたからこそ
    物語が広がるように感じました

    ネタバレBOX

    淡々と進む芝居は凝縮した一時間でありました。

    この演目の役をやるならば
    もっと歳を重ねていた方が良いのでは?
    と、思うかもしれない。
    また、ドイツ人に見えない。とかも思うかもしれないけれど
    私は名前とか国を考えずに観れば良いだけだと思いました。

    戦争は価値観を奪う
    絶対悪などは無い
    もし私に子供がいたら、究極の状況下で
    家族を守る為にどう変わるであろうか。

    これを気に考えてみたい。

    そして、静かなだけに
    眠った人が居ましたが
    イビキをしていたのでひじで起こしました。
    起きてくれてありがとう。

    今後のチョコレートケーキも楽しみです

  • 満足度★★★★★

    考えさせられる
    通しチケットで2本とも見てきました。
    どちらも重い内容ですが、いろいろ考えさせれらる内容です。
    「熱狂」はまさにアドルフ・ヒットラーの全盛期を描いた作品。ほぼ史実の踏襲ですが、難解な台詞が飛び交い、まさに「熱狂」の渦に巻き込まれました。
    「あの記憶の記録」はある家族の中の秘密が解き明かされていく内容ですが、こちらの方が感情移入できたというか、引き込まれました。
    どちらも70年から80年ほど前に本当に起きたことを考えると…戦争がいかに無意味なことなのかがよくわかりました。

  • 満足度★★

    退屈でした。
    所見。通し券で「熱狂」「あの記憶の記録」立て続けに見ました。corichアワード1位ということでかなりハードルを高くして見てしまったせいもあるのでしょうか??どちらの作品もドキュメンタリーチックなお話が延々と再現されるだけで演劇的な大胆な発想とか意外な展開とかまったくなく・・途中からもの凄く退屈してしまいました。「アウシュビッツの真実!」と題した演技仕立ての公開
    講座を見てるよう・・もしくは学校の社会科教材を鑑賞させられてるよう!見ていて感情がピクリとも動きませんでした。役者さんの演技もオレ上手いだろ・・みたいな型にはまった押しつけがましさあって好きではないし。でもこれアワード1位なんですよね。不思議、不思議~!!

  • 満足度★★★★

  • 満足度

    熱狂
    ほとんどの役者の演技が良くない。この芝居のどこが良いのか分からない。

  • 満足度★★★★★

    『親愛なる我が総統』:すばらしい
    アウシュヴィッツ強制収容所の所長:ルドルフ・ヘース(ルドルフ・フェルディナント・ヘス)を描いた作品。

    ナチス高官のルドルフ・ヘスとは別人物。そのことを知らずに見て、家に帰ってきてびっくり。どおりで見ながらちょっと話が変だなと思った訳だ。無知ですみません。

    この劇団は、作品の演劇的な強度も素晴らしいし、同時にこの時代への批評性の強さときたら、突出していると思います。

    ルドルフ・ヘスが、連合赤軍の諸氏のようにも、オウム真理教の幹部や教徒のようにも見えた。それは、自分自身も一歩間違えばそうなってしまうのではないかという思いを持ちながら。
    ある体制に疑問を持たず、自分のいる場所、その考えや構造に疑いを持たなければ、誰でもが、ルドルフヘスになりうる。
    そう思った時、もしかしたら、もはや私はルドルフ・ヘスなのではないかとさえ思った。今の社会体制や価値観に、ある程度の疑問は持っているつもりだが、それでも明らかに無自覚に流されてしまっている自分もいる。
    それを強く感じた。

    また、ナチスがユダヤ人を迫害する論理は、極めて普遍的な集団の論理なのだということも強く感じた。(歴史的背景から見ても、ユダヤ人差別はナチスに始まったことではない。ヨーロッパ全土で古くからあったものだ。)
    自己が正当であると確信したいが為に、自分と違う者を「敵」とみなし、その敵を徹底的に攻撃し、排除する。
    そうすることで、自分たちの正当であるという安心を得る。
    どこの集団でもよく起こることだ。
    日本でも、中国人や朝鮮人を昔から敵とみなし、罵倒することで、自国の正当性を誇示してきた。それは現在まで続いている。
    新大久保などで起こっている反韓デモなんて、まさにナチスとそっくりだ。
    1時間の芝居の中で、そのようなことがめまぐるしく私の頭を駆け巡った。

    素晴らしい舞台でした。ありがとうございました。

    ネタバレBOX

    ただし、一つだけ。最後の場面。

    自分が人間なのか悪魔なのか、自問自答し、わからなくなりかけていたヘスは、最後の場面で、精神科医に「あなたは人間です」と言われ安堵する。
    だが、精神科医は最後の質問として、「あなたはユダヤ人についてどう思いますか?」と問う。
    大量虐殺については今では悪いことをしたと思っているヘスも、ユダヤ人への侮蔑自体は変わらずに持ち続けている。そして、ユダヤ人がいかに酷いか、収容所で見た死を前にしたユダヤ人の醜悪さや冷酷さを精神科医に話す。だが、それはヘスが、そしてナチスが行った醜悪さや冷酷さと同様である(同様どころか、圧倒的にヘスやナチスの方が酷いのだが)。そのことを、精神科医はヘスに問う、「ユダヤ人もあなたと同じじゃないですか?」「同じ人間じゃないですか?」と。
    そう問いかけられたヘスは、自分が「悪魔ではなく人間だ」と言われて救われたまさに同じ問題で、自分が行ったことの意味を、つまり蔑むべき対象ではなく、血の通った「人間」をあれほど虐殺したのだということを再認識する。そして、激しく動揺、狼狽し、のたうちまわる。そして、正気を取り戻し、「ハイル・ヒットラー」で幕。

    長々と解説してしまったが(この文章が自分への備忘録の意味もあるので)、

    あれだけ丁寧に、脚本も演技も演出もきていたのだから、最後で過剰な動きによって、ルドルフ・ヘスの動揺を表現しなくてもよかったような気がする。もちろん、動きも伴ってしまうというのならば良いのだが、動きが先行していたように見えたので。
    途中の台詞にエコーを付けるのも過剰な気がした。

    過剰に劇的な何かを付加しようとしなくても、そのままでも、充分力のある舞台だったので、その点だけがちょっと、もったいないと思ってしまった。

    偉そうに、生意気言って、すみません。

    素晴らしかったので、もっと、と観客の欲が出てしまいました。

    充分に素晴らしい作品でした。

    ありがとうございました。

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